オペラに行って参りました-2008年(その3)

目次

正しいオペラ指揮者の姿?   2008年06月11日   新国立劇場公演「椿姫」を聴く
プリマドンナの貫禄   2008年06月26日   東京二期会オペラ劇場公演「ナクソス島のアリアドネ」を聴く
年齢と表現   2008年06月27日   高橋薫子ソプラノリサイタルを聴く
求むペレアス!   2008年06月29日   新国立劇場コンサートオペラ「ペレアスとメリザンド」を聴く
美しさがてんこ盛りですが、   2008年07月13日   東京オペラ・プロデュース「美しきパースの娘」を聴く
体調管理の問題   2008年07月18日   シリーズ リリア"歌の花束"第一夜〜ベル・カント〜を聴く
学芸会とは言わないが   2008年07月30日   小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト\「こうもり」を聴く
よく分からないけれども、悪くない   2008年08月10日   プッチーニ生誕150周年記念、歌劇「三部作」を聴く
ベテランの貫禄   2008年09月04日   藤原歌劇団「椿姫」を聴く
外題役が主人公   2008年09月12日   東京二期会オペラ劇場公演「エフゲニー・オネーギン」を聴く

オペラに行って参りました2008年その2へ
オペラに行って参りました2008年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2007年へ
オペラに行って参りました2007年その3ヘ
オペラに行って参りました2007年その2ヘ
オペラに行って参りました2007年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2006年へ
オペラに行って参りました2006年その3へ
オペラに行って参りました2006年その2へ
オペラに行って参りました2006年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2005年へ
オペラに行って参りました2005年その3へ
オペラに行って参りました2005年その2へ
オペラに行って参りました2005年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2004年へ
オペラに行って参りました2004年その3へ
オペラに行って参りました2004年その2へ
オペラに行って参りました2004年その1へ
オペラに行って参りました2003年その3へ
オペラに行って参りました2003年その2へ
オペラに行って参りました2003年その1へ
オペラに行って参りました2002年その3へ
オペラに行って参りました2002年その2へ
オペラに行って参りました2002年その1へ
オペラに行って参りました2001年後半へ
オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

鑑賞日:2008611
入場料:2835円、D席 4F344

主催:新国立劇場

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「椿姫」La Traviata)
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ

会 場 新国立劇場・オペラ劇場

指揮 上岡 敏之
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤洋史
演出 ルーカ・ロンコーニ
装置 マルゲリータ・パッリ
衣裳 カルロ・マリア・ディアッピ
照明 セルジオ・ロッシ
振付 ティツィアーナ・コロンボ
再演演出 田尾下 哲
舞台監督 齋藤 美穂

出 演

ヴィオレッタ エレーナ・モシュク
アルフレード ロベルト・サッカ
ジェルモン ラード・アタネッリ
フローラ 林 美智子
ガストン子爵 樋口 達哉
ドゥフォール男爵 小林 由樹
ドビニー侯爵 東原 貞彦
医師グランヴィル 鹿野 由之
アンニーナ 岩森 美里
ジュゼッペ 小田 修一
使者 大森 一英
フローラの召使い 黒田 諭

感 想 正しいオペラ指揮者の姿?-新国立劇場「椿姫」を聴く

 「椿姫」をどう演奏するか、というのは、なかなか難しい問題のようです。第一幕をよく聴かせる為には、ヴィオレッタをコロラトゥーラ・ソプラノにすべきであるが、二幕・三幕の精神的な表現のためには、もっと強い声が必要で、その両者を兼ねるソプラノはなかなかいない、とはよく言われるところですが、実際は、どのようなソプラノをキャスティングするかによって、その音楽のつくりを変えていくことが大事のようです。

 エレーナ・モシュクは、典型的なコロラトゥーラ・ソプラノとして売り出した方らしいです。ネットの批評を見ても、チューリッヒ歌劇場における「夜の女王」などは評価が高い。従って、コロラトゥーラ・ソプラノがヴィオレッタを歌う、という前提で音楽作りをすれば、それなりに聴き応えのある演奏に仕上がる可能性があります。ところが、実際に聴いたモシュクの声は、コロラトゥーラ・ソプラノとはとても呼べないレベルの声でした。高音に伸びが無いですし、反対に中低音に迫力があります。また、アジリダの技術があるとも書かれていたのですが、そのような軽快なタイプのソプラノでは全く無いように聴きました。

 私は今回の「椿姫」に非常に違和感を感じて聴いたのですが、その原因の一つは、コロラトゥーラ・ソプラノをヴィオレッタとしてキャスティングしたのに、現実はコロラトゥーラの技術を示せないソプラノだった、というところにあるように思います。

 指揮の上岡敏之はドイツのオペラ劇場で長年カペルマイスターをやってきた方で、その間、舞台でのオペラ歌手との付き合い方を随分勉強されてきたのに違いありません。それだけに、今回は、モシュクに相当に気を使った演奏をしているように思いました。本来、彼のやりたかった演奏は、もっとスピードのある軽快な演奏だったはずです。例えば、それは、ヴィオレッタ、アルフレード、ジェルモンが登場しない、第二幕第二場後半の合唱部分の進行を見れば明らかです。ジプシー女と闘牛士の合唱部分ですね。そこも、著しく速い演奏ではないのですが、渋滞が解消した高速道路ぐらいのすっきり感がある。

 ところがモシュクが出てくると、リタルダンドがかかり、がたっとスピードが落ちる。歌手のスピード感を尊重した正しいオペラ指揮者の姿、ということなのでしょうが、上岡の音楽がスポイルされたようで、私には納得行きません。ちなみに、東フィルの演奏は、とても艶やかで大変結構なもの。第一幕への前奏曲のあのゆっくりした部分を、一体となって艶やかにしっとりと歌うところなど、先週聴いたフォルクスオーパーのオーケストラと比較しても遥かに高いレベルの演奏です。また、オーケストラの表情も非常に繊細で、オーケストラの音楽をもって椿姫の物語を雄弁に語っておりました。それだけ、指揮者のコントロール能力が高く、オーケストラの機能性が高いということなのでしょう。しかし、オーケストラが高い機能性を持って演奏しているのに、指揮者の意図する音楽が出来ていないとすれば、それはあまりに悲しいことです。

 という分けで、指揮者のテンポ感覚とモシュクのテンポ感覚のずれが、まず大きな問題だと思うのですが、モシュクの歌唱の説得力の無さがそれに輪をかけます。上述のように、高音に伸びが無く、ヴィヴラートの振幅が大きく、コントロールが出来ていない、更に音程もいい加減でした。私もこれまで、随分いろいろな方のヴィオレッタを聴いていますが、ここまで納得できないヴィオレッタを聴いたのは久しぶりのような気がします。

 サッカのアルフレードも今ひとつ。やや重めのテノールのアルフレードで、これぐらいの声質のアルフレードが私は一番好きです。よく、若さを強調してレジェーロ・テノールによるアルフレードがキャスティングされますが、その場合だと歌唱が軽薄になって、「能天気な田舎のお兄ちゃん」が前面にでます。それよりはもう少し落ち着いたサッカの声はアルフレードにぴったりだと思うのですが、何せ繊細さに欠けるのです。やはり自分のテンポでとりあえず歌っているだけで、ドラマの中のアルフレード、という観点がほとんど欠落している。アルフレードの気持が歌に現れてきていないのです。第一幕の乾杯の歌の前に樋口達哉扮するガストンがいろいろ歌うわけですが、このガストンの歌唱が、アルフレードの乾杯の歌のより魅力的で、なぜ樋口にアルフレードを歌わせないのか、とても不思議に思いました。

