オペラに行って参りました-2022年(その5)

目次

気になる字幕 2022年7月1日 藤原歌劇団「コジ・ファン・トゥッテ」(初日)を聴く
メゾソプラノの使用は適切か 2022年7月2日 藤原歌劇団「コジ・ファン・トゥッテ」(2日め)を聴く
心にしみる日本歌曲 2022年7月7日 日本オペラ協会「日本オペラ・日本歌曲連続演奏会第71回」(昼の部)を聴く
日本オペラも捨てたもんじゃない 2022年7月7日 日本オペラ協会「日本オペラ・日本歌曲連続演奏会第71回」(夜の部)を聴く
演出がエグ過ぎて・・・ 2022年7月9日 新国立劇場「ペレアスとメリザンド」を聴く
日本人ワーグナーの限界 2022年7月17日 東京二期会オペラ劇場「パルジファル」を聴く
体当たりの凄み 2022年7月18日 新国立劇場オペラ研修所試演会「領事」を聴く
オペラ「の・ようなもの」 2022年7月20日 Vivid Opera Tokyo「アルジェのイタリア女」を聴く
上演されない理由 2022年8月6日 かっぱ橋歌劇団第10回公演「ポントの王ミトリダーテ」を聴く
知らない世界 2022年8月13日 歌姫達の集い「チーム天晴れ」vol.1コンサートを聴く

オペラに行って参りました。 過去の記録へのリンク

2022年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 どくたーTのオペラベスト3 2022年
2021年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 どくたーTのオペラベスト3 2021年
2020年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2020年
2019年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2019年
2018年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2018年
2017年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2017年
2016年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2016年
2015年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2015年
2014年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2014年
2013年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2013年
2012年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2012年
2011年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2011年
2010年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2010年
2009年 その1 その2 その3 その4   どくたーTのオペラベスト3 2009年
2008年 その1 その2 その3 その4   どくたーTのオペラベスト3 2008年
2007年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2007年
2006年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2006年
2005年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2005年
2004年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2004年
2003年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2003年
2002年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2002年
2001年 その1 その2       どくたーTのオペラベスト3 2001年
2000年            どくたーTのオペラベスト3 2000年

鑑賞日:2022年7月1日入場料:B席 2F E列34番 6800円 

主催:公益財団法人日本オペラ振興会/

共催:公益財団法人ニッセイ文化振興財団(日生劇場)

藤原歌劇団/NISSAY OPERA 2022公演

全2幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」(Così fan tutte)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場 日生劇場

スタッフ

指 揮 川瀬 賢太郎
オーケストラ 新日本フィルハーモニー交響楽団
チェンバロ 浅野 菜生子
合 唱 藤原歌劇団合唱部
合唱指揮  安部 克彦 
演 出 岩田 達宗
美 術 増田 寿子
衣 裳 下斗米 大典
照 明 大島 祐夫
舞台監督 菅原 多敢弘

出 演

フィオルディリージ 迫田 美帆
ドラベッラ 山口 佳子
グリエルモ 岡 昭宏
フェランド 山本 康寛
デスピーナ 向野 由美子
ドン・アルフォンソ 田中 大揮

感 想

気になる字幕‐藤原歌劇団「コジ・ファン・トゥッテ(初日)」を聴く

 感想は、二日目の後にまとめて記載しました。

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鑑賞日:2022年7月2日入場料:B席 2F G列28番 4800円 

主催:公益財団法人日本オペラ振興会/

共催:公益財団法人ニッセイ文化振興財団(日生劇場)

藤原歌劇団/NISSAY OPERA 2022公演

全2幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」(Così fan tutte)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場 日生劇場

スタッフ

指 揮 川瀬 賢太郎
オーケストラ 新日本フィルハーモニー交響楽団
チェンバロ 浅野 菜生子
合 唱 藤原歌劇団合唱部
合唱指揮  安部 克彦 
演 出 岩田 達宗
美 術 増田 寿子
衣 裳 下斗米 大典
照 明 大島 祐夫
舞台監督 菅原 多敢弘

出 演

フィオルディリージ 中畑 有美子
ドラベッラ 髙橋 華子
グリエルモ 龍 進一郎
フェランド 渡辺 康
デスピーナ 河野 めぐみ
ドン・アルフォンソ 小野寺 光

感 想

メゾソプラノの起用は適切か?‐藤原歌劇団「コジ・ファン・トゥッテ(1日め、2日め)」を聴く

 今回の「コジ・ファン・トゥッテ」で最もポイントになると思うのは、デスピーナのキャスティングと演出だろうと思います。というより、演出です。多分、あの演出ゆえにデスピーナをメゾソプラノを選んだのでしょうから。

 メゾソプラノは女中役の王道ですから、音楽的な意味で役柄に嵌るように歌えるのであればその選択もありなのかもしれません。落ち着いたメゾの声は年増の酸いも甘いも嚙分けた女を演じるのに適切でしょう。でも音楽に嵌っていない。第一モーツァルトの音楽がデスピーナをスーブレットにしているのです。ソプラノ・リリコ・レジェーロが歌えば丁度いい感じになるように書かれている。それを低音歌手が歌うのであれば、モーツァルトの音楽をねじ伏せるぐらいの力量が必要でしょう。その意味では今回は二人とも失格だろうと思います。更に申し上げるなら、向野由美子の方はまだ何とかなっていましたが、河野めぐみは全く嵌っていなかったと申しあげてもいいでしょう。河野めぐみは所々地声になっていて、地声と頭長に響く声の関係が痛々しさすら感じました。また演技に関しても演出の意図に沿ったキレッキレの演技を見せたのが向野由美子、何とか頑張っているけど嵌らなかったのが河野めぐみということも言えます。

 もちろんこれは二人が悪いのではなく、このデスピーナにやらせた演出が感心できないのです。初日の向野由美子は「暑いね」と言いながら舞台に出てきた。これは2日目の河野めぐみは言っていなかったからアドリブなんでしょうね。この程度のアドリブは、「コジ」が喜劇ですからいいと思うのですが、その次がいただけない。チョコレートをかき混ぜているデスピーナが愚痴をこぼしながらチョコレートを振り回して雫をオーケストラにかけるという演出。オーケストラのメンバーが「熱い」、「熱い」と言ったり、指揮の川瀬賢太郎が「それ甘いよ」というシーン。これは余計です。こんなことで唯でも長い上演時間を更に伸ばすのは意味がない。

 またデスピーナはチョコレートを姉妹に渡そうとすると叩き落され、その後バケツとモップを持ったデスピーナが掃除をしますが、そこでバケツを叩いて見せる。このバケツの叩き方は、ちゃんとリズムに合わせて当てているので不自然ではないのですが、本来の音楽にない音をここまであからさまに入れてくるのもいかがなものでしょう。ここも向野由美子はあからさまで、河野めぐみは控えめで舞台を見ている分には向野由美子の方が面白いですけど、でもバケツを叩くのはやりすぎな感じがします。それよりもデスピーナが医者に化けたり公証人に化けたときの声色をもっとしっかり出した方が喜劇の感じが増すでしょう。声色の出し方は両者ともよくないし面白みに欠けます。

 岩田達宗の演出は色々な部分を明確に見せようとして、また一方では作品のシンメトリーにも気にしているので、やらなくていいことまでやりすぎて無駄の多い舞台になっている気がしました。こけおどしが多い上に趣味が悪いですし、演技の都合で音楽が止まっている無音の部分も多く、そこも無駄でしょう。今回は慣用のとおり7番と24番をカットして上演したわけですが、そのカット分の時間が短くなるかと言えばさにあらず。無駄な演出に時間がとられて、休憩抜きでも3時間15分近くかかる。音楽を途切れさせないように演出を考えるのがオペラ演出の基本のようにも思いますが、岩田はその部分には考えが及ばなかったようです。

 やりすぎて無駄、というのは他にもいっぱいありました。いちいちあげつらう気もありませんが、一番無駄だったと思うのは、第二幕のフィオルディリージのロンドで照明が目まぐるしく変わるところ。これは歌の内容の印象とシンクロさせているのだろうと思いますが、やりすぎでうるさいし、せっかくの素晴らしいフィオルディリージのロンドをスポイルしているようにすら思いました。これは初日の迫田美帆が歌ったものも二日目の中畑有美子が歌ったものもどちらも素晴らしかったので、逆にあんな演出を使わないで、歌だけでやってくれた方が更にいい印象に繋がったのではないかと思います。

 もう一つ岩田演出で気になったのは字幕です。オペラの字幕は筋が分かる程度に適切にカットして書くのは当然ですが、今回の岩田達宗の字幕は唯カットしているのではなく、かなり意訳が多い感じです。もちろん意訳もある程度はOKだと思いますが、その意訳によってモーツァルト/ダ・ポンテの書いた世界観を歪めるのはいかがなものでしょう。この作品のタイトルは「コジ・ファン・トゥッテ」です。そのまま訳せば「女は皆こうしたもの」。しかし、岩田は「コジ・ファン・トゥッテ」と歌われるところを「人間なんてこんなもの」と訳します。「女は皆こうしたもの」というのは、男性優位社会の中で無意識に使われる女性蔑視の言葉でしょう。しかし、ここは自分たちに対する揺るぎのない愛を信じていたフェランドとグリエルモの現実を知った更にひとつ大人になった言葉であり、「女はみんなこうしたもの。だからこそ、俺たちはお前たちを真剣に愛するぞ」という覚悟の言葉でもあるのです。そこを「人間なんてこんなもの」としてしまうと、女性蔑視の強かった作品が書かれた時代背景をも無視するようで薄っぺらに思えます。

