オペラに行って参りました-2024年(その8)
目次
ローコスト舞台との相性 | 2024年12月14日 | 第15回オペラ工房アヴァンティ公演「ヘンゼルとグレーテル」を聴く |
まだまだ知らないロッシーニ | 2024年12月21日 | かっぱ橋歌劇団第14回公演「エルミオーネ」を聴く |
響きと音漏れ | 2024年12月28日 | 横浜埠頭オペラ・コンサートin赤レンガを聴く |
オペラに行って参りました。 過去の記録へのリンク
入場料:自由席 4000円
主催:オペラ工房アヴァンティ
第15回オペラ工房アヴァンティ公演
オペラ3幕 字幕付原語(ドイツ語)上演
フンパーディンク作曲ヘンゼルとグレーテル
(Hänsel und Gretel )
台本:アーデルハイト・ヴェッテ
会場 みどりアートパークホール
スタッフ
指 揮 | : | 奥村 泰憲 |
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ピアノ | : | 河崎 恵 | |
リコーダー | : | 中川 美智子 | |
合 唱 | : | アヴァンティ合唱団 | |
演 出 | : | 角 直之 | |
照 明 | : | 青山 航大 | |
音 響 | : | 桑原 理一郎 | |
ヘアメイク | : | さとう せいこ | |
舞台監督 | : | しげ |
出 演
ヘンゼル | : | 中原 沙織 |
グレーテル | : | 石井 揚子 |
タミーノ | : | 原 優一 |
お父さん | : | 寺西 丈志 |
お母さん | : | 中川 美智子 |
魔 女 | : | 増井 園子 |
眠りの精 | : | 水野 裕子 |
露の精 | : | 峰岸 優子 |
ローコスト舞台との相性-第15回オペラ工房アヴァンティ公演「ヘンゼルとグレーテル」を聴く
個人主催のオペラは経費的にどこまでローコストにするかが鍵になります。舞台装置をどれだけ簡素にし、人的経費も最低まで切り詰め、出演料もチケットノルマと相殺か薄謝という例も少なくないのではないかしら。そうでなければ継続できないという現実があります。
そういうローコストが大前提の舞台で、演出の角直之は工夫を凝らしました。ごみで舞台を埋め尽くすというやり方です。今回の舞台では第一幕のヘンゼルとグレーテルの家にはつぶれた空きペットボトルが散らばっており、第3幕のお菓子の家は、ごみ袋の山で表現されます。第二幕では傘が効果的に使われますが、この傘も古びた透明ビニール傘です。ごみを多用することによって、ヘンゼルやグレーテルの家の貧しさを象徴的に示していますし、その先には廃プラ問題のような社会的課題まで目配せしているのでしょう。
このオペラの中で悪役はもちろん魔女ですが、角直之は魔女を社会的に阻害されたものとしてとらえます。冒頭、前奏曲が演奏されている間、ヘンゼルとグレーテル以外の出演者や合唱メンバーは早着替えしながら何度も出てきて、カメラの前でポーズをとり仲良しの家族写真を撮るのですが、魔女だけはいつもみんなから邪険に扱われ、写真に入れてもらうことができません。ここで魔女は異形なものであると同時に社会から疎外されたものであり、メルヘンの悪役ではあるけれども、本当は仲間に入れられる存在であったのではという演出家の現代的な視点が見えます。
さて演奏ですが、中原沙織ヘンゼルと石井揚子グレーテルがなかなかよくまとまっていました。第一幕は子供らしく終始飛び回って歌うことを要求され、息がいっぱいいっぱいで、声を飛ばす余裕もなかったようですが、ぎりぎりのところで持ちこたえていました。もちろん、ここで息を切らせずに歌うのがプロの矜持なのでしょうが、なかなかそこまでは至らないのが現実のようでした。一方でさほど動かずに歌える第二幕、第三幕は、息も整い、石井の美しい高音や中原の支えが聴こえました。
