オペラに行って参りました-2009年(その1)

目次

教訓ものの難しさ   2009年01月17日   東京オペラ・プロデュース「じゃじゃ馬ならし」を聴く
バター付のバラフライ   2009年01月21日   新国立劇場「蝶々夫人」を聴く
目指せ、コメディエンヌ   2009年01月27日   B→C バッハからコンテンポラリーへ108 臼木あい」を聴く
オペレッタの真っ当な演奏   2009年01月29日   新国立劇場「こうもり」を聴く
ドラマティック・オペラを日本人が演奏するということ   2009年02月01日   藤原歌劇団創立75周年記念公演「ラ・ジョコンダ」を聴
無機質トラヴィアータ   2009年02月12日   東京二期会オペラ劇場「椿姫」を聴く
鏡花の耽美的世界   2009年02月20日   日本オペラ協会創立50周年記念公演「天守物語」を聴く
日本語で上演することの意味   2009年02月22日   ミラマーレ・オペラ「愛の妙薬」日本語公演を聴く
傑作のバランス   2009年03月13日   新国立劇場オペラ研修所研修公演「カルメル会修道女の対話」を聴く
メルクルとエッティンガーと   2009年03月18日   新国立劇場「ラインの黄金」を聴く

どくたーTのオペラベスト3 2008年へ
オペラに行って参りました2008年その4へ
オペラに行って参りました2008年その3へ
オペラに行って参りました2008年その2へ
オペラに行って参りました2008年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2007年へ
オペラに行って参りました2007年その3ヘ
オペラに行って参りました2007年その2ヘ
オペラに行って参りました2007年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2006年へ
オペラに行って参りました2006年その3へ
オペラに行って参りました2006年その2へ
オペラに行って参りました2006年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2005年へ
オペラに行って参りました2005年その3へ
オペラに行って参りました2005年その2へ
オペラに行って参りました2005年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2004年へ
オペラに行って参りました2004年その3へ
オペラに行って参りました2004年その2へ
オペラに行って参りました2004年その1へ
オペラに行って参りました2003年その3へ
オペラに行って参りました2003年その2へ
オペラに行って参りました2003年その1へ
オペラに行って参りました2002年その3へ
オペラに行って参りました2002年その2へ
オペラに行って参りました2002年その1へ
オペラに行って参りました2001年後半へ
オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

観劇日:2009117
入場料:
B席 6000円 2F 236

平成20年度文化芸術振興費補助金(芸術創造活動重点支援事業)

東京オペラ・プロデュース第83回定期公演

主催:東京オペラ・プロデュース

字幕付原語(ドイツ語)上演
ゲッツ作曲「じゃじゃ馬ならし」
Der Winderspenstigen Zahmung)
原作:ウィリアム・シェイクスピア
台本:ヨセフ・ヴィクトル・ヴィトゥマン 

会場 新国立劇場・中劇場

指 揮 松岡 究
管弦楽 東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団
合 唱 東京オペラ・プロデュース合唱団
合唱指揮 伊佐治 邦治
演 出 馬場 紀雄
美 術 土屋 茂昭/松生ヒロコ
衣 裳 清水 崇子
照 明 稲垣 良治
舞台監督 酒井 健

出演者

カタリーネ 菊地 美奈
ビアンカ 岩崎 由美恵
ルーセンシオ 秋谷 直之
ペトルーキオ 田辺 とおる
ホルテンシオ 杉野 正隆
パプティスタ 佐藤 泰弘
グルーミオ 井上 雅人
家令 青地 英幸
家政婦 萩原 雅子
仕立屋 望月 光貴

 

感 想 教訓ものの難しさ-東京オペラ・プロデュース「じゃじゃ馬ならし」を聴く

 シェイクスピアが西洋文学の一大金字塔であることは良く分っておりますが、ほとんど読むことはなく、私が読んでいるのは、子供のころ、子供向きにリライトされた「ハムレット」、「ロミオとジュリエット」、そして「ヴェニスの商人」だけです。「じゃじゃ馬馴らし」に関して申し上げれば、シェイクスピアにそのような喜劇があることは勿論知っていたのですが、読む機会は全くなく今日に到っております。

 また、この喜劇が19世紀ドイツロマン派の作曲家、ヘルマン・ゲッツによってオペラ化されていることなどつゆ知らず、「欧米では上演されていても日本では見ることの出来ない珍しい名作、埋もれてしまった秀作を上演する」ことをコンセプトに掲げている、東京オペラ・プロデュースがとり上げるというアナウンスを聞いて初めて知りました。ヘルマン・ゲッツは、1840年に生まれ、1876年に36歳の若さで亡くなったドイツの作曲家で、音楽史的にはウィーン古典派からメンデルスゾーン、シューマン、ブラームスと続く穏健なロマン主義の作曲家です。19世紀末のブラームス派とワーグナー派との党派論争ではブラームス派に属し、抒情的で明晰な作品を残した、とWikipediaには記載されています。いくつかの管弦楽曲や室内楽の作品も残しているようですが、私はどの作品もこれまで聴いたことがなく、今回「じゃじゃ馬馴らし」を見ることによって初めて知った作曲家でした。

 「じゃじゃ馬馴らし」は、第二次世界大戦以前は、ドイツの歌劇場の主要なレパートリーのひとつだったそうですが、その後はあまり上演されなくなり現在に到っているそうです。日本では今回の上演が日本初演になるのですが、確かにこの作品を21世紀の視点で見るとき、観客が納得行く形で上演するのは難しいだろうな、というのが正直なところです。「じゃじゃ馬馴らし」とは、大金持ちの「じゃじゃ馬馴らし」ペトルーキオが「じゃじゃ馬」カタリーネを奥さんにし、「じゃじゃ馬」から謙虚な心を持った穏やかな夫人へ調教していく、という物語ですが、その背景にあるキリスト教的倫理観、あるいは19世紀的倫理観は現代の目で見ればどうしたって古臭いものですし、台本には、モーツァルトのオペラ・ブッファに見られる批判性も、ヨハン・シュトラウスに代表されるウィーン・オペレッタの持つ洒脱性も感じにくいところがあり、これをお説教臭くせず21世紀の目で見ても違和感のないように上演するのは至難の業であるように思いました。

 今回の東京オペラ・プロデュースの上演もこのオペラの古さをどのように違和感なく見せるのか、という視点で随分と工夫しているように思いました。例えば、タイトル役のペトルーキオにドイツで性格バリトンとして活躍した田辺とおるをキャスティングしたところなどがまずその第一かもしれません。しかしながらそういった工夫にもかかわらず、作品自身の持つ古さを払拭するには到りませんでした。

 馬場紀雄の演出はこの舞台をシェイクスピアの時代に置き、男尊女卑的な思想に違和感を持たないようにしたものと思われますが、細かい演出は今ひとつ分らなかった、というのが正直なところです。ペトルーキオとの結婚を嫌がっていたカタリーネが結婚せざるを得なくなるところの演出は、正直申し上げて良く分りませんでしたし、「じゃじゃ馬」カタリーネに対して対照的なキャラクターとして描かれているはずのビアンカの位置づけも曖昧でした。全体として喜劇っぽい味付けはされているのですが、物語の鍵となる部分が明確には見えにくい演出だったように思いました。

 松岡究の音楽作りは作曲家の抒情的な側面を丁寧に描こうとしているように聴きましたが、初めて聴く作品なので良く分りません。音楽的には、ワーグナーの指導動機のようなものもあり、こういった場面や人物を決まった音楽で表すというのは、ドイツオペラのひとつのお約束なのだな、とは思いました。作品としての山場は、第4幕のカタリーネが改心して、ペトルーキオを本当に愛していると歌うモノローグの部分(菊地美奈の歌が素敵でした)だと思うのですが、そこを別にすると、舞台の演技と音楽との盛り上がり方が何となくずれている印象でした。そういうことも含めて苦労の分る上演でした。

 歌い手は総じて良好。特に田辺とおる、菊地美奈、佐藤泰弘の3人が良かったと思います。

 田辺は見た目も田夫人ですが、粗野で自信たっぷりの外題役を見事に演じました。歌よりもその粗野な演技が楽しめました。キャラクター・バリトンの面目躍如です。ペトルーキオを演じるには田辺ぐらいの個性の表出がなければ難しいだろうな、と思わせられました。