 これは一例ですが、他にもどうかと思う訳が何か所かあり、モーツァルトの音楽世界とはちょっと違う岩田ワールドに聴き手を引きずりこみたいのかな、という印象を持ちました。

 歌手陣ですが、デスピーナのミスキャストを別にすれば概ね良好だったと申し上げていいと思います。その中で圧倒的に素晴らしかったのは初日のドン・アルフォンソ役を歌った田中大揮。終始安定した落ち着いた歌唱でほんとうによかったです。もちろん目立つ役ではないのですが、低音が安定していてしっかりすると高音歌手たちが伸び伸びと歌えます。例えば第10番の小三重唱「風よ、穏やかに」。ここは、ベースがしっかり支えたなかでフィオルディリージとドラベッラが自在に歌います。フィオルディリージとドラベッラはすでに登場の二重唱で重唱を歌っているのですが、ここでは溶けあい方が(姉妹設定であるにも関わらず)どこかよそよそしさを感じさせるものだったのですが、田中が下に入ったとたん高音の二人がバシッと安定してすこぶる綺麗に聴こえたのが凄いです。それ以外の部分の田中アルフォンソは終始安定しており揺るぎがない。立派でした。

 一方二日目のアルフォンゾ役は小野寺光。もちろん低音役の役割は果たしているのですが、どこか声が浮いてしまうところが多い。いいところもあるのですが、田中のどっしりした安定度とは格段の差が認められたと申し上げましょう。ただ、上述の小三重唱に関しては二日目の方もすこぶるいい。こちらは中畑有美子のフィオルディリージと髙橋華子のドラベッラがすでにある程度いい関係になっていて、そこに小野寺光が一定のサポートをすることにより、二人の安定度がさらに増した感じでこちらもBraviでした。

 長大で技巧的なアリアを2曲与えられているフィオルディリージは初日は迫田美帆、二日目は中畑有美子が務めましたが、技術的安定度は中畑が上でした。迫田は「岩のように動かず」で下降跳躍が上手く決まらず、というか、高音はすこぶる綺麗で見事なのですが中低音の力が足りないのです。フィオルディリージは中低音が響いてなんぼ、というところが確実にあって、そこが上手くいくようになるまではちょっと時間がかかった感じです。そうは言っても第2幕の長大なロンドはとても素晴らしいものでした。中畑有美子は高音も綺麗ですけど、基本的に中低音がしっかりしている。そのメリットを最大限に活用した感じでよかったです。「岩のように動かず」も「ロンド」も取ってもよかった。中畑の歌を聴くと、安定した中低音って大事だな、と改めて思いました。

 ドラベッラは初日が山口佳子、二日目が髙橋華子が務めました。こちらも高橋の方が良かったと思います。山口はソプラノでかつ初役のドラベッラということもあり、気持ちがドラベッラに乗り切っていなかった印象です。また重唱で下に入ると、結構弱く歌ってアンサンブルを組み立てる傾向があって、妹役だという意識もあったのでしょうが、もう少し声を前に出して迫田と合わせたほうがいい和音になったように思います。なお、アリアはよかったです。11番の絶望のアリアは劇的な表情が良かったですし、またソロの掛け合いのタイプの重唱は、結構自在に歌っていてよかったです。

 髙橋華子はドラベッラにちょうどいい感じのメゾソプラノ。ドラベッラはソプラノの役柄ですが実際にはメゾが歌うことが多い訳です。これは、ドラベッラをメゾソプラノが歌った方が重唱のバランスが揃うということがあるのでしょう。髙橋の歌はメゾらしい落ち着いた声で下からしっかりバランスよく支えます。結果として初日の迫田・山口組よりも歌がお互い寄り添った感じになっていい重唱に纏まっていたと思います。11番のアリアも28番の「恋は盗人」のアリアもいい雰囲気でした。

 フェッランドは二日目の渡辺康を取りたい。初日の山本康寛はかつての伸びのある高音がなくなっていて声を押している感じが強いです。音程もやや低めに取っているようで、よく言えば落ち着いた、悪く言えば華やかさに欠けた歌でした。最初の第一声でこんな歌い方をして、最後まで持つのかな、と思いましたが、最後までこの歌い方で乗り切りました。そんな歌い方で重唱は大丈夫かというと、そこそこハモっていましたから面白いものです。渡辺康はちょっと不安定な歌い方もありましたが、モーツァルトのロココ的な柔らかさを上に伸ばしていい感じの歌。「愛の息吹」の甘美な感じもよかったし、怒りのアリア「不実な心に裏切られ」もいい感じの怒りの示し方だったと思います。

 グリエルモは初日の岡昭宏がいい。龍進一郎は声が重くて、冒頭の男声の三重唱をしてやや重しをかけてしまった感じです。その後はいい感じにはなってきたのですが、元々の声質がグリエルモ向きではないのが最後まで響きました。これがレポレッロやアルマヴィーヴァ伯爵であればよかったと思います。それに対して岡昭宏は美声のリリックバリトンですからグリエルモにぴったり。歌いまわしもよく研究されていた様子で、素敵だったと思います。

 川瀬賢太郎は、割と切れの良い指揮で攻め、師匠の広上淳一を彷彿とさせるところがあります。オーケストラも取り立てていうほどのこともなく、よくまとまった演奏になっていたかな。

 音楽的には不満はあってもそれなりによかったと思うのですが、妙にこけおどしの演出がモーツァルトのロココ的美しさと干渉して、せっかくの味わいを殺していたと思います。その意味ではやはり残念な上演だったと申しあげるべきでしょう。

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鑑賞日:2022年7月7日入場料:指定席 1F G列14番 4000円 

主催:公益財団法人日本オペラ振興会

日本オペラ協会公演

日本オペラ・日本歌曲連続演奏会第71回(昼の部、日本歌曲より)

会場 としま区民センター多目的ホール

スタッフ

監修 郡 愛子
司会・構成 きのした ひろこ
ピアノ 髙橋 裕子
ピアノ 渕上 千里

出 演

ソプラノ 泉 萌子
ソプラノ 糸数 知
ソプラノ 氏家 和歌子
ソプラノ オクサーナ・ステパニュック
ソプラノ 折原 睦実
ソプラノ 木田 悠子
ソプラノ 木村 愛子
ソプラノ 江 縈瀅
ソプラノ 小平 菜摘
ソプラノ 小松 美紀
ソプラノ 近藤 光江
ソプラノ 曽根 順子
ソプラノ 髙橋 香緒里
ソプラノ 知念 利津子
ソプラノ 中村 寛子
ソプラノ 山口 遙輝
メゾソプラノ 星 由佳子
テノール 黄木 透
テノール 根岸 朋央
バリトン 飯塚 学
バリトン 大石 洋史
バリトン 別府 真也

プログラム

作曲 作詩者 曲名 歌唱 ピアノ
    夏のメドレー(沖縄の曲による) 糸数 知/知念 利津子/きのした ひろこ 髙橋 裕子
瀧 廉太郎 土井 晩翠 荒城の月 飯塚 学 髙橋 裕子
越谷 達之助 石川 啄木 初恋 江 縈瀅 髙橋 裕子
中田 喜直 寺山 修二 二人のモノローグによる歌曲集「木の匙」より「悲しくなったときは」 江 縈瀅 髙橋 裕子
中田 喜直 金子 みすゞ 金子みすゞ詩による童謡歌曲集「ほしとたんぽぽ」より「こだまでしょうか」 折原 睦実 髙橋 裕子
中田 喜直 金子 みすゞ 金子みすゞ詩による童謡歌曲集「ほしとたんぽぽ」より「わたしとことりとすずと」 小松 美紀 髙橋 裕子
中田 喜直 金子 みすゞ 金子みすゞ詩による童謡歌曲集「ほしとたんぽぽ」より「ほしとたんぽぽ」 折原 睦実/小松 美紀 髙橋 裕子
團 伊玖磨 谷川 俊太郎 はる 小平 菜摘 髙橋 裕子
中田 喜直 小野 芳照 ゆく春 小平 菜摘 髙橋 裕子
小林 秀雄 薩摩 忠 根岸 朋央 髙橋 裕子
武満 徹 谷川 俊太郎 死んだ男の残したものは 糸数 知 髙橋 裕子
平井 康三郎 北原 白秋 夏の宵月 中村 寛子 髙橋 裕子
山田 耕筰 三木 露風 病める薔薇 中村 寛子 髙橋 裕子
小林 秀雄 西岡 光秋 花の春告鳥 山口 遙輝 髙橋 裕子
武満 徹 武満 徹 別府 真也 髙橋 裕子
中田 喜直 山之口 漠 結婚 別府 真也 髙橋 裕子
山田 耕筰 北原 白秋 からたちの花 オクサーナ・ステパニュック 髙橋 裕子
山田 耕筰編曲 馬子唄 箱根八里は オクサーナ・ステパニュック 髙橋 裕子
休憩    
前田 佳世子 寺山 修二 消す 泉 萌子 渕上 千里
中田 喜直 寺山 修二 二人のモノローグによる歌曲集「木の匙」より「悲しくなったときは」 泉 萌子 渕上 千里
山田 耕筰 大木 惇夫 薔薇の花に心を込めて 髙橋 香緒里 渕上 千里
中田 喜直 原條 あき子 「マチネポエティックによる四つの歌曲」より「髪」 髙橋 香緒里 渕上 千里
小林 秀雄 鶴岡 千代子 つるぎの歌 近藤 光江 渕上 千里
平井 康三郎 平井 康三郎 ゆりかご 木村 愛子 渕上 千里
平井 康三郎 小黒 恵子 うぬぼれ鏡 木村 愛子 渕上 千里
中田 喜直 木田 孝一 「愛を告げる雅歌」よち「ときめき」 木田 悠子 渕上 千里
大中 恩 内山 登美子 「恋のミステリー」より「恋のミステリー」 木田 悠子 渕上 千里
猪本 隆 吉松 奈保子 笑ってもさびしくても 氏家 和歌子 渕上 千里
猪本 隆 尾崎 安四 悲歌 氏家 和歌子 渕上 千里
中田 喜直 山村 簿調 「六つの子供の歌」より「たんきぽーんき」 大石 洋史 渕上 千里
中田 喜直 三好 達治 木兎 大石 洋史 渕上 千里
山田 耕筰 北原 白秋 「aiyanの歌」より「曼殊沙華」 星 由佳子 渕上 千里
小林 秀雄 堀内 幸枝 蕎麦の花 曽根 順子 渕上 千里
貴志 康一 貴志 康一 赤いかんざし 知念 利津子 渕上 千里
團 伊玖磨 北山 冬一郎 「わがうた」より「ひぐらし」 黄木 透 渕上 千里
木下 牧子 三好 達治 黄木 透 渕上 千里