 モシュク、サッカと比較すれば、アタネッリのジェルモンはましな歌でした。「プロバンスの海と陸」の表現は大変結構で感心したのですが、しかしながら、ドラマの中のジェルモンとしては声が若すぎるのが残念です。特にヴィオレッタ、アルフレードとも渋めの声だったので、若いジェルモンだとバランスが悪い。特に第二幕第一場のヴィオレッタとジェルモンとの二重唱(ここは椿姫の一番の聴き所でもあるのですが)が聴き手の心に訴えない。ヴィオレッタの悲しみの表現も今ひとつうそっぽいし、ジェルモンも若さが出てヴィオレッタの悲しみを受け止められないのです。とにかくちぐはぐな感じがしてなりませんでした。

 以上主要三役が私には納得できない「椿姫」でした。指揮もオーケストラも非常によかったので、もっと作曲家と指揮者の意図を感じて歌える三役であれば、大変素晴らしい演奏に仕上がったと思います。それだけに残念な気持が拭えません。

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観劇日:2008626
入場料:
D席 5000円 4F R319

平成20年度文化庁芸術創造活動重点支援事業

東京二期会オペラ劇場公演

オペラ プロローグ付1幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
リヒャルト・シュトラウス作曲「ナクソス島のアリアドネ」
台本 フーゴ・フォン・ホフマンスタール

会場 東京文化会館大ホール

スタッフ

指 揮 ラルフ・ワイケルト
管弦楽 東京交響楽団
     
演 出 鵜山 仁
公演監督 大島 幾雄
装 置 堀尾 幸男
衣 裳 原 まさみ
照 明 勝柴 次朗
振 付 謝 珠栄
舞台監督 菅原 多敢弘

出演者

執事長(台詞役) 田辺 とおる
音楽教師 加賀 清孝
作曲家 谷口 睦美
テノール歌手/バッカス 高橋 淳
士官 羽山 晃生
舞踏教師 大野 光彦
かつら師 大久保 光哉
召使 馬場 眞二
ツェルビネッタ 幸田 浩子
プリマドンナ/アリアドネ 佐々木 典子
ハルレキン 青戸 知
スカラムッチョ 加茂下 稔
トルファルデン 志村 文彦
プリゲルラ 中原 雅彦
ナヤーデ 木下 周子
ドリアーデ 増田 弥生
エコー 羽山 弘子

感想

プリマドンナの貫禄-東京二期会オペラ劇場公演「ナクソス島のアリアドネ」を聴く

 最近オペラを見ながら思うのは、オペラの感動の源は何だろう、ということです。大して実力もない学生たちが集まって作った学生公演が、外人の著名歌手が集まって作った舞台よりも感動的なことが現実にあるのです。そういう演奏に何度か立ち会った経験から見て、重要なことは恐らく、@指揮者の演奏の方針が明確で、それが、オーケストラや歌手に浸透していること。Aチームワークが良いこと。この2点が重要で、もう一つ挙げれば、B練習量が豊富であること、これも大事でしょう。これらが揃うと感動的な舞台になりやすいのだろうと思っています。

 「ナクソス島のアリアドネ」でこのような経験をしたのが、今年の1月の関西二期会による新国立劇場の地域招聘公演。その演奏は、歌手こそ今ひとつの方が多かったわけですが、@指揮者の飯守泰次郎が、「ナクソス島のアリアドネ」という作品に対して確固たるイメージを持って演奏しており、オーケストラや歌手に対する指示が非常に的確であったこと、Aチームワークがよかったこと、B練習量が豊富だったことの三つが相俟って、音楽全体が非常に緊張感のあふれるものとなりました。

 関西二期会の名演と比較すると、今回の東京二期会オペラ劇場の演奏は、いろいろな意味でゆるい演奏でした。歌手個々人の技量は、層の厚い東京二期会だけあって、関西二期会の比ではないと思います。しかしながら音楽の求心性であるとか、指揮者の統率であるとか、そういった面ではまとまりに欠けており、今ひとつであった感が否めません。佐々木典子のアリアドネの素晴らしい歌唱や、幸田浩子のコケティッシュなツェルビネッタの魅力は十分に感じられたものの、全体としては、1月の関西二期会の公演のような感動を得るには到りませんでした。

 まずワイケルトの指揮が音楽を統率してやろうという気概に乏しい。オペラの指揮経験の豊富な方ですからそつはないのですが、自ら音楽を作り上げていこうとする雰囲気がないのですね。全体にあわせて振っている感じが強いです。オーケストラの人数はスコアどおりの37人でした。これは勿論一つの見識ですが、東京文化会館のような広い会場でやるのに、弦の増強が全くない、というのもどうなのでしょう。個別奏者は東京交響楽団の中でもトップクラスの方々がピットに入っているわけですが、人数が少ないせいか、個々の音がよく混じりあわずに飛んでくることがあります。それがリヒャルト・シュトラウスの意図したことだったのかも知れませんが、この人工的なオペラに弦の生々しい音は似合わないような気がします。そのほかもオーケストラには不満を感じました。ホルンのミスが目立ったこととか、木管の音色があまりきれいではなかったとか。

 指揮者の統率力の不足は、よりごちゃごちゃしている構成のプロローグの部分の整理されない印象に繋がりました。個別歌手で見ていけば、田辺とおるの一寸甲高い声で慇懃な感じの執事長がなかなか印象的でしたし、加賀清孝の音楽教師のいらいらした感じ、大野光彦のとぼけた舞踏教師と皆それなりに頑張っているのですが、それがひとつの舞台の上に乗せられてしまうと、すっきりしないし、音楽的方向性も見えてこない。

 前半の舞台上のキーマンは作曲家です。谷口睦美の作曲家は、よく歌いこんでありましたし、熱演でもありました。作曲家の歌唱を軸にすればそれはそれなりにまとまった舞台になったのだろうと思うのですが、谷口の歌唱はどこか上滑りする感じがあって舞台に十分なじんでいなかった感じがします。あの熱演が音楽の流れに乗りきれていなかったというのが、音楽のベクトルを示しえなかった指揮者の責任のような気がします。

 勿論これは、演出の影響もあるのでしょう。鵜山仁の演出は、プロローグをオペラが始まる前の混沌とした雰囲気をより出そうとして、雑然たる雰囲気を強調したように思います。後半のオペラの部分が比較的簡素ですっきりした演出であったことから、意識的にその対比を作ったのでしょうが、演出の雑然さが音楽の方向性の欠如と合わさったため、聴き手にとって何をしようとしているのかがよく分からなくなっていました。

 後半のオペラの部分においても指揮者の問題等が変わったわけではないのですが、二人のソプラノがきっちりと軸を示したため、仕上がりはそれなりのものになりました。

 まず、幸田浩子のツェルビネッタが素晴らしい。特に例の「偉大なる王女様」。あれだけの難曲ですから全く問題なし、というわけには行かないのですが、流石の名唱です。2002年12月の新国立劇場において歌ったツェルビネッタの印象からすると、表情が柔らかなツェルビネッタだったように思います。この柔らかな表情を出せるようになったのが、幸田のこの5年半の成長なのかもしれません。

 幸田がツェルビネッタの歌唱で一方の軸を示したのに対し、もう一方の軸は佐々木典子がアリアドネの歌唱で示しました。佐々木のアリアドネも完璧ではなかったのですが、非常に立派な歌唱でした。音色の美しさといい、声量の豊穣さといい、アリアドネの存在と悲しみを十二分に表現し、後半は官能的な雰囲気もあって大変結構でした。プリマドンナの貫禄がオペラを支えてしまったなあ、と思いました。

 この軸が決まってしまうと、軸にからむ人たちもずっとわかりやすくなります。高橋淳のバッカスは、発声に力みがあって、もう少しすっきりした表現の方が良いように思いましたが、力強く端正な歌唱は、アリアドネの密度のある歌唱に上手くマッチしておりました。三人のニンフたちの歌唱も結構でした。

