オペラに行って参りました-2018年(その3)

目次

駄作の駄演出 2018年5月27日 新国立劇場「フィデリオ」を聴く
もっとさっくりと 2018年6月17日 日生劇場「魔笛」を聴く
サクサクと進む快感 2018年6月23日 Le voci第17回公演「劇場支配人/魔笛」を聴く
硬いことを申し上げる気はありませんが。 2018年7月1日 藤原歌劇団/日生劇場「ドン・ジョヴァンニ」を聴く
トスカが女優でなければならないということ 2018年7月8日 新国立劇場「トスカ」を聴く
考えなければ理解できない演出 2018年7月22日 東京二期会オペラ劇場「魔弾の射手」を聴く
実力者たちの祭典 2018年7月29日 第8回立川オペラ愛好会ガラコンサート「名歌手たちの夢の饗宴」を聴く
カニオの狂気とトニオの邪悪さ 2018年8月5日 エルデ・オペラ管弦楽団「道化師」を聴く
推進力と荒っぽさと 2018年8月11日 荒川区民オペラ第19回公演「イル・トロヴァトーレ」を聴く
ブッファ的悲劇のあり方 2018年8月12日 相模原シティオペラ「仮面舞踏会 」を聴く

オペラに行って参りました。 過去の記録へのリンク

2018年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2018年
2017年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2017年
2016年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2016年
2015年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2015年
2014年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2014年
2013年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2013年
2012年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2012年
2011年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2011年
2010年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2010年
2009年 その1 その2 その3 その4   どくたーTのオペラベスト3 2009年
2008年 その1 その2 その3 その4   どくたーTのオペラベスト3 2008年
2007年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2007年
2006年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2006年
2005年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2005年
2004年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2004年
2003年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2003年
2002年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2002年
2001年 その1 その2       どくたーTのオペラベスト3 2001年
2000年            どくたーTのオペラベスト3 2000年

鑑賞日:2018年5月27日
入場料:C席 7776円 4F 2列47番

主催:新国立劇場

新国立劇場開場20周年記念公演

オペラ2幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
ベートーヴェン作曲「フィデリオ」(Fidelio)
原作:ジャン=ニコラ・ブイイ
台本:
ヨーゼフ・フォン・ゾンライトナー/シュテファン・フォン・ブロイニング/ゲオルク・フィリードリヒ・トライチュケ

会 場 新国立劇場オペラ劇場

スタッフ

指 揮  :  飯守 泰次郎   
管弦楽  :  東京交響楽団 
合 唱  :  新国立劇場合唱団 
合唱指揮  :  三澤 洋史 
演 出  :  カタリーナ・ワーグナー 
ドラマトゥルク  :  ダニエル・ウェーバー 
美 術  :  マルク・レーラー 
衣 装  :  トーマス・カイザー 
照 明  :  クリスティアン・ケメトミュラー 
音楽ヘッドコーチ  :  石坂 宏 
舞台監督  :  村田 健輔 
芸術監督  飯守 泰次郎 

出 演

ドン・フェルナンド  :  黒田 博  
ドン・ピツァロ  :  ミヒャエル・クプファー=ラデツキー 
フロレスタン  :  ステファン・グールド 
レオノーレ  :  リカルダ・メルベート 
ロッコ  :  妻屋 秀和 
マルツェリーネ  :  石橋 栄実 
ジャキーノ  :  鈴木 准 
囚人1  :  片寄 純也 
囚人2  :  大沼 徹 

感 想

駄作の駄演出-新国立劇場「フィデリオ」を聴く

 ベートーヴェンは、クラシック音楽1000年の歴史の中で、最も重要な作曲家の一人であると申し上げて間違いありません。しかし、全作品が名作や傑作かと言えば、もちろんそんなことはないわけで駄作もいろいろ書いています。一般にベートーヴェン作品で駄作と言えば、「ウェリントンの勝利」であるとか、「三重協奏曲」が挙げられますが、私は昔から「フィデリオ」って駄作だよな、と思っていました。ベートーヴェン唯一のオペラということで珍重されていますが、逆にベートーヴェン作曲という部分を外した時、ほんとうに歴史に残るほどの価値がある作品なのかな、と思ってしまいます。確かにあの音楽はベートーヴェンらしいけれども、逆にそのベートーベンらしさがオペラとしての味わいを薄めていると思えるのです。

 なぜこんなことをあえて書いたか、と申し上げると今回の飯守泰次郎の音楽づくりの方向性が、まさにこの作品のベートーヴェンらしさを強調するものであったからです。飯守はオーケストラピットに東京交響楽団の16型のオーケストラを入れて、思いっきり交響楽的に演奏させます。東響はもともと管の良く鳴るオーケストラですから、それは見事です。序曲もよかったし、間奏曲的に演奏される「レオノーレ序曲の3番」なども大変立派な演奏でした。でもその延長線上にすべてがある。

 この作品のフィナーレは大団円で、合唱がフォルテで叫び、オーケストラも咆哮します。もちろん楽譜にはそう書いてあるのでしょう。しかし、あそこまでフォルテシモで飽和させてしまうと、演奏している方は陶酔感があるのでしょうけど、聴いている方はしらけます。単純化された勧善懲悪はベートーヴェンの求めているものかもしれませんが、そこは敢えてもっと細かな表情を付けて繊細な表現をした方が21世紀的だと思います。全体的に非常にやぼったい印象がいたしました。

 それでも音楽の作りはまだ許せます。許せないのは装置、そして演出です。

 今回の装置は刑務所を断面から映しています。この刑務所は3階建てです。第1層は、政治犯の雑居房があるところ、第2層は独居房のあるところで、フロレスタンはここに監禁されています。第3層は刑務所の事務所という設定です。第3層の地上部分は3つに区切られていて、向かって左側からレオノーレの居室、マルツェリーネの部屋、刑務所の事務室という設定なのでしょう。だから例えば第一幕の四重唱はレオノーレは左側で、マルツェリーネは中央で、ロッコとジャキーノは右の部屋で歌うのですが、声の響き方が違います。中央部分からはしっかりと声が舞台から客席に向かって飛んでくるのですが、両脇からは抜けたような音しか飛んできません。メルベートや妻屋といった声量のある歌手ですらそうですから、レジェーロテノールの鈴木准に至ってはかなり聞き取りにくい歌になっていました。これは如何なものかと思います。何しろバランスが悪くて気持ち悪い。多分装置の設計ミスなのでしょう。このシーズン中の対応は難しいでしょうが、万が一再演する場合は、しっかり対応を取ってほしいと思います。

 装置はどうしようもないですが、演出も整理されていません。序曲が演奏されている最中に第3層の中央部分(マルツェリーネの部屋と呼んだところ)は緑のカーペットが敷かれ、花が刺されます。しかしこのカーペットはドン・ピツァロが登場しそうになると慌てて片付けられてしまう。この辺のドタバタがなぜ行われなければいけないのか、ちょっとわかりませんが、これはストーリーの本質とは関係ないのでまあいいですが、第二幕でドン・ピツァロがフロレスタンを暗殺しようとする場面。ここでのワーグナーの演出はナイフを持ったドン・ピツァロが何度もフロレスタンにぶつかっている。ナイフを持ってぶつかっているのだから当然刺さなければおかしい。しかし台本では怪我をしないことになっているので、もちろんそうはならない。論理的な演出になっていないので、見ていると変だよな、と感じてしまうのです。更に申し上げるならば、「救出オペラ」であるにも関わらず、救出されたはずのフロレスタンも救出したレオノーレも脱出したところでみんな死んでしまう。ナチスを経験しているドイツの演出家の思考(というよりも嗜好かな)が感じられる訳ですが、これも自分的には非常に違和感がありました。

 以上のような悪い土台の中で、歌手たちはそれなりに健闘しました。まずマルツェリーネを歌った石橋栄実がよかったです。アリア「もし、あなたと一緒になれたら」は少女らしい雰囲気がよく出ていて見事だったと思います。グールドのフロレスタンも立派。第一幕は歌うところはないのですが、その苦悩を表現するためなのでしょうか、舞台にほぼ出ずっぱりでした。そいう条件でも二幕の幕開けのアリアは大変立派でしたし、その後もヘルデンテノールらしい密度の濃い声で会場を魅了しました。妻屋が安定しているのはいつもの通り。本作では一番ブッフォ的な役柄ですが、そこも演出家の要求に従って演じていたのかなと思います。

 クプファー=ラデツキーのドン・ピツァロは演技は上記のようによく分かりませんでしたが、歌唱は納得できるもの。ただ演出的にも単純な悪人としか描かれていないように見えるので、凄く薄べったく感じてしまいます。

 メルベートのレオノーレは金切り声の絶叫が目立って、あまり好きにはなれません。またレオノーレがフロレスタンを救出するためのいくつかのポイントがあると思うのですが、そこの演出もあまり整理されていない感じで、なんか気が付くと話が進んでいるみたいなところがありました。

