オペラに行って参りました-2018年(その4)

目次

コメディとして上演するコメディ小オペラ 2018年8月18日 心の歌・愛の歌2018「リタ」を聴く
旬の歌手たちを聴く楽しみ 2018年8月26日 オペラマニア3「フランコ・コレッリ没後15周年記念ガラ・コンサート」を聴く
幸せな市民オペラ 2018年9月2日 オペラ・ノヴェッラ「愛の妙薬」を聴く
プッチーニの遺志を継いで 2018年9月8日 東京二期会オペラ劇場「三部作」を聴く
群衆オペラとしてのルイーズ 2018年9月22日 東京オペラ・プロデュース「ルイーズ」を聴く
アンサンブルオペラとして見たとき 2018年10月6日 昭和音楽大学オペラ「ファルスタッフ」を聴く
企画はきっちり歌えてから 2018年10月7日 Otto-Valley「ランメルモールのルチア」を聴く
演奏と演出が摺りあうこと 2018年10月13日 新国立劇場「魔笛」を聴く
指揮者の腕と若き才能と 2018年10月20日 国立音楽大学大学院オペラ2018「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く
読み替えと運動量の問題 2018年11月10日 NISSAY OPERA 2018「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く

オペラに行って参りました。 過去の記録へのリンク

2018年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2018年
2017年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2017年
2016年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2016年
2015年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2015年
2014年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2014年
2013年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2013年
2012年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2012年
2011年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2011年
2010年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2010年
2009年 その1 その2 その3 その4   どくたーTのオペラベスト3 2009年
2008年 その1 その2 その3 その4   どくたーTのオペラベスト3 2008年
2007年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2007年
2006年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2006年
2005年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2005年
2004年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2004年
2003年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2003年
2002年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2002年
2001年 その1 その2       どくたーTのオペラベスト3 2001年
2000年            どくたーTのオペラベスト3 2000年

鑑賞日:2018年8月18日
入場料:全自由席 4000円

主催:アンダント・ベーネ

心の歌 愛の歌「2018」
「RITA & CONCERT」

会場:東大和市民会館ハミングホール・小ホール

出演

ソプラノ:柴山 晴美

テノール:藤原 海考

バリトン:柴山 昌宣

ピアノ:今野 菊子

プログラム

第一部
作詞/作品名 作曲 曲名 歌手
江間 章子 中田 喜直 夏の思い出 柴山 晴美/柴山 昌宣
石川 啄木 越谷 達之助 初恋 柴山 昌宣
C.ロセッティ(木島始訳詞) 木下 牧子 風をみたひと 柴山 晴美
  カタロニア民謡 サヨナキドリ 柴山 晴美
  カタロニア民謡 鳥の歌 柴山 晴美
歌劇「チェネレントラ」からドン・マニーフィコのアリア ロッシーニ わしの娘たちよ 柴山 昌宣
A.ララ A.ララ グラナダ 藤原 海考
R.コルディフェッロ S.カルディッロ カタリ 藤原 海考/柴山 昌宣
休憩
第二部
歌劇「リタ」全曲 ドニゼッティ   柴山 晴美/藤原 海考/柴山 昌宣

リタ詳細

オペラ・コミック全1幕 台詞日本語歌唱イタリア語上演
ドニゼッティ作曲「リタ」(Rita ou Le mari battu)
台本:グスターブ・ヴァエズ

スタッフ/キャスト

ピアノ 今野 菊子
演出 喜田 健司
照明 西田 俊郎
     
リタ 柴山 晴美
ペッペ 藤原 海考
ガスパロ 柴山 昌宣

感想

コメディとして上演するコメディ小オペラ-アンダント・ベーネ「心の歌・愛の歌2018」を聴く

 年に1回行われている、柴山夫妻のコンサート。今回はオペラ「リタ」を上演するということで、ゲストとして藤原海考が呼ばれました。

 第一部は、歌曲を中心にしたプログラム。最初は柴山夫妻の二重唱。息がぴったりの歌唱が素敵です。次いで、柴山昌宣の歌う「初恋」。柴山昌宣は声そのものの強さの点で日本有数のバリトンですが、この曲ではピアノやピアニッシモの繊細な表現が実に素晴らしいと思いました。次いで柴山晴美が三曲続けて歌いましたが、CD化したカタロニア民謡がことに素晴らしい。

 柴山昌宣のドン・マニーフィコのアリアはこの春藤原歌劇団で上演した「チェネレントラ」で歌われたもの。その時の凄さを思い出させる軽快な歌唱でした。このようなオペラアリアを聴くと柴山昌宣の本領がオペラにあるのだな、ということがよく分かります。次いでゲストの藤原海考がメキシコの名曲「グラナダ」を歌い、最後はテノールの名曲「カタリ」を男声の二重唱で歌われました。「カタリ」はよく聴く曲ですが、男声二重唱で歌われたのを聴いたのは初めての経験です。誰の編曲だったのでしょうか。面白いとは思いましたが、もし編曲するのであれば、もっと大胆にバリトンを活用したほうが良いと思いました。

 後半の「リタ」。この曲は、短い1幕物のオペラですが、イタリアオペラの形式では書かれておらず、フランスの「オペラ・コミック」のスタイルで書かれています。即ち、音楽の間のつなぎがセリフです。大きな団体が取り上げることはほとんどないのですが、登場人物が三人で一時間で上演できるという手軽さから、個人や小さい団体が時々取り上げます。ちなみに今回演奏された8月18日ですが、岩手県の一関でも「リタ」が上演されたようです。

 さて、オペラ・コミック形式のコメディオペラですから、コメディとしてどれだけ突き抜けているかが大切です。台詞部分をどう処理するか。その点で、今回の喜田健司の演出。バカバカしくて面白かったです。リタは紅色のワンピース。ペッペは緑色のボーダーTシャツに同色のパンツ。ガスパロは黄色いビニールのレインコートという姿で登場。まさに信号機ファッションです。その中でガスパロの姿が特におかしい。柴山昌宣はオペラ歌手でコメディをやらせたとき、日本で一番様になる歌手だと思いますが、今回もその本領発揮。歌も見事ですが、台詞部分の言い回しや、動きがまさに笑いを誘うもので素晴らしかったと思います。

 それに対応する柴山晴美の演技もコメディエンヌ的で、その演技のキレ具合が面白かったです。そのパワーをすり抜ける感じで藤原海考のペッペががんばり、こちらも女房の尻に敷かれる夫役を上手に演じました。決して広くない舞台でその全体を使って暴れまわるので、一つ間違うと転げ落ちるのではないかと、そちらもハラハラするものでしたが、そこはぎりぎりで落ちることはありませんでした。また、動かされすぎて、息が整わずに歌わされる歌手は大変でした。

 そうはいっても、さすがに柴山昌宣の歌唱は素晴らしいです。この手の役をやらせたときの歌の感じは凄くツボにはまっています。柴山晴美、藤原海考も自分の役目をしっかり果たし、全体を見事にまとめました。

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鑑賞日:2018年8月26日
入場料:10列11番 5000円

主催:杉並リリカ

OPERAMANIA3
フランコ・コレッリ没後15周年記念「ガラ・コンサート」

会場:杉並公会堂大ホール

出演

ソプラノ 青木 エマ
ソプラノ 大隅 智佳子
ソプラノ 小林 厚子
ソプラノ 佐藤 亜希子
ソプラノ 野田 ヒロ子
メゾソプラノ 池田 香織
テノール 片寄 純也
テノール 加藤 康之
テノール 城 宏憲
テノール 笛田 博昭
テノール 藤田 卓也
バリトン 山口 邦明
ピアノ 小埜寺 美樹
ピアノ 藤原 藍子

プログラム

作曲 作品名 曲名 歌手 ピアニスト
ジョルダーノ アンドレア・シェニエ ジェラールのアリア「祖国の敵」 山口 邦明 小埜寺 美樹
プッチーニ ラ・ボエーム ミミのアリア「幸せに飛び出して来たあの場所」 青木 エマ 小埜寺 美樹
マイアベーア ユグノー教徒 ラウルのアリア「アルプスの雪よりも白く」 笛田 博昭 小埜寺 美樹
ドニゼッティ マリア・ストゥアルダ エリザベッタのアリア「ああ、清らかな愛が私を祭壇に導くとき」 小林 厚子 藤原 藍子
ドニゼッティ マリア・ストゥアルダ マリアのアリア「薔薇色の光が私に~神から逃げることは」 佐藤 亜希子 藤原 藍子
ドニゼッティ ランメルモールのルチア エドガルドのアリア「我が祖国の墓よ」 城 宏憲 藤原 藍子
ビゼー カルメン カルメンとホセとの二重唱「あんたね?、俺だ」 池田 香織/笛田 博昭 小埜寺 美樹
ドニゼッティ ポリウート パオリーナとポリウートの二重唱「ああ、恐ろしい死を逃れて」 大隅 智佳子/加藤 康之 小埜寺 美樹
休憩  
プッチーニ トスカ トスカのアリア「歌に生き、愛に生き」 野田 ヒロ子 藤原 藍子
ドヴォルザーク ルサルカ ルサルカのアリア「月に寄せる歌」 青木 エマ 小埜寺 美樹
ドニゼッティ アンナ・ボレーナ アンナのアリア「私の生まれたお城」 大隅 智佳子 小埜寺 美樹
ワーグナー トリスタンとイゾルデ トリスタンとイゾルデの二重唱「おお、沈み来たれ、愛の夜よ」 片寄 純也/池田 香織 小埜寺 美樹
ヴェルディ 運命の力 カルロとアルヴァーロとの二重唱「アルヴァーロよ、隠れても無駄だ」 加藤 康之/山口 邦明 小埜寺 美樹
プッチーニ トゥーランドット リューのアリア「氷のような姫君の心も」 佐藤 亜希子 藤原 藍子
プッチーニ トゥーランドット カラフのアリア「誰も寝てはならぬ」 藤田 卓也 藤原 藍子
ドニゼッティ ポリウート ポリウートのアリア「神の光は煌めき」 城 宏憲 藤原 藍子
ヴェルディ イル・トロヴァトーレ マンリーコのアリア「恐ろしき焚火を見れば」 笛田 博昭 小埜寺 美樹
プッチーニ 蝶々夫人 蝶々さんのアリア「ある晴れた日に」 小林 厚子 藤原 藍子
プッチーニ 蝶々夫人 蝶々夫人とピンカートンの二重唱「可愛がってくださいね」 野田 ヒロ子/藤田 卓也 藤原 藍子