 四人の道化の歌唱も楽しめるもので、その衣装、即ち、スカラムッチョの探検家の衣装と動物の着ぐるみであるとか、トルファルディンの水兵服と大きな浮き輪であるとか、プリゲッラのチャップリンのような雰囲気も含めて面白いものでした。

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鑑賞日:2008627

入場料: 5000円 自由席

主催:高橋薫子後援会

高橋薫子リサイタル
ピアノ伴奏:河原忠之

会場 日本大学カザルスホール

プログラム

ヘンデル 歌劇「リナルド」より 私を泣かせてください
歌劇「アルチーナ」より 私の元に帰ってきて下さい
モーツァルト ロンド ニ長調 K485 河原忠之によるピアノ独奏
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」 ぶってよ、マゼット
恋人よ,さあこの薬で(薬屋の歌)
コンサート・アリアK.578 偉大な魂と気高い心は
休憩
ロッシーニ ヴェネツィアの競艇 1.競艇前のアンゾレータ
2.競艇中のアンゾレータ
3.競艇後のアンゾレータ
歌劇「どろぼうかささぎ」より この心は喜びに踊っています
ベッリーニ 歌劇「清教徒」より あの方の優しい声が
アンコール
グノー 歌劇「ロメオとジュリエット」より 私は愛に生きたい
プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」より 私が街を歩けば
草川 信 北原白秋作詞、岩河智子編曲 ゆりかごの歌

感 想

年齢と表現−「高橋薫子リサイタル」を聴く

 昨年2月以来1年4か月ぶりの高橋薫子のリサイタルです。高橋のリサイタルは毎回趣向を凝らしますが、このところ多かったのは、日本歌曲への取り組みでした。前回が山田耕筰、その前が中田喜直。それに対して、今回は、彼女のレパートリーの中核をなすモーツァルトとロッシーニを前面に出したリサイタルです。高橋は、昨年から本年にかけてオペラの出演が多く、今回のリサイタルでは、オペラで歌う、あるいは歌った曲が中心の選曲になりました。

 そのような経験中心のオーソドックスな選曲での歌唱ですから、私にとっては耳なじみの曲が多かったです。そういう中で思うのは、今回は歌い方を従来と比べて変えてきているのではないか、ということです。

 高橋は、ソプラノ・リリコ・レジェーロで軽い表現にその真骨頂がありました。例えば、かつての彼女のゼルリーナは、その軽い表現で田舎娘の純情を表現していたと思います。それに対して、今回のゼルリーナはもっと強い表現でした。情の深い年増の色合いとでも申し上げたら宜しいのでしょうか、表情が深く多彩になっていました。勿論その表現は、娘の軽やかさを犠牲にしたものであり、フロアではその行き方に賛否両論がありました。私はどちらでも良いのではないかと思っています。実際の舞台でどうなるかだけですから。高橋は、新国立劇場の12月公演「ドン・ジョヴァンニ」で、ゼルリーナでの出演が決まっております。そこで、どのような表現をするのか、期待したいと思います。

 さて、ゼルリーナの表現はあくまでも一例で、今回のリサイタルのテーマは深い表現にあったのではないでしょうか。それは、恐らく年齢に伴う声質の変化、ということが関係しているのだろうと思います。例えば「ヴェネツィアの競艇」における表現にそれを感じます。「ヴェネツィアの競艇」は高橋のCD「永遠の愛と誠」にも収録されていますが、今回のリサイタルの表現は、CDで聴ける端正さは若干失われているようにも思いましたが、アンゾレータの心情の刻み方はCDの表現よりもずっと劇的であり、面白く聴けました。

 このような劇的表現への志向は、選曲からも窺えます。前半の最後に歌ったモーツァルトのコンサート・アリアは、オペラでは貴婦人役とあまり縁のない高橋が、貴婦人の心情表現を試みたところに意味があるのではないでしょうか。表情豊かなドラマティックな表現で歌い上げました。

 とはいえ、高橋らしさがより出ていたのは後半の歌唱でしょう。どろぼうかささぎのアリアは、3月に藤原歌劇団による日本初演で私たちを感心させてくれたもの。再度それが聴けてよかったです。ベッリーニの「清教徒」のアリアも難曲です。若干かすれたところもありましたが、高橋的な劇的表現で上手くまとめました。

 アンコールは三曲。まずは「ジュリエットのワルツ」。これまた、以前ほど軽い語り口ではなくなっていました。「ムゼッタのワルツ」。これは、当然のように素晴らしく、「ゆりかごの歌」も大変結構でした。高橋の表現の進化を楽めた一晩でした。

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鑑賞日:2008629
入場料:5670円、B席 2F244

主催:東京フィルハーモニー交響楽団/新国立劇場

オペラ5幕、字幕付原語(フランス語)上演
ドビュッシー作曲「ペレアスとメリザンド」La Traviata)
原作:モーリス・メーテルリンク

会 場 新国立劇場・中劇場

指揮・舞台構成 若杉 弘
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 佐藤 正浩
舞台・照明・音響操作 新国立劇場技術部/シアターコミュニケーション・システムズ/レンズ
舞台監督 大澤 裕

出 演

ペレアス 近藤 政伸
メリザンド 浜田 理恵
ゴロー 星野 淳
アルケル 大塚 博章
ジュヌヴィエーヴ 寺谷 千枝子
イニョルド 國光 ともこ
医師/羊飼い 有川 文雄

感 想 求む!ペレアス-新国立劇場コンサートオペラ「ペレアスとメリザンド」を聴く

 若杉弘が新国立劇場のオペラ芸術監督に就任するとき、若杉の考えるオペラ史上エポックメイキングな作品を5本上げ、これらをオペラ芸術監督の任期中に全てとり上げると言っていました。「ペレアスとメリザンド」をその5本の中の1本に取り上げていたのですが、いろいろな事情があったのでしょう。オペラ劇場の本公演ではなく、コンサートオペラという形式で、中劇場で上演いたしました。

 オーケストラの定期公演などで、オペラの演奏会形式公演はしばしばなされます。その場合は、オーケストラと歌手とが同じ舞台に立って、指揮者の指示のもと演奏をします。このような演奏形態は、演出がないだけ、音楽の本質が強調され、時によっては、舞台上演よりも優れた演奏効果を生むことがあります。それに対して、今回の「ペレアスとメリザンド」は、オーケストラはオーケストラピットで演奏し、歌手は舞台上で歌います。衣装は、男性は燕尾服、女性はドレスであって、オペラの衣装ではなくコンサートの衣装でしたが、舞台中央には大きな箱が置かれ、その周囲に腰掛のようなものや階段が付いています。回り舞台が回転することにより、その箱の各面を見せながら場面転換をします。小道具も最小限、演技もかなり控えめでしたがないわけではなく、コンサート形式というより、オペラとコンサートの中間のような中途半端なものでした。

 私は、あそこまで舞台を作るのであれば、きちんと衣装を用意して、演出も入れて、普通にオペラとして上演すれば良かったのに、と思います。なにも、敢えてコンサート・オペラと銘打って、手の抜いた舞台を見せる必要がどこにあるのでしょう。私は全くないと思います。

 しかしながら音楽全体は、このオペラに賭ける若杉弘の意気込みがはっきり伝わる演奏で、堪能いたしました。若杉弘は、フランス近現代ものもよく演奏いたしますが、ドビュッシーの音は厚いけれどももたれない特性を上手く引き出していたように思いました。東京フィルの音も一部荒っぽくなるところもあったのですが、概ね丁寧で抑制されており、ドビュッシーの音色と雰囲気を表していたように思いました。

