オペラに行って参りました−2001年(後半)−

目次

2001年 7月12日 夏のオペラガラコンサート
2001年 7月13日 ヴェルディ 「ファルスタッフ」
2001年 7月27日 ヴォルフ=フェラーリ 「イル・カンピエッロ」
2001年 8月23日 ウェーバー 「魔弾の射手」
2001年 9月19日 プッチーニ 「トゥーランドット」
2001年10月11日 ロッセリーニ「花言葉」
2001年10月13日 モーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」
2001年11月 2日 オッフェンバック「ホフマン物語
2001年11月 7日 ヴェルディ 「ナブッコ」
2001年11月 9日 ドニゼッティ「ドン・パスクァーレ」
2001年11月16日 モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」
2001年12月13日 ヴェルディ 「ドン・カルロ」

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オペラに行って参りました2000年へ 

観劇日:2001年7月12日
入場料:C席 1500円 3F 7列40番

リクルートスカラシップ30周年記念、オペラスカラシップ10周年記念

夏のオペラガラコンサート

会場 東京国際フォーラムC

指揮:菊地 彦典  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:藤原歌劇団合唱部/リクルート混声合唱部

プログラム

第一部

ヴェルディ「アイーダ」より「凱旋の場」 藤原歌劇団合唱部/リクルート混声合唱部
ヨハン・シュトラウスU世 歌曲「春の声」 ヴィクトリア・ルキアネッツ
モーツァルト「フィガロの結婚」より「恋とはどんなものかしら」 中村 春美
ドニゼッティ「愛の妙薬」より「人知れぬ涙」 樋口 達哉
ドニゼッティ「ドン・パスクアーレ」より「あの騎士の眼差し」 河野 明子
ベッリーニ「カプレーティとモンテッキ」より「おお幾度か」 池田理代子
ベッリーニ「ノルマ」より「清らかな女神よ」 池田理代子
ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」より「私は涙にくれ」 ヴィクトリア・ルキアネッツ/谷友博

第ニ部

モーツァルト ピアノ協奏曲ハ長調 K467 第ニ楽章 野原みどり
マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」より「主は蘇られた」 合唱/藤川真佐美
マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」より「ママも知るとおり」 藤川真佐美
プッチーニ「ラ・ボエーム」より「私が町を歩くと」 竹村 佳子
プッチーニ「ラ・ボエーム」より四重唱、「さよなら朝の甘い目覚め」 竹村佳子/河野明子/中島康晴/谷友博
ビゼー「カルメン」よりハバネラ、「恋は野の鳥」 高尾 佳余
ビゼー「カルメン」より「闘牛士の歌」 栗林 義信
ビゼー「カルメン」より「カルタ占いの三重唱」 高尾佳余/中村春美/竹村佳子
マスネ「ウェルテル」より「春風よ、私を何故目覚めさせるのか」 中島 康晴
ベッリーニ「夢遊病の女」より「ああ、信じられないわ〜私を満たしてくれる喜びは」 ヴィクトリア・ルキアネッツ
ヴェルディ「椿姫」より乾杯の歌「友よ、さあ飲みあかそう」 中島康晴/ヴィクトリア・ルキアネッツ

感想
 
夕方7時から始まり、終わったのが10時一寸前。長丁場のコンサートでした。楽しさてんこもり、と言いたいところですが、第一部はイマイチの歌唱が多く、もっと短く切り込んで、密度の高いコンサートにしてくれた方が私には楽しめたと思います。特に池田理代子みたいな素人に20分も時間を取るのは、無駄以外の何物でもありません。東フィルは14型で演奏。東フィルはこの時、新国立劇場と東京文化会館とここの3つが同時並行で進んでいるのですが、流石に3つ同時は人数が足りなくなるようで、かなりのエキストラを入れているようでした。ちなみにTはこの3箇所を全て聴いたのですが、オケとしての実力が一番乏しかったのはこの国際フォーラムのパートだったと思います。合唱は藤原歌劇団合唱部を中心とする男声32人、女性38人の合計70人。この合唱も普段藤原オペラで聴く合唱よりも、練れていない印象を強く受けました。

 以下、個別の寸評です。

 アイーダの凱旋の合唱は、アイーダトランペットの奏者が思いっきり外してくれたのと、合唱がイマイチ揃っていなかったことで、散漫な印象を受けました。昔、藤原歌劇団のアイーダで聴いた合唱のほうが数段上だったと思います。

 ルキアネッツの「春の声」。コロラトゥーラの技術は流石、と思わせる部分があるのですが、高音部のコントロールが不十分で、文句なしと言うわけには参りません。オーケストラのテンポと歌唱のテンポとがややずれていたのも気になりました。

 中村春美の「恋とはどんなものかしら」。べたっとした歌い方で、思春期の少年の沸き立つような心の内を示しているとはとても思えませんでした。もっとロココ的軽やかさを前面に出してほしかったです。

 樋口達哉の「人知れぬ涙」。きちんと歌っていたのですが、物足りない。ネモリーノ特有の膨らみに欠けると言ったらよいのでしょうか。説得力がないのですね。

 河野明子の「あの騎士の眼差し」。この方の声自身がリリコ・レジェーロではなくリリコのような気がします。一寸重い声です。ノリーナの軽やかさが感じられない歌でした。高音部が辛く、カヴァレッタも重く残念でした。

 池田理代子の2曲。所詮は素人芸です。何をいっても始まりません。こういうレベルの人を出すことは、「ガラコンサートでのお遊び」、ということでしょうね。

 ルキアネッツ・谷友博のルチアの二重唱。この日最初のブラボーでした。東フィルの演奏が今一つだったのですが、谷は、朗々とした歌いっぷりで魅了してくれました。流石にブルゾンのアンダースティをやっただけのことはあります。感心致しました。ルキアネッツもよかったです。

 野原みどりのモーツァルト。プログラム編成の都合上入れたのだとは思いますが、はっきり言って余計でした。はじめは福田玲子が「清らかな女神」を歌う予定だったのですがキャンセル。かわりに入ったものと思います。K467の第2楽章は、モーツァルトの書いた緩徐楽章の中でも特に美しいものですが、これだけ抜き出して聴くようなものではないでしょう。第一、第三楽章があってこそ第ニ楽章が生きるのです。野原のピアノはビブラートを排した清純なもの。いい演奏でした。ただし、オーケストラが気が抜けていて曲全体としてみた場合はバツでしょう。

 カヴァレリア・ルスティカーナからの2曲。こちらは合唱がよく、藤川さんのサントゥッアもよかったです。藤川さんは、1月の新国のトロヴァトーレで感心したメゾですが、あの時のアズチェーナほどの説得力はなかったですが、水準以上のサントゥッアでした。

 竹村佳子のムゼッタのワルツ。ブラーバです。竹村さんというとアンニーナ(椿姫)のスペシャリストというイメージがあって(何度も聴いています)、こんなに歌える方だとは知りませんでした。認識不足でした。コケティッシュな味もしっかり出していましたし、声の伸びも充分。是非今度、彼女の歌う大役を聴いてみたいです。

 ボエーム終幕の四重唱。歌手の実力がまざまざと示されました。若手テノールNo.1の中島さんと、竹村さん、谷さんに挟まれて、ミミ役の河野さんの声はソロや中島さんとのデュエットのところでしか聴き取れませんでした。

 カルメンからの3曲。高尾さんは正確で伸びのある堂々としたハバネラでたいへん良かったです。カルメンの色気という点では一寸不足かな、と思わないわけではないのですが、衣装が黒かったからかしら。栗林義信の闘牛士の歌は、明らかに「昔取った杵柄」でした。音程にはややふらつきがあるのですが、逆に貫禄があり、流石大御所と言うべき歌いっぷりでした。そして、カルタの三重唱。これもまた高尾、竹村の好調に対して中村の力のなさがはっきりと示されました。

 中島康晴の「ウェルテル」のアリア。予想通り若々しく正確な歌唱でした。

 ルキアネッツの「夢遊病の女」のアリア。本日のルキアネッツの3曲の中ではこれが最高でした。声質がアミーナに向いていると思います。響かせ方といい、カヴァレッタの弾みといい、文句なしでした。

 アンコールは中島とルキアネッツによる椿姫「乾杯の歌」。これもいい。今後、中島の若々しいアルフレードを聴く機会に期待しましょう。

 歌える人とそうでない人との差がかなり目立った演奏会でした。あと、内容を盛り込みすぎで、時間に追われている感じがしました。余韻を味わえないのが、一寸残念でした。

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観劇日:2001年7月13日
入場料:C席 6000円 3F R2列11番

二期会創立50周年記念公演
平成13年文化庁芸術創造特別支援事業
東京二期会オペラ劇場

ヴェルディ作曲「ファルスタッフ」(FALSTAFF)

会場 東京文化会館大ホール

指揮:ピエール・ジョルジョ・モランディ  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:二期会合唱団  合唱指揮:時任康文
演出:
井田邦明  装置・衣装:マリナ・エレーナ・メクシア
照明:奥畑康夫  舞台監督:大仁田雅彦  公演監督:栗林義信

出演者

ファルスタッフ 蓮田求道(直野資は体調不良のためキャンセル)
フォード 小川裕二
フェントン 井之上了吏
医師カイウス 岡本泰寛
バルドルフォ 経種廉彦
ピストラ 志村文彦
アリーチェ 川原敦子
ナンネッタ 森麻季
クイックリー夫人 与田朝子
ページ夫人メグ 玉敷やよい
ガーター亭の亭主 山本亘