旬の歌手たちを聴く楽しみ-オペラマニア3 フランコ・コレッリ没後15周年記念ガラコンサートを聴く。

 杉並リリカのオペラマニアシリーズ。三年目の今年は、昨年の6時間マラソン・コンサートとは違って、2時間50分の普通のコンサート。それでも全19曲、よくもまあ、2時間50分に収めたな、という感じ。また聴きどころ以外のカットも多く、その分凝縮された演奏会になりました。

 出演者が「今が旬」の歌い手ばかりで、全体的に申し上げればどの演奏もハイレベルだった、ということで括れると思います。もちろん、ハイレベルの範疇の中にも違いはあるわけで、最上に近いものから普通に近いものまで様々だったということは申し上げるまでもありませんが、全般に言えることは、歌手の皆さんが歌いなれている曲の方がいい演奏が多かったように思います。というか、聴かせどころをわきまえて歌っている感じが強くしました。

 また、もう一つ申し上げるなら、今回のレベルになると、歌手自身の身体、すなわちそれが楽器なわけですが、楽器の差を感じてしまう演奏会だった、とも思います。体格が立派な歌手の方が、一般的には響きに余裕がある感じがしました。

 例えば山口邦明。最初に歌われた「祖国の敵」。素敵な演奏でした。彼の得意とする曲であり、これまでも何回も聴いていますが、今回も歌い込んだ味をしっかり示す演奏だったと思います。でも、深みがもっとあった方がこの曲の陰影が濃く出るように思いました。そのあたりは彼の課題というより特徴なのかもしれないとおもいました。バリトンとしては決して大柄ではない山口にとっては、これ以上陰影のはっきりした歌は難しいのかもしれません。

 青木エマについても同様のことを思いました。青木は美貌で長身。落ち着いた声質はリリックな役柄からメゾの役柄までこなせる実力があります。今回はミミとルサルカに挑戦。どちらも素敵な歌唱でよかったのですが、聴いていてどこか居心地の悪さがありました。多分ミミもルサルカも彼女の声質からするとちょっと軽めの役柄のような気がします。青木はミミを自分からミミの役柄によりそうな感じで歌い、一方ルサルカは自分の方に引っ張ってくるような感じで歌いました。しかし、それはどちらも中途半端な感じで、落ち着かない感じになってしまったではないかという気がします。

 歌いなれているかどうか、という観点から行くと、歌いなれている曲は皆さすがの出来です。野田ヒロ子の「歌に生き、恋に生き」はもう絶妙としか申し上げられない素晴らしさ。佐藤亜希子のリューのアリアもたいへん素敵でしたし、藤田卓也の「誰も寝てはならぬ」も非常に立派。ガラコンサートはこうでなければ、というお手本みたいな歌でした。また、笛田博昭の「恐ろしい焚火を見れば」は、彼の得意中の得意。昨年の「OPERAMANIA2」では、カヴァティーナからカバレッタまで全曲歌いましたが、今年は聴かせどころのカバレッタだけ。でも素晴らしい。

 昨年と同じという意味では、カルメンの終幕の二重唱、「あんたね?俺だ」は昨年の鳥木弥生/笛田博昭のコンビから今年は池田香織/笛田博昭のコンビに変わりました。昨年の鳥木/笛田のコンビも素晴らしかったですが、今年の池田/笛田のコンビも迫力満点。カルメンの憎々しい表情とそれに触発されるホセの興奮の仕方が見事でした。

 今回の聴きどころの一つは池田香織/片寄純也のコンビによる「トリスタンとイゾルデ」第二幕の愛の二重唱。本来は40分のところ、カットして約25分の演奏。現在の日本人トリスタンとイゾルデコンビとしてこれ以上ないというべきコンビですごい迫力でした。ピアノの小埜寺美樹も腕が四本あるのではと思うような非常に細かい演奏を行って素晴らしい。ただ、思うのは、この曲はピアノ伴奏で聴く曲じゃないな、ということです。三管の厚いオーケストラの中から湧き上がってくる声にこの曲の魅力があるわけですが、ピアノだとどうしても骨格だけになってしまって、壁の部分がありません。結果として歌が裸になる部分も多く、そこが強すぎるて官能的ではなくなる感じです。多分オーケストラがバックにあれば官能的に浮かび上がってくる部分が、ピアノ伴奏だと力強く鳴りすぎたのではないかと思いました。

 今回の特徴としてドニゼッティがたくさん取り上げられたことがあります。「マリア・ストゥアルダ」、「アンナ・ボレーナ」、「ルチア」、「ポリウート」です。この中で、「ルチア」はよく取り上げられる演目で、それだけによく勉強されている、ということはあるのでしょう。城宏憲の歌った「我が祖先の墓よ」はスムーズに流れた歌唱で適度なパワーとともに魅力的な響きを聴かせました。

 一方、「ポリウート」は日本で全曲上演されておらず、アリアも滅多に演奏されないと思います。少なくとも私は今回取り上げられたポリウートの二重唱もアリアも舞台で聴くのは初めてです。大隅智佳子、加藤康之による二重唱は立派ではありましたが、流麗とはいいがたいところがありました。歌唱経験がまだ十分ではなく、どう整理したらよいのかが解決する前に本番が来てしまった、という感じでした。城宏憲の「神の光は煌めき」はもう少しポジションが固まっている感じでしたが、もっと歌い込めば更に素晴らしい演奏になるのではないかと思いました。

 「アンナ・ボレーナ」の「私の生まれたお城」も大隅智佳子ののパワーが炸裂した素晴らしい歌唱でしたが、力が入る部分と抜ける部分の違いがありすぎて、ちょっとぎくしゃくして聞こえました。そのあたりがもっと滑らかに変化して、力強さと情感とがもっと撹拌された歌であれば更によかったのかなと思います。「マリア・ストゥアルダ」の二曲は佐藤、小林ともに舞台を経験しているわけですが、やはりしばらく本番にかけていないせいなのか、ちょっと安全運転の印象。

 その他の曲についても、歌い込んでいる歌は安心して聴け、そうでない曲はそうでもなかったと思います。ユグノー教徒の「アルプスの雪よりも白く」。笛田博昭の立派な歌唱でしたが、ホセやマンリーコを歌うよりはずっと慎重な歌唱だったと思います。一方、「蝶々夫人」の二曲。蝶々夫人は日本人ソプラノの課題曲ですから上手に歌えて当然、という処ですが、小林厚子の「ある晴れた日に」も野田ヒロ子/藤田卓也による「愛の二重唱」も大変素敵な歌唱でした。

 ピアノ伴奏の藤原藍子はいつもながらの安定感。小埜寺美樹は繊細かつ力強いピアノで歌手をサポートしました。色々申し上げましたが、一言で申し上げればBraviな演奏会でした。楽しみました。

「OPERAMANIA3 フランコ・コレッリ没後15周年記念ガラ・コンサート」TOPに戻る
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鑑賞日:2018年9月2日
入場料:1階S列6番 4500円

主催:(公財)座間市スポーツ・文化振興財団

ハーモニーホール座間オペラワークショップ参加作品

オペラ2幕 字幕付き原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」(L'elisir d'amore)
台本:フェリーチェ・ロマーニ

会場:ハーモニーホール座間・大ホール

スタッフ

指揮 粂原 裕介
オーケストラ テアトロ・ジーリオ・ショウウワ・オーケストラ
合唱 ノヴェッラ合唱団/ノヴェッラ児童合唱団
合唱指揮 石井 裕望
演出 古川 寛泰
音楽アドヴァイザー/コレペティトール 河原 義
舞台装置 鈴木 俊朗
照明 稲葉 直人
衣裳コーディネート 小野寺 佐恵
音響 関口 嘉顕
舞台監督 大澤 裕
製作 オペラ・ノヴェッラ
総合プロデュサー 星野 渉

キャスト

アディーナ 鈴木 和音
ネモリーノ 藤牧 正充
ベルコーレ 月野 進
ドゥルカマーラ 岡野 守
ジャンネッタ 長谷川 沙紀

感想

幸せな市民オペラ-座間市スポーツ・文化振興財団「愛の妙薬」を聴く

 市民オペラは各地でやられていますが、その実態は様々なようです。地方公共団体が「後援」と銘打っても、実際は名前を載せる許可を与えるだけで実際は何の便宜を図ってもらえないものから、それなりの補助を受けられるもの迄いろいろあるようですが、今回の「愛の妙薬」、座間市がかなり資金的な協力をしたのではないかと思いました。オーケストラは市民オーケストラではなくテアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラですし、合唱は市民は入っていますが、女声にもかなりプロの方が入っているようです。またスタッフも藤原や二期会の本公演でも活躍しているような方が入っていました。

