庄野潤三掲示板 その10

まだ読める記事もありますが。

星に願いを
ゆう(1100) 投稿日 : 2004年12月6日<月>19時03分/愛知県/女性/30代前半
 
講談社のページをみましたら、やはり「群像」で新連載がはじまるようです!
タイトルは「星に願いを」。

確か奥様と夏子さんが好きな曲ではなかったでしょうか?とにかく楽しみです(^_^.)

記事はこちらです→http://shop.kodansha.jp/bc/books/bungei/gunzo/

どくたーT@管理人(1104) 題名:うろ覚えなのですが 投稿日 : 2004年12月24日<金>00時24分/東京都/男性/おじさん
 
ゆう様、レスが大変遅くなり申しわけありません。
ディズニーの名曲の中でも、「星に願いを」は、ウォルト・ディズニーが特に好きだった曲だ、ということを何かで読んだことがあります。庄野さんもいろいろなディズニーの音楽をご存知なのでしょうが、特に心を惹かれるのが、この作品ということかもしれません。
奥様が木谷先生から頂いたのと同じ楽譜かどうかはわかりませんが、ディズニー音楽のピアノ用楽譜が、私の家にも転がっているのに本日気づきました。もちろん「星に願いを」収載です。

ゆう(1103) 題名:楽譜 投稿日 : 2004年12月8日<水>11時41分/愛知県/女性/30代前半
 
何か覚えがあったので「ピアノの音」を読み返してみましたら、やはり奥様がピアノの木谷先生からもらった今月の歌に「星に願いを」がありました。そしてその楽譜をコピーしボール紙で表紙をつけて夏子さんに送ってあげるのです(^_^.)
文庫本では213ページです。

石神井時代にみた映画、今月の歌、そしてふーちゃんの演奏と庄野作品の中では何度も登場する曲だったのですね。そしてとうとう今回はタイトルにまでなったのですね。

粋狂(1102) 題名:ルイ・アームストロング 投稿日 : 2004年12月8日<水>00時10分/東京都/男性/50代前半
 
★「星に願いを」とは、この連作シリーズのタイトルとしては意外感があって、とても素敵でいいですね。意表をつくタイトルという意味では、『山田さんの鈴虫』と双璧ですかね。

★「星に願いを」といえば、私は何と云ってもルイ・アームストロングのあのしわがれた声でゆったりと唄うバージョンが好きですネ(「サッチモ・シングス・ディズニー」というアルバムに収録されています)。

どくたーT@管理人(1101) 題名:3月10日 投稿日 : 2004年12月7日<火>21時45分/東京都/男性/おじさん
 
早速、群像を読みました。
「星に願いを」のタイトルは、フーちゃんが高校のブラスバンドの演奏会で(登戸駅近くの市民会館でやったそうですが)演奏した曲目の一つ。これが歌われる「ピノキオ」は、石神井時代に家族で映画を見たそうです。

この作品のスタートは三月十日。「けい子ちゃんのゆかた」の最終回に描かれたのが三月十一日ですから、完全にクロスして、庄野潤三晩年物語は連綿と続いております。


最終回
どくたーT@管理人(1097) 投稿日 : 2004年11月29日<月>22時10分/東京都/男性/おじさん
 
本日、家に帰りましたら「波」12月号が届いておりました。
「けい子ちゃんのゆかた」予想通り最終回。しかし、最終回であっても、いつもの庄野調は変わりません。
 ただ、今回の最終回で3つのことに気がつきました。
 一番はじめは,庄野さんのハーモニカの吹きはじめ。庄野さんが寝る前にハーモニカを吹く習慣を御持ちなのは、皆さんよくご存じだと思いますが,その最初は,中学時代に漢文の井内「おとっちゃん」先生に誘われて、ハーモニカ・バンドに入ったことだそうです。4年生のこと。
 この年の秋。大阪の中学生のコンクールに出場して、指揮者をやり、入賞して、大阪放送局JOBKよりラジオ放送されたそうです。

庄野さんは、同じエピソードを何度も書かれますが,このエピソードは初めてではないでしょうか。一寸嬉しいです。

他の二つは又後日。

12月はじめには、「群像」で新作にお目にかかれるであろうことを期待しております。

どくたーT@管理人(1099) 題名:7日発売 投稿日 : 2004年12月5日<日>21時24分/東京都/男性/おじさん
 
酔狂様
レスが遅くなりました。お詫び致します。
ハーモニカ・バンドの件、そうでしたかしら。覚えておりません。困ったことです。

ところで,群像来年1月号ですが、まだ目次が発表になっておりません。明後日、書店で見るのが最初になりそうです。

粋狂(1098) 題名:もう1年ですね! 投稿日 : 2004年11月30日<火>21時31分/東京都/男性/50代前半
 
★ ハーモニカ・バンドに誘われて、コンクール出場でラジオ放送された話は、随筆かなにかにあって読んだ記憶はありますね。指揮者も急遽担当されたのではなかったかな。

★「けい子ちゃんのゆかた」も最終回。この12月号のカットの原稿を11月15日に渡されたことが、河田ヒロさんの同日付けの日記(ジャーナル)に出ていて、それで12月号に間に合うのだぁー、とチョット驚きでしたね。
http://plaza.across.or.jp/~t-kawada/index.html


私の好きな庄野ファミリー傑作エピソード(その5)
粋狂(1092) 投稿日 : 2004年11月12日<金>23時45分/東京都/男性/50代前半
 
(5)その他(順不同)

★ 夏子さんのお子さんの乳歯がとれたときに、庄野さんが「乳歯1本くれ」とおっしゃるところ。

★ 和也氏の中学の陸上部時代からの友人の大沢武君は、前期の作品時代から本名で登場するが、愛称が「テケシ」だからか。龍也氏と和也氏の二人が自転車で大沢君の家のそばを通るときに、龍也氏が大声で「テーケーシー」と叫ぶと、和也氏が「やめてよー」という話(「明夫と良二」時代)も好きです。

★ 南足柄に住んでいる夏子さんがいっぺんに三匹の子犬を拾われて大騒動だった話も好きです。ご近所のお友達が 久布白(くぶしろ)さんという珍しいお名前の方で、その方からの手紙に「なつ子さんの拾った三匹の子犬でお山は大騒動でした」とあって、驚いた庄野さんの奥様が夏子さんに「聞いたぞ聞いたぞ」と電話されたら、夏子さんが「クブちゃんのばか」とつぶやかれるところは可笑しい。たしか日経棒(日経新聞をまるめた棒)でしつけされて、無事貰い手が見つかるんですよね。

★ 夏子さんの手紙は、庄野作品に不可欠な要素です。庄野さんのお誕生日の定番「生田の山の親分さんとお上さん江  金時のお夏より」とか「うしのお母さんへ  いのしし娘より」というのはやはり秀逸。そして、いつも奥様が声を出して読み上げられるのを庄野さんはお聴きになってるんですよね。そういう情景がものすごくうまく描かれているというのが、やはり夏子さんが40歳になられたときのお手紙です。一瞬の沈黙の後のお二人の「ハハハッ」という笑いが目に浮かびます。
「さて、私こと稲村夏子は(と姓名を名乗り)昨日をもってヨ、ヨ、ヨンジュウになりました!報告終わり」いつものように葉書を声に出して呼んでいた妻も、聞いている私も、一瞬黙ってしまい、それから笑った。」

★ 菖蒲湯のとき、脳内出血を体験された庄野さんが再発予防に菖蒲を頭に巻かれる話も、そのお姿を想像すると楽しい。冬至の日の柚子湯の柚子で頭をこすられるのも同様。

★ 庄野さんはお庭の手入れはほとんど自らはされず、奥様、夏子さん、龍也さんにすべてお任せですよね。それで、奥様を「園芸主任」、夏子さんを「園芸顧問」、龍也さんを「園芸第二顧問」と称される。お庭仕事をされた奥様に、以前は大阪弁で「ご苦労はん」とねぎらっておられたが、最近は「ご苦労さん」ですね。