感 想

心にしみる日本歌曲‐日本オペラ協会「日本オペラ・日本歌曲連続演奏会第71回」(昼の部)を聴く

 日本歌曲というジャンルがあることは知っていますし、山田耕筰や中田喜直が代表的な作曲家であることも知っていますし、それ以外にも中山晋平、信時潔、弘田龍太郎、成田為三、大中寅二、橋本国彦、平井康三郎、高田三郎、石桁真礼生、團伊玖磨といった人たちが多数の作品を発表していることも知っています。また、クラシック歌手のリサイタルに行けば、日本歌曲を演奏されることも少なくありません。でも自分的には日本歌曲ってよく知らないものという風に思っていました。もちろん積極的に聴きに行くこともありません。だから、今回の「日本歌曲連続演奏会」も知らない曲をたくさん聴くことになるのではないかと思っていました。

 でもそんなことはなかった。なんだかんだ言って半分以上の曲が一度は聴いたことがあります。それが自分では思いがけなかったです。みんなが取り上げたいと思うような名曲はしばしば演奏されるということなのでしょうね。そして、今回の演奏曲目は総花的でありながらも、第二次世界大戦後の比較的早い時期に作られた詩に付けられた曲が多いようで、平和を尊ぶ歌や反戦歌的なテイストを感じさせる曲が多かったような気がします。今回冒頭が沖縄の歌メドレーで、前半の最後がウクライナ出身オクサーナ・ステパニュックが歌い、後半の最後が、戦死した若者を追悼する三好達治の詩に付けた木下牧子の名曲だったこともそう感じさせる一因かもしれません。

 今回は初の試みとして、歌詞を字幕として背面の壁に投影しました。これはよい趣向だったと思います。別に歌手の皆さんが分かりにくい発音をしていたわけではありませんが、日本語には同音異義語が多く、聴いているだけでは意味がすぐつかめないことが少なくありません。更に、読み方についても、普通読まない読み方で書かれている詩がある。例えば、「病める薔薇」がそう。これは、タイトルが「やめるバラ」ではなく「やめるソウビ」と読むのだそうです。もちろん、歌詞として歌われている部分も「ソウビ」と歌われている。字幕がなければ、「いつよりか、あはれそうびよ、きずつきてなれはかなしむ」と歌われた時、意味は多分チンプンカンプンです。しかし、字幕で、「いつよりか、あはれ薔薇よ、傷つきて汝はかなしむ。」と書かれれば、意味は一目瞭然なのです。

 でもこの歌詞を示すというのは、歌手にとっては結構厳しいですね。見ながら聴いていると、助詞が違っていたり、形容詞が異なっていたりする方、結構いらっしゃいました。歌詞全体の意味に影響を与えなければ「ご愛敬」のレベルではありますが、正確な方が良いに決まっています。

 さて歌唱ですが、全体的にはよく練習された鍛えられた歌だな、と思いました。もちろん中には緊張して声が硬くなって実力が発揮できなかった方もいらっしゃったようですが、全体的には日本歌曲の魅力を伝えるのに十分なものだったと思います。最初に飯塚学が「荒城の月」を歌われましたが、この歌いっぷりが全体を代表するものだろうと思います。詩の内容をよく理解して、詩に沿った歌唱にし、バランスを保つ。抑制的な表現で歌い上げない。そういった綿密な設計が歌唱表現の中で感じられ、ちょっと神経質なほどではありましたが、雰囲気が纏まった要因だと思います。これ以降もそれぞれ詩の内容を踏まえた、日本人歌手ならではの歌唱を聴かせてくださいました。

 特に私が満足した何曲かを挙げておきますと、まず、小平菜摘の歌った2曲がよかった。丁寧で日本語も明確、柔らかな声が上に広がる感じが素敵でした。糸数知の「死んだ男の残したものは」は、歌詞に音が沁みついて行くような歌唱で、歌詞の世界を十分に表現できていたのではないでしょうか。中村寛子の2曲は耽美的な「病める薔薇」と抒情的な「夏の宵月」の対比がよかったと思います。

 前半最後がオクサーナ・ステパニュックの「からたちの花」。オクサーナは、ウクライナカラーの黄色と青のリボンを付けて登場し、切々とした気持ちを込めて歌いました。この曲は反戦歌でも何でもありませんが、オクサーナが歌うと、何とも言えないやるせなさのようなものが歌に込められているように思えて、聴き手も切なかったです。ちなみに馬子歌の方は、エキゾチックではありましたが、そういう切なさを感じさせるものではありませんでした。そのあたりは元々歌も持っているイメージも関係しているということなのでしょう。

 今回「悲しくなったときは」だけ二人の歌手で歌われましたが、泉萌子は濃厚で、江縈瀅は淡白。表情の明確さでは泉萌子を取りたいところですが、ちょっとくどい感じがしないではない。この辺のバランスは難しいですね。近藤光江はベテランの雰囲気がよかったです。木村愛子の「うぬぼれ鏡」、「うふっ」と笑うところが印象的でした。木田悠子は若手の有望株。激しい表現で歌って見せて悪いものではありませんでしたが、もう少し奥深さがあっても良いのではないかという印象。前述の近藤と比較すると、歌そのものの上手さは木田が上なのですが、そういった詩の持つ奥深さの表現では、木田にはぎこちなさが目立った感じです。

 大石洋史の「たあんきぽーんき」はユーモアが感じられて良く、割とひねった歌い方をされることが多い「木兎」はストレートで素直な歌唱が良かったです。このようなけれんのない表現はいいものです。星由佳子の「曼殊沙華」は、「GONSHAN GONSHAN 何処へゆく」の「ごんしゃん」の感じが重すぎず、といって軽くもないところのバランスが素敵でした。そして、トリを取ったのは黄木透。「鷗」は元々無伴奏の混声合唱曲ですが、ピアノ伴奏でのソロ曲にも編曲されています。ソロはピアノ伴奏が入っていても混声合唱とは違った味わいですが、その中で、良い感じに盛り上げて、昼の部の最後を飾るに相応しい歌になりました。

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鑑賞日:2022年7月7日入場料:指定席 1F E列12番 4000円 

主催:公益財団法人日本オペラ振興会

日本オペラ協会公演

日本オペラ・日本歌曲連続演奏会第71回(夜の部、日本オペラより)

会場 としま区民センター多目的ホール

スタッフ

監修・構成・司会 郡 愛子
構成 大貫 裕子
ピアノ 瀧田 亮子
ピアノ 松本 康子

出 演

ソプラノ 岡田 美優
ソプラノ 小田切 一惠
ソプラノ 川越 塔子
ソプラノ 相楽 和子
ソプラノ 田島 秀美
ソプラノ 鳥海 仁子
ソプラノ 中桐 かなえ
ソプラノ 長島 由佳
ソプラノ 福田 亜香音
ソプラノ 別府 美沙子
ソプラノ 山邊 聖美
ソプラノ 渡辺 文子
メゾソプラノ 佐藤 みほ
メゾソプラノ 中村 春美
テノール 濱田 翔
テノール 平尾 啓
テノール 渡辺 康
バリトン 髙橋 宏典
バリトン 竹内 利樹
バリトン 村松 恒矢

プログラム

作曲 作品名 曲名 歌手 ピアノ
水野 修好 天守物語 富姫と亀姫の二重唱「お亀様、お姉さま」 渡辺 文子/岡田 美優 瀧田 亮子
山田 耕筰 黒船 お吉のアリア「不思議や、あゞら、不思議やな」 川越 塔子 瀧田 亮子
山田 耕筰 黒船 お吉と姐さんの二重唱「姐さん教えてくださいな」 川越 塔子/佐藤 みほ 瀧田 亮子
山田 耕筰 黒船 領事のアリア「あゞ、美わしの日本」 渡辺 康 瀧田 亮子
石井 歓 袈裟と盛遠 盛遠のアリア「美しい春の小川のように」 竹内 利樹 松本 康子
石井 歓 袈裟と盛遠 袈裟のアリア「人の世は何と楽しかったことよ」 鳥海 仁子 松本 康子
原 嘉壽子 舌を噛みきった女(すて姫) すて姫の「子守歌」 佐藤 みほ 瀧田 亮子
別宮 貞雄 葵上 六条御息所のアリア「春は華やぐ花の宴に」 田島 秀美 松本 康子
三木 稔 静と義経 頼朝のアリア「悪は滅んだ」 村松 恒矢 松本 康子
三木 稔 静と義経 静のアリア「愛の旅立ち」 別府 美沙子 松本 康子
休憩    
木下 牧子 不思議の国のアリス アリスとユリの花のデュエット 中桐 かなえ/福田 亜香音 瀧田 亮子
寺嶋 民哉 紅天女 紅天女のアリア「目覚めよ、己がまことの姿を知れ~まこと紅千年の命の花ぞ今開かん」 長島 由佳 松本 康子
寺嶋 民哉 紅天女 伊賀の局のアリア「行かないであなた」 中村 春美 松本 康子
日高 哲英 美しきまほろば~ヤマトタケル 若建王のアリア「わたしのまほろば」 濱田 翔 瀧田 亮子
池辺 晋一郎 死神(魅惑の美女はデスゴッデス) 死神のアリア「私は死神」 山邊 聖美 瀧田 亮子
白樫 栄子 みづち 小太郎のアリア「夕星の歌」 平尾 啓 瀧田 亮子
中村 透 キジムナー時を翔ける フミオのアリア「ウスクよウスク、教えてほしい」 中桐 かなえ 松本 康子
伊藤 康英 ミスター・シンデレラ 垣内教授のアリア「天上のアリア」 髙橋 宏典 松本 康子
伊藤 康英 ミスター・シンデレラ 薫のアリア「ときめいて、今」 小田切 一惠 松本 康子
團 伊玖磨 夕鶴 つうのアリア「私の大事な与ひょう」 相楽 和子 松本 康子

