オペラに行って参りました-2009年(その2)

目次

巡業オペラは地方で   2009年03月26日   錦織健プロデュース・オペラvol.4「愛の妙薬」を聴く
プッチーニのモダンタイムス   2009年03月29日   東京二期会、日本オペラ連盟、びわ湖ホール、神奈川芸術文化財団共同制作「トゥーランドット」を聴く
小ホールオペラの魅力と欠点   2009年04月11日   ミラマーレ・オペラ「セヴィリアの理髪師」を聴く
思いがけない喜び   2009年04月15日   新国立劇場「ワルキューレ」を聴く
予定外の鑑賞   2009年04月24日   「バリトンオペラ翻訳家 宮本益光リサイタル 日本語歌詞で聴くオペラ名場面集」を聴く
伝統の一曲   2009年04月26日   日本オペラ協会「夕鶴」を聴く
悪循環をどう止めたか   2009年04月30日   武蔵野音楽大学オペラ公演「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く
これぞ名舞台   2009年05月01日   新国立劇場「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を聴く
一寸もやっと   2009年05月12日   藤原オペラプレステージ オペラ「愛の妙薬」レクチャーコンサートを聴く
素晴らしい演奏だったとはおもいますが、、   2009年05月17日   新国立劇場コンサートオペラ「ポッペアの戴冠」を聴く

オペラに行って参りました2009年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2008年へ
オペラに行って参りました2008年その4へ
オペラに行って参りました2008年その3へ
オペラに行って参りました2008年その2へ
オペラに行って参りました2008年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2007年へ
オペラに行って参りました2007年その3ヘ
オペラに行って参りました2007年その2ヘ
オペラに行って参りました2007年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2006年へ
オペラに行って参りました2006年その3へ
オペラに行って参りました2006年その2へ
オペラに行って参りました2006年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2005年へ
オペラに行って参りました2005年その3へ
オペラに行って参りました2005年その2へ
オペラに行って参りました2005年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2004年へ
オペラに行って参りました2004年その3へ
オペラに行って参りました2004年その2へ
オペラに行って参りました2004年その1へ
オペラに行って参りました2003年その3へ
オペラに行って参りました2003年その2へ
オペラに行って参りました2003年その1へ
オペラに行って参りました2002年その3へ
オペラに行って参りました2002年その2へ
オペラに行って参りました2002年その1へ
オペラに行って参りました2001年後半へ
オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

観劇日:2009326
入場料:
C席 4000円 2FJ38番 

錦織健プロデュース・オペラ vol.4

企画・制作:ジャパン・アーツ/タルカス

オペラ2幕、字幕付き原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」L'elisir d'amore)
台本:フェリーチェ・ロマーニ

会 場 ハーモニーホール座間

指揮 現田 茂夫
管弦楽 ロイヤルメトロポリタン管弦楽団
合唱 ラガッツィ
チェンバロ 服部 容子
演出 十川 稔
舞台装置 升平 香織
衣裳 小野寺 佐恵
照明 矢口 雅敏
舞台監督 堀井 基弘

出 演

アディーナ 森 麻季
ネモリーノ 錦織 健
ベルコーレ 成田 博之
ドゥルカマーラ 三浦 克次
ジャンネッタ 田上 知穂

感 想 巡業オペラは地方で-錦織健プロデュース・オペラVol.4「愛の妙薬」を聴く

 オペラ好きが極端に少ないとは思いませんが、球場にプロ野球を観戦しに行く人より少ないのは言うまでもありませんし、劇団四季のミュージカルの観客動員数にもなかなか追いつかないところがある。とは言っても、オペラはクラシック音楽ですし、「お勉強」ですから、文化庁であるとか、企業メセナであるとか、そういう補助の下成立しているのが現実であって、本質的に大衆文化ではないのかもしれません。私は決してそうとは思っていないのですが。事実として、日本制作のオペラはなかなか興業として成立しないところがあるようです。結局それは観客動員の問題になるわけですが、動員する工夫は現実にはほとんどされているようには思えません。そういう中で、人気のテノール・錦織健が、国内では第一線で活躍する歌手たちを集めて地方巡業を行い、ビジネスとしても成功させようという試みは、例外的な工夫であり、是非成功してもらいたいと思います。

 そういう地方巡業オペラですから、聴くのは東京文化会館ではなく、地方の市民会館が良い。私のスケジュールの都合で、選んだ会場はハーモニーホール座間です。座間市というところは、小田急線で通過したことはありますが、降り立ったのは初めての経験です。市民会館は駅から1キロほど離れた市役所の隣にあり、そういう立地も東京近郊のベッドタウンの市民会館ぽくてよい。会場はなかなか立派で音もさほど悪くありません。座席数は1300ほど。二階の最後列からの鑑賞でしたが、舞台までの距離もさほど遠くなく、聴きやすく楽しめました。

 ただし、入場者はかなり少ない。会場の半分も埋まっていない感じです。私も最初は自分の席で聴いていたのですが、休憩で会った知人に1階もガラガラよ、と言われて1階に移りました。この人数で収益は大丈夫なのかしら、と一寸心配になりますが、錦織さんのこのビジネスが続くようにお祈りするばかりです。

 ところで、演奏ですがこちらは全く手抜きがありませんでした。12回公演の11回目ということもあって、登場人物の息もぴったりと合い、更に演技の作りこみも十分されているようで、後述する本質的問題点はあるにせよ、出来の良い舞台であることは間違いありません。主役のアディーナから合唱の村娘までみな立ち位置が決まっており、見ていて非常に楽しめます。こういうポジショニングは公演を続けるうちに熟成されてくる部分があって、多数回公演する効果が出ていると思いました。

 一番良かったのは森麻季のアディーナ。森は技術が高く、高音も良く伸び、ルックスもなかなかの美人で日本を代表するプリマドンナと申し上げたいところですが、いかんせん声量が足りない。広いホールで聴くと、折角の技術が細い声量のおかげで見えない、ということがしばしばあります。しかし1300人規模の会場では勿論そんなことはありません。これぐらいの会場の広さが丁度彼女の声にあっているようで、森の技術と力量をしっかりと感じさせていただきました。

 とにかく上手です。密度の濃淡の出ない声で、高音を伸びやかに歌うところがまず良い。そして当然ながら手を抜かない。更に申し上げれば、森の歌を久しぶりに聴いたのですが、かつて感じた高音での金属的硬さがとれ、一方、声量は少し豊かになったようです。森は昨年お母さんになったわけですが、出産の影響が良いほうに出ているのかも知れません。森の歌唱には大満足でした。

 ネモリーノの錦織健は歌よりもキャラクターの作りこみで見せました。田舎もので一寸おバカで純情なネモリーノをくしゃくしゃの金髪の鬘をつけて演じます。表情が非常に豊かで、一つ一つの細かい演技に少しずつギャグが入り、歌わなくても存在感があります。私の隣で鑑賞していた中年女性たちは、錦織の演技を大いに笑っていました。一方、歌はそうとう限界に差し掛かっていたと思います。テノールの発声でそれなりに聴かせる技術は持っているのですが、一寸気を抜くと地声が混じってくる。またかつての声質もかつてのリリックなものから重くなっているのも間違いありません。一番の聴かせどころである「人知れぬ涙」も十分とまでは申し上げられず、一寸残念でした。

 今回の公演は、錦織のファンを動員するというコンセプトもあったと思うので、錦織が主役テノールから外すのはなかなか難しいのでしょうが、錦織はもう一歩下がってプロデューサー業に専念するか、脇役を演じた方が音楽的にはレベルが上がるように思います。

 ドゥルカマーラの三浦克次は適役。ドゥルカマーラの薄っぺらなインチキ臭さは、三浦が演じると雰囲気が引き立ちます。ドゥルカマーラは最初は安いぶどう酒を「愛の妙薬」だ、と言ってネモリーノに売りつけ、さっさとトンズラする予定だったはずですが、アディーナとネモリーノが相思相愛であることが分ると、残ったぶどう酒も村人に売りながら堂々と去っていきます。この小狡さと尊大さのモザイクが、三浦の早口の歌に良く会うのですね。良い味わいでした。

 成田ベルコーレも悪くありません。声量はあるし声もいい。ただし若干歌い飛ばすところがあったのが気になりましたし、演技が森、錦織、三浦の三名と比較すると、今ひとつ喜劇的側面が弱いように思いました。

 ジャンネッタと合唱も上々。全体的にみて、チームワークの取れた舞台の印象でした。現田茂夫の音楽作りもこのチームワークの中で理解すべきでしょう。現田が積極的に引っ張るというよりもこのチームで動きに合わせていこうとする演奏だったと思います。そういったところも含めてチームワークのよい演奏でした。