★おいしいものを頂いた時に奥様に掛けさせる御礼の電話も楽しい。「夕食に鹿児島のさつまあげを1枚頂いた。おいしい。すぐに妻が古田さんにお礼の電話をかける。おいしくて悲鳴を上げていますといってくれといったら、妻が電話口でその通り伝えた。」(『ピアノの音』)/「夕食にカニを頂きながら酒を飲む。妻が山田さんにお礼の電話をかける。「庄野はカニでお酒を飲み、泣いて居ります」と申し上げる。そういってくれと私が頼んだ。」(『メジロの来る庭』)

★ミミリーを預かったときにおいしい小松菜を食べさせる話題も楽しい。
「岩手出身の働き者のまもる君の奥さん(レジを受け持っている)に、ミミリーの話をした。ミミリーは小松菜が大好きなので、小松菜を買って来ると、青い葉っぱのところをうさぎに食べさせ、こちらは白いところを食べているのよ、といったら、まもる君の奥さんは驚き、「店長、店長」と大声を出してまもる君を呼び、いま聞いたうさぎの話を旦那さんに聞かせた。そうして、二人一しょになって笑っていた」。
まもる君の奥さんがご主人を「店長、店長」と呼ぶのがまた可笑しいですよね。

★ 最近は、「おじいちゃんの食後」という健啖ぶりが、酒豪の庄野さんには可愛らしく、いいですねぇ。

どくたーT@管理人(1096) 題名:コーヒー・ゼリー/松茸 投稿日 : 2004年11月16日<火>23時30分/東京都/男性/おじさん
 
ゆう様
書き込みありがとうございました。

庄野さんの奥様はとてもお料理が上手なのだそうですが、殊にコーヒーゼリーが絶品だという話を、そのコーヒーゼリーを召しあがったことのある編集者の方から聞いたことがあります。

私は、コーヒーもコーヒーゼリーも好きでよく食べるのですが、絶品のコーヒーゼリーというのにとても興味があります。私自身は、実験で余ったゼラチンを溶かしてインスタントコーヒーを加えてコーヒーゼリーを作ったことがありますが、使ったゼラチンに問題があったせいか、あまり美味しく出来なかった思い出があります。

松茸の土瓶蒸し。私は何年も食べていないような気がします。国産の松茸は、最近ほとんど手に入りませんので、香りのよい松茸を食べる機会は無さそうです。

ゆう(1095) 題名:私も・・・ 投稿日 : 2004年11月15日<月>16時12分/愛知県/女性/30代前半
 
こんにちは!いつも楽しく拝見しております!

粋狂様の投稿、興味深かったです。「そうそう!」と思わず頷きながら読んでいます。ところで私も管理人様と一緒で(?)くいしんぼうなので美味しいものにすごくひかれます。どの本だったか忘れましたが「コーヒーゼリー」がさかんに登場する時がありました。もう、美味しそうで美味しそうで・・・とうとう自分で作ってしまいましたが自己流でしたので描写ほどは美味しくならずがっかりでした。
あと、「松茸のどびんむし」もいつも食べたくなりますねえ。

それと、これは食べ物ではありませんが、「ハーディー・エイミス日和」のエピソードが大好きです!庄野さんがいつも奥様に「そろそろ新しい服を買えば?」と言ってくださるのがすごく羨ましいです。主婦ってなかなか自分では欲しいって言えないものですし・・・。そして奥様が買ってもらったあと「ありがとうございました」って最敬礼するのがたまらなく幸せそうで。私もこんな夫婦になりたい!憧れです。

どくたーT@管理人(1094) 題名:美味礼賛 投稿日 : 2004年11月14日<日>23時17分/東京都/男性/おじさん
 
私の根が食いしん坊のせいか、庄野さんのエピソードで、美味しいものの話に惹かれます。

ですから、酔狂様が書かれたエピソードの中では、私も
★おいしいものを頂いた時に奥様に掛けさせる御礼の電話も楽しい。「夕食に鹿児島のさつまあげを1枚頂いた。おいしい。すぐに妻が古田さんにお礼の電話をかける。おいしくて悲鳴を上げていますといってくれといったら、妻が電話口でその通り伝えた。」(『ピアノの音』)/「夕食にカニを頂きながら酒を飲む。妻が山田さんにお礼の電話をかける。「庄野はカニでお酒を飲み、泣いて居ります」と申し上げる。そういってくれと私が頼んだ。」(『メジロの来る庭』)
は好きですね。庄野作品の登場人物はみな美味しそうに食べます。そこがいい。特別なごちそうが出てくるわけではないのですが、庄野さんが書くとどれも美味しそうに見えるから不思議です。私が一番食べて見たいのは、「ざんねん」ですね。明夫と良二の兄弟が学生時代に食べていた雑炊。「ざんねん」と言いたくなるぐらいの美味さ、ってどういうものなのでしょう?


私の好きな庄野ファミリー傑作エピソード(その4)
粋狂(1091) 投稿日 : 2004年11月12日<金>23時41分/東京都/50代前半
 
(4) 生田に引っ越された直後のエピソード

★生田に越されて井伏さんや小沼さんたちを「家開き」に招かれたときの話も楽しい。まだ自然がいっぱいの頃で、井伏さんがタラの芽を採ったり自然薯を見つけられたり、まだ麦畑もあって、「ここからが庄野君の領地だね」とおっしゃるところなど楽しい。芝生屋さんの地所だったところにお家を建てられたので、柿生からいらっしゃた河上徹太郎さんがまだ樹木のない庭をご覧になって「何だ。禿山の一夜じゃないか」とおっしゃったのも、この「家開き」のときだったのではなかったか。

★ ピアノの調律師の大庭さんが仕事を終わってお茶を一服しながら、暗くなってきた庭の方を見て、「この辺は、狸なんかがいらっっしゃいますか」といったのも、越して間もない頃なのでしょう。庄野さんは「狸に敬語を用いたのでおかしかった」と書いておられるけど、たしかに可笑しい。たしか河合楽器の調律師さんだったと思いますが、この大庭さんは、ご自身が庄野作品に出てくることをご存知なのか、気になりますねぇ。

★ 柿生の河上徹太郎さんとの交流は、それだけでひとつの作品となっていて、楽しい話題満載で、好きなエピソードも多いのですが、初めて庄野さんご夫妻が河上さんのお宅に年始に行かれたときに、お子さんをお呼びなさいということになって、奥様が自宅の夏子さんに電話して、弟たちの着替えなどを指示されて、ちゃんとして来てくれるのか案じられる話も好きです。庄野さんが確か柿生駅まで迎えに行かれて連れて来られるのだが、ちゃんと指示通りに夏子さんが弟たちの服装を整えて来たのでホッとされるんですよね。こういう話でも、夏子さんのシッカリ姉さん振りが描かれていて、いいですね。

どくたーT@管理人(1093) 題名:生田 投稿日 : 2004年11月14日<日>22時55分/東京都/男性/おじさん
 
庄野さんが、石神井から生田に引越したことが、庄野文学に大きな影響を与えた、と私は思っています。「石神井を離れたい」という気持については、幾つか文章がありますが、その行き先が「生田」である必然性は無かったのではないかと思います。

生田の土地は、文芸春秋社に出入りの不動産屋さんに紹介されたようですが、そのとき、庄野さんが、土地の条件としてどのようなものを挙げたかについては、どこにも記録が無かったように思います。