 歌手陣では浜田理恵のメリザンドがまず良かったと思います。純粋リリコの声で、落ち着いた歌唱が印象的でした。メリザンドは、ミステリアスな雰囲気のある役柄ですが、浜田は、メリザンドの幻想的な雰囲気が示した上で、しっかりした声で歌いました。密度のある声で、細かいニュアンスの表情が丁寧でした。よく勉強して、きっちりと制御して歌っている印象がありました。フランス語の発音も(私はフランス語を全く知らないので、雰囲気だけですが)いかにもフランス語らしく響きました。第4幕で、ペレアスの「ジュテーム」に対する応答の部分など、素敵だったと思います。

 近藤政伸のペレアス。今ひとつの出来でした。近藤といえば、ここ20年ほど、日本人によって演奏された「ペレアスとメリザンド」では必ずペレアス役を歌うという、ペレアスのスペシャリストのような方で、音楽が身についていることはよく分かります。しかしながら、テノールの声としての全盛期が過ぎていることも紛れもない事実であり、声にはりがなくなってきています。はっきり申し上げて、主役を歌う声ではない。近藤といえば、「ペレアス」を別とすれば、脇役での出演が多く(例えば、「蝶々夫人」のゴロー)、今回、近藤がキャスティングされたのは、ほかに日本人歌手でペレアスを歌える歌手が見つからなかった為ではないかという気がします。したがって、若手テノールに申し上げたい。「求む!ペレアス」と。

 ゴローの星野淳は良かったと思います。星野淳は、私は一時期全く評価していなかったのですが、前回の「黒船」における吉田の歌唱が良く、再度注目するようになりました。本日の歌唱もゴローのペレアスに対する嫉妬の感情、荒ぶる心がよく表現されていて、感心いたしました。「黒船」における吉田のニヒルな雰囲気といい、本日のゴローの心の暗さの表現といい、一時期の不調を完全に脱した感じがあります。

 大塚博章のアルケルは、最終楽章での端正な歌唱が印象的。老王の雰囲気は出せていませんでしたが、端正なバリトンの歌唱はいいものです。寺谷千枝子のジュヌヴィエーヴは、あまり印象深い歌唱ではありませんでした。國光ともこのイニョルドも可愛らしい雰囲気が出ていました。

 結局のところ、ドビュッシーの音楽を楽しむという観点で言えば、十分目的が達成できたのだろうと思います。しかし、繰返しになりますが、あそこまでやっておきながら、オペラとして上演しなかった理由が私にはわかりません。それが一番残念なところです。

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鑑賞日:2008713
入場料:5000円、B席 2F244

平成20年度文化庁芸術創造活動重点支援事業

主催:東京オペラ・プロデュース

東京オペラ・プロデュース 第82回定期公演

オペラ4幕、字幕付原語(フランス語)上演
ビゼー作曲「美しいパースの娘」La Jolie Fille de Perth)
原作:ウォルター・スコット
台本:ヴェルノワ・ドゥ・サン=ジョルジュ&アドニス

会 場 新国立劇場・中劇場

指 揮 松岡 究
管弦楽 東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団
合 唱 東京オペラ・プロデュース合唱団
合唱指揮 伊佐地 邦治
演 出 八木 清市
衣 装 清水 崇子
美 術 土屋 茂昭
照 明 稲垣 良治
舞台監督 佐川 明紀

出 演

キャサリン・グラヴァー 鈴木 慶江
ロマの女王マブ 岩崎由美恵
ヘンリー・スミス 三村 卓也
ロスシー公爵 工藤  博
ラルフ 杉野 正隆
サイモン・グラヴァー 笠井  仁
貴族 西塚  巧
公爵の家令 白井 和之

感 想 美しさがてんこ盛りですが、-東京オペラ・プロデュース「美しいパースの娘」を聴く

 ビゼーといえば、まず「カルメン」です。古今東西のオペラの中でも最も有名な作品の一つだし、演奏回数も極めて多い。これは勿論、音楽としても、ドラマとしても極めてよく出来ているからですよね。しかし、それ以外の作品となるとあまり知られていないようです。オペラも6か7作品あるようですが、「カルメン」以外でそれなりに知られているのは、「真珠とり」ぐらい。今回聴いた「美しいパースの娘」も作品の名前こそ知っておりましたが、これは勿論、第二幕でアンリが歌うセレナードをNHKの「みんなのうた」で「小さな木の実」としてとり上げたからでしょう。

 そんなわけで、日本では演奏機会の少ない作品を取り上げることを特徴にしている東京オペラ・プロデュースが本作品を取り上げると聞いたとき、大変喜んで、早速チケットを購入いたしました。東京オペラ・プロデュースは、前回のワーグナー「妖精」の上演直後、主宰者の松尾洋さんが亡くなられ、今後存続できるのだろうかと一寸心配したのですが、奥様の竹中史子さんが代表を引き継ぎ、活動を引き継ぐことにされたようです。苦難に道だとは思いますが、頑張って続けていただければ嬉しいです。

 それにしても、東京オペラ・プロデュースの定期公演は、そのアットホームな雰囲気が好きです。今回も当日券を売っていた一人は岡戸淳さんでしたし、「松尾洋メモリアル・コンサート」の案内を配っていたのは、羽山晃生ご夫妻でした。出演されないメンバーがお手伝いをする姿はいつものことですが、気持の良いものです。

 しかしながら、作品に関して申し上げれば、私には今ひとつピンと来ませんでした。それは多分、台本が陳腐なことと、音楽の方向性が今ひとつ整理されていないためだと思います。音楽に関して言えば、聴かせどころの突っ込みすぎです。美しいメロディーのてんこ盛りなのですが、それぞれが有機的に繋がってこないので、印象が散漫です。音楽は確かに後期ロマン派の特徴を持っていると思うのですが、終幕は、ドニゼッティの「狂乱オペラ」を彷彿とさせますし、一方でフロトーの「マルタ」みたいな田園劇的な部分もあります。しかし、そのような特徴を徹底していない感じです。終幕では、ヒロインのカトリーヌは恋人に疑いをかけられ、失望のあまり気を失ってしまいます。ここで、ドニゼッティならば、当然狂乱のアリアを用意するはずですが、ビゼーは、ロマンティックなバラードで済ませてしまい、オペラ的な盛り上がりに今ひとつ欠ける感じがしました。

 作品が今ひとつですから、演奏がそこをカヴァーしてほしいところですが、そこもまた、今ひとつでした。皆さん、比較的上手に歌われていますし、松岡究の音楽作りも取り立てて悪いものではないのですが、全体に踏み込みが甘く、曲自身の持つ散漫な印象を集めてくっきりと示す、という所にまで到りませんでした。まだ作品が自分のものに成りきれていない、そういう印象を持ちました。

 主演のカトリーヌ(英語名はキャサリン)を歌った鈴木慶江は、5-6年前に紅白歌合戦やニューイヤーオペラコンサートに出演して鳴り物入りでデビューした方ですが、オペラの舞台で見かけたことは、私は今回が初めてです。全体的にはよく歌われていたと思いますが、役に対する思い入れが今ひとつ感じられず、よそよそしい印象の強い歌唱でした。きっちり歌おうという姿勢が明確で、その意志が歌にも良く現れていたと思うのですが、正確さが先に出すぎてしまって、感情が今ひとつこもらない感じです。

 カトリーヌという役は、元々コロラトゥーラ・ソプラノの役で、本来鈴木慶江に向いている役ではないと思います。例えば、第一楽章のカトリーヌのエールは、高音が多く、音域の広い技巧的なアリアです。鈴木は音程・音量的にはきっちり歌っていたようですが、高音はどうしてもキンキン声になっていましたし、正確に歌うだけで精一杯で余裕は感じられませんでした。後半の叙情的な部分は鈴木の持ち味が出てきて良かったのですが、終幕のバラードもまた歌うだけで精一杯の感じでした。