感想

 ファルスタッフは孤高のオペラです。ヴェルディ最後にして最高の作品で、それまでのイタリアオペラと一線を画する傑作です。しかし、プッチーニ以降の作曲家がこの技法を取り入れて傑作を書くことは出来なかったし、20世紀の作曲家たちがこのオペラを出発点にして何かを書いた、という話も私は寡聞にして知りません。そういう意味で孤高です。

 この作品の素晴らしさは音楽と劇との一致にあります。ワーグナーはライトモティーフという形で劇と音楽との一致を試みましたが、この作品でヴェルディはもっと自由闊達に音楽と劇とを合わせています。劇それ自身が非常にコンパクトにまとめられ、余計な部分は切り捨てられて、きっちりと組まれています。単なる舞台作品として見ても、充分に楽しめるだけの力をもった作品です。そこに厳格な音楽が付いてきます。それまでのイタリアオペラの技法を皆放りこみ、枠組をフーガとしています。音楽の形式美が物語の面白さをさらに向上させている、と申し上げてよいでしょう。作品が非常に緻密に作られています。

 そういう緻密な作品をどう演奏すると良く仕上がるのでしょう。私は、音楽監督の考えの元、一つのトーンで仕上げていくことが最大の近道だと思います。そういった演奏がないわけではありません。カルロ・マリア・ジュリーニとブルゾンのコンビは、かつてそのコンセプトでロサンジェルス、ロンドン他で同一キャストの「ファルスタッフ」を組み上げました。二期会公演の帰宅後、この公演のLDを見直したのですが、アンサンブルの魅力がふんだんに湧き出ていて、大いに感心しました。

 私が「ファルスタッフ」の実演を聴いたのは今回が2回目ですが、初めて聴いた95年ミラノスカラ座の来日公演におけるリッカルド・ムーティ指揮、ファン・ポンス外題役のものも、当時有名なスター歌手はポンス以外誰も出ていなかったはずですが、大いに楽しめました。この公演もムーティというやや強引な指揮者が、自分のコントロールの元にオーケストラも歌手も置くことが出来たから上手く言ったのではないかと思います。

 今回の二期会の上演は、演奏を通して貫く柱というか背骨が見えない公演だったと思います。モランディの演奏は、非常に引き締まった節度のある演奏で私は好感を持ったのですが、モランディの棒のイメージに対応出来ていたのはオーケストラのメンバーだけで、舞台上の人たちは、全く無関係でした。演奏のトーンを統一化して様式化したほうが、このようなアンサンブルオペラではよく聴こえると思うのですが、そういう配慮は考えていないようでした。

 歌手の力量と言う点では男性が相対的によく、女性に問題がありました。ピンチヒッターのファルスタッフ、蓮田さんは、私は初めて聴くバリトンです。低音部の表現にやや問題がある部分があったと思いますが、特に目立つでもなく、特に引っ込むでもなく、ファルスタッフという一寸憎めない悪人を上手く描いていたと思います。反面名誉のモノローグであるとか悪魔のモノローグのように、ファルスタッフの個性を示す部分では一寸あっさりした感じが致しました。

 フォード役の小川さん。あまり目立たない歌唱でしたが、「夢か、まことか」のモノローグは、嫉妬深い中年の心情をよく表現していたと思います。フェントンの井上さんは、2月のこうもりのアルフレードより明かに上出来でした。美声がこれでもかという感じに出ていました。ただし、ファルスタッフのフェントンという役柄で、あういう能天気な歌い方がよいのか、という点になると疑問符をつけざるを得ません。

 カイウス、バルドルフォ、ピストラはどれも存在感の薄い歌唱。カイウスは仕方がない部分もあるのですが、バルドルフォ、ピストラは舞台狭しと駆けまわって居りましたが、歌の印象は弱かったです。

 女声陣はまず演技に問題がありました。ファルスタッフは喜劇なのですから、大げさに演技してそれでメリハリを付けてほしいところですが、森麻紀さんを別にしてこじんまりとした演技でつまらない。クイックリー夫人はキーロールなのですが、ファルスタッフとのからみでは、それなりの演技でしたが、女声同士の関係になると全然目立ちません。皆さん歌のことだけで頭が一杯だったのかも知れません。といって歌唱が特別良かったということはありません。アリーチェの川原さんは、所々で非常に美しい声を聴かせてくれるのですが、全般としてはもごもごして非常に聴き難かったですし、森さんは、いつもの「音程は正確だけれども、高音部では声が細くなる」特徴を遺憾なく発揮してくれました。メグなどはいるかいないかわからないような歌いっぷりでした。

 とはいっても、オーディションで選ばれた歌手たちです。そこそこのレベル以上で歌っていたと思います。しかし、ファルスタッフに対する様式感が各自異なっている様で、アンサンブルになるとダレます。このオペラの最高の聴きどころである終幕のフーガなどは、10人がそれぞれてんでんばらばらにがなりたてるものですから、もう滅茶苦茶でした。これは、タイトルロールの突然のキャンセルが影響したのかもしれませんが、アンサンブルは明らかに練習不足だったと思います。

 ファルスタッフは台詞が機関銃のように飛び出すという意味での難しさはあると思うのですが、超高音や特別技巧的なパッセージがあるわけではありません。音楽的に一本筋を通してまとめれば、締まったいい演奏になると思います。今回の演奏を聴いて、この一番重要な音楽的統一性を誰も取らなかったことが、今回の上演の中身を決定付けた全てではないかと思うのです。

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観劇日:2001年7月27日
入場料:B席 7000円 2F 2列53番

平成13年文化庁芸術創造活性化事業
藤原歌劇団公演

ヴォルフ=フェラーリ作曲「イル・カンピエッロ」(IL CAMPIELLO)
マリオ・ギザルベルディ台本 カルロ・ゴルドーニ原作

会場 新国立劇場中劇場

指揮:マルコ・ティトット  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:藤原歌劇団合唱部  合唱指揮:及川貢
演出:
粟國 淳  美術・衣装:パスクアーレ・グロッシ
照明:笠原俊幸  振付:マリアーノ・ブランカッチョ  舞台監督:大仁田雅彦 

出演者

ガスパリーナ 高橋薫子
ドナ・カーテ マックス・ルネ・コゾッティ
ルシエータ 五十嵐麻利江
ドナ・バスクア 持木 弘
ニェーゼ 葛貫美穂
オルゾラ チンツィア・デ・モーラ
ゾルゼート 五郎部俊朗
アンゾレート 久保田真澄
アストルフィ 河野克典
ファブリーツィオ ドナート・ディ・ステファノ

感想

 ヴォルフ=フェラーリの作品は、ライト・クラシックの代表曲である「マドンナの宝石」間奏曲を唯一の例外にして、いまだかつて、CD、FMですら聴いたことがありませんでした。ヴェリズモ嫌いのTとしては、20世紀のイタリアオペラ作曲家など、聴きたくもないと思っておりました。勿論これは偏見で、第一ヴォルフ=フェラーリは、ヴェリズモの作曲家ですらない。そういうこともよく分っていないTが、「イル・カンピエッロ」を聴きました。聴いた感想は、聴いて良かった、の一言に尽きます。

 作曲年代が1935年ということは、イタリアではムッソリーニが、ドイツではヒトラーが出、「不安な時代」の始まりだったと思われますし、音楽史的にいえば、20世紀オペラの傑作である、「ヴォツェック」、「ポーギーとベス」、「ムツェンスクのマクベス夫人」は既にみな書かれています。そういう中でその時代の動きや新しい音楽語法とは全く無関係に、イタリア喜劇オペラの伝統にのみ則ってこういう作品が書かれたということは、ある意味で驚きです。「奥様女中」に始まり、「ドン・パスクワーレ」におわるオペラ・ブッファの伝統と、ヴェルディ「ファルスタッフ」のアンサンブル喜劇を踏まえて書かれたとはいうものの、この作品には、例えば、ロッシーニのブッファが持つような一貫した躍動感や、「ファルスタッフ」にみられる台詞と音楽との緊密な結合が認められる訳ではありません。舞台の上がドタバタで進行するにも拘らず、音楽的にはロマンチックな音の流れが進み、新たなオペラの展開が出来たとはとてもいえず、私には、イタリアオペラの黄昏を感じさせずにはいられないのです。

 このような音楽史的知識を抜きにして、単なる舞台作品として見た場合、十分楽しいオペラです。形式的に主人公はガスパリーナというお嬢様なわけですが、本当の主人公はタイトル通り「カンピエッロ(小さな広場)」です。ベネツィアの小さな広場に集う10人の人々。恋人同志が3組。おかみさんが3人。それにガスパリーナの伯父さんファブリーツィオ。この10人がたわいもないことで騒ぎ、喧嘩をし、恋人の心変わりを恐れ、結婚にあこがれるのです。庶民のずうずうしさと狭い土地に住みあうことによる喧騒、10人から誰が欠けても劇として成立しないところがあると思います。アリアは、三幕のフィナーレでガスパリーナによって歌われる「さようなら、愛しのヴェネツィア」の1曲だけで、あとはモノローグかアンサンブルです。全歌手が一致して進めて行かないと弛緩してしまいます。その意味で、27日の公演は協力が上手く行って、舞台が緊密に進み結構だったと思います。