 舞台装置もものすごく立派というものではないにせよ、これが「愛の妙薬」の舞台だ、と言われれば万人が納得できる程度のセットを用意し、衣裳も一部私服の方がいたようですが、統一感が取れており、そこも見事でした。製作は「オペラ・ノヴェッラ」という今回演出を担当した古川寛泰が仲間たちと立ち上げた団体が一手に引き受けたようです。結果としてお金と制作とが上手く分離して、今回の公演の形に持って行けたのかな、と思います。市民オペラとしてとても幸せな形だろうと思いました。

 演奏は、市民オペラとしては出色の出来と申し上げてよいと思います。まず粂原裕介の前向きの姿勢の指揮がよい。音楽がスピーディに前に進んでいきます。オーケストラも最初はばらけたところもあり完璧ではなかったのですが、そこはプロ。しっかりまとめてきて安心して聴いていられました。合唱もすごくいい。男声などはかなりエキストラが入っていましたが、それでも声の飛び方も響き方もまとまりも市民オペラの合唱で、ここまで上手な合唱って聴いたことがあったかな、と思えるほどの演奏。普通の市民の方もずいぶん乗っていたようなので、よほどしっかり練習したのだろうと思います。Braviです。

 歌手でまず褒めるべきはドゥルカマーラを歌った岡野守。記録を見ると、2003年の昭和音大オペラでドゥルカマーラを歌っており、かなりのベテランですが私がソロを聴いたのは初めてだと思います。歌い崩しをせずにかっちり歌っており、そこがまず見事。その上で歌詞がしっかり立っており何を言っているかがよく分かります。登場のアリア「お聞きなさい、村の衆」は早口で口上を述べなければいけない大変な役ですが、綺麗にまとめたところがまず素晴らしいですし、その後のネモリーノとのやり取りにおける冷たい雰囲気や、アディーナとのちょっとコミカルなやり取りなど、まさにバッソ・ブッフォという感じでとても素晴らしいと思いました。文句なしのBravoです。

 藤牧正充のネモリーノ。最初オーケストラのスピードに乗れなかったようで、最初のアリア「なんと彼女は美しい」かなり遅れている感じがありましたが途中から修正。スピードに乗ってくると声の調子も上がって、彼のリリックな声が見事に響いてきます。第一幕後半の「ラ・ラ・ラ」ぐらいから調子が上がってきて、二幕は全開という感じでした。そして彼の場合、ネモリーノという役柄をしっかり考えている様子で、決して力まない。その分ふわっと浮き立つ感じでそこが見事。一番の聴かせどころである「人知れぬ涙」は抒情的な表情とレガートの美しさを楽しませてくれました。

 月野進のベルコーレ。もちろんしっかり歌っているのですが、ベルコーレの三枚目の表情の出し方はあまり上手ではありませんでした。一言で申し上げれば硬い。アリア「美しいパリスのように」では、もっと大げさに演技してベルコーレのお調子者感がでるといいのですが、そういう感じではありませんでした。

 長谷川沙紀のジャンネッタ。良かったです。アンサンブルでしか参加しない役ですが、合唱の中から浮かび上がってくる声がすぐにジャンネッタだと分かりますし、その張りのある声は合唱の核としても大いに役に立っていたと思います。

 結局のところ一番の弱点は鈴木和音のアディーナ。正確に歌っているという点では申し分ないのですが、何せ声が足りない。今の五割り増しぐらいの声が欲しいところです。藤牧正充も岡野守の声の飛ぶ方なので、絡んだ時のソプラノの弱さがどうしても気になってしまいます。合唱も立派なので、合唱の後のソロなどは貧弱に聴こえてしまいます。声を集中させて響かせる工夫が必要かな、と思いました。

 古川寛泰の演出。とてもよかったと思います。オーソドックスで奇をてらっていないのですが、その中で個々の歌手に対する指示は細かかった様子で、動かし方がとても納得いくものでした。ドゥルカマーラの従者(黙役)の演技は、このオペラがオペラブッファであることを相当意識した演技だったと思います。一方で、上記の月野進に代表されるように、歌手ひとりひとりの演技に対する自発性は今一つだった感じもします。演出家の指示と歌手個人個人との自発性とがもっと組み合わさって融合すればもっとブッファとしての可笑しみにあふれた素晴らしい舞台になったのではないかという気がいたしました。

 以上全体としてよくまとまった立派な舞台だったと思います。秦野まで聴きに行ったかいがありました。

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鑑賞日:2018年9月8日
入場料:4階4列51番 5000円

主催:公益財団法人 東京二期会
共催:公益財団法人 新国立劇場運営財団/公益財団法人 日本オペラ振興会

東京二期会オペラ劇場/デンマーク王立歌劇場/アン・デア・ウィーン劇場共同制作

東京二期会オペラ劇場公演

オペラ三部作 字幕付き原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「三部作」(Il Trittico)

「外套」(Il Tabarro)台本:ジュゼッペ・アダーミ

「修道女アンジェリカ」(Suor Angelica)台本:ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ

「ジャンニ・スキッキ」(Gianni Schicchi)台本:ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ

会場:新国立劇場オペラパレス

スタッフ

指揮 ベルトラン・ド・ビリー
オーケストラ 東京フィルハーモニー交響楽団
合唱 二期会合唱団/新国立劇場合唱団/藤原歌劇団合唱部
合唱指揮 冨平 恭平
児童合唱 NHK東京児童合唱団
児童合唱指導 間谷 勇
演出 ダミアーノ・ミキエレット
演出補 エレオノーラ・グラヴァニョーラ
舞台装置 パオロ・ファンティン
照明 アレッサンドロ・カルレッティ
衣裳 カルラ・テーティ
舞台監督 村田 健輔
公演監督 牧川 修一

キャスト

外套

ミケーレ 上江 隼人
ルイージ 樋口 達哉
ティンカ 児玉 和広
タルバ 清水 那由太
ジョルジェッタ 北原 瑠美
フルーゴラ 塩崎 めぐみ
恋人たち 新垣 有希子
    新海 康仁
流しの唄うたい 高田 正人

修道女アンジェリカ

アンジェリカ 北原 瑠美
公爵夫人 中島 郁子
修道院長 塩崎 めぐみ
修道女長 西舘 望
修練女長 谷口 睦美
ジェノヴィエッファ 新垣 有希子
修練女、オスミーナ修道女 全 詠玉
労働修道女Ⅰ、ドルチーナ修道女 栄 千賀
看護係修道女 池端 歩
托鉢係修道女Ⅰ 小松崎 綾
托鉢係修道女Ⅱ 梶田 真未
労働修道女Ⅱ 成田 伊美
アンジェリカの息子 村上 和輝
修道女 木村 寿美/児玉 奈々子

ジャンニ・スキッキ

ジャンニ・スキッキ 上江 隼人
ラウレッタ 新垣 有希子
ツェータ 中島 郁子
リヌッチョ 新海 康仁
ゲラルド 児玉 和広
ネッラ 小松崎 綾
ゲラルディーノ 村上 和輝
ベッド 大川 博
シモーネ 清水 那由太
マルコ 小林 大祐
チェスカ 塩崎 めぐみ
スピネロッチョ 倉本 晉児
公証人アマンティオ 香月 健
ピネッリーノ 湯澤 直幹
グッチョ 寺西 一真
ブオーゾ 関谷 裕太

感想

プッチーニの遺志を継いで-東京二期会オペラ劇場「三部作」を聴く

 プッチーニは「三部作」を一挙上演することにこだわりがあって、初演は1918年、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で同時に行われ、その後もそのように上演するように言い続けていたそうです。しかし、実際はプッチーニが生きているうちから切り売りが始まり、二本しか演奏されなかったり、一本が他のオペラと併演されたりするというのがごく一般的になりました。確かに、私は「三部作」として全部同時に見たのは初めてではないにしても、それぞれの作品は単発や、他のオペラとの併演で見た経験の方が多いです。まあ、仕方がないでしょうね。三本同時に上演する必然性が作品から感じられない。

 「三部作」は、ダンテの「神曲」の天国編、煉獄編、地獄編に対応するという話もありますが(「神曲」は読んだことがないので、私自身は正否の判断ができません)、台本作家たちがそういうことを意識して台本を書いた様子はないですし、ヴェリズモの「外套」、神秘劇の「修道女アンジェリカ」、喜劇の「ジャンニ・スキッキ」の関係も同類でもなければ、三すくみでもない。そもそも三部作で上演する必然性はあまりないように見えます。

 しかし、演出のミキエレットはそうは考えませんでした。三本のオペラを無理やり関連付けてその関係性を聴衆に見せてやろう、というのが今回の演出のコンセプト。そもそも関係がないものを無理やり関係させようとするわけですから、もちろんあつれきが出ます。その無理をしっかり糊塗して、やっぱりほころびが見えた、というのが今回の演出でしょうか。面白い視点だとは思いますが、やっぱり違うな、という感じがしました。

 特に違和感があったのが、「修道女アンジェリカ」の演出。「アンジェリカ」の舞台は女子修道院ですが、ミキエレットの描く修道院、女子刑務所です。歌手たちは灰色の囚人服を着て歌唱し、一方管理役である修道院長や修道女長は看守服のような衣装で登場。確かに修道院は「罪を犯した者の贖罪の場所」という側面は当然ありますが、このオペラの持つ神聖的な側面はできるだけ見せないようにしていたようです。