 アンリ(ヘンリー)を歌った三村卓也も同様。甘い声のレジェーロ・テノールで役柄的にはぴったりの声だと思いました。しかし、三村も役が十分手の内に入っていない感じがしました。例えば、最も有名な「小さな木の実」として知られるセレナード。勿論きっちり歌って上手なのですが、装飾的な部分への踏み込みが今ひとつ恐る恐るなのです。また、三村の歌唱は美しく響く部分はいいのですが、そこに至る繋ぎの部分や前後の部分の処理が今ひとつ甘く、折角の美声を生かしきれていないきらいがありました。

 全体に高い音を大事にしている作品なのでしょう。バリトン役の公爵もバリトンとしては高い音が要求されているようです。第3幕の公爵のカヴァティーナ。工藤博は何とか歌いきっていましたが、相当にアクロバティックな歌で大変そうでした。

 岩崎由美恵のマブ、杉野正隆のラルフ。ともに悪い歌ではありませんでしたが、印象が明確ではありません。笠井仁の父親は、脇役ではありますが、安定した声と表情に富んだ感情表現で、脇役の中では随一の出来だったと思います。

 松岡究の指揮は、オーケストラを良く鳴らしてはいませしたが、テンポのとり方などに取り立てて特徴的なものはなく、詰め込みすぎの作品を処理するために、安全運転で演奏した、という印象です。

 以上を含めて全体的にこなしきれていない印象を持ちました。いつになるか分りませんが、再演すれば、もっとこなれたいい演奏になるのではないか、という気がします。。

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鑑賞日:2008718

入場料: 2000円 自由席

主催:(財)川口総合文化センター

シリーズ リリア"歌の花束" 第一夜〜ベル・カント〜

会場 川口・リリア・催し物広場

出演

お  話:國土 潤一

ソプラノ:針生 美智子

ピアノ :服部 容子

プログラム

モーツァルト ミサ曲ハ短調K.427「大ミサ」より 聖霊によって、童貞なるマリアより生まれ人間となり給い
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」より 酷ですって?〜私に語らないで
ベッリーニ 「3つのアリエッタ」より 熱き願い
歌劇「夢遊病の女」より おお、若し私が唯一度でも〜私はお前がそのように早く萎れるのを見ようとは思わなかった
休憩
ロッシーニ   昔風のアリエッタ
歌劇「セヴィリアの理髪師」より 今の歌声は
ドニゼッティ 歌劇「ランメルモールのルチア」より あたりは沈黙に閉ざされ
優しいささやき

感 想

体調管理の問題−「リリア歌の花束 第一夜〜ベル・カント〜」を聴く

 週末の予定がなくなったことから、コンサートにでも行こうかと思い、スケジュールを確認すると、触手が伸びるコンサートが3つありました。「N響の夏」と林美智子のリサイタル、そして、針生美智子のコンサートです。針生美智子は二期会の本公演や新国立劇場ではお目にかかりませんが、日本オペレッタ協会や東京オペラ・プロデュースにはよく出演する実力派のソプラノ・リリコ・レジェーロです。今まで何度か聴いてまいりましたが、感心させられることの多かった方なので、是非彼女のベル・カント・オペラ・アリアを楽しもうと川口まで出かけました。川口は埼玉県で遠そうですが、新宿から20分で行けますから交通もいいです。

 会場は150人も入れば満員の小さいところで、置いてあるピアノも家庭用のグランド・ピアノでしょう。そういう部屋でプロが本気で歌ったらこれは凄いことになります。期待しておりました。ところが、針生は絶不調でした。解説の國土氏によれば、風邪をひいて全く声が出ない状態だそうです。終演後針生が一言だけ挨拶しましたが、本当に全く声が出ず、よくもまあ、あのコンディションで歌ったな、と思うぐらいでした。

 そんなわけで、個別の歌のことを申し上げても仕方がないでしょう。喉の調子が悪いのが歴然としていて、その中で何とかステージを務めたわけですから、どの歌も問題はあります。しかしながら、そんな中でも針生の実力の片鱗は見せてくれるコンサートだったとはいえるのでしょう。「今の歌声は」とかルチアの「狂乱の場」など、完璧な体調でも結構聴かせるのが大変な曲ですから、そこを調子が悪い中を、何とか歌いきったところは評価すべきでしょう。全体的には高音の強く歌うべきところは、総じてきっちり歌っており、アジリダのタンギングは今ひとつ、弱音による表現は声がかすれることが多く、低音や下降跳躍は結構声が消えたりしていました。

 ただ、代理の歌手が見つからなかったということはあるのでしょうが、あのコンディションで、キャンセルしなかったことを誉めるべきか、といえば何とも難しいところです。歌手は生身の人間ですし、体が楽器ですから、体調不良のことがあるのは仕方がないのですが、ある水準を保てないのであれば、キャンセルするのが筋かな、と思ったり。針生さんには、とにかく養生して早く元に戻ってくれることを期待しましょう。

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鑑賞日:2008730
入場料:13000円、D席 4FR329

小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト\
ロームオペラ劇場

主催:小澤征爾音楽塾/ヴェローザ・ジャパン

オペレッタ3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
ヨハン・シュトラウスU世作曲「こうもり」Die Fledermaus)
台本:カール・ハフナー,リヒャルト・ジュネ

会 場 東京文化会館・大ホール

指 揮 小澤 征爾
管弦楽 小澤征爾音楽塾オーケストラ
合 唱 小澤征爾音楽塾合唱団
合唱指揮 キャサリン・チュウ
演 出 デイヴィッド・ニース
装 置 ヴォルフラム・スカリッキ
衣 装 ティエリー・ボスケ
振 付 マーカス・バグラー
照 明 高沢 立生
ディレクター・オブ・ミュージカル・スタディーズ ピエール・ヴァレー

出 演

ロザリンデ アンドレア・ロスト
ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン ボー・スコウフス
アデーレ アンナ・クリスティ
アルフレート ゴードン・ギーツ
オルロフスキー公 キャサリン・ゴールドナー
ファルケ博士 ロッド・ギルフリー
フランク ジョン・デル・カルロ
ブリント弁護士 ジャン=ポール・フシェクール
イーダ 澤江 衣里
フロッシュ 大浦 みずき

感 想 学芸会とは言わないが、、、、-小澤征爾音楽塾オペラプロジェクト\「こうもり」を聴く

 ある程度以上の名声を得た音楽家にとって、次の世代の音楽家を育てるのは一つの義務なのかもしれません。ノーブリス・オブリージェですね。小澤征爾の師匠でもあったレナード・バーンスタインがその代表の一人。弟子の小澤も、世界の大家に成るに及んで、世界中の有望な若手を集めてオーケストラを作り、育成しようとするわけですね。その考えは勿論大事ですし、また、その結果として、成長する若手音楽家もたくさんいるのだろうということは容易に想像がつきます。また、若手音楽家の育成のためには、100度の練習よりも1度の本公演が有効であることは申し上げるまでもないことで、メンバーを募ったオーケストラでオペラを上演するというのは、とても素晴らしいアイディアだと思います。

 このプロジェクトが始まったのが2000年、本年は2008年ですから9年間経過しています。しかしながら、その間私は一度も聴く機会を持ちませんでした。最大の理由はチケット代が高いこと。確かにオーケストラ以外は一流どころを集めるわけですから、ある程度入場料が高いのは仕方がないことです。しかし、二期会や藤原歌劇団、新国立劇場と比較しても結構良い値段をとります。その値段が妥当なのかどうかよく分からなかったので、自分としては聴こうとはなかなか思えませんでした。