 歌の魅力の点で、今回一番素敵だったのは、高橋薫子でした。高音部で一部コントロールの僅かな乱れがあったものの、声の美しさ、声量、情緒、どれをとっても一級で、一つ間違えれば高慢で厭らしい女になりかねないガスパリーナを、上品で結婚を夢みる乙女に描いて良かったです。終幕のアリア「さようなら、愛しのヴェネツィア」は、ヴォルフ=フェラーリの出身地ヴェネツィアに対する愛惜が満ち溢れた曲ですが、それを上品な情感をもって歌い、最高でした。高橋さんは、自らのホーム・ページに「絶対好演する」と意気込みを語っておりましたが、文句なしに「好演した」と申し上げます。

 次に良かったのは、持木弘でした。持木はもう耳が遠くなりはじめているが、娘を結婚させたら自分も花婿を迎えたいとおもう小母さん役を演じていました。マックス・ルネ・コゾッティも同様の小母さん役を演じたわけですが、持木の方が良かったです。声のだし方がコゾッティは、どうしても男の声にしか聞こえないのです。でも持木はしっかり「おかま」の声になっていました。演技もコゾッティが大またでドシドシ歩くのに対し、持木は内股でチョコチョコ歩き、小母さんぽさがよくでていました。なお、中年女性をテノーレ・ブッフォが演じるのは、ヴェネツィア・バロック・オペラの伝統なのだそうですが、こういった古いやり方を持って来て現代オペラのなかに再現して見せるところが、このオペラの特徴だと思います。

 持木の歌った、ドナ・バスクアの娘役ニェーゼの葛貫美穂は、はじめて聴くソプラノです。線の細さが若干ありましたが、第一幕のソロの高音の伸びやアンサンブルパートでの最高音の歌いっぷりは、なかなかのものを感じさせました。小母さん役で唯一の女性歌手チンツィア・デ・モーラは、ヒステリックな声のだし方など女声ならではのところが流石でした。五郎部俊朗、久保田真澄の二人の若者役は、聴かせ所がなく余りぱっとした印象はありませんでしたが、アンサンブルの中で自分の役どころを上手く演じていました。ファブリーツィオは、いわゆるバッソ・ブッフォの役どころだと思いますが、典型的なオペラ・ブッファのブッフォ役と比べると、賢人的であり、人間的な面白さに満ちた役どころではありません。ドナート・ディ・ステファノの歌唱は、悪くはないのですが、役柄上印象が薄くなります。騎士役の河野克典。狂言廻し的役どころですが、落ちついた演技と一寸控えめの歌いっぷりで、うまく狂言廻しを果たしていたと思います。

 今回の歌手で、歌唱上一番問題が多かったのは五十嵐麻利江でした。高音部でのずり上げが多いのはいつもの通りで、他の歌手と比べると一段低いレベルの歌唱をしていたと申し上げざるを得ません。それでもアンサンブルを壊すほどのレベルの歌唱ではなく、助かりました。五十嵐の良いところは、演技が大きく大胆なところです。ルシエータという華やかな娘役ですが、恋人のアンゾレートが嫉妬するのはさもありなん、と思える演技で、歌の力不足を補っておりました。

 ティトット指揮東フィルの演奏は、細かいミスが多く、結構聴きづらいものがありました。また、中劇場のサイズを考えて、オケはもう少し抑制した演奏のほうが、歌とのバランスから見ても良かったのではないかと思います。粟國淳の演出は、得意のストップモーションを上手く使い、また歌手の大ぶりの演技をさせ、非常に面白いものがありました。第ニ幕における宿屋の中を見せる場面転換、第三幕のフィナーレで運河を見せる所の美しさなど、オーソドックスながらも、要所要所に才気を感じさせるもので感心致しました。

 イル・カンピエッロは、日本での本格的上演は二度目とのことです。今回4日公演で4000人の人がこの作品を知る事ができるわけですが、更に多くの人に知ってもらって良いオペラだと思います。近い再演を期待しましょう。

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観劇日:2001年8月23日
入場料:B席 8000円 2F 7列28番

文化庁芸術創造特別支援事業
東京フィルハーモニー交響楽団

オペラコンチェルタンテシリーズ第22回

ウェーバー作曲「魔弾の射手」(DER FREISCHUTZ)作品77
フリードリッヒ・キント台本 

会場 オーチャード・ホール

指揮:チョン・ミョンフン  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:東京オペラシンガーズ  
副指揮:鈴木織衛  宮松重紀  森口真司

舞台監督:幸泉浩司 

出演者

マックス ペーター・ザイフェルト
アガーテ・クーノ ペトラ=マリア・シュニツァー
カスパール アルベルト・ドーメン
エンヒェン 高橋 薫子
オットカール 泉 良平
クーノ 大澤 健
隠者 新保尭司
キリアン 秋山 徹
花嫁に付き添う娘T 志鎌 聡子
花嫁に付き添う娘U 橋本 恵子
花嫁に付き添う娘V 林 満里子
花嫁に付き添う娘W 紙谷 弘子
ザミエル 斉木 健詞

感想

 「魔弾の射手」の序曲は、小学校か中学校の音楽鑑賞で聴かされ、「狩人の合唱」や「花嫁に付き添う娘たちの合唱」も子供の頃から親しんでいましたが、全曲を聴いたのは大学生の時、カルロス・クライバーがドレスデン歌劇場のオーケストラを指揮し、シュライヤーがマックスを歌ったLPレコードが最初でした。クライバーのこの録音は、今でも「魔弾の射手」の代表的名盤として知られていますが、この録音を聴いた私は、いつか本物の舞台を見てみたいものだと思ったものでした。

 その思いが最初に達したのは、1991年正月、ロンドンでのことでした。コヴェントガーデンの王立歌劇場で、指揮者はコリン・ディヴィス、マックスがルネ・コロ、アガーテがカリタ・マッティラ、カスパールがハートムット・ウェルカー、エンヒェンがジュディス・ホワースといった面々でした。ディヴィス、コロ、マッティラ、ときたら、それなりの名演を期待するのは当然です。でも、この演奏全く良くありませんでした。コロはさすがの歌唱でしたが、デイヴィスの指揮が死んでいて、オケに締まりがなくひどいものでした。その上ノーカットでやるものですから、台詞が多い。Tはドイツ語全く分りませんから、何を言っているのかチンプンカンプン。聴いていると退屈して眠くなります。「もういい」というのが正直なところでした。

 その後「魔弾の射手」は敬して遠ざけていたわけですが、チョン・ミョンフンがオペラコンチェルタンテで「魔弾」を演奏するとなれば、やはり聴きたくなるのが人情。そこで聴いてきたわけです。

 演奏は、文句なしに名演でした。はっきり言って、細かい傷は相当あったと思います。でもミョンフンが構築する音楽世界にソリストも合唱もオーケストラもひとつひとつの素材として組みこまれ、全体としてまとまった形で示されました。これが、私が名演だと思う第一の理由です。そのうえ、マックス、カスパール、アガーテ、エンヒェンの主要四役がそれぞれに素晴らしい歌唱をしてくれたということが錦上花を添えました。

 ミョンフンの指揮は、非常に熱意の篭ったきびきびしたもの。序曲からして並のものではありませんでした。流れる音にスピード感が溢れていて、音の奔流、音の爆発でした。オーケストラはついて行くのがやっと、といった風で、所々音がざらつくのですが、そんなことは問題にせず、あっという間に走りきったという印象です。高揚感の強い序曲でした。本篇に入っても、きびきびして高揚感の強いオーケストラドライブは終始一貫していました。東フィルはかなり危ない部分があったのですが、荒井コンマスの下一丸となって対応して、非常に高レベルの演奏をしていたと思います。ホルンセクション、オーボエ、チェロ、ビオラの首席奏者たちが終演後、立たされて拍手をもらっていましたが、これは当然というべきです。

 ミョンフンのもう一つの素晴らしさは、プロポーションのコントロールの良さでした。演奏会形式のオペラは、オケの音がどうしても強くなって、折角の歌手の声が聞こえなくなるということがままあるのですが、今回はそれが全く無く、歌とオケとのバランスがとても良かったです。オケのアタックは強く、フォルテの迫力も素晴らしかったのですが、でもアリアになるとオーケストラがぴたっと後ろに下がる。そしてきちんと伴奏する。この交替が実に自然に行われていました。16型のオーケストラを相手にこれをやるのは大した力量です。歌手同志でもアリアの時の声量と重唱する時の声量を変え、全体としてのバランスに配慮していました。このようなプロポーションのコントロールはなかなかうまく出来ないもののようです。私は、オペラに行くたびに、この点に不満を感じて帰ることが多いので、今回のミョンフンのコントロールは、胸のすく思いでした。一流のオペラ指揮者の実力をしっかり見せていただきました。

 歌手は主要四役が皆良かったと思います。

 ペーター・ザイフェルトは、高音が軽くて綺麗で、コントロールも良くて、リリックな響きに魅せられました。アリア「森を越え、野を越え」は美声を響かせ、抜群の出来でした。アルベルト・ドーメンは暗めの声のバスですが、この声がカスパールにぴったりでした。第一幕のアリアは、力強さと虚無感とが、ない交ぜになって良かったです。また、ザミエルとの会話のシーンなど、陰鬱な雰囲気が良く出ていて好演だったと思います。