ペーターとゲルトルートはペーターがよかったです。寺西丈志ペーターは短パンにビーサンという意味不明の格好で登場し、脚にすね毛がないところを見せたかったかなとも思いましたが、歌自体はしっかりと低音が響いていて、父親の雰囲気も出ていたかなと思います。中川美智子ゲルトルートもヒステリックな母親を演じ切りました。
魔女の増井園子。前奏曲では疎外されている人の悲しさを表現していたと思いますが、第三幕ではもっとはっちゃけてもよかったのではないかしら。声ももう少しあったほうがおどろおどろしさが強調されたように思います。
今回字幕付きのドイツ語演奏でしたが、全体的にドイツ語の子音の立ち方が今一つ不明瞭で、あまりドイツ語っぽく聞こえなかったというのはありました。また子供の観客も多かったので日本語上演でも良かったのではないかとも思いました。でも久しぶりに子供も楽しめるメルヘンオペラを聴けて良かったです。
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入場料:自由席 3000円
主催:かっぱ橋歌劇団
かっぱ橋歌劇団第14回公演
オペラ2幕 字幕付原語(イタリア語)上演/演奏会形式/日本初演
ロッシーニ作曲エルミオーネ
(Ermione)
原作:ジャン・ラシーヌ「アンドロマック」
台本:アンドレア・レオーネ・トットラ
会場 台東区立旧東京音楽学校奏楽堂
スタッフ
指 揮 | : | 奥村 泰憲 |
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ピアノ | : | 伊藤 郁馬 | |
ヴァイオリン | : | 勝部 弓理子 | |
合 唱 | : | アンサンブルΚ(カッパ) | |
照 明 | : | たきざわ 勝彦 | |
字 幕 | : | 桑原 理一郎 |
出 演
エルミオーネ | : | 刈田 享子 |
ピッロ | : | 宗像 成弥 |
オレステ | : | 岡坂 弘毅 |
アンドローマカ | : | 齋 実希子 |
ピラーデ | : | 川野 浩史 |
フェニーチョ | : | 若尾 隆太 |
クレオーネ | : | 鈴木 晶子 |
チェフィーザ | : | 田原 ちえ |
アッタロ | : | 佐々木 睦 |
まだまだ知らないロッシーニ-かっぱ橋歌劇団第14回公演「エルミオーネ」を聴く
ロッシーニが19世紀前半最高のオペラ作曲家であるのは疑いのないところですが、ヨーロッパのロッシーニ・ルネサンス以降の活況とは裏腹に日本での上演機会は「セビリアの理髪師」など数作品を別にすれば、あまりないというのが実態です。私も3回以上聴いたことのあるロッシーニ作品は「セビリアの理髪師」、「アルジェのイタリア女」、「チェネレントラ」、「ランスへの旅」の4作品のみで、特にオペラ・セリアの上演機会が少ない感じがします。これは一つは極めて高難度の作品が多いということがあげられ、あとは原作がギリシャ神話や欧州古典劇に基づくものが多く、日本人の一般的素養としてその辺の知識が乏しく、話になかなか入り込めないというのがあるように思います。
「エルミオーネ」はまさにそのような作品で、ナポリでの初演時は時代に先行しすぎていてあまりに劇的で悲劇的な内容が観客に受け入れられず、5回上演されただけでお蔵入り。1977年の蘇演以降も欧州でも特別な機会で演奏されることはあっても、劇場の通常のレパートリーに入ることはなかったそうです。主要な出演者に高度なテクニックでロッシーニの様式感が歌えるドラマティック・ソプラノ、コントラルト、ドラマティック・テノール、テノーレ・レッジェーロの4人を揃えなければならないこの作品を上演するのはやはりハードルが高いということのようです。もちろん日本では、オペラアリアが歌われることはあっても(それも珍しい)、オペラそのものが上演されることはこれまでなく、かっぱ橋歌劇団が取り上げたのは、まさにフロンティア精神のなせる業であり、悪く言えば、ドン・キホーテ的と申し上げてもいいかもしれません。