勿論、「静かであること」と予算と広さについては注文を出されたと思いますが、地域や都心までの距離などはあまり細かく言わなかったのではないかという気がします。

しかしながら、選んだのは生田でした。他にどのような候補があったか分りませんが、見に行って一目で気に入ったそうですから、庄野家の趣味とよく合うところだったことは間違いないと思います。

石神井時代の作風と生田に移り住んでからの作風は相当かわります。「夕べの雲」をはじめとする生田を舞台にした作品は、自然の恵みを身体に感じながら、庄野さんの家長的体質がよく現われて、とても良いと思います。

「夕べの雲」に出てくるエピソードでは、生田の自然を描写したものに、気に入っているものが多いです。何年か後には無くなってしまう、駅までの道に色々と名前をつけて、そこで発見する植物や小動物との関わりは、なんて素敵だろうと思います。


そうでしたか!
るーしー(1088) 投稿日 : 2004年11月6日<土>20時05分/三重県/女性/おばさん
 
それは 残念でした。この前やっとアエラを町の図書館で読むことが
出来ました。「最近になってファンになった人も少なくない」とあって
私と同じような方がいらっしゃると嬉しくなりました。プールサイド小景を
読みましたが心が穏やかになる今の作品が個人的にとても好きです。
いつまでもお元気で書きつづけて頂きたいと思います。

るーしー(1090) 投稿日 : 2004年11月7日<日>19時49分/三重県/女性/おばさん
 
分かりますと書くには余りに読書量が少ないのです。
でも、庄野先生の作品を読むたびに、日々の暮らしを
丁寧にしなければと衿をただす気分になります。
品がよくて こういう作品を認めていただきたいです。

もちろん、井上ひさし 平岩弓枝両氏も面白いです。

どくたーT@管理人(1089) 題名:そうなんですよ 投稿日 : 2004年11月7日<日>12時27分/東京都/男性/おじさん
 
ふかお様と毎年残念がっておりますが、るーしー様も分かっていただけるでしょうか。
庄野先生は、現役作家では安岡章太郎、阿川弘之と並んでの最長老な訳ですし、色々な意味で日本文学の推進役を勤めた方だと思っているのですが、どうも世間はそうは思っていない様で、なかなか受章にはいたりません。

「プールサイド小景」お読みになられたのですね。「プールサイド小景」に描かれた方は庄野さんではなく、別のモデルがおられるそうですが、あのような味わいが初期の庄野文学の特徴です。良くも悪しくも緊張感があって、文学的には評価されたものですが、私の好みも、庄野さんの家長的雰囲気が出る中期の作品や心が穏やかになる最近の作品ですね。


残念
どくたーT@管理人(1085) 投稿日 : 2004年10月30日<土>10時53分/東京都/男性/おじさん
 
本年の文化功労者・文化勲章受章者が発表になりましたが,本年の文学分野は、井上ひさしさんと平岩弓枝さんでした。井上さんは、小説と戯曲で、平岩さんは,テレビドラマの原作と小説で、ともに現代日本の重要な作家ですが、どちらもどちらかと言えばエンターティメント分野の方。純文学の地位低下が、ここからも見ることができます。

庄野さんも受章して当然だと思い、私がこのサイトを初めて以来、毎年、今年こそは、と思って見ているのですが,今年も残念ながらでした。また、来年に期待しようと思います。私の願いは,作家として現役のうちに(これは、たまに随筆を発表するというレベルではなく、現在のように連載を持っている、ということですが)受章されることです。

ふかお(1087) 題名:文化功労者 投稿日 : 2004年10月31日<日>16時22分/京都府/男性/おじさん
 
まったく同感でした。
どくたーT様と毎年秋にこういう会話をして、3年目になりますかね。
受賞・受勲だけが価値あるとは思わないものの、井上ひさしさんも平岩弓枝さんも芸術院会員ではありませんから、庄野さんがずっと至近距離だと思うのですが。
来年こそぜひと願います。


私の好きな庄野ファミリー傑作エピソード(その3)
粋狂(1083) 投稿日 : 2004年10月23日<土>00時48分
 
(3)フーちゃんを初めて預かられた話

★ フーちゃんを夏子さんが初めて預かられたときのお話も好きですね。

★ たしか、和也さんとミサヲさんご夫妻が映画かなにかを見に行かれるため初めてフーちゃんを置いて出掛けられることがあって、夏子さんがフーちゃんを昼間一日預かられたんですよね。以下は、私がメモしておいた「子守りの一日」(『誕生日のラムケーキ』所収)の一節です。

「 山の雑木林のなかの長女の家に着いた。そこまではよかった。ミサヲちゃんのまぜずしを食卓に並べて、正雄とフーちゃんに二人に「御飯よ!」と呼ばせた。日曜日はいつも薪作りに精を出す長女の主人が汗をふきふき庭から、高校三年生の長男は去年、庭に建てた丸太小屋から、高校一年、中学二年の次男と三男は子供部屋から、男ばかりがどやどやと茶の間に入って来た。
とたんにフーちゃんは、
「帰る。おかあさーん」といって大声で泣き出した。・・・・ 」

★ フーちゃんにとったら、大きな男どもが急に4人も現れたら、そりゃ驚きますよね。夏子さんは、あわてて正雄君とフーちゃんを車に乗せて、近くの児童公園のようなところへ連れて行き、遊ばせて落ち着かせてから、たしか家に「これから帰るから、みんな散らばってね」と電話して家に戻り、お昼寝をさせるんじゃなかったかな。おとなしくて人見知りをするタイプのフーちゃんらしい話だなと思いました(でも、今連載の『けい子ちゃんのゆかた』で、吹奏楽部で活躍するフーちゃんのニックネームが「サザエさん」だと書かれていたのにはビックリですよね)。

★ 夏子さんは男の子ばかりを4人育てられたので、フーちゃんの子守りは格別楽しかったんでしょうね(今は、女の子のお孫さんに夢中かな)。

どくたーT@管理人(1084) 題名:フーちゃん 投稿日 : 2004年10月26日<火>00時41分/東京都/男性/おじさん
 
私は,フーちゃんこそが、庄野さんにとって最大のアイドルだったのだろうな、と思います。
庄野作品で、フーちゃんのことが本格的に取上げられた最初の作品が「エイヴォン記」です。この作品は、庄野さんが「フーちゃんが訪れる日常」と「自分が読んだ外国文学の隠れた名品の紹介」という組み合わせでかかれた連作ですが、最初の方は,「フーちゃんが訪れる日常」は単なる導入で,主眼は「自分が読んだ外国文学の隠れた名品の紹介」であることが明確ですが、連載が進むにつれて、「フーちゃんが訪れる日常」がどんどん重くなって行くのが特徴です。コンセプトがずれて行ったため、作品としての完成度は今一つですが,フーちゃんが、「目の中にいれても痛くない」ほど可愛い孫であったことはよく分ります。
そのフーちゃんも高校生になり,庄野さんとの関係は昔ほど緊密ではなくなったようですが,
でも、庄野作品の読者にとって、最も重要な登場人物であることにはかわりありません。


 

私の好きな庄野ファミリー傑作エピソード(その2)
粋狂(1081) 投稿日 : 2004年10月16日<土>23時58分
 
(2)『鍛冶屋の馬』時代の夏子さん一家

★ 夏子さんが結婚されて、近くの「黍坂」(たぶん「餅井坂」のこと)に住まわれて南足柄に引っ越されるまでの頃のことは、『野鴨』『おもちゃ屋』『鍛冶屋の馬』などに描かれているが、私が特に好きなのは『鍛冶屋の馬』・・かな。和雄君と良雄君とがいて、やがて明雄君が生まれる頃のことだと思います。庄野さん宅の「山の上」によく子供を連れて遊びに来られる様子を書いたところなどは、目に浮かぶようで微笑ましい。きっと、お子さん二人と手をつないで「山の上」に行かれたのだと思いますが、庄野さん宅が近くなると、子ども達がお母さん(夏子さん)の手を離れて走り出すのではないでしょうか。多分、和雄君(正夫)が真っ先に飛び込んできて、次に良雄君(竹夫)が、そして夏子さん(和子)が到着するのでしょう。そこで、庄野さんは、和雄君を「斥候」に、良雄君を「後続部隊」に、夏子さんを「本隊」に喩えられて、次のように書かれたところが可笑しい。