 菊地も敢闘賞と申し上げるべきでしょう。個別の歌唱は良く、ことに第二幕のカタリーネとペトルーキオの二重唱、そして第4幕のアリア(モノローグ)は大変素敵でした。しかし、演技に関してはやや不満。まずカタリーネはペトルーキオに反発しながらも惹かれて行く様子の表現は今ひとつ明確ではなく、また、最初のじゃじゃ馬ぶりと最後の謙虚な夫人との対比が今ひとつはっきりせず、もっと大げさな演技及び歌唱をしてカリカチュアリズした方が良かったのではないかと思いました。ことに田辺の演技が強烈でしたので、それを上回る存在感があれば尚良いと思いましたが、なかなか難しいところです。

 音楽的に一番魅力だったのが父親役を演じた佐藤泰弘。低音の響きが素晴らしく、流石本格バス、と思いました。また演技のコミカルな様子、お転婆な長女に手を焼いているトホホの様子、ともに雰囲気が出ていて面白く思いました。

 それ以外の方も、杉野正隆のホルテンシオ、井上雅人のグルーミオがなかなか良く、望月光貴の仕立屋も特徴を出していました。岩崎由美恵は立ち位置が曖昧でしたが、歌は悪くなかったと思います。秋谷直之もまあまあでした。

 以上難しい題材にも拘らず皆さん頑張った日本初演でした。ただしコンセプトの煮詰め方が今ひとつ甘かったところは否めず、もっと聴き手が納得できるやり方があったのではないか、と思わずにはいられません。

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観劇日:2009121
入場料:
D席 5670円 4F 236

主催:新国立劇場

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「蝶々夫人」Madama Butterfly)
台本:ルイージ・イッリカ/ジュゼッペ・ジャコーザ

会場 新国立劇場・オペラ劇場

 

指 揮 カルロ・モンタナーロ
管弦楽 東京交響楽団
合唱指揮 三澤 洋史
合 唱 新国立劇場合唱団
演 出 栗山 民也
再演演出 田尾下 哲
美 術 島 次郎
衣 裳 前田 文子
照 明 勝柴 次朗
舞台監督 大澤 裕

出 演

蝶々夫人 カリーネ・ババジャニアン
ピンカートン マッシミリアーノ・ピザピア
シャープレス アレス・イェニス
スズキ 大林 智子
ゴロー 松浦 健
ボンゾ 島村 武男
神官 龍 進一郎
ヤマドリ 工藤 博
ケート 山下 牧子

感 想

バター付のバタフライ-新国立劇場「蝶々夫人」を聴く

 「蝶々夫人」は、主人公が日本人、場所が長崎ということで、日本では特に人気の高いオペラですが、考えてみれば随分変なオペラです。例えば、登場人物が日本人とアメリカ人しかいないのに、歌唱は全てイタリア語。蝶々夫人のメンタリティも日本人が本来持っているメンタリティとは一寸違っていて、所詮はイッリカとジャコーザ、あるいはプッチーニが考えた日本女性です。しかしながら、日本人が主人公ということで、日本では、蝶々夫人役は日本人が受持つのがごく普通。私もこれまで何度か「蝶々夫人」の舞台を見てきているわけですが、日本人がタイトル役を歌わない蝶々夫人は一度も見たことがありません。

 更に申し上げれば、日本人ソプラノが海外で主役を務める時、その第一ロールは蝶々さんです。蝶々さんこそ、三浦環以来、日本人ソプラノの海外デビューの課題曲と申し上げて良いのでしょう。それだけに、日本人ソプラノが「蝶々夫人」を歌うとき、日本らしさを強調します。それは「蝶々夫人」というオペラのエキゾチズムを強調するためには必要なことなのでしょうが、「蝶々夫人」という作品の音楽性を考えると、本当に「日本らしさ」の強調が必要なことなのか結構疑問に感じます。

 というのは今回のババジャニアンの蝶々夫人は、私がこれまで聴いたどの蝶々夫人よりも、蝶々夫人としてはまっていたと思うからです。とにかく感傷的にならない。役に対して特別な思い入れや思い込みが無いようで、音楽的にすっきりしているのです。勿論力量もある方なのでしょう。第一幕のピンカートンとの「愛の二重唱」は脂っ気がたっぷりの歌で、リリコ・スピントの力量が良く分りました。歌に芯があって、オーケストラの大音量に全く負けていませんでした。

 勿論所作は、日本人ソプラノの歌う蝶々夫人と比較してぎこちなさが残ります。しかし、そのぎこちなさは音楽の進行に何ら影響を与えるものではなく、むしろ「蝶々夫人」がイタリア人が想像した日本人を描いているオペラであることを思い出させてくれるのです。

 第二幕もよかった。「ある晴れた日に」は割とそっけない歌だったとは思いますが、思い入れ一杯に歌われるより幾らいいかです。スズキと歌われる「花の二重唱」はスズキの歌も良く、美しいデュエットに仕上がっておりました。また、第二幕後半の歌唱も素晴らしいものがあり、大変感心いたしました。声に力があるので、オーケストラがどんなに大音量でならしても負けることがなく、また声にはバターのような艶があって、余裕をもった歌唱が出来ておりました。

 タイトル役より良かったのはモンタナーロと東京交響楽団のコンビです。指揮者は歌手に遠慮することなく、ガンガンオーケストラを鳴らします。デュナーミクの大きな音楽で、メリハリがあってしっかりしていました。しかしながらテンポがすっきりとしていて重い音楽にはならない。実際は速い演奏をしていたわけではないのですが、ケレン味の出し方が巧妙で締まった音楽になっておりました。音色も含めて大変気に入りました。

 オーケストラが良く、外題役が良いのですから良い演奏なのは当然なのですが、脇役もよい。ピンカートンのピザノアはリリックな声質のテノールですが、結構強い声もあり、「愛の二重唱」では蝶々夫人に負けることはなく、二人の声のぶつかり合いを楽しむことが出来ました。二幕後半の「さらば、愛の家よ」も悪くなかったと思います。また、大林智子の歌うスズキもよかったです。大林は二年前の新国立劇場公演でもスズキを歌われ、そのときも良かったのですが、今回は更によかったのではないでしょうか。第二幕第二場のスズキの歌唱が殊によかったとおもいました。イェニスの歌うシャープレスもなかなかよい歌でした。

 その他の脇役陣は、夫々の役柄で定評のある方々であり、手堅くまとめていたと思います。

 以上、非常に良くまとまった蝶々夫人で、高水準の上演でした。

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鑑賞日:2009127
入場料:自由席 
3000円 

主催:東京オペラシティ文化財団

B→C バッハからコンテンポラリーへ
108  臼木 あい(ソプラノ)

会場 東京オペラシティ・リサイタルホール

共演者

  • ピアノ:山岸茂人
  • クラリネット:齋藤雄介 *
  • プログラム

    J.S.バッハ カンタータ第211番「おしゃべりやめて、お静かに(コーヒーカンタータ)」から ああ、コーヒーは何て美味しいのでしょう
    J.S.バッハ カンタータ第21番「わたしの心は憂いに満ち」から ため息、涙、悩み、苦しみ
    シューベルト 作詞:ルートヴィヒ・ウーラント 春への信仰 D686
    シューベルト 作詞:ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ ひめごと D719
    シューベルト 作詞:フリードリヒ・フォン・シュレーゲル 藪 D646
    シューベルト 作詞:ヴィルヘルム・ミュラー/ヴィルヘルム・フォン・ジェシー 岩の上の羊飼い D965 *
    休憩
    コルンゴルト 作詞:ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ 旅の歌
    コルンゴルト 作詞:ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ 晩祷
    カステルヌオーヴォ=テデスコ 作詞:ハインリヒ・ハイネ ハイネの詩による三つの歌
    山田香 2008、世界初演、臼木あい委嘱作品(作詩:今村佳枝) 千羽鶴の願い
    山田香 2008、世界初演、臼木あい委嘱作品(作詩:今村佳枝) スウィーツ選びは止まらない*
    プーランク 歌劇「ティレシアスの乳房」から いいえ、旦那様
    オッフェンバック 歌劇「ホフマン物語」から 小鳥はあかしでの木に止まり
    アンコール
    プッチーニ 歌劇「ジャンニ・スキッキ」から 私のお父さん
    山田香編曲   ハピー・バースディ to モーツァルト