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観劇日:2009329
入場料:
D席 3000円 3F1113番 

財団法人東京二期会、日本オペラ連盟、財団法人びわ湖ホール、財団法人神奈川芸術文化財団共同制作オペラ

平成20年度文化庁芸術創造活動重点支援事業《舞台芸術共同制作公演》

企画・制作:財団法人東京二期会、日本オペラ連盟、財団法人びわ湖ホール、財団法人神奈川芸術文化財団

オペラ2幕、字幕付き原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「トゥーランドット」TURANDOT)
台本:ジュゼッペ・アダミ/レナート・シモーニ 

会場 神奈川県民ホール

指揮 沼尻 竜典
管弦楽 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
合唱 びわ湖ホール声楽アンサンブル/二期会合唱団
合唱指揮 佐藤 宏
児童合唱 赤い靴ジュニアコーラス
児童合唱指導 川辺 晶子、般若 寿美子
演出 粟國 淳
装置 横田 あつみ
衣裳 合田 瀧秀
照明 笠原 俊幸
舞台監督 大澤 裕

出演者

皇女トゥーランドット : 並河 寿美
皇帝アルトゥム : 田口 興輔
ティムール : 佐藤 泰弘
カラフ : 福井 敬
リュー : 高橋 薫子
ピン : 迎 肇聡
パン : 清水 徹太郎
ポン : 二塚 直紀
役人 : 相澤 創

感 想 プッチーニのモダンタイムス-東京二期会、日本オペラ連盟、びわ湖ホール、神奈川芸術文化財団共同制作「トゥーランドット」を聴く

 今回の演出の粟國淳は、トゥーランドットと映画との関連を指摘して参りました。トゥーランドットが作曲されたのが1920年から24年にかけて、初演は1926年4月。初演の指揮はトスカニーニでした。このことはオペラファンにとって当然の常識ですが、1920年が大正9年であり、1926年が大正15年であることを知れば、トゥーランドットがまさに現代作品であり、又映画の黎明期とすっかり重なることは明らかです。他方、1920年代は20世紀音楽の花開くときであり、例えば、ベルグのヴォツェックが1921年ころ作曲され、1925年に初演されているということがひとつの証左と申し上げて良いでしょう。しかしながら、通常の音楽史では、「トーゥランドット」はロマン主義的オペラの最後の作品と考え、「ヴォツェック」は現代オペラの金字塔と考えます。一方で、「ヴォツェック」は学究的現代音楽であり、「トーゥランドット」が通俗的な大衆受けする作品であるのも間違いない事実であり、プッチーニ自身は、頭で考える12音音楽より、大衆の支持を集めるロマンティックな音楽を求めた人だと言うことなのでしょう。

 しかしながら、プッチーニが世間の音楽動向に無知であったと考えるのには無理があり、シェーンベルグを初めとする12音音楽やその他の現代音楽のイディオムもそれなりに知っていたのでしょうが、結局彼が選んだ現代性は大衆に支持される科学技術だったという解釈は理解できます。そういうコンセプトに拘った今回の演奏は、基本的に面白いものになりました。

 沼尻竜典も粟國淳も「トゥーランドット」をオペラと映画音楽との橋渡しの作品とみなして、あえてスペクタクル映画の音楽のように演奏し、演出したと思います。沼尻の演奏は、デュナーミクをしっかりとったしゃきっとした演奏で、オーケストラをしっかり鳴らしていました。強いアタックと明晰な音色の演奏は、非常に良く統率の取れており、プッチーニの20世紀オペラという側面を照らし出した演奏だったと思います。反面、抒情性は相対的に不足したと思いますが、「トゥーランドット」の現代性の強調という観点から申し上げれば、今回の演奏は当然考えられるコンセプトであり、その徹底によって、トゥーランドットの通俗性を表現することになり、適切な造型が出来たのではないかと思います。その意味で、今回の上演の最大の立役者は、私は沼尻竜典であると思います。

 一方、演出の粟國淳は今回の演出の趣旨として、「『トゥーランドット』が初演された翌年に、既に映画の『メトロポリス』が公開されていたということは衝撃的なことだと思うんです。飛行機だとか自動車、電話が使われだした1920年代の社会のテンポ感は、必ずこの作品にも出て来ているはずです。だから映画の表現をオペラにミックスしてもおもしろいだろうなと。」と発言しておりますが、その意図は舞台を見ていて良く分ります。私は、フリッツ・ラング監督の『メトロポリス』見たことがないのですが、第一幕と第二幕の冒頭に舞台に登場する歯車の組み合わせは、チャップリンの『モダンタイムス』を思い出させます。粟國淳はこの歯車の意味をいろいろとおっしゃっているようですが、比較的無名の『メトロポリス』ではなく、ポピュラーな『モダンタイムス』を、たとえ錯誤であったとしても思い出させたという点で、映画時代のオペラを描くという点を示せたと申し上げるべきなのでしょう。

 この粟國の問題意識と沼尻竜典の徹底した指揮によって、今回の上演は非常に聴き応えのあるものになりました。

 歌唱は総じて魅力あるもの。その中でまず評価しなければならないのはカラフ役の福井敬です。福井は必ずしも絶好調とまでは行かなかったようですが、要所要所の見せ方が流石に素晴らしく、カラフが福井の当たり役であることが良く分りました。細かいところではいろいろとボロが出ていましたが、そのドラマティックな歌唱は、ある意味板についており、出来上がったスタイルがありました。一種の様式美と申し上げて良いのでしょう。そういう形式感は聴き手をひきつけます。その様式感のしっかりした演奏ゆえに、ミスを凌駕する味わいを生んだように思います。Bravoと申し上げましょう。

 並河寿美のトゥーランドットは日本人ソプラノの歌うトゥーランドットの限界を示していたように思います。一所懸命歌っているのは判りますし、限界近くでの声のコントロールは大変だったとは思いますが、本来トゥーランドットに期待される声ではない。敢闘賞ではありますが、それでよし、とはなかなか申し上げられないと思います。

 高橋薫子のリューも今ひとつ。高橋は非常にクレバーなソプラノで、今の高橋にとって最高のリューを歌ったとは思います。高橋は本来スーブレットですが、年齢を重ねるにしたがって声もやや太くなり、リリックなソプラノ役も十分歌えるということで今回のキャンスティングになったとは思います。意図は理解できますが、正直申し上げて、高橋の本来の魅力を示せた役柄ではなかったという印象です。リューという役柄は下品な言い方をすればもっとドスの利いた声のソプラノの方が似合いますが、高橋は、そういうドラマティックなあくのある表現にどうしてもならない。上手ですが上品過ぎると申し上げたら良いでしょうか。今ひとつ淡白な印象が拭えませんでした。

 佐藤泰弘のティムールは良好。音楽的にはあまり目立つ役ではありませんが、きっちりした歌唱でした。田口興輔のアルトゥム皇帝も良かったです。田口は年齢的な点からあまり期待しないで聴いていたのですが、これが期待以上に素敵な歌で楽しめました。

 もうひとつ特筆すべきは、びわ湖ホール声楽アンサンブルの三人で歌ったピン・ポン・パンの三大臣。この作品では狂言回しとして重要な位置にあるわけですが、これまであまり強い印象を持ったことがありませんでした。しかし、今回の三大臣はアンサンブルのコンビネーションが良く、また切れが良く感心いたしました。第二幕の冒頭の三重唱をこんなに面白く感じたのは初めてかもしれません。Braviです。

 以上トータルで見れば楽しめた演奏でした。「トゥーランドット」というオペラを19世紀ロマン派の掉尾を飾るオペラとしてではなく、20世紀大衆文化の冒頭を飾るオペラとして演奏した沼尻&粟國のコンビに拍手を送りましょう。

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観劇日:2009411 1830分開演
入場料: 
7000円 818番 

ミラマーレ・オペラ2009年公演

オペラ2幕、字幕付き原語(イタリア語)上演
ロッシーニ作曲「セヴィリアの理髪師」Il Barbiere di Siviglia)
台本:チェーザレ・ステルビーニ 

会場 六行会ホール

指揮 樋本 英一
管弦楽 ミラマーレ室内アンサンブル
チェンバロ 仲田 淳也
合唱 ミラマーレ・ヴィルトゥオーゾ男声合唱団
演出 馬場 紀雄
美術 馬場 紀雄
衣裳コーディネート 清水 崇子
照明 奥畑 康夫
装置コーディネート 中山 隆司
音響 関口 嘉顕
舞台監督 徳山 弘毅