感 想

日本オペラも捨てたもんじゃアない‐日本オペラ協会「日本オペラ・日本歌曲連続演奏会第71回」(夜の部)を聴く

 日本人が演奏した最初のオペラである「オルフェウス」が上演された直後から、日本語オペラの作曲が開始され、その嚆矢は1904年の北村季春「露営の夢」とされています。しかしながら、それは小規模なもので、その後も明治期、大正期を通じていくつかの小規模作品の作曲と演奏はされてきたのですが、日本初の本格的グランドオペラとして作曲されたのが1929年完成、1940年初演の「黒船」でした。その後戦争で創作歌劇の活動も低迷し、1952年團伊玖磨の「夕鶴」の成功によって、新時代が切り開かれました。日本オペラ協会の前身である「教育オペラ研究会」が大賀寛によって設立されたのが1958年、それ以降日本の創作歌劇の発表の場の中心として日本オペラ協会は活動してきました。日本オペラ協会により創作委嘱された作品は三十数作品、年に1回ないし2回の本公演は2022年2月の「ミスター・シンデレラ」で83公演となります。

 日本オペラ協会の活動こそが日本オペラの発展の中心になってきたわけですが、正直申し上げて、「夕鶴」などのいくつかの傑作作品を除けば、日本オペラは「イマイチ」の感は拭えません。これまで作曲された日本オペラの総数は700とも言われるわけですが、そのほとんどは初演で消え去り、再演されることも滅多にないという現実からも明らかです。また再演を繰り返すいくつかの例外についてもオペラ全体として見た場合ストーリー展開の弱さや、楽曲の弱さを感じさせる作品も多く、まだまだこれからも発展させなければならないということは言えると思います。

 とはいうものの、日本オペラの代表作のアリアで組んだ今回のコンサートは聴き応えがありました。作曲家が心血を注いだメインのアリアや楽曲から更にえりすぐりのものを選んでいるのですからそれは当然なのですが、それらの名曲が日本オペラ協会の若手・中堅歌手によって歌われると明るい未来を予感させます。

 今回の演奏会では山田耕筰の「黒船」から2021年に初演されたばかりの「美しきまほろば~ヤマトタケル」まで14作品、20曲が演奏されました。ちなみに私が拝見したことのある作品は10作品です。前半は比較的古い作品や、歴史に題材をとった作品を中心に演奏され、後半は現代ものや割と最近作曲・初演された作品が多い印象です。またその音楽的な内容もレジェーロ系のソプラノにふさわしい軽いものから、重厚なものまで様々であり、日本オペラの多様性を感じさせました。

 最初に歌われた「天守物語」二重唱。この作品はもっとベテランのソプラノによって歌われることが多く、もちろんそれはそれで十分美しいのですが、今回の比較的若手の二人による二重唱は高音が美しく溶けあって、妖艶さはあまりありませんでしたが、天使的な美を感じさせるものでした。「黒船」からの3曲は、川越塔子の歌の日本語がやや不明瞭だったのが残念だったかも知れません。佐藤みほは良い感じ。渡辺康の「領事のアリア」は無難な感じで、先週末の「フェランド」ほどはよくなかったというのが正直なところ。

 「袈裟と盛遠」からの2曲は、鳥海仁子によって歌われた「袈裟のアリア」が印象的でした。そして、私が前半一番良いと思ったのは、佐藤みほによって歌われた「すて姫の子守歌」です。佐藤は新しい黒のフェルトペンで、楷書で文字を一字一字丁寧に書いていくような歌唱で、歌詞内容は明瞭でかつ声の艶やかさも抜群でした。

 田島秀美によって歌われた六条御息所のアリアは、彼女の中で十分曲を納得しきれていない感じに聴こえました。悪いものではなかったのですが、もう一段踏み込めるものもあったのでは、という印象です。前半最後の「静と義経」のアリア二曲はどちらも素晴らしい。村松恒矢による頼朝の後悔のアリアは、村松の美声と表情がしっかり頼朝に乗り移った感じで、その後悔の心情が十全に表現されBravo。また別府美沙子による静のアリアも静の義経への思いをしっとりと感じさせる魅力的なものでこちらも立派でした。

 後半の冒頭「不思議の国のアリス」の二重唱。「不思議の国のアリス」はこの5月に見たばっかりで、その時はこの二重唱を宍戸茉莉衣と別府美沙子によって歌われたわけですが、今回は更に若い中桐かなえとと福田亜香音によって歌われました。5月の宍戸別府ペアもとてもよかったのですが、今回の歌唱もよかったです。特にユリの花の福田がしっかりした歌でよかった。福田が国立音大大学院オペラでデスピーナでデビューしたとき、私は「蚊の鳴くような声」と酷評したそうですが、もうそんなことはありません。若い方の成長の著しさは素晴らしいものがあります。

 「紅天女」からの二曲では長島由佳がいい。長島は日本オペラ協会で何度も聴いている若手ながら日本オペラのスペシャリストのような方ですが、流石に上手いです。2020年の小林沙羅の歌唱も忘れ難いですが、今回の長島由佳の歌唱もよかった。続く、今回取り上げられた一番新しい日本オペラである「美しきまほろば~ヤマトタケル」は、2022年7月2日、3日に新国立劇場中劇場で東京初演がされたばかりの新作です。丁度、藤原歌劇団の「コジ・ファン・トゥッテ」が被っていて行けなかったのですが、濱田翔の歌を聴くにつれ、聴いておけばよかったかな、と思ったところです。

 「死神」のアリアは山邊聖美が素晴らしい。丁寧で妖艶な感じもあり、コロラトゥーラのパッセージも見事に嵌り、とても雰囲気の出た死神になりました。続く平尾啓の「夕星の歌」。平尾はキリンビールを定年退職してオペラ歌手を目指すという私のような歌好き中年の星です。そして、平尾の歌は、美声テノールというのとは違いますが、一定の力強さと合唱でテノールを歌って来たんだろうなと思わせる味があって、良い感じでした。中桐かなえの「フミオのアリア」。「キジムナー時を翔ける」は2021年2月に公演されたばかりで、中桐はその時もフミオを歌われています。私はダブルキャストの別組しかしか聴けていなかったので、中桐の少年を感じさせる歌唱を聴けて良かったです。

 「ミスターシンデレラ」のおかしさ満点の二つのアリア。髙橋宏典、小田切一惠ともに良い感じでした。髙橋はコンサートで1回聴いただけですが、その時の歌がよくてちょっと注目しており、今回もなかなかの歌唱だったのではないかと思います。小田切一惠は久しぶりで聴きましたが、薫のコミカルなアリアを雰囲気よく歌っていたと思います。

 最後は日本オペラ最高のヒット作のもっとも有名なアリア。これで締めるのは当然でしょう。歌ったのは2021年「死神」で鮮烈なデビューを飾った相楽和子。相楽は、2016年国立音大大学院修了、日本オペラ振興会の育成部を2018年に終了したばかりの若手ですが、育成部の成績が抜群によく、それまで育成部終了者は「準団員・準会員」になるというルールを覆して修了と同時に正団員、正会員になったという逸材です。今回のつうのアリアも痒い所に手が届くような本当に立派な歌唱で、これがオペラの舞台で歌ったのであればもう少し別の表現があってもいいと思いましたが、コンサートで歌うとすればこのような端整な歌こそいいものだと思えるものでした。

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鑑賞日:2022年7月9日入場料:C席 3F R10列4番 7920円 

主催:新国立劇場

新国立劇場2021-2022シーズン

全5幕、日本語/英語字幕付原語(フランス語)上演
ドビュッシー作曲「ペレアスとメリザンド」(Pelléas et Mélisande)
原作:モーリス・メーテルリンク
台本:クロード・アシル・ドビュッシー

会場 新国立劇場オペラハウス

スタッフ

指 揮 大野 和士
オーケストラ 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮  冨平 恭平 
演 出 ケイティ・ミッチェル
美 術 リジー・クラッチャン
衣 裳 クロエ・ランフォード
照 明 ジェイムズ・ファーンコム
振 付 ジョセフ・アルフォード
演出補 ジル・リコ
舞台監督 髙橋 尚史

出 演

ペレアス ベルナール・リヒター
メリザンド カレン・ヴルシュ
ゴロー ロラン・ナウリ
アルケル 妻屋 秀和
ジュヌヴィエーヴ 浜田 理恵
イニョルド 九嶋 香奈枝
医師/羊飼いの声 河野 鉄平
メリザンドの分身(黙役) 安藤 愛惠
メイド(黙役) 高橋 伶奈/中島 小雪