    感 想

    目指せ、コメディエンヌ-「バッハからコンテンポラリーへ108 臼木あい」を聴く

     今、若手ソプラノとして、リリコ・スピントでは大隅智佳子、レジェーロでは臼木あいがまず最初に指を折られます。臼木は1981年1月26日生まれの28歳なりたてのほやほやですが、NHKニューイヤー・オペラコンサートに3年連続出演するなど、人気・知名度ともに高い。この臼木が、東京オペラシティ文化財団の自主企画「バッハからコンテンポラリーヘ」に出演すると聞いて出かけてまいりました。

     「バッハからコンテンポラリーヘ」は、若手の演奏家に一晩のリサイタルの場を提供する。縛りは、バッハの作品と現代音楽とを必ず入れてプログラムを構成するというもので、毎月1回いろいろな演奏家が出演して実施されています。臼木の登場は第108回目。彼女は、バッハよりもコンテンポラリーに重点を置いたプログラムでこのリサイタルに臨みました。コルンゴルドの歌曲、カステルヌオーヴォ=テデスコの歌曲を聴いたのは私は初めての経験でしたし、プーランクのオペラからの一曲、そして臼木の友人の作曲家による新作披露と一寸楽しい構成。そして、また臼木の魅力も後半の現代ものや委嘱作品で良く示されていたように思います。

     また、ドイツ語で歌詞が書かれた作品をプログラムの前半に据え、日本語の新作と、フランス語の作品を後半に置くというプログラム構成は、臼木のドイツ志向を感じ、一寸驚きでした。臼木の留学先はザルツブルグであり、当然なのでしょうが、私は根拠なくイタリアオペラ志向の方だと思っておりましたので。

     全体的に申し上げれば、若手の伸び盛りのソプラノの魅力をたっぷりと楽しませていただけた、ということになるのでしょう。高音はよく響きますし通る。デュナーミクに対する意識も十分です。ただ、ドイツ語の子音が、特に弱音で歌われるときはっきりしないこと、日本語の歌詞が必ずしも明晰でないこと(日本人のクラシック系の歌手がベルカント唱法で歌うときよく見られる欠点ですが)、強く歌うところでの響きが若干濁ること、歌詞に対する意識が強すぎて(例えばシューベルト)、ケレンが見えすぎる部分があることなどが今後の検討課題なのかな、と思いました。

     ピアノ伴奏の山岸茂人も良好でした。ただ、ピアノの調律に問題があったようで、休憩前はピアノの音が硬くて強く、ソプラノの声とぶつかる部分がありました。休憩中の調律が功を奏したようで、後半の方が音も良かったように思いました。

     最初のバッハの二曲は第二曲目の教会カンタータのほうが良かった。最初のコーヒー・カンタータも悪くはないが、軽く歌いたいという意識はあったようですが、臼木の歌も硬かったし、山岸茂人のピアノも音がこなれていなかったと思います。この2曲、臼木は意識して対照的に歌おうとしたようです。結果として、しっとりとした表現で歌え、高低音のバランスのよかった2曲目が光ります。

     シューベルトのリート4曲は、「春への信仰」の柔らかな表情、「ひめごと」の愛の表情、「藪」におけるロマンティックな表現と劇的な表現の対比など、其々に聴き所があったように思います。ただ、其々の表現が板に付いた感じではなく、どこか慣らし運転的なところがあったのが惜しまれます。しかし、第4曲の「岩の上の羊飼い」は、技巧的な表現とクラリネットとの見事な対話とで、作品の魅力を引き出したと思います。結局のところ、歌詞の内面を抉るより、技巧的華やかさに臼木あいの魅力が詰まっているということなのでしょう。

     コルンゴルドの二曲は、孤独をテーマにした作品。詩のイメージの具現化に苦労したようです。音楽も20世紀音楽のイディオムが用いられており、一方リートの伝統も踏まえているということで、芯が見えにくいと思いました。同じ現代ものでも、カステルヌーヴォ=テデスコの作品は臼木の声にあっているようです。「夏の夜」における高音の響き、「ティーテーブルにて」におけるリズム感覚や歌詞の表現は大変素敵でした。

     山田香の二作品は臼木あいからの委嘱作品ということで、臼木の魅力を引き出すのが目的。1曲目の「千羽鶴の願い」は詩に対する切実感が作詞家、作曲家、歌手のいずれにもないので、抒情的な表現と劇的な表現とがどこか浮ついているように思いました。一方、「スウィーツ選びは止まらない」は、パテシェ姿の斎藤雄介がクラリネットで臼木を誘い、また臼木が舌なめずりしながらケーキを選ぶというもの。こちらは自分たちを含めた現代日本女性の習性が良く分っている若手音楽家たちが楽しんで且つ技巧的に作曲したということなのでしょう。この作品を歌う臼木の姿は、大げさな演技も含めてまさに楽しそうでした。

     プーランクのオペラ・アリアも臼木のコメディエンヌ的素質を良く示した歌唱で良好、オッフェンバックの「オランピア」のアリアは、私のこの曲に対するテンポ感覚と比較すると若干速い感じはしましたが、技術的には優れているものでした。

     アンコールは得意の私のお父さんとバースディ・ソング。このバースディ・ソングは当日がモーツァルトの誕生日ということで、Happy Birthday to Mozartと歌うもの。勿論それだけではなく、間にはモーツァルトの数多くの名曲が挟まれておりました。構成は、「ハピー・バースディ」〜「恋とはどんなものかしら」〜ピアノソナタハ長調K545第一楽章〜「もう飛ぶまいぞこの蝶々」〜「ハピー・バースディ」〜「デスピーナの医師に化けたときのアリア」〜「ハピー・バースディ」〜「おいらは鳥刺し」〜「魔笛に乗って動物たちが踊る場面の音楽」〜「踊れ、喜べ、幸いな魂よ」から「アレルヤ」〜「ハピー・バースディ」という構成で臼木あいの魅力を十分に示すものでした。

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    鑑賞日:2009129

    入場料:D席 3780円 4F 437

    主催:新国立劇場

    オペレッタ3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
    ヨハン・シュトラウス作曲「こうもり」
    原作: アンリ・メイヤック/ルドヴィック・アレヴィ
    台本: カール・ハフナー/リシャルト・ジュネー

    会場 新国立劇場オペラ劇場

    指 揮 アレクサンダー・ジョエル
    管弦楽 東京交響楽団
    合 唱 新国立劇場合唱団
    合唱指揮 三澤 洋史
    バレエ 東京シティ・バレエ団
    演 出 ハインツ・ツェドニク
    再演演出 田尾下 哲
    美術・衣装 オラフ・ツォンベック
    照 明 立田 雄士
    振 付 マリア・ルイーズ・ヤスカ
    舞台監督 斉藤 美穂

    出 演

    ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン ヨハネス・マーティン・クレンツレ
    ロザリンデ ノエミ・ナーデルマン
    フランク ルッペルト・ベルクマン
    オルロフスキー公爵 エリザベート・クールマン
    アルフレード 大槻 孝志
    ファルケ博士 マルクス・ブリュック
    アデーレ オフェリア・サラ
    ブリント博士 大久保 光哉
    フロッシュ フランツ・スラーダ
    イーダ 平井 香織

    感想

    オペレッタの真っ当な演奏-新国立劇場「こうもり」を聴く

     ハインツ・ツェドニクのこの「こうもり」の舞台は、2006年6月のプレミエ。そのときの舞台は、歌手たちに目を奪われました。ヴォルフガング・ブレンデルのアイゼンシュタインが本気で馬鹿をやって見せてくれましたし、レイフェルクスのフランクも良かった。ツィトコーワのオルロフスキー公、中嶋彰子のアデーレ、グスタフソンのロザリンデと魅力的な歌手たちが魅力的な歌を聴かせてくれて大変楽しかった印象が残っています。その代わり、舞台については一寸印象が薄かったようにも思います。確かにパステル画のような舞台ですから。そういう印象を持つのは仕方がないかもしれないと思います。

     しかし、2年半ぶりにこの舞台を見て、オーソドックスでありながら、細かい部分までよく手の入った名舞台だと思いました。ツェドニクはさすがウィーンの歌手ですね。オペレッタが何かということを良くご存知です。そして、見事にツェドニクの意思を示した、再演演出の田尾下哲を誉めるべきでしょう。

     正直申し上げて、今回の出演者は、プレミエ時と比較すると一段落ちると申し上げざるを得ない。歌唱技術的なことを申し上げれば、プレミエの方が上だと思います。しかし、再演ということがあるのだとは思いますが、演出がこなれてきていて、全体として良くまとまった舞台になっていたと申し上げられる。細かいところまでよく作りこまれていて、日本で上演するウィーン・オペレッタという本質的なぎこちなさは残るものの、オペレッタの真っ当な演奏になっていたのではないでしょうか。