「・・・いつも真先に駆け込んで来る「斥候」もいないし、遅れて到着する「後続部隊」もいなくて、「本隊」だけが現れた・・・」(136ページ)

「・・・これまでは正夫がいちばん早く、次に和子、少し遅れて竹夫の順であったが、近頃は順序が入れ替った。斥候が二人揃ってやって来たあと、本隊は間を置いて到着する。おなかが大きいので、ひとりでにそうなる。・・・」(246ページ)

★ 今と違って電話を引くのに手間が掛かった時代で、夏子さんのところに初めて電話を引かれたときの話も好きですね。

「・・・「こちら黍坂電話交換台です」という和子の「第一声」が届けられたのは、三月半ば過ぎの晩であった・・・」(110ページ)

★ この頃のことで、「お多福かぜ」という傑作な随筆(『御代の稲妻』所収)も、ユーモアたっぷりで大好きです。

「 長女のところの二番目の男の子が、お多福かぜにかかっている。
別に心配はしない。直るまでに日にちのかかるものだそうだから、おとなしくしているよりほかない。
ただ、ふだんからおにぎりみたいな顔をしている子だから、
「あれがふくらんだら、どうなるのだ」
という心配はある。
小さい時分から(といってもいま数えの五歳だが)、ひと口で食べるのはどうしたって無理だというものを、構わず、ゆっくりと口へ押し込む。また、それがたいがい、入ってしまう。
行きも戻りもできなくなって、立ち往生しているが、不思議なもので、そのうちに何となくおさまる。
多分、あんな具合にふくらんでいるのではないだろうか。」

(と、庄野さんご夫妻で見舞いがてら様子をみに行かれるが、夏子さんが出掛けて
いて兄弟二人で留守番中。そこに明雄君を連れた夏子さんが帰ってくる)

「そこへ玄関の戸があいて、あらあといったのは母親。そのうしろから、もうすぐふくらんでやるぞといった顔の、下の男の子が上って来た。」

★「あれがふくらんだら、どうなるのだ」というのは、失礼ながら、大笑いしました。

どくたーT@管理人(1082) 題名:我が家の息子 投稿日 : 2004年10月20日<水>23時35分/東京都/男性/おじさん
 
子供は,ほっぺたが膨らんでいる方が絶対可愛いと思います。
私の息子は、生れて最初に付けられたあだ名が「ボンレス」
命名した者の話では,足がまるまると太って「ボンレスハム」みたいだからとのこと。
この子は、お多福風邪にはかかったことがないのですが、小さい頃は万年お多福風邪状態で,髭が生えはじめた最近でも、まだほっぺがふっくらしています(別に太っているわけではありません)
庄野さんもお孫さんのほっぺを見て、可愛さのあまり、こんなことを書いたのでしょうね。


私の好きな庄野ファミリー傑作エピソード(その1)
粋狂(1079) 投稿日 : 2004年10月13日<水>23時43分
 
(1)「フニャラー事件」

★庄野さんの長年にわたる「家族もの」には、いろいろな事件やエピソードがあって、皆さんも、ほのぼのとしたり、ニヤリとしたり、ウフフ・アハハと笑ったりして、楽しまれ、それぞれ「私は、これが一番好き!」というものがあるかと思います。そういうようなものを1つずつ取り上げてみようかと思います。きっと、皆さんも「そうそうそう!」というものがあると期待して・・・・。

★今の「晩年シリーズ」よりも以前の話なので、随筆でしか書かれていないのかもしれませんが、なんといっても私の好きなエピソードのトップは、「フニャラー事件」ですね。これは、夏子さんのところの四男・正雄君が暮に生まれたばかりのときの恒例の家族新年会での事件です。庄野さんご夫妻は、まだ生まれて間もないので正雄君を連れて来れるのかどうか案じておられたが、6人揃って車で来て、龍也さん一家、和也さん一家も揃って、賑やかに百人一首や福引きに興じられ、さて散会というときに、隣の部屋でおとなしく寝ていた正雄君をあやうく置き忘れて夏子さんたちが帰ろうとされた、というエピソードです。ちなみに「フニャラー」というのは、その、か弱い泣き声から付けられた正雄君の愛称です。以下、随筆集『散歩道から』所収の「誕生日の贈り物」から、引用してみます。

「・・・ みんなが百人一首のカルタとりをして騒いでいる間、フニャラーはおとなしく眠っていた。
さて、散会のときが来た。長女の一家はこれから南足柄まで車で帰るわけである。
「ご馳走さまでした。おやすみなさーい」
といって、いちばん最後に長女が玄関の戸をあけて出て行った。
見送りに出た私と妻が部屋へ戻ろうとしたとき、長女が戻って来た。
「フニャラー、忘れた」
どうして戻って来たのかと思ったら、となりの部屋に寝かせたままの末っ子のフニャラーを、そのままにして帰りかけたのであった。多分、門へおりる石段を半分くらい下りたところで、長女は気が付いて引返したのではないだろうか。危いところであった。・・・」

★少し歳が離れて生まれたおとなしい赤ちゃんだったので、誰も気付かなかったのでしょうね。それにしても庄野さんご夫妻も含めて誰も気付かなかったというところが可笑しいですし、夏子さんの「フニャラー、忘れた」という一言も、すっごく笑えます。この正雄君については、夏子さんがみごもっておられた前年夏にアメリカ娘のホームステイをされたことや、脳内出血で倒れられた庄野さんのお見舞いに夏子さんが正雄君を背負って毎日通われた(この年の11〜12月のはず)という事柄も含め、私は、夏子さんのところの4兄弟の中でも、一番印象が深いですね(お兄ちゃんたちのことは、『鍛冶屋の馬』あたりのことを、次回取り上げましょう)。

どくたーT@管理人(1080) 題名:パッっと思いつくのは!! 投稿日 : 2004年10月14日<木>23時12分/東京都/男性/おじさん
 
酔狂様、いいお題を出してくださいました。

わたしがそういうエピソードですぐ思い出すのは、「明夫と良二」における、分詞構文のエピソードですね。弟から分詞構文について問われた兄が,自分でも混乱してしまい、「早くお茶にしようよ」と逃げる場面、あれが面白いです。


生田に住めてよかった!
ベロママ(1074) 投稿日 : 2004年9月30日<木>21時27分/神奈川県/女性/30代前半
 
1年ほど前、読書サークルで「明夫と良二」を読みました。当時、私は山口県に在住していたのですが、この4月から、生田地域に引越してきました。来週また県外へ転居します。庄野さんの作品は、平凡に見える日常の風景の中に、たくさんの宝物が埋まっていることを
気づかせてくれるヒントがたくさんちりばめられています。自分の住んだ町が作品に
取り上げられていて、ますます親近感を覚えてしまいました。作品リストを参考にして
他の作品もどんどん読んでみたいと思います。

しも(1078) 題名:間違い 投稿日 : 2004年10月5日<火>23時34分/大阪府/男性/30代前半
 
生野ではなく、生田でした。
生野だと大阪ですね。職場が近くなので間違えました。失礼。

どくたーT@管理人(1077) 題名:生田 投稿日 : 2004年10月2日<土>00時27分/東京都/男性/おじさん
 
ベロママ様
書き込みありがとうございます。
生田にお住いだったのですね。私は小田急沿線にあまり縁がない人間で、生田で下りたのは二回しかありません。しかし、ここが庄野先生の住む町なんだなあ、と感動致しました。