感 想

演出がエグ過ぎて・・・・‐新国立劇場「ペレアスとメリザンド」を聴く

 現代オペラの創始でもあり、オペラ史上最も重要な作品のひとつでもある「ペレアスとメリザンド」ですから、演奏される機会は決して珍しくはありません。私は今回で5回目の聴取となります。しかしながら、過去4回は全て演奏会形式。演出付きの上演を拝見したのは今回初めてです。そして、初めて演出付きで舞台を見た感想を申し上げれば、「私にはエグ過ぎるな」です。これは半分は誉め言葉であり、半分は否定的な意味でもあります。

 歌劇「ペレアスとメリザンド」はメーテルリンクの同名の戯曲を原作にしている、というより、メーテルリンクのテキストをほとんどそのまま採用して音楽を付けているところに特徴があります。メーテルリンクの演劇を見せるために音楽を付けている側面もあるのかもしれません。その意味ではそもそも極めて演劇的な作品と言えるのでしょう。そして、今回の演出は演劇として見た場合、とても「刺さる」演出でした。

 今回の舞台は2016年のエクサンブロヴァンス音楽祭、2018年ポーランド国立歌劇場で上演され、すでに大評判を取っているものであるそうですが、それは納得できるものです。新国立劇場の舞台の上に小さい箱が二つ並べられ、その箱が交互に開いて舞台が転換されていきます。その箱はアルケル家のマンションであり、舞台がその外に広がることはありません。この箱の幅は大舞台を3:7ぐらいに分けるものですが、高さは話の内容に沿って自在に変わります。その箱の中で歌手たちは歌唱し、演技するのですが、その演技はシンクロナイズされていたり、スローモーションを多用したりして極めて緻密に計算されて演劇的なのです。時代は現代。メリザンドは理由不明ながらアルケル家にいて眠っており、その夢の中で起きている出来事として表現されていきます。

 フロイトの精神分析ではないのでしょうが、このメリザンドの夢はかなりセクシャルです。そして、そのセクシャルな夢はメリザンドの過去とそして多分未来の経験とも繋がっています。そして夢であるがゆえに登場人物は二重性も三重性も持ってくる。アルケル王やジュヌヴィエーヴはメリザンドにとっての安らぎであるのに対し、ペレアスもゴローもそしてメリザンド自身も近親相姦的な印象すら感じられるようなある意味暴力的な性愛の対象であると同時に、メリザンドのトラウマでもあるようです。メリザンドは歌わないときも常に舞台にいて舞台の動きを眺めており、歌っているときは彼女の分身が、ゴローやペレアスとの性愛と紡いでいるような感じです。

 この演出はいわゆる「大胆な読み替え演出」であるわけですが、メーテルリンクのテキストとは随分離れているな、という印象です。例えば、有名な第3幕の塔のシーン。塔の上からメリザンドが長い髪を下に垂らして、それをペレアスがたたえるわけですが、この演出では、一室で二人で愛撫しながら髪をたたえる。この場面はそもそもエロスの象徴なのでしょうけど、今回はそれをより視覚的に見せているのでしょう。色々な意味で刺さる演出でした。

 ただここまで演出が目立ってしまうと音楽への注意がどうしてもそれてしまう。私はオペラに音楽を感じたい聴き手なので、演出が強すぎるのは如何かと思ってしまうのです。一所懸命音楽に心をもっていこうと思うのですが、舞台を見てしまうと音楽が逃げてしまうところがあって、そこはかなり残念です。メーテルリンクのテキストに付けたドビュッシーの音楽はそのまま演奏会形式の舞台で聴いても演劇的です。特にアリアらしい曲はなく、常に台詞の抑揚に沿って音楽が流れ、そこに的確な管弦楽器の和音、それもドビュッシーらしい印象的な和音で支える。そう言った構造を楽しみたいところですが、ミッチェルのこの演出が強すぎて、ドビュッシーの音楽を感じ取れなくなってしまう。そういうところがたびたびあって音楽に意識を戻すのに苦労しました。

 大野和士のコントロールは基本抑制的なもので、演出に奉仕している感じが強い。東京フィルの演奏は丁寧ではありましたが、外すところもあり、それなりというところでしょうか。歌手たちはとても上手い。これは歌唱的にも演技的にも上手いです。

 まず、ロラン・ナウリのゴローが出色。ナウリが現代最高のゴロー歌いと言われているそうですが納得です。音楽と演技が一体になっており、マッチョタイプの演技をしながらも歌唱表現は基本的に抑制的。細かいコントロールをしっかりやっていて存在感があります。ゴローへの憎悪(あるいはゴロー的なマッチョ主義に対する憎悪)が今回の演出のひとつの柱で演出的にもゴローに負担を掛けるところが多いのですが、二人のメリザンド(本人と分身)の二人と絡んで(一人は背負って)歌うようなところでも適切な息で歌って見せるところなど、素晴らしいとしか申しあげるしかありません。

 メリザンドのカレン・ブルシュも素晴らしい歌唱。彼女のメリザンドを聴くのは2014年以来2回目なのですが、前回もそう思ったのですが、細かい歌唱制御のしっかりしている方のようで、語り的な歌が明確でテキストの読み込みが深い感じがします。ぼそぼそと語るレシタティーヴォであっても彼女の手にかかると音楽的に感じます。私はフランス語が全く分からないのですが、語り口だけで日本人にそう感じさせてしまうところが素晴らしい。

 ベルナール・リヒターのペレアスはメリザンドやゴローと比較すると存在感が薄い感じです。ただペレアスはゴローの弟であり、ゴローのマッチョに対して悩める青年の位置づけでしょうから、これぐらいのバランスが丁度いいのでしょう。

 日本人の脇役勢も頑張りました。演技的要求が相当大きい舞台でその部分の負担は多かったと思うのですが、アルケル王を歌った妻屋秀和が声量も歌のバランスもいつもと変わらぬ実力を示して出色。メリザンドの少女時代の投影でもあるイニョルドを歌った九嶋香奈枝もしっかりした歌唱で、抑圧された少年の歌唱と演技で示しました。浜田理恵のジュヌヴィエーブもよかったです。

 今回の上演はこうやって見ると、ミッチェルの演出に歌手もオーケストラも寄り添っていった感じが強く、全体としては演出を中心にまとまっていたのだろうとも思いますが、自分自身としては2014年にシャルル・デュトワとNHK交響楽団、ペレアス:ステファーヌ・デグー、ゴロー:ヴァンサン・ル・テクシエ、そして、メリザンドが今回と同じカレン・ブルシュによって演奏された、音楽的にとても素晴らしかった演奏会形式の「ペレアスとメリザンド」の感動には遠く及ばなかったな、というところです。

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鑑賞日:2022年7月17日入場料:C席 4F R1列10番 9000円 

主催: 文化庁、公益財団法人東京二期会
共催: 公益財団法人読売日本交響楽団

二期会創立70周年記念公演

フランス国立ラン歌劇場との共同制作公演

東京二期会オペラ劇場

全3幕、日本語/英語字幕付原語(ドイツ語)上演
ワーグナー作曲「パルジファル」(Parsifal)
台本:リヒャルト・ワーグナー

会場 東京文化会館大ホール

スタッフ

指 揮 セバスティアン・ヴァイグレ
オーケストラ 読売日本交響楽団
合 唱 二期会合唱団
合唱指揮  三澤 洋史 
演 出 宮本 亞門
装 置 ボリス・クドルチカ
衣 裳 カスパー・グラーナー
照 明 フェリース・ロス
映 像 バルテック・マシス
演出助手 三浦 安浩/澤田 康子
舞台監督 幸泉 浩司

出 演

アムフォルタス 清水 勇磨
ティトゥレル 清水 宏樹
グルネマンツ 山下 浩司
パルジファル 伊藤 達人
クリングゾル 友清 崇
クンドリ 橋爪 ゆか
第1の聖杯の騎士 新海 康仁
第2の聖杯の騎士 狩野 賢一
4人の小姓 宮地 江奈/川合 ひとみ/高柳 圭/相山 潤平
花の乙女たち 宮地 江奈/松永 知史/杉山 由紀/雨笠 佳奈/川合 ひとみ/小林 紗季子
天上からの声 小林 紗季子

感 想

日本人ワーグナーの限界・・・・‐東京二期会オペラ劇場「パルジファル」を聴く

 私がワーグナーが苦手ということは何度も書いていることですが、8年ぶりに「パルジファル」の舞台を見て、またその感を新たにしたところです。ワーグナー独特の宗教観と音楽の作り方がどうにも自分の感性に合わないのです。特にその宗教観が前面に出る「パルジファル」は特にその感が強いです。ワーグナーは魂の救済をテーマにして様々なオペラを書いてきたわけですが、その行きついた先がここなのか、と思って音楽を聴くと、その尊大感に鼻持ちならないものを感じてしまいます。

 とは書きましたが、今回のヴァイクレの音楽の組み立て方はきびきびしたもので、演奏によっては休憩抜きで4時間30分もかかることのあるこの作品を3時間40分強で取りまとめたところは結構なことだったと思います。ドイツ生まれのドイツ人指揮者でワーグナーへの造詣も深いことでも知られるわけですが、巨匠たちの演奏とはかなり違った現代的な締め方が、ワーグナーをことのほか尊大に見せてきたものを剥ぎ取った感じで、そこは強く支持したいと思います。読響の演奏は、第一幕への前奏曲が少し揃わなかったところがあったのですが、その後は凄く良い感じで流れました。特に弦の音がしっかりとしていて、低弦楽器の響きが読響伝統のドイツ的な音を支えるのに良い感じで引っ張っていましたし、その上に乗るヴァイオリンの音色も浮ついた感じのない安定したもので、ドイツオペラらしさが全編に流れていました。一番の聴きどころはやはり第三幕の「聖金曜日の音楽」でしょうか。重厚さと軽快さのバランスがよく取れた感じで、金管の音色もよく聴き応えがありました。

