オペラに行って参りました-2007年(その2)

目次

ダンボールが音楽の本質を壊した   2007年04月18日   新国立劇場「西部の娘」を聴く
柿落とし公演を楽しむ   2007年04月28日   昭和音楽大学「愛の妙薬」を聴く
生煮え   2007年05月05日   立川市民オペラ公演2007「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」第1日目を聴く
個人の技量と調和   2007年05月06日   立川市民オペラ公演2007「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」第2日目を聴く
本番へ高まる期待   2007年05月10日   藤原オペラプレステージ オペラ「リゴレット」レクチャーコンサートを聴く
やっぱり名作   2007年05月25日   藤原歌劇団「リゴレット」を聴く
再演することの意味   2007年06月15日   東京オペラプロデュース「天国と地獄」を聴く
新国立劇場で過去最高の上演の一つ   2007年06月17日   新国立劇場「ばらの騎士」を聴く
有終の美   2007年06月19日   新国立劇場「ファルスタッフ」を聴く
指揮者の力量   2007年07月11日   東京フィルハーモニー交響楽団「クレタの王、イドメネオ」を聴く
作品の魅力、音楽の魅力   2007年07月16日   東京室内歌劇場「アルチーナ」を聴く
日本制作を代表する名舞台   2007年07月29日   東京二期会オペラ劇場「魔笛」を聴く

オペラに行って参りました2007年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2006年へ
オペラに行って参りました2006年その3へ
オペラに行って参りました2006年その2へ
オペラに行って参りました2006年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2005年へ
オペラに行って参りました2005年その3へ
オペラに行って参りました2005年その2へ
オペラに行って参りました2005年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2004年へ
オペラに行って参りました2004年その3へ
オペラに行って参りました2004年その2へ
オペラに行って参りました2004年その1へ
オペラに行って参りました2003年その3へ
オペラに行って参りました2003年その2へ
オペラに行って参りました2003年その1へ
オペラに行って参りました2002年その3へ
オペラに行って参りました2002年その2へ
オペラに行って参りました2002年その1へ
オペラに行って参りました2001年後半へ
オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

鑑賞日:2007年4月18日

入場料:D席 5670円 4F1列53番

主催:新国立劇場

全3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「西部の娘」(LA FANCIULLA DEL WEST)
台本:グェルフォ・チヴィニーニ/カルロ・ザンガニーニ

会場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮 ウルフ・シルマー
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
     
演 出 アンドレアス・ホモキ
美 術 フランク・フィリップ・シュレスマン
衣 装 メヒトヒルト・ザイペル
照 明 立田 雄士
舞台監督 大仁田 雅彦

出 演

ミニー ステファニー・フリーデ
ジャック・ランス ルチオ・ガッロ
ディック・ジョンソン アティッラ・B.キッシュ
ニック 大野 光彦
アシュビー 長谷川 顯
ソノーラ 泉 良平
鉱夫 トゥリン 秋谷 直之
鉱夫 シッド 清水 宏樹
鉱夫 ベッロ 成田 博之
鉱夫 ハリー 高野 二郎
鉱夫 ジョー 羽山 晃生
鉱夫 ハッピー 大森 一英
鉱夫 ラーケンス 今尾 滋
ビリー・ジャックラビット 片山 将司
ウォークル 三輪 陽子
ジェイク・ウォーレス 米谷 毅彦
ホセ・カストロ 大久保 眞
郵便配達夫 大槻 孝志

感 想

ダンボールが音楽の本質を壊した−新国立劇場 「西部の娘」を聴く

 「西部の娘」は本当に滅多に上演されないオペラで、今回の新国立劇場公演で、日本では通算三プロダクション目の上演だと思います。それにもかかわらず、「西部の娘」という作品に存在感を感じるとするならば、過去の二つのプロダクションが共に、日本のオペラ上演史にとってエポックメーキングな上演だった、ということが関係しているのかもしれません。

 「西部の娘」の日本初演は、1963年「第4回イタリアオペラ」になるのですが、このときミニーを演じたのがアントニエッタ・ステルラ。そのときの演技を三善清達さんは、「中でも、「西部の娘」では歌の素晴らしさはもちろん、スカートをサッとまくってトランプをすりかえる名演技、馬で駆けつける勇姿で観客を魅了」と書かれています。二度目は、1995年のスカラ座引越し公演。このときはシノーポリが指揮をし、ジョナサン・ミラーの演出でしたが、シノーポリの音楽作りに高い評判がありました。

 そのそして三度目が今回の新国立劇場の舞台。指揮はウルフ・シルマー、演出はアンドレアス・ホモキです。このコンビは、新国立劇場の斬新な「フィガロの結婚」の舞台を作り上げたことで記憶に新しく、それゆえ期待も大きかったのですが、残念ながら、私には支持できない舞台でした。特に演出。

 ホモキは、このお話をアメリカ西部の開拓時代のお話とせずに、時代を現代に移し、開拓民ではなく移民のお話として描こうとしたらしい。舞台はダンボールによる壁に覆われており、ダンボールの中でオペラが進行します。酒場「ポルカ」も、ミニーの家もカリフォルニアの森の中も、全て倉庫の中のようで、特にスーパーマーケットのキャリーが小道具として使用されていることもあって、寒々しい感じがします。レンゴーのダンボールの黄土色の中で進む劇は、ホモキにとっては「してやったり」なのでしょうが、あまりにも独りよがりで才気が空回りしていると申し上げるしかありません。

 また、演出が抽象的なためか、ミニーも魅力的ではありません。カードのすり替えの場面の鈍重さは目を覆いたくなるようなひどさです。

 私は、このようなヴェリズモ劇の設定を移し変えることを賛成できませんし、抽象化することも好みません。日本人歌手がどこまでかっこよく演じられたかは疑問ですが、思い切ってマカロニウェスタンオペラと割り切ったほうが、劇としても面白く見えたのではないかと思います。

 シルマー/東京フィルの演奏は、前半がつまらなく、後半は持ち直した印象。元々「西部の娘」自体が前半より後半に面白さが集まっている(音楽書法も、ドラマとしても)訳ですから、後半に魅力を感じるのは当然ですが、前半のオーケストラは乗りも今ひとつで、ミスも多かったと思います。第2幕の途中からは、指揮に対する反応も良くなり、音楽全体の緊密感も現れてきてなかなか良かったです。しかしながら、この作品の持つ複雑な音楽書法と歌唱との絡み合いを十分に制御したとは言いかねます。舞台が結構単調ですので、音楽が魅力を発揮しないと楽しみきれないわけですが、ところどころ、ハッとする部分はあるものの、この音楽の持つ魅力を完全につかみ切れるには至りませんでした。

 歌手陣ではまずルチオ・ガッロがよい。陰影の濃い歌唱で、存在感がありました。ミニー役のステファニー・フリーデは前半はあまり魅力的ではなく、後半は持ち直した印象。声は比較的通るのですが、あのダンボールの壁が吸音材の役割を果たしているようで、全体的にはデッドな印象でした。ジョンソン役のキッシュはストレートな歌い方で好感を持ちましたが、これまたダンボールの壁のせいでしょうか、今ひとつピンとこない。

 合唱も悪くは無いのですが、荒々しさが今ひとつ欠けていた印象。これもダンボールによる影響だとしたら、随分罪作りな演出です。とにかく、光るものがあったことを否定するものではありませんが、その全てをダンボールの壁が押し壊した印象です。

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鑑賞日:2007年4月28日

入場料:B席 3000円 2F1列16番

主催:昭和音楽大学

昭和音楽大学新百合ヶ丘キャンパスオープニング記念公演

全2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」(L'Elisir d'Amore)
台本:フェリーチェ・ロマーニ

会場 テアトロ ジーリオ ショウワ

指 揮 松下 京介
管弦楽 SHOWA ACADEMIA MUSICAE管弦楽団
合 唱 SHOWA ACADEMIA MUSICAE合唱団
合唱指揮 及川 貢・山舘 冬樹
     
演 出 馬場 紀雄
美 術 川口 直次
衣 装 P・グロッシ/増田 恵美
照 明 奥畑 康夫
舞台監督 渡邉 真二郎

出 演

アディーナ 光岡 暁恵
ネモリーノ 小山 陽二郎
ドゥルカマーラ 三浦 克次
ベルコーレ 折江 忠道
ジャンネッタ 廣田 美穂

感 想

柿落とし公演を楽しむ−昭和音楽大学 「愛の妙薬」を聴く

 厚木にあった昭和音楽大学が、同じ神奈川県内ながら東京に近い川崎市の新百合ヶ丘にこの4月より移転してまいりました。そして、新百合ヶ丘新キャンパスの目玉が、本格的馬蹄形劇場のテアトロ・ジーリオ・ショウワです。その柿落とし公演として、例年秋に行っているオペラ公演をここに持ってきました。その新しい劇場を見に行って参りました。

 収容人員1300人ほどのホールは、なかなか音響も良く、視覚的にも優雅なもので、舞台もそれなりに広いようです。新講堂としての役割は十分果たせるのでしょう。しかしながら、外部客を入れるホールとしては、今ひとつ使い勝手の悪いホールです。まずホワイエが狭い。休憩時間の人ごみは、ホワイエの狭さが相当に影響していると思います。またトイレも少ない。更に階段が1箇所というのも問題です。いったん何か事故がおきて、観客を避難させなければならないとき、決して広いとはいえない階段が1箇所だけで大丈夫なのでしょうか。そんなところが気になりました。