 もう一つ、演出の特徴は、三作の出演者で類似の役柄の人を同一の歌手で演じさせたこと。誰でも思いつくところでは、ラウレッタとリヌッチョの恋人同士のコンビが「外套」の恋人たちで出てくる。若い恋人繋がりですね。しかし、ミキエレットはもっといろいろやってきます。例えば、「アンジェリカ」の公爵夫人と「ジャンニ・スキッキ」のツェータを同じ歌手に歌わせる。こうすることで、公爵夫人の冷酷さがツェータの欲深さとシンクロし、公爵夫人の冷酷さは欲深さから来ているのであるというメッセージになります。同じような隠喩的な役柄では、「外套」の「フルゴーラ」が「アンジェリカ」の修道院長に変わり、最後は「ジャンニ・スキッキ」の「チェスカ」になるというのも、その屈折した感じが三人一緒というミキエレットの見立てがあるのでしょう。

 その同一役の変換という意味で一番劇的だったのはやはりジョルジェッタからアンジェリカへの変化でしょう。ジョルジェッタの浮気が原因で夫のミケーレが不倫相手のルイージを殺し、ジョルジェッタが修道院に入るところから「修道女アンジェリカ」が始まります。アンジェリカが修道院にいる理由は不義の子を産んだためですから、ジョルジェッタ=アンジェリカという見立ては分からないわけじゃないけど、舞台の上で髪を切られて囚人服を着せられてアンジェリカに変わるのは驚きでした。

 舞台は「外套」では、いくつかのコンテナが舞台に置いてあり、その舞台の周りで演技が行われます。船も川も見えませんが、労働者がいるところとしての雰囲気が出ています。「アンジェリカ」ではそのコンテナが開き、修道女の居室や洗濯場が見せられます。「ジャンニ・スキッキ」では最初いかにもお金持ちっぽい部屋のセットで始まるのですが、最後はこのセットはみな片づけられ、最初のコンテナが残るという仕組みです。コンテナを使って、舞台の連続性を確保しました。

 以上、ミキエレットの演出はかなり無理筋感はありましたが、プッチーニ先生の意図を忖度して「三部作」を上演するとこうなる、というのも見せたのだろうと思います。ものすごくよい演出だとは思いませんが、演出だけでこれだけの文字数が書ける訳ですから刺激的だったことは間違いありません。

 で、演奏ですが、全体的によかったと思います。上手く嵌った時の日本のオペラ界の力を見せた演奏だと申し上げられます。

 まず、ジョルジェッタとアンジェリカを演じた北原瑠美が何と言っても素晴らしい。北原の声は、伸びも深みもあってそれ自身艶のあるいい声ですが、それを役柄で見せ方を変えてきているところがいい。必ずしも100%成功はしていなかったと思うのですが、見せ方を変えようとする意志は表現にしっかり出ていたと思います。歌唱ではやはり、アンジェリカの後半での公爵夫人の二重唱から「母もなく」の感情表現が見事だっと思います。また演技もよく、「外套」におけるジョルジェッタのちょっと蓮っ葉な感じもよかったですし、ルイージとのラブシーンもいい。このラブシーンは一言で言えば「エロい」。あの歌を歌いながらあそこまでエロチックに演技出来ていること、素晴らしいと思います。

 ジョルジェッタと不倫する樋口達哉のルイージ。悪くなかったですけど、北原ほど役に没頭していなかった感じ。もちろんアクートの決めなどはしっかり聴かせてくれますが、役柄が自発的にそう歌ったという感じではなくて、楽譜にそう書いてあったから歌いました、という感じになっていたのがちょっと残念です。もちろん冷静に歌うべきですが、演技に男の本能が欲しかったです。

 上江隼人のミケーレとジャンニ・スキッキ。この二役を同じ歌手がやるというのはちょっと無理がある感じがします。上江はどちらが似合っているかと言えばミケーレです。ヴェリズモチックな激高の仕方が見事だったと思います。もちろんジャンニ・スキッキだって悪くはないけど、ジャンニ・スキッキの人を食った感じの出し方が今一つすっきりしない。こういうブッフォの感覚は天性のもので、出来ない人はどうやってもできないのだけれども、上江の演技は今一つだったのかな、と思いました。 

  新垣有希子は恋人たち、ジェノヴィエッファ、ラウレッタの三役を兼ねました。一番良かったのはジェノヴィエッファではなかったかな、と思います。ラウレッタは役作りが中途半端な感じ。「私のお父さん」を聴くと、もっとカマトトっぽく歌ってもよいと思うし、あるいはもっと純情な感じで歌ってもよいと思います。新垣の歌はどっちつかずの感があって、今一つ魅力に欠けました。新海康仁のリヌッチョは素敵な歌だったと思いますが、人工的な感じがしました。若作り感、と言ってもよいかもしれません。その作り物めいた感じにちょっと違和感がありました。

 中島郁子の公爵夫人とツェータはその関係性が分かるような演技・歌唱でよかったです。今回の演出では、アンジェリカの産んだ子は実際は死んでいない(即ち、死んだと公爵夫人が嘘をつく)のですが、そういう非人間的な雰囲気が、ツェータという喜劇的役柄の中で生かされていたのが目に留まりました。役柄の繋ぎという意味で一番うまくいっていたのは北原瑠美ですが、中島郁子も負けていないなあと思いました。

 一方、塩崎めぐみはフルゴーラ、修道院長、チェスカの三役を演じましたが、彼女はそれぞれを全然違う役として見せたように思います。それはそれで面白いと思いました。

 ミキエレットは三部作を構成する三本のオペラが独立したオペラでありながら関連づいている、ということを示すために、舞台装置を統一化する。出演者をできるだけ、類似の数役を歌わせる、ということをやって見せました。その演出家の意図は分かるのですが、その意図が歌手に100%伝わって、その期待に歌手たちが応えてくれればよかったのでしょうが、実際はそうではなかったという感じです。役によってはちぐはぐ感のあるものもあり、結果として、三部作の作品をバラバラにして上演するよりもいい演奏になったとまでは言えないのかな、と思いました。

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鑑賞日:2018年9月22日
入場料:2階3列34番 6000円

主催:東京オペラプロデュース合同会社

東京オペラ・プロデュース第102回定期公演

オペラ4幕 字幕付き原語(フランス語)上演
G.シャンパルティエ作曲「ルイーズ」(Louise)
台本:ギュスターヴ・シャルパンティエ

会場:新国立劇場・中劇場

スタッフ

指揮 飯坂 純
オーケストラ 東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団
演出 馬場 紀雄
美術 土屋 茂昭
照明 成瀬 一裕
衣裳 清水 崇子
音響 関口 嘉顕
ヘアメイク 星野 安子
舞台監督 八木 清市
製作 竹中史子/白井和之

キャスト

ルイーズ 菊地 美奈
ジュリアン 高田 正人
米谷 毅彦
河野 めぐみ
イルマ 工藤 志州
カミーユ 辰巳 真理恵
見習い 八木下 薫
エリーズ 坂野 由美子
スザンヌ 山村 晴子
マドレーヌ 渡邉 絵美子
ブランシュ 櫻庭 照子
マルグリート 丸山 奈津美
ジュルトリード 勝倉 小百合
朝帰りの男/法王 青地 英幸
屑屋 森田 学
若い屑屋 金井 理香
新聞売り 森下 奈美
牛乳屋 川名 綾子
古着屋 島田 道生
警官 鷲尾 裕樹
歌手 石塚 幹信
哲学者1 望月 一平
哲学者2 笹倉 直也
画家 奥山 晋也
彫刻家 勝俣 祐哉
学生 斉藤 一平

感想

群衆オペラとしてのルイーズ-東京オペラ・プロデュース第102回定期公演「ルイーズ」を聴く

 ギュスターヴ・シャンパルティエという作曲家は、「ルイーズ」一曲しか知られていない作曲家で、その「ルイーズ」にしても滅多に上演されません。日本で上演されたのは、過去2回。前回も東京オペラ・プロデュースの公演で、2007年1月のことでした。その上演は見ているのですが、実はほとんど覚えていません。当時の感想を見てみると、主役の大隅智佳子がよかったことぐらいしか書いていない。あんまり音楽に共感できなかったのかもしれません。

 お針子とボヘミアンの恋を描いたオペラという意味ではプッチーニの「ボエーム」と似ていますし、指示動機的なものを活用している点も「ボエーム」と似ていますが、ボエームのような凝縮した作りにはなっていなくて、ずっと散文的です。内容も劇的ではありませんし、当時の自然主義文学に影響を受けたと言われていますが、さもありなんという感じでした。

 ある意味散漫な作品なため、オーケストラが要所を締めて盛り上げてくれることが大事です。その意味で今回の東京オペラ・フィルの演奏は不満です。非常にぬるい演奏。技術的にも如何なものかという感じで、特にホルンが悪かったと思います。ホルンは失敗しやすい楽器だから、失敗することをことさらに言い募るつもりはありませんが、和音進行からしてこんな音あるのかな、と思う部分もありましたし(違っていたらごめんなさい)、決めるべきところがほとんど決まっていなかった印象。ホルンが一番目立っていたので強調して書きましたが、他も一緒。もっとメリハリをつけた演奏にしないと、オペラ自身がある意味単調なので、今回のように締まらない演奏になってしまうと思います。

 指揮者はこれでよかったのでしょうか?