 宮本亜門の演出は現代の美術館を舞台にしていますが、オペラの登場人物は皆古い絵から出てきたキャラクターとしてをして描かれています。黙役として出てくる少年はパルジファルと結びつき、美術館のキュレーターをしているらしいその母親はクンドリの反映です。絵から出てきたキャラクターたちが演じる「パルジファル」の世界が現代と結びつき、更に時空を超えたところまで広がる。ワーグナーの世界観を今の時代に合った形で示そうとしたのだろうということは理解できるところですが、「パルジファル」という作品の持つ多面性にちょっと気を囚われ過ぎているのかな、という感じはしました。視覚的には一幕、三幕の重厚さと二幕の軽薄な感じの差をはっきり見せていたと思います。一方で救済されたクンドリが天使となって昇天していくところもしっかり見せており、一般には仏教やキリスト教の様々な宗教性を背景にしたワーグナー独自の宗教観を示した作品とされるところですが、宮本にとってはキリスト教を基盤とする作品の印象だったのでしょう。

 演奏は、ヴァイクレの作る音楽世界に皆乗っている感じで、全体的には納得できるものでした。オーケストラの感じが良かったのは上述の通りですが、二期会合唱団の合唱もよかったです。特に舞台の裏で歌われる合唱に素晴らしいものが多かった。ヨーロッパ宗教合唱曲の香りのする合唱が多いわけですが、裏から流れてくる和声は、教会で聴いている感じもあって宗教性を感じました。舞台に出てきて歌われる男声合唱ももちろん上手でしたが、裏から聞こえる混声合唱に心奪われるものがありました。

 ソリストでは低音系に良い感じの人が多かったです。まず、山下浩司のグルネマンツがいい。安定した語り口で、朗々と歌う感じが印象的でした。清水勇磨のアムフォルタスも王の苦悩を表現していて秀逸。ただ、歌の安定感は山下グルネマンツと比べると今一つ劣る感じですが、そこが与えられた音楽に由来するものなのか、ベテランと若手との差なのか、そこはよくわかりません。両方関与しているのかも。清水宏樹のティトゥレルも良い語り口。先王の貫禄を示すのに十分だったように思います。

 一方、主役のパルジファルを歌った伊藤達人とクンドリの橋爪ゆかは課題を残した感じです。伊藤は強い声が美しく、次世代のワーグナー歌いという感じがしましたが、全体的に丁寧さに欠ける歌で、一段抑えた歌にした方が良い感じに纏まったのではないかという気がしました。素晴らしいところも沢山あったのですが、山が高い分、谷も深かったのかな、というところ。張り切りすぎてペースの配分が上手くいかなかった感じです。第二幕のクンドリとの対決の二重唱の部分はお互いが限界のところで歌い合い、その結果としてコントロールが効かなくなってしまったところが散見されました。

 橋爪ゆかのクンドリも今一つでした。第一幕は声がまだ縮こまっている感じで、手探りで声を探していた感じがありました。第二幕はパワー全開で歌われていて凄かったのですが、伊藤同様その分コントロールが甘くなっていて、特に張って歌った後の中低音の処理が今一つ上手くいっていませんでした。伊藤にしても橋爪にしてもワーグナーの分厚い管弦楽に対抗するために限界のところで歌っていたわけですが、そういうところで歌わないと音楽が成立しないところが、今の日本人ワーグナーの限界なのかなという気がします。

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鑑賞日:2022年7月18日入場料:指定席 1F 10列58番 3300円 

主催:新国立劇場オペラ研修所

令和4年度新国立劇場オペラ研修所試演会

全3幕、日本語/英語字幕付原語(英語)上演
メノッティ作曲「領事」(The consul)
台本:ジャン・カルロ・メノッティ

会場 新国立劇場中劇場

スタッフ

指 揮 星出 豊
ピアノ 岩渕 慶子/星 和代
演 出 久恒 秀典
装置アドバイザー 黒沢 みち
衣裳アドバイザー 増田 恵美
照 明 立田 雄士
映 像 荒井 雄貴
音 響 河原田 健児
舞台監督 伊藤 潤

出 演

マグダ・ソレル(ジョンの妻) 大竹 悠生
秘書 大城 みなみ
ジョン・ソレル 佐藤 克彦
母親 前島 眞奈美
コフナー氏 松中 哲平〈賛助出演〉
異国の女 冨永 春菜
魔術師(ニカ・マガドフ) 水野 優〈賛助出演〉
アンナ・ゴメス 野口 真瑚
ヴェラ・ボロネル 杉山 沙織
アッサン 長冨 将士
秘密警察官 松浦 宗梧
レコードの声 河田 まりか
二人の私服刑事 松本 美音/竹村 浩翔

感 想

体当たりの凄み‐新国立劇場オペラ研修所試演会「領事」を聴く

 メノッティの「領事」はメノッティの代表作ではありますが、なかなか上演される機会はなく、日本全国で見たときは2015年の広島オペラアンサンブル公演が多分最後。東京公演は1986年以来かもしれません。私自身は、タイトルだけ知っている作品で、実はどんな音楽かも、お話かも知りません。そういう珍しい演目は上演される機会に見ておかないと、今度見られるのがいつの日になるか分からないので、伺ってまいりました。そして観た感想は、「行ってよかった」です。非常に楽しめました。今月は藤原歌劇団の「コジ・ファン・トゥッテ」、新国立劇場の「ペレアスとメリザンド」、東京二期会オペラ劇場の「パルジファル」と3つ大きな公演が重なった月ですが、音楽、演出のトータルのバランスで私にとっては一番の演奏でした。まずは若手の歌手たちがベテラン指揮者と気鋭の演出家の元、素晴らしいチームワークでこのような舞台を作り上げたことを喜びたいと思います。Bravissimi!!

 あらすじを簡単に書いておくと、全体主義国家の反体制活動家ジョン・ソレルは、ある都市の一隅に妻マグダと母、幼子とともにひっそりと暮らしています。しかし、秘密警察に追われている彼は国境を越えて隣国に抜け出そう決心して国境近くに潜み、マグダにある国の領事と面会して家族の保護を求めるようにと指示をする。 しかし、領事館にはビザを求める人が殺到していて、領事に面会することはままならず時間だけが過ぎていきます。結局マグダは領事と会うことはできず、幼子や母親は死に至り追い詰められたマグダは自殺し、それを知ったジョンは、都市に戻ってきて秘密警察の手にかかるという悲劇です。

 3幕のオペラですが、舞台はソレル家が住むアパートと領事館の受付だけ。各幕ともその両方が交互に出てきます。最初から最後まで緊迫した作品なのですが、見どころは領事館のお役所仕事を風刺したところ。受付にいる「秘書」が、やってくる人の書類の不備を見つけては追い返し、「Next」と冷たく言って、マグダがどんな事情を説明しても取りあおうとしません。このステレオタイプの受付(秘書)を演じた大城みなみがまずは秀逸。「Next」と冷たく言うところもよかったですし、それでもマグダの心情にほだされて、少し気持ちが揺れる様子を示すところがよかったです。

 ヒロインのマグダを演じた大竹悠生。今年入所したばかりの若手ですが、精一杯の頑張りで素晴らしいマグダ像を作り上げました。夫の命を心配し、そんな事情に耳を傾けず書類作成ばかり要求する領事館に対するで怒りのアリアは劇的で悲痛な表現が素晴らしく、クライマックスを盛り上げるのに十分なものでした。この大竹のオーラと冷たく対抗する秘書・大城の関係性こそが今回の成功の鍵だったのかなと思います。

 母親役の前島眞奈美は深い声が印象的なメゾソプラノ。第二幕冒頭で歌われる子守歌が良い感じでしたし、演技も終始腰を曲げていて大変だったと思いますが、悪くなかったと思います。ひたすら逃げまくるジョン・ソレルを演じた佐藤克彦。切迫した音楽表現はよかったですが、演技はチャンバラごっこをやっている子供みたいな感じで、もう少し大人びた感じがあるとよかったかなという感じです。

 領事館に集う人々で印象的だったのはコフナー氏を歌った松中哲平と、この作品で唯一喜劇的なキャラクターである魔術師を演じた水野優。二人ともオペラ研修所の修了生で歌唱・演技とも現役生よりも一日の長があった感じです。魔術師が歌うアリア「私こそ、ニカ・マガドフ」は愉快で印象的な曲ですが、それでも秘書に簡単にあしらわれてしまうところなどは面白いです。その他の脇役陣。歌うところは皆それほど多くはないですが、それぞれ印象的な部分が少しずつあり、見ごたえがありました。

 指揮の星出豊は、指揮者歴50年を超える大ベテランで、作曲者のメノッティとも親交があったという。メノッティは非常に台本を大切に考えている方で、そのため自作の台本は全部自分で書き、それに音楽を付けていたそこに書かれた詩を「語るが如く語る」ことを求めたそうですが、確かに今回の演奏もそんな感じにまとまっていたと思います。伴奏はピアノ2台。コレペティトゥアの専門教育を受けてコレペティトゥアとして初めて五島記念オペラ新人賞を受賞した岩渕慶子とオペラのピアノ伴奏者として名高い星和代とが伴奏を務めましたが、印象的なピアノ伴奏で、良いサポート役を果たしました。