 とはいえ、まだ新築の臭いが立ち込めるホールでオペラを聴くのは格別です。それが、昭和音大得意の「愛の妙薬」とくればなおさらでしょう。そしてキャストも若手の卒業生中心に組むことの多かった従来のやり方に対して、今回はこけら落とし公演ということもあって、藤原歌劇団の主力での公演となりました。なお、演出や装置は、2003年、新国立劇場中劇場で上演した昭和音楽大学「愛の妙薬」が基本のようです。演出が細かくは変わっていたようですが、大きくはそのときのもののようでした。

 昭和音大の「愛の妙薬」の指揮といえば従来は星出豊に決まっていたのですが、今回は若手の松下京介。松下は、比較的ハイテンポに纏めて演奏しました。そのため、全体の軽快感が増し、ボーイミーツガールの若々しいオペラである「愛の妙薬」の雰囲気を更に若々しくさせていたように思います。オーケストラもノーミスとは申し上げませんが、良くまとまった演奏になっており、全体として気持ちの良い上演になっていました。例えて言うならばそうめんの喉越しのような演奏。

 この松下の好サポートを得て、歌手陣も概ね良好でした。

 まず、特に優れていたのが、アディーナ役の光岡暁恵。光岡のアディーナは2003年にも聴いているのですが、そのときの印象を更に上回る出来だったと思います。細かいところで気になるところが全く無かったわけではありませんが、全体的にはかなり高レベルのアディーナでした。張りがあってピンと伸びる高音が素晴らしい。アジリダの技術もしっかりしていますし、誰と絡んでも一定の存在感をきちんと見せるところが良いと思います。2003年の昭和音大オペラでも彼女のアディーナを聴きましたが、基本的なところは変わらず、更に磨きがかかった印象です。細かい表現が以前は一本調子だったのが、今回は表情豊かになっていたと思います。大変結構でした。

 次に良かったのは、ドゥルカマーラの三浦克次でした。三浦は、登場のアリア「村の衆、お聴きなさい」から全開でした。コミカルなおかしさがあふれているのです。いかにもいんちき薬屋、という感じで、その人を食った感じは非常に魅力的です。私は、三浦のブッフォ役を実は初めて聴いた(バジリオはブッフォではないと思いますので)のですが、シリアスなバス役や悪役よりも断然似合っているように思いました。

 小山陽二郎のネモリーノは、私はあまり評価出来ません。端的に申し上げれば、声に透明感や抜けるところが無いのです。音程とかテンポとかといった技術的なところは特別問題があるわけではないと思うのですが、小山独特の発声で、最初は気にならないのですが、どんどん鼻についてきます。一番の聴かせどころ「人知れぬ涙」などは、小山節全開。私の趣味とは全く相容れないものでした。

 ベルコーレの折江忠道は前半が今ひとつで後半がまあまあでした。登場のシーンではヴィヴラートがかかり過ぎていて、かつての折江を知っている身からすると、少し老いたのかな、と感じました。

 合唱は若々しさのあふれるもので、指揮者の音楽作りと良くマッチしており、結構だったと思います。

 歌唱についていろいろ書きましたが、会場が比較的狭く、そのおかげか声も良く響きます。それは大変素晴らしいことです。また、歌手の細かい技巧や表情も比較的良く見ることが出来て、そこがホールの魅力なのでしょう。秋には藤原の「蝶々夫人」が上演されるようですが、そのときの様子で劇場の評価も定まっていくのでしょう。

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鑑賞日:2007年5月5日

入場料:B席 2000円 2F32列21番

主催:(財)立川市地域文化振興財団/立川市民オペラ公演2007実行委員会

オペラ1幕・字幕付原語(イタリア語)上演
マスカーニ作曲 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」(CAVALLERIA RUSTICANA)
台本:ジョヴァンニ・タルジョーニ・トッツェッティ/グイード・メナーシ

オペラ2幕・字幕付原語(イタリア語)上演
レオンカヴァッロ作曲 歌劇「道化師」(I Pagliacci)
台本:ルッジェーロ・レオンカヴァッロ

会 場 立川市市民会館(アミューたちかわ)大ホール

指 揮 古谷 誠一
管弦楽 立川管弦楽団
合 唱 立川市民オペラ合唱団
合唱指揮 倉岡 典子
児童合唱 立川児童合唱団
児童合唱指揮 佐藤 公孝
演 出 三浦 安浩
美 術 鈴木 俊朗
衣 装 坂井田 操
照 明 稲葉 直人
舞台監督 南 清孝

出演者

カヴァレリア・ルスティカーナ

サントゥッツァ 下原 千恵子
ローラ 高田 恭代
トゥリッドゥ 柾木 和敬
アルフィオ 伊藤 和広
ルチア 丸山 奈津美

道化師

カニオ 永沢 三郎
ネッダ 松原 有奈
トニオ 牧野 正人
ペッペ 松浦 健
シルヴィオ 立花 敏弘

感 想

生煮え−立川市民オペラ公演2007 「カヴァレリア・ルスティカーナ」・「道化師」第1日目を聴く

 市民オペラを上演し、継続するのは、結局のところ関係者の熱意が大事なようです。私は聴いたことが無いのですが、弘前オペラであるとか、函館市民オペラであるとか、毎年着実に公演を重ねている団体は、関係者の熱意が強いところなのでしょう。関東でも新宿区民オペラなどはそうなのでしょうね。一方立川は、市内に国立音楽大学というオペラに関して言えば国内最上級の学校があるにもかかわらず、オペラ上演が熱心な町ではなかったと思います。その町がようやく2003年ぐらいから市民オペラの上演に目覚め、2005年にカルメン、そして今回が「カヴァ・パリ」二本立てとなったわけです。

 それにしても後ろに国立音大があるというのは強いですね。今回の出演者を見ても、最上級とは言えないにしても、相当に力のある方がソリストとして名を連ねています。芸術監督が国立音大名誉教授の砂川稔さんとは言え、市民オペラとしては最も豪華な布陣と申し上げて過言ではありません。演出も気鋭の三浦安浩を使うところなど、魅力がいっぱいです。それだけに観客も、国立音大関係者や岡山広幸さんなど藤原歌劇団関係者も何人もおられて、通常の市民オペラと一寸違った雰囲気が流れておりました。

 しかし上演そのものの質は、市民オペラのレベルを抜け出せなかった、というのが正直なところでしょう。何と言ってもオーケストラが弱い。演奏のスキルに難があるのは仕方がないにしても、歌心が聴こえない演奏なのはいただけません。「カヴァレリア・ルスティカーナ」の音楽の持つ頽廃美が表現できていたとはとても言いがたいですし、道化師の音楽についても同様。古谷誠一の指揮もどこかおざなりで、もっと切り込んでいけば面白くなるのに、と思う部分もさらっと流してしまいます。そういった切込みが出来ないのがオーケストラの技術だと言うのであれば、オーケストラはもっと練習しなければいけません。市民オーケストラだから少しぐらい下手でもしょうがないというのは、私としては認めたくないところです。

 演出は特徴のあるもの。「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、シシリアの燦燦と降りそそぐ陽光の下での惨劇、という印象が私にはあるのですが、三浦安浩の演出は陽光を感じさせるものは全く無く、あくまで影を追い求めるものでした。背景の黒い幕、合唱団員も黒い衣装、そこで見られる田舎騎士道。考えは分るのですが、上滑りしました。オーケストラのレベルが高く、マスカーニの音楽の持つ味わいを完璧に表現できれば、この演出も面白いと思うのですが、オーケストラがマスカーニの音楽に弾かされているようなレベルでは、この演出は重過ぎました。

 道化師の演出も基本は同じ舞台を使い、ソリストたちと村民の対比を狙ったものであると思いますが、村民の黒色は、ドラマの重さをより強調しているように思いました。「道化師」という作品は、喜劇的部分と悲劇的部分とがモザイクのように重なっているところに魅力があると思うのですが、三浦の演出は、悲劇的な部分をより重く、喜劇的な部分をより空虚に描きました。これは一つの見識だとは思いますが、重さを強調しすぎてはいないか、と思いました。

 私の好きな演出ではありませんでしたが、悪い演出ではないと思います。決して広くない舞台、多人数の市民合唱団を舞台に乗せなければならないという制約の中、少なくとも話のつながりがよく分かる演出になっていました。そこは評価すべきでしょう。

 作品全体としての出来は、カヴァレリアより道化師が上であるように思います。

 「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、下原千恵子のサントゥッツアが魅力でした。かつて聴いたトスカやマクベス夫人から見れば、衰えを感じる部分もあったのですが、抜群の存在感と演技です。「ママもしるとおり」が流石のうたでしたし、トゥリッドゥとの二重唱から嫉妬に駆られたサントゥッツアがアルフィオに告げ口をするくだりの表現は、流石下原とも言うべきもので、感心いたしました。

 しかし、サントゥッツア以外は特に目立ったものはありませんでした。別な言い方をすれば、サントゥッツアの情動をがっちりと受け止めて、オペラ的盛上げに資した方がいなかったと思いました。柾木和敬は声が良く、トゥリッドウとして十分な歌唱が可能な方だと思えるのですが、血の沸き方が足りない。彼の歌唱では、トゥリッドウの心の動きが十分に表現できているとはいえないと思います。伊藤和広のアルフィオも同様です。二人の歌を聴いていると、何故二人が決闘しなければならないのかが見えてこない。そこが残念でした。