 アガーテ役のシュニッツアーは、中低音部がふくよかで艶やかなソプラノでした。半面、高音部の声量は今一つでした。そのため、歌としては、「アガーテの祈り」よりも、後半のアリア「たとえ雲に隠されても」の方が出来が良かったと思います。エンヒェン役の高橋薫子も素晴らしかったです。第二幕のアリエッタ「やさしい姿の若者で」は情感を込めながらも軽く歌い、高音の伸びがよく素敵でした。第三幕のレシタティーヴォとアリアでは、前半のレシタティーヴォの部分がやや弱かったのですが、後半はすっかり持ちなおし、軽妙にきちんと決めてくれました。

 それ以外の歌手達は前記の人たちよりは落ちる。しかし、キリアン役の秋山徹は冒頭のアリアを軽快に歌いました。オットカールの泉良平、クーノの大澤健は、ザイフェルト、ドーメンに囲まれると力の差は明瞭でした。新保尭司の隠者も雰囲気は隠者的で良かったのですが、歌唱のテンポが、ミョンフンの音楽の作りよりも一寸遅く、残念でした。

 合唱は定評ある東京オペラシンガーズだけあって、非常に素晴らしいものでした。特に「狩人の合唱」は、雰囲気といい、迫力といい文句なしの素晴らしさ。「花嫁に付き添う娘たちの合唱」は、志鎌聡子が少し外してしまったので、一寸減点。

 もう一つ良かったのは、台詞のシーンが大幅に切りこまれていたこと。物語を十分楽しむためには、台詞も完全版が良いのでしょうが、「オペラ」として楽しむのであれば、長時間の台詞を聞かされるより、音楽の連続性を重視してくれた方が私には有りがたいです。

 若干の傷はあったとしても、全体として見たとき今年一番の名演であることは間違いないと思います。堪能しました。

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観劇日:2001年9月19日
入場料:D席 5670円 4F L2列4番

芸術祭国際共同公演

文化庁芸術祭執行委員会/新国立劇場主催

プッチーニ作曲「トゥーランドット」(TURANDOT)
台本:ジュゼッペ・アダミ/レナート・シモーニ 

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指揮:菊池彦典  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団/藤原歌劇団合唱部
児童合唱:多摩ファミリーシンガーズ
合唱指導:及川貢  児童合唱指導:高山佳子
演出・美術・衣装:ウーゴ・デ・アナ
振付:レーダ・ロヨーディチェ  照明:バンビ
舞台監督:菅原多敢弘 

出演者

トゥーランドット フランチェスカ・パタネー
カラフ アルベルト・クピード
リュー 砂川 涼子
ティムール 久保田 真澄
アルトゥム皇帝 高 丈二
ピン アルマンド・アリオスティーニ
パン パオロ・バルバチーニ
ポン セルジオ・ベルトッキ
官吏 彭 康亮
ペルシャの王子の声 渡辺 文智
侍女T 山下裕紀
侍女U 金子寿栄

 

感想

 一口で言うならば、オペラは見なけりゃわかりません、という舞台でした。今回の演出・舞台装置はマチェラータ野外オペラで1996年にプレミエを迎えたプロダクションで、その後ボローニャ歌劇場で使われているものだそうです。非常に個性的且つ大胆な舞台で、黒や灰色のモノトーンを基調とした舞台でありながら、所々で見られる色彩の美しさは、人工的な良さがありました。オリエンタルムードはあるのですが、中国・中国した雰囲気と言うよりは、もっと無国籍なムードで、そこも面白く感じました。

 紫禁城前の広場ながら、巨大な銀球がおかれ、銀球が3つに割れて、トゥーランドット姫が登場するのですが、その時の衣装がまるで、紅白歌合戦における小林幸子ばりの舞台装置なのか衣装なのかわからない代物です。化粧も凄艶で、トゥーランドット姫の権力を象徴しているようです。登場人物の化粧は、どれもなかなか凝っており、仮面劇と京劇の中間的な印象。ただ、その化粧は、カラフが髪を逆立てないデーモン小暮ですし、ティムールは、仮面ライダーのショッカーの手下のような模様でした。北京市民は黒いですし、ピン・ポン・パンの大臣は白地に赤を基調とした猿のような模様、みんな人工的で、「トゥーランドット」が、ある種の寓話であることを如実に示しておりました。

 この演出のもう一つの大きな特徴は、登場人物の多さです。勿論、ソロを歌う人の数は変わらないのですが、合唱の人数やら、黙役で舞台の上で演技をする人の数はおびただしいです。プログラムによれば、ソプラノ23人、アルト22人、テノール24人、バス21人の合唱団、児童合唱が23人。その他に、ペルシャの王子とか、首きり役人とか、旗持ちの兵隊とか、市民とか合わせて75人の黙役の人が舞台に乗っています。黒衣に身を包み、机のような小道具を抱えて登場する数多くの市民や、旗を持って登場する兵隊、これだけ多くの人たちが舞台上を埋めると、スペクタクル、と呼ばずにはいられません。圧倒されます。

 かなりどぎつい演出でしたが、パワーがありました。「トゥーランドット」の音楽はある意味でキッチュですから、演出と音楽とが非常にマッチしていたと思います。

 音楽面でまず評価すべきは、菊池彦典の指揮だと思います。熱い指揮を見せてくれました。オーケストラを抑えることなく思いっきり音を出させ、そのうえ、結構あおりぎみの指揮で、盛り上がります。東京フィルハーモニー交響楽団も、菊池の指揮に敏感に対応し、曲全体を盛り上げるのに一役も二役も買っていたと思います。合唱団も大人数ということもあって、オーケストラに負けない迫力でした。

 歌手でまず指を折るべきはグピートです。私もこれまで何回かグピードを聴いてまいりましたが、余りぱっとした印象はなかったです。しかし、今回は良かったです。一幕の「泣くなリュー」は特に良かったと思います。高音が伸びていて崩れがなく、グピードって、こんなに上手だったかしら、と思わずにはいられませんでした。第2幕のなぞなぞを解く堂々とした演技も良かったですし、3幕の「誰も寝てはならぬ」は高音部に一寸した崩れがあったものの、十分素晴らしい歌でした。

 パタネーも悪くはないのですが、余裕がない歌い方をしているなあ、という印象です。高音はしっかり出ていて、迫力満点、生来の美貌に恐さを象徴するようなくっきりとした化粧もあって、トゥーランドット姫らしい歌い方をしているという印象ですが、その分低音部は今一つだったように思います。

 砂川涼子のリューは、端正な歌唱で、「お聴き下さい、王子さま」も「リューの死」も正確で素敵でした。ただ、何か一つ足りない。緊張していたためなのでしょうが、歌に今一つ余裕がない。そこが一寸残念でした。久保田真澄のティムールは安定した歌唱。皇帝役の高丈二は、舞台には出てこないで舞台裏で歌っていたのですが、他のテノールと比較すると、明らかに落ちるように思いました。ピン・パン・ポンの3人の大臣達は、どなたも芸達者、演技もアンサンブルも要所をおさえた、聴きごたえのあるものでした。

 以上、今回の公演は、2001/2002年シーズンの新国立劇場が上手く行くのではないかという期待を膨らませるレベルにあったと思います。大いに楽しみました。

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観劇日:2001年10月11日
入場料:3780円 D3列2番

小劇場オペラ第5回公演

ロッセリーニ作曲「花言葉」(IL Linguaggio Dei Fioli)
台本:ヴィットリオ・ボディーニ 

会場 新国立劇場・小劇場

指揮:宮松重紀  管弦楽:新国立小劇場オペラ・アンサンブル
演出:今井伸昭  装置:井村さつき  衣装:小野寺佐恵
照明:成瀬一裕

出演者

ドンナ・ロシータ 腰越 満美
叔母 竹村 佳子
家政婦 河野 めぐみ
叔父 志村 文彦
従兄 中鉢 聡
マノーラ1 吉川 日奈子
マノーラ2 清田 真幸
マノーラ3 陰山 雅代
老嬢たちの母 北澤 きよみ
老嬢1 増田 美帆
老嬢2 前田 祐佳
老嬢3 三角枝里佳
声&若者 嘉松 芳樹

感想

 恥ずかしながら、ロッセリーニというオペラ作曲家がいたことを知りませんでした。ましてや、「花言葉」などというオペラがこの世にあることなど、知る由もありません。その意味で、全く初耳のオペラを聴かせてもらいました。

 ロッセリーニは、1908年ローマに生まれ、1982年モンテカルロで亡くなったイタリアの作曲家です。兄が映画監督のロベルト・ロッセリーニで、兄の映画のために、音楽を20年間に18本担当し、更に6本のオペラを作曲したそうです。「花言葉」は、彼の3番目のオペラで、1963年にミラノ・スカラ座で初演されています。世界中でも滅多に上演されたことがないようですが、日本では、1998年に日本オペラ振興会のオペラ歌手育成部終了公演で上演されたことがあるそうです。

 正味1時間30分ほどのオペラで、休憩を入れても2時間一寸で終了しました。ストーリーも割と簡単です。

 叔父夫婦に深い愛情を持って育てられたロシータには、従兄の婚約者がいます。結婚の日を楽しみにして、仕合せ一杯のロシータでしたが、ある日、彼の父親から故郷のアルゼンチンに戻って、農場を継ぐようにとの手紙が届きます。彼は、迷いながらも結局は、「必ず迎えに来るから」という言葉を残し、旅立ちます。ここまでが一幕。それから15年たって、ロシータの聖名祝日のお祝いの日です。オールドミスの姉妹とその母親や、若いアイオーラ達がロシータの家にやってきます。娘と老嬢の間の小さな諍いがありますが、そこにアルゼンチンからの手紙が来ます。それには、「当分戻ることが出来ないので、誰かを新郎に仕立てた「代理結婚式」を挙げるように」と書いてあります。そこまでが第二幕。そして、更に12年が経ちました。花の栽培が好きだった叔父はもう亡くなり、叔母もめっきりと弱くなりました。婚約者の従兄は8年前にもうアルゼンチンで結婚しています。そのことをロシータは知っています。それでも彼女は彼を待つ姿勢を示します。一方、叔父の家は、叔父の借金のかたとなり、叔母とロシータ、家政婦は長年住みなれたこの家を出て行かなければなりません。そして家からでて行くとき、ロシータは長年とってあった彼からの手紙を捨てて、新しい場所へ出ていくのでした。以上が粗筋です。