出演者

アルマヴィーヴァ伯爵 : 馬場 崇
ドン・バルトロ : 柴山 昌宣
ロジーナ : 川越 塔子
フィガロ : 鶴川 勝也
ドン・バジリオ : 大澤 恒夫
ベルタ : 鈴木 和音
フィオレッロ : 江口 浩平
隊長 : 金子 宏
アンブロージョ : 江口 浩平

感 想 小ホールオペラの魅力と欠点-ミラマーレ・オペラ2009年公演「セヴィリアの理髪師」を聴く

 六行会ホールには今回初めて伺ったのですが、客席数248のこじんまりとしたホールでした。今回の上演では、最前列の2列をオーケストラピットとして座席を外し、前2列は演出の都合上お客さんを座らせなかったので、収容可能人数は180人ぐらいではなかったでしょうか?そういう狭い場所で、歌手たちは舞台だけではなく客席も利用して駆け回るのですからそれは迫力があります。皆、それなりにポテンシャルの高い方々なので、聴き応えがあります。このような若手歌手たちの真摯な姿を見ることが出来たのが今回の最大の収穫だったのかもしれません。

 公演監督の松山郁雄は、オペラの集客を考慮して、通常のダブルキャスト二回公演の観客を小さい会場で、細切れでも集めて何度も上演する、ということをやりたいと思っていたそうです。本番を繰り返せば、歌手たちは当然レベルアップするでしょう。また聴き手にとっても、大会場ではなかなか感じることが難しい、歌い手の息遣いを知ることが出来ます。そういう意味で、こういった試みはどんどん試行すれば良いと思うのですが、とり上げた作品が「セヴィリアの理髪師」というのは冒険です。

 かつて新国立劇場では、「小劇場オペラ」というシリーズをやっていました。このシリーズのコンセプトは、日本ではあまり上演されない作品を若手の歌手や演出家を起用して上演するというもので、随分実験的なこともやられたと思います。このシリーズを私はほとんど聴き、楽しんだのですが、これらを楽しめたのは、ほとんど聴いた経験のない作品の上演だったからだと思います。同じ会場で、もっとポピュラーな作品を演奏されたとき、同じように楽しめたかどうかは一寸分らないと思います。

 「セヴィリアの理髪師」に関して申し上げれば、演出はともかく、音楽はよく知られているため、どんな演奏をされても、過去の演奏と比較されるのはやむをえない。この「比較」という点で考えた場合、今回の上演は、最初からハンディキャップを背負った公演でした。まず第一に挙げなければならないのはオーケストラの規模とオーケストラ・ピットの狭さです。ギチギチのピットに14人。第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリンこそ1プルト取れましたが、その他のパートは全て一人。ティンパニを設置するスペースがないので、その部分は大太鼓で代用ということです。そのような限られた人数で、限られた空間で演奏するわけですからどうしても限界がある。勿論木管楽器の第二奏者が演奏する部分で音楽的に重要な部分は極力第一奏者の方が演奏したのでしょうが、それでも普段聴いている「セヴィリアの理髪師」と比較すると、音の厚みに欠ける部分があります。

 樋本英一はそういった弱点を克服しようとするためか、比較的ゆっくりとした演奏で聴かせます。その結果、確かに細かい音まではっきりと聴こえてきたわけですが、一方で、この「セヴィリアの理髪師」の持つスピード感が失われ、畳み込むようなロッシーニ・クレシェンドを楽しむことが出来なかった、ということを指摘しなければなりません。今回のオーケストラは、東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーから構成されたメンバーだったのですが、パンフレットに書かれた目標である、「厚みをそこなわない且つ軽快な音楽作り」はどちらも中途半端に終わっていました。

 勿論このだれた雰囲気をオーケストラだけの責任に帰すべきではないでしょう。歌手陣もロッシーニの唱法を完全に自分のものにしている方が少なかった、というのも関係しているのかもしれません。その中では柴山昌宣のバルトロが別格でした。柴山のバルトロは2005年の新国立劇場公演で感心しましたが、今回の歌も新国立劇場と同様に良かったように思います。ロッシーニのブッフォ役のイメージが固まっているのでしょう。彼だけは筋の通った歌唱をしておりました。ただし、今回の演技は舞台が狭かったからか他に理由があるかは分りませんが、細かいギャグが決まりながらも、全体としての雰囲気は新国での演技より劣るように思いました。新国では、歩き方ひとつをとってもロジーナに逃げられるのではないかという焦燥感が出ていて突き抜けた面白さがあったのですが、今回はそういうラジカルさはありません。

 柴山バルトロを別にすると、それ以外の歌手陣は「セヴィリアの理髪師」を歌うスタンスがまだ十分固定されているとはいえないと思いました。アルマヴィーヴァ伯爵役の馬場崇は、本来の声がキャラクター・テノール的声であって、アルマヴィーヴァ伯爵に求められる軽くて技巧的なテノールとは全然違うキャラクターです。そのため、冒頭の「空は微笑み」などは、甘さが絶対的に不足して満足できませんでした。それ以外でも本質的に声が重く、それもまた全体の雰囲気を重くする方向に影響を与えたように思います。

 鶴川フィガロは元気溌剌としたフィガロの役作りに成功していました。登場のアリア「私は町の何でも屋」は、元気一杯の歌唱で舞台の雰囲気を盛上げました。役作りをしっかりやってキャラクターを固めたのでしょう。全般に颯爽とした役作りで、声も良く、なかなか聴き応えのあるフィガロでした。しかし、一方で早口で歌う部分はタンギングが必ずしも十分とは言えず、アジリダのメリハリも今ひとつであり、そういう技巧面の研鑽が更に必要であるように思いました。

 川越塔子のロジーナも発展途上。川越は本来の声は、メゾ・ソプラノと申し上げても良いような低い声。しかし技術的にはソプラノ・リリコ・レジェーロを得意とするようです。ロジーナは元々メゾソプラノの役ですから、低音部も十分利用した歌唱で何ら問題はないのでしょうが、川越が今回のロジーナをソプラノの役として歌ったのであれば、低音部の処理をもっと工夫すべきだったと思います。高音部の技巧的な部分は見事に歌いきるのですが、トーンが終始一貫していないのです。そのためどうしてもバランスの良くない印象が残ります。

 大澤恒夫のバジリオも今ひとつの印象。「陰口はそよ風のように」は、歌唱が重く、もっと軽快な歌唱を期待していたので一寸残念です。鈴木和音のベルタも歌唱のバランスにもう少し気をつけて欲しいと思いました。

 以上歌手陣がもっとロッシーニスタイルを自分のものにしていれば、もっと軽快でシャキッとした歌唱に仕上がっていたのではないかという気が致しました。結局、小ホールでやることによって、歌手陣の基本的技量もよりはっきりしたと思いますし、現代の若手歌手陣の基本的な音楽のレベルの高さもよく分りました。一方で、小ホールで上演することにより大ホールではあまり気にならないミスが目立ったということはあったと思います。もろもろを考えると、それなりの広さのホールで、オリジナルの楽譜でロングラン上演できれば一番良いのですが、それが現在の日本のオペラファンの数から見ればなかなか難しい。悩ましい問題です。

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観劇日:2009415日

入場料:D席 7560円 4F 112

主催:新国立劇場

オペラ3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
ワーグナー作曲 「ニーベルングの指環」第一日 楽劇「ワルキューレ」DIE WALKURE
台本: リヒャルト・ワーグナー

会場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮 ダン・エッティンガー
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
演 出 キース・ウォーナー
演出補 マティアス・フォン・シュテークマン
装置・衣装 デヴィッド・フィールディング
照 明 ヴォルフガング・ゲッペル
音楽ヘッドコーチ 石坂 宏
舞台監督 大仁田雅彦

出 演

ジークムント エンドリック・ヴォトリッヒ
フンディング クルト・リドル
ヴォータン ユッカ・ラジライネン
ジークリンデ マルティーナ・セラフィン
ブリュンヒルデ ユディット・ネーメット
フリッカ エレナ・ツィトコーワ
ゲルヒルデ 高橋 知子
オルトリンデ 増田 のり子
ワルトラウテ 大林 智子
シュヴェルトライテ 三輪 陽子
ヘルムヴィーゲ 平井 香織
ジークルーネ 増田 弥生
グリムゲルデ 清水 華澄
ロスヴァイゼ 山下 牧子