ちなみに音楽は11曲からなる番号オペラですが、単純なアリアや重唱はほぼなく、アリアであっても誰かが途中歌ったり合唱が組み込まれたりと複雑な形をとっており、そのアンサンブルもかなり複雑です。全部が間違いなくロッシーニの音楽ですが、その音楽的ドラマティズムはヴェルディやプッチーニを先取りしている感もあり、そこも面白いところです。序曲の途中にトロイヤ人の囚人の嘆きの合唱が入るのですが、こういった形式の序曲を聴いたのも初めてでした。
結果として演奏がうまくいったとは言えないのですが、健闘していた人も多く、曲の魅力の片鱗を楽しむことができたと思います。
なんといっても素晴らしかったのは、タイトル役を熱唱した刈田享子。特に第二幕は彼女の独り舞台の感じで、アリア「勝利に向かって走れ」や、フィナーレのオレステとの二重唱「「何をしてしまったの?私はどこに?~復讐は果たされました」は、エルミオーネという悪女の葛藤を見事に歌い上げました。後でご本人に確認したところ、ほとんどオリジナルで歌ったところはなく、装飾を入れたり、音を上げたりしていたそうですが(「今回は自分の首を自分で絞めまくりでした」と言って笑っていました)、そこまでしてあの安定して劇的な歌唱を見せるところが刈田の真骨頂なのでしょう。Bravaでした。
オレステ役の岡坂弘毅も良かったです。最近大きな舞台ではあまりお目にかからないテノールですが、この方のロッシーニはやはり魅力的です。第一幕のカヴァティーナ「忌まわしい宮殿」でロッシーニ・テノールの魅力を全開にしました。軽いハイCがきれいに決まるのは気持ちがいいものです。
一方で、ピッロの宗像成弥は大不調でブレーキでした。強い高音を見せようと頑張っているのはわかるのですが、そこでエネルギーを使いすぎるせいか、前後のアプローチがほとんど失敗していました。ピッロ役は高音だけではなく、跳躍して低音も響かさなければいけない役で本来はそこのバランスが大切なはずですが、低音は高音の悪影響でほとんど出ず、バランスが悪い。アリアもピアノが同じ音をひいていると思われる場所で、三度下を歌うなど、ご本人もうまくいっていないことはよくわかっていたようですが、どうしようもなかった感じです。プリモテノールがここまで不調だと全体に悪影響を及ぼし、コンチェルタートなどもうまくいっていないところはあったと思います。
齋実希子のアンドローマカは、齋節とでもいうべき特徴のある歌いまわしで存在感を示していました。冒頭のカヴァティーナにしっかり存在感がありました。高音のアクートもしっかり決めました。
脇役陣では、なんといっても川野浩史のピラーデが見事。オレステとの二重唱で下に入ってしっかり支えなければいけない役割をしっかり果たしました。
かっぱ橋歌劇団の伴奏はピアノと弦楽四重奏のスタイルで行われることが多かったのですが、今回はピアノとヴァイオリンだけでしたが、勝部弓理子のヴァイオリンが雄弁に語り、奥村泰憲の指揮は柔らかく音楽に寄り添い、音楽の基盤はよかったように思います。
合唱メンバーもセミプロ級以上で、冒頭でうまく揃わなかったところもありましたが、しっかり存在感があって見事でした。
いろいろありましたが、ロッシーニはまだ知られていない作品がたくさんあります。その一曲を楽しめたこと、とてもうれしいです。
入場料:全自由席 4000円
主催:公益財団法人日本オペラ振興会
藤原歌劇団/日本オペラ協会団会員企画シリーズ
横浜埠頭オペラ・コンサートin赤レンガ
ガラ・コンサート&オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ}
オペラ1幕 日本語字幕付言語「イタリア語」上演
マスカーニ作曲「カヴァレリア・ルスティカーナ」」
(Cavalleria Rusticana)
原作:ジョヴァンニ・ヴェルガ
台本:ジョヴァンニ・タルジョーニ=トッツェッティ/グイード・メナッシ