     アレクサンダー・ジョエルの音楽作りは比較的柔らかいものだったように思います。その結果として、スピリッツの辛さよりも酔いの心地よさが先に来る様な演奏と申し上げて良いのかもしれません。音楽に簡単に酔える人にとっては、この演奏はなかなか素敵だったのではないでしょうか。しかしながら、音楽に酔っ払うためには、指揮者が相当のスピリッツを用意してくれなければならない私のような聴き手にとっては、もっときっちりと音楽を統率してほしいこと、柔らかさも結構だが、その中にも鋭さをもっと見せてくれても良いのではないか、などとは感じました。

     歌手陣では、まず、アイゼンシュタインを歌ったクレンツレが良かったと思います。前回のブレンデルのようなオーラは感じられませんが、動きはいかにもオペレッタ歌手であり、身のこなしの軽妙さや、俗っぽさ、助平なところ、大変楽しいアイゼンシュタインでした。ナーデルマンの演じるロザリンデは、欲求不満の貴婦人というよりは、シャンパンの泡で盛り上がる恋を楽しむ大姉御的な雰囲気がありました。ロザリンデの一番の聴かせどころであるチャルダーシュはそれほど良いとは思いませんでしたが、全体としては十分存在感がありました。

     サラのアデーレは一寸ミスキャストのように思いました。高音の抜けが悪い。その結果、「侯爵様、貴方のようなお方が」は、さほど華やかな感じがしませんでしたし、第一幕冒頭の登場シーンも、アデーレのコケティッシュな魅力が低減したように思いました。オルロフスキー公を歌ったクールマンは、歌よりも語りに特徴あり。低音のしゃべりで、退屈しているロシアの貴公子というよりは、冷酷でわがままな皇子、という雰囲気が良く出ていました。

     アルフレード役の大槻孝志は軽めの声を上手く使って良好。アルフレードはテノール歌手という役柄で、即ちテノール歌手がテノール歌手を演じるということになります。その相対化をどうするかというのがひとつの見所だと思うのですが、大槻はその相対化を上手く成し遂げていたように思いました。第三幕のフロッシュとのやり取りなどで、その味が出ていたと思います。

     フロッシュといえば、スラーダのフロッシュは面白い。フロッシュの酔っ払いの繰言をどう演じるかを見るのは、「こうもり」というオペレッタを観る醍醐味だと思うのですが、今回のスラーダは、時事的な面白いくすぐりネタは入れないものの、日本の焼酎(本来はスリボヴィッツ)を呑みながら愚痴をこぼすところは、何ともいえないおかしさがありました。

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    観劇日:200921
    入場料:
    D席 5000円 4F 236

    平成20年度文化芸術振興費補助金(芸術創造活動重点支援事業)

    2009都民芸術フェスティバル助成公演

    藤原歌劇団創立75周年記念公演

    主催:(財)日本オペラ振興会/(社)日本演奏連盟

    字幕付原語(イタリア語)上演
    ポンキエッリ作曲「ラ・ジョコンダ」
    La Gioconda)
    台本:アリゴ・ボーイト 

    会場 東京文化会館大ホール

    指 揮 菊池 彦典
    管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
    合 唱 藤原歌劇団合唱部
    合唱指揮 及川 貢
    児童合唱 多摩ファミリーシンガーズ
    児童合唱指導 高山 佳子
    バレエ スターダンサーズ・バレエ団
    演 出 岩田 達宗
    美 術 増田 寿子
    衣 裳 前田 文子
    照 明 沢田 祐二
    振 付 小山 久美
    舞台監督 菅原 多敢弘

    出演者

    ジョコンダ 下原 千恵子
    エンツォ 笛田 博昭
    バルナバ 牧野 正人
    ラウラ 森山 京子
    アルヴィーゼ 党  主税
    チェーカ 二渡 加津子
    ヅアーネ 江原 実
    イゼーポ 狩野 武
    聖歌隊員 小田桐 貴樹
    水先案内人 水野 洋助

     

    感 想 ドラマティック・オペラを日本人が演奏するということ-藤原歌劇団創立75周年記念公演「ラ・ジョコンダ」を聴く

     バレエ音楽「時の踊り」が挿入されているかも知れませんが、「ラ・ジョコンダ」はタイトルだけは有名な作品です。しかしながら演奏される機会は滅多になく、日本でも最初に紹介されたのは1925年第2回カービ歌劇団公演と古いのですが、その後はあまり演奏された様子はなく、最近では、1989年11月の関西歌劇団公演、1999年11月の新星日本交響楽団の演奏会形式公演、2000年のソフィア国立歌劇場来日公演、2003年の首都オペラ公演が多分その全てです(なお、今回の藤原歌劇団公演パンフレットに掲載されている山崎浩太郎氏が書かれたの演奏史の文章は、少なくとも日本の公演に関しては誤っていると思われます)。したがって、私が実演を見るのも今回が初めての体験でした。

     有名な割に上演が少ないのはこれは仕方がない。何せ歌手に対する負担が大きいです。主要な役である、ジョコンダ、エンツォ、バルナバ、ラウラはフォルテやフォルテシモで歌わない部分があるのかしら、と思うほど強い声で歌うことを要求されます。この要求に耐えられる歌手がそう多くないことは想像がつきます。今回の上演も歌手陣は相当苦労されていた様です。

     しかしながら、全体としてみれば骨格のしっかりした演奏と申し上げたら良いでしょう。細かく見ていくと結構気になる部分は多かったのですが、音楽全体としてみた場合、トータルバランスはそれほど悪くはありませんでした。これは指揮者菊池彦典のイタリア・ロマン派オペラに対する親和性が大きく影響しているように思います。菊池の演奏スタイルは情熱的であり、アッチェラランドとリタルダンドを多用して音楽への求心力を高めます。指揮棒が振り下ろされるときのパッションは独特のものがあって、後期イタリアオペラのスペシャリストとして面目躍如です。かつて、「運命の力」や「アンドレア・シェニア」で見せた聴き手を乗せる気分をまた味わうことが出来ました。

     菊池の劇的な音楽構成に歌手たちも果敢にアタックし、自らの限界の部分で歌っていました。結果として問題は多かったのですが、その意気込みは買わなければなりますまい。

     しかしながらソリストに関しては、いろいろな意味で限界を感じてしまいました。まずは下原千恵子のジョコンダに無理があります。下原といえば、10年ほど前歌ったマクベス夫人に非常に感心した覚えがあるのですが、一昨年に聴いたサントゥツァではドラマティックな歌唱に衰えが見えておりました。そして今回はそのドラマティックな表現の衰えを更に感じずにはいられませんでした。とにかく強く歌うと、ヴィヴラートの振幅が広がるのです。これは生理的には当然なことで、目一杯歌えばそうなるのは仕方がない。したがって、力のある歌手は少し力をセーブしたところに目標を置いて、声を制御するのだと思います。今回の下原は、そういったセーブを全く行わず、自分の限界のところで歌われたのでしょう。結果としてジョコンダの力強さは表現されましたが、音楽としての正確さや端正さといった点は相当にスポイルされておりました。第4幕の「自殺」のアリアはなかなかの名唱であったと思いますが、逆に申し上げれば、それ以外の部分は今ひとつ納得行きませんでした。

     笛田博昭のエンツォは若さゆえ空回りしたようです。歌唱全体に力みがあり、折角の美声が響かないのです。常に無理やり押していらぬ摩擦を発生させている、という感じがいたしました。何もあそこまで頑張らずに、もう少しすっきりと歌うやり方もあったと思うのですが、頑張って玉砕したというところでしょうか。エンツォ最大の聴かせどころ「空と海」は、曲の持つ叙情性と声量とのバランスがとりにくかったようで、叙情的な側面よりも劇的な部分に重心が置かれておりました。

     反対に良かったのはまず牧野正人のバルナバ。牧野もかなり劇性の強い表現で悪役の臭みを表現しておりましたが、自分の実力ぎりぎりのところでの歌唱は行わなかったということなのでしょう。コントロールされていた歌唱で良かったと思います。特に第一幕のモノローグと悪役そのものの動きは、さすがベテランと思えるものでした。