 以上、ベートーヴェンの方針に従って楽譜に忠実に音楽を演奏すれば、こうなりますよ、という音楽。でもそれは整理されない演出と組み合わされて野暮ったくなりました。駄作を強調する演出と演奏と申し上げましょう。

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鑑賞日:2018年6月17日
入場料:B席 5000円 2F I列13番

主催:(公財)ニッセイ文化振興財団

日生劇場開場55周年記念公演 NISSAY OPERA2018 モーツァルトシリーズ

オペラ2幕、字幕付歌唱原語(ドイツ語)・台詞日本語上演
モーツァルト作曲「魔笛」(Die Zauberflöte)
台本:
エマヌエル・シカネーダー

会 場 日生劇場

スタッフ

指 揮  :  沼尻 竜典   
管弦楽  :  新日本フィルハーモニー交響楽団 
合 唱  :  C.ヴィレッジ・シンガーズ 
合唱指揮  :  田中 信昭 
演出/上演台本  :  佐藤 美晴 
ドラマトゥルク  :  長島 確 
美 術  :  池田 ともゆき 
衣 装  :  武田 久美子 
照 明  :  伊藤 雅一 
ヘアメイク  :  橘 房図 
映 像  :  須藤 崇規 
舞台監督  幸泉 幸司/井坂 舞 

出 演

ザラストロ  :  伊藤 貴之  
タミーノ  :  山本 康寛 
パミーナ  :  砂川 涼子 
夜の女王  :  角田 祐子 
パパゲーノ  :  青山 貴 
パパゲーナ  :  今野 沙知絵 
モノスタトス  :  小堀 勇介 
侍女1  :  田崎 尚美 
侍女2  :  澤村 翔子 
侍女3  :  金子 美香 
童子1  :  盛田 麻央 
童子2  :  守谷 由香 
童子3  :  森 季子 
弁者・僧侶1  :  山下 浩司 
僧侶2  :  清水 徹太郎 
武士1  :  二塚 直紀 
武士2  :  松森 治 

感 想

もっとザックリと-日生劇場「魔笛」を聴く

 佐藤美晴の五島記念文化賞オペラ新人賞研修成果発表を兼ねた舞台。そういう機会ですので、佐藤は相当気負った舞台で勝負してまいりました。よく考えた舞台だとは思いましたが、はっきり申し上げれば空回りも少なくない舞台だったと申し上げるべきでしょう。気負いがいい方向にも悪い方向にも向いてしまったように思います。 

 上演台本は佐藤美晴が書いたそうですが、面白いけど冗長な感じがしました。台詞が必要なオペラやオペレッタでは、台詞部分が少ない方が締まってよい舞台になることが多いです。必要な情報は伝えなければいけないし、その中に遊びが入っていて悪いことはないのですが、台詞を精選しないといけない。佐藤の台本は冗長で、オーケストラがだれてしまっていました。もちろんだれないように緊張感を持って待っていて欲しいですけど、そこは演出家も考えなければいけないと思います。

 なお、舞台の作りは素敵でした。羽根型の背景板を二つ置いて、それを回転させることによって3つの背景を使っていく。それ自身は珍しいものではありませんが、その背景がしっかり反響版になっていて、日生劇場という必ずしも音響の良いと言えないホールで、響きを飛ばすことに成功していました。また、演出自身も非常に女性を感じさせるものでした。もともと「魔笛」というオペラはフリーメイソンの影響を受けていて、フリーメイソンは古くは男尊女卑的傾向の強い団体でしたから、「魔笛」も男尊女卑的な側面があります。しかし、現代、この側面をことさらに強調する演出は普通はやらないのではないかしら。しかし、今回の佐藤の演出は敢えてそこを強調してみせる。例えばパミーナをキャピキャピのミーハー女子として描いたり、ザラストロに夜の女王の悪口を「女である」という視点で言わせてみたり。それは決して趣味の良いものではないと思いましたが、シカネーダー視点への疑問だったのではないかという気がしました。ザラストロが「善」で夜の女王が「悪」というのが魔笛の基本的な見方ですが、佐藤は、そこを「男」は「善で陽性」、「女」は「悪で陰性」という風に読み替えて見せて、作品の持つ男尊女卑敵性格を浮き彫りにいたしました。

 さて演奏ですが、全体としてもったりとした印象の演奏。沼尻竜典は基本的にはゆったりと振っていたのかな、という印象です。ゆっくりと演奏すること自体が悪いとは思いませんが、今回の演奏はただ遅いわけではなく、全体に音楽が重い感じで、この演奏が本当にこの作品に似合っているのかな、と思ってしまいました。

 歌手陣は総じて良かったと思います。まず何といっても日本人パミーナの第一人者、砂川涼子のパミーナが素晴らしい。砂川のパミーナは何度か聴いておりますが、非常に安定しているなという印象。細かい処の表現が丁寧かつ的確で、さすが実力派歌手だなと思いました。砂川のすごさは、台詞で悲鳴を上げた後の直後でも歌が乱れないところ。息の使い方、あるいは呼吸がとても上手なのだろうなと思いました。

 青山貴のパパゲーノもよい。まだまだ若い方ですが、佐藤美晴の若い演出を楽しんでいる様子がまずよかったです。その上で、歌唱も見事でした。「魔笛」では結局のところパパゲーノが一番活躍するわけですから、彼がよかった、というのは聴き手にとって大変うれしいところです。砂川がよく青山がよいので、二人の二重唱は特に素敵。聴きごたえがありました。 

 夜の女王を歌った角田祐子は初めて聴く方。歌唱技術的には何ら破綻なく歌い、結構でしたが、第一アリア「ああ、恐れおののかなくてもよいのです、わが子よ!」中間音に母親の情感はほとんど聴くことはできず今一つ残念でした。難しいコロラトゥーラに意識が集中しすぎたのでしょうが、ほんとうは中声部の表現の仕方にこのアリアの聴きどころがあるのだということを知って、頑張ってほしいなあと思いました。これと比べると第二アリアの方は歌い込んでいる様子で、技巧的なところが強調されているきらいはありましたが、安定感はあったと思います。

 伊藤貴之のザラストロ。歌唱は素晴らしかったです。低音がしっかりと響く様子が何とも立派です。ただ佐藤の演出するザラストロは情感の乏しい冷静な人として描かれているようで、歌は立派なのですが、冷たい感じが終始致しました。パミーナを慰める「この神聖な殿堂には」は、歌詞の内容と歌っている雰囲気にギャップがあって、ちょっと違和感がありました。

 山本康寛のタミーノ。今一つでした。「何と美しい絵姿」が今一つぱっとせず、タミーノの性格付けに失敗したように思います。山本はレジェーロテノールとして魅力ある声をしていますが、タミーノを歌うのであれば、その声がもっと自然に響いてほしい。重唱等でそう響いていたところもあったのですが、「何と美しい絵姿」は人工的な印象の強い声で、私の趣味とは異なりました。今回、モノスタトスは小堀勇介が歌いました。小堀も若手の今後期待したいレジェーロテノールです。小堀がタミーノを歌ったらどんな感じだったろうと思ってしまいました。

 その小堀勇介のモノスタトス。小堀がキャラクターテノールの役を歌うというのは正直驚きでしたが、なかなか嵌っていてよかったです。モノスタトスの小悪党的雰囲気がよく出ていましたし、アリアもよい調子でした。

 今野沙知絵のパパゲーナ。おばあさんを演じているときの言葉のイントネーションが仙台弁のイントネーションで、そこが面白かったです。「パ・パ・パ」は見事でした。

 重唱陣は何といってもクナーベの三人がよい。声質が揃っているのか、音程がしっかりしている方が集まったためか、大変バランスの良いハーモニーで感心しました。Braveです。この舞台では白い燕尾服を着て、序曲から狂言回し的な活躍もされていましたが、その存在感もちょうどよい感じで、こういう処に演出家のセンスが光っているな、と思いました。

 侍女の三人は悪くはないのですが、重唱向きの歌手ではなく、ソリスト向きの歌手で組んだということなのでしょう。アンサンブルの響き方が童子のようにはまとまっては聴こえてきませんでした。弁者と僧侶1を歌った山下浩司。二期会「魔笛」でもパパゲーノの常連だったと思います。弁者を歌われるベテランになられたんだなあ、という感慨を感じました。僧侶2の清水徹太郎。パパゲーノと絡む芝居で見せてくれました。二人の武士はアンサンブルよりもソリスト寄りの歌唱。お互いのエゴがちょっと出すぎた感じがいたしました。

 以上音楽も演出も断片で見ていけばとても素晴らしい部分がたくさんあるし、楽しみもしたのですが、全体を見ると、音楽も演出もいま一つバランスが悪い感じがしました。そこが残念な感じがしました。

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鑑賞日:2018年6月23日
入場料:自由席 4000円 (実際に鑑賞したのは、12列10番)