 道化師は、牧野正人のトニオが群を抜いてよかったと思います。歌、演技、どちらをとっても流石の実力だと申し上げます。最初の口上から幕切れまで観客の耳を十分ひきつけました。せむし男の屈折した心情表現も納得行くもので大変結構でした。

 次いで松原ネッダも悪くないと思います。ネッダといえばリリコスピントかリリコの歌手の持ち役で、スザンナやデスピーナで評判をとった松原の声とは合わないと思ったのですが、松原は、あえて重たい表現を避けてネッダを歌いました。確かにネッダとしては「こく」の無い歌唱でしたが、彼女の歌唱のバランスとしては完結しており、小粒ではありましたが、悪いプロポーションではなかったと思います。「鳥の歌」がよく、コロンビアーナとしての歌唱・演技もなかなか素敵でした。

 永沢三郎のカニオもまあ結構でした。高音部でやや擦れるところもあったのですが、声はよく出ていましたし、全体としては手堅く纏めた印象です。永沢の歌唱は一言で申し上げればクレバーであり、全体のバランスを見ながら歌っていたように思います。水準以上の歌を聴かせてくれました。しかしながら歌に爆発がない。カニオの情熱のほとばしりが今ひとつ足りないのです。ラストの狂気の表現ももう一つ踏み込みが足りない。全体に淡白な印象が強いです。

 松浦健のペッペは、歌唱は今回5人の中で一番魅力に乏しかったのですが、劇中劇におけるアルレッキーノとしてコロンビアーナ(ネッダ)とのやり取りがきっちりと演じられていたことを書きましょう。立花敏弘のシルヴィオはなかなかのもの。立花の明るいバリトンが、シルヴィオの造型を際立たせます。ネッダがカニオを捨ててシルヴィオに走るのはさもありなん。しかし、彼もどこか踏み込みが甘く物足りない印象でした。

 合唱は、市民合唱としては高水準なのでしょう。しかしながら舞台には乗り過ぎの印象です。もっと少ない人数で聴かせられるレベルを目指す必要があるようです。

 結局のところ、ソリストの魅力が強かった「道化師」を採りますが、しかしながら、「カヴァ」、「パリ」共に十分に練りきっていない、生煮えの印象の強い上演でした。

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鑑賞日:2007年5月6日

入場料:B席 2000円 2F32列20番

主催:(財)立川市地域文化振興財団/立川市民オペラ公演2007実行委員会

オペラ1幕・字幕付原語(イタリア語)上演
マスカーニ作曲 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」(CAVALLERIA RUSTICANA)
台本:ジョヴァンニ・タルジョーニ・トッツェッティ/グイード・メナーシ

オペラ2幕・字幕付原語(イタリア語)上演
レオンカヴァッロ作曲 歌劇「道化師」(I Pagliacci)
台本:ルッジェーロ・レオンカヴァッロ

会 場 立川市市民会館(アミューたちかわ)大ホール

指 揮 古谷 誠一
管弦楽 立川管弦楽団
合 唱 立川市民オペラ合唱団
合唱指揮 倉岡 典子
児童合唱 立川児童合唱団
児童合唱指揮 佐藤 公孝
演 出 三浦 安浩
美 術 鈴木 俊朗
衣 装 坂井田 操
照 明 稲葉 直人
舞台監督 南 清孝

出演者

カヴァレリア・ルスティカーナ

サントゥッツァ 河野 めぐみ
ローラ 高田 恭代
トゥリッドゥ 大間知 覚
アルフィオ 平良 交一
ルチア 丸山 奈津美

道化師

カニオ 角田 和弘
ネッダ 斉藤 紀子
トニオ 馬場 眞二
ペッペ 鳴海 優一
シルヴィオ 押川 浩士

感 想

個人の技量と調和−立川市民オペラ公演2007 「カヴァレリア・ルスティカーナ」・「道化師」第2日目を聴く

 二日間別キャストの同一公演を見て、いろいろと思うところがありました。はっきり思うのは、結局オペラはチームプレイであるということ。歌手個人の技量はもちろん大事ですが、それだけで十分な感動を得られるわけではない。アンサンブルとしてのバランスと練習によるタイミングの合わせ方が、結局最終的なオペラの完成度に繋がるようです。今回の公演、例外はあるにせよ、2日目のキャストのほうが1日目のキャストと比べて、歌手としての地力の乏しい方が多いことは否めません。にもかかわらず、演奏としての完成度は2日目のほうが確実に高かった。それぞれのチームがどのような演奏を組み立てようとしてきたのか、その成果が現れたと申し上げるのが適当でしょう。

 カヴァレリア・ルスティカーナは、初日が下原千恵子の力に引っ張られた上演だったのに対し、2日目は、河野めぐみと大間知覚の調和で纏めた演奏と申し上げることが出来ると思います。河野めぐみのサントゥッツアは、下原の劇的な表情は無く、リリックな表現。その分底に秘めた情感が感じられて、それはそれで共感の出来る持っていき方だと思いました。大間知覚は、初日の柾木和敬と比べると軽い声のテノールですが、河野めぐみのリリックなメゾソプラノと合わせると、マッチします。「カヴァレリア」は濃いオペラですが、その濃さを上手く調整したな、という感じです。また、平良交一のアルフィオもサントゥッツァとトゥリッドゥとの声の関係から言えば、無理ない関係であり、バランスが良く取れていたと思います。

 また、演出も初日と変えてきました。初日は冒頭幕の下りた中でトゥリッドゥのシチリアーナが歌われましたが、本日は、最初幕は下りておらず、暗転から開始します。舞台の中央には横たわったトゥリッドゥ。その周りを囲むのはトゥリッドゥと関係した三人の女性サントゥッツア、ローラ、マンマルチアです。即ち本日は、この舞台がトゥリッドゥが殺された後のサントゥッツアの心象風景であることが示されます。そうであれからこそ、黒を基調とした暗い舞台の意味が分るのです。オーケストラの演奏や合唱のレベルは初日といささかの変わりも無いのですが、本日の演奏のまとまりが良かったのは、演出の整理と、ソリストたちのバランスのよさに尽きるのだろうと思いました。

 道化師の演奏も初日よりも二日目のほうが上だと思います。多分歌手個人の力量から申し上げれば、初日のほうが間違いなく上です。ネッダ役の斉藤紀子と松原有奈は似たような力量だと思いますが、他の四人のソリストは、個人の力量で言えば、皆初日が上と申し上げて問題ありません。にもかかわらず二日目の演奏のほうが印象深いのは、一日目が皆安全運転で行ったのに対し、二日目は少々のラフプレイを厭わない荒々しさがあったからに違いありません。

 カニオ役の永沢三郎と角田和弘とで比較すると、永沢は歌っているのに対し、角田は演じています。永沢の歌唱は立派ですが、歌唱がカニオの心情にシンクロされていないので、今ひとつ冷たい印象が拭えません。それに対し、角田は歌唱と演技とがシンクロされており、例の「衣装を着けろ」における「泣き」などは、聴き手の心情にずっしり来るものがありました。「俺は道化師ではない」と歌い始める心情表現も、その悲痛さが聴き手の心を打ちます。音楽的正確さなどは永沢の歌唱のほうが上なのかもしれませんが、オペラの主役の演技としては角田に軍配を上げたい。

 このような角田のカニオの表現を可能にした背景は、ソリストたちの信頼関係が早くに構築できたことが関係しているようです。本日舞台上では予期せぬアクシデントがいくつもあり、一つ間違えれば舞台がばらばらになるところでしたが、歌手たちのとっさの機転で事なきを得ました。そういった対応もチームの信頼関係が関係していたのではないかと思いました。

立川市民オペラ公演2007「カヴァレリア・ルスティカーナ」、「道化師」第2日目 文頭に戻る
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鑑賞日:2007年5月10日

入場料:自由席 2000円

主催:立川オペラ愛好会

藤原オペラプレステージ オペラ「リゴレット」レクチャーコンサート

会 場 立川市市民会館(アミューたちかわ)小ホール

出演者

お話(バス) 岡山 廣幸(藤原歌劇団公演監督)
ソプラノ 高橋 薫子
メゾソプラノ 斎藤 佳奈子
テノール 平尾 憲嗣
バリトン 堀内 康雄

プログラム

乾杯の歌(椿姫より) 高橋薫子・平尾憲嗣
レクチャー:ヴェルディの奇跡 岡山 廣幸
休憩
マントヴァ公とジルダの二重唱「愛こそ命、心の太陽だ」 高橋薫子・平尾憲嗣
ジルダのアリア「慕わしき人の名は」 高橋 薫子
リゴレットのアリア「悪魔め、鬼め」 堀内 康雄
3幕の四重唱「どうもあなたにはいつか〜美しい恋の娘よ」 高橋薫子・斎藤佳奈子・平尾憲嗣・堀内康雄

感 想

本番へ高まる期待−藤原オペラ プレステージ オペラ「リゴレット」レクチャーコンサートを聴く

 どういういきさつかは知りませんが、立川では、藤原歌劇団の本公演の前に、その演目の宣伝を兼ねたレクチャーコンサートが開かれます。本年1月の「ラ・ボエーム」のときもありました。このレクチャーコンサートの魅力は、本番のキャストが来て歌ってくれるということ。1月の演奏会はかなり充実したもので、感心いたしました。今回も本番でマントヴァ公を歌う若手テノール平尾憲嗣、ジルダの高橋薫子、そしてリゴレット役の堀内康雄が来演するわけですので期待できます。また、私は本番は25日に聴きに行く予定ですので、26日に歌う平尾や堀内の歌にも興味がありました。

