オペラに行って参りました-2019年(その2)

目次

稽古不足 2019年3月16日 立川市民オペラ2019「こうもり」を聴く
ごまかしのない歌唱 2019年3月19日 新国立劇場「ウェルテル」を聴く
がむしゃらな若さ 2019年4月5日 遊音楽企画「ランメルモールのルチア」を聴く
歌手たちの創意工夫 2019年4月9日 ゆめりあホール「ドン・パスクァーレ」を聴く
千両役者 2019年4月10日 新国立劇場「フィレンツェの悲劇/ジャンニ・スキッキ」を聴く
作品の本領を聴く 2019年4月27日 東京二期会コンチェルタンテシリーズ「エロディアード」を聴く
伝統と新鮮さ 2019年4月28日 藤原歌劇団「蝶々夫人を聴く
盛り上がりの求心力 2019年4月29日 第39回江東オペラ公演「ドン・カルロ」を聴く
声の強さとバランスのよさと 2019年5月3日 Foglietta Opera 「修道女アンジェリカ」/「ジャンニ・スキッキ」を聴く
学園祭のノリが爆発 2019年5月3日 SINZO KINEN OPERA vol.5「カルメン」を聴く

オペラに行って参りました。 過去の記録へのリンク

2019年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2019年
2018年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2018年
2017年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2017年
2016年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2016年
2015年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2015年
2014年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2014年
2013年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2013年
2012年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2012年
2011年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2011年
2010年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2010年
2009年 その1 その2 その3 その4   どくたーTのオペラベスト3 2009年
2008年 その1 その2 その3 その4   どくたーTのオペラベスト3 2008年
2007年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2007年
2006年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2006年
2005年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2005年
2004年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2004年
2003年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2003年
2002年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2002年
2001年 その1 その2       どくたーTのオペラベスト3 2001年
2000年            どくたーTのオペラベスト3 2000年

鑑賞日:2019年3月16日
入場料:B席 31列5番 2000円

主催:立川市民オペラの会/公益財団法人立川市地域文化振興 財団

オペレッタ3幕、歌唱原語(ドイツ語)台詞日本語上演
ヨハン・シュトラウス二世作曲「こうもり」(Die Fledermaus)
原作:アンリ・メイヤック/リュドヴィック・アレヴィ
台本:カール・ハフナー/リヒャルト・ジュネ

会場:たましんRISURUホール

スタッフ

指揮 古谷 誠一
管弦楽 TAMA21交響楽団
合 唱 立川市民オペラ合唱団
合唱指導 宮﨑京子/高田智士/照屋博史/村松恒矢
ダンス カジキタドリーム
助 演 立川市民オペラ2019劇団
演 出 直井 研二
装 置 鈴木 俊朗
衣 裳 下斗米 大輔
照 明 奥畑 康夫/西田 俊郎
音 響 関口 嘉顕
舞台監督 伊藤 潤

出 演

アイゼンシュタイン 大澤 一彰
ロザリンデ 小川 里美
ファルケ 高田 智士
アデーレ 栗林 瑛利子
アルフレード 金山 京介
オルロフスキー 岡村 彬子
フランク 照屋 博史
ブリント 持齋 寛匡
イーダ 今野 絵里香
フロッシュ 松山 いくお

感 想

稽古不足 -立川市民オペラ2019 「こうもり」を聴く。

 昨年見た最後のオペラが、横浜は泉区テアトル・フォンテでの「こうもり」、今年最初に見たオペラが八王子は南大沢での「こうもり」で、満を持しての立川市民オペラの「こうもり」。この最近見た三つの「こうもり」の中では一番本格的な上演の筈ですが、結果としては一番残念な公演になりました。その理由は舞台稽古の不足、これに尽きると思います。そうなった理由もほぼ想像がつきます。まず、第一に「こうもり」にしては珍しい歌唱ドイツ語、台詞日本語公演という公演形式に慣れなかった。「魔笛」ではごく普通にやられる公演形式ですが、「こうもり」ではかなり珍しい。私は、2017年、日生劇場における東京二期会の公演で一度見たことがあるだけです。

 あの二期会の公演は、ホモキの演出で、演出ファーストの演奏でした。台詞は日本語でしたが、ホモキの演出に忠実なセリフで、オペレッタ的くすぐりやアドリヴがほとんどなかった舞台ではなかったかと思います。私はあの演出は全然好きになれなかったのですが、それだけ演劇重視的舞台だったせいか、音楽も演出に奉仕しているような感じになっており、一貫性はあったのかな、と思います。

 翻って今回の直井研二の演出、オーソドックスな「こうもり」を目指しているように思いましたが、いろいろなところで組み上げが雑で、しっかり締まっていない演出です。例えば、第一幕でアイゼンシュタインがアデーレのお尻を触って「キャー」と悲鳴を上げさせる。第二幕ではルナール侯爵と名乗っているアイゼンシュタインが女優のオルガと名乗っているアデーレのお尻を触って「キャー」と言わせた後、「やっぱりうちの女中だ」と言う定番のやり取りがありますが、第一幕の「キャー」はあったのに、第二幕の「キャー」はなかったようです。第二幕はタイミングが合わなかったのでしょう。そういう細かな抜けや順番の誤りがいくつもあり、つじつまを付けるために無理をした部分もあり、芝居として見たとき、本当に不自然さが目立ちました。

 重唱における演技もそうで、例えば、第一幕の二番の三重唱、アイゼンシュタインとロザリンデとブリントの愉快な掛け合いですが、どうにも動きに無駄が多く、嵌っていない。ここはピタッと嵌るとほんとうに面白い掛け合いになるのですが、残念としか申し上げようがありません。この演技のもたもたがあちこちで見られ、結果として音楽にも悪影響を与えていました。演技から歌唱へ移る繋ぎが総じてぎくしゃくしていました。演技は日本語、歌唱はドイツ語という不自然な組み合わせを自然な流れに見せるためには、もっと稽古が必要なのだろうと思いますが、絶対時間が足りな過ぎたのではないかという印象です。

 練習不足という観点で見たとき、オーケストラにもそれを感じました。TAMA21交響楽団は多摩地区随一のアマチュアオーケストラですが、思った以上にミスが多かったです。序曲から今一つの演奏で、弦楽器の音の出し方もレガートなふくらみが足りない感じでしたし、管もしっくり来ていなかった感じでした。個人練習も足りないし、合わせも不足しているように感じました。それが歌手たちの責任なのか、オーケストラの責任かは分かりませんが、舞台の推進力も総じて足りなかった印象です。オペレッタは台詞が多い分、音楽が盛り上がってくれないとどうしても今一つ感が強くなるのですが、前に進まない感じもかなりあり、それを台詞で強引に進めていた印象が強いです。

 歌手たちも彼らの本領を発揮できていた人は少なかったという印象です。

 大澤一彰のアイゼンシュタイン。あまり評価できません。アイゼンシュタインはテノールでも歌われますが、バリトンの持ち役でもあります。要するに俗物のチョイ悪親父をバリトンチックに歌ってこそ味が出るのですが、大澤は癖がなさすぎます。リリックな素敵な声ですが、アイゼンシュタインのけれんはほとんど感じさせない歌唱でした。また彼は地声も高く、台詞も甲高く響き、癖のあるちょい悪感が出しずらい感じでした。第三幕のアルフレード、ロザリンデとの怒りの三重唱はもっとアイゼンシュタインが激高して見せないと面白みが半減します。これだけではなくいろいろなところで踏み込みが浅く、物足りなさを感じました。

 小川里美のロザリンデも十全とは申し上げられない。もちろん一番の聴かせどころの「チャールダーシュ」は素敵でしたが、絡みの部分は硬さやぎくしゃくしたところが目立ち、ロザリンデの立ち位置がしっかりしていなかった印象です。