会場 横浜赤レンガ倉庫1号館3階ホール
スタッフ
指揮・演出 | : | 角田 和弘* |
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ピアノ | : | 河崎 恵 | |
オルガン | : | 大園 麻衣子* | |
ヴァイオリン | : | 高瀬 真由子* | |
合 唱 | : | 横浜ノアス混声合唱団+藤原歌劇団有志 | |
合唱指導 | : | 内田 昌美 | |
照 明 | : | 多賀谷 明子 | |
司 会 | : | 川越 塔子 |
*は「カヴァレリア・ルスティカーナ」のみの出演
プログラム
作曲家 | 作品名/作詞 | 曲名 | 歌手 |
ヴェルディ | 椿姫 | 乾杯の歌 | 全員 |
オッフェンバック | ホフマン物語 | オランピアのクプレ「生垣には小鳥たちが」 | 福田 亜香音 |
ベッリーニ | 夢遊病の女 | アミーナのアリア「ああ、信じられない」 | 山口 なな |
ビゼー | カルメン | ミカエラのアリア「何を恐れることがありましょう」 | 芝野 遥香 |
本居 長世 | 野口雨情作詞/長生淳編曲 | 青い目の人形 | 斉田 正子 |
本居 長世 | 野口雨情作詞/岩河智子編曲 | 叱られて | 斉田 正子 |
プッチーニ | トゥーランドット | カラフのアリア | 平尾 啓 |
トマ | ハムレット | オフェリの狂乱の場「遊びの仲間に入れてください」 | 浅田 真理子 |
ベッリーニ | ノルマ | ノルマのアリア「清らかな女神」 | 泉 萌子 |
休憩 | |||
マスカーニ | カヴァレリア・ルスティカーナ | 全曲 | 別項 |
アンコール | |||
ヨハン・シュトラウス二世 | こうもり | 葡萄酒の流れる中に | 全員 |
出 演
サントゥッツァ | : | 高橋 未来子 |
トゥリッドゥ | : | 勝又 康介 |
アルフィオ | : | 飯塚 学 |
ローラ | : | 水上 恵理 |
ルチア | : | 安藤 千尋 |
響きと音漏れ-「横浜埠頭オペラ・コンサートin赤レンガ」を聴く
今年最後の音楽鑑賞は横浜でした。横浜といえば、神奈川県民ホールや長津田のみどりアートパークホールであれば時々伺いますが、「赤レンガ倉庫」というのがよくわからない。チラシに地図も載っていないので、調べてみると、港の突端なのですね。そういわれてみれば、みなとみらいの再開発の時にそんなところの倉庫も観光施設にするみたいな話があったような気もしますが、そもそもその手の話には興味がないので、全然スルーしていました。駅からはそれなりに離れています。最寄り駅は馬車道らしいけど、駅から10分強かかった気がします。で、会場ですが、本当に昔の倉庫をそのまま利用。煉瓦造りの倉庫の3階がホールでした。
響きはいいです。レンガ造りのホールは石造りの教会で聴くのとおんなじでしっかり響いてくれ、いい感じでハモると倍音がきれいに飛んできます。合唱団は鍛えられたメンバー+藤原歌劇団有志ということもあって、とてもいい。「カヴァレリア」の聴かせどころの一つの「アヴェ・マリア」はすこぶる美しく響きました。しかし、一方で音漏れも半端ではありません。開演時間が17時と比較的早かったせいか、外の音がうねりとなって侵入してきます。開演から30分ぐらいは、おじいさんのいびきのような音ときしんだ床を歩くような音が通奏低音のように入り込んで、非常に邪魔でした。そういう音を聴くと、クラシックの音楽を聴くには、あまり好ましくないなあ、と思いました。
さて、会場の特徴は置いておいて、前半のガラ・コンサート。皆さん意欲的で、全体的には楽しめるものでした。
第1曲、オランピアのアリア。レジェーロ・ソプラノの福田亜香音が、軽い高音を響かせました。普通聴かない装飾をやって見せるなど意欲的な表現でしたが、一部音のコントロールが甘かったのと軽く歌っているせいか、声の飛びが弱く、もう少し響きがあってもいいのかな、という感じです。