 しかしながら、レクチャー・コンサートとしては、1月ほどの感動は得られませんでした。これはまず平尾の不調に原因がありそうです。平尾は連日の練習で喉がかなり疲れているということで、アリアを歌いませんでした。また重唱も優れているものとは言えず、「乾杯の歌」などは、ほとんど練習していないのではないか、と思えるほどでした。リゴレットというオペラは、テノールの2曲のアリア、「あれか、これか」と「風の中の羽根のように(女心の歌)」は大きな聴かせどころです。それが端折られるのは、仕方がないこととはいえ残念です。本人はカーテンコールで、岡山さんの挨拶に舌を出していましたが、気持ちの上では残念だったのでしょうね。とはいえ、平尾は未だ20代。これから日本のテノールを背負って行く逸材です。プレステージで喉をつぶさせる愚を避けるのは賢明でしょう。

 それに対して、高橋・堀内の両ベテランは流石です。高橋さんは一寸風邪気味とおっしゃっていましたが、それであれだけの歌唱が出来るのですから、藤原歌劇団のトップソプラノは伊達ではありません。「乾杯の歌」は十分とは申し上げられませんが、マントヴァ公との二重唱、「慕わしき人の名は」は、流石の歌唱と申し上げてよいでしょう。無傷とは申しませんが、あそこまで歌っていただければ十分満足です。東京文化会館での本番では、更にもう一段上の歌唱を目指したい、とのコメントもありましたので、これは大いに期待したいところです。

 堀内さんのリゴレットも大したもの。「悪魔め、鬼め」は、こう歌うのだ、と言わんばかりの歌唱で、こちらも大変結構でした。最後の四重唱は、歌手の力量がはっきり見えました。ソプラノとバリトンが舞台後ろ、テノールとメゾが舞台前という位置関係でしたが、声のパワーはソプラノとバリトンが圧倒的で、テノールとメゾの声を抑えていました。高橋・堀内は凄いと申し上げるしかありません。

 本番は、これ以上にレベルアップして来るのでしょうから、大いに期待が持てます。楽しみにして伺おうと思います。

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鑑賞日:2007年5月25日

入場料:C席 7000円 3FR1列8番

平成19年度文化庁芸術創造活動重点支援事業
《舞台芸術共同制作公演》
日本オペラ団体連盟・藤原歌劇団・神奈川県民ホール共同公園

主催:日本オペラ団体連盟・財団法人日本オペラ振興会・神奈川県民ホール
財団法人東京歴史文化財団東京文化会館・財団法人東京フィルハーモニー交響楽団

全3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「リゴレット」(Rigoletto)
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ

会場 東京文化会館大ホール

指 揮 リッカルド・フリッツァ
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 藤原歌劇団合唱部
合唱指揮 及川 貢
     
演 出 ニコラ・ジョエル
再演演出 パトリック・ラッサル
装置・衣装 カルロ・トマジ
照 明 ジル・ボロリノス
舞台監督 大仁田 雅彦

出 演

リゴレット アルベルト・ガザーレ
マントヴァ公爵 エマヌエーレ・ダグアンノ
ジルダ 高橋 薫子
スパラフチーレ 彭 康亮
マッダレーナ 森山 京子
モンテローネ伯爵 東原 貞彦
ジョヴァンナ 向野 由美子
マルッロ 柴山 昌宣
ボルサ 小山 陽二郎
チェプラーノ伯爵 田島 達也
チェプラーノ伯爵夫人 日向 由子
小姓 但馬 由香
門番 青柳 明

感 想

やっぱり名作−藤原歌劇団 「リゴレット」を聴く

 リゴレットは私がオペラを聴き始めた頃から親しんでいたオペラですが、実演にはあまりお目にかかれず、私個人としては2002年以来5年ぶりの実演鑑賞になります。実にポピュラーな作品だと思うのですが、国内の制作はあまり多くなく、藤原歌劇団では1987年以来20年ぶり、国内制作の主要な舞台としても2001年の新国立劇場の舞台以来です。久しぶりに聴くと、やっぱり名作だと思います。ドラマに全く弛緩がない。冒頭のマントヴァ公の「あれか、これか」から始まって、最後の幕切れまで無駄なところが一つも無く、全く冗長にならないのはとても素晴らしいと思います。ヴェルディ中期の傑作、であるとか、ヴェルディの転換期の名作、と言われることが多いですが、緊張感の続く無駄のなさ、という点では、「椿姫」や「アイーダ」を上回り、「オテロ」や「ファルスタッフ」に匹敵するのではないでしょうか。凝縮した名作です。

 私がリゴレットで非常に印象深く覚えているのは、2002年メトロポリタン歌劇場で見た「リゴレット」。リゴレット役がホアン・ポンス、ジルダが、ルース・アン・スウェンソン、マントヴァ公がマルセロ・アルヴァレスの舞台でした。そのときの舞台は、舞台装置がメト独特の美しいもので、且つ主要三役がどなたも優れた歌唱をして大変感心したのですが、今回の藤原の公演は、そこまで良いものではなかったと思います。とはいえ、個別に見れば素晴らしいところはいくつもありました。

 今回の藤原公演の舞台装置は、トゥールーズ・キャピトル歌劇場のもので、割とシックな落ち着いたもの。ただし高級感はありません。メトのいかにも王宮といった雰囲気の華やかな感じはありませんが、マントヴァというイタリアの一都市の館である以上、現実にそこまで華やかだとも思えませんので、私はよろしいのではないかと思います。ただ、細かいつくりは十分とは言いがたい。第4幕の舞台の作り方などはもっと手を細かく入れて、雰囲気を出したほうが良いと思いました。

 フリッツァの音楽作りは結構くせのあるものでした。自分自身やりたいこだわりがあるようで、そこが嵌ると「嗚呼、イタリアオペラ」という雰囲気がぐっと出てきます。しかし、外すと結構空虚です。冒頭はオーケストラがギクシャクした感じで、一寸萎縮した感じにも聴こえたのですが、一幕後半などはオーケストラを伸びやかに歌わせて結構でした。オーボエのソロとか、ジルダのアリアの後側で流れるの弦楽のオブリガートなどはハッとする美しさで、結構だと思いました。全体としてはヴェルディの香りが漂う雰囲気の演奏でした。

 歌手陣では、まずマントヴァ公のダグアンノがいけない。マントヴァ公は、本来はリリコ・レジェーロかリリコの持ち役ですが、結構声の強いスピント系テノールでも歌われることがあります。これは、この役の存在感がこの作品の鍵だ、という所にあるのだろうと思います。ダグアンノは軽い声の持ち主ですが強くない。ロッシーニなどを歌うのには良いのかもしれませんが、マントヴァ公のオーラを示す力は無い、と申し上げるしかない。冒頭の「あれか、これか」でマントヴァ公の存在感を示さなければこのオペラは始まらないのですが、そこで存在感を表出できなかったことが全体の足を引っ張った。第2幕のアリアはブーが一部飛んでいましたが、あの表現力では仕方がないと思います。「女心の歌」は無難に纏めていましたが、これも軽さが先に立ち過ぎて、私は評価することができません。第一幕の公爵とジルダの二重唱も公爵がジルダを引っ張っているというよりも、ジルダに公爵が引っ張られているようでした。

 高橋薫子のジルダは十分でしょう。細かなところでは無事故ではなかったようですが、全体の纏め方といい、要所の締め方といい、藤原の看板ソプラノの名に恥じない歌唱でした。高橋は、元々リリコ・レジェーロのソプラノ歌手ですが、40代に入り、声が太くなりつつあることは否めません。5年前だったらジルダは十分彼女のターゲットだったと思うのですが、現在の彼女の声質からすれば、ほぼレパートリーの境界の役柄でしょう。彼女の声にとって難しい役にもかかわらず、「慕わしき人の名は」における高音の伸びは大変立派でしたし、第二幕のリゴレットとの二重唱も良好。第三幕の有名な四重唱も彼女が音楽的に鍵となって進行していました。

 外題役のガザーレは若手最高のヴェルディ・バリトンと言われているようで、声量と表現力は評価しなければなりません。例えば「悪魔め、鬼め」から第二幕のフィナーレに至る歌唱や流れは、文句なしですし、そこが、この作品の一つの頂点・聴き所ですから、満足しなければいけないのでしょうが、それ以外は今ひとつです。ありていに申し上げれば、道化としてかっこ良過ぎる。演技や歌唱から、リゴレットの屈折した感情や悪意、あるいは後悔が認められず、すっきりし過ぎていると思うのです。ホアン・ポンスを聴いたときにはリゴレットの雰囲気が良く出ていてかつ歌唱も良かったのですが、ガザーレは、外見や動きにリゴレットらしい雰囲気に欠けていたと思います。第一幕はリゴレットの毒をもっと撒き散らさなければなりません。

 スパラフチーレとマッダレーナは私が考えていたよりずっと存在感が無い。演出の関係もあるのかもしれませんが、印象がぼやけています。この二人の存在感が第三幕の見所の一つの鍵だと思いますし、マッダレーナがマントヴァ公の命乞いをし、それを聴いたジルダが自分の命を差し出そうとする部分など非常に緊張感が高まる部分だと思うのですが、今回はあっさりと流れました。第三幕の四重唱もマントヴァ公が牽引してマッダレーナが下支えする、という構成だと思うのですが、ジルダやリゴレットの存在感が強く示され過ぎたのでしょうか。

 その他について申し上げれば、モンテローネ伯爵はもっと劇的に歌ってほしいと思います。合唱は大変結構でした。合唱はカーテンコールにも出ませんでしたが、とりわけ良かったと思います。