 歌は全体的には全然悪いとは思いませんでしたが、主役系の方々の歌は母親の河野めぐみを除いて、更にひと工夫があってもよかったのではないか、と思いました。

 ルイーズ役の菊地美奈。可愛らしさとしたたかさを兼ね備えた娘がルイーズのキャラクターだと思いますが、そこの表現の切り分け方が上手くいっていなかった感じ。全体的には怖い印象がありました。ジュリアンとの二重唱などはもっと可愛らしさを前に出してもいいと思うのですが、どこか冷静さが感じられて、なんか計算ずくに見えてしまう。歌も有名なアリア「その日から」などはよかったと思うのですが、ちょっと情熱的過ぎた歌い方で、もっと抑えた表現の方が、この曲の良さが洗われるのではないかと思いました。

 高田正人のジュリアン。悪くなかったと思うのですが、良くもなかった感じ。高田については本当に10年ぶりぐらいに聴いたと思うのですが、こんな歌い方をする方だったんだ、というところ。中音から高音にかけての上行音型がどれも薄くなっていて、そこにもう少し厚みがないといけないのかな、と思いました。マスクも甘いですし、声も甘いのですが、もっと甘い表現の方がよかった感じがします。ルイーズも怖かったので、これぐらい強く歌わないとバランスが取れない、というのがあったのかもしれません。

 父親役の米谷毅彦。上手な方ですが、今回はさほど良くありませんでした。この父親は旧弊の典型みたいなわからずやの父親として描かれますが、そのキャラクターの性格付けが米谷の中でまだ熟成されていなかったのではないかという気がしました。歌には押しつけがましさが感じられましたが、そこに米谷の父親像の解釈があるとすれば、もう一段踏み込んだ解釈と表現があれば、もっと押しつけがましさの表現も変わってくるのかなと思いました。

 母親役の河野めぐみはよかったです。ことに第一幕のヒステリックな母親から第三幕の諦念への表現の変化が立派で、落ち着きのある声と表情が素敵でした。

 脇役陣はみな良好だったと思います。工藤志州のイルマがよく、辰巳真理恵のカミーユ、八木下薫の見習いもよかったです。そのほか町の人々では、青地英幸の酔っぱらいと法王、島田道生の古着屋、石塚幹信の歌手なども印象的でした。脇役の人たちのソロからアンサンブルが大きくなって合唱になっていくところはどれもぴったり合っていて素晴らしかったと思います。見事でした。

 「ルイーズ」は群衆オペラとも言われます。2007年の時は主演の大隅智佳子がかなり良かったようで、私はそこにプリマドンナオペラを感じたのですが、今回は脇役の見事な表現を聴き、一方で主演陣が今一つだったので、まさに「群衆オペラ」でした。

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鑑賞日:2018年10月6日
入場料:2階4列28番 3800円

主催:昭和音楽大学/協力:上海音楽学院、ソウル市立大学校

平成30年度 文化庁 大学における文化芸術推進事業 日中韓 新進歌手交流オペラ・プロジェクト

昭和音楽大学オペラ2018

オペラ3幕 字幕付き原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「ファルスタッフ」(Falstaff)
台本:アッリーゴ・ボーイト

会場:昭和音楽大学 テアトロ・ジーリオ・ショウワ

スタッフ

指揮 ニコラ・パスコフスキ
オーケストラ 昭和音楽大学管弦楽団
合唱 昭和音楽大学合唱団
合唱指揮 山舘 冬樹
演出 マルコ・ガンディーニ
美術 イタロ・グロッシ
照明 奥畑 康夫
衣裳 アンナ・ビアジョッティ
演出補・字幕 堀岡 佐知子
舞台監督 斎藤 美穂

キャスト

ファルスタッフ 田中 大揮
フォード 程 音聡(上海)
フェントン 戴 宸(上海)
カイユス 高橋 大
バルドルフォ 駿河 大人
ピストラ 山下 友輔
アリーチェ 中村 芽衣
ナンネッタ 中井 奈穂
クイックリー 宇津木 明香音
メグ 北薗 彩佳

感想

アンサンブルオペラとして見たとき-昭和音楽大学オペラ2018「ファルスタッフ」を聴く

 全体としてはなかなかよくまとまった好演だったと申し上げましょう。マルコ・ガンディーニの演出は2011年の昭和音大オペラ「ファルスタッフ」の舞台の焼き直しです。舞台の奥を中央で二つに区切って、片方をガーター亭にするともう一方は女房達の洗濯場になるという仕組みですね。二回目、ということもあるのか舞台の流れは自然でしたし、「ファルスタッフ」のお話がよく分かるという点でもよかったと思います。

 昭和音大管弦楽団の演奏もよかったです。音色などは特に優れているとも思いませんでしたし、演奏技術についても甘い部分もあってスリリングだった部分ももちろんあったのですが、基本的にはこの公演に向けてよくさらった演奏で、市民オペラではよくあり勝ちのオーケストラの崩壊の可能性はほとんど感じられない演奏でした。パスコフスキの指揮は基本インテンポのきびきびしたもので、演奏時間もほぼアナウンス通り(やや速めかもしれません)で、バランスのとりやすかったものと申し上げてよいでしょう。以上、音楽の基本的なところがかっちりとしていて演奏も安定していたので、全体がしっかりまとまったのだろうと思います。

 歌手では主役を歌われた田中大揮が何と言っても群を抜いた実力を見せました。田中は最近活躍の場を広げている若手バスですが、バス・バリトンとしては今日本で一番上手なのではないかと思わせるほどの出来でした。まず声がいい。田中の歌も何度も聴いておりますが、こんなに美声だったかと思うぐらい。それでいて響きに深みと厚みとがあります。歌詞もはっきり分かる滑舌でそこもよかったですし、演技だって、表情も豊かで所々のおどけた表情などは、しっかり観客の笑いを取りました。ファルスタッフは若い歌手では厳しいのかな、という印象をずっと持っていましたが、今回の田中の歌唱・演技はその認識を改めなければいけないかな、と思うほどでした。

 田中以外ははっきり申し上げれば2ランクぐらい力が低い印象です。

 第一幕の冒頭、カイユスが「ファルスタッフ、ファルスタッフ」と怒りのカイユスがガーター亭に飛び込んでくるわけですが、まずこの第一声が迫力不足です。ここはもっと頑張ってくれないと、その後のファルスタッフ、バルドルフォ、ピストラとののらりくらりとしたアンサンブルの面白みが半減します。この場のアンサンブルは声的(質・量ともに)にファルスタッフと他の三人との差がありすぎて、バランス的には今一つと申し上げましょう。

 それでも第一幕第一場の4人のアンサンブルはよく練習していたようで、音楽に嵌っていたと思います。しかし、第一幕第二場の女性アンサンブルはかなり問題が多かったというべきか。最初の「アリーチェ、ナンネッタ、メグ」とお互いに呼びかけるところから既に嵌っておらず、その後も微妙なずれが連続して流れがまとまらない。このアンサンブルはメグが中心となってバランスを取るべきところだと思いますが、メグ役の北薗彩佳の力不足ということなのでしょうか。

 クイックリー夫人を歌った宇津木明香音は全く買いません。クイックリーは臭い歌唱・演技をしてなんぼ、という部分があるわけですが、宇津木の歌唱はその臭く歌うべきポイントがことごとく外れている感じ。ドズを利かせる部分も「そこじゃないよ」と何度も思ってしまいました。またアンサンブルとしてはソプラノに道を譲ったほうがよい部分で頑張ったり、一方で、クイックリーが頑張るべきところで力が抜けていたり、かなり女性アンサンブルのバランスを崩すほうに力が入っていた印象です。

 アリーチェ中村芽衣はアリーチェらしさが出ていない感じ。三夫人の関係は声的にも役柄的にもアリーチェがもっと中心になるべきと思いますが、終始埋もれている印象が強く残念でした。

 中井奈穂のナンネッタも今一つ。ナンネッタはもっと娘らしさが前面に出たほうがいいと思うのですが、中井の表情はその他の女性たちとあまり変わらなくて、アンサンブルでは埋もれている印象が強く、フェントンとの絡みでは、フェントンが若々しく迫っているのに対し、落ち着いて対応している感じが強くて、もっとキャピキャピなテンションを上げるべきだったのかなという気がします。第三幕のアリア「夏の風に乗って」ももっと物語の流れに乗って幻想的かつ明るく響かせられればいいのになあ、と思いました。

 フォード役の程音聡。悪くなかったですし、第二幕第一場のモノローグはしっかりと聴かせてくれました。ただ、表現力に深みはなく、このモノローグで聞きたいフォードの疑心の表情はかなりあっさりした印象で物足りない。フェントンの戴宸の明るく声を出して、若い恋人の雰囲気をよく出していたとは思いますが、人工的な印象が強くて、もう一段踏み込んだ表現があってもよいのかな、と思いました。

 こんな感じのグループの歌唱なので、第二幕第二場のドタバタ・アンサンブルはなかなか整理されては聴こえて来ず、そこはもっと練習が必要なのかなという印象。一方で、第三幕第二場のフィナーレのアンサンブルはしっかりとまとまっており、フーガも綺麗に聴こえてきてよかったです。

 全体的には田中大揮の素晴らしいファルスタッフとかっちりしたオーケストラのおかげで基本的にはまとまっていたと思いますが、アンサンブル(特に女声アンサンブル)に難があり、「ファルスタッフ」をアンサンブル・オペラとするのであればもっと磨かなければいけない、というのが全体としての感想です。