 本年は、知人がチケットを譲ってくださったので、初めて聴きに出かけました。そしてまず思ったのは、これは教育の場ですね。それもオーケストラの教育の場です。小澤征爾音楽塾がまず第一に若手オーケストラメンバーの教育の場として発足したわけですから、この行き方は恐らく100パーセント正しいのでしょう。しかし、教育に軸足があるとき、音楽としての的確性が本当に担保されていると言えるのか。そこが難しいところのように思います。

 私は、「こうもり」という作品は、音楽的にしゃきっとさせて演奏するとき、より引き立つと考えています。小澤も多分同じ考えだと思っているのですが、今回の小澤の演奏は、割とじっくりとした演奏でした。軽妙というよりはしっかりした演奏、というのが本当だと思います。ある在京のオーケストラの楽員が前に言っていたのですが、オケマンは、早いパッセージになると、結構弾かない音が出るらしいです。そういう風に個々には音を省略しながらも、全体としては、きっちりフォルムを作る。これがプロのプロたる所以なわけですが、若い人がそのような手抜きをして良いわけがありません。結局小澤は、やや遅いテンポにして、楽譜の音符を全部弾かせるきっちりとした演奏を志向しました。

 結果として、しゃきっとした音楽には仕上がらなかったと思います。この重さ加減が今回の演奏の中途半端なところを象徴していると思います。

 とは言うものの、歌手陣は頑張ったと思います。総じて演技が巧い。オペレッタは演技の巧さで見せる部分が確実にありますから演技が巧いことは好ましいことです。とはいえ、今回の演技巧者ナンバーワンは、大浦みずきのフロッシュです。クラシックの歌手は、ショービジネスで鍛えた方の演技力には到底かなわないということかもしれません。

 とにかく大浦に関して申し上げれば、声はがらがら声というのかだみ声というのか決してきれいなものではありませんが、登場したときの「ベルサイユのばら」から始まり、宝塚歌劇の男役の魅力をしっかり振りまきました。看守服に着替えてからの演技は、チャップリンを思わせるもので、決して流暢とはいえないドイツ語と日本語とを駆使して、第3幕を大いに盛上げました。大浦のキャスティングは、このプロダクションの大きなプラス要因だと私は思います。

 真っ当なクラシック系歌手で一番良かったのは、ロストのロザリンデ。これは聴きものでした。ロストの声質から申し上げれば、ロザリンデよりアデーレ向きかな、と思っていたのですが、ロザリンデの期待される気品とコミカルな雰囲気とが上手く同居していてそこがまず良い。歌唱も、第二幕のチャルダーシュを初めとしてアリア、重唱ともに良く、全体を引き締めるに有用な働きを示しました。

 アイゼンシュタインのスコウフス。歌唱には特に不満があるわけではないのですが、全般に存在感が乏しい方です。細かい演技なども結構上手なのですが、アイゼンシュタインの持つ助平なところの表現、尊大さを十分表現できていたかといえば、まだ改善の余地はありそうです。

 アデーレ役のクリスティもなかなか立派です。しかしながら、クリスティは、客席を見ないで歌うとき声量が明らかに落ちていたこと、コケティッシュの雰囲気の出し方が一寸上品で、踏み込みが今ひとつ甘いところが残念でした。

 アルフレードのギーツは、もう少し正確な歌唱を期待したいところ、ゴールドナーのオルロフスキー公は、もう少しアンニュイな雰囲気が出ていると更に良いと思いました。フランク・ファルケも悪くなく、オーケストラがもっと手だれの集団であれば、更にいい演奏になっていたのに、と残念に思いました。

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鑑賞日:2008810
入場料:11000円、A席 3L212

主催:プッチーニ生誕150年フェスティバル オペラ「三部作」公演実行委員会/東京労音

オペラ1幕×3、字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「三部作」Il Trittico)

外套Il Tabarro)
原作:ディディエ・ゴールド
台本:ジュゼッペ・アダーミ

修道女アンジェリカSuor Angelica)
台本:ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ

ジャンニ・スキッキGianni Schicchi)
原作:ダンテ「神曲」地獄篇第30歌
台本:ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ

会 場 東京文化会館・大ホール

指 揮 小崎 雅弘
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 歌劇「三部作」合唱団
演 出 粟國 淳
衣 装 加藤 寿子
美 術 横田 あつみ
照 明 稲葉 直人
舞台監督 大仁田 雅彦

出 演

外套

ミケーレ 佐野 正一
ルイージ 井ノ上 了吏
ティンカ 松浦 健
タルバ 黒木 純
ジョルジェッタ 大山 亜紀子
フルゴーラ 清水 華澄
流しの歌うたい 曽我 雄一
恋する女 柴山 陽子
恋する男 澤田 薫
ソプラノの声 大西 ゆか
テノールの声 吉原 教夫

修道女アンジェリカ

アンジェリカ 井ノ上 ひろみ
公爵夫人 岩森 美里
女子修道院長 新宮 由理
ジェノヴィエッファ 森 美代子
修道女 向野 由美子
修道女 大西 ゆか
修道女 丹羽 智子
修道女 柴山 陽子

ジャンニ・スキッキ

ジャンニ・スキッキ 直野 資
ラウレッタ 高橋 薫子
ツィータ 加納 里美
リヌッチョ 樋口 達哉
ゲラルド 阿部 修二
ネッラ 安達 さおり
ベット 志村 文彦
シモーネ 久保田 真澄
マルコ 立花 敏弘
チェスカ 河野 めぐみ
スピネロッチョ/アマンティオ・ディ・ニコラオ 晴 雅彦
ピネリーノ 秋本 健
グッチョ 柴山 秀明
ゲラルディーノ 高木 佑子

感 想 よく分からないけれども、悪くない。-プッチーニ「三部作」を聴く

 プッチーニは、三部作を同時に演奏することを前提に作曲したと思いますが、実際は同時に演奏されることは少ないです。最近では、1995年に東京二期会が、2003年に堺シティオペラが取り上げたぐらい。かくいう私も三部作をまとめて聴いた経験はこれまでなく、今回初めての経験となりました。三部作の中で一番多く演奏されるのは、「ジャンニ・スキッキ」、続いて「アンジェリカ」、一番とり上げられないのが「外套」なのですが、これは、舞台の面白さとか、音楽的魅力とかを考えると当然の順番です。しかし、本来ならば、作曲家の意図を尊重して三部作として上演すべきなのでしょう。

 今回この三部作上演を誰が企画したのかはよく分かりません。実行委員長の元環境庁長官・愛知和男代議士は、プッチーニオペラに親しんできたオペラファンの有志が企画した、と書いています。もしそうであるなら、三部作を切り刻まれて上演されることを潔しとしなかった方がたくさんいるということで、大変結構なことだと思いますし、そのお相伴に与れたこと、大変幸運に思います。

 さて、上演全体の出来ですが、かなり良いものでした。どの部分の取り立てて個性的ではなく、特別に輝く舞台ではなかったと思うのですが、全体的に質が高く、よく考え抜かれた舞台でした。そこなは、まず粟國淳の演出の腕があると思います。端的に申し上げれば、極めてオーソドックスながら、三作の特徴を上手く生かした演出でした。例えば、「ジャンニ・スキッキ」では2005年夏の東京二期会の公演が印象的でした。ヴォーゾの親戚の俗的な上流階級と、ルーズソックスの女子高生のラウレッタとパンクロッカーのリヌッチョ、それに上流階級を手玉に取る労働者階級のジャンニ・スキッキという組み合わせは、物欲に囚われた人間たちを階級的視点で見ようとしており、グルーバーのこの演出に私はその当時感心したのですが、今回の粟國淳のオーソドックスな演出は、この「ジャンニ・スキッキ」という作品に込められているシニカルな笑いが明確になっており、作り過ぎないよさを感じました。