 全体で言えば、音楽的にはバランス等で問題があったものの、まあまあ良好と申し上げてよいと思います。リゴレット自体の持つの音楽の素晴らしさを味わうことができました。一方で、演出は劇的な表現が不足しており、もっとドラマティックなつくりをしたほうが良かったのではないでしょうか。

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鑑賞日:2007年615
入場料:5000円、B席 2F532

主催:東京オペラ・プロデュース
平成19年度文化庁芸術団体重点支援事業

東京オペラ・プロデュース第79回定期公演

オペラ2幕、歌唱・フランス語(字幕付)、台詞日本語(字幕無し)上演
オッフェンバック作曲「地獄のオルフェ(天国と地獄)」Orphee aux Enfer)
台本:リュドヴィック・アレヴィ/エクトル・クレミュー

会 場 なかのZEROホール大ホール

指揮 時任 康文
演出 松尾 洋
美術 土屋 茂昭
衣裳 清水 崇子
照明 稲垣 良治
舞台監督 八木 清市/酒井 健
合唱指揮 伊佐地 邦治
合唱 東京オペラ・プロデュース合唱団
管弦楽 東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団

出 演

ジュピテール(神々の長) 細岡 雅哉
オルフェ(音楽教師) 塚田 裕之
ユリディス(オルフェの妻) 針生美智子
アリステ=ブリュトン(地獄の王) 島田 道生
世論 丸山奈津美
キュピトン(愛の天使) 島田ユミ子
ジュノン(ジュピテールの妻) 佐藤 りな
ディアヌ(狩猟の女神) 工藤 志州
ミネルヴ(賢明の女神) 平松理沙子
ヴェニュス(愛の女神) 勝倉小百合
ジョン・スティックス(ブリュトンの手下) 佐藤伸二郎
メルキュール(神々の使者) 木幡 雅志
マルス(戦いの神) 白井 和之
バッカス(酒の神) 笹倉 直也
ダンサー 山口 恭子
  増島 あゆみ
  原田 みのる
  東山 竜彦

感 想

再演することの意味-東京オペラプロデュース「天国と地獄」を聴く

 2004年11月に同じ中野ゼロホールで上演したものの再演です。再演するぐらいだから、初演の評判が良かったのだろうと思いたいところですが、私は、その初演を見ていて、あまり感心しなかったことを覚えています。その一番の問題は演出です。松尾洋の演出はいつも平凡ですからそれほど期待はしていなかったのですが、「天国と地獄」の演出は特に凡庸。多分、良い演出で見ればもっと楽しめる作品が、才気の感じられない演出で、今ひとつ楽しめなかった覚えがありました。

 それをどこまで改善してくるか、が今回の見所だったと思っています。しかし、実際は多少の手直しはあったものの、基本的には前回をほぼ踏襲した演出でした。舞台装置などは新たに作り直したものなのでしょうが、演出プランはそのまま前回のものを使用したようです。出演者が、前回私が見たときの出演者よりも喜劇の呼吸が分っている方が多かったせいか、それなりに良かったのですが、全体としては演出の拙さをカバーできなかったというのが本当のところでしょう。

 冒頭の序曲を前回よりも短くし、「世論」に「細木数子でございます」と言わせて登場させるところなど、これは期待できるかな、と思ったのですが、その後は尻切れトンボでした。社会保険庁の年金問題やコムソンなどの時事ネタを盛り込んだり、工夫はみてとれるのですが、前回も用いた「あたり前田のクラッカー」であるとか、「あやや、あやや」とかの再利用などはもう少し考えたほうがよかったのではないかしら。

 前回も思ったのですが、出演者にしゃべらせすぎです。喜歌劇ですからある程度台詞が入るのは当然なのですが、台詞が説明的でやや退屈です。ギャグやくすぐりも客席の気分と合わないので、空回りしてしまいます。最初の「つかみ」が良かったのですから音楽の力を信じて、台詞を減らしたほうがもっと良かったのではないかと思います。オペレッタの一つの魅力は乗りのよさ、なのですが、その乗りが客席を巻き込むだけの力を持っていなかったのも前回同様。

 音楽に関しても十分とは言えない、というのが本当のところでしょう。全体として歌手の水準が、現在の日本のトップクラスと比較すると2枚ぐらい落ちる感じです。その中で群を抜いてよかったのが針生美智子のユリディスでした。針生は、リリコ・レジェーロの軽い声で高音が伸び、またオペレッタにも適性の強い歌手で、ユリディスには適役だろうと思って出かけたのですが、正に予想通りでした。2004年の松尾香世子のユリディスと比較するとコケティッシュな表現において劣っていると思いましたが、間の取り方の感覚がよく、針生風ユリディスのキャラクターを上手く表現したと思います。歌唱それ自体も細かい問題は散見されましたが、第二幕前半の「後悔のクプレ」や、ジュピテールとの二重唱などは聴き応えのある結構なものでした。

 ジュピテールの細岡雅哉もよい。細岡の歌唱自身はそれほど優れているとはいえないのですが、ジュピテールのおかしさを表現するという点では魅力的でした。前回の秋山隆典は、一寸恥ずかしそうな演技が魅力的だったのですが、細岡は、役者的開き直りがあって、そこが魅力だったと思います。神々に攻撃されるときの戸惑いの表情や、ハエに変身した時のユリディスとの二重唱などに魅力がありました。

 島田夫妻のブリュトンとキュピトンも悪くない。歌は必ずしも万全ではない(特にユミ子は声が飛ばない)のですが、動きは歌手陣の中では断然よい。オペラ歌手が舞台上で側転をやったのをはじめて見ました。タレント業を合わせてやっていることが、オペレッタの舞台に生かせているのだろうと思いました。惜しむらくは、全体の演出が彼らの持ち味を生かしきれていないこと。演出が変われば、もっと生き生きとしたのではないでしょうか。

 そのほかの歌手陣で比較的良かったのは、ディアスの工藤志州でした。

 オーケストラは予想以上の健闘。特にコンサートミストレスのヴァイオリンソロは、結構な音を奏でておりました。ただ、音楽全体としてはやや重め。そこが才気の乏しい演出と相俟って、重たいイメージが全体を覆ったところが残念です。

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鑑賞日:2007年6月17日

入場料:D席 6615円 3FR1列4番

主催:新国立劇場

全3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
リヒャルト・シュトラウス作曲「ばらの騎士」(DER ROSENKAVALIER)
台本:フーゴー・フォン・ホフマンスタール

会場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮 ペーター・シュナイダー
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
     
演 出 ジョナサン・ミラー
美術・衣装 イザベラ・バイウォーター
照 明 磯野 睦
舞台監督 大澤 裕

出 演

元帥夫人 カミッラ・ニールント
オックス男爵 ペーター・ローゼ
オクタヴィアン エレナ・ツィトコーワ
ファーニナル ゲオルグ・ティッヒ
ゾフィー オフェリア・サラ
マリアンネ 田中 三佐代
ヴァルツァッキ 高橋 淳
アンニーナ 背戸 裕子
警部 妻屋 秀和
元帥夫人の執事 秋谷 直之
ファーニナル家の執事 経種 廉彦
公証人 晴 雅彦
料理屋の主人 加茂下 稔
テノール歌手 水口 聡
帽子屋 木下 周子
動物商 青地 英幸
レオポルド 三戸 大久

感 想

新国立劇場で過去最高の上演の一つ−新国立劇場 「ばらの騎士」を聴く

 私の場合、「ばらの騎士」といえば、1994年10月15日東京文化会館における、カルロス・クライバー指揮のウィーン国立歌劇場引越し公演がまずあって、それとの比較でしか考えられない、ということがまずあります。だから、それ以降聴いた「ばらの騎士」で満足したものは一つもありません。ですから、今回の「ばら」もほとんど期待せずに出かけました。しかし、あにはからんや、これが実に良いのです。新国立劇場10年間の歴史の上で、今回の「ばらの騎士」は、ほぼ最上級の上演と申し上げて過言ではないと思います。久しぶりでオペラを見ながら涙を流しました。もちろん、問題はいくつもあるのですが、総合的に申し上げれば、私には十分納得のいくものでした。Bravissimo!!と申し上げます。

 まず演出が良いです。ジョナサン・ミラーは時代を20世紀初頭に(第一次世界大戦直前)設定し、ウィーン貴族の最後の栄光を示そうと試みたとのことですが、その大まかな時代背景とその時代に合わせたファッションもさることながら、細かい人の動かし方がいちいち考えていて、見せてくれます。例えば、第一幕後半の、元帥夫人が自分の老いを自覚するシーン。もちろん鏡を見ながら老いを感じているのですが、その鏡には若き恋人オクタヴィアンが映っているのです。そのポジショニングの絶妙さ。恋人の若さに嫉妬してキスもせずに追い出す元帥夫人は、後悔の念にかられながら、煙草入れからタバコを一本取り出して、雨のあたる窓を見ながらくゆらします。この孤独感、諦念。タバコをくゆらす後姿だけで、元帥夫人の悲しみが分ります。

 舞台はオーソドックスな洋館スタイルですが、廊下と部屋との間の壁をはっきり見せて、使用人たちが右往左往する姿も見せたようです(今回の私の席からは廊下の中まで見えませんでした)。二幕の演出も、ゾフィーとオクタヴィアンが急接近するくだりであるとか、オックス男爵のワルツであるとか、細かい見所がいっぱいあって、オペラ以前に劇として十分に楽しめるものでした。席の位置が悪かったので、見逃したものも多いと思いますが、オーソドックスながらかなり細かな仕掛けのある今回の演出は大変立派なものだと思います。ところで、この演出では、元帥夫人のところに若きツバメが来ているのいうのは、使用人にとっては公然の秘密だったのですね。