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鑑賞日:2018年10月7日
入場料:自由席 3000円(出演者割引) 鑑賞席は1F11列11番

主催:Otto-Valley/後援:ARSLONGA/制作:Le voci

オペラ3幕 字幕付き原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「ランメルモールのルチア」(Lucia di Lammermoor)
台本:サルヴァトーレ・カンマラーノ

会場:渋谷区総合文化センター大和田さくらホールr

スタッフ

指揮 安藤 敬
オーケストラ テアトロ・フィガロ管弦楽団
合唱 テアトロ・フィガロ合唱団
演出 馬場 紀雄
衣裳 森眞佐乃/秋田陽子
音響 たきざわ 勝彦
メイク 濱野 由美子

キャスト

ルチア 山中 沙耶
エドガルド 松尾 順二
エンリーコ 清水 良一
ライモンド 小幡 淳平
アルトゥーロ 佐藤 圭
アリーザ 梶沼 美和子
ノルマンノ 川出 康平

感想

企画はきっちり歌えてから-Otto-Valley「ランメルモールのルチア」を聴く

 久しぶりに凄いものも聴かせてもらったな、というのが正直なところ。正直に申し上げればお客様に見せるレベルに達していない公演でした。特にエドガルド役の松尾順二。論外です。

 とにかく全然歌えていない。高音が出ないのは言うまでもなく、出した高音もすぐぶら下がり音程が下がります。低音も音程が見えなくなるところがある。全ての部分がそうでしたから、要するに実力がないのです。歌える実力がないのに、無理やり歌って、共演者に迷惑をかけ、お客に呆れさせる。どうしようもないと申し上げるしかありません。高音が張れないからビブラートに逃げるわけですが、そのビブラートだってだんだん下がっていく。同じ音で保たなければいけないところが最初と最後で半音も下がるようじゃ、歌手として失格でしょう。エドガルドが不在のシーンではそれなりにまとまっているのですが、エドガルドが登場すると音楽が締まらなくなるのは、要するにエドガルドがどれだけ悪影響を与えたか、ということです。松尾には一から発声を勉強しなおすか、二度と舞台で歌わないことをお勧めしたいです。

 山中沙耶のルチアもあまり感心しませんでした。もちろん松尾と比べれば100倍ぐらいましで、少なくとも楽譜面は歌えています。しかし、そこでとどまっている。登場のアリア「あたりは沈黙に閉ざされ」は、後半の狂乱の場への伏線になっているわけで、そこを印象的に歌ってルチアの狂気を示唆するようになれば最高なのですが、後半に向けて力を温存しようとしたのか、全然声が飛ばない歌でした。一方「狂乱の場」は歌いきることだけに気が廻っていて、それ以外のとこまで気を配る余裕がなかったようです。本物のルチア歌いは狂乱の場で顔が変わります。佐藤美枝子はリサイタルでこの曲を歌っても表情が変わり、ルチアの気持ちを切々と歌い上げます。しかし、山中ルチアは眼をかっと見開いて、動きは硬く、狂乱の場で見せるべき幻想的背景は全く感じることはできませんでした。

 清水良一のエドガルド。あまり声の調子は良くなさそうでしたが、さすがベテラン。要所を締めて、きっちりまとめてきました。

 木幡淳平のライモンド。良かったです。この公演での一番の収穫と申し上げましょう。テヌートが効きすぎるところがあって、もっとレガートに歌われた方がよいのかな、と思う部分はありましたが、低音もしっかり響きましたし、高音も安定しておりました。彼はこの公演の中で自分の課題を考えて歌っているようで、上手くいくと表情がちょっと柔らかくになるところがよかったです。第二幕のアリア「譲歩なさい」は、適度な押しつけがましさが感じられて、そこもよかったところです。

 佐藤圭のアルトゥーロ。若々しいテノール。出番は少ないですが、そこでの存在感はしっかりアピールしていました。良かったです。エドガルドとライモンドが交替すれば、今回の演奏の印象もずいぶん変わっただろうな、と思います。

 梶沼美和子のアリーザ。第一幕では声が埋もれていましたが、第三幕ではもう少し張り上げて声が聴こえました。

 川出康平のノルマンノ。合唱出身の方のようで、すぐに合唱に飲み込まれてしまうのが残念。ソロである以上、合唱の声に乗るようでなければいけないのかな、と思いました。

 合唱は声も綺麗ですし、力もあります。冒頭の男声合唱は、指揮者の指示が曖昧だったようで、一斉に出られなかったのが残念。しかし、後は良好です。混声合唱の響きは見事でした。オーケストラの力量は昨日聞いた昭和音大管弦楽団よりも更に一ランク下という感じですが、安藤敬の統率は悪くなく、それなりにまとまっていた印象です。ただし、指揮者の責任として、歌えないエドガルドは下ろすべきであったとは思います。

 今回の公演。主催者を見るとどうも松尾にエドガルドを歌わせるために実施した公演のようです。だから松尾は下ろされなかったのでしょう。しかし、それは音楽に対する、あるいは観客に対する冒涜であると思います。やはりこのような最初に歌手ありきの企画は、その歌手がきっちり歌えるようになってからすべきかと思いました。

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鑑賞日:2018年10月13日
入場料:D席 4階2列46番 7776円

主催:文化庁芸術祭執行委員会/新国立劇場

新国立劇場2018/2019シーズン開幕公演

オペラ2幕 日本語/英語字幕付き原語(ドイツ語)上演
モーツァルト作曲「魔笛」(Die Zauberflöte)
台本:エマヌエル・シカネーダー

会場:新国立劇場オペラハウス

スタッフ

指揮 ローラント・ベーア
オーケストラ 東京フィルハーモニー交響楽団
ピアノ/ジュ・ド・タンブル 小埜寺 美樹
合唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
演出 ウィリアム・ケントリッジ
美術 ウィリアム・ケントリッジ/ザビーネ・トイニッセン
照明 ジェニファー・ティプトン
衣裳 グレタ・ゴアリス
プロジェクション キャサリン・メイバーグ
映像オペレーター キム・ガニング
照明監修 スコット・ボルマン
音楽ヘッドコーチ 石坂 宏
演出補 リュック・ド・ヴィット
舞台監督 高橋 尚史

キャスト

ザラストロ サヴァ・ヴェミッチ
タミーノ スティーヴ・ダヴィスリム
弁者・僧侶Ⅰ・武士Ⅱ 成田 眞
僧侶Ⅱ・武士Ⅰ 秋谷 直之
夜の女王 安井 陽子
パミーナ 林 正子
侍女Ⅰ 増田 のり子
侍女Ⅱ 小泉 詠子
侍女Ⅲ 山下 牧子
童子Ⅰ 前川 依子
童子Ⅱ 野田 千恵子
童子Ⅲ 花房 英里子
パパゲーナ 九嶋 香奈枝
パパゲーノ アンドレ・シュエン
モノスタトス 升島 唯博

感想

演奏と演出が摺りあうこと-新国立劇場「魔笛」を聴く

 演出は「魔笛」としてはかなり変わったものであるとは思いましたが、分かりにくいものではありませんでしたし、演奏も全体水準が高く、特に大きく足を引っ張る人もいませんのでしたので、悪くないはずなのですが、なんか全体としては今一つぴんとこない演奏だったように思います。新演出プレミエ公演の5日目だったわけですが、まだ日本側スタッフがこの演出になれていないのか、日本人歌手の演技に今一つ伸びやかさに欠けていた、というのはあるかもしれません。また演出がちょっと緻密に組み立てられていて、なかなかアリアの後に拍手を入れにくいというのがありました。歌手はお客さんのBravoや拍手で燃えますからね。今回のようにお客さんの拍手が出ないと、なかなか盛り上がらないというのはあると思います。舞台の上は熱気のあった部分もありましたが、お客さんの反応が全体的に小さかったというのも間違いなく言えるところです。

 現代美術の巨匠で、京都賞の受賞者でもあるウィリアム・ケントリッジの演出は、2005年にブリュッセルで初演され、その後各地で上演されている定評のあるものだそうです。「魔笛」の舞台は本来古代エジプトをイメージしたファンタジー世界ですから、非現実的演出で行われることが多い。日本では例えば、二期会の実相寺昭雄の演出のものが代表的です。それに対してこのケントリッジの演出は明らかに19世紀末から20世紀初頭の欧州がイメージにあり、ザラストロを代表する陽の世界と夜の女王を代表する陰の世界を、当時の男性優位社会に対する批判として描いています。そういう見方はあるとは思いますが、「魔笛」というオペラはそもそも、シカネーダーの劇団がやる街芝居として誕生したわけで、あまりそういう社会背景を持ち込むのは結果としてモーツァルトの世界を狭めてしまうのではないかな、という気がしました。

 19世紀から20世紀初頭が舞台ですから、登場する人はそのころの衣裳を身に着けていて、背景が暗い感じも含めて時代の感じはよく出ていて美しいとは思いました。一方で、オペラの幻想的側面はプロジェクション・マッピングの多用で見せていきます。この動画はほとんど線の描写で、線が絵を作って、それで意味を持たせようとするもの。それで、オペラの内容の説明は上手くなされるわけですが、基本背景が暗くなり、またその動きを確認することで物語が分かるところがあるので、観客にとっては、歌や演技に集中できないところがどうしても出てしまいます。結果として、映像に気を取られているうちに音楽が進んで、拍手のタイミングを逸してしまったことは、間違いなくあったように思います。