感 想 思いがけない喜び-新国立劇場「ワルキューレ」を聴く

 2002年のプレミエ以来、7年ぶりの再演です。リングは4作一挙に上演するチクルスが好ましい上演方法だとは思いますが、本年は上演されたのは「ラインの黄金」と「ワルキューレ」の二作だけ。「ジークフリート」と「神々の黄昏」は来年廻しです。東京リングといえば、キース・ウォーナーの演出の斬新さで、新国立劇場の存在を世界に広めたわけですが、連続上演がなされていないのが汚点です。ウォーナーの演出の意図も当然四作連続上演ですから、いろいろ事情があるにせよ、再演でも連続上演できないのはとても悲しいことです。日本のオペラファンは、そこまで成熟していない、ということなのでしょうか。

 とはいえ、今回の「ワルキューレ」はあまり期待しておりませんでした。何しろ、先月の「ラインの黄金」が決して楽しめる演奏ではなかった。また、ネットでの批評を見ても、エッティンガーの指揮に厳しい目を向けているものが少なくない。ウォーナーの演出を再度楽しめれば良いや、ぐらいの気持で出かけました。ところが思いがけず良い演奏でした。こういうサプライズは嬉しいですね。勿論正味四時間かかるオペラですから、全て文句なし、というわけには行きませんが、トータルで見れば十分私のストライクゾーンの演奏。これだけの演奏が聴ければ、とりあえずは満足です。先月の「ラインゴールド」でワーグナー嫌いが再発しそうでしたが、今回の演奏で、とりあえず土俵の中央に戻った印象です。

 それにしても、演出は素晴らしいですね。第一幕のフンディングの家の大きなテーブルと椅子や第二幕の地図、そしてワルキューレの騎行における野戦病院、そして巨大な木馬と炎のベッド。この斬新さは最初見たときは度肝を抜かれましたが、再見すると、最初の驚きは無くなった代わりに、細かい演出の妙が見えて、楽しめました。やっぱり一番の見応えは、やっぱり野戦病院のワルキューレの騎行です。プレミエのときと大林智子のワルトラウテと平井香織のヘルムヴェーゲ以外はメンバーが一新し若がえりましたが、ストレッチャーを転がしながら、ドアを蹴破る勇猛さは、確かにワルキューレの騎行ですし、日本ソプラノ勢のお転婆ぶりは、歌手はスポーツの素養がないと厳しいのだな、とどうでも良いことを感心したりいたします。とにかく名舞台であることだけは間違いありません。

 音楽作りですが、まず女声陣の頑張りに感心いたしました。特に素晴らしかったのがマルティーナ・セラフィンのジークリンデ。かなり大柄のいかにもドラマティック・ソプラノという雰囲気のある方ですが、声質は柔らか。しかしながら、広い音域で一定の音量で歌える技量のある方で、細くなることがない。一方で、細かいニュアンスを感情込めて歌い、更にフルボイスで歌えば相当の迫力と、理想的なジークリンデと申し上げて良いのではないでしょうか。今回の上演では第一幕が相対的に弱く、詰まらない演奏であったのですが、ジークリンデが歌うと盛り上がります。第一幕終盤の愛の二重唱は、ことに素晴らしいと思いました。

 ツィトコーワのフリッカも良い。ツィトコーワは「ラインの黄金」におけるフリッカでは、今ひとつ自分の立ち位置と「フリッカ」という役柄の関係が今ひとつしっくり来ていなかったようで、どこかぎこちなさを感じたのですが、この一箇月で「フリッカ」という役を十分咀嚼できたようで、バランスの良いフリッカに変わっていました。声が凛としていて厳しく、表情も豊かでした。第二幕の主神・ヴォータンに対する責めの歌唱はとても立派なもので、大いに感心いたしました。

 この二人と比べるとネーメットのブリュンヒルデは微妙に落ちる感じがします。例のワルキューレの叫び声「ホヨホー」の上向跳躍で、すっきりと飛べずにためが必要なところとか、言葉がセラフィンほど明晰ではないとか、気になるところが何箇所かあったのですが、基本的な技術水準は高く、声はぶれずに、強い声を出して歌えますので、ブリュンヒルデとしては十分だろうと思います。また強い声で歌えますが、声に温かみもあって、馬力だけで歌っているわけではなく、そこも好感を持ちました。

 とにかくこの女声三人については、十分高レベルの歌を歌われていたと思います。

 男声陣ではヴォータン役のラジライネンが良好。第二幕のヴォータンの語り「若さにまかせた愛の歓楽が〜」は今ひとつ迫力に欠けた感じがしましたが、第三幕の「ヴォータンの別れ」は良かったと思いました。主神として威厳のあるヴォータンを作ることをせず、破滅にあこがれながら秩序も壊すことが出来ず、アンビバレントな雰囲気を持ったヴォータン像を見せました。中庸な歌唱で、ドラマティックな表出は抑制的でしたが、そこが、悩めるヴォータン像を良く示していたと思います。

 ジークムントのヴォトリッヒ。最近売り出し中のヘルデン・テノールのようで、暗い声質はジークムントに良くあっているように思いました。歌唱は割と明暗のはっきりしたもので、結構高水準。特に第一幕のジークリンデとの愛の二重唱が良く、第二幕も悪くないと思います。役作りは英雄・ジークムント、という感じではなく、愛に殉じる男としての柔らかさが強く出る歌唱で、私は気に入ったのですが、嫌う方も多いかもしれません。

 リドルのフィンディングは声に往年の力がなく今ひとつ。ワルキューレたちは、多い運動量のなかでも頑張って歌っておりました。

 歌唱に関して申し上げればトータルでバランスが取れており、良い演奏に仕上がっていたと思います。

 エッティンガーの指揮はそれなりにケレンのあるものでしたがあまり気になるものではなく、東京フィルのオーケストラも細かくは随分ミスが出ていたようですが、大枠としては十分立派な演奏。金管は音が濁ることは多々あれども、明白な大トラブルはなく、まとまっておりました。以上トータルとしてみて十分満足行く演奏でした。良かったです。

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鑑賞日:2009424
入場料:自由席 
4500円 

主催:Mas-Mits Club

バリトンオペラ訳詞家
宮本益光リサイタル
日本語訳詞で聴くオペラ名場面集

会場 津田ホール

スタッフ

日本語訳詞 宮本 益光
ピアノ 石野 真穂
語り 長谷川 初範
照明 成瀬 一裕
     
     
     
     
     

プログラム

第一部            
モーツァルト   「魔笛」より        
    オイラは鳥刺しパパゲーノ   パパゲーノ   宮本 益光
             
オッフェンバック   「地獄のオルフェ」より        
    奥に潜むネズミには   キューピッド   鵜木 絵里
             
    そこのけ僕メルキュール   メルキュール   鈴木 准
        ジュノン   鵜木 絵里
        ジュピター   宮本 益光
             
ドニゼッティ   「愛の妙薬」より        
    戦う神様は・・・   ベルコーレ   宮本 益光
             
    皆さん、聞いて〜二重唱   ドゥルカマーラ   宮本 益光
        ネモリーノ   鈴木 准
             
ヤナーチェク   「利口な女狐の物語」より        
    やっぱりだ!こりゃ見事なキノコ   森番   宮本 益光
        カエル   栗田 翼早
        子狐   田所 倫実
             
-休憩-
             
第二部            
ペルゴレージ   「奥様は女中!?」全曲   セルビーナ   鵜木 絵里
        ウベルト   宮本 益光
        ヴィスポーネ   長谷川 初範
             
アンコール            
モーツァルト   「魔笛」より        
    恋人か女房がいれば   パパゲーノ   宮本 益光

感 想

予定外の鑑賞-「バリトンオペラ訳詞家 宮本益光リサイタル-日本語歌詞で聴くオペラ名場面集」を聴く

 予定していた夜の会合が中止になり時間が空いたので、宮本益光のリサイタルに出かけました。ネットで調べると同じ時間には紀尾井ホールで佐野成宏がリサイタルをやっているのですが、プログラムを比較すると、宮本の方が魅力的、且つ入場料も安いということで、こちらを選択した次第。とりあえず当日券で入場できましたが、会場はほぼ満員、女性が圧倒的に多く、さすが人気バリトンのリサイタルです。

 しかしながら、リサイタルトは、「旬のバリトンを楽しむ」というよりは、オペラ訳詞家・宮本益光の作品発表会としての趣が大きいと思います。「バリトンオペラ翻訳家」という肩書きのつけ方こそ、宮本の気持の現われだと思いますし、翻訳の発表に軸を置くからこそ、鵜木絵里や鈴木准が出てくる。ちなみに、パンフレットによりますと宮本の日本語訳はこれまで9本あり、そのうち、最近の3本、即ち、2006年「利口な女狐の物語」@日生劇場、2007年「魔笛」@ミラマーレ・オペラ、2009年「愛の妙薬」@ミラマーレ・オペラの舞台上演を私は聴いております。そしていつも思うのは、相当苦労して翻訳を考えているな、ということと、とは言うものの、もうひとつ日本語としてこなれて欲しいな、ということです。