 歌手陣は総じて立派。その中でも特筆すべきはニールントの元帥夫人でしょう。歌がいいのはもちろんなのですが、繊細な表現が又素晴らしい。一幕冒頭はオクタヴィアンと似たような声で二人の一致を示し、その後すれ違いが始まると、オクタヴィアンと元帥夫人の声が対立的に扱われます。そのような表現の変化が見事だったと思います。そして一幕後半のオクタヴィアンとの二重唱と老いのモノローグ、何とも絶妙な歌唱でした。第3幕の威厳ある表現も立派なもので、94年ウィーン国立歌劇場公演のロットによる元帥夫人にかなり近づいた立派な歌唱だったと思います。

 ツィトコーワのオクタヴィアンもよい。初めてツィトコーワを聴いたときの溌剌さは感じられませんでしたが、安定した歌唱で、良かったと思います。第一幕での元帥夫人に対する少年らしい思慕の念が、第2幕でソフィーとであったときの表情の変化。第3幕で、オックス男爵をやっつけるときの表情と、三重唱での表情の違い。細かい表現に工夫がありました。また、ツィトコーワは少年体型で、見た目の美少年ぶりも結構で、視覚的な美も良かったと思います。

 サラのゾフィーも結構。いわゆる古典的な少女らしさ、というよりはもっと積極的な新興ブルジョワの娘として描かれていたわけですが、二幕後半から第三幕における歌唱が良かったです。第三幕の有名な三重唱は調子の上がってきたサラ、ツィトコーワ、ニールントの三人でよく魅せ、かつ聴かせてくれました。もちろん、繊細な表現という意味では、ロット、フォン=オッター、ボニーのウィーン国立劇場公演とは比較にならないのですが、少しぐらい響きが濁っていても、あれぐらい聴かせていただければ、私は十分満足です。

 男声陣では、ペーター・ローゼのオックス男爵が良い。好色な田舎貴族の雰囲気をいっぱいに見せているところが良いです。第一幕で、元帥夫人の部屋に乗り込むところの無粋さの表現もよく、第三幕でだまされていたことに気づき、退場するところの無念さも良かったです。

 そのほか、脇役陣も総じて好演でした。ティッヒのファーナヒル、ヴァルツァッキの高橋淳、アンニーナの背戸裕子、警部の妻屋秀和、テノール歌手の水口聡などが特に印象に残りました。第三幕でオックス男爵を陥れるためにアンニーナにつれられる児童合唱も良かったです。

 とにかく歌手陣は全体に水準が高く、細かいところまで良く作りこんだミラーの名演出とも相俟って、大変素晴らしい上演になったものと思います。

 シュナイダーの指揮ですが、正当なドイツ音楽を聴かせようという意思を感じさせられる音楽作りでした。手堅い指揮と申し上げても良いかもしれません。しかし、その根本は北ドイツ的であり、20世紀初期のウィーン風では無いという気がしました。もっとけだるく、もっと繊細に音楽を組み立てていただきたいと思いました。もちろんそれは、シュナイダーの問題というよりは、東京フィルの問題かもしれません。ホルンのトラブルなど管楽器のトラブルは何箇所かありましたし、弦楽器ももう少し、音が揃って美しく響かせてほしいと思うところが何箇所もありました。徹底的な爛熟美を追求しようという気持ちは、指揮者にもオーケストラにもなかった様です。そこだけが残念です。 

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鑑賞日:2007年6月19
入場料:D席 5670円 4F 
2列31

主催:新国立劇場

オペラ3幕・字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲 歌劇「ファルスタッフ」(Falstaff)
台本:アッリーゴ・ボーイト

会 場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮 ダン・エッティンガー
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
     
演 出 ジョナサン・ミラー
再演演出 田尾下 哲
美術・衣装 イザベラ・バイウォーター
照 明 ペーター・ペッチニック
舞台監督 大澤 裕

出演者

ファルスタッフ アラン・タイタス
フォード ヴォルフガング・ブレンデル
フェントン 樋口 達哉
医師カイウス 大野 光彦
バルドルフォ 大槻 孝志
ピストラ 妻屋 秀和
アリーチェ セレーナ・ファルノッキア
ナンネッタ 中村 恵理
クイックリー夫人 カラン・アームストロング
ページ夫人メグ 大林 智子

感 想

有終の美−新国立劇場 「ファルスタッフ」を聴く

 トーマス・ノヴォラツスキーが新国立劇場のオペラ部門の芸術監督を勤めたこの4年間、イタリアオペラは惨憺たる状況だったと申し上げて過言ではありません。もちろんジュゼッペ・ジャコミーニがカニオを歌った「道化師」のようにいくつか記憶に残る舞台が無かった訳ではないのですが、トータルで見れば、イタリア・オペラ不毛の4年間だった、と申し上げるべきでしょう。とはいえ、ノヴォラツスキーがイタリアオペラに冷淡だったわけではありません。毎年数作品を上演しておりました。それにもかかわらず、イタリアオペラは惨憺たる状況だった、と感じるのは、イタリア・オペラ的楽しさを感じさせた舞台が少なかった、というところにあるようです。一方、ノヴォラツスキー時代、プレミエ作品はあまりよくなく、再演するとよくなった、という例がいくつかありました。「マクベス」然り、「ホフマン物語」然りです。今回の「ファルスタッフ」もプレミエ時は今ひとつピンとこない舞台だと思ったのですが、再演になった今回、細かい部分がかなり改善されて、とてもよい舞台に変身していました。ノヴォラツスキーはこの6月限りでオペラ部門の芸術監督を退くのですが、最後に持ってきた「ファルスタッフ」の再演で、有終の美を飾ったと申し上げましょう。

 音楽全体で申し上げるならば、エッティンガーと東京フィルのコンビは2004年の雪辱を果たしたと申し上げてよろしいでしょう。3年前、エッティンガーは「ファルスタッフ」というオペラを十分咀嚼しきれずに演奏したのではないか、と思いました。ところどころにきらめきはあったものの、消化不良の演奏でした。ところが、今回は基本的なスタイルは3年前を踏襲していながら、もっと磨きのかかった演奏でした。音が立っていて、作品の持つ意味をきっちり表現しようとする演奏、とでも申し上げたら良いのでしょうか。決してイタリア・オペラのローカル色を強調することは無く、むしろヴェルディの音楽の持つ普遍性を見せようとした中庸な演奏だったと思います。東京フィルも技術的には問題があるわけですが、全体には素直な演奏で良かったと思います。

 普遍的な演奏を行ったことで、「ファルスタッフ」という作品の音楽的特徴を逆に明確にした、という側面がありました。「ファルスタッフ」は、ヴェルディの最後の作品にして最高傑作と言われる訳ですが、それまでのイタリアオペラの伝統を一気に断ち切ってしまった孤高の作品と言われることも少なくありません。しかし、この作品の音楽の構成は、ロッシーニに代表されるイタリアオペラの伝統や、かつてヴェルディが書いてきたオペラの伝統を踏まえて作られていることは疑う余地はありません。そのようなイタリアオペラの伝統が、「普通の」演奏をすることによって浮かび上がりました。私はそこが、今回の演奏で最も素晴らしいと思うところです。

 演出はジョナサン・ミラーで3年前と同じ。しかし、再演の演出を担当した田尾下哲は、細かい修正を随分入れたようで、全体として、作品の筋がより明確になり、メリハリのしっかりした舞台に仕上がっていました。

 歌手陣では、タイタスの外題役が極めて素晴らしいと思います。「名誉のモノローグ」も「世の中泥棒だ」も良いわけですが、それ以上に演技・歌唱全体から出る雰囲気が、ファルスタッフにぴったり、と申し上げましょう。好色でけち、というファルスタッフの持ち味をあれほど上手に演じた例を私は知りません。ブルゾンのような気品は無かったかもしれませんが、一つの形としてきっちり成立していました。タイタスといえばワーグナー歌手のイメージが強く、イタリアオペラに適性があるように思っていなかったのですが、身のこなしの柔らかさといい、歌唱や演技の雰囲気といい、自然体でファルスタッフを演じており、非常に素敵でした。タイタスがファルスタッフという役を大好きであることがよく分かる演奏だったと思います。

 ブレンデルのフォードも良い。ブレンデルと喜劇、というのも一寸似合わないのかな、と思っておりましたが、昨年6月の「こうもり」アイゼンシュタインで、彼の喜劇への適性がよく分かりました。ブレンデルは、フォードをいわゆるヴェルディバリトンのパロディとして歌っているのですね。多分。フォードのモノローグ「夢かまことか」は、きっちり生真面目に歌って見せるのですが、その前後の演技のおかしみにより、この歌唱が、真面目さを笑うためのものであることが分ります。その後のフォードの動きを見れば、「夢かまことか」の真摯な表現は、かなり誇張したものであることが明確になります。

 もう一人男性陣で誉めるべきは、妻屋秀和のピストラでしょう。妻屋は3年前もこのプロダクションでピストラを演じておりますが、今回も十分な歌唱で満足いたしました。

 樋口達哉フェントンも良好。少なくとも3年前のジョン・健・ヌッツォよりはずっといいです。声の若々しさと安定した表現は、十分に満足できる出来栄えでした。その他の男声陣はそこそこ。大槻孝志のバルドルフォは一寸印象に弱いし、大野光彦のカイウスは、主役級の中で群を抜いて声量が乏しく、満足できるとは申し上げられないでしょう。