 曲は、現代音楽的晦渋な趣はありません。1幕の明るさが、2幕でやや盛り上がり、3幕でぐっと暗く沈みこむ、という風で、映画音楽を多く手がけた人の作品だなあ、という感じを抱きました。

 主人公は、ドンナ・ロシータ。音楽的にも中心で、アリアが2曲与えられています。その他の歌手でアリアが与えられている人はいませんので、このオペラの成否は、ドンナ・ロシータの出来にかかっていると申し上げてよいでしょう。この日、ロシータを歌った腰越満美は、その点非常に良好な出来でした。一幕の「朝方開花する時は」で始まるアリアは、音程に若干ふらつきがあり、また、高音のだし方に僅かなずり上げがあったのが残念でしたが、ニ幕、三幕と進むにつれて、尻上りに調子を上げて行きました。第二幕の四重唱における存在感もよかったのですが、第三幕でのオールドミスになってしまったロシータの心中を歌うアリアの迫力、実に説得力がありました。文句なしにブラヴァです。腰越満美は、本年7月の「マノン」の公演でも、端役ながら、非常によい歌唱をしたのですが、本日の歌唱は、その迫力と存在感で前回を上回る出来ではなかったかと思います。声質は、佐藤しのぶばりの一寸スピントのかかったリリコ。地声は、佐藤しのぶより良いのではないでしょうか。

 叔母を歌った竹村佳子も中々の好演でした。彼女も第一幕はそれなりだったと思うのですが、後半は、存在感の陰りのだし方など、一歩下がりながらも、しっかりと歌っておりました。家政婦役の河野めぐみもなかなかよかったです。彼女も後半がよかった。総じて、一幕では、歌手の皆さんが一寸及び腰の感じで歌っていらしたように思います。男性陣では、叔父役の志村文彦はコミカルな歌唱で、味がありました。中鉢聡は、声量がないところが難点の方ですが、小劇場の大きさでは勿論問題はなく、二枚目の役をきっちりと演じられていたと思います。

 それ以外の歌手たちは、それなりでした。勿論部分的には良い所もあるのですが、腰越・竹村・河野の三人と比較すると、どうしても一段下と言わざるを得ません。その中で、オールドミスたちの母親を演じた北澤きよみが歌唱力といい、舞台慣れの様子といい、一人気を吐いていました。

 宮松重紀指揮の新国立小劇場オペラアンサンブルの面々は、ハープとティンパニの印象が強いです。結構オケが前面に出る演奏で、歌手が負けていました。今井伸昭の演出は、加齢をかなり意識した演出でした。ドンナ・ロシータは第一幕では、髪を下ろして、化粧も華やかな娘として登場するのに対し、ニ幕では髪をアップに結い、化粧は控えめな感じ。第三幕では髪を下ろすのですが、その髪の毛が白髪交じりで、顔の化粧も銀色のモノトーンに変わって行きます。登場人物の化粧と衣装で時代の変化を描こうとしたのでしょうね。舞台は3幕とも同じで、英国の郊外を思われるような感じでした。作品の舞台はスペインのセヴィリアですから、その土地にしては一寸暗めの感じでした。一番奥の壁面を黒い幕で覆ってあったので、そう思ったのかもしれません。 

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観劇日:2001年10月13日
入場料:B席 7000円 1F 19列16番

モーツァルト劇場公演
日本語上演

モーツァルト作曲「コシ・ファン・トゥッテ」(Cosi fan tutte)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ 

会場 新国立劇場・中劇場

訳詞・総監督:高橋英郎
指揮:城谷正博  管弦楽:アンサンブル of トウキョウ
合唱:モーツァルト劇場合唱団
演出:中津邦仁  美術:倉本政典  衣裳:八重田喜美子
照明:奥畑康夫  舞台監督:北村雅則
 

出演者

フィオルディリージ 高橋 照美
ドラベッラ 小畑 朱実
フェランド 上原 正敏
グリエルモ 黒田 博
デスピーナ 高橋 薫子
ドン・アルフォンソ 大澤 建

感想

 最近日本で上演されるオペラは、字幕付原語上演が普通で、日本語に翻訳した翻訳上演は珍しいです。モーツァルト劇場は、日本語上演するということが団体のポリシーで、これもまた一つの見識だと思います。主宰の高橋英郎が、モーツァルト研究の日本の代表的な方の一人で、自分で翻訳した台本を使ってオペラを上演したいという、強い意志があるのでしょう。それで、その翻訳台本の出来映えはどうかというと、私はなかなか好いものだと思いました。

 本来「コシ・ファン・トゥッテ」は、18世紀の末のナポリが舞台ですが、今回の上演は21世紀初頭の某所が舞台です。こういった変更は、演出家の考えでやって良いと思いますし、その結果雰囲気が変わったことも事実です。しかるに、マイナー団体の常で、大道具はほとんどなし。場面変換は回り舞台を廻すことにより、舞台に取り付けてあるアクリル板の方向が変わるのと、背面に写す映像の切り替えで行っていましたが、あまりピンときませんでした。「コシ・ファン・トゥッテ」はシンメトリックなオペラですが、大道具があったほうがそのシンメトリックな様子を強調出来たのではないかと思います。

 とは言え、オペラはやはり音楽です。城谷正博の指揮は、とりたてて特徴のあるものではなかったと思います。アンサンブル of トウキョウの演奏は特に目立つものではなかったのですが、団員のミスが少なく、聴いていて快調でした。しかし、公演としては評価するわけには参りません。主役に問題がありすぎます。特に、フィオルディリージ役の高橋照美が大ブレーキでした。声量はない、高音はでない、音程は不安定と三拍子揃っておりました。「巌のようにたじろがず」も、「どうぞ許して、いとしい人」も、合格点と評価できるレベルから程遠い。そのうえ、発音がもごもごしていて聴き取れない。且つ演技も一番詰まらなかった。私は非常に不満でした。学生だって、もっと上手に歌う方はいくらでもいらっしゃるでしょう。これでお金を貰おうだなんて、世間を舐めてはいけません。また、彼女の声質からみて、フィオルディリージに向いているとは、私には思えません。キャスティングをした方の責任も大ですね。

 ドラベッラ役の小畑朱実は、最初一寸抑え気味でしたが、尻上りに良くなりました。2幕のアリアは、とても良かったと思います。本来このオペラでは、姉が前にでて、妹が後ろから支えるという形になると思うのですが、この日の上演では、快調ドラベッラと不調フィオルディリージの関係で、ドラベッラが完全に前に出てきていました。

 二人の男声陣は、共に水準以上でした。上原雅敏は初めて聴くテノールですが、甘い声で上手に歌っていたと思います。グリエルモの黒田博。10年ぶりぐらいで聴きましたが、硬さがとれていて、非常に聴き易かったです。二人の男性陣は、一寸くさい感じはしましたが、演技もそれぞれに良かったです。ドン・アルフォンソの大澤建は、最初低音が決まっていて、なかなか良かったのですが、後半は尻すぼみ。声が前に出なくなって、一寸残念でした。

 今回の歌手の中で一番評価すべきは、高橋薫子でしょう。歌が他の出演者と比較するとき、群を抜いて上手です。声量もありますし、技術も抜群です。本日の歌唱では、失敗もなく、よかったです。加えて、コミカルな演技も楽しむことが出来ました。ニセ医者に化けた時の様子はいかにもニセっぽかったし、公証人に化けた時のはげのカツラは如何にも似合っておりました。彼女に関してもう一つ付け加えることは、日本語の発音が明瞭で分り易かったということです。日本語上演の問題は、実際何と歌っているのか、客席で聞えないということがあるのですが、彼女に関していえばその問題はほとんどなかったです。

 一つ大きな疑問。何故、グリエルモとフェルランドが変装したあとにフィオルディリージやドラベッラが彼らを見て、自分たちの恋人であることに気付かないのは何故でしょう。普通は、髯を付けられるだけ付けて、衣装も替えて、客席からも入れ替わりを分らないようにすることが多いのですが、本日はサイケ調の衣装に着換えるだけ。これで、恋人達を騙せるというのは、いくらなんでも安直だと思います。

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観劇日:2001年11月2日
入場料:D席 6000円 3F R3列13番

東京二期会オペラ劇場

オッフェンバック作曲「ホフマン物語」Les Contes d'Hoffman)
原作:E.T.A.ホフマン  台本:ジュール・バルビエ/ミシェル・カレ

プロローグと3幕、エピローグ。字幕付原語(フランス語)上演 

会場 東京文化会館・大ホール

指揮:ジェローム・カルタンバック  管弦楽:東京交響楽団
合唱:二期会合唱団/二期会オペラスタジオ研究生
合唱指導:大島 義彰
演出:佐藤 信  美術:レギーナ・エッシエンベルグ
振付:竹屋 啓子  照明:斎藤 茂男
舞台監督:菅原多敢弘 