     同じように舞台経験の豊富さを見せたのが森山京子のラウラです。要所要所で存在感を示しました。やはり白眉は第二幕のロマンスからジョコンダとの二重唱でしょう。ロマンスにおいては抑制した表現で良かったと思いますし、その後のジョコンダとの二重唱も、ジョコンダが興奮気味の歌唱で、揺れ動く心を表現したのに対し、ラウラは内に秘めた情熱を表しながらも歌唱自体は端正でまとまっており、破綻気味のジョコンダの歌唱と好対照であったように思います。

     党主税のアルヴィーゼは、主役級の捨て身の歌唱と比較すればおとなしいもの。アリア「彼女は死なねばならぬ」は、もっと怒りの感情を歌唱に込めても宜しいと思うのですが、今ひとつ中途半端な感じでした。本来は党ぐらいの歌唱で宜しいのでしょうが、他がもっと劇的な表現をしているので物足りなく思ってしまいます。

     二渡加津子のチェーカも悪くないと思いました。盲目の老女ですが、そういう役回りだけあって、劇的な表現を強く求められない。それが功を奏したのでしょう。なかなか味のある歌唱を利かせてくれました。

     岩田達宗の演出は、物語の舞台のベネツィアを意識した写実的なもの。なかなかシックで、オーソドックスな演出を好むどくたーTには好感度の高い演出でした。結局のところ、本舞台は主役二人、ソプラノ/テノールの限界ぎりぎりの歌唱を脇役陣やオーケストラが支えた舞台でした。その支えが良かったため大きな破綻もなく演奏できた、ということなのでしょう。 

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    観劇日:2009212
    入場料:
    D席 5000円 4F R319

    平成20年度文化芸術振興費補助金(芸術創造活動重点支援事業)

    2009都民芸術フェスティバル助成公演

    東京二期会オペラ劇場公演

    主催:(財)東京二期会/(社)日本演奏連盟

    オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
    ヴェルディ作曲「椿姫」La Traviata)
    台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ

    会 場 東京文化会館大ホール

     

    指揮 アントネッロ・アッレマンディ
    管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
    合唱 二期会合唱団
    合唱指揮 佐藤 宏
    演出 宮本 亜門
    装置 松井 るみ
    衣裳 朝月真次郎
    照明 沢田 祐二
    振付 上島 雪夫
    舞台監督 大仁田雅彦

    出 演

    ヴィオレッタ 澤畑 恵美
    アルフレード 樋口 達哉
    ジェルモン 小森 輝彦
    フローラ 小林 由佳
    ガストン子爵 小原 啓楼
    ドゥフォール男爵 鹿又 透
    ドビニー侯爵 村林 徹也
    医師グランヴィル 鹿野 由之
    アンニーナ 与田 朝子
    ジュゼッペ 飯田 康弘
    仲介人 金  努

    感 想 無機質トラヴィアータ-東京二期会オペラ劇場「椿姫」を聴く

     宮本亜門が舞台に登場すると、会場から一斉のブーイング。私も長いことオペラを見ておりますが、演出にこれだけ一致したブーイングを浴びせかけた上演は一寸記憶にありません。宮本亜門といえば、2004年二期会「ドン・ジョヴァンニ」の演出が賛否両論で話題が沸騰しましたが、あのときの東京文化会館は宮本の演出を評価する人とそうでない人が半々ぐらいだったように思いますが、本日は会場の多くを敵にまわした感じです。ちなみに私は、今回の演出を支持はしませんが、「椿姫」の演出としては「あり」かな、と思います。そういう私の立場から申し上げれば、あのブーイングは演出家に一寸気の毒です。

     とは言うものの、宮本の演出はかなり特徴的なものであったことは疑いありません。彼の演出の趣旨は、
    @「ラ・トラヴィアータ」というオペラの情緒的側面をそぎ落とそうとしたこと。
    A「ラ・トラヴィアータ」が「プリマ・ドンナ・オペラ」であることを徹底して追求しようとしたこと、
    の2点が挙げられそうです。あるいは、彼は今回の舞台をヴィオレッタの心象風景として描きたかったのかも知れません。

     まず舞台は、横倒しにした三角錐のような形をしています。舞台に向って右側が三角錐の底面で、そこについているドアから人の出入りが可能です。三角形の舞台には、石の机のようなものが置かれています。そこがベッドになったり机になったりします。舞台の奥の壁や天井は、ひし形のような幾何学模様で、全体は無彩色のトーンです。そのため、無機的な印象が強い。その上、登場する合唱メンバーは黒いドレスに顔を黒塗りにして出てきます。役柄の名前のあるソリストたちは、顔こそ黒く塗られていませんが、タキシードも燕尾服も着ることのない夜会に出席するには場違いな衣装で登場します。ヴィオレッタのドレスもローブ・デコルテではなく、片袖でくるぶしが見える程度のすそ丈のワンピース。色もヴィオレッタこと赤色を与えられていますが、他の登場人物は全て地味な色です。アルフレードの衣装はいつも学生か田舎のアンちゃんを髣髴させるものです。

     結局のところ、「ラ・トラヴィアータ」というオペラの時代背景と華やかな側面を徹底して排除し、そこに残された純愛をしっかりと描きたいという気持、そして、この作品の主人公はヴィオレッタ・ヴァレリーであって、そのほかの登場人物はたとえアルフレードであっても、ヴィオレッタの引き立て役に過ぎない、ということを宮本は主張したかったのでしょう。その趣旨は分るのですが、結果として暗く、無機的な印象の強い舞台となりました。

     アッレマンディの音楽作りもこの舞台に良く似合ったストレートなもの。曲線もぼかしもない。とにかく速いテンポでぐいぐい引っ張っていきます。ためを効かせることはほとんどなく、無駄を極端に省いた音楽作りでした。私は基本的に、スピード感のある颯爽とした音楽が好きな人間ですが、そんな私をしても一寸速すぎるのではないかしら、と思わずにはいられないほどでした。その結果として音楽的にも無機的印象が強く、視覚的にも音楽的にも無機質な印象の強い舞台になりました。

     しかし、歌手はこのスピードに乗っていきました。ヒロイン・ヴィオレッタを歌った澤畑恵美がその典型と申し上げて良いでしょう。澤畑の歌は筋肉質でストレートなもの。柔らかさはありませんでしたが、フィジカルな強さを感じさせるものでした。澤畑恵美は、2002年の二期会公演でもヴィオレッタを歌いましたが、そのときよりも更に筋肉質になった感じです。したがってその筋肉質な部分をどう見るかなのでしょう。私はもう少し脂肪の多い柔らかさがある方が好みですが、この無機的な舞台、無機的な演奏からすれば、彼女の歌はまさに嵌っていたと申し上げるべきなのでしょう。

     このフィジカルな強さとスピード感に対し、樋口達哉のアルフレードはかなりついて行ったと思います。音程がやや不正確だった部分はありますが、持ち前の美声を大きく崩すことはなく、アッレマンディのスピードや澤畑のスピードについていたと思います。十分魅力的なアルフレードでした。

     しかし、小森輝彦のジェルモンはいけません。とにかくこのスピード感覚に合わない。一人だけヴィヴラート過剰の歌を歌って見せるわけですから。しかし、私は小森の気持は良く分ります。椿姫の第二幕第一場は、ジェルモンとヴィオレッタの二重唱がその山場になります。そこでは、通常ならば感傷的なヴィオレッタとそのヴィオレッタに心を動かされながらも冷たさを表すジェルモンがいてこそ盛り上がるのです。情感を抑えたヴィオレッタと情感過剰なジェルモンではお話にならない。非常にちぐはぐさを感じました。

     とにかく無機的な印象を推し進めるのであれば、アルフレードやジェルモンにもその意図を徹底させるべきだったでしょう。しかし、こういった無機的な演奏を歌手たちが喜んでするとは私には思えません。事実澤畑ヴィオレッタも、「さよなら、過ぎ去った日々」では感情たっぷりに歌いました。しかしながら、今回の演出の中で、そうする必然性はよく分からなかったし、また、その歌唱も妙に感情過多であったと思います。

     以上、演出家の意図は徹底されていなかったようにも思いますが、十分特徴的な舞台になりました。「ラ・トラヴィアータ」のひとつの極北とも言うべき舞台でした。

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    観劇日:2009220
    入場料:
    D席 4000円 3F 536

    平成20年度文化芸術振興費補助金(芸術創造活動重点支援事業)