 男声陣と比較すると女声陣は今ひとつと申し上げなければいけません。アンサンブルが全体として十分揃っていたとは言いがたいところが特に問題です。ファルノッキアのアリーチェにしても中村恵理のナンネッタにしてもソロパートは十分満足いく出来なのですが、アンサンブルで聴くと、音が揃っていないきらいがありました。中村もソロで歌うと、若さと瑞々しさとがバランスされた素敵な歌唱なのですが、アンサンブルになると必ずしも精緻な重唱とはいえないように思いました。

 とは申し上げたものの、最後の大フーガもそれなりにまとまっており、「ファルスタッフ」の演奏としては十分納得のいくものでした。

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鑑賞日:2007711

入場料:A席 9000円 3FC316

東京フィルハーモニー交響楽団第31回東京オペラシティ定期シリーズ

主催:東京フィルハーモニー交響楽団

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演、演奏会形式
モーツァルト作曲「イドメネオ」K.366(Idomeneo)
台本:ジャンバッティスタ・ヴァレスコ

会場 東京オペラシティコンサートホール

指揮/チェンバロ チョン・ミョンフン
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 東京オペラシンガーズ

出 演

イドメネオ 福井 敬
イダマンテ 林 美智子
イリア 臼木 あい
エレットラ カルメラ・レミージョ
アルバーチェ/大祭祀 真野 郁夫
成田 眞

感想

指揮者の力量-東京フィルハーモニー交響楽団「イドメネオ」を聴く

 「イドメネオ」は最近しばしば演奏されるオペラで、私は今回で5回目になります。そして、これまで聴いた「イドメネオ」の中で、今回の演奏が一番素晴らしい演奏だったと思います。その一番の貢献は、指揮者のチョン・ミョンフンにあったと申し上げるべきでしょう。

 とにかく音楽に弛緩がない。もちろん緊張する部分と緩む部分はあるのだけれども、緩んでもだらしなくならない。指揮の姿が流れるようで、東フィルのつむぎ出す音楽も流れるが如くでありました。オーケストラに細かいミスはあるのだけれども、雄渾な流れの中ではあまり気にならないのです。今回チョンは、チェンバロでのレシタティーヴォの伴奏を行いながらの指揮ですが、椅子に座ったり立ったりする様子が、音楽と良く連動していて美的にも素晴らしい、正に納得いくものでした。力のある指揮者が振ると、音楽がどう変わるか、ということを如実に示す演奏だったと思います。流石、チョン・ミョンフンと申し上げるべきでしょう。結構なものでした。

 東フィルの演奏のよさも特筆ものだと思います。弦楽器は10-10-8-6-5という小編成ながら、あるいは小編成であるからゆえ、ピュアな音色が聴こえたと思います。昨年秋の新国立劇場公演 「イドメネオ」を演奏しているとはいえ、あのときよりも十分磨きのかかった演奏でした。指揮者が違うとここまで音が違うのか、ということを実感させていただきました。

 歌手陣も総じて良好でした。

 まず外題役の福井敬がよい。福井はかつてはリリックテノールの印象の強い歌手だったわけですが、最近はスピント領域の役柄も十分にこなせるようになりました。彼のイドメネオは、5年ほど前に一度聴いたことがあるのですが、そのときよりも更に安定感が増した、充実した歌唱でした。王の威厳が出てきたと申し上げたらよいのでしょうか。かつての福井の特徴である輝かしい張りのある声とは一味違います。役柄の味わいを上手く表現できた魅力ある歌唱でした。

 レミージョのエレットラも抜群。私は、彼女の声の色調が本質的には好きではないと思うのですが、技術と表現力は流石と申し上げるしかありません。まず第4曲のアリア「私の心にはお前たちがいる」で感心し、第二幕のアリア「憧れの方、私につれなくされても」もよく、第3幕の大アリアは、声にざらつきがありましたが、そのざらつきがエレットラの苦しみを良く表現しているようで良かったです。大変感心いたしました。

 この二人と比較すると残りの二人の歌唱は平凡だったと思います。それでも林美智子のイダマンテは、要所を締めた歌唱で良かったと思います。低音をしっかり出して、ズボン役の雰囲気を上手く表現できていたのではないかと思います。最初のアリアがなかなか魅力的で、その後の重唱も存在感をしっかり示した結構なものでした。

 臼木あいのイリアは臼木の若さが表に出た歌唱でした。技術的にはしっかりと歌っていたと思います。しかしながら、表現に厚みがない。声にもう少し陰影が付けば、しっとりとした情感がかもし出されて良いと思うのですが、その陰影がほとんど認められず(本人は意識していたようですが、現実に聴こえた音色は情感を感じられるものではありませんでした)、平板な歌唱に終始していました。冒頭のアリアから薄っぺらな雰囲気が立ち込め、イリアの白眉とも言うべき第3幕のアリアも今ひとつと申し上げるしかない。それでも歌唱の骨格がしっかりしているので、みんなの足を引っ張る様子はありませんでした。

 この4人と比べると真野郁夫の歌唱は一段落ちます。成田眞のネプチューンの声は、迫力が感じられてよかったです。

 東京オペラシンガーズの合唱も良好。メンバーには、細岡雅哉や前田真木子、田村由貴絵といった主役級の方が入っているのですから上手なのは当然かもしれませんが、安心して聴けました。

 練習時間が短いせいか、アンサンブルとしてのまとまりは必ずしも十分とは申し上げられないと思うのですが、全体としては、チョン・ミョンフンの的確な指示に上手く対応して、音楽的に魅力ある演奏になっていたと思います。

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鑑賞日:2007年7月16
入場料:B席 6000円 20列3
0

平成19年度文化庁芸術創造活動重点支援事業
東京室内歌劇場39期第116回定期公演
第23回<東京の夏>音楽祭2007参加公演

主催:東京室内歌劇場

オペラ3幕・字幕付原語(イタリア語)上演
ヘンデル作曲 歌劇「アルチーナ」(ALCINA)
台本:アントニーオ・マルキ

会 場 シアターアプル

指 揮 ヴィート・クレメンテ
管弦楽 東京室内歌劇場アンサンブル
合 唱 東京室内歌劇場コーラス
     
演 出 井原 広樹
美 術 アントニオ・マストロマッティ/ユリ・マストロマッティ
衣 裳 半田 悦子
照 明 原中 治美
舞台監督 村田 健輔

出演者

アルチーナ 田島 茂代
ルッジェーロ 岩森 美里
モルガーナ 高橋 薫子
ブラダマンテ 森永 朝子
オロンテ 辻 裕久
メリッソ 太田 直樹
オベルト 五月女 智恵

感 想

作品の魅力、音楽の魅力−東京室内歌劇場 「アルチーナ」を聴く

 ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルが、ヨハン・セバスティアン・バッハと並び称される大作曲家であることは、音楽史を紐解いたことがある方には常識な訳ですが、実は実感が薄いです。私も子どものころから、「水上の音楽」であるとか、あるいは「メサイア」に親しんで来ましたが、それでもバッハの多様な作品群と比較するならば、相当見劣りするように思っておりました。しかし、ヘンデルがバッハと全く異なるのは、劇場音楽を多数書いた、ということに尽きるようです。オペラだけでも40作ぐらい作曲したらしい。しかしながら、ヘンデルのオペラは、そう滅多に聴けるものではありません。恥ずかしながら、私は「セルセ」を1回聴いたことがあるだけです。「アルチーナ」は、ヘンデルのオペラ作品の中では比較的有名なもので、いくつか録音も出ているようですし、私もタイトルだけは聞いたことがありました。しかし、オペラのCDを滅多に買わない私には、全く縁のない作品でしたし、日本初演も2005年9月に、関西のバロックオペラ上演団体ヴィヴァヴァ・オペラ・カンパニーによってなされたばかりです。東京室内歌劇場による今回の公演は、7月13日に東京藝術大学奏楽堂で上演されたオペラアンサンブル「インカント」による公演と並んで、東京初演となります。

 演奏自体は、細かいところに問題を抱えながらも、全体としては良くまとまった好演奏だったと思います。音楽としては、十分楽しむことができました。しかし、作品自体は結構難しい問題を抱えています。まず筋が複雑なのに、音楽の構成が単調、というところがあります。この作品は、典型的なオペラ・セリアであり、18世紀前半のオペラ・セリアの特徴がふんだんに盛り込まれています。まず、音楽がほとんどレシタテーヴォとアリアで構成されています。重唱はほとんどなく、合唱も第3幕のフィナーレ以外ではほとんど使われません。アリアはほとんどがダ・カーポ・アリアです。したがって、アリアはそれぞれ異なっているものの、全体としては変化に乏しい感じが否めません。個別のアリアは、流石ヘンデルというべき名作がいくつもあるのですが、オペラ全体として見た場合、今ひとつ退屈なのです。この作品を聴いていると、19世紀には古典的なオペラ・セリアが廃れた理由が納得できます。

 このバロックオペラを見せる、という観点で見たとき、井原広樹の演出は「よく分からない」演出でした。

 「アルチーナ」という作品は、煎じ詰めれば「ルッジェーロをめぐるアルチーナとブラダマンテの三角関係」なわけですが、この裏として、「モルガーナを中心としたオロンテとリッチャルド(ブラダマンテ)との三角関係」があり、この二つが絡み合うので、ストーリーが複雑になります。その上、アルチーナが魔女だったりするものですから、前半は、舞台を見ていてもどのようなお話かほとんど理解できませんでした。プログラムを見て粗筋を予習しておけば問題はないのですが、そこを上手く見せるような演出にしていただきかったと思います。