主催:Le voci

Le voci 第17回公演

音楽付き喜劇1幕、字幕付歌唱原語(ドイツ語)・台詞日本語上演
モーツァルト作曲「劇場支配人」(Der Schauspieldirektor)
台本:ヨハン・ゴットフリード・シュテファニー

オペラ2幕、字幕付歌唱原語(ドイツ語)・台詞日本語上演/ナレーション付き演奏会形式
モーツァルト作曲「魔笛」(Die Zauberflöte)
台本:エマヌエル・シカネーダー

会 場 かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール

スタッフ

指 揮  :  安藤 敬   
管弦楽  :  テアトロ・フィガロ管弦楽団 
合 唱  :  テアトロ・フィガロ合唱団 
ナレーター  :  丸山 小百合 
上演台本協力  :  黒田 裕史 
演出/上演台本  :  佐藤 美晴 
衣裳協力  :  森真佐乃/柳沢憲子 
字幕画像制作・操作  :  桑原 理一郎 
舞台監督  米本 麻紀子 

出 演

劇場支配人

支配人の秘書  :  丸山 小百合  
マダム・ヘルツ  :  東 実和 
マドモアゼル・ジルバークラング  :  山邊 聖美 
フォーゲルザンク  :  川野 浩史 
ブッフ  :  山崎 大作 

魔笛

ザラストロ  :  高橋 雄一郎  
タミーノ  :  藤田 卓也 
パミーナ  :  藤永 和望 
夜の女王  :  内海 響子 
パパゲーノ  :  大川 博 
パパゲーナ  :  辻岡 美沙子 
モノスタトス  :  川野 浩史 
侍女1  :  藤野 沙優 
侍女2  :  町田 天音 
侍女3  :  友光 曜子 
童子1  :  伊東 優 
童子2  :  藤川 咲季 
童子3  :  宇佐美 弘枝 
弁者・僧侶1・武士2  :  川上 敦 
僧侶2・武士1  :  竹内 篤志 

感 想

サクサクと進む快感-Le voci第17回公演「劇場支配人」/「魔笛」を聴く

  二週連続で「魔笛」を鑑賞しました。全く正反対と言ってよい上演で、面白かったです。先週の日生劇場公演は割と演出過多で、音楽の進みが遅くてちょっと停滞感があったわけですが、今回のLe voci公演、演奏会形式ということで、台詞はほとんど(99%)カット、通常台詞で進む部分は、ナレーターによって説明されその分進行が速いです。更に指揮者は思い入れのある指揮ぶりを見せないせいなのか、全体的にすっきりとした演奏で、音楽自体も軽快でした。また、台詞がカットされた分時間に余裕ができたということで、「劇場支配人」は併演されました。こちらは「魔笛」よりもしっかり演技が入り、オペラ的だったと申し上げられると思います。

 演奏会形式とは言うものの、オーケストラは舞台下のオーケストラピットにおり、舞台上は歌手の方しかおりません。また、舞台壁面にはスライドが映写され、そこに字幕とともに背景的な画像を流すので、オーケストラが舞台に上がり、歌手がその前で歌唱する「普通の」演奏会形式とはちょっと違います。また、男性歌手は基本燕尾服姿ですし、女性も多分自前のドレスでの登場だと思いますが、侍女や童子は三人がお揃いの衣裳で登場しており、それなりの統一感がありました。

 さて演奏ですが、「劇場支配人」、こちらは演奏会形式と言いながらも、完全に演技が行われ、明らかに舞台劇でした。通常は台詞役の男性の劇場支配人が登場するわけですが、今回は支配人は雲隠れして代わりに支配人の秘書が活躍するという設定。この秘書を演じた丸山小百合は、後半の「魔笛」ではナレーターを務めましたが、こちらの秘書役の方が女優さんらしい雰囲気があってよかったと思いました。ブッフ役の山崎大作のオロオロした感じもよかったです。

 三人の歌手の中では、何といってもジルバークラング役の山邊聖美がよい。マダム・ヘルツとのさや当ての演技もよかったと思いますし、歌唱もいかにもオーデションで歌う新人歌手のように見えて結構だったと思います。東実和のマダム・ヘルツも雰囲気はあるのですが、演技が役に入り切っていなかったことと、一部音が音が上がり切れていないところがあって、ちょっと不満でした。三重唱はきっちりまとまっていました。

 魔笛ですが、先週の日生劇場公演と比較すると若い歌手の方が多い舞台で、その分線の細い感じがありました。またこの3か月で3回「魔笛」の舞台を見たのですが、全体的なバランスで申し上げれば一番素直な演奏で、納得いきました。

 歌手はなんと言っても藤田卓也のタミーノがよかったです。今年聴いたの過去二回のタミーノはどちらもイマイチだったのですが、藤田はほぼ文句なし。リリックな歌声が美しくうっとりするほどです。「何と美しい絵姿」が綺麗に決まると雰囲気がまとまって素敵になります。もちろん力が入る部分もあり、モーツァルトとしてはどうかな、と思った部分もあるのですが、そこはコントロールできる範囲ですから、流れで見れば説得力があり、非常に立派だったと申し上げられると思います。

 ザラストロの高橋雄一郎もまあよかったと思います。ザラストロは「魔笛」の最低音を受け持つわけですが、これをしっかり響かせるのはなかなか大変です。高橋はまだ若い方のようで、緊張が歌の中に出ており、終始無表情でザラストロが感じさせなければならない慈愛のようなものを出すには至っていなかったのですが、歌唱そのものは丁寧でしたし、響きもしっかりしていました。

 パパゲーノ役の大川博もしっかりした歌唱でした。レガートを大切にした丁寧な歌唱でとてもよかったのですが、パパゲーノの演技をしなくてもよいというのが歌に影響していた印象で、重たい感じが終始付きまといました。多分、鳥刺しの服を着て演技をしているときのパパゲーノのテンションにはなっていなかったのではないかと思います。

 藤永和望のパミーナ。歌自身は丁寧で悪いものではありませんでしたが、パミーナの持つ少女的な可愛らしさが感じられなかったのが残念です。ところどころが重くなっているのだろうと思います。歌唱の磨き方の点で、先週聴いた砂川涼子や5月に聴いた盛田麻央と比較すると、明確な実力差がありました。

 内海響子の夜の女王。若い歌手が夜の女王を歌うときに感じる一般的な問題と彼女自身の問題の両方を感じました。前者は第一アリア、「ああ、恐れおののかなくてもよいのです、わが子よ!」で典型的に現れますが、中間音に母親の情感はほとんど聴くことはできませんでした。彼女の場合、コロラトゥーラに意識が集中してしまい、第二アリアで歌詞を落とすという失態を見せました。何度も書いていますが、昔、夜の女王を完璧に歌いこなせる人はごく僅かで、コロラトゥーラの難しさがその理由としてあげられていましたが、最近の若手のレジェーロ系ソプラノは、装飾歌唱もF音も当たり前に歌いこなします。そうなると夜の女王と雖も、中音部でどれだけ表情豊かに歌えるかが評価のポイントに変わってきます。その観点からすれば、先週聴いた角田祐子も今回の内海響子もまだまだだな、という処なのでしょう。

 川野浩史のモノスタトス。こちらはコミカルな表情が感じられてよかったです。辻岡美沙子のパパゲーナも演技も頑張り、パパパの二重唱もよい雰囲気で歌いました。重唱陣は侍女のトリオは先週の日生のグループよりアンサンブルとしてのまとまりがよかったと思います。ただ、ここの歌手の力量には格段の差があるためか、歌の彫りの深さはかなわなかったのかな、という処。童子三人はしっかりは歌っていましたが、アンサンブルの見事さも声の力も先週の日生劇場グループとはレベルに格段の差がありました。僧侶、武士の二重唱は二人がお互いがおっかなびっくりのところがあって、ちょっと縮こまった歌になっていました。ただ、テノールの竹内篤志は声に伸びがあって、清新な表情がよかったです。

 今回の魔笛「演奏会形式」で演技がなかったことが、歌唱によい影響を与えているように思いました。若い歌手が中心で、大舞台に立てるような実力の持ち主はあまりいなかったわけですが、皆丁寧に音楽に真摯に向き合っている感じがよく分かり、それが神経質な歌に結びついたりはしていたのですが、まとまりはあって満足できるものでした。音楽の推進力もよかったですし、素敵な演奏会だったと思います。

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鑑賞日:2018年7月1日
入場料:B席 9800円 2階E列26番

主催:公益財団法人日本オペラ振興会/公益財団法人ニッセイ文化振興財団

藤原歌劇団公演
NISSAY OPERA 2018モーツァルト・シリーズ

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「ドン・ジョヴァンニ」(Don Giovanni)
台本:エマヌエル・シカネーダー