ベロママ様
転居先でも、どうぞ庄野文学に親しんで下さい。また、機会がありましたなら、感想でも何でも書きこんでいただけたら、うれしく思います。

長島紀子様
そうですね、地域が違うと、地理感覚はわからないですよね。ちなみに「銀座立田野」は本店は銀座にありますが、地方のデパートのレストラン街などにも入っているようです。名古屋にあるかどうかは分りません。
一方、シャトレーは地域のケーキ屋さんで、生田の店が本店のようですね。

しもさま
歩かれて、小説の風景を愉しまれたのですね。「くろがね」、是非いらして下さい。私も行きたいのですが、なかなか時間が取れず、最近は行っておりません(ちなみに私の仕事場から「くろがね」まで歩いて10数分です)。

しも(1076) 題名:いつかは行きたい 投稿日 : 2004年10月1日<金>23時25分/大阪府/男性/30代前半
 
昨年神奈川に住む知人を訪ねた時に、時間ができたため、思い切って生野へ行ってみました。なにも調べずに行ったため、駅周辺をうろうろ歩きまくりましたが、小説でおなじみの風景を堪能できました。シャトレーではソフトクリームをいただきました。なかなか、おいしかったですよ。
庄野さんの小説を読んでいると、ご自身の身辺を丁寧に書かれているせいか、物語を読んでいる、と言うより庄野家におじゃましているって言う感覚になります。生野も初めてなのに初めてじゃない、不思議な気持になりました。もし、庄野さんと出会ってしまったらどうしようっなんてドキドキしながら。
みなさま驚きの今村さんの書き込みに私もビックリしましたが、こういう読んでいる本の舞台に実際に行ったり、登場人物のかたの書き込みを読んだりできるのは、なかなか出来ない事だと思いますので、貴重な体験できて楽しいです。
私の次のひそかな楽しみは「くろがね」で食事をすること。いつかは行きたいですね。

長島紀子(1075) 題名:行ってみたいな。 投稿日 : 2004年10月1日<金>18時19分/愛知県/女性/おばさん
 
庄野さんの住んでいる 生田というのがどこなのか、しばらくはわかりませんでした。関東の地図が、なかなか頭に思い描けなくて。いつか、あの物語に出てくるところを訪ねてみたいです。とりあえず、立田野の豆かんと、シャトレーのケーキが食べてみたい!

 

ニアミス?
るーしー(1071) 投稿日 : 2004年9月21日<火>22時59分/三重県/女性/おばさん
 
九月二十日河田さんの作品展の最終日に行ってまいりました。
河田さんにもお目にかかりご本にサインを頂いて感激いたしました。
「ドクターTさんもいらしたんですよ」とお聞きし、わあ、一日早かったら
と、とても残念でした。
ここの掲示板が無かったら庄野先生のご本に出会う事も無かったかもしれないし
河田ヒロさんの繊細で美しい作品の原画を見せていただく事も
無かったと思います。初めて「波」のけいこちゃんのゆかたも会場で
読ませていただきました。
この先の見えない今の時代にこのような心が癒される作品に出会えて
感謝しております。

どくたーT@管理人(1073) 題名:もっと早くに 投稿日 : 2004年9月21日<火>23時49分/東京都/男性/おじさん
 
河田ヒロさんの作品展。素敵でしたね。
私もるーしー様とお会いすることが出来ず残念でした。
私は、もっと早い機会に出かけたかったのですが、るーしー様の前日になりました。19日もいろいろと野暮用が入っておりまして、もう少し早い時間に伺いたかったのですが、会場に着いたのが4時半過ぎで、1時間足らずで失礼することになってしまいました。
そんな訳で、河田さんとあまりゆっくりお話することが出来なかったのです。それでも河田さんも大変喜んで下さり、とても嬉しくおもいました。


何回読んでも
長島紀子(1070) 投稿日 : 2004年9月20日<月>18時59分/愛知県/女性/おばさん
 
いま、鳥の水浴びを読み返してます。何回読んでもいいですね。パソコン初心者なので、皆さんの書き込みを、楽しく読ませていただきます。

どくたーT@管理人(1072) 題名:読みがい 投稿日 : 2004年9月21日<火>23時42分/東京都/男性/おじさん
 
長島紀子様
書き込みありがとうございます。本当に庄野先生の作品は読み返しがいがあります。わたしも相当数を再読、三読し、その度に新たな発見と、懐かしさを感じております。


河田ヒロさんの作品展
あー(1057) 投稿日 : 2004年9月9日<木>23時16分/東京都/女性
 
昨日から始まった河田ヒロさんの作品展に行ってきました。お会いしてお話もできて感激でした。昼間は日差しも強く暑かったのですが、ギャラリーの中は爽やかな風が吹き抜けているようでした。

どくたーT@管理人(1069) 題名:やっと行って参りました。 投稿日 : 2004年9月19日<日>14時01分/東京都/男性/おじさん
 
展覧会の会期も大詰の昨日伺いました。
河田さんのお仕事は、とてもセンスの良いものでした。赤札のついているものも半数以上あって、好評さが窺えます。河田さんにもお会いしてお話を伺いましたが、この「庄野潤三の部屋」をご覧になって出かけられた方も、あー様、酔狂様ご夫妻以外にも何人かいらしたそうで、ありがたいことだと思いました。

どくたーT@管理人(1062) 題名:麻布十番 投稿日 : 2004年9月14日<火>23時46分/東京都/男性/おじさん
 
私も、東京に住むようになって18年になるのですが、行ったことのない町がまだ沢山あります。麻布十番という町も、前回の河田ヒロさんの展覧会のとき初めて訪れました。雑誌などでよく紹介される町ですが、そのとおり素敵な町でよかったです。

粋狂(1061) 題名:私も! 投稿日 : 2004年9月12日<日>22時53分/東京都/男性/50代前半
 
今日、家内と一緒に行ってきました。ちょうど麻布十番はお祭だったようで、神輿を担ぐ賑やかな雰囲気の中でした。地下鉄が便利になったせいか、賑わった街の雰囲気の中で、ギャラリーもいいポジションです(「豆源」の隣)。皆様もどうぞ!!

どくたーT@管理人(1058) 題名:この週末は行けないのですが、 投稿日 : 2004年9月11日<土>22時18分/東京都/男性/おじさん
 
あー様
楽しまれたようで良かったですね。
私も出かけるつもりですが、今週・来週は多忙で予定がたちません。来週末ぐらいにお邪魔しようかと思っております。


ありがとうございました。
小口千恵子(1066) 投稿日 : 2004年9月18日<土>14時46分/長野県/女性/考えたくない

今井様 管理人様
早速に教えていただきまして、ありがとうございました。
これからも図書館の録音ブースへ通います。
まだ、新人なので、なかなか思うようにいかないのですが、頑張ります!!