 演出自体は中途半端な印象が拭えません。バロックオペラとしての枠組みを守るのであれば、3幕構成を2幕にせず(それも第一幕の終わりが、第二幕の第一場という理由が分りません)、バレエもきっちりいれて、視覚的にももっと具象化すればよいと思います。一方、現代風にするのであれば、パントマイム(コメディア・デラルテを意識しています)を入れる意味はよく分かりませんし、特にパントマイムの方々にインテルメッゾをやらせる意味は乏しいように思います。また舞台が総じて暗すぎるのもいただけません。そんなわけで、演出の意図がよく分かりませんでした。

 一方音楽はかなり頑張った、と申し上げてよろしいと思います。まず、クレメンテの音楽作りがよかったと思います。全体に流麗で、要所要所をしっかり締めた演奏で、楽しめました。オーケストラも総じて良好。特にコンサート・マスター豊田弓乃さんのヴァイオリン・ソロがとても素敵でした。

 歌手陣では、タイトル役の田島茂代が頑張りました。田島は前半は声の伸びが今ひとつのように思われ、声に揺らぎもあり、必ずしも好調ではなかったようですが、後半は挽回しました。第二幕の「ああ、我が心よ」は、前半と後半の対比が素晴らしく、感心いたしました。休憩後のアリアは、どれも結構なものでした。魔力を持った王女アルチーナは、本当にルッジェーロを愛してしまったため、魔力を失うのですが、その感情変化の表現がよかったと思います。

 ルッジェーロ役の岩森美里も前半は全く感心することができませんでした。声が定まらない感じで、役の雰囲気が必ずしもマッチしないようでした。彼女も第2幕から乗ってきた感じです。彼女の一番よかったのが、聴かせどころである「緑の牧場よ」ではなかったかと思います。後半は姿勢が決まり、その結果戦士の雰囲気が現れ、歌唱も安定したのではないかと思いました。

 全体に安定感が高かったのが高橋薫子のモルガーナ。高音部で一部声が細くなったりと必ずしも大満足ではないのですが、歌唱全体の水準は本日の歌手の中で随一でした。特に第二幕のアリアが良かったとおもいます。森永朝子のブラダマンテも比較的安定感の高い歌唱でした。あまり目だたない役柄ですが、よかったと思いました。

 男声陣では、太田直樹がよく、辻裕久のオロンテは、後半はなかなかよいと思いました。

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鑑賞日:2007729
入場料:
S席 15000円 1F C1133

平成19年度文化庁芸術団体重点支援事業

東京二期会オペラ劇場公演

主催:(財)東京二期会

オペラ2幕、台詞日本語、歌詞原語(ドイツ語)上演
モーツァルト作曲「魔笛」(Die Zauberflote)
台本:エマヌエル・シカネーダー
日本語台本:実相寺昭雄

会場:新国立劇場・オペラ劇場

スタッフ

指 揮 高関 健
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 二期会合唱団
合唱指揮 森口真司
演 出 実相寺昭雄
演出助手 伊藤 隆浩/勝賀瀬 重憲
装 置 唐見 博
衣 裳 加藤礼次
照 明 牛場賢二
振 付 馬場ひかり
舞台監督 幸泉浩司

出 演

弁者 久保 和範
ザラストロ 堀野 浩史
夜の女王 品田 昭子
タミーノ 小貫 岩夫
パミーナ 増田 のり子
パパゲーノ 山下 浩司
パパゲーナ 九嶋 香奈枝
モノスタトス 吉田 伸昭
侍女1 渡邊 史
侍女2 星野 恵里
侍女3 高柳 佳代
童子1 猿山 順子
童子2 金原 智子
童子3 小林 久美子
武士1 行天 祥晃
武士2 岩本 貴文
僧侶1 村林 徹也
僧侶2 大川 信之

感想

日本制作を代表する名舞台-東京二期会オペラ劇場公演「魔笛」を聴く。

 日本制作のオペラは、歌手の層は薄いものの、トップクラスだけで見れば、世界的に見てそれほどレベルの低いものではありませんし、オーケストラの腕もなかなかの水準です。問題があるのは演出力です。ここだけは、まだ差がある分野だと申し上げてよいでしょう。その中で、日本発のオペラ演出として、国際的に見ても十分に伍していける演出が、今回の実相寺昭雄演出の「魔笛」です。私は、20053月の初演を見て大いに感心したのですが、今回の再演を拝見し、再度その意を強く持ちました。

 サブカルチャーの雰囲気が強いポップな演出ですが、細々としたところまでよく練られていて、かつ台本に忠実で奇を衒っていないものです。初演は、4階席から見ていて、演出の細かい部分の見落としも随分あったようで、今回1階席の真ん中から見ていて、気づいたところがいろいろありました。第2幕で曼荼羅のような絵が投影されたり、壁に鬼の面が描かれたり、日本的なイメージが強調されていました。二人の武士の顔には隈取が描かれていて、歌舞伎も意識していたようです(なお、その他の演出の詳細は、こちらをご覧ください)。

 実相寺昭雄は、日本発のオペラ演出ということに拘ったのでしょうね。その拘りこそが聴き手に記憶を残す演出になったもののようです。この演出は二期会の財産です。これからも大事にしてほしいと思います。

 一方の音楽。こちらはあまり高い評価はできません。二期会の実力からして、今回の演奏は当然のレベルであり、その更に上を目指してほしいところです。

 そのなかで、まず良かったのは高関健の指揮。音楽全体を適切に見通して統率しており、バランスがよいものでした。アンサンブルに対しては、歌手に向かって指揮をしており、そのような振り方自体が、全体のトーンを決めた要因になったもののように思いました。オーケストラは、ホルンがこけるなどそれなりにミスは出ましたが、全体的には優れた演奏だったと申し上げてよいのだろうと思います。フルート・ソロは、森川道代さんだったようですが、柔らかい、結構なものでした。

 歌唱は演技とも相俟って、全体としては、概ねまとまっていたように思います。ただ、トータルの歌唱力、というよりも観客に対するアピール力は、最近の二期会公演の中では、今ひとつ弱い淡白なものでした。歌唱は全体的に存在感が薄いと申し上げざるを得ません。台詞の部分があれだけくすぐりを入れて工夫して、それぞれのキャラクターを立たせて観客の興味をひきつける努力をしたわけですから、ここで歌唱に力が入ればもっとよかったのに、と思います。

 個別の歌手に関して申し上げれば、批判的に記載すべき方が多いです。

 まず堀野浩史のザラストロが今ひとつ。低音に深みと艶のあるバスですが、音楽のトーンの作り方に一貫性がなく、折角の低音の魅力を役作りに反映させることができず、ザラストロの徳の高さを表現するに至りませんでした。「イシスとオシリスの神よ」もそうでしたし、「この聖なる殿堂では」でもそのように感じました。また、台詞で登場の部分もどっしりとした構えが感じられず、威厳を感じにくい表現でした。

 品田昭子の「夜の女王」も不満です。「夜の女王」が難役中の難役であることは申し上げるまでもないのですが、それは、上3点ヘ音という超高音を出すということもさることながら、「夜の女王」怒りや悲しみをドラマティックに表現した上で、軽いコロラトゥーラを歌うところにあります。品田の歌唱は、ドラマティックな表現に乏しく、かつコロラトゥーラの技術も今ひとつぱっとしないものでした。特に第一幕のアリア「怖れおののかなくてもよいのです、わが子よ!」 は平板な歌唱で、加えてコロの技術も今ひとつで、満足できませんでした。第二幕の「復讐の炎は地獄のように胸に燃え」は一幕よりましでした。歌唱のフォルムもしっかりしていましたし、最高音もほぼ出ていました。しかしながら、ドラマティックな表現は今ひとつ薄く、更なる踏み込みがほしいと思いました。

 小貫岩夫のタミーノも問題があります。軽いリリックテノールでよい響きを持っているのですが、音程がいい加減です。音楽の骨格を固めずに響きで勝負している感じでした。

 一方頑張ったのは、パパゲーノを歌った山下浩司。パパゲーノはいろいろな状況から歌いだす場面が多く、体勢も前を向いて歌えばよいというわけではないのですが、どんな状況でもそれなりにまとまった歌唱を聴かせて下さったのは立派です。ぼろぼろの宇宙服を着ていても、中身は天衣無縫の自然児たるパパゲーノを全身を使って表現しました。

 増田のり子のパミーナもなかなか良好。いかにもパミーナ、という歌唱でよかったと思います。第一幕のパパゲーノとの二重唱が良く、第二幕のアリアも憂いのある表現で魅力的でした。

 その他の歌手はまとめて。三人の侍女は、最高音を歌った渡邉史が強く、低音部が弱い印象。第三の侍女がもう少し前に出るとアンサンブルとしての聴き応えが上がります。三人の童子は特に申し上げることはありません。九嶋パパゲーナもユーモラスで結構でした。吉田伸昭のモノスタトスは、表現が淡白でかつ声量も弱い。モノスタトスの存在感を十分表現できたか、と申しますと、否定的にならざるを得ません。

 そんなわけで、全体的にまとまったものではあったのですが、歌手個々人の力量は、聴き手を十分に満足させられるほどのものではなかった、と申し上げるべきなのでしょう。

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