会 場 日生劇場

スタッフ

指 揮  :  ジュゼッペ・サッバティーニ   
管弦楽  :  東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 
フォルテ・ピアノ  :  小谷 彩子 
合 唱  :  藤原歌劇団合唱部 
合唱指揮  :  河原 哲也 
演 出  :  岩田 達示 
美 術  :  増田 寿子 
衣 裳  :  前田 文子 
照 明  :  大島 祐夫 
舞台監督  菅原 多敢弘 

出 演

ドン・ジョヴァンニ  :  カルロ・カン 
ドンナ・アンナ  :  坂口 裕子 
ドンナ・エルヴィーラ  :  佐藤 康子 
ドン・オッターヴィオ  :  中井 亮一 
騎士長  :  東原 貞彦 
レポレッロ  :  田中 大揮 
ゼルリーナ  :  梅津 貴子 
マゼット  :  大塚 雄太 

感 想

硬いことを申し上げる気はありませんが、、、-藤原歌劇団/日生劇場「ドン・ジョヴァンニ」を聴く。

 歌手出身の指揮者がどれぐらいいるかは知りませんが、一流歌手で指揮者と言えば、プラシド・ドミンゴぐらいしかぱっと思いつきません。サッバティーニも数少ない一人なのでしょう。それだけに独特の指揮をするのではないかと思って伺ったのですが、その指揮の傾向は若干ドラマティックな方向に強調されている感はあったのですが、基本的には中庸な指揮だったと思います。自らが歌手で、歌手の生理を知り尽くした人ですから、もっと歌手に寄り添った指揮をするのかな、と思いきや、そこも中庸(と言いながら、ソリストをよく見ていましたし、所々、歌手に出す指示のタイミングは、さすがだな、と思わせるに十分でした)でした。しかし、そうすることによって、「ドン・ジョヴァンニ」というある意味かなり特殊なオペラの特徴を示すことに成功していたと思います。

 歌手も総じて良かったと思います。

 主役のドン・ジョヴァンニを歌ったカルロ・カン。彼はドン・ジョヴァンニのデモーニッシュな表情を強調した表現で歌いました。ドン・ジョヴァンニはそういう役柄ですから、誰が歌っても悪魔的な表現は考えるのでしょうが、それが嵌っているという点で、私が実演で聴いたドン・ジョヴァンニの中では一、二を争うようなレベルだったと思います。言い換えるなら無機的なドン・ジョヴァンニと申し上げられるかもしれません。色気がなかったとは申し上げませんが、色気よりも悪役的な表情が強く印象に残って、色っぽい部分がどこか飛んで行った感じです。好みの問題ですが、私は色っぽさと悪魔的な部分がもっとバランスされたドン・ジョヴァンニが好きです。 

 レポレッロ。田中大揮が演じました。田中はコミカルな役柄も得意とする方ですが、今回も大柄の身体を小さくしてコミカルに演じていました。そこが面白い。歌唱は非常に立派。低音がよく響いてきていましたし、この作品ももっとも有名なアリアである「カタログの歌」も丁寧かつ正確な歌唱でよかったです。ドン・ジョヴァンニとレポレッロは表裏一体の関係にあるわけですが、悪魔的なドン・ジョヴァンニとコミカルなレポレッロは対立的な感じにも、相補的な感じにも見え、楽しむことができました。

 佐藤康子のドンナ・エルヴィーラ。こちらもとても立派。ドン・ジョバンニの登場人物の中ではある意味一番人間臭い役です。その感情の揺らぎが、明晰な歌唱で裏付けしている感じで、とても素敵でした。レポレッロとエルヴァーラがこの作品のキーとなる役柄だと思いますが、今回歯この二人がとてもよかったので大変満足できました。

 坂口裕子のドンナ・アンナも技巧的な歌唱で見事。彼女はこれまでの役柄からして、当然ゼルリーナが一番似合っていると思って聴きに行ったのですが、ドンナ・アンナもしっかりと歌われていてよかったです。ただ、役柄的な特徴がもともとあまりはっきりしていないことも関係するのだと思いますが、上手だけど存在感が今一つ薄い感じがしました。

 中井亮一のドン・オッターヴィオ。立派でした。凄く魅力的な歌唱。オッタ—ヴィオはこの作品の中では刺身の妻ほどの意味もない役柄だと思いますが、その中でロココ的雰囲気をしっかり出して歌うと、作品の流れに対する明瞭なくさびになって、作品に色を付けるのにものすごく貢献しています。フランス料理のグラニテみたいなものですが、最上のグラニテは、料理の味を盛り上げる。そんな歌唱だったと思います。

 その中でちょっと残念だったのがゼルリーナ。梅津貴子。決して悪い歌唱ではなかったのですが、声がゼルリーナにしてはちょっと重いかな、という印象。スーブレットという感じがほとんどしませんでした。所々でどすが効いてしまうところが、ゼルリーナとしては如何なものか。動きとかは溌溂とした感じが出ていますが、例えば誘惑の二重唱は、ドン・ジョヴァンニの色気とゼルリーナのカマトトぶった可愛さのせめぎあいみたいなものを感じさせてほしいのですが、ドン・ジョヴァンニも色気不足でしたし、ゼルリーナの声もおきゃんな感じがないので、そういう味わいはありませんでした。

 大塚雄太のマゼットはさすがの美声で聴かせてくれました。東原貞彦の騎士長もポジションの高いところで響かせており、不気味さという点では今一つでしたが、歌としてはよかったです。

 岩田達宗の演出。私はこれまで岩田の演出をあまり評価してこなかったのですが、今回はさほど悪くはなかったと思います。舞台の上に花道的に十字架が置いてあり、その上で演技するというのは、言ってみれば陳腐な演出です。しかし、それぐらいの過激さが「ドン・ジョヴァンニ」にはちょうど良いように思いました。歌手の動かし方などはもう少し優しくても良いのではないかと思う部分もありましたが、歌手の生理に大幅に反するようなことはやっていなかったので、歌手にとっては歌いにくい舞台ではなかったのだろうな、と思います。

 以上、個別に見ていくと細かい問題はあるにしてもよかったと思うのですが、全体として凄い違和感があるのです。一言でいえば、声がみな明晰すぎるのです。響きが非常にきれいですし、声もびんびん飛んでくる。最初、「日生劇場」ってこんなに良く響くホールだったかな、と思いました。しかし、聴き続けていると、何か変なんです。やっぱりクリアすぎます。もちろん歌手たちがワイアレスマイクを着けていたとか、そういうことではないのですが、収音マイクで音を集めて増幅しているのではないか、という風に思えて仕方なくなりました。

 オペラはそもそも、自分の声そのもので勝負して、電気的な応援に頼らないところにその醍醐味があります。しかしながら、ホールの条件によっては、その正論で押し通せない場合だってあるのでしょう。だから、PAを使用して音を増幅したことそれ自体を批判する気はありません。しかし、それを観客に気付かれてはいけないでしょう。PAを使用するならもっと自然に使用して欲しいと思いました。

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鑑賞日:2018年7月8日
入場料:C席、6804円 4階3列38番 

主催:新国立劇場

新国立劇場開場20周年記念公演

オペラ3幕 字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「トスカ」(Tosca)
原作:ヴィクトリアン・サルドゥ
台本:ジュゼッペ・ジャコーザ/ルイージ・イリッカ

会場 新国立劇場オペラ劇場

スタッフ

指 揮 ロレンツォ・ヴィオッティ  
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団/びわ湖ホール声楽アンサンブル
合唱指揮 三澤 洋史
児童合唱  :  TOKYO FM少年合唱団 
児童合唱指導  :  米屋 恵子、林 ゆか
演 出 アントネッロ・マダウ=ディアツ
美 術 川口 直次
衣 装    ピエール・ルチアーノ・カヴァッロッティ 
照 明 奥畑 康夫
再演演出 田口 道子
音楽ヘッドコーチ 石坂 宏
舞台監督 斉藤 美穂

出演者

トスカ キャサリン・ネーグルスタッド
カヴァラドッシ ホルヘ・デ・レオン
スカルピア クラウディオ・スグーラ
アンジェロッティ 久保田 真澄
スポレッタ 今尾 
シャルローネ 大塚 博章
堂守 志村 文彦
看守 秋本 健
羊飼い 前川 依子

感 想

トスカが女優でならなければいけないこと-新国立劇場「トスカ」を聴く。

 そもそもヴェリズモ・オペラが嫌いで、「トスカ」もあまり趣味ではありません。更に言えば、プッチーニ先生、ものすごく吟味して作曲したにもかかわらず(私見ですが、純粋に音楽だけを評価すれば、プッチーニの一番の傑作は「ボエーム」、二番目が「トスカ」でしょう。)音楽の与え方があまり的確ではなかったので、上手な歌手たちで演奏しないと、なかなかこのドラマの奥行きは表現し辛いところがあります。それでもしばしば上演されるので、私は、これまで10回以上聴いてきたと思います。新国立劇場のこの舞台もプレミエの2000年公演から毎回欠かさず聴いていますが、私が聴いたトスカ役の中で、今回のトスカが一番良かったのではないかと思いました。