どくたーT@管理人(1068) 題名:私も 投稿日 : 2004年9月19日<日>00時35分/東京都/男性/おじさん
 
いってらっしゃい。
私ももう少し時間が取れるようになったら、朗読のボランティアをやりたいな、と思っていました。私の声は、一寸聴きにくい声なので、余り喜ばれないかもしれませんが。


せきれい
小口千恵子(1063) 投稿日 : 2004年9月15日<水>15時34分/長野県/女性/考えたくない

長野県のおばさんです。 ボランティアで視覚障害者向けの音声訳をしています。「せきれい」の文中で
芦屋に住むおじさん(鈴木さん)の雅号  鈴木錦里 さんの読み方がわからずに困っています。 教えてくださいませんか。 宜しくお願いします。

どくたーT@管理人(1067) 題名:ありがとうございました 投稿日 : 2004年9月19日<日>00時31分/東京都/男性/おじさん
 
今村様
わざわざ確認して頂き、ありがとうございました。奥様にもお手を煩わせました。重ねて御礼申し上げます。

今村 邦雄(1065) 題名:正確です。 投稿日 : 2004年9月18日<土>08時52分/神奈川県/男性/60代前半
 
ボランティアワ−クご苦労様です。 私も判らないので昨晩、女房を通じて
実家に確認したところ、「キンリ」だそうです。管理人様を煩わす前に
ご返事したかったのですが遅くなり済みません。

どくたーT@管理人(1064) 題名:不正確ですが、 投稿日 : 2004年9月17日<金>00時59分/東京都/男性/おじさん
 
小口様
書き込みありがとうございます。
ご質問の件ですが、人名は結局本人かその周辺にいる方以外は正確なところは分らないものです。ただ、人名事典には「錦里」とかいて「キンリ」と読む方が載っております。ご参考までに。


asahi.comの矢部万紀子記者のコラム
粋狂(1050) 投稿日 : 2004年9月2日<木>23時19分/東京都/男性/50代前半
 
★ 朝日新聞のasahi.comの矢部万紀子記者のコラムで「夕べの雲」が取り上げられていました(下のURLをクリックして下さい)。

「・・・なぜ65年に出版されたこの本(文庫版だって88年が1刷りで、わたしの買ったものは24刷り)を今頃読んだのかというと、朝日新聞の「自作再訪」というコーナーで庄野さんがこの本をとりあげ、「ところで、私は夫婦の晩年をテーマにした連作を文芸誌にずっと書き続けている(中略)。これらの連作のみなもとは何かといえば『夕べの雲』である」と書いていたからだ。

この「晩年をテーマにした連作」は、ずっと気になっていた。83歳になられる作家だから、すっごいスピードで出るわけではない。が、出るたびに、書評される。よい書評ばかりなのだ。「大ベテランだからお付き合いしとこう」という感じでは全くない、好もしいものばかりだ。

が、悲しいかな、庄野さんの本をわたしは1冊も読んでいない。途中参入する前に原点にあたりたいと思っていた。そんなわたしの前にあらわれた本人お墨付きの「みなもと」。これを読んで、「晩年をテーマにした連作」に参戦しようじゃないか、と思ったのだ。

しみじみとはまる小説だった。最初は不謹慎きわまりないのだが、昨今の世間に毒されて汚れちまった悲しみで、「なんか天然ぼけの味わいかも」などと思った。大浦夫人は夫に敬語を使う。これも「磯野フネかも」などと思ったりもした。だけど、3分の1あたりから引き込まれ、世界に没頭できた。明るい。でも馬鹿みたいに明るいのではない。すべてに抑制がきいている。戦争の影もあるだろう。とにかくみんながきちんと生きていたのだと思う。むろん、無意識で。

これでやっと、いまの庄野さんファミリーに会いに行けるようになった。」

★ やはり、現在の「晩年シリーズ」で静かな庄野ブームが広がっていることを、まさに証明するようなコラムだと思います。文藝春秋や講談社は、単行本だけでなく、もっと積極的にこのシリーズの文庫化に踏み切ろうという見識はないのかな? 機を見るに敏ではないですよね。前にも述べましたが、新潮社が文庫化出版権を取られて揃えていただけるのが一番いいように思います。
http://www.asahi.com/column/aic/Wed/d_kokoroe/20040901.html

粋狂(1056) 題名:祝!シリーズ文庫化 投稿日 : 2004年9月9日<木>00時22分/東京都/男性/50代前半
 
★ドクターTさま、情報有難うございます。文藝春秋もやっと重い腰をあげてくれましたか。これで、第1作から第4作(『庭のつるばら』)まで文庫が揃いますね。第5作(『鳥の水浴び』)は講談社ですが、講談社はまた文芸文庫ですかねェー。文芸文庫には、入手しにくい《前期家族もの》をTUVというようにシリーズ化されたら如何かと思うのですが・・・。「晩年シリーズ」は、まずは普通の講談社文庫でお願いします(その方が、広告の量からも絶対ファン拡大につながり、相乗効果で益々人気が上がると思います)。下のURLの有田芳生氏の8月2日の酔醒漫録では、講談社の姿勢に怒っておられます(結局は、儲け損なったのでは?)。はからずも出版社の見識・姿勢が現れているように思います。
http://www.web-arita.com/index.html

どくたーT@管理人(1055) 題名:「せきれい」文庫化 投稿日 : 2004年9月8日<水>00時44分/東京都/男性/おじさん
 
一寸先の話になりますが、来年1月「せきれい」が文春文庫から出版されることが決まったそうです。万歳ですね。

どくたーT@管理人(1052) 題名:晩年シリーズは 投稿日 : 2004年9月3日<金>00時21分/東京都/男性/おじさん
 
ずっと続いているのに、絶版書があるというのは寂しいですものね。
文芸春秋社は、伝統ある文芸出版社ですが、文庫出版部はエンターテインメント路線に一寸方よっているかも知れません。矢部さんも「晩年シリーズ」に参戦したはいいけれど、文芸春秋社出版の作品に品切れや絶版があることを知ったら、残念なことでしょうね。


ピアノのおけいこ
ゆう(1053) 投稿日 : 2004年9月3日<金>19時47分/愛知県/女性/30代前半
 
今日、やっと「波」九月号を手に入れました。

今回の「けいこちゃんのゆかた」には「妻がピアノのおけいこに・・・」という記述がありました!やはり奥様はまだピアノを続けられていたのですね(*^。^*)

もう相当な腕前になっていらっしゃるのではないでしょうか。でも私は「あまりに弾けなくて笑っちゃうの」というセリフが大好きでした。失礼かもしれませんが、とてもかわいらしいですよね。

追伸 先日の今村邦雄さんの書き込みには本当に感動しました。
パソコンの前で「えー!!!」と大声をだしてしまいました。管理人様、これからもがんばってください!

どくたーT@管理人(1054) 題名:奥様のピアノについて 投稿日 : 2004年9月5日<日>14時08分/東京都/男性/おじさん
 
庄野さんが、奥様のピアノのことをよく書かれていた頃、奥様が弾かれていたのは、ル・クッペの「ピアノのABC」とブルグミューラーの「25の練習曲」でした。それから数年経っていますので、今奥様は、もう少し難しいものを弾かれているのでしょう。

一度、庄野さんは、ツェルニーの練習曲を「つまらない」とお書きでしたが、私も同感。ピアノの本職を目指すのでなければ、ソナチネやバッハなど音楽的に楽しめるものに進むといいのにな、と思います。私の小学生の娘も今ブルグミューラーを弾いておりますが、今後、どうかわっていくのでしょう。


庄野潤三さんのお母様・お兄様
井上(1043) 投稿日 : 2004年8月29日<日>11時04分

教えてください。潤三さんのお母様「春慧」様、長兄「鴎一」様の読み方をご存じの方、教えて下さい。町立図書館で視覚障害者用朗読テープを作っており、なんとお読みしたらよいかわからず困っております。

どくたーT@管理人(1051) 題名:よかったですね。 投稿日 : 2004年9月3日<金>00時16分/東京都/男性/おじさん
 
井上様の疑問が、私の調査を待たずに解決したのは、本当に良かったと思います。
今村様の書き込みをつくづくありがたく思います。
これもひとえに、この掲示板に書き込んで下さる方が、みな「いい人」だからでしょう。これからも、積極的に庄野文学について語りましょう。