 栗林瑛利子のアデーレも今一つ。テンポが全体的に揺れていたというところが関係するとは思いますが、一番の聴かせどころである「侯爵様、あなたのようなお方が」の音の強弱のバランスが不自然でしたし、第三幕の「田舎娘を演じるときは」も結構自由な歌唱になっていて、もっとかっちり歌われた方がこの曲の良さを示せるのではないかと思いました。演技もあきゃんな身勝手さの出し方の切れ味が悪く、アデーレの魅力が十分に伝わらなかったきらいがあります。

 照屋博史のフランクは悪くないと思いましたが、演出がせっかくの照屋の見せ場を殺した感じです。第二幕の場違いの舞踏会に出かけたときのオロオロ感や、第三幕の刑務所に戻ってから刑務所長に戻るところなどはもっとフランクに演技をさせて、その場違い感をしっかり見せたほうが良いと思うのですが、どちらもさっと流してしまい、フランクの味を出せなかったのが残念です。一方でファルケの高田智士は、チョイ悪親父の雰囲気をしっかり出していて、この「復讐」の舞台の総立役者であることをきっちり見せていてよかったと思います。

 金山京介のアルフレードは冒頭の小鳩のセレナーデが音が下りたときちょっと低いなど、最初が今一つでしたが、その後は調子を上げ、かなりいい感じに仕上がっていました。岡村彬子のオルロフスキーは悪くなかったけど、第二幕ではもっと存在感が前に出たほうが良かったと思います。ちなみに合唱は良かったです。練習量の違いを見せた感じです。

 結局一番見せてくれたのは、松山いくおのフロッシュでしょう。さすがのベテラン、とてもいい味を出していました。

 以上、全体的に消化不良感の強い上演でした。多分もっと稽古をしていろいろな調節をすればもっと上々に仕上がったのだろうと思いますが、残念ながらそうはなっていませんでした。

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鑑賞日:2019年3月19日
入場料:6804円 C席4F1列17番

主催:新国立劇場

全4幕、字幕付原語(フランス語)上演
マスネ作曲「ウェルテル」(Werther)
原作:ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ
台本:エドゥアール・プロー/ポール・ミリエ/ジョルジョ・アルトマン

会場 新国立劇場 オペラ劇場

スタッフ

指 揮 ポール・ダニエル
管弦楽 東京交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
児童合唱 多摩ファミリーシンガーズ
児童合唱指導 高山 佳子
演 出 ニコラ・ジョエル
美 術 エマニュエル・ファーブル
衣 裳 カテイア・デュフロ
照 明 ヴィニチオ・ケリ
音楽ヘッドコーチ :  石坂 宏
再演演出 :  菊池 裕美子
舞台監督 大仁田 雅彦

出 演

ウェルテル サイミール・ピルグ
シャルロット 藤村 実穂子
アルベール 黒田 博
ソファー 幸田 浩子
大法官 伊藤 貴之
シュミット 糸賀 修平
ジョアン 駒田 敏章
ブリュールマン 寺田 宗永
ケッチェン 肥沼 諒子

感 想

ごまかしのない歌唱-新国立劇場「ウェルテル」を聴く

 三年前プレミエの舞台の再演。初演の時も悪い演奏ではなかった印象を覚えていますが、今回は初日に聴いたにもかかわらず、前回を上回る、大変すばらしい演奏だったと思います。その立役者は何といってもシャルロット役の藤村実穂子。その次はかなり引き離されながらもポール・ダニエルの指揮ではなかったかと思います。

 藤村の歌唱には技術的なレベルの高さをまず感じました。高音から低音まで濃淡がなく声を出せる技術がまずあって、その上で表現の必要性に応じて、絞るところは絞る、強く出すところは強く出すという風に歌われている。そんなの当然の話ですが、声をむらなく息に乗せて出すというのは至難の業で、かなりの一流歌手でも上手くいっていない方はいくらでもいらっしゃいます。その基本がしっかりとできているために歌にごまかしがない。音楽から逃げない。これがシャルロットが登場してから、幕切れまで一貫していました。それがまず素晴らしいと思います。

 もちろん表現だって初役とは思えない貫禄。シャルロットってこういう風に歌うものなのだ、と納得いかされるだけの説得力がありました。第一幕と第二幕はそれでもかなり抑えた表現。しかし、抑制した表現であっても地力がありますから、他の歌手の精一杯のところを上回る余裕ある声でしっかり響かせます。そこが凄いわけですが、ギアが一段上がった第三幕と第四幕。ただただ圧倒される迫力と響き。「手紙の歌」における悲痛な慟哭から、フィナーレまでの表現はまさに聴き手の眠気を引き飛ばす表現。オペラを聴く醍醐味を堪能いたしました。

 対するピルグのウェルテル。体調が万全ではなかった様子で、いろいろなところにミスがありました。第一幕では高音が抜けてしまいましたし、その他にもしっかりしていないところもありました。一番の聴かせどころである「オシアンの歌」はまあまあ良かったとは思いますが、全体的に粗さを感じさせる歌唱でした。ピルグは、リリックな役柄を得意とするテノールで、ウェルテルにはぴったりだと思うのですが、藤村と対抗しようとして少し無理して荒っぽく聴こえた部分もあるのかもしれません。悩めるウェルテルの雰囲気は出ていたので、もう少し丁寧に歌えばよかったのになとは思います。

 脇役は低音系が総じてうまい。黒田博のアルベールがちょっと抑制した表現ですが、アルベールの特徴をよく表していてさすがだと思いました。表情は抑制傾向でしたが、声はしっかり飛んでいて、劇的でない分、しっかりと落ち着いて響いてとても素晴らしいアルベールだったと思います。伊藤貴之の大法官も安定した低音で、それでいてコミカルな部分もしっかり出ていてよかったと思いますし、シュミットとジョアンも悪くありませんでした。

 一方、幸田浩子のソフィーは幸田の年齢を感じさせるもの。幸田は見た目は昔とあまり変わらないですし、雰囲気はソフィーにぴったりですが、声はずいぶん衰えたなという印象です。声そのものが痩せてきていますし、艶も昔とは違います。ビブラートもかなり振幅が広くなってきています。丁寧に歌ってはいるのですが、このメンバーの中に入ると貧弱さが目立ちました。

 ポール・ダニエル指揮する東京交響楽団ですが、こちらはなかなか良かったのではないでしょうか。全体的に柔らかい表情で音楽を進め、劇的なところもあまり極端にしない。その上品な進め方が、藤村の歌を浮き上がらせるために有効だったと思います。また、藤村の歌唱には低音系楽器が伴奏に付くことが多いのですが、ほとんどが歌が先行して、歌が始まるとそれに合わせるように伴奏がついているように聴こえました。最初ずれているのかな、と思いましたが、その微妙なずれが音楽の推進の原動力になっている感じで、そこまで計算された演奏だったら、本当に素晴らしいことだと思います。

 以上、全体的にすっきりとよくまとまった演奏で、とても楽しめました。演出も上品で、演奏の上品さと演出の上品さをともども楽しみました。

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鑑賞日:2019年4月5日
入場料:4000円 自由席2列9番で鑑賞

主催:遊音楽企画
共催:公益社団法人日本演奏連盟

増山美知子奨励ニューアーティストシリーズ

全3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「ランメルモールのルチア」(Lucia di Lammermoor)
原作:ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ
台本:サルヴァトーレ・カンマラーノ

会場 渋谷区総合文化センター大和田 伝承ホール

スタッフ

ピアノ 高瀬 さおり
合唱アンサンブル 松田晏菜/山口遥輝/磯田知里/長崎真衣/
笛木和人/細田貴大/山田悠雅/山田雄大
演 出 角 直之
舞台美術 中村 彩
照 明 青山 航太
舞台監督 福島 達朗