 キャサリン・ネーグルスタッド、素晴らしいトスカでした。

 「トスカ」というオペラ、ストーリーの意図としているように観客に聴かせるのが、実は非常に難しい作品です。スカルピアはオペラ三大悪役の一人、と言われるほどの悪役で、歌っている内容からすれば、まさに人非人としか言いようのない人物ですが、プッチーニの与えた音楽は結構かっこいいです。イタリア語を知らない観客が聴けば相当魅力的な悪役に聴こえてしまう。普通に歌われると、なぜトスカはスカルピアの悪の魅力に惹かれなかったのだろうと思えてしまいます。それだけにスカルピアを悪役のように歌い、演技するのはたいへんで、その点で納得できたのは折江忠道のスカルピアぐらいかもしれません。今回のスカルピア、スグーラも立派な歌を歌っていて、トスカが惹かれるべきスカルピアになりそうだったのですが、トスカの演技がそれを否定しました。

 第二幕のネーグルスタッドのトスカ、「スカルピア嫌いだオーラ」が出まくっていました。多分それは細かい演技や、スカルピアから虐められる部分での細かい歌唱を工夫することによってそのように見せているのだろうと思いますが、非常に緊迫感がありました。「歌に生き、愛に生き」ゆっくりしたテンポで繊細に歌われ、この歌に秘められている諦念がよく分かる大変すばらしい歌唱でした。そして、スカルピアを刺殺した後のトスカのモノローグ。その声色を使った表現は虚無的としか言いようのないもので、このソプラノの女優魂を強く感じました。

 スカルピアのスグーラはそこまで悪を感じさせる歌唱でも演技でもなかったと思うのですが、トスカにあのように歌われれば、ほんとうに悪役に見えてしまう。そこがネーグルスタッド・トスカのすごさ、素晴らしさではないかと思いました。また、私はトスカの一番魅力的なところは、音楽的に壮大な音が響き渡る第一幕の後半、スカルピアが登場してから、テ・デウムに至る部分だと思っていたのですが、やっぱり劇としてのクライマックスは第二幕にあるのと再確認させられました。それを認識させたネーグラスタットにBravaassimoを送ります。

 とはいえ、スグーラのスカルピアも悪の魅力をふんだんに飛ばしていて、良かったです。第一幕後半の歌唱・演技もよかったですし、トスカに相対する第二幕もいやらしさ十分でした。

 ホルヘ・デ・レオンのカヴァラドッシ。こちらは前回の2015年でも登場した方ですが、カヴァラドッシの女々しさを感じさせることに長けていました。原作ではホセってもっともっと英雄的人物らしいのですが、プッチーニのカヴァラドッシに与えた音楽は英雄的な側面を感じさせない女々しいもの。だから女々しいカヴァラドッシの表現は正しいのでしょうが、トスカが惹かれて当然と思えるような男っぽさを感じさせる歌唱・演技がもう少し見えると、劇全体としてのバランスがさらに良くなるのかな、と思いました。

 脇役陣では志村文彦の堂守がよく、前川依子の羊飼いも素敵でした。

 この緊迫した舞台を支えたヴィオッティのコントロールも褒めなければいけません。この緊迫した空間を生むために、歌手たちとも綿密に打ち合わせていたのでしょう。劇的な表情が素晴らしい演奏で、響きも見事でした。

 更にこのディアツの素晴らしい舞台は新国立劇場で最もたくさん使われているもので、スタッフも慣れているのでしょう。裏方のスムーズな流れが、音楽の緊迫感を生むのにサポートしているように思いました。トスカ嫌いの私でも「素晴らしかった」と躊躇なく申し上げられるだけの舞台でした。

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鑑賞日:2018年7月22日
入場料:D席、6000円 5階L1列25番 

主催:文化庁、公益財団法人東京二期会

ハンブルグ州立歌劇場と東京二期会オペラ劇場の共同制作

東京二期会オペラ劇場

オペラ3幕 字幕付歌唱原語(ドイツ語)台詞日本語上演
ウェーバー作曲「魔弾の射手」(Der Freischütz)
原作:ヨハン・アウグスト・アーペル
台本:ヨハン・フリードリヒ・キーント

会場 東京文化会館大ホール

スタッフ

指 揮 アレホ・ペレス  
管弦楽 読売日本交響楽団
合 唱 二期会合唱団
合唱指揮 増田 宏昭
演 出 ペーター・コンヴィチュニー
舞台美術 ガブリエーレ・ケルブル
衣 装    エリカ・アイルメス(ハンブルグ州立歌劇場) 
照 明 ハンス・トェルステデ
演出補 ペトラ・ミュラー
舞台監督 幸泉 浩司

出演者

オットカール 薮内 俊弥
クーノー 伊藤 純
アガーテ 北村 さおり
エンヒェン 熊田アルベルト綾乃
ガスパール 加藤 宏隆
マックス 小貫 岩夫
隠者 小鉄 和広
キリアン 杉浦 隆大
ザミエル 大和 悠河

感 想

考えなければ理解できない演出-東京二期会オペラ劇場「魔弾の射手」を聴く。

 「魔弾の射手」と言えば、ドイツ・ロマン派オペラの嚆矢と言われ、音楽史的には非常に重要な作品です。また音楽的にも親しみやすいメロディーにあふれでいます。私自身も「序曲」や「狩人の合唱」は子供のころからの愛聴曲でした。でも、その割に上演されることが珍しい作品。私もこれまでちゃんと聴いたのは、1990年コヴェントガーデン(コリン・デイヴィス指揮)、と2001年東フィルオペラ・コンチェルタンテ(チョン・ミョンフン指揮)、2008年新国立劇場(ダン・エッティンガー指揮)の都合3回。今度が四度目の経験になります。オール日本人キャストは初めて。考えてみると、ロンドンの上演はルネ・コロがマックスを歌い、カリタ・マッティラがアガーテを歌うという舞台だったのですが、あんまりいい演奏ではなかったな、という印象だけが残っています。2001年は凄いよい演奏で台詞をほとんどカットして音楽の素晴らしさだけでつないだもの。2008年は、分かりやすい舞台ではあったのですが、音楽的には今一つだったのかな、という印象が残っています。

 久しぶりの「魔弾」は、音楽的に言えば、2001年に次ぐ立派な演奏だったと思います。歌手ははっきり申し上げれば軽量級でドイツ・ロマン派的な重厚さは感じることができませんでしたが、そのレベルで全員がバランスを取っていたので、迫力は十分ではありませんでしたが、音楽的なバランスはあって、聴いていて不快なところはありませんでした。

 指揮者のアレホ・ペレス。初めて聴く方ですが、凄く推進力のある指揮をする方で音楽がやや前のめりに進んでいく感じです。読響はドイツ的響きに魅力があるオーケストラ、という印象があるのですが、今回の音に関しては、そのようなローカル性を感じさせることのないものでした。二期会は「魔弾の射手」を演奏するために読売日響を招聘したのだろうと思うのですが、「ドイツ的音響」という観点からは、期待が裏切られた、と申し上げてよいのではないでしょうか。しかし、それが悪かったかと言えば、私はそうは思いません。細かいことを申し上げればホルンが結構外れていたとかいろいろあるのですが、ドイツ的重厚さが消えても音楽としてのプロポーションはしっかり維持されていたので、それはそれでよいと思っています。もう一つ申し上げるならば、歌手陣も基本軽量級だったので、このオーケストラの音とのバランスの点でもちょうどよかったのかな、と思います。

 小貫岩夫のマックス。良かったです。小貫の声質からして、マックスには軽いのではないかと思ったのですが、逆にその軽さゆえに、マックスの弱さのようなものが声に現れてきて、魅力的でした。マックスと言えばワーグナーテノールがよく歌う役柄ですが、そういう方が歌いあげるマックスも悪くないですが、ちょっと神経質な雰囲気が見えるマックスもいいなと思った次第です。思いがけない収穫でした。

 加藤宏隆のガスパールもよかったです。思いっきり悪役というより小悪党だと思うのですが、その小悪党な感じの役作りもよかったですし、あまり重くならない歌いっぷりも結構でした。

 北村さおりのアガーテも重量感のあまり感じられないアガーテ。一般にはアガーテは重い声のソプラノが歌い、エンヒェンは軽い声のソプラノが歌ってその対比が音楽的な魅力につながると思うのですが、今回はアガーテもエンヒェンも声質には大きな違いを感じることはできませんでした。しかし、類似の声で歌われるアガーテとエンヒェンは重唱になるとき均質性が強調されます。そうなると、聴いていて一瞬どちらが歌っているのが分からなくなることがあって、そういう風にすることが演出家の希望だったのだろうかとちょっと思いました。