 確かに粟國の演出は、三部作の対比をかなり意識していたと思います。「外套」はそのこてこてのヴェリズモ劇としての特徴を前面に出そうとしていたと思います。セーヌ川の川岸に集う下層階級のイメージが良く描かれておりました。一方、「アンジェリカ」は、アンジェリカと公爵夫人との対決に焦点を当てようとして、その他の要因を敢えて捨て去ろうとした演出のように思いました。通常の「アンジェリカ」の公演では、名前が書かれるオスミーナ、ドルチーナも、修道長、修練長も全て修道女と一つに括られる。実際は夫々の役柄を持って歌っていたのでしょうが、修道服に身を包み、顔面の部分だけが露出した歌手陣では、誰がどのパートを歌っているのかが分らず、自分としては気になりました。しかし、他の部分を切り捨てたことにより、焦点が絞れたことは事実でしょう。

 小崎雅弘の指揮は、非常に素直でケレンの感じないもの。オペラの副指揮者として活動されている方だけあって、全体にスムーズな進行であり、オーケストラも弾きやすいのでしょうね。ミスがあまり目立たなかったと思います。

 三部作夫々で見たとき、一番良くまとまっていたのは、「ジャンニ・スキッキ」でした。これは出演者の顔ぶれを見れば当然ということかもしれません。2005年の二期会公演でもジャンニ・スキッキを歌った直野資、日本一のスーブレット高橋薫子、若手の伸び盛り樋口達哉、と来れば悪くなるはずがありません。そこに、芸達者な安達さおり、久保田真澄、志村文彦、晴雅彦らが絡むのですから、これは抱腹絶倒でした。歌も高橋の「私のお父さん」は予想に違わぬ名唱でしたが、脇役陣の掛け合いのタイミングのよさと息のぴったり合っているところなどは、聞いていて本当に気持が良い。よく作り込まれた舞台のように思えました。

 「ジャンニ・スキッキ」に比べると、「修道女アンジェリカ」の出来は、あまり良いとは思えませんでした。正直申し上げて、井ノ上ひろみにアンジェリカは身丈に合わない重い役だと思います。音程も必ずしも正確ではありませんでしたし、絶叫も迫力はありましたが、美しくありませんでした。岩森美里は冷酷な公爵夫人の雰囲気を良く出していましたが、アンジェリカとの掛け合いの部分は今ひとつしっくり来なかったと思います。それ以外の脇役陣は、主役二人に食われたのか(というより、演出が二人にスポットを当てて、その他の部分を目立たせないようにしていたのですから当然なのでしょうが)、あまり目立ちませんでした。

 「外套」はなかなかの好演。主役のミケーレを歌った佐野正一がよい。後半のルイージを殺し、ジョルジェッタの顔を死体に押し付ける、に至るまでの歌唱は迫力があり、声も良いので、十分聴き応えがありました。ジョルジェッタを歌った大山亜紀子も好演。更には、フルゴーラの清水華澄の歌唱も良かったと思います。そのほか、脇役ですが、流しの歌うたい、曽我雄一の歌も寂寥感があってよかったです。

 今回の上演の芸術監督は井ノ上了吏が勤めましたが、キャスティングは井ノ上の人脈を上手く使ったようです。その結果として、若手と中堅の実力者が集まりました。それが、今回の上演を成功に導いた大きな理由なのでしょう。「アンジェリカ」が相対的には完成度の低い舞台でしたが、全体には、よくまとまった舞台で、一日だけの特別公演に終わらせるのは勿体ないように思いました。

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鑑賞日:200894
入場料:3000円、D席 L4F228

平成20年度文化庁芸術創造活動重点支援事業

主催:(財)日本オペラ振興会/藤原歌劇団

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「椿姫」La Traviata)
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ

会 場 東京文化会館・大ホール

指揮 ジュリアーノ・カレッラ
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合唱 藤原歌劇団合唱部
合唱指揮 及川 貢
演出 ペッペ・デ・トマージ
美術 フェッルッチョ・ヴィラグロッシ
衣裳 ピエール・ルチアーノ・カヴァッロッティ
照明 奥畑 康夫
振付 鈴木 稔
再演演出 馬場 紀雄
舞台監督 村田 健輔

出 演

ヴィオレッタ 出口 正子
アルフレード 小山 陽二郎
ジェルモン 三浦 克次
フローラ 向野 由美子
ガストン子爵 市川 和彦
ドゥフォール男爵 東原 貞彦
ドビニー侯爵 須藤 慎吾
医師グランヴィル 若林 勉
アンニーナ 竹村 佳子
ジュゼッペ 川久保 博史
使者 堀内 士功
フローラの召使い 佐藤 勝司

感 想 ベテランの貫禄-藤原歌劇団「椿姫」を聴く

 「あ、しまった」というのが正直なところです。「椿姫」のチケットを購入してから、同じ日に「ミラマーレ・ムジカ」の「愛の妙薬」が上演されることに気がつきました。「椿姫」はしばしば聴けるオペラであるのに対し、「愛の妙薬」は必ずしも聴けないし。また、高橋薫子のアディーナは本当に当たり役ですから。でもチケットを買ってしまったのだからしょうがありません。「椿姫」楽しみました。

 閑話休題。

 最近20年余りの日本人歌手のヴィオレッタ歌いを代表するのが出口正子です。佐藤しのぶなど、その間ヴィオレッタを何度も歌っているかたはいらっしゃいますが、出口の場合そのほとんどが藤原歌劇団の本公演、というのが凄いです。しかしながら、私は出口のヴィオレッタをこれまで聴いたことがない。毎年のように上演していた藤原の「椿姫」は、正月のお約束のようにほぼ毎回聴いてきたのですが、いつも外人のヴィオレッタを選んでしまい、日本人ヴィオレッタを聴いたことがほとんどありません。今年は出口のヴィオレッタを是非聴きたいとと思い、4日を選びました。

 その出口のヴィオレッタを聴いてまず思うのは、「ベテランの貫禄」ということです。ヴィオレッタという役柄を自分の中に完全に取り込んで消化していることがよく分かる歌唱と演技でした。はっきり申し上げて、技術的な側面は衰えが見えはじめています。声そのものの艶やかさとか張りとかは、10年前或いは20年前の出口とは比較にならないのではないかと思います。しかし、その表情や表現力、細かな一つ一つの動きに込められた雰囲気は、伊達に20年うたい続けて来た訳ではないな、と思わせてくれました。

 出口のよいところは逃げないところです。「ああ、そは彼の人か〜花から花へ」は、現在の出口にとっては少しきついところがある歌だと思うのですが、ヴィヴラートに逃げることなく、すっきりと歌い上げました。最高音などは流石にいっぱいいっぱいの感じでしたが、華やかな雰囲気を上手く保ってまとめました。第二幕、第三幕はより落ち着いた歌唱表現が求められるわけですが、そこはベテラン。細かいニュアンスの表現も含め、描線のしっかり見える歌唱でした。白眉は第3幕の「さようなら、過ぎ去った日々」これは素晴らしい表現でした。

 出口のヴィオレッタと比較すると、小山陽二郎のアルフレードは今ひとつです。基本的に若さあふれるアルフレードでも老成したアルフレードでもなく、中庸な感じで基本的な役作りは悪いものではないと思います。小山の問題は、聞かせどころの前でギアチェンジをしなければならないところです。ギアチェンジをしてテノールの高音を出す、というのは悪いことではないのかもしれませんが、小山の場合、そのチェンジが滑らかではなくギクシャクするので、聴いていてちぐはぐな感じが否めません。もっとトーンを揃えてすっきりと歌ってほしいと思いました。