出 演

ルチア 小澤 美咲紀
エドガルド 前川 健生
エンリーコ 大川 博
アルトゥーロ 中川 誠宏
ライモンド 沖山 元輝
ノルマンノ 加藤 隼
アリーザ 櫻井 陽香

感 想

がむしゃらな若さ-遊音楽企画「ランメルモールのルチア」を聴く

 「ルチア」はノーカットで演奏すると、約2時間20分の演奏時間がかかる作品ですが、今回は各幕ともかなり細かくカットを入れ、総演奏時間1時間50分ほどにまとめました。私自身は開演時間の18時30分に2分ほど間に合わず、冒頭の合唱とエンリーコのアリアは会場外のテレビ鑑賞になってしまいました。平日ソワレは仕事帰りに来る人が多いので、実際の開演は5分ぐらい遅らせることが多いのですが、今回は時間ぴったりに始めたようです。エンリーコのアリアは、バリトンの聴かせどころであり、大川博の調子が良かったこともあって、聴けなかったのは残念です。

 演奏全体としての感じとしては、若さで押したがむしゃらな演奏、というのが一番合っていると思います。その典型が前川健生のエドガルド。前川は美声でかつ音程も正確、技術的なベースもしっかりしていて、ほんとうに素晴らしいと思うのですが、時として頑張りすぎてしまい、自分の限界を処までもっていってしまうところが目につきました。それが激情の表現であることは分かるのですが、そこまでやっちゃうと音程にも息遣いにも乱れが出てしまう。もちろんそれで大きく乱れたりすることはないので、自分の実力の範囲の中で歌われているのでしょうが、そこまでがむしゃらにならず、もう一歩引いて、冷静に歌った方がバランスが良かったのではないか、と思います。例えば第二幕フィナーレのストレッタ。あそこは、重唱の中でエドガルドの怒りが表現されるべきですから、あのように歌いたくなる理由は分かりますが、一本調子な無茶振りを感じてしまいました。とても上手な方だと思うので、表現の引き出しを増やすことと、クライマックスへのアプローチがよくなれば、更に聴きごたえが増しそうな気がします。Bravoでした。

 若さで押したがむしゃらな演奏、と書きましたが、一番落ち着いていたのは大川博かもしれません。最初のアリアをきっちり聞いていないのでそう思ってしまうのかもしれませんが、悪役的な味わいは少し希薄だった感じがします。しかし、要所要所での存在感はさすがであり、第二幕のルチアとの二重唱なんかは立派だったと思います。

 中川誠宏のアルトゥーロは、演出がよくなかったのか、ストーカーのお兄ちゃんみたいになっていました。アルトゥーロは政略結婚させられて、巻き込まれてルチアに殺されてしまう可哀想な役柄なわけですから、もっと淡々とした演技と歌唱の方が良いと思うのですが、過剰な学芸会的な演技が雰囲気を壊しました。歌は全然悪くなかったので、残念です。

 ライモンドの沖山元輝もよい。アリアでの最低音がよく響いてきたのが見事でした。一方で、もう少し前に出て、家庭教師の存在感を見せてもよかったのかなとは思います。

 肝心のルチアですが、さすがの難役。小澤美咲紀も若さで押して歌い上げましたが、課題は多かったと思います。まず全体的に言えることは音が浮ついています。登場のアリア「あたりは沈黙に閉ざされ」はある意味劇的なアリアですが、音がしっかりと下がらないので、感情の表現にメリハリがつかず、今一つでした。高音はしっかりしているし張りもあるのですが、それを生かすためには、しっかりした中低音があってのことです。アジリダのような細かい技巧もキレが悪く、今一つ感が強い。同様に、第一幕のフィナーレの二重唱、ここは最後はエドガルドとのオクターヴユニゾンで進むのですが、小澤の音が微妙に高いのでハモらない。前川の音が正しかったので、小澤が前川に寄り添えば済むと思うのですが、そんな余裕は無かったのでしょうか。

 狂乱の場は、「あたりは沈黙に閉ざされ」よりは練習量が多いためかしっかりとしていましたが、やはり余裕は無い感じで、何とか歌い切った、という印象です。もっと表情の多様性がないとこのアリアの面白さはなかなか表出しない。もちろん基本的な力量はある方のようで破綻することはないのですが、どこも中途半端な踏み込みで、今一つ感が強かったです。とはいえ、小澤のルチアに愛する思い入れのようなものは、表情や雰囲気からは感じられ、それが実際の歌唱技術に結びつけば、もっと面白かったのかな、と思いました。

 以上、辛めの感想になってしまいましたが、課題は多いものの若手歌手の基本的な水準の高さと頑張りを感じることができて、行ってよかったです。これでノーカットならもっと良かったかな。

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鑑賞日:2019年4月9日
入場料:4000円 自由席8列3番で鑑賞

自主企画公演

全3幕、解説付原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「ドン・パスクァーレ」(Don Pasquale)
台本:ジョヴァンニ・ルッフィーノ/ガエタノ・ドニゼッティ

会場 大泉学園 ゆめりあホール

スタッフ

ピアノ 瀧田 亮子

出 演

ドン・パスクァーレ 立花 敏弘
ノリーナ 高橋 薫子
エルネスト 岡本 泰寛
マラテスタ 野村 光洋
助演 尾形 志織/志田尾 恭子/三浦 梓

感 想

歌手たちの創意工夫-ゆめりあホール「ドン・パスクァーレ」を聴く

 昨年(2018年)11月24日、信州国際音楽村ホールこだまで、信州国際音楽村主催のサロン・オペラ「ドン・パスクワーレ」が上演されました。その公演がよほど楽しかったのか、それをそのまま東京に持ってきました。信州での公演は、信州国際音楽村が制作した作品ですが、今回は出演者たちの自主公演だったようで、広く宣伝をしたというものではなく、出演者の口コミで観客が集まったもののようです。私も高橋薫子さんからこの公演のことをお聞きし、伺いました。

 この公演の大きな特徴は字幕なしの原語上演であるということ。字幕ありが当たり前になった現在では非常に珍しいですが、字幕がない代わりに、要所要所で出演者がストーリーを説明します(その分レシタティーボはいろいろカットされていました)。オペラの冒頭では、ドン・パスクァーレが説明し、ノリーナが登場するとノリーナが説明し、マラテスタが説明し、エルネストが説明し、最後には、女中役の3人の噂話風の説明も入ります。その説明が面白い。冒頭のドン・パスクァーレが「わしは今70歳で、初めて嫁を貰うことにしたのじゃ」みたいな、いかにも老人的口調は、ステレオタイプな面白さがありましたし、自分は、ノリーナやマラテスタに騙されていると一瞬思ったエルネストの口調は、ピン芸人で、落ち込みネタで一世を風靡した「ヒロシ」のパロディで、会場は大うけでした。

 演奏は、全体的にはよくまとまっていたと思います。何といってもノリーナ役の高橋薫子が巧い。かつては日本一のスーブレットと呼ばれていましたが、その名は伊達ではないと思います。かつてあった声の軽妙さはさすがに少し重くなって、ノリーナの若さを声で表出するのは大変そうではありましたが、登場のアリアである「あの騎士の眼差しに」で会場をしっかり引き付け、その後のマラテスタとの二重唱「準備ができたわ」も二人の息がぴったり合って、とてもよかったと思います。

 二人のバリトン歌手はともに魅力全開でした。一番の聴かせどころは早口の二重唱「こっそり、こっそり、今すぐに」ですが、この部分の早口が上手くいって、大喝采。普通じゃありえませんが、アンコールまでやって見せました。一方、岡本泰寛のエルネストは、声が重くなっていて、若々しい高音を出すのはかなり大変そうで、特に前半は高音を押し上げるような歌い方が鼻につきました。それでもテノールの一番の聴かせどころである、第三幕のセレナードはなかなかうまくいっていたのではないかと思います。

 演出は全くノークレジットですが、スタッフの女性に尋ねたところ、エルネスト役の岡本泰寛さんが考えたとのこと。また、ドン・パスクァーレ役の立花さんの話によれば、みんなで考えて組み立てていった、ということです。どちらも本当なのでしょう。演出の中身は、えげつなくないもの。「ドン・パスクァーレ」はありていに言ってしまえば、独身の老金持ちに対する結婚詐欺の話で、被害者の老金持ちが笑われるというひどい話なので、演出のもっていきかたによっては、ドン・パスクァーレが思いっきり可哀想になってしまうのですが、今回はそこまで下品ではなく、それでいて面白さも確保されており、そのバランスがちょうどよかったのかなと思います。