 久恒秀典の演出は極めてオーソドックスなもので、この作品の切迫し、困窮したソレル家の状況と、領事館の秘書のお役所仕事、そして領事館に集う人々の様々なキャラクターを明確に見せていたと思います。

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鑑賞日:2022年7月20日入場料:自由席 6000円 

主催/制作:NPO法人Vivid Opera Tokyo

Vivid Opera Tokyo

全2幕、字幕付歌唱原語(イタリア語)台詞日本語上演
ロッシーニ作曲「アルジェのイタリア女」(taliana in Algeri)
台本:アンジェロ・アネッリ

会場 渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール

スタッフ

指 揮 谷本 幸基
ピアノ 青木 ゆり
演 出 太田 麻衣子
衣 裳 AYANO
照 明 渡邉 雄太/岡崎 亘
ヘアメイク 徳田 智美
日本語台本 塙 翔平
舞台監督 磯田 有香

出 演

ムスタファ 後藤 春馬
イザベッラ 山下 裕賀
エルヴィーラ 別府 美沙子
リンドーロ 岸野 裕貴
ズールマ 実川 裕紀
タッデーオ 塙 翔平
アリー 寺田 穣二
ルリー 加護 友也
ジュリー 山本 雄太
エリー 山田 健人

感 想

オペラ「の・ようなもの」‐Vivid Opera Tokyo「アルジェのイタリア女」を聴く。

 吉本新喜劇のノリの滅茶苦茶面白い舞台でした。オペラでここまで笑った経験はなかったと思います。レシタティーヴォは全部カット、それ以外の歌唱も聴かせどころ以外はかなり刈り込まれていました。「アルジェのイタリア女」は副次的な曲はロッシーニ以外の作曲家が作曲したことでも知られていますが、そういう曲は基本カットしたのかもしれません。その分付け加えられたのが、吉本張りのドタバタの台詞。その台詞と演技がまた面白くて笑ってしまったものと思います。そのぶっちゃけぶりは普通オペラでは考えられないレベルで、塙翔平の日本語台本と、それを現実の舞台で見せた太田麻衣子の感性と技量をまずは褒めなければいけません。

 舞台はアルジェのムスタファの後宮ではなく、極悪非道なギャング組織「亜瑠慈ヱ」。親分がムスタファで姐さんがエルヴィーラ、借金の形に働かされているのがリンドーロ、子分たちがアリー、ルリー、ジュリー、エリーといった具合です。そこにリンドーロを探しに来るのが、マリリン・モンローのコスプレに身を包んだ女優のイザベッラと使えないマネージャーのタッデーオという設定。いわゆる読み替え演出ですが、日本語台本があることによってロッシーニの世界から吉本新喜劇の世界に一気に転換しています。演技もしっかりしていてドタバタを外さず皆さん遅れを取らずにタイミングを合わせていく。もともとリズム感の良い人たちが揃っているのでしょうが、そのハイテンションな演技も素晴らしいと思いました。私は読み替え演出には基本否定的なのですが、ここまでやられたらやっぱり楽しめます。

 歌唱も総じて良かったのですが、全体としてのハイテンションが歌に乗り移っているところがあって、全てに大振りで過剰な感じは否めません。山下裕賀は現時点で日本一のロッシーニメゾだと思っていますが、流石の実力での歌だったと思いますが、それでもこの大振り感は否めません。登場のアリア「酷い運命よ」は前半のマエストーソから後半の速い部分まで滑らかで推進力のある歌唱は日本一の実力に相応しいもの。第二幕のアリアは、手下たちがスカートの裾を持って揺らしながら歌う。まさに「七年目の浮気」で、マリリン・モンローが地下鉄の通風口の上に立ったモンローのスカートが大きくめくれる有名なシーンに対するオマージュで、歌はこちらも素晴らしい。しかし、6月に見た「セビリアの理髪師」における彼女のロジーナと比べたときどうかと考えると、あのレベルではなかったのかな、とは思いました。

 その他の方もハイテンションゆえに、歌が粗くなっていた傾向は見受けられます。後藤春馬はロッシーニを得意とするバス・バリトンで登場のアリア「女どもの高慢さ」の後半の早口などは流石ですし、イザベッラを見て歌うアリアの早口のフィオリオーラも見事でしたが、やっぱりハイテンションゆえの粗さが感じられます。それを特に感じたのは別府美沙子のエルヴィーラ。高音の綺麗な実力派ソプラノですが、色々な意味でやりすぎ感を感じました。もちろんその分面白みは出ているのですが。岸野裕貴のリンドーロ。高音の処理には難がありましたが、他の人と絡む部分では綺麗に嵌り良い感じ。塙翔平のタッデーオは自分が書いた台本を演じているせいか、歌っている時よりもただ演じているときの方が生き生きしていたように思いました。

 合唱がいい。男声合唱を各パート一人の男声アンサンブルで聴かせてくれましたが、演技も含めて良い感じでサポートし舞台を下支えしていました。こういうメンバーで歌われる一番の聴きどころはやはり第一幕のフィナーレです。ストレッタのアホ臭さは何度聴いても笑え、大好きな部分ですが、良いアンサンブルでまとめてくれました。

 以上客席爆笑の楽しい舞台だったのですが、じゃあ、これがオペラと言っていいのかな、と言えばやはり違うのかな、と思います。初心者にわかりやすくするためにここまでやったというのは分かるのですが、レシタティーヴォが全部なくなり、その他もカットカットの嵐で、それでいて、お笑いの台詞を付け加えるというのは、ロッシーニの本来の音楽とは違うと思います。この舞台はこの舞台としてきっちり成立していることは認めますが、これでロッシーニのオペラをやったというのは無理そうな感じがします。まあこの上演は「オペラ」ではなく、「オペラの・ようなもの」とというところでしょうか。

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鑑賞日:2022年8月6日入場料:自由席 3000円 

主催:かっぱ橋歌劇団

かっぱ橋歌劇団第10回公演

全3幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「ポントの王ミトリダーテ」(Mitridate, re di Ponto)K.87(74a)
台本:ヴィットーリオ・アマデオ・チーニャ=サンティ

会場 台東区立旧東京音楽学校奏楽堂

スタッフ

指 揮 高野 秀峰
ピアノ五重奏 アンサンブルΚ(カッパ)(勝部弓理子(1stvn)、加藤大貴(2ndvn)、西村葉子(va)、杉田一芳(vc)、土屋麻美(pf)
演 出 舘 亜里沙
照 明 たきざわ 勝彦
舞台監督 舘 亜里沙

出 演

ミトリダーテ、ポントの王 及川 尚志
アスパージア、ミトリダーテの婚約者 刈田 享子
シーファレ、ミトリダーテの息子 山畑 晴子
ファルナーチェ、ミトリダーテの長男 奥村 泰憲
イズメーネ、パルティア王の娘 高津 桂良
マルツィオ、ローマの護民官 川野 浩史
アルバーテ、ニンフェアの領主 中原 沙織
少年モーツァルト(黙役) 宮下 麗

感 想

上演されない理由‐かっぱ橋歌劇団第10回公演「ポントの王ミトリダーテ」を聴く。

 『ポントの王ミトリダーテ』K.87(74a) は、モーツァルト14歳の時の彼の最初のオペラ・セリアです。昔新国立劇場の小劇場で、「イタリアのモーツァルト」というタイトルで、「ポントの王ミトリダーテ」と「ルーチョ・シッラ」から何曲かずつ選んで演奏した舞台があり、それは拝見しているのですが、全曲演奏(レシタティーヴォなどでは細かいカットが入っていたようです)は私にとっては初めての経験

でした。すでにオペラとしては、アポロとヒュアキントゥス (1767)、バスティアンとバスティエンヌ (1768)、みてくれの馬鹿娘 (1768)を発表してきたモーツァルトですが、大劇場で上演される本格的なオペラとしては最初の作品で、実際初演はミラノの宮廷歌劇場、モーツァルトはミラノに滞在して歌手の意見を聞きながらこのオペラを仕上げていったそうです。確かに、全体的には極めて技巧的なアリアの連続するイタリアバロック的なスタイルのオペラセリアだな、と思いました。

 ただ、オペラとしてはかなり単調です。何せレシタティーヴォとアリアしかない。合唱もなければアンサンブル・フィナーレでもない。重唱は二重唱がひとつと幕切れの重唱しかない。レシタティーヴォで場面を説明すると技巧的なアリアを歌って次の場面に進む、という繰り返しで、更にアリアも形式的にはシェーナがあって、メリスマを多用した主部があって、技巧的な繰り返しがあって、という感じで、歌手殺しの難曲の連続であることはよく分かりますが、多様性に欠けます。更にアリアで表現している内容もほとんどが繰り返しで、「5分も歌っていて、言いたいことはそれだけかい」と突っ込みたくなるレベルです。

 アリア一曲一曲を見ればそれぞれオリジナリティが高く、どれも流石にモーツァルトというべき美しさや才気を感じさせるパッセージがあるのですが、それをひたすら聴かされると「またか」、という感じになるのは否めません。ありていに申し上げれば、所詮は若書きの作品で、後年の傑作であるダ・ポンテ三部作に及ばないのはいうまでもなく、後年のオペラセリア「イドメネオ」や「皇帝ティートの慈悲」と比較してもイマイチ感の大きい作品です。要するに無駄に難しいアリアが続く単調なオペラに過ぎず、これでは色々なパターンのオペラを知っている現代人に受けることはないでしょう。