 ちなみに北村の歌唱自身は大変立派なもので、聴かせどころの大アリア「星の祈り」は、けれんみを感じさせるものではありませんでしたが、その端正さでアガーテの慎み深さのようなものが上手く表現されていてよかったと思います。熊田アルベルト綾乃のエンヒェンは声質的には北村と類似性があると思うのですが、エンヒェンの持つ子供っぽさというか若さの表現がしっかりあって、音楽そのものが持つ違いを上手く使って、二人の個性を歌い分けていたと思います

 その他脇役も総じて良く、合唱も迫力があって魅力的でした。以上音楽的にはドイツロマン派的雰囲気はあまり感じられませんでしたが、全体のバランスと推進力で、大変立派な演奏に仕上がっていたと思います。

 一方、よく分からなかったのはコンヴィチュニーの演出。確かにプログラムを買えば、その意味の説明は書いてありますし、それを踏まえれば演出の意図は分かります。今回宝塚のかつての男役トップスター、大和悠河をザミエルに起用しました。ザミエルの声しか登場しない演出もある中、コンヴィチュニー演出はザミエルをふとしたタイミングことに舞台に表します。その姿は男の姿もあればセクシーな女性の姿もある。大和は衣裳を着替えながら、歌手たちが不安に思う部分ではほぼ舞台にいて、その存在感を観客に示します。大和は舞台映えのする方ですから、台詞役にもかかわらずものすごく存在感があります。コンヴィチュニーによれば、ザミエルとは「人間を搾取する資本主義時代とともに現れた、神の排除される不透明な状況を擬人化した存在」なのだそうで、言い換えるなら「人間の未熟な欲望の塊」です。したがって、美貌で格好いい大和がいろいろな衣装で登場して不安をあおるというのは理解できます。しかし、これって説明されないと分かりません。

 確かにセクシーな衣装で出てくる大和は眼福でしたし、ザミエルの象徴であるヴィオラ・ソロは、ナオミ・ザイラーが舞台上で、ドレスの切れ目からガーターベルトを見せながら演奏するという演出でセクシーこの上なく、個人的には満足しましたが、オーソドックスではありません。ほかにも細かく見ているといろいろなことをやらせていますし、それぞれ意味があってやっているのでしょうが、理解できたかと言われればおぼつかないところです。

 コンヴィチュニーは、舞台と客席の一体化を言っていて、今回の演出では「隠者」を客席に置きました。要するに観客の一人が舞台に上がってきて、当然悲劇で終わるべき作品をハッピーエンドに終わらせます。本来は神の力が働き悪魔に勝つわけですが、今回は観客の希望によってそういう終わり方にしたのだという形を取りました。お金を払っているものが偉いんですね。即ちここでは隠者とザミエルは同一化されてしまうのです。だから舞台の上で、隠者とザミエルとが名刺交換するのは当然なのですね。

 分かる。言いたいことは分かります。でも、なんだかなあ、です。オペラってその音楽の流れに乗って、余計なことを考えずに楽しむものなのではないでしょうか。演出家が意図を説明しないと理解できない作品てどうなのと、思ってしまうのです。

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鑑賞日:2018年7月29日
入場料:B席、2000円 2階30列19番 

主催:立川オペラ愛好会
共催:公益財団法人太刀川氏地域文化振興財団

第8回 立川オペラ愛好会 ガラコンサート
名歌手たちの夢の饗宴

会場 たましんRISURUホール 大ホール

出演

ピアノ 河原 忠之  
ソプラノ 砂川 涼子
ソプラノ 森谷 真理
メゾソプラノ 清水 華澄
テノール 笛田 博昭
テノール 福井 敬
テノール    村上 敏明 
バリトン 牧野 正人
バリトン 森口 賢二

プログラム

作曲家 作品名 曲名 歌手
マスカーニ カヴァレリア・ルスティカーナ サントゥツッアのアリア ママも知る通り 清水華澄
サントゥツッアとトゥリッドウの二重唱 ここに居たのかサントゥツッア 清水華澄/村上敏明
トゥリッドウのアリア 母さん、あの酒は強いね 村上敏明
ヴェルディ 椿姫 ジェルモンのアリア プロヴァンスの海と陸 牧野正人
ヴィオレッタとジェルモンの二重唱 ヴァレリー嬢ですか? 森谷真理/牧野正人
アルフレードのアリア 燃える心を~ああ、なんという後悔 笛田博昭
ヴィオレッタのアリア ああ、そは彼の人か~花から花へ 森谷真理
休憩
ヴェルディ オテッロ イヤーゴのアリア イヤーゴの信条 森口賢二
オテロとイヤーゴの二重唱 デズデモナは罪を犯した 福井敬/森口賢二
デズデモナのアリア 柳の歌~アヴェ・マリア 砂川涼子
オテロのアリア オテロの死 福井敬
ヴェルディ リゴレット マントヴァ公のアリア あれかこれか 村上敏明
マントヴァ公のアリア 女心の歌 笛田博昭
四重唱 美しい恋の乙女よ 砂川涼子/清水華澄/福井敬/牧野正人
アンコール
ヴェルディ 椿姫 ヴィオレッタとアルフレードの二重唱 乾杯の歌 全員

感 想

実力者たちの祭典-第8回立川オペラ愛好会ガラコンサート「名歌手たちの夢の饗宴」を聴く。

 現時点で見たとき、日本のオペラ界のトップの力量の持ち主たちが集まりました。脂の乗り切った方の集団と申し上げてよいと思います。これだけの方を一度に集めるのは、あとはNHKのニューイヤーオペラコンサートぐらいではないでしょうか?それだけに歌も最高のレベルでした。楽しみました。

 清水華澄。上手です。基本的な技術がしっかりしていて、音楽にブレがないところが素晴らしいと思います。有名な「ママも知る通り」は、感情の込め方、あるいは感情を込めて敢えて外す歌い方、という点では彼女より魅力的な人はいると思いますが、歌を正確に丁寧に歌うという観点から言えば、凄く安心して聴ける歌でした。トゥリッドゥとの二重唱も感情の迸りが抑制的で、これでオペラの舞台で歌えば、ちょっと物足りない感じがするかもしれませんが、コンサートでの歌唱ですので、これ位が良い。

 激高する二重唱なのに、村上敏明も比較的抑制的な歌で、全開にした時見える独特の鼻に付く歌い回しがあまり見えず、よかったです。高音の伸びる人なので、あまり無理せず、今回ぐらいで歌った方が、村上の魅力がしっかり示せるのではないかと思いました。「母さん、今夜の酒は強いね」は、内容からして激しく歌う歌ではありませんので、その分抑えて歌ったのでしょうが。

「椿姫」。若手、中堅、ベテランという組み合わせで、魅力的な音楽になりました。牧野正人。ジェルモンをこれまで舞台で100回ぐらい歌っているのではないでしょうか? さすがの味というしかありません。パワーという点では森谷、笛田に押されている感じはありましたが、若い歌を懐深く受け止めて返す感じが何とも言えず味わい深く、ベテランの魅力をしっかり聴かせてくれたと思います。牧野の「プロヴァンスの海と陸」は何度も聴いていますが、牧野スタイルがゆるぎなくあって、それが今回も聴けて良かったです。

 二重唱は森谷真理がちょっと調子に乗れないところがあったのですが、河原忠之と牧野正人の二人のフォローが上手く、歌っているうちに調子を上げていくのが分かりました。前半最後に歌われたヴィオレッタのアリアは、ちょっと蓮っ葉な感じを出していて、それがヴィオレッタが娼婦であることを示しているのだろうと思えるところでした。森谷は基本落ち着いた声なのですが、高音を軽く響かしたり伸ばしたりという点で非凡さを感じます。全曲を一度しっかり聴いてみたいものだと思いました。

 そして、忘れてはいけないのは笛田博昭のアルフレード。笛田のアルフレードは昨年聴いていて、もちろん素晴らしかったのですが、アルフレードとしては今一つ表現が浅い印象を受けました。それが今年は、もちろん一曲だけ、ということはあるのでしょうが凄く軽い表現でよかったです。それでいて、テノールの男の子的表情はもちろんしっかり出ていて、殊にアクートの素晴らしいこと、痺れました。基本的に声に密度のある人なので、軽い表現でも密度が失われない。そこが笛田の魅力なのでしょう。

 「オテッロ」。これも立派。森口賢二のイヤーゴのクレド。前にも聴いたことがありますが、前回はまだまだ軽量級でイヤーゴの邪悪さの表現が今一つだった印象。今回は前よりも重厚さが増し、イヤーゴのいやらしさがより強く現れていたように思いました。

 オテッロは日本のオテッロ歌いの第一人者と言ってよい福井敬。福井はもちろんテノール役であればどんな役でもそれらしく歌う名手ですが、年齢的にもオテロが似合うようになってきたのでしょうね。福井ならではの説得力のある歌唱だったと思います。特に「オテロの死」で見せたドイツ・ロマン派オペラの嚆矢と言われ、音楽史的には非常に重要な作品です。また音楽的にも親しみやすいメロディーにあふれでイヤーゴの奸計を知った後の絶望の表現がやはり素晴らしく、その絶唱が魅力的でした。