 また、音楽的には指揮者はおらず、自分たちのタイミングで進めていくので、息が合わないとバラバラになりそうですが、そこはベテラン揃い、非常によく息があっていて、まとまりのある演奏でした。歌手たちの自発的な姿勢が、コンパクトではありますが、きっちりとまとまった演奏に仕上がっていたのだろうと思います。とても楽しめました。

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鑑賞日:2019年4月10日
入場料:7776円 C席4F1列13番

主催:新国立劇場

全1幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
ツェムリンスキー作曲「フィレンツェの悲劇」(Eine florentinische Tragödie)
原作:オスカー・ワイルド
台本:アレクサンダー・ツェムリンスキー

全1幕、字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「ジャンニ・スキッキ」(Gianni Schicchi)
原作:ダンテ「神曲」
台本:ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ

会場 新国立劇場 オペラ劇場

スタッフ

指 揮 沼尻 竜典
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
演 出 粟國 淳
美 術 横田 あつみ
衣 裳 増田 恵美
照 明 大島 祐夫
音楽ヘッドコーチ :  石坂 宏
舞台監督 斉藤 美穂

出 演

フィレンツェの悲劇

グイード・バルディ ヴゼヴォロド・グリヴノフ
シモーネ セルゲイ・レイフェルクス
ビアンカ 齊藤 純子

ジャンニ・スキッキ

ジャンニ・スキッキ カルロス・アルバレス
ラウレッタ 砂川 涼子
ツィータ 寺谷 千枝子
リヌッチョ 村上 敏明
ゲラルド 青地 英幸
ネッラ 針生 美智子
ゲラルディーノ 吉原 圭子
ベット・ディ・シーニャ 志村 文彦
シモーネ 大塚 博章
マルコ 吉川 健一
チェスカ 中島 郁子
スピネッロッチョ先生 鹿野 由之
アマンティ・ディ・ニコラーオ 大久保 光哉
ピネッリーノ 松永 哲平
グッチョ 水野 秀樹
ブオーゾ 有岡 蔵人(助演)

感 想

千両役者-新国立劇場「フィレンツェの悲劇/ジャンニ・スキッキ」を聴く

 どちらも舞台がフィレンツェ、ということでこの組み合わせにしたのでしょう。今回、この組み合わせを推したのは、新国立劇場音楽監督の大野和士だそうですが、これは、2005年に東京二期会が新国立劇場で上演した「フィレンツェの悲劇/ジャンニ・スキッキ」の印象が強く残っていたのたためだろうと思います。あの時のカトリーネ・グルーバーの演出はSMチックで極めて先鋭的な演出だったわけすし、「フィレンツェの悲劇」と「ジャンニ・スキッキ」の関係性についてもよく練られていたと思います。

 ちなみに、「フィレンツェの悲劇」は滅多に上演されない作品です。日本できちんとした舞台上演されるのは、実は今回が3回目です。私が「フィレンツェの悲劇」を聴くのは今回が4回目なのですが、日本初演と3回の舞台上演を全部聴いてきた割にはあまり近しく感じられないところが、この作品のむつかしさなのかもしれません。過去3回聴いたうちで今も印象にしっかり残っているのは、やはり日本舞台初演。もう14年もたち、音楽の内容は全く覚えていないのに、演出の過激さとシモーネを歌った多々羅迪夫の迫力の印象だけを覚えています。

 この2005年の演出にかんして、粟國淳も意識していたのでしょう。彼はグルーバーの読み替えに対抗して、比較的リアリズムで対抗して見せました。要するに舞台の時代を台本設定に合わせ、登場人物も地方の領主の息子、行商の商人とその妻そのままです。そのおかげで、この作品の階級制度的な背景がよく見えてきたと思います。

 オペラの主要登場人物は伝統的に三人であり、恋愛する男女とそれに掉さすバリトンというのが基本的な形な訳で、このオペラでもその形を踏襲しています。しかし、この作品ではバリトンが悪役ではなく、貧乏人ではあるけど正義で、恋愛する男女が悪という形を貫いている。もちろん正義のシモーネは屈折した人物で、好きになれるタイプではありませんが、そこまで含めて、粟國は真っ向勝負で描いたおかげで、作品が持つ特徴がより見えてきたように思いました。2005年の上演の時の多々羅廸夫の印象のことを書きましたが、それは当然で、この作品の登場人物は確かに3人ですが、圧倒的にバリトンの歌う量が多いのですね。バリトンのモノオペラと言ってもいいぐらいなのですね。そんな特徴を意識させてくれたのも、粟國の真直ぐな演出があったからだと思います。

 さて、音楽ですが、ちょっと不思議に思ったのは音が思ったほど飛んでこなかったこと。シモーネを歌ったレイフェルクスは新国立劇場ではおなじみの歌手で、何度か聴いたことがありますが、もっと声が飛ぶ方だという印象を持っていました。今回はグイード・バルディの声もビアンカの声も遠い感じがしたのですが、舞台構造の関係なのでしょうか。それとも、今回の公演から全座席に新たなクッションが置かれたのですが、それが音の響きを押さえたのか。もちろんよく分かりませんが、そういう印象でした。

 そういう中でもレイフレックスの演奏は立派なものであり、役からの持ついやらしさと屈折した感情を上手に表出していたのではないかと思います。その迫力と比較すると、グイード・バルディもビアンカもずっと存在感が小さかったのかな、と思います。沼尻竜典の指揮する東フィルの音は官能的でもあり、世紀末的なデカダンスも感じさせるものであったのですが、音響バランス的には歌手の声がもう少し前に出たほうが良かったと思います。

 後半の「ジャンニ・スキッキ」はアルバレスに尽きます。まさに千両役者と言わんばかりの歌唱演技で、最後は全部持って行った感じです。ジャンニ・スキッキは、最後の口上「紳士、淑女の皆様。ブオーゾの遺産にこれより良い使い途があるでしょうか。この悪戯のおかげで私は地獄行きになりました。当然の報いです。でも皆さん、もし今晩を楽しくお過ごし頂けたのなら、あの偉大なダンテ先生のお許しを頂いた上で、私に情状酌量というわけにはいかないでしょうか。」で終わるのですが、この口上の部分が一番盛り上がって、がっちり終わった演奏というのを私は初めて聴きました。ここはセリフですから、音楽的には軽視されるのかもしれませんが、ここをしっかりやって、ジャンニ・スキッキが大見得を切ってこそ、しっかり締まるんだな、ということを初めて教えてくれました。その他の人を食ったような歌唱演技も素晴らしく、さすがに一流歌手の格の違いを見せつけました。

 一方、日本人歌手もよかったです。ラウレッタを歌った砂川涼子の安定感はいつものことですが、アンサンブルで参加した他の歌手も、基本的に力量のある方だけ集めていて、締まったアンサンブルが見事だったと思います。その中で特筆すべきは村上敏明のリヌッチョか。いつもテンションの高い歌を歌われる方ですが、喜劇であるからなのか、過剰な表現で笑わせてくれたと思います。例えば、「フィレンツェは花咲く木のように」のアリアはレガートに歌い甘く響かせるものだと思いますが、今回の村上はアクセントを強調したごつごつした表現で臨みました。歌唱としてはあまり適切だとは思わなかったのですが、笑わせるための過剰な表現と思えば、これもありかな、という感じです。それ以外の方もよくやられている役柄なのでしょうか、皆音楽が身体に入っている感じでアンサンブルを組み立てており、良かったです。ツィータ、ネッラ、チェスカの女性三人のアンサンブルや、鹿野由之のスピロネッチョ、大久保光哉の公証人などは特に嵌っている感じがありました。