 演奏もはっきり申し上げれば生煮えです。皆さん、楽譜にかかれている音を出すのが精一杯で技巧的なアリアに振り回されていた、というのが本当のところでしょう。暴れ馬に乗って、何とか落とされずについて行っているな、というのが聴きながら持った印象です(もちろん、振り落とされずに演奏していることは素晴らしいことです)でヴェリズモオペラなどを得意とする及川尚志にしても、ヴェルディのヒロイン役を得意とする刈田享子にしてもいつもと勝手が違っていたようで、十分自分の体の中に入っていないうちに本番が来た、というところではなかったでしょうか。

 それでもこの二人はさすがの実力です。アスパージアはアリア4曲と二重唱を1曲歌いますが、刈田は登場のアリアであるレシタティーヴォアコンパニャート付の大アリア「Al destin che la minaccia」がちょっとバタバタしたところがありましたが、さすがの力量を示し、それ以外のアリアも立派。及川尚志もしっかりとした華やかな高音が魅力的だったと思います。二人とも1オクターブ以上の跳躍があるのですが、そいうところは流石にきっちり決めてきます。スリリングではありましたが聴き応えがありました。

 シーファレを歌った山畑晴子も頑張りました。シーファレも4曲のアリアと重唱1曲が与えられた重要な役ですが、しっかり存在感を示してきました。ただ、彼女の歌は全体的に上ずっていたのかな、という印象があります。楽譜を知らないのでもちろん印象だけで言っているのですが、モーツァルトは普通そういう音の進行をしないのではないのかな、と思う部分が曲の中で何度も聴こえてきて、違和感がありました。もっとズボン役らしい下向きへの声の出し方をした方がよかったのかな、という印象です。

 奥村泰憲はカウンターテノール。本年1月に聴いた「アルバのアスカーニョ」では指揮をして素晴らしいモーツァルトを聴かせてくれた方ですが、今回は歌手としての参加。さすがにこの時期のモーツァルトに見識のある方のようで、細い裏声での高音からバリトンの声までを変幻自在に操ってファルナーチェという屈折した役どころを見事に表現してくれたと思います。裏声の力強さがもう一段あると更に素晴らしいものになったと思いますが、カウンターテノールとしてはそこまでの力量のある方ではないのかもしれません。

 高津桂良のイズメーネもいい。特に3幕のアリアが良い感じでした。

 脇役のマルツィオとアルバーテはアリアは1曲ずつですが、主役級の方と比べるとアリアの難易度は高くないようで、川野浩史も中原沙織も良い感じでまとめてくれました。今回聴いたアリアでは中原が歌われた「L'odio nel cor frenate」がバランス的には一番纏まっていた印象でした。

 弦楽アンサンブルの技量はそれなりというところ。上手くまとまっていないところが何か所かあった様子。ピアノの土屋麻美は良い感じでまとめていました。

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鑑賞日:2022年8月13日
入場料:自由席 4000円 

主催:アルモニア・ムジカ

アルモニア・ムジカ公演

歌姫達の集い「チーム天晴れ」vol.1コンサート

会場 KMアートホール

出演

ソプラノ 佐橋 美起
ソプラノ 高橋 薫子
ピアノ 村沢 裕子

プログラム

作曲 作品名/作詩 曲名 歌手
アーレン オズの魔法使い Over the rainbow 佐橋 美起/高橋 薫子
バーンスタイン ウェストサイド物語 I feel pretty 佐橋 美起
ロウ マイ・フェア・レディ I could have danced all night 高橋 薫子
クック   Over hill, over dale 佐橋 美起
チャールズ 作詞:チャールズ When I have sung 佐橋 美起
アーン 作詩:ヴィオ クロリスに 高橋 薫子
アーン 作詩:ユーゴー もしも僕の詩に翼があったなら 高橋 薫子
ドビュッシー 作詩:バンヴィル 星の夜 高橋 薫子
イエストン イン・ザ・ビギニング New words 佐橋 美起
オッフェンバック ホフマン物語 ジュリエッタとニコラウスの二重唱「美しい夜、愛の夜」 佐橋 美起/高橋 薫子
休憩
マスカーニ 作詩:マッゾーニ アヴェマリア~オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲による 高橋 薫子
バーンスタイン ミサ Simple Song 佐橋 美起
湯山 昭 作詞:やなせたかし ロマンチストの豚 佐橋 美起
荒川 庸 作詩:矢柴うたこ テレパシー 佐橋 美起
木下 牧子 歌曲集「六つ浪漫」 風をみたひと 高橋 薫子
木下 牧子 歌曲集「花のかず」 竹とんぼに 高橋 薫子
中山 晋平 作詞:吉井勇作 ゴンドラの唄 佐橋 美起/高橋 薫子
コールマン The Life My Friend 佐橋 美起/高橋 薫子
アンコール
佐原 一哉 作詞:古謝美佐子 童神 佐橋 美起/高橋 薫子

感 想

知らない世界‐歌姫達の集い「チーム天晴れ」vol.1コンサートを聴く

  高橋薫子は、随分長い間聴いています。彼女を最初に聴いたのは1993年の藤原歌劇団公演「ルチア」で、来年は聴き始めて30年になる個人的には節目の年です。この間年に1,2回は最低でも聴いているはずですから、これまで聴いた総数は100を超えていると思います。それだけに、彼女のレパートリーとする作品や曲は、最低1回は聴いているのだろうと思います。

 一方、佐橋美起はこれまであまり聴いてこなかった歌手です。もちろん昔から名前は存じ上げていますし、出演されたオペラも何回かは見ていると思いますが、高橋のような密度でフォローはしておりませんでした。佐橋の声はソプラノ・リリコ・レジェーロであり、高橋と同じようなジャンル(即ち、モーツァルトやベルカントオペラのヒロイン)を中心にレパートリーを構築してきたかと思っていたのですがあらず、彼女は英語の歌に興味の中心を追いて音楽を追求されてきたそうです。現在は東京二期会の「二期会英語の歌研究会」の代表として、ミュージカルの曲などを研究しているそうです。

 ということで、今回結成された佐橋美起、高橋薫子の「チーム天晴れ」は佐橋の趣味が割と濃く出たコンサートになりました。佐橋が歌ったのは、二重唱の「ホフマンの舟歌」以外は英語か日本語の曲です。かつその曲も、英語の曲に近しい人にとっては有名なのかもしれませんが、私はほとんど知りません。作曲家の名前ぐらいは知っておきたいところですが、知っているのはバーンスタインだけ、という体たらく。

 クックという作曲家がシェイクスピアの「夏の夜の夢」のテキストに歌を付けたのが「Over hill, over dale」らしいのですが、イギリスでは「夏の夜の夢」はとても身近な作品のようで、「Over hill, over dale」で検索すると色々な作曲家の「Over hill, over dale」がヒットするのですが、クックの曲は全然ヒットしない。でも佐橋の歌は、いたずら者の妖精パックの溌溂さを見せてくれる感じでよかったと思います。続く「When I have sung」はエルネスト・チャールズによる1934年の歌曲らしい。ちょっと古い流行歌風バラードで、しっとりと歌い上げる感じが素敵です。

 「New Words」は「イン・ザ・ビギニング」というブロードウェイミュージカルで、父親が子供に向かって、新しい単語を教えるという内容。今日教えるのは「月と星と愛」。「愛という言葉はとても難しい」と父は息子にいうのですが、このしっとり感がいい。佐橋が歌うと、母が息子に「愛」を教える感じになってちょっと違和感があるけれど、「Say love, So hard to say, my son」と歌い上げる感じは素敵でした。

 一方、前半に高橋が歌ったのはアーンとドビュッシーのフランス歌曲。高橋の得意とする曲で、どれも流石に高橋というべきもの。一方、最初に歌った「踊りあかそう」は全然悪くないけれど、歌い上げ方がオペラ歌手的になってしまって、もう少し軽く歌った方が良い雰囲気になったかもしれないとは思いました。前半最後の「ホフマンの舟唄」はもちろん素敵だけど、妖艶で退廃的な味付けはあまり濃くなくて、最上級の歌ではないというのが本当のところでしょう。

 後半の「アヴェ・マリア」は有名な曲ですが、高橋が歌うのを聴くのは多分初めて。こういう曲を歌わせると高橋の巧さが光ります。続くバーンスタインの「ミサ」より「シンプルソング」。本来はテノールかバリトンが歌うように書かれていますが、コンサートピースになってからは女声が歌うことも多いようです。佐橋の歌は全然悪くはないのですが、多分低音で歌われる方がこの曲の雰囲気は生きるのだろうと思いました。続く日本歌曲は湯山昭の「ロマンチックな豚」と荒川庸の「テレパシー」。「ロマンチックな豚」は木下牧子の作品が有名ですが、湯山独特のユーモアが光ります。荒川庸は佐橋の先生だったそうですが、私は初めて聴く名前。新・波の会に所属して日本歌曲をいくつか作曲しているようで、「テレパシー」は代表作のようです。とは言っても私は初耳でした。

 高橋が歌った日本歌曲は木下牧子の代表的歌曲。これまた彼女の立ち位置がはっきり示された素敵な演奏でした。中山晋平の「ゴンドラの唄」を経て、最後に歌われたのは、「The Life」というブロードウェイミュージカルの1曲。ほぼラストシーンで歌われるソーニャとクィーンという女友達の別れの二重唱です。私は今回初めて聴いて、ソプラノ二人のコンサートのラストを飾るに相応しいな、と思いながら聞いていたのですが、「you tube」にあるオリジナルの歌唱は切迫感のある歌になっていて、悲劇的ストーリーからすれば、オリジナルの方がやはり雰囲気は出ているようです。

 どちらにしてもよく聴く曲と初耳の曲とが交互に現れて面白かったです。英語の歌は断片的には意味が分かるのですが、ちゃんと調べてみるとまた別の意味付けがあったりして勉強になりました。

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