 しかし、本日彼らの歌を聴きながら思うことは、少しずつ手を入れているのでしょう。前回よりも更に良くなっている、ということは感じました。字幕付原語上演が当たり前になった現時点において日本語上演する意義は、舞台としての自然さ・面白さをどう伝えていくかということなのでしょう。現在宮本の作品発表会のように特定の意図を持った上演以外で、日本語で歌われるオペラが音楽性以上に舞台性に重心を置かれるオペレッタにほぼ限定されていることこそ、それを裏付けることだろうと思います。そして、そういう意識は宮本にとっても重要なことであり、本来あくまでもリサイタルであり、演技はないはずの今回の舞台においても、宮本も共演者もそれなりの演技を行い、舞台性を観客に示しました。その意気込みを買いたいと思います。

 さて、日本語訳として最もこなれていると思うのは、「魔笛」のパパゲーノの二つのアリア。「魔笛」という作品自身が非常に歌謡性の高い作品で、パパゲーノというキャラクター自身が元々オペラ歌手が歌うことを前提に書かれた役柄ではなく音域的に特別難しい問題がないので日本語が乗り易いという特性があるためとは思いますが、平易で、野生児・パパゲーノの特徴をよく表した歌詞だと思います。宮本の歌唱は、細かいところを若干崩す歌で、それがパパゲーノらしい、ということかもしれません。

 「地獄のオルフェ」の訳は初めて聴くものですが、これはこれで面白い。基本的に早口の台詞を音楽に乗せていくので、特に「そこのけ、僕メルキュール」は、鈴木准、口をまわすのが大変そうでした。

 「愛の妙薬」は2月に見たばかり。そのときのベルコーレと比較してもやや臭い演技。面白かったのはドゥルカマーラ。本来宮本の声はベルコーレに一番合っている訳ですが、キャラクターとしてはドゥルカマーラのほうがお気に入りのようです。舞台にテーブルを持ち出し、ほとんどテレビショッピングで商品を売るように、自分のCDや書籍の宣伝をしながら口上を述べます。これは爆笑もの。2月の大澤恒夫のドゥルカマーラが詰まらなかったので、宮本の期待した姿が良く分り、また楽しめました。

 「利口な女狐の物語」は二人の子役が登場し、森番の歌唱を引き立てます。日生劇場で見た「女狐」は、広上淳一の音楽作りがよく、私自身は歌詞にはあまり神経が行っていなかったのですが、森番の歌詞はなかなかなもの。歌唱のスタイルも正統なバリトンスタイルの歌唱で、コミカルな役柄のみを歌った本日のリサイタルの中では最も普通だった、と申し上げられるかもしれません。

 後半はペルゴレージの傑作インテルメゾ「奥様女中」です。実は私はこのオペラを舞台で見るのは初めてで、一寸期待をしておりました。これも勿論宮本訳の日本語上演。これまた率直に面白い上演でした。まず良いのは、長谷川初範演じる黙役、ウィスポーネです。勿論一言も言葉を発しないわけですが、さすがベテラン俳優。舞台を動き回るだけで、十分存在感があり、セルビーナに振り回されるときの困った表情がまた見事です。

 宮本の歌詞も悪くないと思います。途中で入る「花いちもんめ」のくすぐりなどよく考えてありますし、セルビーナの強さ、元気よさとウベルトの反抗しながらも押し負ける雰囲気がよく現われていて、テンポの良い音楽に良くあっています。歌唱・演技はまず鵜木絵里のコミカルな女中の動きと、それでありながらすっきりした歌唱が良かったと思います。宮本益光の歌もセルビーナに押し負けながらも愛の二重唱に至る流れがよく楽しめました。

 ピアノの石野真穂。好サポートでした。前半の長谷川初範による語りもなかなか良かったと思います。

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観劇日:2009426
入場料: 
3800円 3F818

平成21年度文化芸術振興費補助金(芸術創造活動重点支援事業) 

川崎・しんゆり芸術祭2009
〜アルテリッカしんゆり〜

日本オペラ協会公演
日本オペラシリーズNo.70

オペラ1幕、字幕付き原語(日本語)上演
團伊玖磨作曲「夕鶴」
台本:木下順二 

会場 テアトロ・ジーリオ・ショウワ

指揮 松下 京介
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
児童合唱 昭和音楽大学付属音楽・バレエ教室
演出 鈴木 敬介
美術 若林 茂煕
衣裳 渡辺 園子
照明 吉井 澄雄
舞台監督 小栗 哲家

出演者

つう : 長島 由佳
与ひょう : 村上 敏明
運ず : 清水 良一
惣ど : 中村 靖

感 想 伝統の一曲-日本オペラ協会公演「夕鶴」を聴く

 木下順二は山本安英に演じさせるために「夕鶴」を書いたといわれています。山本は1949年の初演以来1986年までに1037回「つう」を演じました。團伊玖磨はこの演劇の劇付随音楽を作曲したのを機にオペラ化を志し、1951年に完成しました。このとき原作者である木下順二は、作曲を承諾する代わりに、「一言一句戯曲を変更してはならない」という」承諾条件のをつけたのはあまりにも有名です。つまり、1952年の歌劇「夕鶴」の初演以来、同じ台本の戯曲とオペラが並立して上演され、戯曲は山本安英が一人で「つう」を演じ、オペラは初演の原信子、大谷冽子のダブルキャスト以来、多数のソプラノによって歌われました。

 このことは、山本にとってはプレッシャーだったのではないでしょうか。例えば、「夕鶴」の代表的アリアである「私の大事な与ひょう」もまた戯曲では台詞で語られるわけで、それは歌わない俳優にとっては、オペラにまして感動を与えようと思えば、演技を研ぎ澄まさせなければなりません。そういった努力が、山本の晩年の名演に繋がっていったことは申し上げるまでもないと思いますし、山本の舞台を知っている歌手たちにとっても、大いなるプレッシャーだったのではないでしょうか。

 夕鶴が日本を代表するオペラであることは申し上げるまでもありませんが、それは700回以上とも言われる上演回数が多いということ以上に、劇としてのまとまり、高い文学性、民話を題材にした分りやすさ、そして音楽的にもバランスがとれているところが関係しているようです。そして、演劇と歌劇との相乗効果も無視できないように思います。日本のオペラ作曲家たちは、團伊玖磨の成功のあと、民話を題材にしたオペラを数多く作曲してきたわけですが(いくつかの事例を挙げれば、大栗裕「赤い陣羽織」、林光「あまんじゃくとうりこひめ」、菅野浩和「ごんぼうきつね」、清水脩「吉四六昇天」など)、「夕鶴」ほど成功した作品がひとつもないところが、この「夕鶴」の孤高の地位を示しているように思います。

 このような経緯を知れば、指揮者は作品にもう少し敬愛の念を持って演奏しても良いのではないか、という気が致します。松下京介の作品に対する接し方は、とりあえず振っているという印象を持ちました。もっと丁寧に繊細な演奏を心がけた方が、この民話劇の幻想性をより強調できただろうに、と思うのです。とにかく、あまり考えずに指揮をしているな、という感じです。オーケストラの強弱も舞台進行と見比べるとあまりぴったりとしない感じがいたしました。

 一方歌手陣もやや問題あり。「つう」を歌った長島由佳も今ひとつ情感不足な感じがいたしました。声に深みが足りず、表面をなでる歌唱に終わっている印象がありました。表面的にはきっちり歌えているのですが、声量がやや乏しく、デュナーミクの広がりが今ひとつ。「私の大事な与ひょう」などは、もっと感情を込めてくれないと感じが出ません。後半の与ひょうとの別れのシーンでも水準以上の歌だとは思うのですが、「つう」の切なさ、やるせなさを十分表現できたか、と申せば、Noと言わざるを得ない。新人抜擢だから当然かも知れませんが、今後はそのあたりの表現も磨いて欲しいと思いました。

 対して与ひょうの村上敏明。上手です。ベテランというにはまだ若い歌手ですが、「馬鹿だけど心の弱い世間知らず」の与ひょうの性格を上手に見せていたと思います。また歌唱も文句なし。村上が歌うと舞台の雰囲気が締まります。清水良一の運ず。小心者の小悪党の雰囲気がよく出ていました。中村靖の惣ど。こちらはごうつくばりの性格をよく演じていたと思います。