 粟國淳の演出ですが、「フィレンツェの悲劇」のリアリズムに対抗して、こちらはメルヘン劇のように仕上げてきました。舞台は大きな机の上で、その上で歌手たちが演技・歌唱します。したがって、歌手たちは皆小人です。時代は1950年代ごろになっていると思いますが、衣裳や化粧の関係で、ジャンニ・スキッキとラウレッタ以外の登場人物は皆人形のように見えます。ブオーゾの死体が本の上に乗っているというところからしておかしい。こびとが机の上でちょこまか動き、自分の身体よりもずっと大きい遺言書を開いて見せたり、公正証書を作成したりするのは視覚的にも楽しめました。以上、粟國淳の演出は、二作品を対照的に描くことによって、グルーバーの二作品が関係した先鋭的な演出に対抗して見せたのだろうと思います。

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鑑賞日:2019年4月27日
入場料:6000円 B席2F6列8番

東京二期会コンチェルタンテシリーズ(セミステージ形式)

主催:公益財団法人東京二期会

全4幕、字幕付原語(フランス語)上演
マスネ作曲「エロディアード」(Herodiade)
原作:ギュスターヴ・フロベール「三つの物語」
台本:ポール・ミリエ/アンリ・グレモン

会場 Bunkamuraオーチャードホール

スタッフ

指 揮 ミシェル・プラッソン
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 二期会合唱団
合唱指揮 大島 義彰
音楽アシスタント 佐藤 正浩
舞台構成 菊池 裕美子
映 像 栗山 聡之
照 明 大島 祐夫
舞台監督 幸泉 浩司

出 演

ジャン 城 宏憲
エロデ 小森 輝彦
ファニュエル 妻屋 秀和
ヴィテリウス 小林 啓倫
大祭司 倉本 晋児
寺院内からの声 前川 健生
サロメ 高橋 絵理
エロディアード 板波 利加
バビロニアの娘 金見 美佳

感 想

作品の本領を聴く-東京二期会オペラコンチェルタンテシリーズ「エロディアード」を聴く

 「エロディアード」は、2012年に東京オペラ・プロデュース(TOP)の手によって日本初演をされて、私も聴いておりますが、今回の二期会公演はその時とは一段違った演奏になったと思います。TOPは日本初演をチャレンジした頑張りは評価しなければいけないのですが、仕上がりの点で相当問題がありました。オーケストラの音もあまり魅力的ではありませんでしたし、歌手たちも頑張りすぎて自滅していた感があります。正直に申しあげれば、作品の味わいを引き出すことのできない演奏だった、と言わざるを得ない。しかし、今回の東京二期会の公演、気になる点も多々ありましたが、全体的にはよくまとまり、作品の魅力を引き出すことができた演奏ではなかったかなと思います。その立役者は何といってもプラッソンの指揮にあると思いました。

 東京フィルがとりわけいい音を持っているオーケストラであるという印象はあまりないのですが、今回の演奏の味は、音色も含めてかなり洒落ていて、その洒落た味わいがフランス音楽的だし、マスネ的だと思いました。プラッソンのマスネの音楽に対する解釈や共感がそうさせているのだろうとも思いますし、又楽器が、マスネの書いたとおりに使われている、というのも重要なのでしょう。TOPの上演の時は本来二台必要なハープが一台だけであったとか、テナーサックスが使われていなかったとか、音を洒落させる要素が相当欠落していたのですが、今回は全て用いられていた様子で、そういうところも音の厚みに関係してきたものと思います。ハープはオーケストラの演奏会で使われるときは、木管に並んで置かれることが多いのですが、今回は第一ヴァイオリンの後ろ側に置かれ、客席から近かったのもよい効果を示していました。

 歌手ですが総じて良好だったと思いますが、とりわけよかったのが、ジャン、ファニュエル、サロメの三人だったと思います。

 城宏憲は二期会若手テノールナンバーワンが定着した感じです。甘い声の感じがさすがです。このジャンという役は、リヒャルト・シュトラウスの「サロメ」におけるヨハナーンですから、もっとストイックな感じがあってもいいと思いますが、マスネは普通のオペラのソプラノと恋愛する甘いテノール役で書いていますから、甘く歌い上げるのが良いと思います。第四幕の絶唱のアリア「儚きこの世よ、さらば!」がとりわけ素晴らしかったと思います。

 妻屋秀和は、いつもほどの安定感はなかったと思いますが、日本人バスの第一人者だけあって、その歌唱の説得力はさすがです。第一幕のアリアも、第三幕のアリアも聴かせてくださいました。

 そして、高橋絵理のサロメ。今回の出演者の中でひとりだけ取るとしたら、私は高橋を取りたい。それだけ声に力も魅力もありました。このオペラのタイトル役は言うまでもなく、母親役の「エロディアード」ですが、実質的な主人公は、サロメだと思います。その主役としての役割を安定した高音と丁寧な中低音の歌唱で示しました。冒頭のアリアは、ピアノで初めてだんだん盛り上げていく表情が見事だったと思いますし、第四幕の盛り上がる二重唱も素敵でした。Bravaです。

 板波利加のエロディアードも悪役の雰囲気がよく出ていて悪くないのですが、声の出し方が、一世代前のメゾソプラノ的で、もう少しクリアな方が更に迫力が出るのではないかと思いました。小森輝彦のエロデも渋い感じが出ていて悪くはないのですが、いつもの小森ほどは安定感がなかった感じです。アリアはもっと声が飛んできてもよかったのかな、という気がします。小林啓倫のヴィテリウスもその役割をしっかり果たして良好でしたし、その他の脇役勢もみな、自分の役目を果たしていたのではないでしょうか。

 気になったのは、細かい処でのずれがかなりあったのではないかと思うところ。群衆の合唱では、男声と女声とが重なると思われるところが微妙にずれていたり、ソリストの重唱も今一つ合わないところが何か所か見受けられました。楽譜を知らないので、それが本当にずれていたのか、正しいのかはよく分からないのですが。

 セミステージ形式ということで、オーケストラが舞台に乗り、その更に奥に舞台を作って歌唱・演技する形式。舞台が後ろ側なので、声が飛んでくるのに僅かに時間がかかり、そこに少し違和感がありました。ただ声は皆しっかりしているので、その不利さはあまり感じられませんでした。演技はありましたが最小限と申し上げてよいでしょう。本来このオペラで重要なバレエも全部カット。更に衣裳も全員黒のシャツに黒のスラックスかスカートというもので、視覚的な特徴はほとんどなかったと申し上げます。意図として、音楽的に聞かせたかったのかな、と言うことなのだろうと思いますが、もしそうであるなら、一切演技は付けずに、演奏会形式にして、ソリストは舞台の前で歌わせた方がよかったのではないかと思いました。

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鑑賞日:2019年4月28日
入場料:6800円 B席 3F2列30番

藤原歌劇団公演

主催:公益財団法人日本オペラ振興会
共催:川崎・しんゆり芸術祭(アルテリッカしんゆり)2019実行委員会

全2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「蝶々夫人」(Madama Buttefly)
台本:ジュゼッペ・ジャコーザ/ルイージ・イッリカ

会場 昭和音楽大学 テアトロ・ジーリオ・ショウワ

スタッフ

指 揮 鈴木 恵里奈
管弦楽 テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ
合 唱 藤原歌劇団合唱部
合唱指揮 河原 哲也
演 出 粟國 安彦
美 術 川口 直次
衣 裳 緒方 規矩子
照 明 奥畑 康夫
振 付 立花 寶山
再演演出 馬場 紀雄
舞台監督 大仁田 雅彦

出 演

蝶々夫人 迫田 美帆
ピンカートン 藤田 卓也
シャープレス 市川 宥一郎
スズキ 但馬 由香
ゴロー 井出 司
ボンゾ 田島 達也
ヤマドリ 柴山 昌宣
ケイト 吉村 恵
神官 立花 敏弘
子供 小長谷 杏珠

感 想

伝統と新鮮さ-藤原歌劇団「蝶々夫人」を聴く

 嫌いだ、嫌いだ、と言いながら、「蝶々夫人」はよく聴く演目です。これまでもずいぶん聴いていますし、本年は、藤原のほか、新国立劇場と東京二期会でも取り上げますから、あと二回は聴きに行くことになりそうです。演出も様々なものを見せてもらいましたが、結局、粟國安彦の藤原歌劇団向けの演出と、栗山昌良の東京二期会向けの演出が双璧だろうと思います。この二つの舞台、何度も再演を繰り返されて、不具合がなくなり、すっかり完成されている。長年使われている舞台はそれだけの理由があります。