今村 邦雄(1049) 題名:お役に立てて良かったです。 投稿日 : 2004年9月1日<水>12時12分/神奈川県/男性/60代前半
 
私がこのサイトを見ていても全然平気です。(訂正 “心配無用です。”
文学者の一族は正しい日本語を使わないといけませんね)
と申しますのは、文学は読者の皆様のご支援があって初めて存在価値が
あるので、このサイトで自由な議論が展開されていることは作家にとって
願ってもない幸せだと思います。
なお、管理人様のこのような体系的なサイト構築並びに維持管理のご尽力
についてはかねがね感服しております。
また、ご愛読者の作品に対する熱情にも頭が下がります。特に粋狂様の
昨年4月27日付コメント(725)で朝日新聞のインタビュ−記事“喜びの
種子を見つけて”を引用されて執筆方針をご理解頂いたことは印象に残
っています。
本人に成り代り門外漢が色々申し上げましたが、今後とも細かい事に気
にせず活発な交流をしていただくようお願い申し上げます。

井上(1048) 題名:ありがとうございました。 投稿日 : 2004年9月1日<水>10時27分/長野県/女性/考えたくない

今村様、管理人様、ありがとうございました。庄野様のご家族の方からお返事がいただけるなんて大感激です。下諏訪町立図書館には庄野ファンが大勢います。庄野様と奥様のピアノの夕べにあこがれてピアノを習いはじめた御婦人も複数おります。録音図書が完成したら、視覚障害者の方の庄野ファンも増えるだろうと楽しみにしています。

粋狂(1047) 題名:エッ! 投稿日 : 2004年8月31日<火>23時41分/東京都/男性/50代前半

・・・・ゥウワーッ!! 小生も、数々の失礼に汗顔の至り。。。。

どくたーT@管理人(1046) 題名:今村様、本当にありがとうございました。 投稿日 : 2004年8月31日<火>23時07分/東京都/男性/おじさん
 
今村邦雄様
お答え、どうもありがとうございました。大変感激しております。また、庄野先生のご家族の方もご覧になっていることを知り、身が引き締まる思いです。
これまで色々なことを書いてまいりましたが、本人は意識せずとも、庄野先生やご家族、ご親戚の皆様にとっては決して愉快ではないことを書いたかも知れません。そのような失礼をお詫びすると共に、今後もご高覧のほど、宜しくお願い申し上げます。

今村 邦雄(1045) 題名:正確です。ご安心下さい。 投稿日 : 2004年8月31日<火>13時45分/神奈川県/男性/60代前半
 
管理人様の読み方で合っています。
申し遅れましたが、私は庄野潤三の長女・夏子の連れ合いです。
以前よりこの掲示板を拝見しております。井上様がお困りのようですので、
身内がお答えするのが適切と考え僭越ですが投稿させて頂きました。
なお、末筆ながら読者の皆様のご愛読を厚くお礼申し上げます。

どくたーT@管理人(1044) 題名:正確ではありませんが 投稿日 : 2004年8月29日<日>15時22分/東京都/男性/おじさん
 
私は、お母様の名前が「ハルエ」様、お兄様の名前が「オウイチ」様であるとずっと思っていました。普通に読むのであれば、それが一番可能性の高い読み方です.しかし、絶対かと言われると分かりません。少し調べて見ようと思いますので、お時間をください。また、この掲示板をご覧の方で、御存知の方がいらっしゃれば、是非教えて下さい.


教えてください
小川(1038) 投稿日 : 2004年8月14日<土>18時22分
 
洋書で庄野先生の本をみつけました。「STILL LIFE」というタイトルです。日本語のタイトルは自分の勘ですが「前途」だと思うのですが、どうでしょうか?ご存知の方がいたら教えてください

どくたーT@管理人(1042) 題名:「山田さんの鈴虫」 投稿日 : 2004年8月16日<月>08時23分/東京都/男性/おじさん
 
酔狂様、適切な御追加どうもありがとうございました。
わたしも、この翻訳の話、どこかで読んだ記憶はあったのですが、『山田さんの鈴虫』だったというところまでは思い出せませんでした。確認したところ、単行本の106ページです。
http://www.stonebridge.com/shonofolder/shono.html

粋狂(1041) 題名:ウェイン・ラマーズさん 投稿日 : 2004年8月16日<月>00時05分/東京都/男性/50代前半
 
たしか、『山田さんの鈴虫』の中に、ウェイン・ラマーズさんと会食される場面があったと思います。私のメモによれば、オレゴン州在住の方で、お父さんが東北の教会の牧師であったことから日本で生まれて日本で育ったとのこと。先年『静物その他』という短編集を英訳し、今度『夕べの雲』を翻訳したいとのことで、お会いになったんだと記憶しております。

どくたーT@管理人(1039) 題名:「静物」です。 投稿日 : 2004年8月14日<土>21時56分/東京都/男性/おじさん
 
「Still Life」を英和辞書で引くと、「静物」と書いてあるので、これは「静物」でしょう。インターネットで検索をかけると、この本のことが出ていますが、正式なタイトルが
「Still Life and Other Stories」で、13編の短編小説が収載されているようです。Wayne P. Lammers という方の翻訳で、本書を購入しなくても「秋風と二人の男」の翻訳は、Web上で読めます。

一応その出版社のサイトにリンクを貼り付けましたので、ご覧ください。小津の映画と似ている、とも言っています。「夕べの雲」の英語訳も出版されているようです。
http://www.stonebridge.com/shonofolder/shono.html


アエラに庄野先生が載ってらっしゃいます
sanae(1031) 投稿日 : 2004年7月31日<土>19時42分

はじめまして。
今発売中のアエラ(7月26日発売)に、庄野先生のことが1ページ載ってます。
どなたもかかれないようなので、おせっかい失礼します。まだぎりぎり書店には
あるかと思います。表紙はスパイダーマン2のトビー・マグワイヤです。

庄野先生の本は、日々の生活に疲れると読みたくなります。読むと心が潤うのです。
そして、時折書かれる観劇記を読むのも好きな大浦みずきさんのファンでもあります。いつも暖かい目で大浦さんをみつめてくださっていることにファン一同感謝しつつ拝読しております。

しも(1037) 題名:発売日ですが 投稿日 : 2004年8月8日<日>19時43分/大阪府/男性/30代前半
 
管理人様みなさま、こんにちわ。
久しぶりの書き込みになりますが、いつも楽しく拝見しております。

アエラを図書館で見つけて読みました。
写真付きでした。ゆったりとした穏やかなお顔ですね。
最近、写真付きの記事を良く見ますが、見るたびに安心します。
庄野先生からしたら、なんでそんな事をって思われるかもしれませんが、
読んでいるほうとしては自分は庄野家の一員のつもりで読んでるんですから、
穏やかなお顔のほうが、イメージ通りでホっとしますよね。

ところでアエラの発売日ですが、
雑誌に表記されている日付は7月26日ではなく、8月2日でした。
だぶん実売日と表記日付にズレがあるのだと思います。
一応、図書館などで探される方がいらっしゃるかと思いますので、補足として。

どくたーT@管理人(1036) 題名:宝塚 投稿日 : 2004年8月8日<日>00時47分/東京都/男性/おじさん
 
たま様
書き込みありがとうございます。
管理人は宝塚を聴いたことが無いので、本当のことをいえば、大浦みずきさんの人気も久世星佳さんのことも、全て庄野先生の御本で存じているだけです。
しかしながら、庄野さんの文章を何度となく読んでいると、「大浦みずき」さんの名付け親が庄野先生で、大浦は、庄野さんの代表作である「夕べの雲」の一家の苗字からとったことや、彼女の本名の「なつめ」が、庄野さんの初期の代表作である「ザボンの花」に登場する女の子の名前からつけられた(阪田寛夫さんがつけた)ということを知っています。