 児童合唱はソロ部分をもう少し声量をもって歌えると良いのですが。

 それでも舞台の上は、長島由佳の彫りの深さは今ひとつながら端正な歌唱と、村上敏明の好調な歌唱で締まりました。音楽のもって行き方は必ずしも特徴のあるものではありませんでしたが、全体としてはまとまった舞台になっていたと思います。

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観劇日:2009430

入場料:2500円 3F E26

武蔵野音楽学園創立80周年記念
武蔵野音楽大学オペラ公演

主催:武蔵野音楽大学

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」Cosi Fan Tutte)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場 武蔵野音楽大学ベートーヴェンホール

指 揮 北原 幸男
管弦楽 武蔵野音楽大学管弦楽団
チェンバロ 金森 敏子
合 唱 武蔵野音楽大学オペラコース合唱団
合唱指揮 横山 修司
演 出 恵川 智美
美 術 荒田 良
衣 装 増田 恵美
照 明 石川 紀子
舞台監督 菅原 多敢弘

出 演

フィオルディリージ 伊藤 晴
ドラベッラ 長瀬 千賀子
デスピーナ 高江洲 里枝
フェランド 日浦 眞矩
グリエルモ 大西 宇宙
ドン・アルフォンゾ 上田 誠司

感 想 悪循環をどう止めたか-武蔵野音楽大学オペラ公演「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く

 大学が主催するオペラ公演のやり方はいろいろあるようで、大きく分ければ毎年上演するところと、何年かに1回上演するところに分かれるようです。東京地区の例で申し上げれば、前者は国立音大、昭和音大、東京芸大であり、後者は東京音大、桐朋学園です。武蔵野音大も後者で、3年に1回上演しています。3年に1回というとそれなりに力が入るのか、ダブルキャスト4回公演。Aキャストは卒業生や教員中心のベテラン組。Bキャストは若手卒業生・大学院生中心の若手組。次世代の先物買いのためには若手を聴くのが面白いだろうということで、若手組に出かけました。

 恵川智美の演出はオーソドックスなものですが、白を基調としたフィオルディリージ・ドラベッラ姉妹の家と向って左側に見える海の対照が美しいもの。私はこういう写実的な演出が好きなので、まずは満足。また、3年に1回のオペラ上演ということもあるのでしょうが、お金もそれなりにかかっているようです。オペラは音楽であり、華美な演出で目を惹こうとするのはどうかとは思いますが、あまりに安っぽいのも困ります。そういう点でも安心できる演出でした。

 これで音楽がよければよかったのですが、残念ながら第一幕ははっきり申し上げてかなり問題のある演奏。休憩後の第二幕は随分盛り返した印象です。若手が中心のため、またこのグループの初日ということもあって、上がっていたということはあるのでしょうが、どうもそれだけではありません。まず前半は全体に響かず、音が飛ばないこと著しい。それを歌い手自身も感じているようで、どうしてもテンポを遅らせて声を乗せようとする、あるいは力んでしまう。そうなるとどうしても歌のプロポーションが崩れてしまう。そのような悪循環があったように思います。

 北原幸男の指揮は特別特徴のあるものではなく、テンポはやや遅め。もう少し早く、てきぱきと進んだ方がこのオペラの魅力をより明快に表せると思うのですが、歌手たちにじっくり歌わせるほうを選んだようです。ただ、じっくり歌わせるにしても結果として力んでしまうのではどうにもなりません。この辺の整理は難しいところです。オーケストラの技量も今ひとつ。学生オーケストラですから限界があるのは分るのですが、もう少しさらって参加されたら如何と思うところが何度もありました。

 歌手陣は全体的に前半が悪く、後半が良かったです。フィオルディリージを歌った伊藤晴。前半はかなり力んでいた印象。。基本的な技量はある方だと思いました。音程もしっかりしている。しかしながら、登場の二重唱から聴き手を引き込むサムシングを感じることの出来ない歌でした。更に、一幕の華である名アリア「巌の様に動かず」では、跳躍のあとの処理が今ひとつでバランスの悪い歌になりました。しかしながら後半は良好。二幕の大アリア、「彼は行ってしまったわ〜どうぞ、私の恋人お許しください」は端々まで注意の行き届いた歌唱で良かったと思います。高音で若干金切り声になる傾向があるので、そこがもう少ししっとりすれば尚良いと思いました。

 ドラベッラの長瀬千賀子。この方も前半ははっきりしない歌唱で印象が薄く、後半盛り返してきたように思いました。第二幕のアリアはしっかりしていたと思います。ただそれでもなお印象は薄かったと思います。「コジ」というオペラにおいて、フィオルディリージは堅い印象で笑いをとり、ドラベッラはそれに対応する鏡像的な柔軟さがあると思うのですが、そういった柔軟さや享楽的な志向性が歌では十分表現できていなかったことにあったためかもしれません。

 デスピーナの高江洲里枝。買えません。全体的に溌剌さが足りず、歌が軽くならないのです。「女が15になれば」のアリアなどはもっと軽妙に歌って欲しいのですが、今ひとつ柔軟性に乏しいと思いました。また裏声を使う、医師に化けたときの歌唱や演技も、もっと大げさに、もっと徹底しないと面白みが出てこないと思います。全体に中途半端な印象を強くもちました。

 日浦眞矩のフェランド。声はフェランドにぴったりの甘い声で良いと思うのですが、歌唱技術をもっと洗練させて欲しいと思いました。特に第一幕は相当バランスが悪く、重唱でのずれやあるいは歌が独りよがりになるところもあって、あまり感心することが出来ませんでした。第二幕は随分盛り返した印象です。

 大西宇宙のグリエルモ。全体を通して一番安定していた印象です。それでも第一幕より二幕がよかったことには違いありません。

 上田誠司のドン・アルフォンゾ。冒頭は「これはどうなるか」、と思いました。しかしながらこの方もどんどんよくなり、第二幕ではそれなりに歌えていたと思います。

 全体に第二幕、それも後半がよく、尻上がりによくなったという印象です。第一幕は声が飛ばない、力む、重唱が合わないとどんどん悪循環に嵌りそうだったのですが、第二幕(特に中盤以降)は声が飛ぶようになり、力みも消え、テンポもよくなり、重唱もあうようになりました。休憩中何があったのでしょうか?悪循環を切る手段は何だったのか、興味を覚えます。

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観劇日:200951

入場料:D席 3760円 4F 336

主催:新国立劇場

オペラ4幕、字幕付原語(ロシア語)上演
ショスタコーヴィチ作曲「ムツェンスク郡のマクベス夫人」Леди Макбенсет Мцкого уезда)
台本:アレクサンドル・プレイス/ドミトリ・ショスタコーヴィチ

会場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮 ミハイル・シンケヴィチ
管弦楽 東京交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
演 出 リチャード・ジョーンズ
再演演出 エレイン・キッド
美 術 ジョン・マクファーレン
衣 装 ニッキー・ギリブランド
照 明 ミミ・ジョーダン・シェリン
振 付 リンダ・ドベル
音楽ヘッドコーチ 石坂 宏
舞台監督 大澤 裕

出 演

ボリス・チモフェーヴィチ・イズマイロフ ワレリー・アレクセイエフ
ジノーヴィー・ボリゾヴィチ・イズマイロフ 内山 信吾
カテリーナ・リヴォーヴナ・イズマイロヴァ ステファニー・フリーデ
セルゲイ ヴィクトール・ルトシュク
アクシーニャ 出来田 三智子
ボロ服の男 高橋 淳
イズマイロフ家の番頭 山下 浩司
イズマイロフ家の屋敷番 今尾 滋
イズマイロフ家の第1の使用人 児玉 和弘
イズマイロフ家の第2の使用人 大槻 孝志
イズマイロフ家の第3の使用人 青地 英幸
水車屋の使用人 渥美 史生
御者 大槻 孝志
司祭 妻屋 秀和
警察署長 初鹿野 剛
警官 大久保 光哉
教師 大野 光彦
酔っ払った客 二階谷 洋介
軍曹 小林 由樹
哨兵 山下 浩司
ソニェートカ 森山 京子
年老いた囚人 ワレリー・アレクセイエフ
女囚 黒澤 明子
ボリスの亡霊 ワレリー・アレクセイエフ

感 想 これぞ名舞台-新国立劇場「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を聴く

 名演でした。少なくとも、今年私がこれまで観たオペラの舞台の中では明らかにダントツでした。それもぶっちぎり。新国立劇場で、これほど心を掴まれた演奏は久しぶりのような気がします。こんなよいものを4回しか上演しないなんて、あまりにも惜しいと思います。