 その35年も使われている伝統の舞台の上で、若手が頑張りました。

 蝶々夫人役の迫田美帆。小さい舞台経験はいくつかあるようですが、今回がメジャーデビュー。私はおそらく初めて聴く方です。一言で申し上げれば清新な歌唱でした。蝶々夫人はソプラノ・リリコ・スピントの持ち役で、まだ初々しいはずの第一幕でもかなり濃厚な歌唱になってしまい、どう転んでも15歳には見えない、という方が多いのですが、迫田の第一幕の歌はすっきりしていてブレがなく、「蝶々夫人は十代なんだ」ということを改めて感じさせてくれました。一方、第二幕は、一幕とはギアを変えてきて、もう少し濃厚な表現。声量も上げっていたのではないかと思います。細かい事故やミスはあリまたしたし、表現もまだまだ一本調子なところも多くて、細かい表情の変化の付け方などはこれからの課題だと思いますが、全体として上々の歌唱でした。最高のメジャーデビューと申し上げられると思います。Bravaでした。

 ピンカートンの藤田卓也。良かったと思います。まず、「ヤンキーは世界中どこでも」の二重唱での能天気さ加減がよかったですし、その反面となる第二幕後半の過剰な表現もその対比ではよかったのかな、と思います。一方、第一幕の愛の二重唱は、迫田の可愛らしさに対して、もう少し寄り添ったアプローチの方がよかったのではないかと思います。迫田がもっと濃厚に歌えば藤田の対応もまた変わってきたのだろうとは思いますが、あの清新な歌に対してどうフォローして、全体として愛の盛り上がりを描くかというのは、ピンカートンの設計だと思います。そこの踏み込みが甘かったのが残念です。

 市川宥一郎のシャープレス。頑張っていました。登場したとき、声がやや上ずり気味で、軽薄なシャープレスになるのではないかと一瞬ドキッとしたのですが、すぐに修正して、落ち着いた歌でまとめました。その意味で十分合格点なのですが、表現はまだまだです。シャープレスの楽譜は身体に入っていても、楽譜に書ききれない気持ちのようなものまでは掬い切れていない、というのが見えてしまいました。

 但馬由香のスズキ。但馬自身は全然悪い歌ではないのですが、スズキをアンサンブルのパーツとして見た場合、もっと蝶々さんに寄り添うべきではなかったかと思います。但馬の中ではスズキは蝶々さんよりかなり年上だというイメージがあるのだろうと思いますが、もっと蝶々さんと年齢の近い役柄として考えて表現を考えると、アンサンブルがもっときれいにまとまったのではないかと思います。「花の二重唱」のところなどで、それを思いました。また所作についても、もう少し神経を使われた方が上手くいったのではないかという部分もありました。

 ゴロー、難しい役です。バイプレーヤーで、ある意味、舞台を生かすも殺すもこの方みたいなところのある役柄です。藤原でゴローと言えば松浦健がいますが、井出のゴローは松浦の背中が全然見えていない位のところにありそうです。歌のいやらしさがまだまだですし、所作の意味あいも十分理解しない中で演じているのではないか、という風に見えるところがありました。

 一方、それ以外のベテラン勢はさすがです。少しずつしか登場しませんが、皆それぞれの味を出して見事でした。

 以上舞台全体は、新鮮さを感じさせるもので良かったのですが、熟成はこれからなのだろうと思わせるものでした。

 新鮮と言えば、指揮者の鈴木恵里奈。副指揮者としてはしばしば名前を見かける方ですが、今回が本格的デビューとのこと。それだけにかなり苦闘していた印象です。オーケストラに割と自由にやらせていたのか、フォルテがきつすぎる音で響いていました。全体的にオーケストラの音量を下げたほうがバランス的に良かったと思いますし、ここぞの一発がもっとメリハリがついたと思います。

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鑑賞日:2019年4月29日
入場料:4000円 自由席 1FP列9番で鑑賞

第39回江東オペラ公演

主催:NPO法人江東オペラ
共催:公益財団法人江東区文化コミュニティ財団 江東公会堂

全4幕、字幕付イタリア語上演
ヴェルディ作曲「ドン・カルロ」(リコルディ4幕阪) (Don Carlo)
原作:フリードリヒ・フォン・シラー
台本:フランソワ・ジョセフ・メリ/カミーユ・デュ・ロクル
(原典版)
アキッレ・デ・ラウジェレス/アンジェロ・サナルディーニ
(リコルディ4幕版)

会場 ティアラこうとう 大ホール

スタッフ

指 揮 諸遊 耕史
管弦楽 江東オペラ管弦楽団
合 唱 江東オペラ合唱団
演 出 土師 雅人
照 明 望月 大介
舞台監督 近藤 元

出 演

フィリッポ二世 佐藤 泰弘
ドン・カルロ 小貫 岩夫
ロドリーゴ 村田 孝高
エリザベッタ 菊地 美奈
エボリ公女 二渡 加津子
宗教裁判長 松井 永太郎
テバルド 山邊 聖美
修道士 谷津田 真央
レルマ伯爵 善里 卓哉
王室の布告者 津久井 佳男
天からの声 高山 由美

感 想

盛り上がりの求心力-第39回江東オペラ「ドン・カルロ」を聴く

 実力派のソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バリトンを揃えないと上演が上手くいかないとよく言われるのが、「イル・トロヴァトーレ」ですが、「ドン・カルロ」はもっと大変です。実力派のソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バリトンの上に、バス二人が更に必要ということで、演奏される機会はあまり多いとは言えません。もう一つ申し上げれば、「イル・トロヴァトーレ」もめちゃくちゃな話ですが、オペラの中で話が完結していて、オペラを見ていればどういう話かが分かる。ところが、「ドン・カルロ」は西洋史に一定の知識がないと背景が分からないし、特に四幕版はドン・カルロとエリザベッタがかつて恋仲であったことをちょっと説明するだけで、なぜこんな話になっていくのかの説明があまりなので、ストーリーを理解するのが結構大変です。

 そんなわけでなかなか上演機会は多くありません。新国立劇場でも3回(藤原歌劇団との共催を含む)しか取り上げられていませんし、東京二期会も2回、藤原歌劇団も2回(新国立劇場との共催を含む)です。そんな作品を地域オペラ団体である江東オペラがよく取り上げたな、とそのチャレンジ精神にまず感心します。しかしながら、うまくいったかと言えば、なかなかそうは言いかねる上演だったと思います。

 江東オペラは補助金が潤沢なのか、毎回、立派な舞台を作り上げてきます。今回も第一幕の修道院の中も、第二幕の広場も、第三幕のフィリッポの書斎もそれらしく見せて、視覚的にはどんな場所で何をやっているのかがわかるのですが、それがオペラのストーリーとして繋がってこない。今回の舞台は歌手である土師雅人の演出ですが、土師は、音楽的な観点からはそれなりに考えた演出なのだろうと思いますが、ヨーロッパ中世史の背景であるとか、宗教裁判所と王権の関係とか、このオペラを理解するうえでポイントとなる部分をほとんど何も考えていないのではないかと思わせる演出で、各幕の関係性が乏しいと思いました。

 一例を上げれば、第三幕の宗教裁判長とフィリッポの二重唱。宗教裁判長は設定では90歳を超えた盲目の修道士ですが、今回はこの宗教裁判長に若手の松井永太郎を起用しました。ところがこの宗教裁判長は衣裳は貧弱だし、化粧もいい加減。若いお兄ちゃんにしか見えない。それが教会権力の長としてフィリッポをやり込めるわけですから、違和感が非常にありました。

 これは典型的な例ですが、他にも作り込まれていない感じは各所にあり、このオペラを何度も見たことのある人であれば、何をやっているかは分かると思いますが、あまり見たことがない人は、ストーリーを理解できなかったのではないかと思います。