 そしてデズデモナ。今、日本人ソプラノで、砂川涼子以上にデズデモナに似合っている人っているのかしら。ちょっと思いつきません。歌唱としては上手な方はいらっしゃるかもしれませんが、舞台での雰囲気や感情表現の巧みさを考えたら、やはり砂川になるのではないかと思います。それだけの魅力あふれる「柳の歌」。よかったです。なお、オテッロにはプログラムには名前が出ていませんが、カッシオを村上敏明が、エミーリアを清水華澄が歌い、流れをサポートしました。

 最後は「リゴレット」。今回はマントヴァ公の活躍する場面を三人のテノールで歌い分けるという趣向。ここでは「女心の歌」を歌った笛田がまず魅力的でした。また、四重唱の福井敬もさすがの実力。「あれか、これか」の村上敏明も立派で三人三様のマントヴァ公を楽しみました。

 何と申し上げても、さすがに日本人オペラ歌手トップ集団のガラコンサートでした。ピアノ伴奏の河原忠之の素晴らしさは言うまでもありません。一流の魅力を楽しみました。

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鑑賞日:2018年8月5日
入場料:自由席 3000円 (実際に鑑賞したのは、15列9番)

主催:エルデ・オペラ管弦楽団

エルデ・オペラ管弦楽団 第11回演奏会

マスネ作曲「ル・シッド」(Le Cid)よりバレエ音楽
Ⅰ.カスティーニャの踊り
Ⅱ.アンダルシアの踊り
Ⅲ.アラゴンの踊り
Ⅳ.朝の歌
 
Ⅴ.カタルーニャの踊り
Ⅵ.マドリードの踊り
Ⅶ.ナヴァラの踊り

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演/演奏会形式
レオンカヴァッロ作曲「道化師」(Pagliacci)
台本:ルッジェーロ・レオンカヴァッロ

会 場 かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール

スタッフ

指 揮  :  柴田 真郁   
管弦楽  :  エルデ・オペラ管弦楽団 
合 唱  :  エルデ・オペラ合唱団 
児童合唱  :  多摩ファミリーシンガーズ 
合唱指揮  :  諸遊 耕史 
児童合唱指導  :  高山 佳子 
舞台監督  井清 俊博/岸本 伸子 

出 演

カニオ  :  岡田 尚之  
ネッダ  :  小林 厚子 
トニオ  :  薮内 俊弥 
ペッペ  :  梅原 光洋 
シルヴィオ  :  千葉 裕一 

感 想

カニオの狂気とトニオの邪悪さ-エルデ・オペラ管弦楽団第11回演奏会を聴く

 オペラの演奏会形式全曲公演を行っているアマチュアオーケストラの演奏会。アマチュアオーケストラとしてはかなりハイレベルなオーケストラだと思います。もちろん弦楽器の音色はプロには及びませんし、息の流れ方などにはさらなる工夫が必要です。また演奏中のミスも散見されるのですが、それでも自発的にオーケストラをやろうという方の集まりですから、その熱意が演奏にこもっていましたし、迫力もありました。

 最初の「ル・シッド」のバレエ音楽。「ル・シッド」はマスネの上演された5番目のオペラですが、現代ではほとんど上演されない作品だそうです。私は未聴です。その中で、「バレエ音楽」だけはオーケストラピースとしてしばしば演奏されるそうですが、こちらも私は聴いたことがありません。それだけに楽しみにして伺いました。

 柴田真郁は全身を使って音楽を盛り上げようとする指揮。作品がスペインの踊りをモチーフにしていますから、南国的明るさが基調としてあるわけですが、その味わいは切れ味よい演奏で、しっかり出ていたと思います。七つの異なった地方の踊りで、もちろん音楽的な差はあるし、演奏もそこを意識していることは分かりましたが、現実としてその差が明瞭に出ていたかと言われると、聴き手がよく分かっていないので、何とも言えません。切れ味優れた盛り上がった演奏はよかったのですが、一方で、音の抑制が今一つ不足なきらいがあり、オペラでこう演奏されたら、どうなるのだろう、と、ちょっと不安になりました。

 その不安は現実になりました。オーケストラの音がきつすぎるのです。おそらくオーケストラピットで演奏すれば全然問題がないのでしょうが、舞台の上にオーケストラが上がった場合は、もう少し抑制的に演奏してくれた方がオペラとしてのバランスがよくなります。もちろんこれはオーケストラだけの責任ではありません。まず、ホールが狭い問題があります。打楽器や合唱のすぐ後ろが反響版です。打楽器奏者は反響版に寄り掛かれそうな近さです。これぐらい近いと、反響版の響きが生々しくなりすぎて、よろしくないのかな、と思いました。反響版と楽器との間にもっと余裕があれば、響き方がまろやかになって、歌手たちの歌をももっと楽しめたのではないかと思いました。

 本公演は「演奏会形式」ではありますが、演技付きの演奏でした。ちゃんとした演出家はいなかったようですし、衣裳は自前ですが、演技が付くと場面をより想像しやすくなります。そこがよかったです。

 演奏は、まず小林厚子のネッダがよかったです。初役ということですが、声がよく伸びていて、オーケストラに負けていないこと随一でした。「鳥の歌」の憧れの表現もよかったし、トニオを見る眼付きと一方、コロンビーナを演じているときの表情なども素敵で、とても初役とは思えない迫力でした。Bravaです。

 岡田尚之のカニオ。声がいいし、表現も立派だったと思います。ただ、その迫力は小林も負けていたと思います。オーケストラに声がかき消されていた部分もありました。更に申し上げれば、もともとクレバーな方なのでしょう。立派なお手本になるような歌なのですが、カニオの狂気を本当に表現しきったかと言えば、残念ながら、歌に冷静さが見えてしまい、そこが物足りない。「衣裳を着けろ」、凄く良い歌なのですが、もう一歩踏み込んだ表現があるのではないか、と思ったのもまた事実です。狂乱してからネッダやシルヴィオを刺す場面ももっと表情が「イッて」欲しいです。カニオってそもそも傲慢な田舎の親父です。二枚目が歌うと、その「そもそも感」がないのですね。

 同じく薮内俊弥のトニオも物足りないです。歌がきれいすぎるのです。バリトンとして立派な声だと思うのですが、トニオの邪悪さの表現は不足していたかと思います。プロローグももっと灰汁強く歌った方が雰囲気が出ると思いますし、その後の舞台での下品さも今一つ物足りない。歌が上手なバリトンになってしまっているのはどうかと思います。もっと演技して、「これじゃネッダに嫌われて当然だ」と観客に思わせるような歌唱・演技になればよいのに、と思いました。

 ペッペの梅原光洋。良かったと思います。ペッペって、もっと若い方が歌って「おろおろ感」を見せるのが定番ですが、今回の梅原はベテランの方なのでしょうか。ベテランのオロオロ加減を見せていたと思います。シルヴィオの千葉裕一。こちらもよかったです。ちょっとバスバリトンぽい声で、二枚目っぽくネッダを誘惑する感じがよかったと思いました。

 合唱は、児童合唱も含め人数が足りない。児童合唱はあの倍の人数は欲しいところですし、大人の合唱もあの人数で演奏するのであれば、もっと一体感がないとパワーが分散されてしまってオーケストラの音にかなわないです。もっと練習が必要なのでしょう。

 以上、いろいろ申し上げましたし、不満があったのも事実ですが、基本的には見事な演奏でした。バランスがもっととれていればもっと印象がよくなっただろうなと思います。逆にバランスの悪さが目立ってしまったことが一番残念だったと思います。

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鑑賞日:2018年8月11日
入場料:B席、2000円 27列12番 

主催:荒川区民オペラ

共催:荒川区/荒川区民交響楽団/公益社団法人荒川区芸術文化振興財団

荒川区民オペラ第19回公演

オペラ4幕 字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「イル・トロヴァトーレ」(Il Trovatore)
原作:アントニオ・ガルシア・グティエレス
台本:
サルヴァトーレ・カンマラーノ(補作:レオーネ・エマヌエーレ・バルダーレ)

会場 サンパール荒川大ホール

スタッフ

指 揮 小﨑 雅弘  
管弦楽 荒川区民交響楽団
合 唱 荒川オペラ合唱団
合唱指揮 新井 義輝
演 出 澤田 康子
舞台美術 大仁田 雅彦
照 明 稲葉 直人
舞台監督 村田 健輔

出演者

レオノーラ 西本 真子
マンリーコ 田代 誠
ルーナ伯爵 野村 光洋
アズチェーナ 杣友 恵子
フェランド 狩野 賢一
イネス 佐藤 信子
ルイス 川出 康平
老ジプシー 秋本 健
伝令 吉川 響一