第2曲の「夢遊病の女」の終幕の大アリア。歌った山口ななはしっかり頑張っていたとは思いますが、10月にムスキオの真に素晴らしいアミーナを聴いた耳には、いろいろなところで不足感があり、満足するには至りませんでした。
第3曲、芝野遥香のミカエラ。良かったです。声の響きも表現も前の二人とはちょっとレベルが違う感じ。気持ちも雰囲気も良く出ていて、素晴らしいと思いました。
ゲスト格の斉田正子。斉田ももう60代後半で、さすがに声に衰えが見え始めています。童謡の編曲版2曲で、よく詩を読み込んだ雰囲気のある歌なのですが、ご本人も自分が本当にやりたいことをできなくなり始めているもどかしさを感じながら歌っているようにも見えました。
平尾啓。ご存じテノールの課題曲を歌唱。司会の川越塔子が「遅れてきたスーパー・テノール」と紹介していましたがまさにその通り。今回も素晴らしい声量と重めの響きで、「誰も寝てはならぬ」と歌いあげました。感想で入った女声合唱もよかったです。
浅田真理子のオフェリの狂乱の場。正直物足りない。まず歌い始めたときに顔に狂っている感があまりないのです。丁寧に歌っていて悪くはないけど、もっと狂ってくれないと、感情移入しにくいのです。久しぶりに聴いたのですが、以前聴いた時のソプラノさんは、コンサートでしたけど、舞台に現れた途端に「この人狂っている」という感じになって本当に素敵だったのですが、今回は冷静さしっかり見えてしまって、この曲の本領を見せ切れていない感じがしました。
泉萌子の「清らかな女神」。ちょっとドスが入りすぎた感はありましたが、全体としてはしっかりした歌で満足しました。カバレッタまで聞くと、カヴァティーナの歌との対比がいい感じで、全体を計算して、あのように歌うことを設計したのかもしれないと思いました。
後半の「カヴァレリア・ルスティカーナ」は主役サントゥツァを歌った高橋未来子が素晴らしい。全体的に暗い雰囲気を醸し出させながらも情熱的でスピントな声でサントゥツァの嫉妬心を歌い上げる。有名な「ママも知る通り」はもちろんのこと、祈りの音楽のソロも見事。重唱における劇的なやり取りも暗めな雰囲気で一貫していて、役を見事に演じ切った感じがします。
対するトゥリッドゥの勝又康介。声が裸になってしまうときに、表現が幼くなってしまうのが残念でした。冒頭のシシリアーノはもっと伸びやかに歌ったほうがいいと思うのですが、見えない天井があるような歌い方になっていましたし、その後は悪くはないのですが、ところどころヴェリズモらしからぬ幼さが見える。とはいえ、後半はいい感じにまとまってきて、最後の乾杯の歌から幕切れまでは歌もよかったし、いい感じで演じていたと思います。
飯塚学のアルフィオ。歌にアルフィオのワイルドな感じがしっかり現れていて楽しめました。
水上恵理のローラ。歌うところのあまりない役ですが、数少ない歌唱部分でのぶりっこな感じがよかったと思います。
安藤千尋のマンマルチア。よかったです。相槌しか打たないような役ですが、それぞれ一つ一つが丁寧に処理されていて、実力を感じさせる表現でした。見事だったと思います。
合唱は上述のように非常に素晴らしい。
角田和弘の指揮はテンポを刻んでいるだけのように見えましたが、それがかえって歌手たちの自主性を引き立てていたかもしれません。河崎恵のピアノはよかったですが、「カヴァレリア・ルスティカーナ」ではヴァイオリンとオルガンが入ることで、ロマンティックな雰囲気が増しました。「カヴァレリア・ルスティカーナ」は内容は愚にもつかない悲劇ですが、音楽は本当に美しいので、ヴァイオリンとオルガンの参加はとてもよかったと思います。
今年最後をこのような愚にもつかない悲劇で終わるのは残念な感じですが、アンコールで「こうもり」のシャンパンソングが歌われました。悲劇もシャンパンの泡で流して、来年がよい年になることを祈りたいと思います。