 音楽的な全体に関してもあまり支持はできません。まず諸遊耕史の指揮、オーケストラを煽りすぎです。もちろん盛り上がりは必要ですが、盛り上がりすぎて破綻するのはやりすぎかなと思います。オーケストラの演奏それ自身はさほど悪いものだとは思わなかったのですが、煽られて演奏するとバランスを崩すところがそれなりにあって、もう少し考えたほうが良いのかな、と思いました。そういった煽りのないしっとりとした場面や、第三幕以降はそれなりにまとまっていたので、とりわけ煽った部分が悪目立ちしていたと感じました。

 歌手陣はしっかり歌っていました。特に宗教裁判長を除く主要五役はそれなりに自分の役目を果たしていたと思います。

 女声陣が総じて良いと思いました。菊地美奈のエリザベッタ。前半は歌唱・演技ともに存在感が薄い感じがしたのですが、後半はさすがでした。一番の聴かせどころである「世の虚しさを知る神」が磨かれた歌で大変感心しました。二渡加津子のエボリもよかったです。第一幕の「ヴェールの歌」と第三幕「呪わしき美貌」の対照的な歌いまわしも見事でした。その他、脇役ですが、山邊聖美のテバルドも少年らしい歌唱・演技でよかったです。

 一方で男声は女声ほどよくはなかった印象です。その中で聴かせたのは佐藤泰弘のフィリッポです。第三幕の有名な「一人寂しく眠ろう」での心情吐露はしっとりと歌い上げられていて良かったと思います。またそれ以外の部分でも立派な歌唱で終始しました。ただ、佐藤の演技は威厳を感じさせるものではなく、「一人寂しく眠ろう」も、歌は良かったと思うのですが、国王の孤独感のようなものが演技からは垣間見られず、このあたりも演出の弱さなのだろうと思いました。

 村田孝高のロドリーゴ。張り切りすぎだと思います。もっと落ち着いて丁寧に歌えばいいものを、感情を込めて歌いすぎるものですから、細かい破綻がいろいろありました。燃える役であることは事実ですけど、ウームというところでしょう。

 小貫岩夫のドン・カルロ、最初にアナウンスされていた土師雅人が体調不良で降板したため、初日に引き続いての歌唱。調子が良かったのでしょう。アリアはみな見事でした。一方、重唱は一緒に合わせていない相手との歌唱だったためか、小貫にはあまり変化がなかったと思うのですが、相手役が若干引くところがあり、それが却ってよかったところもあります。例えば第一幕の友情の二重唱。ここは、テノールとバリトンとが正確に三度の関係を作って動かなければいけないので、お互いが気を使います。村田はあちこちで飛ばしすぎていたわけですが、この友情の二重唱はしっかりとお互いを聴きあって歌っていて、素敵なアンサンブルにまとまりました。一方で、第二幕のエリザベッタとの愛の二重唱は、エリザベッタがちょっと引き気味の歌唱になっていたのかな、と思いました。

 以上個別の歌手はむしろ良いところも多かったと思うのですが、全体の流れとして見た場合は、今一つ求心性に欠けていたのかな、と思います。言い方を変えれば、音楽的には頑張ろうとした上演だったと思いますが、頑張りすぎて、空回りしてしまったこと、演出が作品の理解に乏しいもので、内容を観客に知らせる点で不足が多かったところが残念だったと思います。

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鑑賞日:2019年5月3日
入場料:5000円 自由席 さ列13番で鑑賞

Foglietta Opera 10th anniversary Opera

主催:フォリエッタ・オペラ

全1幕、字幕付イタリア語上演
プッチーニ作曲「修道女アンジェリカ」 (Suor Angelica)
台本:ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ

全1幕、字幕付イタリア語上演
プッチーニ作曲「ジャンニ・スキッキ」 (Gianni Schicchi)
台本:ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ

会場 川崎市多摩市民館大ホール

スタッフ

指 揮 柴田 慎平
管弦楽 Foglietta Opera Philharmonie
合 唱 Coro di fiori オペラアンサンブル
合唱トレーナー 秋葉コーダイ
演 出 加藤 裕美子
照 明 岡崎 亘
舞台監督 川原 卓也

出 演

修道女アンジェリカ

アンジェリカ 北野 綾子
公爵夫人 坂本 のぞみ
修道院長 勝山 藍
修道女長 斉藤 博子
修練女長 久保田 華代子
看護係修道女 井上 恵美子
ジェノヴィエッファ 生駒 侑子
ドルチーナ/オスミーナ 吉野 友美
托鉢係修道女1 小柏 とし恵
托鉢係修道女2 玉田 弓絵
修練女1 五十嵐もも
修練女2 合田 由紀

ジャンニ・スキッキ

ジャンニ・スキッキ 門倉 光太郎
ラウレッタ 勝山 藍
リヌッチョ 千葉 祐輔
ツィータ 栗田 真帆
ゲラルド 金井 龍彦
ネッラ 中森 美紀
マルコ 細川 慶郎
チェスカ 小川 嘉世
ベット 河野 鉄平
シモーネ 下瀬 太郎
スピネッロッチョ/アマンティオ 窪川 真也
ピネッリーノ 坂本 のぞみ
グッチョ 生駒 侑子
ゲラルディーノ 那須 愛理佳
ブオーゾ 池田 諭

感 想

声の強さとバランスのよさと-フォリエッタ・オペラ「修道女アンジェリカ」/「ジャンニ・スキッキ」を聴く

 「修道女アンジェリカ」はかなり不満の残る演奏でしたが、「ジャンニ・スキッキ」はこのオペラの魅力をしっかり見ることができ、全体としてはまあまあだったのかな、というところです。

 フォリエッタ・オペラという団体は、名前はチラシで見たことがありますが、現実に聴いたのは初めてです。昼・夜二回公演で、夜公演の出演者は、聴いたことのある方が何人かいらっしゃいますが、昼公演はほとんどいない。そう言う中に素敵な実力者がいればいいな、と思いながら、聴きに伺いました。

 「修道女アンジェリカ」は一言で申し上げれば、声に力のない方が多い。女声だけでやっているので、響きが浮つきやすいわけですけれども、そこをしっかりした低音の響きで安定させてほしいわけですが、声に基本的な力(声量も響きも)が足りないので、アンサンブルが浮ついてしまいます。プッチーニはこのオペラで修道院の響きを求めていると思うのですが、残念ながらそういう音色の雰囲気も感じられませんでした。

 タイトル役のアンジェリカを歌った北野綾子。力量不足です。声も足りないし、響きも今一つ。前半のアンサンブルの中でのポジションもあんまりよくなかったし、最後のクライマックスも感心できませんでした。この作品の唯一のアリアである「母もなく」はもっとしっとりと歌って欲しいのですが、前半はかすかすで興の乗ってきた後半は、声は大きくなってきましたが、響きにしっとりとした美しさが足りないので、感動的にならない。あれだけ見栄えの良い身体の持ち主なのですから、もっと声や響きを研究して欲しいと思いました。

 一方で、坂本のぞみの公爵夫人はアンジェリカとの二重唱で、冷酷さをしっかり見せてよかったです。この部分の二重唱は坂本が重しになったおかげで、アンジェリカも悪くなかったと思います。あと声に魅力を感じたのは、ジェノヴィエッファの生駒侑子。この方だけはふわふわ声の中でストレートに声が飛んできましたし、声質もなかなか良いと思いました。

 「ジャンニ・スキッキ」に関しては、キャスト表で、ピネッリーノとグッチョが女声歌手が歌うということにまずびっくり。ピネッリーノもグッチョもほとんど歌うところがない役ですから、それなりに人がいそうですけど、男声歌手を呼ぶのが難しいのでしょうか。とはいえ、坂本のぞみと生駒侑子は、修道女アンジェリカに出演した歌手の中では一、二の実力の持ち主ということで選ばれたようで、音はオクターブ上げて歌っていたと思いますが、しっかりしていてよかったです。