    日本オペラ協会創立50周年記念公演
    日本オペラシリーズ
    No.69
    総監督:大賀 寛

    主催:(財)日本オペラ振興会

    オペラ1幕、字幕付原語(日本語)上演
    水野修孝作曲「天守物語」
    原作:泉鏡花
    台本:
    金窪周作 補作:まえだ純

    会 場 Bunkamuraオーチャードホール

     

    指揮 星出 豊 
    管弦楽 フィルハーモニア東京
    合唱 日本オペラ協会合唱団
    合唱指揮 山舘 冬樹
    児童合唱 多摩ファミリーシンガーズ
    児童合唱指導 高山 佳子
    演出・美術 栗山 昌良
    装置 鈴木 俊朗
    衣裳 緒方 規矩子
    照明 服部 基
    振付 藤間 藤三郎
    舞台監督 菅原 多敢弘

    出 演

    天守夫人 富姫 腰越 満美
    姫川図書之助 柴山 昌宣
    猪苗代亀の城 亀姫 斉田 正子
    奥女中 薄 須永 尚子
    朱の盤坊 泉  良平
    舌長姥 安念 千重子
    侍女 女郎花 和泉 聰子
    侍女 萩 菅家 奈津子
    侍女 葛 鈴村 鮎子
    侍女 撫子 府川 直子
    侍女 桔梗 小林 悦子
    山隈 九平 清水 良一
    小田原 修理 佐藤 光政
    姫路城主 武田播磨守 鴨川 太郎
    近江之丞桃六 大賀 寛

    感 想 鏡花の耽美的世界-日本オペラ協会50周年記念公演「天守物語」を聴く

     日本で創作オペラがどれくらい作られたかは実はよく分りません。一説に拠れば500とも600とも言われています。その多くは一回きりの上演で姿を消し、再演されることはほとんどありませんが、例外的に再演が何度も行われている作品があります。代表的なものは團伊玖磨の「夕鶴」ですが、その次に位置する作品として「天守物語」があります。勿論上演回数から言えば、オペラシアターこんにゃく座のレパートリー作品には遠く及びませんが、新国立劇場と日本オペラ協会の双方で上演されている作品はまだ「夕鶴」と「黒船」そして「天守物語」しかない事実(本年6月には新国立劇場で「修善寺物語」がとり上げられるので、これからは少しずつ増えていくのでしょう)や、既に名古屋初演、関西初演が済んでいることを踏まえると、日本オペラの代表作と呼んで差し支えないでしょう。

     とは言うものの、私がこの作品を聴くのは初めての経験です。日本オペラを代表するといいながらも、初演以来上演されたのは15回に過ぎず、今回が16,17回目の上演だからです。初めて耳にした感想は、率直に申し上げれば、これがオペラなの?というものです。確かに二管12型編成64人のオーケストラがオーケストラ・ピットに入り、日本的音色に特徴のある分厚い音を響かせます。しかし、歌手たちは台詞を話すように歌い、歌唱的な盛り上がりで舞台が盛り上がることは全くありません。感覚的にはオーケストラ伴奏つき舞台劇と申し上げた方が宜しいと思います。とにかく歌らしい歌は、児童合唱で歌われる「かごめ、かごめ」の断片ぐらいでしょうか。

     あとはほとんどレシタティーヴォと申し上げて良いわけですが、西洋オペラで歌われるレシタティーヴォというよりは、歌舞伎や能のような発声。一定の音程で明瞭に日本語を話すように歌うと申し上げれば良いのでしょうか。そういう意味では普通の舞台劇に近い感じです。しかしながらオーケストラが面白い。日本音楽的音色を響かせながらも不協和音の出方やオーケストラの厚みを楽しむと、これはまごうことなき現代音楽ですし、ヴォーカリーズ的に使用される合唱を含めた音色はなかなか魅力的であると思いました。

     歌唱が華やかでない割には楽しむことができたのは、水野修孝の魅力的なオーケストレーションとこの音楽を自分の手のものとしている星出豊の指揮にあるのだろうと思います。

     演出は初演以外の全ての公演の演出を務めた栗山昌良のもの。日本的な舞台を作らせると流石にきれいだと思います。変化(へんげ)の世界と人間の世界の分かれ目が姫路城の第五層ということなのでしょうが、比較的暗い舞台を作り出して、泉鏡花の耽美的世界を上手く表現していたように思います。また振付がいかにも日本風であり、歌手たちの動きも日本的柔らかさとたおやかさを感じられて宜しかったのではないかと思います。

     作品は前半が富姫と亀姫の同性愛的雰囲気が濃い交流であり、後半は変化である富姫と人間の男・姫川図書之助との交情です。前半は完全に変化の世界で、朱の盤坊や舌長姥といった道化的役割のキャラクターも登場し、華やかな雰囲気ですが、後半は富姫と図書之助の間の生と死に掛かる感情のやり取りになり、ドラマ的には緊迫していきます。

     この緊迫感を腰越満美と柴山昌宣のコンビは上手に盛り上げて行きました。どちらもよく声が通り、日本語もほぼ明確で宜しかったと思います。前半の登場人物では、斉田正子の亀姫が妖美な雰囲気で、変化の特徴を出していたと思いますし、泉良平の朱の盤坊、安念千重子の舌長姥も楽しく聞きました。

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    観劇日:2009222
    入場料:
    B席 4000円 ぬ列29番 

    ミラマーレ・オペラ2009年公演

    主催:NPO法人ミラマーレ・オペラ

    オペラ2幕、日本語訳詞上演
    ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」L'elisir d'amore)
    台本:フェリーチェ・ロマーニ
    日本語訳詞:宮本益光

    会 場 多摩市民館大ホール

     

    指揮 樋本 英一
    管弦楽 東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団
    合唱 ミラマーレ・ヴィルトゥオーゾ合唱団
    合唱指揮 河原 哲也
    演出 馬場 紀雄
    美術原案 荒田 良
    衣裳 前岡 直子
    照明 成瀬 一裕
    音響 関口 嘉顕
    舞台監督 徳山 弘毅

    出 演

    アディーナ 宮本 彩音
    ネモリーノ 渡邉 公威
    ベルコーレ 宮本 益光
    ドゥルカマーラ 大澤 恒夫
    ジャンネッタ 神田 さやか

    感 想 日本語で上演することの意味-ミラマーレ・オペラ「愛の妙薬」日本語上演を聴く

     端的に申し上げれば、「当り」の公演でした。

     多摩市民館という登戸にある川崎市の公会堂で行われた公演で、チケットぴあでチケットを購入したとき、会場の座席図がなかったほどのマイナーな会場です。最大で900人ほど収容できるそうですが、今回は前列の椅子を外してオーケストラ・ピットを設けているので、多分800席ぐらいしかないはずです。それだけの空間ですので、特別広いわけではありません。舞台だって普通の市民会館の舞台の広さ。しかし、その空間にちゃんとしたオーケストラと歌手陣が揃うとどうなるか。無理をしなくても十分響きますので、夫々がよくコントロールできます。結果としてなかなか魅力ある公演になったものと思います。

     特に良かったのは、樋本英一の指揮。きびきびした推進力のある指揮で、音楽をぐいぐい引っ張って行きます。と言って、無理に急がせることなく適当にコントロールされたスピードでした。また、東京ユニバーサル・フィルも東京オペラプロデュースの公演でおなじみのオーケストラですが、こんな良い音持っていたかしら、と思うほどの音。軽く推進力があって、沸き立つ雰囲気がある。「愛の妙薬」は、こういう風に演奏してほしいな、と思うように演奏してくれました。

     合唱も力があります。ミラマーレ・オペラの代表、松山郁雄(いくお)が自分の人脈からソリストとしての活動もしている人たちを選んであるようで、私もソロを聴いたことのある、渡邉麻衣や杣友恵子といった人がメンバーに入っておりました。それだけに、ソリストやオーケストラに負けないような合唱になっていたと思います。また、演出もお金がないことがよく分る、非常に簡素な舞台でしたが、「愛の妙薬」の筋を理解するには十分なものでした。

     歌手陣も上々。まずアディーナ役の宮本彩音が聴かせてくれました。高音が軽くピシッと響くところが魅力です。声が若々しく、逃げのない歌がアディーナの一寸意地っ張りな性格を浮かび上がらせて魅力的でした。特に第二幕のドゥルカマーラとの二重唱及びフィナーレの歌唱が結構だったと思います。レジェーロ・ソプラノの魅力を堪能できました。