 結局のところ、歌手や音楽に対して優しい演出ではない。それは言えると思います。この演出で音楽が盛り上がるようにするためには、例えば、指揮者がアリアが終わったら、もう少し休止の時間を長くとるとか、そう言った盛り上げるための工夫が必要でしょう。この演出を新国立劇場のレパートリーとして定着させるためには、まだ演奏と演出の間で細かい摺合わせが必要です。

 以上、全体的に盛り上がったとは言い難い舞台ではありましたが、演奏自身は決して悪いものではありませんでした。ローラント・ベーアの指揮する東京フィルの演奏は、特徴的な演奏だとは思いませんでしたが、悪くもありませんでした。音楽で行われたもう一つの特徴は、台詞の部分で、所々、ピアノでレシタティーヴォ的な伴奏を入れたこと。これは私は初めての経験です。面白いとは思いましたが、多分楽譜には書いていないわけで、なぜこのようなことが行われたのか、意味はどこにあるのか、といったことは皆目わかりません。

 歌唱は総じて良かったと思います。特にアンサンブル系の歌唱が素晴らしい。例えば侍女三人。今回の侍女は、増田のり子、小泉詠子、山下牧子というソロとしても日本のトップクラスの実力の持ち主を揃えましたが、この三人はもともと楽譜を正確に歌うという点で特に長けた人たちで、ほんとうにバランスと言い、和音の響きと言い、最上と言ってよいもので、うっとりするほどでした。童子三人のアンサンブルもこれに劣らず素晴らしい。こちらは新国立劇場合唱団のメンバーで、元々響きを合わせることが上手な人たちではあるわけですが、その特徴がよく出ていました。前川依子の童子Ⅰがことに美しかったことを報告いたします。

 別々の歌手で歌われることの多い男声アンサンブルは成田眞と秋谷直之に任されました。こちらは成田の方がちょっと目立っていて、女声ほどいいバランスではありませんでした。武士の二重唱は、テノールがもっと朗々と響いたほうが、曲に合うように思います。また、僧侶の演技は、もう少し砕けている方が私は好きです(演出的に許されていなかったのでしょうが)。

 ソリスト系で印象に残ったのは、パミーナを歌った林正子。林はリヒャルト・シュトラウスやワーグナーの印象が強くて、パミーナに似合っている印象は全くありませんでしたが、聴いてみると悪くない。ロココ的な美を感じる歌ではありませんでしたが、彼女の艶のある声はパミーナを可愛いお姫様というよりはもっと生身の女を感じさせるもので、新鮮でした。また、第二幕のアリアはその声ゆえにパミーナの絶望感がより深く表現できていたと思います。

 安井陽子の夜の女王もいい。かつて聴いた彼女の夜の女王よりも表情が平板になっている感じがしたことと、低音部の処理が完璧ではなかったことから最高のパフォーマンスではなかったけれども、世界第一級の夜の女王であることは間違いない。最高音に至る正確なアプローチやそこでの軽々した表現は、「夜の女王歌い」としてかつて一世を風靡した名歌手たちより段違いの巧さで、ほんとうに立派でした。

 タミーノ役のダヴィスリム。全然悪くないタミーノでしたが、王子感が全くない。タミーノという役柄、このオペラの主人公格であるにもかかわらず、冒頭の「何と美しい絵姿」以外にこれといったアリアがない。重唱では絡みますが、そんなに多くない。だからこそ、記号としての「王子」をしっかり出さないと印象が埋もれてしまいます。今回の演出はタミーノの衣裳も特に印象的ではなく、動きも特徴的ではなかったことがタミーノにとっては逆風でした。

 同じ意味でパパゲーノも記号としてのパパゲーノらしさがありませんでした。鳥の羽根を付けた衣装で「おいらは鳥刺し」を歌うからこそパパゲーノらしさが出る部分があるのだなあ、と思った次第。今回の演出ではパパゲーノのコミカルな側面が抑制的であり、結果としてパパゲーノの印象を弱めていたと思います。また、シュエンは結構長身の方で、舞台姿は映えるのですが、パパゲーノとして見たとき、「恋人が欲しいと言いながら、ほんとうは陰で悪いことをしているだろう」的な印象も感じられて、歌は全然悪くなかったのですが、何とも言えないちぐはぐ感がありました。

 音楽的に一番気になったのはザラストロを歌ったヴェミッチ。低音の安定が今一つで説得力がない。「おおイシスとオシリスの神よ」も、「この聖なる殿堂では」ももっと朗々とした響きでどっしりと歌って欲しいと思います。演出家は「ザラストロを絶対的正義として描きたくなかった」と言っていますが、その意味ではヴェミッチは演出家の意図をしっかり示していたとは思います。

 九嶋香奈枝のパパゲーナ。パパパの二重唱で登場するとき、黒板の上に寝そべって登場。ちょっと怖い様子で、冒頭が乱れました。でも後は良好。升島唯博のモノスタトスもよかったです。

 結局のところ演出のメッセージ性が強すぎて、音楽がかなりスポイルされた感じの舞台でした。音楽的には十分立派な演奏だったと思うので、新国立劇場がこの舞台を使い続けるのであれば、もっともっと工夫が必要でしょう。

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鑑賞日:2018年10月20日
入場料:2000円 え-42番

主催:国立音楽大学

2018年国立音楽大学大学院オペラ公演

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」K.588(Così fan tutte)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場:国立音楽大学講堂

スタッフ

指 揮・ハンマーフリューゲル 阪 哲朗
管弦楽 国立音楽大学オーケストラ
合 唱 国立音楽大学合唱団
合唱指導 安部 克彦
演 出 中村 敬一
装 置 鈴木 俊朗
衣 裳 半田 悦子
照 明 山口 暁
舞台監督 德山 弘毅

出 演

フィオルティリージ 長田 真澄
ドラベッラ 谷本 雅
フェランド 高柳 圭
グリエルモ 島田 恭輔
デスピーナ 千葉 菜々美
ドン・アルフォンソ 大川 博

感想

指揮者の腕と若き才能と-2018国立音楽大学大学院オペラ公演「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く

 国立音大大学院オペラは知る人ぞ知る若手歌手の登竜門の一つです。私はもう10数年毎年のように聴いておりますが、その後大舞台で活躍している歌手の方何人も見ております。そう言うことで最近人気が高く、ここ数年は毎年ほぼ満席になっていたかなと思います。しかし、本年の初日はかなり空席が目立ちました。せいぜい6割の入り。どうしたのでしょうね。しかし、演奏はよかったです。今回ぐらい締まった「コジ」を聴かせていただくと、やっぱりオペラっていいなあ、と思います。

 演奏がよかった最大の理由は、阪哲朗の指揮にあったと思います。阪はオペラに詳しい指揮者の一人ではありますが、作品をよく知っていますし、音楽の盛り上げ方も上手です。国立音大のオーケストラは技術的にはさほど優れていませんでしたが(今月初めに聴いた昭和音大のオーケストラの方が、鍛えられていた感じがします)、そこから出てくる音が非常に生き生きしている。多分それは指揮者自身の音楽に対する共感と、この舞台を盛り上げていこうという意識が高いことの結果なのでしょう。オーケストラをぐいぐい引っ張って言っていました。

 また歌手に対する指示が丁寧で的確。「コジ」は言うまでもなくアンサンブル・オペラで、ソロもありますけど、二重唱から六重唱までのいろいろなパターンの重唱が聴きものです。その出の指示は大きな劇場ではコレペティトゥアが出すのでしょうが、今回は指揮者が出していました。その出し方も丁寧で分かりやすい。歌手はそれを見て歌い始めるからタイミングがずれない。結果としてアンサンブルが見事で、特に実力者同士のアンサンブルは、元々力がある方たちですから、その音の広がりが素晴らしい。そのきっかけは指揮者の指示であり、阪の音楽性がそれを支えていたように思います。

 さて歌手ですが、本年は女声三人と男声ひとりが大学院修士課程二年生、男性二人が助演です。この大学院生の才能が今年は豊かだと思いました。特に女声。

 まず、フィオルディリージを歌った長田真澄が素敵でした。まず声が艶やかで響きが上に伸びていくところが素晴らしい。まずアリアですが、「岩のように動かず」は中低音がもう少し響いたほうが、この曲の持つおかしさがより表現できたのではないかと思いますが、高音の伸びや響きはこの歌手の持つ才能を知らしめるに十分でした。第二幕のロンド「いとしいかたよ,愛する心のこのあやまちを許して」もしっかりした歌唱で素晴らしかったですが、やはり低音部で抜けてしまったところがあり、そのあたりのバランスの整理が課題なのでしょうね。しかし、この美声ですから、アンサンブルを聴いていてもソプラノ感が前面に出てくる。そこは作品によっては弱点になる可能性があるわけですが、こと「コジ」に関して言えば、フィオルディリージがアンサンブルを引っ張る曲も多く、この演奏ではそれがとても有利に働いていました。

 ドラベッラ役の谷本雅。メゾ・ソプラノということもあって、声そのものに対しては長田のほどの魅力は感じられませんでした。しかし、この方の音楽的センスは見事だと思います。アンサンブルに彼女が入り込むと音楽がふわっと膨らみます。その力は今回の出演者(助演者も含め)の中で一番と申し上げてよいのではないでしょうか?またこの方表情の作り方が一番自然だと思いました。長田も悪くなかったけど長田の表情の作り方は計算ずくな感じが見え隠れしましたけど、この方はオペラの中での喜びの表情や困った時の表情の出し方が自然で好感を持ちました。アリアも全然悪くない。二幕の「恋はくせもの」は恋する女性の喜びが素直に感じさせられるものでよかったです。