 男声歌手不足の問題はあったとはいえ、「ジャンニ・スキッキ」は全体としてよかったです。前に進むスピード感がしっかり感じられたのがまずよく、そのスピードの中で、アンサンブルが常に嵌っていて破綻がなかったことが立派だと思いました。外題役を歌った門倉光太郎が存在感をしっかり示した歌唱・演技でまず良好。最後の口上までしっかり決めました。4月にカルロス・アルバレスのジャンニ・スキッキを聴いた身としては、門倉の歌、その域に達していないのはよく分かりましたが、じゃあ、門倉の歌唱・演技がアルバレスと比較してそんなに悪いか、と言えばそんなことは全然なく、かなり肉薄していた部分もあったと思います。おそらく一番の違いはスター歌手のオーラの有無なのだろうと思います。

 千葉祐輔のリヌッチョもよかったです。甘い役作りのリヌッチョで、喜劇性をあまり立たせない歌い方でしたが、それはそれで悪くない。声もよく飛んでいました。勝山藍のラウレッタ。自分が主催者だからと言って、歌ってよいということにはならない、ということだけは申し上げたい。それ以外のアンサンブルで参加していた皆さん。アンサンブルがしっかりまとまっていたところ、それぞれが自分の役どころをしっかりと把握して歌っていたのでしょう。その結果が、しっかりと嵌ったアンサンブルにつながったと思います。

 柴田慎平の指揮は、音楽をしっかり前に進めようとする意志が見えて気持ちがいい。ただ、修道女アンジェリカは、指揮者の意識よりも遅い感覚で進んでいたのではないかという感じがしました。ジャンニ・スキッキは、指揮者のスピード感と出演者のスピード感とが合っていたのかな、という印象です。そこが音楽としての一体感を感じられた理由の一つでもあるのでしょう。オーケストラは市民オーケストラであるならばかなり悪くない水準だったと思います。

 演出は基本的にはオーソドックス。ただ、修道女アンジェリカは、元々動きの見えにくいオペラということがあると思うのですが、最低限の小道具しかない中、どのように見せるのか、という点であまりうまくいっていなかったのかな、という印象です。逆にジャンニ・スキッキは動きのあるオペラなので、分かりやすくまとまっていました。なお、今回ヴォーゾは最初生きていて急死するという設定でしたが、ヴォーゾ役の池田諭、とても上手な演技で死体を演じました。Bravoです。

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鑑賞日:2019年5月3日
入場料:2500円 自由席 1FN列30番で鑑賞

第5回SINZO KINEN OPERA公演

主催:新造記念オペラ

全4幕、字幕付原語(フランス語)/台詞日本語上演
ビゼー作曲「カルメン」 Carmen)
原作:プロスペル・メリメ
台本:アンリ・メイヤック/リュドヴィク・アレヴィ
上演台本:大山大輔

会場 東大和ハミングホール 大ホール

スタッフ

指 揮 酒井 俊嘉
管弦楽 SINZO KINEN Orchestra
合 唱 SHIZO KINEN CHORUS
合唱指揮 島田 恭輔
演 出 太田麻衣子
振 付 間 聖次朗
照 明 八木 麻紀
衣 裳 AYANO
舞台監督 八木 清市

出 演

カルメン 鳥木 弥生
ドン・ホセ 秋山 和哉
エスカミーリョ 大山 大輔
ミカエラ 中江 早希
ズニガ 上間 正之輔
モラレス 島田 恭輔
ダンカイロ 高橋 駿
レメンダート 宮西 一弘
フラスキータ 長田 真澄
メルセデス 山下 裕賀

感 想

学園祭のノリが爆発-SINZO KINEN OPERA Vol.5「カルメン」を聴く

 国立音大の卒業生中心で作られたSINZO KINEN OPERA。昨年は「魔笛」、一昨年は「メリー・ウィドウ」を見せていただきましたが、どちらもオーソドックスな演出とはかけ離れた「学生のノリ」の演出で度肝を抜かれたわけですが、本年は「カルメン」。まさか、変なことはしないだろうな、と思って伺いましたが、SINZO KINEN OPERAの面々と太田麻衣子がまともなことをするわけもなく、今回もしっかりと笑わせていただきました。

 東大和ハミングホールの大ホールは席数が700強で、オーケストラ・ピットも取れないので、例年のごとくオーケストラが舞台上の後ろ側に乗って、その前で演技するスタイル。「カルメン」はもともとオペラ・コミック形式で書かれていますが、台詞部分をレシタティーヴォにした演奏が普通だと思います。今回は、おそらくドーヴァー版のレシタティーヴォ部分を日本語に置き換えているのではないかと推測します。なお、その日本語歌詞は、オリジナルとはかけ離れた洒落やくすぐりに満ちたもの。「カルメン」は悲劇で、今回も最後はカルメンが殺されて終わるのですが、途中であれだけ笑いが取れる、というところが凄い。ただ、笑いのレベルがオヤジギャグ的と言うべきか、学生ののり的というべきか、レベルの高い笑いというよりは勢いで笑わせていた、という部分はあると思います。

 さて、そんなおふざけが満載の舞台でしたが、演奏それ自身はかなり良かったと思います。

 主役カルメンを歌った鳥木弥生。いつもながらの安定感。細かく申し上げれば、前半の「ハバネラ」や「セギディーリャ」はちょっとセーブした歌い方で声の飛びは今一つ。しかし、尻上がりに調子がのってきて、第四幕の「あんたね、俺だ」の二重唱の迫力はさすがの魅力でした。

 ホセの秋山和哉もよかったです。国立音大の大学院をこの3月卒業したばかりの新星。福井敬さんのお弟子さんだそうですが、師匠も弟子の晴れ舞台を応援しに駆けつけていました。見た目がボヤッとした感じのテノールですが、声も歌唱技術もなかなかのもの。最初のミカエラとの二重唱も、花の歌もよく、最後のカルメンとの二重唱は、カルメンに押されてはいましたが、しっかりと受け止めて立派にホセ役を務めあげた印象です。

 大山大輔のエスカミーリョは存在感のあるエスカミーリョ。第四幕の闘牛士の行進では、自分独りで行進して、何度も何度も出たり入ったりして笑いを取っていました。中江早希のミカエラも魅力的。ちょっとコミカルなミカエラで、そこも楽しい。第三幕のアリア「何を恐れることがありましょう」はバランスが取れた素敵なものでした。

 フラスキータとメルセデスのコンビも立派。フラスキータを歌った長田真澄もこの3月国立音大大学院を卒業したばかりの新星です。昨年の国立音大大学院オペラで歌ったフィオルディリージを聴いて感心した方ですが、今回のフラスキータもとてもよく、メルセデスを歌った山下裕賀とともにアンサンブルを導いていました。山下に関して申し上げれば、2017年の立川市民オペラでもメルセデスを歌われていましたが、その時よりもより嵌ったメルセデスだったと思います。また、普通カルメンが歌う第二幕冒頭の「ジプシー・ソング」がメルセデスを中心に歌われました。これもとてもよかったです。

 アンサンブルで参加のその他の脇役ですが、ダンカイロ、レメンダートはまあまあ良かったと思います。ズニガ、モラレスも悪くはなかったのですが、演出の関係もあったのだろうと思いますが、もう少しけれんみが感じられてもよかったのかもしれません。

 演出はとにかく学生のノリ。この団体だからできるものでしょう。私は面白いと思いましたが、引く人も多いと思います。酒井俊嘉の指揮は、前奏曲や間奏曲ではかなり軽快に演奏させることを意識していたようです。それは舞台全体の若々しさとマッチしていてよかったです。オーケストラはそれなりの音。フルートソロの部分などは、もっと甘く響かせてもよいのかもしれません。ホルンがこけるのは仕方がないと思いますが、トランペットがこけるのは如何なものか。まあ、いろいろありますが、全体としてはよくまとまった好演だったと思います。

 あともう一点。カーテンコールで、演出の太田麻衣子、振付の間聖次朗も入った全員で「ジプシーダンス」を踊りました。これがかなり統一感の取れた素晴らしいもの。有終の美を飾りました。

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