 私は、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」をこれまでも素晴らしい作品として、ことあるごとに宣伝していたのですが、このオペラの本領を見せていただける舞台を観た事はありませんでした。昨年5月、東京歌劇団と称する団体が、日本人キャストで初めての原語上演を達成し、それはそれで楽しめたわけですが、オーケストラは貧弱でしたし、舞台装置もほとんど無きに等しいというもの。やはりそれではこの作品を十全に示したことにはなりません。それが新国立劇場初演の今回、これほど素晴らしい舞台を見せ、音楽的にも非常に納得できる演奏を聴かせて貰えて、私は満足です。

 この成功は、舞台演出を自前で行わず、2004年英国のロイヤルオペラで初演されたリチャード・ジョーンズの舞台を借りてきたことが大きいと思います。この舞台はその年のローレンス・オリビエ賞の最優秀オペラ賞を受賞しているそうですが、流石によく練られている舞台です。このオペラは4幕9場からなり、場面切替に間奏曲が入る形式をとっていますが、その切替が見事。例えば、第二幕第四場と第五場との切替のシーンでは、幕を下ろさずに部屋の模様替えを見せる、第三幕では、吹奏楽の楽隊が舞台上で演奏するなど。

 時代設定は1950年代のソビエト。だからイズマイロフ家にはテレビがあります。この時代は申し上げるまでもなく、スターリンの独裁の時代で、その時代のロシア人の閉塞感とカテリーナの閉塞感とは上手く同調しているようです。ショスタコーヴィチはおそらく別の観点からこの作品を作曲したと思いますが、結果として体制の抑圧による閉塞感をベースに置いたジョーンズの演出は、この物語によくあっているということだろうと思いました。

 そのほか、演出上の見所はいくつもあります。私が注目したのは群集の処理です。勿論群集に同じ動作を取らせて一まとまりに扱うことはミュージカルなどでは当たり前の手法ですが、効果があります。アクシーニャを暴行するときの集団の動き、ジノーヴィーの死体を発見されたとき、隣の部屋での踊り、カテリーナとセルゲイとの結婚式における参列者の動き(あのペットボトルの水?を飲むシーンは乾杯を意味しているのでしょうか?)。警察署内での警官の動きなど、絵としても見事なものでした。

 音楽的にもまずは十分。指揮者が当初予定されていた若杉弘からミハエル・シンケヴィッチに代った訳ですが、ひょっとするとこれも良かったのかも知れません。シンケヴィッチという方は、マリインスキー劇場で、ゲルギエフの下で音楽監督代理を勤めているという方だそうです。私には初耳の方です。しかし、この方の指揮ぶりも結構。ショスタコの毒とブラックユーモアを一寸饒舌にしっかり示そうとする指揮。東京交響楽団もきれいな演奏ではなかったのですが、けれんみたっぷりの演奏で、ショスタコの音楽の嫌らしさをこれでもかと示します。デュナーミクのしっかりとった演奏で、金管楽器や打楽器を十分に鳴らされるので、そういう迫力も又魅力です。

 歌手陣は外人勢3人がまず秀逸。アレクセイエフは、しっとりとした歌の歌えるバスのようで、第九場での年老いた囚人役の情感が結構でした。一方で、権威で迫る態度をとるボリスの役柄もしっかりとした嫌らしい歌唱で、魅力的でした。毒殺されるとききのこ料理を食べるのですが、カテリーナが調理した鍋から直接食べるのは如何なものか。勿論そういう演出なのでしょうが、皿に盛り付けて食べた方がもっと良かった。でもそれも含めて、田舎の傲慢で邪な親父の嫌らしさをよく示していました。

 カテリーナ役のステファニー・フリーデも結構。このオペラで抒情的な曲はほとんどカテリーナに与えられているわけですが、その情感の示し方が、カテリーナの不安をよく感じさせるもので、結構。セルゲイを受け入れる伏線となっている「牡馬は雌馬のところに急ぎ」の色気は特に良かったと思いました。歌は安定していたのですが、演技の厳しさも賞賛に値します。ボリスにネズミ捕り入りきのこ料理を食べさせるところ、ジノーヴィーを殺害するところ、毒入り結婚式のあと、逮捕されるシーンでの表情、それぞれ緊迫感に溢れていて結構でした。

 セルゲイ役のルトシェクの醸し出す無責任なセクシーさもなかなかのものです。セルゲイはちょい悪の女たらしで、おそらくカテリーナに出会わなければ殺人を起こすような感じではないのですが、カテリーナの直截的な愛に引きずられて、殺人を引き起こした、という感じの演技でした。

 その他の脇役陣では、ジノーヴィーを歌った内山信吾は甘いテノール声でなかなかよく、二階谷洋介の酔っ払いの歌がけれん味が効いていて楽しく、初鹿野剛の警察署長もいかにもワイロ好きそうな雰囲気を出していて結構でした。また出来田美智子のアクシーニャ、森山京子のソニェートカも良かったと思います。

 しかしながら本当に魅力なのは、歌とオーケストラのバランスが、ややオーケストラ過剰のポジションで統一されており、その関係がオペラ作曲家というよりは器楽作曲家であったショスタコーヴィチの世界を表現するのに妥当だと思えたことです。「ムツェンスク郡のマクベス夫人」は勿論オペラなのですが、オーケストレーションが多彩さ、いろいろな意味でのパロディの充実こそこの作品の真骨頂ですので、そういうオーケストラの魅力と歌の魅力を上手にシンクロ出来たシンケヴィッチこそ、今回の上演の立役者なのでしょう。

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鑑賞日:2009512
入場料:自由席 
1500円 

主催:オペラを愛好するたちかわ市民の会
共催:財団法人 日本オペラ振興会

藤原オペラプレステージ
オペラ 愛の妙薬 レクチャーコンサート

会場 アミューたちかわ 小ホール

出演

ナビゲーター 岡山 広幸
アディーナ 清水 理恵(ソプラノ)
ネモリーノ 藤原 海考(テノール)
ベルコーレ 森口 賢二(バリトン)
ドゥルカマーラ 羽渕 浩樹(バス・バリトン)
ピアノ伴奏 藤原 藍子
     
     
     

プログラム

昔、パリスはしたように ベルコーレ
さあ、皆の衆、聞いた、聞いた ドゥルカマーラ
ラ・ラ・ラ〜三重唱 ネモリーノ/アディーナ/ベルコーレ
-休憩-
あんなに愛してくれているのに邪険な私 アディーナ/ドゥルカマーラ
人知れぬ涙 ネモリーノ
受け取ってね ネモリーノ/アディーナ
フィナーレ ネモリーノ/アディーナ/ベルコーレ/ドゥルカマーラ

感 想

一寸もやっと-藤原オペラプレステージ オペラ「愛の妙薬」レクチャーコンサートを聴く

 本年は「愛の妙薬」の当たり年で、私自身も既に二回上演を見ておりますし、今後も藤原歌劇団公演の鑑賞を予定しております。さて、この藤原歌劇団の公演はいわゆる読替え公演になるらしいです。演出のマルコ・ガンディーニは、本来の舞台であるスペインのバスク地方の農村を現代の郊外のショッピング・モールに設定するという。アディーナは、ショッピングモールで働く化粧品店の売り子さん、ネモリーノは商店の裏方の荷物運び、ドゥルカマーラはセールスマン、ベルコーレは、士官学校の学生となるらしい。

 なぜ、そんなことを知っているかといえば、岡山広幸さんがそういうお話をされたからです。「オペラを愛好するたちかわ市民の会」は、日本オペラ振興会とタイアップして、藤原歌劇団の本公演のおよそ一月前、会員を対象にしたレクチャー公演を行うのが通例になっています。しかしながら、このレクチャー公演は会員以外に宣伝することはほとんど無く、私もひょんなことから知ったので、出かけることにしたのですが、出演者も分らないという状況でしたので、一寸恐る恐るの感じがあったのは本当のところです。しかしながら、280席あるアミューたちかわ小ホールが80%がた埋まっていたのですから、「オペラを愛好するたちかわ市民の会」は結構アクティブな活動をしている団体、ということなのでしょう。

 今回もうひとつのサプライズは魅力的な出演者にあります。アディーナの清水理恵は初めて聴く方だと思いますが、ネモリーノの藤原海考、ベルコーレの森口賢二、ドゥルカマーラの羽渕浩樹はこれまで何度か聴いてきた若手で、感心した経験のある方ばかりです。これは正直申し上げてラッキーでした。

 アミューたちかわの小ホールは、結構デッドな音響のホールであまり響かないのですが、出演者が基本的に力のある方ばかりなので、それなりに魅力のある歌になりました。特に魅力的だったのは、ベルコーレの森口賢二。森口は立川在住のオペラ歌手で、地元での活動も活発なためか沢山の知り合いが来場していたようで、それだけに熱気溢れるベルコーレを歌ったと思います。軽妙かつ軽快な語り口が魅力的でした。