 デスピーナの千葉菜々美。この方も低音部に難があります。しかし、声質がレジェーロで上に抜ける軽い声質はデスピーナにぴったりと申し上げてよいでしょう。二曲のアリアとも低音部は今一つでしたが、上の抜け、伸びは若さを感じさせる美しいもの。なお、医者に化けたときや公証人に化けたときの声色はもっと大げさでもよかったのではないでしょうか。それにしても基本的にはよく練習していたと思いますし、デスピーナらしさも出ていたと思います。

 グリエルモ役の島田恭輔は頑張っていましたが、バリトンとしてはごく普通。このチームの中ではしっかり頑張っていましたが、声の色合いや声量、あるいはその表現に関して凄さを感じることはできませんでした。

 助演陣ですが、大川博のドン・アルフォンゾ。何度か歌っている舞台で、後輩たちを引っ張っていたのでしょう。雰囲気も悪くなかったし、歌唱も明確でした。高柳圭のフェルランド。モーツァルト的ロココ的声の響かせ方を意識しているのは分かりましたが、一方で声を押し気味で、それが押しつけがましく聴こえることもあり、あまり良いものではありませんでした。テノールとしての声の変わり目の仕事だったのかもしれません。演出は中村敬一の過去何回も使われたものですが、細かい処での変更はありましたし、また演技する歌手が変わると細かい動きも変わるようです。今回は合唱も含めてかっちりと演技する方が多かったようで、そこも全体としてしまって見えた要因だったように思います。 

 以上若い人たちの舞台で、まだまだなところも多かったわけですが、素晴らしい指揮と鍛えられたアンサンブルとで全体としては非常に楽しめました。Braviと申し上げます。

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鑑賞日:2018年11月10日
入場料:5000円 2F I列33番

主催:公益財団法人ニッセイ文化振興財団[日生劇場]

NISSAY OPERA 2018
日生劇場開場55周年記念公演 モーツァルト・シリーズ

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」K.588(Così fan tutte)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場:日生劇場

スタッフ

指 揮 広上 淳一
管弦楽 読売日本交響楽団
合 唱 C.ヴィレッジシンガーズ
合唱指導 垣内 悠希
演 出 菅尾 友
ドラマトゥルク 長島 確
美 術 杉山 至
衣 裳 武田 久美子
照 明 吉本 有輝子
ヘア・メイク 橘 房図
映 像 山田 晋平
演出助手 手塚 優子
舞台監督 幸泉 浩司/蒲倉 潤

出 演

フィオルティリージ 嘉目 真木子
ドラベッラ 高野 百合絵
フェランド 市川 浩平
グリエルモ 加耒 徹
デスピーナ 高橋 薫子
ドン・アルフォンソ 与那城 敬

感想

読み替えと運動量の問題-NISSAY OPERA 2018「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く

 「Cosi fan tutte」の「tutte」は「All」という意味ですけど、女性の複数形なので、「女は皆こうしたもの」という意味になるのですね。「男は皆こうしたもの」としたければ、「Cosi fan tutti」にしなければいけない。だけどこの裏には、「男は皆当然、言うまでもなく、こうしたものだけど」という意味が隠れている気がする。オペラの中で、フェランドもグリエルモも彼女のことを信用したいけど、親友の彼女を落とすことに一所懸命になる。そして、その彼女が落ちると、「自慢するつもりは毛頭ないが、俺たち二人について言えば…分かるだろ 友よ、少しばかり多くの取り柄が…」と歌います。つまり、彼女一筋と言いながら、「他の女にもてたい」と思っているんですね。だから、私はこの作品を女性蔑視のオペラだとは全く思わないのですが、どうも菅尾友と長島確は、女性蔑視がある作品であるという前提で、フィオルディリージとドラベッラを人工知能を積んだアンドロイドにしてしまいました。「人工知能はどこまで人間の恋愛を理解できるか」、という研究の一環として、この恋人交換があるということですね。

 だから、舞台は大学の研究室だし、デスピーナは「掃除のおばちゃん」の恰好で出てくるし、ドン・アルフォンゾは、「マッド・サイエンティスト」の恰好で出てくる。最初は「なるほどね」、と思いました。でもこの設定には違和感がある。確かに現代はVRの時代で、二次元アイドル(例えば初音ミク)に多数のファンがいることは周知の事実ですけど、初音ミクはあくまでも仮想空間の存在であって、現実にいるわけではない。一方で、フィオルディリージとドラベッラは人工知能を積んだアンドロイドですから実在しているけど、当然そのことをフェルランドもグリエルモも知っています。即ち本来の設定である、フィオルディリージとグリエルモ、ドラベッラとフェランドの恋人関係自体が研究のための仮定になっている。

 そこまでは理解できるのですが、この場合ドン・アルフォンゾの立ち位置が理解できなくなります。「コジ・ファン・トゥッテ」を女心の研究だとみなすのであれば、指導者たるアルフォンゾはもっと男性たちに具体的な指示を与えてよいと思うのですが、本来の役割である哲学者として歌います。そのように歌われると、フェルランドやグリエルモはアンドロイドに対して本来どういう感情を持っているのかが分からなくなります。そんな訳で設定はぶっ飛んでいますが、そこに込められたメッセージと作品との相性を考えたとき、この演出がいいと思うか、と問われれば「Yes」とは言い難い演出だったと思います。

 また、そのような近未来を舞台にしているからか、色彩が華やかで、見た目に派手な舞台でした。フィオルディリージのピンク、ドラベッラの黄色、フェルランドの青、グリエルモの緑。また、大学を舞台にしたということもあって、歌手たちをものすごく動かします。ドタバタコメディ的であり、「コジ・ファン・トゥッテ」が本来オペラ・ブッファであることを如実に示した、ということは言えると思います。見た目は華やかで、動きも派手ですから見た目には飽きさせません。しかし、このドタバタは音楽的にはかなり歌手たちに負担でした。

 端的に申し上げれば、歌は上手なのだけれども美しくないのです。特に第一幕。フィオルディリージもドラベッラもフェランドもグリエルモも怒ったような歌唱に終始していて、優美さに欠ける。私のこの作品に対する基本的な好みはロココ的優美さがまずあって、そのベースの上に感情の起伏が現れるような演奏です。「岩のように動かず」は感情を込めて仰々しく歌った方がよいと思いますが、それは他が優美であるからこそ感情の激しさが引き立つのでしょう。今回のようにそれ以外の部分もガンガン来られちゃうと、落ち着く間がなくて、違和感があります。おそらく歌手たちはこの演技をするために相当テンションを上げ、歌いきることに熱意を込めたものと思います。それは明らかに成功していたのですが、モーツァルトの音楽の持つ本来的優美さがスポイルされていたこともまた事実でしょう。

 結局のところ主張はあったのですが、音楽に配慮した演出ではなかったとは言えると思います。基本的に力のある歌い手による舞台で、明らかな破綻はなかったのですが、これがもっと落ち着いたオーソドックスな舞台だったら、出演者のもっと素晴らしいパフォーマンスが聴けただろうなと思います。その点では残念な舞台でした。

 広上淳一の音楽づくりはどちらかと言えばロマンティックな方向を向いていて、舞台上のドラマティックな表現をより助長するもの。今回の演出を踏まえた演奏なのでしょう。読売日響は手慣れたもの。

 歌手陣ではまず高野百合絵に注目。第一幕のアリア、「無情な狂乱が,私の心をかきみだす」は力感があって、感情のこもった歌で結構でしたし、第二幕の「恋はくせもの」もこの歌手の力を示したもの。重唱での嵌り方も上手で素晴らしい。優美さという観点では今一つでしたが、有望な若手であることは間違いありません。まだ東京音大の大学院生だということですが、今後の活躍に期待したいところです。

 嘉目真木子のフィオルディリージもよかったのではないでしょうか。あれだけ走り回らせながらも「岩のように動かず」も第二幕の「ロンド」もしっかりとした歌で、さすがに東京二期会の看板歌手であると思いました。高橋薫子のデスピーナ。このチームの中で一番のベテラン。さすがに経験豊富で、若い方の割とテンションが高すぎる歌に対して比較的落ち着いた計算された歌がよかったです。

 男声陣ではドン・アルフォンゾの与那城敬がいい。アルフォンゾは衣裳は奇抜ですが、動きが少なく、歌いやすいということはあったと思いますが、男声随一の歌唱だったと思います。グリエルモの加耒徹は、彼の持ち味である高音の美しく響く声を聴くことができましたが、テンションが高すぎて、もう少し抑えて歌った方が、曲の味が表現できたのではないかなと思いました。フェルランドの市川浩平。この方もテンションが上がりすぎたせいか、後半はかなり息切れしていた印象。中音部の上行音型で上がった音が押さえられているように聴こえる部分がずいぶんありました。

 以上、面白かったとは思いましたが、「コジ・ファン・トゥッテ」という作品として見たとき本当に楽しめたかと言えば「?」。3週間前、国立音大の大学院オペラで「コジ・ファン・トゥッテ」を聴きました。歌手の基本的力量は今回の方が断然上でしたし、オーケストラも今回が上、合唱も今回が上でしたが、どちらが私にしっくり来たかと言えば、大学院オペラでした。

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