推進力と荒っぽさと-荒川区民オペラ第19回公演「イル・トロヴァトーレ」を聴く

 荒川区民オペラ、これまで何度か聴かせていただいていますが、完成度が不十分なまま本番にかけている印象がありました。もちろん舞台では事故は起きますし、歌手の声のトラブルも皆無とは言えません。しかし、そういう問題以前の土台の鍛え方がまだあるのではないかな、と思ってきたのですが、今年も同じ感想を持ちました。全体として生煮えで突き詰められていない感じがします。結果として舞台全体が散漫になった印象があります。多分この印象はもう少し練習をして詰めていけばよい方向に変わると思うのですが、全体的に今一つの演奏だった印象です。

 また、全体的に荒っぽい演奏だったなという印象もあります。普通「トロヴァトーレ」は2時間20分ぐらいで演奏されることが多い作品だと思いますが、今回は25分の休憩とカーテンコールまで含めて、17時開演で実際の終演は19時40分ぐらいでした。正味の演奏時間は2時間ちょっとだったのではないでしょうか。かなり速いです。速いことは推進力が増してよい結果になる場合が多いのですが、今回は速すぎてせわしなくなり、ミスも誘発した印象があります。もっとゆっくりと落ち着いた演奏をした方が良い結果に結びついたような気がします。

 で、「誰が速くしているか?」、ですが、お互いにやっていたのではないでしょうか?。例えば、第二幕のアズチェーナのアリア「炎が爆ぜて」は杣友恵子の歌がどんどん速くなっていき、指揮者がそれを追いかけていましたし、一方で、指揮者が煽っていた部分もあります。これが一丸になってやっている感があれば、それはそれで「すごいな」と思うのですが、そこもばらばらな感じでした。全体的に設計図通り演奏しようとはしているけれども、いろいろな事故もあって、とにかく取り繕って最後まで持ってきた、という感じの演奏でした。

 歌手は、男声低音系に魅力がありました。野村光洋のルーナ。登場のシーンはもう少し声があってもいいかな、と思いましたが、後は見事。ルーナの一番の聴かせどころである「君の微笑み」が魅力的に響きましたし、重唱でもしっかり自分のポジションを作って表現していました。悪役ではなく敵役の感じがよく出た演奏でよかったです。

 フェルナンドの狩野賢一も立派でした。トリルはもっとはっきり聞こえたほうが良いと思うけど、男声合唱との絡みで歌われる冒頭のアリアは見事なもので、今回の公演がよくなるだろうことを期待できるのかな、と思わせるものでした。

 レオノーラの西本真子。いい演奏だと思いましたが、以前聴いた彼女のレオノーラの方がよかったです。彼女の持つちょっと暗めの艶やかな声はレオノーラにぴったりだと思うのですが、今回は多分会場のせいだと思うのですが、声が発散して聴こえ、艶やかさが半減している感じでした。本人も響き方を意識していた様子で、声を張り上げて、ヴィブラートがかかりすぎてしまった印象です。歌唱全体としては後半がよく、特に第4幕のアリア「恋は薔薇色の翼に乗って」は聴きごたえがありました。

 マンリーコの田代誠。思ったほどは悪くなかった、というのが正直なところ。と言って、良くもない。年齢的な問題もあるのでしょうが、全体として声の制御が精密ではない感じでした。軽いテノール声を意識した歌いまわしではありましたが、最近の若手と比べるとどこか昭和感の強い歌い方でした。なお、テノールの一番の聴かせどころであるカバレッタ「見よ、恐ろしい炎を」のハイCはもちろん歌わず楽譜通りで通しました。ハイCがあればもちろん強い印象を残しますが、なくても音楽の流れには全く問題がないので、これはこれでいいと思います。

 今回一番予想外だったのが杣友恵子のアズチェーナ。自信がなかったのでしょうね。上記のように「炎は爆ぜて」のアリアはどんどん速くなってしまって落ち着きない歌になりましたし、その後のマンリーコの二重唱では歌詞が落ちてしまい、オーケストラだけが響く部分がありました。また、アズチェーナは衣裳もぱっとせず、おどろおどろしさが感じさせられませんでした。あの七分丈のスパッツはいただけません。

 合唱は、男声に多数のエキストラを入れました。結果として男声合唱は迫力あるものになったのですが、合唱の精度は今一つでした。また、「アンヴィル・コーラス」のような混声合唱は、女声が聴こえないか非常に弱くしか聴こえずバランスが凄く悪かったです。女声合唱を聴くと、発声が鍛えられておらず、こうなるのは仕方がないのかな、と思いました。

 以上仕上がる前に本番が来てしまった、という演奏だったと思います。もっと練習を深めていけば更によい演奏になったのではないか、と思いました。

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鑑賞日:2018年8月12日
入場料:自由席、4500円 鑑賞したのは、10列27番 

主催:相模原シティオペラ

共催:相模原市民会館

相模原シティオペラ主催公演

オペラ3幕 字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「仮面舞踏会」(Un ballo in maschera)
原作:ウジェーヌ・スクリーブ
台本:
アントニオ・ソンマ

会場 相模原市民会館

スタッフ

指 揮 高橋 勇太  
管弦楽 東京ピットオーケストラ
バンダ演奏 相模原ウィンド・アンサンブル
合 唱 相模原シティオペラ合唱団
バレエ ヒロコバレエスタジオ
演 出 森山 太
衣 裳 池上 知津
振 付 中薗 博子
舞台監督 大河原 敦

出演者

リッカルド 水船 桂太郎
アメーリア 六角 実華
レナート 森口 賢二
オスカル 上島 春菜子
ウルリカ 吉田 郁恵
サムエル 三輪 直樹
トム 東 浩市
シルヴァーノ 地主 光太郎
召使 木下 雅勝
判事 岡嶋 晃彦

ブッファ的悲劇の在り方-相模原シティオペラ公演「仮面舞踏会」を聴く

 思いがけずよい演奏を聴かせてもらいました。もちろん市民オペラの常として、突っ込みどころはたくさんありますけど、わざわざ相模原まで聴きに行った価値はあったかなと思います。それは、水船桂太郎のリッカルドと森口賢二のレナートのコンビがとてもよかった、ということに尽きると思います。この二人のパフォーマンス、見事でした。

 水船桂太郎は二期会本公演などによく出演されていたころ二、三度聴いたことがあると思いますが、それ以来歌声を聴いた覚えがないので、ほぼ15年ぶりで聴いたと思います。リリックな表現に年輪が乗っている感じで、とても素敵なリッカルドでした。ヴェルディのテノールは基本リリコスピントの持ち役で、英雄的に歌い上げる人が多く、リッカルドもそのように歌われることが多いですが、水船の歌は終始レガート。もちろんアクートで声を張り上げることはありますが、それが主体になる歌ではなく、自然な落ち着いた感じでした。結果として包容力のある名君のような雰囲気を醸し出していて、よかったと思います。

 一方、森口賢二のレナート。こちらも良好。森口賢二はいろいろなバリトン役を歌いますが、背格好や表情の作りかたから見ると、ヴェルディではレナートやルーナ伯爵、あるいは「ドン・カルロ」のロドリーゴが似合っているのかな、という感じがします。今回のレナート、特に思い入れたっぷりに歌う感じはないのですが、歌いなれた役柄だけあって、ポイントポイントの見せ方が上手です。一番の聴かせどころである、「お前こそ心を汚すもの」はさすがにかっちり決めてきて、満場の喝采を浴びていました。

 六角実華のアメーリアは悪くはないのですが、ちょっと野暮ったい印象。技術的に改良の余地がいろいろありましたし、細かいアプローチももう少し工夫するともっと上品に聴こえるのではないかと思いました。

 吉田郁恵のウルリカ。不気味さもよく出ていましたし、歌も丁寧でした。女声の中では一番安定感がありました。

 上島春菜子のオスカル。頑張って歌っていましたが、いかんせん声量がありません。オスカルが切り込んで、楔となって味を作っていくのがこの作品の魅力ですが、声に力がないので、踏み込んでいっても弾き飛ばされるばかりという印象で、残念でした。もっと声に力のある方が歌えば、全体として違った印象になったように思います。

 三輪直樹のサムエルはちょっと虚無的なバスで、暗殺者の雰囲気を上手に出していました。東浩市のトムも悪くなかったと思います。

 オーケストラはあまり上手ではありませんでした。前奏曲を聴いて、音の美感に乏しく、更にアクセントの付け方も今一つの感じでした。合唱も人数が少なく、鍛えられ方も今一つでした。またホールの響き方もデッドで、これは大変なことになるのでは、思って聴き始めたのですが、終わってみれば、不満は残るものの、最初思ったほど悪いパフォーマンスにはなりませんでした。多分、これは「仮面舞踏会」というオペラの持っている喜劇的側面を水船や森口の歌が、上手く引き出していたのと、指揮者のテンポ感覚がこの作品を演奏するのに的確で、重くなることなくバランスよく進んだためではないかと見ています。なお、オーケストラはあまり上手ではないと書きましたが、バンダの吹奏楽はなかなか立派でよかったです。

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