出演者

ホフマン 福井 敬
ニクラウス/ミューズ 寺谷 千枝子
オランピア 森 麻季
アントニア 岩井 理花
ジュリエッタ 松本 美和子
リンドルフ 末吉 利行
コッペリウス 池田 直樹
ミラクル 工藤 博
ダペルトゥット 多田羅 迪夫
スパランツァーニ 吉田 伸昭
クレスペル 松本 進
シュレミル 黒田 博
母の声 竹本 節子
アンドレス 九貫 達也
コシュニーユ 高橋 淳
フランツ 牧川 修一
ピティキナッチョ 宮崎 義昭
ルーテル 大久保 眞
ナタナエル 谷川 佳幸
ヘルマン 杉野 正隆
ステッラ 佐々木 弐奈

感想

 全く個人的趣味で話をすれば、「ホフマン物語」は、Tには今一つ馴染めない作品です。音楽は、有名な「ホフマンの舟歌」以外にも素敵な曲が沢山あって、耳に馴染み易いのですが、作品全体として一寸冗長なのと、オカルト趣味が肌に合わないところがあります。登場人物が多すぎて、いちいち覚えてられないのも馴染めない一つの原因かも知れません。とはいえ、オッフェンバックが自分の生涯を賭けて書いた遺作です。良い上演に当れば、とても素敵な気分になれます。今回のこの上演は、素敵な気分にさせてくれる上演でした。

 一番の立て役者は、タイトルロールの福井敬でした。福井は、現時点で日本で一番安定した歌唱力を誇るテノール歌手です。私もこれまで、何回か彼の歌を聴いていますが、ほとんど破綻がない。今回の外題役も実に素晴らしい歌唱でした。この作品は、ホフマンが主役であると同時に狂言廻しでもあります。ですから、ほとんど舞台に出ずっぱり。そういう条件下で、福井が持ち味の強くて且つ艶やかな美声を、全篇通してコントロールしていました。メリハリのついた演技と共に、大いに褒め称えたいと思います。

 女声陣でまず称えるべきは、オランピア役の森麻季です。森は、出来不出来がはっきりするタイプの歌手で、いつも良いわけではないのですが、今回の「オランピア」役は非常に良かったと思います。森は、日本でのこの二期会公演の前、ワシントン・ナショナル・オペラでオランピアを歌い、ワシントンポスト紙上で絶賛されたそうですが、その凱旋公演というべき今回の二期会公演でも、実に良い歌と演技を聴かせて(見せて)くれました。機械人形の堅い動きをコミカルな演技で、上手く演じていつもの蛇踊りはありませんでしたし、若いから当然なのかもしれませんが、足もよく上がりました。踊りも随分練習したのでしょう。彼女は、いつもは、最高音を思い切って出せず、細くなってしまうことが多いのですが、今回の公演では、思い切って高音をしっかりと出しており、難役オランピアをしっかりと歌いきっておりました。自信があるのでしょう。ブラヴァです。

 アントニアの岩井理花は、アントニアを十全に歌っていました。山鳩のアリア、よかったです。ただ、オランピアの後に聴かされると、どうしてもくすんで聞えます。役柄が肺病で死にそうな歌手ですから、オランピアのように高音を見せびらかす歌とは一線を画して当然なのですが、コントラストを考えるとき、もう少し歌唱のスタイルを考えていただければもっと良かったのではないかと思います。

 ジュリエッタの松本美和子。声に年齢が出ていました。聴かせどころの「舟歌」は、寺谷千枝子も控えめな歌唱でしたので、何ともスカスカな歌になっていて残念でした。声量も昔ほどではないようでした。歌の正確さという点では、あまり破綻はなかったのだろうと思うのですが、声の密度というか歌の詰まり方は、物足りなさを感じました。また、岩井さんと松本さん役柄が逆なのではないかとも思います。松本さんはリリコ、岩井さんはリリコ・スピントですが、アントニアはリリコ役なのに対し、ジュリエッタは録音でバルツァが歌っていることでも判るように、低音ソプラノからメゾの役のような気がします。

 寺谷千枝子のニクラウスも今一つでした。まず、声質がこの役のイメージとは一寸ずれているような気がします。どうしてもふわふわした歌になり、福井やソプラノ達に挟まると一寸弱い感じがします。しかし、エピローグのミューズのアリアはよかったです。これで一気挽回した感じです。

 男声陣も様々でした。リンドルフの末吉利行は、あまり買いません。それなりでした。スパランツィーニの吉田伸昭、コッペリゥスの池田直樹は福井、森に挟まれると印象が薄いです。クレスペルの松本進は良かった。父親の味をよく出していましたし、アリアも上々でした。耳の不自由な召使フランツ役の牧川修一も好演。工藤博のミラクルも良かったと思います。総じてバランスが良かったのが、アントニアの登場する第2幕でした。第3幕の男声陣。ダベルトゥットの多田羅迪夫、シュレミルの黒田博など芸達者が揃いましたが、印象は薄いです。そこが一寸残念です。

 演出は抽象的な表現の印象がつよく、かつ美術は現代風の、モノトーンのもの。ホフマン物語は幻想劇ですが、幻想の中身はリアルですので、もう少し具象的な舞台セットが私の好みです。振りつけは面白かったのですが。カルタンバック指揮の東京交響楽団は、取りたてていうほどの特徴が認められませんでしたが、オペラの付けとしては必要十分だったと思います。合唱はいつもながらの高水準。

 いろいろ細かく指摘すれば、それなりに問題はあるのですが、タイトルロールとオランピアの抜群の出来で、私はとても満足しました。

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観劇日:2001年11月7日
入場料:E席 2835円 4F R3列3番

平成13年度(第56回)文化庁芸術祭協賛公演

新国立劇場主催

ヴェルディ作曲「ナブッコ」(NABUCCO)
台本:デミストクレ・ソレーラ 

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指揮:パオロ・オルミ  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団/藤原歌劇団合唱部  合唱指導:三澤洋史
バレエ:東京シティバレエ団
演出:アントネッロ・マダウ=デアツ
美術:レオナルド・トゥランバー  衣装:ジェルマン・ドゥロゲッティ
照明:奥畑康夫  振付:安達悦子
舞台監督:大仁田雅彦 

出演者

ナブッコ 牧野 正人
アビガイッレ ハスミック・パピアン
ザッカーリア フランチェスコ・エッレロ・ダルティーニャ
イズマエーレ 佐野成宏
フェネーナ 藤川 真佐美
アンナ 菊地 美奈
アブダッロ 角田 和弘
ベルの祭司長 大澤 建

 

感想

 この「ナブッコ」は、98年6月プレミエの再演。98年のナブッコは切符を手に入れ損ねて見ることが出来なかったので、新国の「ナブッコ」は初めての経験です。ただ、「ナブッコ」自体は、88年のスカラ座日本公演で、ブルゾンのタイトルロール、ディミトローヴァのアビガイッレという名演を見ているので、辛目の評価になりそうです。そんな気分で見に行きました。聴いての感想は、なかなか良い、です。

 まず、パオロ・オルミの音楽の作り方が、直裁的でクリア、推進力がありました。ナブッコは若きヴェルディが血をたぎらせて書いた(ホントかなあ?)作品ですから、推進力が重要です。その点について、オルミは十分合格点の演奏でした。東フィルも良かった。いつもの東フィルよりも音がクリアで、管のソロもよく決まっていたと思います。オケの下支えという意味で、非常に良い仕事をしたといえると思います。

 ナブッコで忘れていけないのは、合唱です。この作品では、合唱が作品のトーンを決めるようなところがあって、その良し悪しが全体の成否に関わります。本日の合唱は、ヴェルディの熱くたぎる血潮をよく示す歌唱でした。アンサンブルの美しい合唱というよりは、揃わない部分もあるけれども、厚みがあって、合唱団員の肉声が聞こえるような演奏で、よかったと思います。例のヘブライ人の合唱「ゆけ、わが思いよ、金色の翼にのって」は、とても良かったですが、それ以外の合唱も称賛に値するものでしょう。

 主役の牧野正人の出来は、前半よりも後半が良かったです。第一幕は、破綻はありませんでしたが、一杯一杯のところで歌っているように聞こえました。歌に余裕がないのですね。でも、幕が進むにつれて、どんどん調子を上げてきました。第4幕のアリア「ユダヤの神よ」は感動的でした。カバレッタの最後で、高音(音程がわからない)をしっかり延ばし、ブラボーでした。重唱での絡みもよく、牧野の新たな一面を見たような気がします。

 アビガイッレを歌ったパピアンは今一つ。勿論良い部分は沢山あるのですが、聴かせどころが一寸弱い。高音はしっかりと出ているのですが、下降音階を歌うとき、声が聞こえなくなるのはいただけません。第ニ幕一場のアリアも、それなりにまとめてはいましたが、完璧とは程遠い出来でした。でもブラヴァはいっぱい掛かっていました。私はあまり感じませんでしたが、どこか、心を引くものがあるのでしょう。

 ザッカーリアを歌ったダルティーニャ、多分、この日の公演で一番良かったと思います。歌が堂々としていてふくよかで、聴いていて気持ちの良い歌いっぷりでした。冒頭のアリアから聴かせてくれました。艶やかなバスで、別の役も是非聴いてみたいものです。イズマエーレの佐野成宏も持ち前の美声を存分に出して、なかなか良かったです。ただ、イズマエーレは1幕、2幕しか活躍しないので、全体としては印象が薄い感じです。フェネーナの藤川真佐美もなかなかの歌いっぷりでした。聴かせどころの4幕のアリアを無難にこなしていましたし、アンサンブルの絡みも上手でした。