 ドゥルカマーラの羽渕浩樹もまあまあ。ドリンク剤を客席に配りながら歌った登場のアリアは、羽渕の頑張りがよく分る歌唱でした。ただし、もう一段歯切れが良いと尚よく、出だしのヴィヴラートがもっと制御されていれば尚良いと思いました。反対にアンサンブルで絡むところは、もっと存在感を出しても良いのかなと思いました。

 藤原海考のネモリーノは反対に重唱部分はなかなかよいと思いましたが、一番の聴かせどころである「人知れぬ涙」はケレン味を出しすぎた人工的な感じの強い歌で、押し付けがましく聴こえました。そのため抒情性が失われていた感じがします。もっと伸びやかに歌って欲しいと思いました。

 アディーナ役の清水理恵は、軽い声が魅力のソプラノ。大きく口をあけてはきはき歌うのが魅力です。ただ、一方でどこか物足りなさ感を覚えるのも事実です。何が不足しているのかよく分らないのですが、本公演主役級の方よりは一段落ちる感じがいたしました。そんなわけで、全体としては、ちょっともやっとした感がありました。

 この四人のなかで六月の本公演で歌われるのはベルコーレの森口賢二のみ。他の三人はアンダースタディで入っているのだろうと思います。しかし、アンダーながらそれなりの実力者であることは再確認できましたので、アンダースタディ以上の力の方を集めていると思われる本公演は、魅力的に仕上がる可能性が強いと思います。期待して聴きに行きましょう。

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観劇日:2009517

入場料:A席 9450円 2F 236

主催:新国立劇場/バッハ・コレギウム・ジャパン

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モンテヴェルディ作曲「ポッペアの戴冠」L´incoronazione di Poppea)
台本:ジョヴァンニ・フランチェスコ・ブセネッロ

会場 新国立劇場中劇場

指揮・監修 鈴木 雅明
管弦楽 バッハ・コレギウム・ジャパン               

ヴァイオリン:若松夏美/高田あずみ
リコーダー:向江昭雅/古橋潤一
チェンバロ/ヴァージナル:鈴木優人
チェンバロ/オルガン/レガール:大塚直哉
テオルボ/リュート:今村泰典
テオルボ/ギター:佐藤亜紀子
ヴィオラ・ダ・ガンバ/リローネ:福沢宏
ドゥルツィアン:功刀貴子
チェロ:鈴木秀美
ヴィオーネ:今野京

演 出 鈴木 優人/田村 吾郎
映 像 大西 景太
衣 装 有田 一成
照明コーディネーター 磯野 睦
舞台監督 斉藤 美穂

出 演

ポッペア 森 麻季
ネローネ レイチェル・ニコルズ
オットーネ ダミアン・ギヨン
オッターヴィア 波多野 睦美
アモーレ/ドゥルジッラ 松井 亜希
乳母 山下 牧子
アルナルタ/セネカの友人 上杉 清仁
セネカ 佐藤 泰弘
フォルトゥナ/バッラーデ/ヴェネレ 藤崎 美苗
ヴィルトゥ/アモーレの合唱 野々下 由香里
アモーレの合唱/ヴァレット 中村 裕美
セネカの友人/警護官/執政官 萩原 潤
セネカの友人/兵士/護民官 谷口 洋介
ルカーノ/兵士/親衛隊長 藤井 雄介

感 想 素晴らしい演奏だったとは思いますが、、、-新国立劇場コンサートオペラ「ポッペアの戴冠」を聴く

 バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)が日本を代表する古楽器団体であり、鈴木雅明がオルガン・チェンバロ奏者として世界でもことに有名であることは存じておりましたが、これまで彼らの演奏をまともに聴いたことが無かったと思います。今回、新国立劇場でのコンサートオペラ「ポッペアの戴冠」で彼らの演奏を初めて聴いたわけですが、世界に冠たる団体の力、というものをまさに目の当たりにしたと思います。素晴らしい演奏でした。

 実は古楽器については私はほとんど知識が無く、チェンバロやヴィオラ・ダ・ガンバぐらいまでは流石に知っておりますが、ヴァージナル(チェンバロの一種らしい)、レガール(オルガンの一種らしい)、テオルボ(リュートの一種らしい)、リローネ(チェロとヴィオラの間ぐらいの大きさの弦楽器)、ドゥルツィアン(ファゴットの先祖)、ヴィオーネ(コントラバスの先祖)となると、何のことやらちんぷんかんぷん。まともに聴くのは初めてなのでしょう。17世紀初頭のモンテヴェルディの時代には現代の金管楽器や木管楽器はまだ無く、こういった楽器が一般的で、弦楽器と鍵盤楽器、それにリコーダーでアンサンブルを組んでいたのですね。

 しかし、この12人によるアンサンブルが素敵です。こういう楽器のアンサンブルですから、現代の楽器のように強い音が出ることはありません。これ見よがしの驚かしは無く、優しい音色の連続です。多様性が乏しく、似たムードで進むことから退屈しそうですが、よく鍛えられたアンサンブルで、音のタイミングが絶妙のため、退屈することはありません。そこが、鈴木雅明の技量であり、BCJの実力なのでしょう。

 歌い手も総じて立派。今回のメンバーは、BCJとよくコラボレートしている古楽系の歌手と、森麻季などの非古楽系歌手の混成チームですが、どちらもよく鍛えられていたと思います。特に良かったのがネローネ役のレイチェル・ニコルズとオッターヴィア役の波多野睦美。大変魅力的でした。ニコルズは落ち着いた声の持ち主で、君主の権威を示すだけの力強さもあって気に入りました。波多野睦美は、厚みの一定の声でしっかりと歌って安定感を示します。この二人以外も主役級は皆良い音楽をしました。

 主役のポッペアを歌った森麻季も上々。古楽のメンバーと一緒に歌うことで浮いてしまうのではないか、とも思ったのですが、それはほとんど無かったと申し上げましょう。特にしっかりした高音がよく魅力的でした。森はロマン派以降の娘役もよく歌うわけですが、そういった役よりもバロックオペラのほうが雰囲気が合うのかもしれないと思いました。非古楽系歌手では佐藤泰弘のセネカも良かったと思います。佐藤は本当に低音のよく響く方で、全体に高音系歌手でまとまっている「ポッペアの戴冠」において、十分重石の役を果たしたと思います。

 その他の歌手陣ですが、オットーネ役のカウンターテノールダミヤン・ギノンは、声の張りはあまり感じられないのですが、オットーネのひ弱さを表現するとき、魅力的でした。また、アモーレとドゥルジッラを歌った松井亜希が鈴木の作り出す雰囲気の中で適当な表現をして見せて、代役とは思えない頑張りを示しました。アルナルタ役のカウンター・テナー上杉清仁も良好でした。

 全体に鈴木雅明とBCJの作り出す音楽を土台に、その雰囲気を生かしながら歌手陣は歌っていた傾向があり、音楽的には素晴らしい成果であったように思います。

 しかしながら、私は今回の演奏を十分楽しむことは出来ませんでした。演出がどうにも満足行きません。私は、オペラですからきっちり演出して、しっかりした舞台装置を作って、というの理想的だと思う人間ですが、コンサート形式を否定するものではありません。でも、コンサート形式にするのであれば、中途半端に舞台を作るのではなく、普通に演奏すればいいと思います。

 今回の上演は、字幕を壁に投影するため、歌手たちはスポットライトで映し出される、基本は暗い舞台でした。「ポッペアの戴冠」という作品自体、明るい作品ではありませんが、だからといって暗さ一辺倒の作品でいとも思います。しかしながら、歌手の表情がはっきりしない、これではどのような心情で歌っているのか分りません。また、字幕も通常の字幕と異なって、鈴木雅明の意見らしいですが、役柄の思いにあわせて壁の字幕が大きくなったり小さくなったり、斜めになったりします。その視覚効果が、登場人物の心情を客席にダイレクトに伝えられて有効だろうという仮説だったようですが、それも空回りしていたと思います。結局のところ、ヴェルディやプッチーニのようなドラマティックなオペラを聴きなれている耳にとっては、バロック初期の劇性ぐらいでは全然驚かないということなのでしょう。却って字幕が見づらくて閉口しました。

 今回の上演は、オペラの音楽部分と劇部分を切り離して見せたわけですが、もしそうするのであれば、劇部分を完全に消し去って、純粋に音楽のみを示していただけた方がどんなに良かったかと、演奏が素晴らしかっただけに、そう思いました。

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