     ネモリーノの渡邉公威も予想以上の出来。渡邉はもう少し重いテノールだという印象があったのですが、しっかり軽い声を作ってまいりました。ネモリーノの登場のアリア「なんて、可愛く美しいんだろう」を聴き、田舎の純情青年の雰囲気がよく出ておりました。そのほか、酔っ払って歌う「ラ、ラ、ラ」など結構魅力的な歌でした。ただ、一番の聴かせどころである「人知れぬ涙」は緊張したのでしょうか、それまでの声の伸びが途切れた感じで残念でした。

     宮本益光のベルコーレは、宮本自身が台本を作っただけあって、非常に魅力のある人物造型。人を食った、ある意味いい加減なベルコーレを楽しそうに演じていました。多分、本日の舞台で一番目立っていたと思います。神田さやかのジャンネッタも、早く良い男を捕まえたいオーラがよく出ていて好演でした。

     主要四役の中で一番頑張ってほしいと思ったのが大澤恒夫のドゥルカマーラです。大澤もそれなりには歌っていたと思いますが、バッソ・ブッフォのもつ存在するだけでおかしい、というレベルでは勿論ありませんし、そこまでは要求しないまでも、もう少し懐の深いドゥルカマーラであってほしいとは思います。ドゥルカマーラの役に欲しい人を食ったインチキな雰囲気がどうしても乏しいのです。若いから仕方がないのかも知れませんが、その辺の改善を期待したいところです。

     ということで音楽的には楽しむことのできた公演でしたが、勿論問題もあります。その最大のポイントは日本語で上演したことでしょう。

     1986年2月、藤原歌劇団が「仮面舞踏会」の公演で字幕付き原語上演という方式を編み出すまで、日本人が出演するオペラは日本語訳詞で上演するのがほぼ常識でした。その中には、中山悌一や宗近昭、粟國安彦といった先人たちが苦心の末作り出した、決定版とでも言うべき翻訳台本がありました。しかしながら、字幕投影技術が一般化すると、外国語のオペラを原語上演するのは当然になりました。これは、幾ら翻訳台本が決定版とはいえ、ベルカント唱法にはどうしても日本語が乗り難く、聴いていて意味がすっきりと分るようにはなかなかならない、ということが関係していると思います。それには音節学とも言うべき音楽と日本語との関係が十分に研究されていなかったことも関係します。

     宮本益光は東京藝術大学の大学院で、論文「オペラの日本語訳詞、その方法論」で、学術(音楽)博士号を取得し、オペラの翻訳をライフワークにされているので、従来の訳詞の欠点を改良した新しい日本語訳を提案してきました。今回の「愛の妙薬」の翻訳も音楽と日本語との接点をかなり考慮されていたようです。おかげで、低音男声系の歌詞はかなり聞きやすかったと思います。しかしながら合唱は歌詞が濁って何を言っているのか聞き取りにくかったですし、アディーナもアジリタで歌うような部分は何を言っているのか曖昧な部分が多かったです。また、違った歌詞を二人か三人で歌う時は、お互いの歌詞がぶつかり合って結果的に何を言っているのか分らなかった部分もありました。今回の訳では、原語上演にまだまだ分があります。そういう意味で、今回の台本はまだ完成版と言うには程遠いと申し上げましょう。

     ベルカント唱法で歌われるイタリア・オペラと日本語の接点が何処にあるのか私にはわからないのですが、もっと改善の余地があるのであれば、次回に期待したいところです。

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    観劇日:2009313
    入場料:
    B席 2700円 2F339番 

    新国立劇場オペラ研修所公演

    主催:新国立劇場

    オペラ3幕、字幕付原語(フランス語)上演
    プーランク作曲「カルメル会修道女の対話」Dialogues des Carmelites)
    台本:ジョルジュ・ベルナノス

    会 場 新国立劇場・中劇場

    制 作 新国立劇場オペラ研修所

     

    指揮 ジェローム・カルタンバック
    管弦楽 東京ニューシティ管弦楽団
    合唱 特別編成の合唱団
         
    演出 ロベール・フォルチューヌ
    美術 クリストフ・ヴァロー
    照明 八木 麻紀
    舞台監督 金坂 淳台
    ヘッドコーチ ブライアン・マスダ

    出 演

    ド・ラ・フォルス侯爵 駒田 敏章
    ブランシュ・ド・ラ・フォルス 上田 純子
    騎士 城 宏憲
    マダム・ド・クロワッシー 小林 紗季子
    マダム・リドワーヌ 中村 真紀
    マザー・マリー 堀 万里絵
    コンスタンス修道女 鷲尾 麻衣
    マザー・ジャンヌ 茂垣 裕子
    マチルド修道女 東田 枝穂子
    司祭 糸賀 修平
    第1の人民委員 村上 公太
    第2の人民委員 駒田 敏章
    看守 近藤 圭
    ティエリー(従僕) 能勢 健司
    ジャヴリノ(医師) 能勢 健司
    役人 駒田 敏章
    修道女たち 岩田 千里
      川合 ひとみ
      工藤 あかね
      立花 正子
      富岡 明子
      原山 桃子
      前嶋 のぞみ
      安田 麻佑子
      山川 知美
      湯浅 桃子
      吉田 静

    感 想 傑作のバランス-新国立劇場オペラ研修所公演「カルメル会修道女の対話」

     西洋史に疎く、更に申し上げれば、ヨーロッパにおけるキリスト教の位置づけとか修道院の意味合いというものが今ひとつピンと来ません。フランス革命はルイ16世の処刑、ロベスピエールの恐怖政治を経て、ナポレオンに至るぐらいの知識はありますが、実際のところはよく分らないしあまり興味もありません。「カルメル会修道女の対話」の元となる事件は、フランス革命中のジャコバン党の恐怖政治の中、コンピエーヌ修道院の16人の修道女が、教会と修道生活及びキリスト教への崇敬のみを宣言したために死刑に処され、断頭台で殉教したという事件だそうですが、革命の混乱の中、政治的にも宗教的にも野心があったとは思えない修道女が混乱に巻き込まれて命を奪われるというのは、何とも切ないお話です。

     プーランクは、同じフランス人として、あるいは敬虔なカソリック教徒としてこの題材をとり上げたものと思いますが、その音楽には教会音楽的静謐さと革命の混乱を象徴するような激しさを共存させ、一方で、オペラティックな声の処理もあってそのバランスが絶妙です。名作の名に恥じない作品だと思います。しかしながら、日本では取り上げられる機会が少なく、これまで本格的な上演は、名古屋二期会、松本における斎藤記念フェスティバル、北海道二期会、そして大阪いずみホールにおける公演の4回があるだけで、東京でオリジナルの公演が持たれたのは初めてのことです。

     その本格的な東京公演が新国立劇場のオペラ研修所によって行われるのはカルタンバックがオペラ研修所の指導員の一員として参画したことが大きいのでしょうが、もうひとつは、この作品がアンサンブルオペラの側面が大きいことも上げられるのかもしれません。そういえば、この作品の日本初演は、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部の終了公演でありました。それにしても遂に東京でも本格的上演が見られた、ということは大変素敵なことです。

     その上演の水準が決して悪くなかったことも嬉しいことであります。特にフォルチーヌの演出とヴァローの舞台美術は簡素ではありますが、物語を理解するには十分なものであり、かつその演出が本来このオペラの持つ陰惨さを強調することなく、といってその陰惨さを無視することもない演出で良かったと思いました。このドラマのクライマックスは、勿論16人の修道女が聖歌の歌われる中、一人一人断頭台の露と消えていくところにあるわけですが、今回のフォルチーヌの演出は、何もない舞台の上で、修道女たちが一人ずつ倒れていくというものでした。断頭台を見せられるリアリティはありませんが、その清々しさこそ、修道女たちの神やキリスト教のみへの敬愛を示しているようで良かったと思います。

     ただ演出面で、ひとつ注文するならば、1,2幕を連続で演奏するのは一寸長すぎます。1時間45分を決して明るいとはいえない音楽の中に身を任せるのは一寸つらいところがありました。