 マダウ=ディアツの演出は、大道具は簡素なれど登場する人達の数と衣装とで、圧倒されるものがありました。短時間の舞台変更を考えて、柱の移動による空間の造出で状況を見せようとしたわけですが、比較的明快な舞台で良かったと思いました。

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観劇日:2001年11月9日
入場料:A席 3500円 1F 6列36番

昭和音楽大学オペラ公演
字幕付原語上演

ドニゼッティ作曲「ドン・パスクァーレ」(Don Pasquale)
台本:ジョヴァンニ・ルッフィーニ 

会場 新国立劇場・中劇場

指揮:菊池彦典  管弦楽:昭和音楽大学管弦楽部
合唱:昭和音楽大学合唱団  合唱指揮:及川貢
演出:ロレンツァ・コディニョーラ  美術:和田平介  衣裳:ルイザ・スピナテッリ
照明:奥畑康夫  舞台監督:斎藤美穂
 

出演者

ドン・パスクァーレ 岡山 広幸
マラテスタ 松尾 俊哉
エルネスト 藤原 海考
ノリーナ 葛貫 美穂
公証人 飛鳥井 亮

感想

 「ドン・パスクァーレ」は、ドニゼッテイの最後のオペラ・ブッファであると同時に、イタリアオペラ最後のオペラブッファとも言える作品です。そういう訳で題名は高名ですけれども、日本では滅多に演奏されません。「愛の妙薬」や「ルチア」があれほどよく演奏されるのに、見た目も面白く、音楽的にも充実した「ドン・パスクァーレ」があまり上演されないのは不思議な感じがします。昭和音楽大学がこの作品を取り上げることを知り、私は勇んで出かけました。私は初めての実演経験となります。

 演奏を一言で言えば、非常にコスト・パフォーマンスのよい演奏でした。僅か3500円であれだけの満足を得られるのですから、本当に行って良かったと思います。スタッフが日本のオペラ上演の第一線で活躍している人がほとんどですし、大道具・小道具にも手抜きがない。公演の目的が、学生達の実習と大学教育の社会還元、及び大学の宣伝とを兼ねているため、あういう安価な入場料設定が可能なのでしょう。残念なのは、こんなにいい上演なのに、聴いている人の多くは、昭和音大の学生や教職員の様で、一般の人が少ないことです。もっと外向きに宣伝をして、沢山の観客を集める努力が必要でしょう。

 勿論、問題は多々あります。オーケストラや合唱のレベルは、当然のことながらアマチュアのレベルから抜けていません。菊池の指揮は、乗りのいいものなのですが、オーケストラは指揮に乗せられていない「おっかなびっくり」の演奏でした。失敗を恐れて、思いっきり弾けていないという感じが致しました。初日だったからかもしれません。2日、3日でこなれることを期待しましょう。合唱も声楽科の4年生が中心ですが、二期会や藤原歌劇団の合唱部とはレベルが違います。しかし、一所懸命やっているところに好感を持ちました。

 ソリストは総じて良かったです。まず、最初に指を折るべきはノリーナの葛貫美穂です。彼女の演奏は、「イル・カンピエッロ」のニェーゼ役で初めて聴き、高音の伸びのよさに感心いたしましたが、今回の演奏も非常に快調でした。細かいミスはあったようですが、それを気付かせないだけの技量がありました。登場のアリア「そのまなざしに彼の騎士は」で、好調ぶりをはっきりと示してくれましたし、アンサンブルもアリアも皆しっかりと個性を示してくれました。伸びの良い高音をまた聴くことが出来ました。演技もなかなかのものでした。1幕のマラテスタとの掛け合いの時の表情といい、じゃじゃ馬ぶりを発揮する第2幕、第3幕といい、声の出し方の多彩さとコミカルな演技で、コメディエンヌとしての才能もあるな、と思いました。

 外題役の岡山広幸も好演です。ただ、この方最初は喉が十分暖まっていなかったようで、第1幕はセーヴした歌いっぷりでした。バスの声の響きを堪能出来たのは、休憩のあとです。艶やかなバスの声を聴かせていただきました。第3幕のノリーナのやりとりにおけるだめ親父ぶりなどは、十分笑えましたし、マラテスタとのニ重唱も良かったです。岡山さんといえば、ザラストロ(魔笛)とかエジプト王(アイーダ)のようなシリアスなバス役ではおなじみでしたが、バッソ・ブッフォ役を聴くのは初めてです。シリアス・バスの印象が強いせいかもしれませんが、バッソ・ブッフォの羽目のはずし方としては、一寸上品かな、という気がしました。

 松尾俊哉のマラテスタも好演。このオペラの狂言廻しで、筋書きを作るのがマラテスタですが、それに乗ったノリーナがどんどんエスカレートするのをあきれて見る、というアンビバレントな役柄を存在感を持って演じていました。話を盛り上げるためには非常に重要な役柄で、ここが弱いとオペラの気が抜けてしまうと思うのですが、松尾は最初から頑張って、要所要所を締めて、盛り上げに貢献していたと思います。

 エルネストの藤原海考も悪くはなかった。3幕のセレナードは高音がよく出ていて素敵な歌唱でした。更に2幕のアリアも良かったです。割と一本調子の歌いっぷりなのですが、役柄も一番若くて、世間知らずのお兄ちゃんですから、あれでいいのかもしれません。公証人役の飛鳥井亮もコミカルな演技で良かったです。

 コディニョーラの演出は、舞台全体をパスクァーレの部屋とし、舞台に斜めに壁を作るというやり方で、客席の何処からも舞台がよく見えるようにと配慮したものでした。割とオーソドックスな舞台だと思いますが、このブッファにはそのほうがよく似合います。

 いろいろな不満点も書きましたが、総じて見れば、やはり水準の高い演奏だったと思います。それを支えた主要4役にブラボーを贈ります。

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観劇日:2001年11月16日
入場料:D席 5670円 3F 2列49番

2000年新国立劇場・ウィーン国立歌劇場共同製作作品

新国立劇場主催

ドラマ・ジョコーゾ2幕・字幕付原語上演
モーツァルト作曲「ドン・ジョヴァンニ」
(DON GIOVANNI)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ 

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指揮:ポール・コネリー  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団  チェンバロ:大藤玲子
合唱:新国立劇場合唱団/二期会合唱団  合唱指導:三澤洋史
演出:ロベルト・デ・シモーネ  演出補:マティアス・フォン・シュテークマン
装置:ニコラ・ルベルテッリ  衣装:ザイーラ・デ・ヴィンチェンティース
照明:クルト・シェーニィ  振付:レナート・ツァネッラ
舞台監督:池田正宣 

出演者

ドン・ジョヴァンニ フェルッチョ・フェルラネット
騎士長 彭 康亮
ドンナ・アンナ アドリアンヌ・ピエチョンカ
ドン・オッターヴィオ 櫻田 亮
ドンナ・エルヴィーラ 山崎 美奈・タスカ
レポレッロ ナターレ・デ・カロリス
ツェルリーナ 高橋 薫子
マゼット 久保田 真澄

感想

 今回の「ドン・ジョヴァンニ」は、タイトルロールでした。フルラネットが世界的な名バスであることは言を待ちませんが、もう、本当に素晴らしかった。ブラボーではなく、ブラボッシモです。力のある歌手がハイテンションで歌うときの凄さがいやというほど示された公演でした。感服致しました。演奏のバランスという意味では、92年のロイヤルオペラハウス日本公演印象に残っているのですが(ハイティンク指揮)、標題役だけとれば、あの時のトーマス・アレンよりも今回のフルラネットがの方がはるかに上回っていると思います。

 何処がそんなに素晴らしいか。まず、彼が音楽的キーマンになっている。彼が引っ張ってオペラ全体を動かしており、ベクトルの方向と大きさが、彼の歌唱で決まっています。勿論、個々の歌唱も素晴らしかった。ツェルリーナとの「誘惑の二重唱」における艶。男の私でも色気を感じました。「シャンパンの歌」における推進力と底に見える悪意の表現も申分無いものでした。「セレナード」における色気も素敵でした。ドン・ジョヴァンニは悪人で、女性に不実な男ですが、こんな男に言い寄られたら、メロメロになる女性はとても多いだろうな、と当然感じさせるような歌でした。フルラネットのもう一つの特徴は、演技が上手なことです。一つ間違うと、とても臭い芝居になると思うのですが、何故かそうならない。迫真の演技はウソをウソとして見せないという事かもしれません。

 フルラネットの素晴らしさと比較すると、それ以外はどうしても凡庸に見えます。ポール・コネリーの演奏は、ロココ的軽やかなものでも、ドン・ジョヴァンニのデモーニッシュな側面を強調したものでもない比較的平凡なもの。その演奏がブラボーをもらうのですから、フルラネットの牽引力はオケにまで影響を与えたという事かも知れません。

 レポレッロのナターレ・デ・カルロスは、演技の確かさで気を吐いていました。ニ幕において、ドン・ジョヴァンニと入れ替わるシーンでの騙し方などは、流石に「ドン・ジョヴァンニ」をレパートリーとしている歌手だけのことはあって、素敵でした。それなのにニセものに見えるように演技するあたりは、素晴らしいと思います。ただ、一番の聴かせどころである「カタログの歌」は、それなりで、デ・カルロスらしさが前面に出たものではなかったのが惜しまれます。