 三浦克次のジェルモンは気負いすぎだったと思います。初役ということでどうしても気負っていたようです。もっと抑制した表現の方が、ジェルモンらしさが出たのではないかと思います。この作品の白眉とも言うべき、第二幕のヴィオレッタとジェルモンの二重唱は、出口が割と抑えた表現だったのに対し、三浦は激しい表現になっておりました。その結果、ジェルモンの憤りが強く見え、その陰にあるヴィオレッタに対する負い目がはっきりとは見えなかった様に思いました。

 ジェルモンは普通プリモ・バリトンによって歌われ、三浦のようなバス・バリトンが歌う役ではないのですが、逆に三浦のあの渋い声の特徴を生かせれれば、面白いジェルモンになると期待していたのですが、そこは半分当たったのかな、という感じです。

 脇役陣では、向野由美子のフローラが素晴らしく、竹村佳子のアンニーナも何度も歌っている役だけあって良好。それ以外は正直なところ今ひとつの出来だったと思います。特に市川和彦のガストンはもう少し華やかに歌ってほしかったと思います。

 カレッラの指揮は、劇的な表現に拘っていたように思います。出口のヴィオレッタが振れの大きな歌唱でしたから、この劇的な表現はよくマッチしていたのではないでしょうか。

 ペッペ・デ・トマージの舞台は、10年間使われたおなじみのものですが、私は気に入っています。今回また見られたことで、嬉しく思いました。

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鑑賞日:2008912
入場料:5000円、D席 R5F210

平成20年度文化庁芸術創造活動重点支援事業/東京都芸術文化発信助成

主催:(財)東京二期会

叙情的情景全3幕、字幕付原語(ロシア語)上演
チャイコフスキー作曲「エフゲニー・オネーギン」(Eugene Onegin)
台本:コンスタンチン・シロフスキー/ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー

会 場 東京文化会館・大ホール

指揮 アレキサンドル・アニシモフ
管弦楽 東京交響楽団
合唱 二期会合唱団
合唱指揮 森口 真二
演出 ペーター・コンヴィチュニー
美術 ヨハネス・ライアカー
照明 喜多村 貴
舞台監督 幸泉 浩司

大道具・衣装・小道具:スロヴァキア国立ブラチスラヴァ歌劇場

出 演

ラリーナ 与田 朝子
タチアーナ 津山 恵
オルガ 田村 由貴絵
フィリビエーヴナ 村松 桂子
エフゲニー・オネーギン 黒田 博
ウラジーミル・レンスキー 樋口 達哉
グレーミン公爵 佐藤 泰弘
隊長/ザレツキー 畠山 茂
トリケ 五十嵐 修

感 想 外題役が主人公-東京二期会オペラ「エフゲニー・オネーギン」を聴く

 エフゲニー・オネーギンのプーシキンの原作は読んだことがなくて、知っているのはチャイコフスキーのオペラだけですが、巷間言われるように、オネーギンとはどのような人物であるかよく分からない、と思っていました。確かにタイトルロールは、エフゲニー・オネーギンですが、チャイコフスキーの音楽は、タチアーナの心情に即して書かれていて、オネーギンは、タチアーナから見たオネーギンであるわけです。実際に台本もそう書かれているし、チャイコフスキーの音楽だって、タチアーナには例の「手紙のアリア」のような「これぞ聴き所」を与えていますが、オネーギンには結構冷淡です。

 タイトル・ロールなのに扱いが冷淡、ということは、演出でどうにでも料理できる、ということに他なりません。コンヴィチュニーはそこに目をつけたのでしょう。今回の上演は、ニヒリストになりきれない似非ニヒリストの悲劇としてコンヴィチュニーは舞台を作りました。描かれるオネーギン像は、タチアーナの視点から切り離され、中立の突き放された存在として描かれます。もっと申し上げるならば、全てがオネーギンの心象風景なのでしょう。そのような描き方をすることによって、このオペラの主人公は、背伸びをしながらも大人に成りきれない青年、「エフゲニー・オネーギン」であることを示しています。

 演出自身は、コンヴィチュニーとしてはおとなしい方だとは思いますが、前衛的な演出が苦手の聴き手にとっては、十分に刺激的でした。まず、舞台に幕がない。開演前に文化会館の客席に入ると、オーケストラのメンバーはオケ・ピットでチューニングを始めており、舞台上では、ご婦人二人が編み物に精を出し、使用人が床を掃除しています。舞台の中央にはハープが置かれている。そうこうしているうちに指揮者が登場し、演奏が始まったかと思うと、タチアーナとオルガが登場します。劇場の中に入ったら、客といえども舞台の一部である、という主張なのかもしれませんが、何となく落ち着きませんでした。

 舞台はほとんど華やかさを廃したもの。これは、エフゲニーの心象を描いたとすれば当然かもしれません。田舎のお金持ちのラリーナ家もグレーミン公爵のお屋敷も見た目の華やかさは何の意味も持たないという事なのでしょう。1本の白樺の木で象徴される荒涼な風景こそが、エフゲニーの虚無にふさわしい、ということかも知れません。

 このような華やかさのない舞台に対して、アニシモフの作り出す音楽は割合武骨なもの。思い入れを込めたメリハリのある演奏なのですが、突っ込みの鋭いものではなく、どこか一歩引いた様な感じがしました。チャイコフスキーのメロディですから、もっと美しく流麗に演奏するという行き方もあるのでしょうが、ロシアン・ローカルの武骨さを前面に打ち出して、しかしながら激しく追い詰めない距離感が、この暗い舞台によく合っていたように思いました。

 一番印象的だったのは黒田博の外題役。黒田の歌は、第3幕のタチアーナとの再会後に歌われるアリアやタチアーナとの二重唱を通じて、その絶望感を表現するに秀逸。歌に加えて、有名なポロネーズの下で、親友レンスキーを殺してしまった狼狽と後悔、絶望の表現。殊にレンスキーの遺体を抱いて踊る狂気の演技は、鬼気迫るものがあって結構でした。

 タチアーナ役の津山恵もよかったです。手紙の場での恋に恋する乙女の表現は、元々暗い性格のタチアーナの雰囲気で明るい娘心を歌うのですから大変ですが、その一寸じめっとした雰囲気が良かったと思いました。また、娘心の発露である「手紙の場」と、オネーギンと再会した後の公爵夫人としての強さの対比もよく、ラストシーンでのオネーギンとの二重唱は、クライマックスにふさわしい見事なものでした。

 一方、樋口達哉のレンスキーは今ひとつでした。レンスキーは、エフゲニー・オネーギンのような分りにくいキャラクターではないのですから、テノールの美しさをもっと前面に出しても良いのではないでしょうか。有名な「わが青春の日は遠くへ過ぎ去り」は、美的な面よりレンスキーの心情表現に重点を置いていたようですが、結果として樋口の声の張りが失われてしまったとしたならば、それは残念なことです。

 佐藤泰弘のグレーミン公爵のアリアもなかなかの聴きものでした。しかしながら、低音の音程コントロールが今ひとつ甘く、気になりました。

 田村由貴絵のオルガも良好です。田村の声は、割と低めのメゾで、オルガの性格からすれば落ち着き過ぎのようにも思いましたが、全体の演技は結構華やかなところもあり、上手に造型していたと思いました。そのほかの脇役陣も充実していました。

 全体として音楽と舞台とのフィット感、ソリストたちの歌唱、合唱、なかなか素晴らしいものだったと思います。にもかかわらず、十分に納得たという感じがしない。どこかギクシャクしているのです。そこが、普段使用することのないロシア語でオペラを上演する難しさ、ということなのかもしれません。

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