     演出・演技と比較すると、音楽面は今ひとつ。まず東京ニューシティ管弦楽団の技量が今ひとつ乏しい。特に金管楽器。フルートやオーボエはところどころハッとするような美しさがあるのですが、全般的に見れば音楽に滑らかさが今ひとつ不足していて、折角のプーランクの静謐さを十分に表現できなかった嫌いがあります。更に音楽の余韻ももう少し感じさせて欲しかった。このオペラは3幕17場と場面転換の多い作品で、転換ごとに暗転します。その転換のたびに音楽が止まるのですが、十分な余裕のある音楽ではないためか、ブツ、ブツと切れる印象でした。カルタンバックの指示はそう悪いものではなかったと思うのですが、そこまで豊潤な音楽にはなりえない、ということなのでしょうか。

     歌手陣では、クロワッシー修道院長を演じた小林紗季子がまず良いと思いました。特に第一幕末の自分の死への恐怖のために錯乱するくだり。真に迫っておりました。リドワーヌ新修道院長役の中村真紀も結構だったと思います。2曲のアリアはどちらも聴き手にしみじみと迫るもので結構でした。またコンスタンス修道女役の鷲尾麻衣の軽い表現も良好でした。

     一方主役のブランシュを歌った上田純子は今ひとつ。前半は声の伸びが今ひとつ足りず、後半は盛り返してきましたが、それでも主役としての存在感はまだ不足していたように思います。

     主役にはやや不満が残ったものの、オペラ全体としては、歌がしっかりとまとまっており、一寸安全運転過ぎるのかな、と思う部分がなかったというわけではないのですが、トータルではよく出来た演奏だったと申し上げるべきでしょう。いま、具体的に名前をあげなかった歌手たちについてもバランスがよく、全体としてフランス革命の理不尽な一面を伝えるのに十分な演奏だったと申し上げましょう。

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    観劇日:2009318

    入場料:D席 7560円 4F 229

    主催:新国立劇場

    オペラ1幕、字幕付原語上演
    ワーグナー作曲 「ニーベルングの指環」序夜 楽劇「ラインの黄金」DAS RHEINGOLD
    台本: リヒャルト・ワーグナー

    会場 新国立劇場オペラ劇場

    指 揮 ダン・エッティンガー
    管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
    演 出 キース・ウォーナー
    再演演出 マティアス・フォン・シュテークマン
    装置・衣装 デヴィッド・フィールディング
    照 明 ヴォルフガング・ゲッペル
    音楽ヘッドコーチ 石坂 宏
    舞台監督 大仁田雅彦

    出 演

    ヴォータン  ユッカ・ラジライネン
    ドンナー  稲垣 俊也
    フロー  永田 峰雄
    ローゲ  トーマス・ズンネガルド
    ファゾルト  長谷川 顯
    ファフナー  妻屋 秀和
    アルベルヒ  ユルゲン・リン
    ミーメ  高橋 淳
    フリッカ  エレナ・ツィトコーワ
    フライア  蔵野 蘭子
    エルダ  シモーネ・シュレーダー
    ヴォークリンデ  平井 香織
    ヴェルグンデ  池田 香織
    フロスヒルデ  大林 智子

    感 想 メルクルとエッティンガーと-新国立劇場「ラインの黄金」を聴く

     2001年のプレミエ以来、8年ぶりの再演です。当時の五十嵐喜芳総監督は、リング4部作を毎年1作ずつ上演し、5年目には4作まとめて上演するという構想を持っていたはずですが、実行できたのは4作の製作まで。5年目の一挙上演はなくなりました。上演できなかった理由はいろいろ噂には聞きますが、本当のところは分りません。とにかく、プレミエから8年目にしてようやく再演されることになりました。

     ちなみにあのプレミエは、日本のオペラ上演史的に見てもエポック・メイキングなものでしたが、演奏自体も大変すぐれており、私にとっては忘れることのできない名演奏でした。私は日本人キャストのグループを聴いたのですが、今でも黒木香保里のエルダ、藤村実穂子のフリッカ、島村武男のアリベルヒ、松浦健のミーメの歌唱が素晴らしかったことを覚えておりますし、そして、準・メルクルの指揮がまた素晴らしく、ワーグナーの必ずしも面白いとは申し上げられない音楽を2時間30分全くだれることなく、細かいニュアンスをきめ細かく示しながら、演奏していました。

     この記憶があるものですから、今回も楽しみに出かけたのですが、残念ながら8年前ほどは楽しむことが出来ませんでした。キース・ウォーナーの未来的と申し上げても良い演出は全く8年前のとおりで、確かにこうだったよな、と懐かしく見たわけですが、あのポップな新しさも8年経って見てみれば、最初見たときの驚きはもうありません。ただ、「ラインの黄金」に登場する人物(神?)の言動、欲望への素直な追究を未来的な演出で上演したことは、今になってみれば、例えば、いま世界的に起こっている金融不況を引き起こした強欲資本主義者たちの姿を彷彿とさせます。ヴォータンの失敗は金融機関の社長の失敗。フリッカは口だけはうるさいがあまり役立たない秘書、というイメージですね。ウォーナーがそこまで考えていたとは思いませんが、結果として、現代に対する大きな批判にも繋がっています。

     そう思えば、演出の新しさはまだ続いていると申し上げて良いのですが、演奏自体は8年前の感動をもう一度覚えることは出来ませんでした。それは、メルクルとエッティンガーのこの音楽に対する姿勢の違いに由来するものだろうと思います。8年前、私はメルクルの指揮ぶりについて、「2時間半の決して面白いとは言えない音楽を、全くダレることなしに最後まで引っ張っていったのが、この指揮者の力量を良く示している事実だと思います。細かなニュアンスの表現などもいちいちきめ細かく、かつ、めりはりをつけて演奏しており秀逸でした。文句なくブラボーと申し上げます」と書いています。今回のエッティンガーの指揮は、デュナーミクの多様性は示していたと思いますが、細かいニュアンスに対する神経は十分に行き届いているとは思えず、全体的には単調な指揮だったと思います。その結果、音楽がだれました。

     東京フィルの演奏も弦楽などは8年前より上手になっているのでしょうが、金管(特にホルン)は相も変らぬ不安定ぶりをさらけ出しましたし、木管だって十分とは申し上げられないのではないでしょうか。ワークナーの楽劇は歌手も大事なのでしょうが、指揮者の統率とオーケストラの分厚い音こそがその本領を決めるものと思います。その点において、今回のエッティンガーの指揮ぶりは今ひとつだったと思います。

     歌手陣は総じて良好。平均点は、プレミエ時の日本人キャストを上回っていることは疑いありません。まず、アリベルヒ役のリンがいい。ただし、こびと役であるアリベルヒがあんな大男で良いのか、と思いました。歌は魅力的ですが、大男の颯爽とした歌で、アリベルヒの屈折した心情を何処まで表現できていたかというと一寸疑問が残ります。ことアリベルヒに関しては、前回の島村を取りたい。

     フリッカ、エルダの2役に関しても私は前回の藤村・黒木をとりたいと思います。ツィトコーワのフリッカは、見た目は有能な秘書のようでかっこよく、声もよく飛んでいたとは思いますが、一寸抜けるようなところがあって、ワーグナー・メゾに求められる重量感は一寸足りなかったのかな、と思いました。シュレーダーのエルダも勿論結構な歌唱なのですが、8年前の黒木の清新な歌唱と比較すると、どこか崩れた雰囲気があって、「知の女神」というには一寸違和感がありました。

     ローゲを歌ったズンネガルドは良いだと思いました。安定した歌唱で、よく飛んできましたし、また力強さもありました。一方、ヴォータンを歌ったラジライネンもしっかりした歌唱で良かったと思いますが、他の方の歌唱に押されて、今ひとつ目立たなかったきらいはあるかもしれません。

     日本人勢は、ラインの三人の乙女が声量的に今ひとつ弱い感じがしましたが、あとはまあまあ良好。ファーゾルト・ファーフナーの兄弟を歌った長谷川・妻屋が良く、ミーメ役の高橋淳も気を吐いていました。稲垣・ドンナー、永田・フロー、蔵野・フライアーも特に弱い感じはせず、トータルのバランスは保っていたと思います。以上歌唱に関しては満足でした。

     しかしながら、上記のように音楽全体としては今ひとつ面白くない。私はどちらかといえば、アンチ・ワーグナーだったのですが、前回のメルクルの振った「リング」4部作を聴いて、その考えを改めなければならないな、と思ったものでした。でも今回のエッティンガーの演奏は、私をもう一度、アンチ・ワーグナーの方向に押しやったように思います。来月の「ワルキューレ」では、どうしてくれるのでしょうか。期待と怖さが入り混じります。

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