 久保田真澄のマゼットは、音程がしっかりしていて快調でした。こと歌唱に限れば、デ・カルロスを上回っていたと思います。アリアもきちっと決めてくれましたし、ツェルリーナとのニ重唱も良かったです。とはいえ、演技が一寸臭い。しかし、それもトレードマークの顎髭を剃り落しての熱演。評価するに吝かではありません。

 驚いたのは、ドン・オッターヴィオを歌った櫻田亮。まだ東京芸大の大学院に学ぶ若手テノールで、私は初めて聴きました。この方がとてもいいのです。伸びのあるレッジェーロ・テノールで、2曲のアリアを正確に、高音の伸びと低音の膨らみのバランスをよく歌ってくれて、ブラボーでした。ただまだ若いせいか、歌の抑揚が平板で、ドン・オッターヴィオのドンナ・アンナに対する愛情表現など、感情の表出は今一つでした。今後の努力に期待したいところです。

 女声陣で最も良かったのが、ツェルリーナを歌った高橋薫子。彼女の歌を本年は数多く聴きましたが、いまだかつて大きく崩れるのを聴いたことがありません。今回も全く同様でした。今回の歌は、私の聴くところ彼女の最上ではありませんでしたが、穴がなく、平均点の高い歌唱をしてくれて快調でした。彼女の素晴らしい所は、発声のバランスがよく、高音で細くなったり、中音がやせて聞こえたり、低音の音程が怪しいといった事がほとんどないことです。今回も「誘惑の二重唱」においてフェルラネットに対して一歩も退かないところ、「ぶってよマゼット」のコケティッシュな表現。「薬屋の歌」のなど可憐ではあるがしたたかな表現は、現在日本のソプラノの実力No.1というTの評価の妥当性を証明しています。

 高橋と比べるとピエチョンカのドンナ・アンナは一寸落ちます。彼女は中低音の響かせ方などは流石だと思いますし、「復讐のアリア」等はさすがだと思いますが、いかんせん高音を伸ばそうとすると声が細くなってしまいます。そこが一寸残念でした。

 全ての歌手の中で一番問題だったのは、山崎美奈・タスカのドンナ・エルヴィラでした。彼女は、フェルラネットに対抗して頑張りすぎたという部分があったのだと思いますが、高音部に気を取られすぎて、中低音部のコントロールがおろそかになっていました。聴いていて無理しているなあ、という所がありありと分かってしまい、残念でした。熱意を持って一所懸命に歌っているのは分るのですが、技量が意志に伴わないというところです。

 演出・舞台は、2000年1月に使われたものの再演。見た目にとても美しく、衣装のきらびやかさも目を見張るものがあるのですが、一貫した緊張感はなく、ニ幕後半は一寸だれた感じになりました。ニ幕後半はドン・ジョヴァンニの登場する部分が少なくなり、それ以外の誰かが引っ張るととたんに音楽の緊張感が切れて、だれてしまうのかもしれません。そういう点から見ても、この「ドン・ジョヴァンニ」は、「ドン・ジョヴァンニ」による「ドン・ジョヴァンニ」のための「ドン・ジョヴァンニ」でした。

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観劇日:2001年12月13日
入場料:D席 5670円 3F 4列5番

平成13年度文化庁芸術創造活性化事業

新国立劇場/財団法人日本オペラ振興会 藤原歌劇団主催

4幕改訂イタリア語リコルディ版、字幕付イタリア語上演
ヴェルディ作曲「ドン・カルロ」
(DON CARLO)
台本:ジョセフ・メリ/カミーユ・デュ・ロクール
改訂版:カミーユ・デュ・ロクール 

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指揮:ダニエレ・カッレガーリ  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団/藤原歌劇団合唱部  合唱指導:三澤洋史
演出:アルベルト・ファッシーニ
原演出・美術・衣装:ルキノ・ヴィスコンティ
照明:磯野睦  振付:マルタ・フェッリ
舞台監督:大仁田雅彦 

出演者

フィリッポU世 妻屋 秀和
ドン・カルロ 佐野 成宏
ロドリーゴ レナート・ブルゾン
エリザベッタ パオレッタ・マッローク
エボリ公女 藤村 実穂子
宗教裁判長 豊島 雄一
修道士 久保田真澄
テバルト 家田 紀子
レルマ伯爵 中鉢 聡
王室の布告者 市川 和彦
天よりの声 佐藤 美枝子
フランドルの六人の使節 石井敏郎/柿沼伸美/佐藤勝司/立花敏弘/松村英行/マイケル・ディーン・マクレイン
アレンベルク伯爵夫人 三矢 直生

感想

 実は、「ドン・カルロ」を聴くのは10数年ぶり、実演ははじめてです。本当に久しぶりの経験でした。このように滅多に聴かないのは、この作品がヴェルディの偉大なる失敗作、と思えてならないからです。もちろん歌は素晴らしい。メゾ・ソプラノのコンサートピースとして欠かせない「むごい運命よ」、エリザベッタの終幕のアリアなどいい歌が沢山あります。これぞイタリアオペラという感じです。元々はフランス語で書かれた作品な訳ですが、イタリアの血が流れていると思います。そうではあっても、作品は妙に冗長な部分があるし、ストーリー展開のバランスもあまり良くない。タイトルロールのドン・カルロが主人公だとは思いますが、ひとつ力点の置き方を替えると、エボリもフィリッポU世もエリザベッタも主人公になりえます。そういったバランスの悪さが、敬遠の大きな理由のような気がします。

 今回の公演は、1965年ローマ歌劇場での、ルキノ・ヴィスコンティの演出の舞台を持って来たそうですが、舞台の華麗さにまず目を奪われました。第一幕第1場2場の闇と光とのコントラスト、第二幕第2場の異端者火刑の場など、どの場面も視覚的に美しく華やかでした。このような写実的でオーソドックスな演出は、見る側にとって観易くて素敵だと思います。

 美しい舞台を支える音楽ですが、私は一寸ちぐはぐに感じました。特にオーケストラがよくわからない。カッレガーリはオペラのスペシャリストのようですが、その割には、お話の進み具合と音楽的な盛り上げとのバランスが悪く、感動が畳み掛けて来ないです。優美で軽やかに演奏して欲しい第1幕2場は鈍重な演奏でしたし、逆に勇壮に演奏して欲しい部分がさほどでなかったりしていました。表情の乏しい演奏ではないのですが、表情の見せ方の方針が定まらないような演奏だった様に思います。

 そういう下支えの元でも歌手たちは、合唱を含めてよく頑張ったと申し上げます。主要五役で、明確な破綻を見せた人は誰もいませんでした。

 特に良かったのが、エボリ公女役の藤村実穂子でした。藤村は深みのある美声でとても感心致しました。「ヴェールの歌」を聴いてまず驚き、第2幕第1場の三重唱では、ドン・カルロにもロドリーゴにも一歩も引けを取らぬ歌唱で再び驚きました。彼女の歌は明晰で、あの大劇場がまるで小ホールで聴いているかのようでした。そして極めつけは「むごい運命よ」。素晴らしいの一言に尽きます。絶妙なコントロールに基づく感情表現。この日の最名唱でした。4月のフリッカもいい歌唱でしたが、今回のエボリ公女はそれより増して素晴らしく、彼女の魅力と実力を知らしめてくれました。

 タイトルロールの佐野成宏も絶好調でした。リリコテノールの軽やかな美声が、最後まで変化することなく歌われました。佐野さんはこれまで何度か聴いて来た人ですが、今回のドン・カルロは、その中でも特に良いもののひとつのように思います。登場のアリアの寂寥感も良かったし、ロドリーゴのとの二重唱でもブルゾンにひけを取らずに歌っていて素晴らしいと思います。

 フィリッポU世の妻屋秀和も良かったです。この方は、私がこれまで聴いたオペラではいつも一寸物足りなく思うのですが、今回は万全でした。第三幕第1場のモノローグは、彼の最良の面を上手く示せたのではないかと思います。しかし、一方でそれ以外の部分では、他の方と比較すると影が薄い感じが致しました。

 ブルゾンのロドリーゴ。これまたブルゾンの当たり役のひとつです。持ち前の美声を駆使して、流石の歌唱でした。ただ、十年来彼の歌唱を聴いて来た私にとっては、老いを感じさせられる所も少なくはありませんでした。ビブラートの振幅が昔からみると明らかに大きくなっているようです。艶やかな美声は未だ健在ですが、はじめてブルゾンを聴いたときのような驚きや感動を感じることはできませんでした。

 マッロークは、主要五役の中で一番しっくり来ない方でした。美人ですし、歌は正確で声もよく出ているようですが、どうも馴染めない。スピントとしての声の強さが勝ちすぎていて、王妃の優美さがなかなか表現されなかったということかも知れません。終幕の長大なアリアもよくコントロールして歌っているとは思うですのが、私の好みとは違和感が有りました。

 その他の歌手でまず褒めるべきは、豊島雄一の宗教裁判長。ただ、役柄では90歳だと言うのですが、豊島の演技も歌もとても90歳には見えないです。家田紀子のテバルドは、頑張っているのですが、声の細さが気になりました。市川和彦の王国の布告者も良かった。佐藤美枝子の天からの声、悪くはないのですが、彼女のベストパフォーマンスではないと思います。

 以上決してバランスの良い公演ではなかったと思うのですが、歌手たちの頑張りで聴きがいのある公演に成りました。

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