それにしても「なつめちゃん」がデビュー30年になるとは知りませんでした。

たま(1035) 題名:歯医者で読みました 投稿日 : 2004年8月5日<木>11時35分/京都府/女性
 
いつもは気が進まない歯医者も今日は期待して行きました(笑)アエラの写真 窓の緑がきれいですね 同じ号に94歳のまど・みとおさんの記事も載っていますがお二人とも素敵です。庄野先生はまだまだお若いですね。

sanaeさまのおっしゃるように私も気持ちの疲れた時に無性に読みたくなり 読むと丁寧に生活しようと思い嬉しくなるのです。私は最初に「明夫と良二」を読んでしばらくの間庄野先生となつめさん(大浦みずきさん)が結びつきませんでした。それが判った時の喜び 嬉しさそして久世星佳さんともお知り合いという事で一気に親近感が
湧きました。今年大浦さんは初舞台から30周年のショーをされました。先生ご夫妻もご覧になられた事でしょうね。良いお名前を付けられた先生とその名前を大きく育てられた大浦さん お二人に感謝!感謝!!ありがとうです。

どくたーT@管理人(1033) 題名:庄野潤三83歳の日々 投稿日 : 2004年8月3日<火>23時52分/東京都/男性/おじさん
 
sanae様、ご紹介どうもありがとうございました。
私がsanae様の書き込みに気づいたのが昨晩。日曜日もこの掲示板を見た筈なのに、どうして気づかなかったのでしょうか?困ったものです。本日バックナンバーはないかと、近所の書店で尋ねてみましたが、返品のあとでした。

記事のタイトルは「庄野潤三83歳の日々」のようですね。そのうち、図書館でみるか何かで読む事は可能だと思います。Sanae様、本当にありがとうございました。

粋狂(1032) 題名:今日図書館で拝見! 投稿日 : 2004年8月1日<日>23時57分/東京都/男性/50代前半
 
★ 今日図書館に行って確かに掲載されているのを拝見。コピーしてきました。ここの掲示板のことも紹介されていまして、「自分の親戚のことより詳しくなってます」という書き込みは、ひょっとしたら私のかも・・・と思ったり。いつもどれ位の販売部数なのだろうかと思っておりましたが、「夫婦の晩年」シリーズは、「累計部数は約15万部と、純文学作品としては堅調だ」とのこと、嬉しくなりますね。私もそうですが「最近になってファンになった人も少なくない」とか、そう思います。

★ 『波』の連載もいつも図書館でコピーしているのですが、早速8月号をコピーしました。ところで、7月号では、和雄君・聡子ちゃんのところに生まれた春菜ちゃん(曾孫第2号!)が登場して、夏子さんの若いおばあちゃま振りがいいなぁ、と思っています。それと、この7月号の挿絵でほめられた庄野さんのお手紙を河田ヒロさんが受け取られて、喜ばれていることが、河田さんの7月3日の日記に出てきましたよね。確かに可愛らしいイラストで、『波』では原画のカラーが生かされず白黒なのが残念ですね。総じて、こういう連載のイラストがわが国の単行本では捨象されるのが、いつももったいないなぁと思うところです。
http://plaza.across.or.jp/~t-kawada/index.html


 

日本一の新年会
どくたーT@管理人(1034) 投稿日 : 2004年8月4日<水>00時17分/東京都/男性/おじさん
 
「けい子ちゃんのゆかた」の話題が余り上らないですが、久しぶりに酔狂様が書いてくださいました。第8回の白眉は、夏子さんのいう「日本一の新年会」ですね。そして、河田ヒロさんの挿絵は、お正月の庄野家の御馳走、「ローストビーフとフランスパン」、それにお年玉でした。

酔狂様は、河田さんの挿絵が白黒のことを残念に思っておられるようですが、彼女の個展に行くと、挿絵の原画や、習作を見る事が出来ます。今年の個展の案内を勝手に乗せておきます。

河田ヒロ作品展 「遠くの近くから」
〜Exhibition of Watercolours and Collages〜

会場:ギャラリー東京映像
106-0045 東京都港区麻布十番1-8-13
Tel. 03-5545-7659 Fax. 03-5545-7669
http://www.gallery-eizo.gr.jp/

会期:2004年9月8日(水)〜9月20日(月・祝)
開館時間:12:00〜19:00
※最終日は16:00まで / 会期中無休


夕べの雲自作再訪
OR(1029) 投稿日 : 2004年7月26日<月>10時35分/神奈川県/男性/60代前半
 
いつも当掲示板楽しんで、拝見しております。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、念のためお知らせ。
7月25日朝日朝刊読書面冒頭に、
庄野潤三氏自身の、「夕べの雲」自作再訪記事が載っております。
近影写真付き。
「私にとって最も愛着のある作品」とのこと。

なお、小生にとっても、少し遅れて、少し離れたところで
同じ様な経験(引っ越し、近辺の生活、土地の開発)
をしているので、この作品は何度読んでも身に迫る思いがします。
同年代の人は、そんな体験をした人が多いのではないでしょうか。
記念碑的な作品ですね。

どくたーT@管理人(1030) 題名:「夕べの雲」再訪 投稿日 : 2004年7月26日<月>23時45分/東京都/男性/おじさん
 
OR様
どうもありがとうございました。私は「朝日」をとっていないのでこの記事は知りませんでした。今度見てみます。
「夕べの雲」は、開発されることが決まっているけれどもまだ開発が始まっていない生田が舞台で、そのある短い一時期をくっきりと切り取った所が素晴らしさの基だと思います。
OR様の仰る通り、私の田舎も、私が小学生のころは、私の家のまわりに森も田圃も小川も皆あって、昔から典型的インドア派の私ですら、とんぼつりやカブトムシの採集をしたものです。今は(実家はその位置に残っておりますが)、区画整理が終り、ほとんどが住宅に代わってしまいました。私の所は山では無かったので、庄野さんのお子さん達と同じような生活はしませんでしたが、似ている事は間違いないようです。


お祝い
ふかお(1026) 投稿日 : 2004年7月20日<火>12時07分/京都府/男性/おじさん
 
4周年、誠におめでとうございます。
いつも拝見しているのですが、書き込みは久しぶりです。粋狂さまの「1年ジャンプしている」という鋭いご指摘を本で確認し、そのことについて書こうと思いながら、すっかり時間が空いてしまいました。
今後とも、庄野ファンの為に末永くお続け下さるように願っております。

ふかお(1028) 題名:とんでもないです 投稿日 : 2004年7月26日<月>07時10分/京都府/男性/おじさん
 
私がメールをお送りする前から、このHPは立派に存在していて、これを見つけた私は嬉しさのあまりすぐにお便りしたのでした。

ところで、日曜日の朝、朝日新聞の読書欄を開くと、穏やかな庄野さんのお顔が目に飛び込んできました。「自作再訪」で「夕べの雲」について語られていました。夫婦の晩年の連作のみなもとが「夕べの雲」であることを明言されています。

どくたーT@管理人(1027) 題名:ありがとうございました 投稿日 : 2004年7月21日<水>22時46分/東京都/男性/おじさん
 
ふかお様
いつもありがとうございます。
考えて見ますと、この「庄野潤三ファン掲示板」を始めるきっかけは、ふかお様から頂いたメールでした。ふかお様からメールを頂けなければ、この「庄野潤三の部屋」は、今と違った形になっていたのではないかという気がいたします。ふかお様には深く感謝せずにはいられません。ありがとうございました。


満四歳おめでとうございます
ローズ・パパ(1023) 投稿日 : 2004年7月17日<土>11時29分/宮城県/男性/80代前半
 
庄野潤三フアン掲示板満四歳まことにおめでとうございます。
44200人余のフアンに支えられた素晴らしさ、どくたーT様のご苦労に対し深く
感謝申し上げます。

今更ながら庄野文学のあたたかさに浸っております。
最近「斜陽」をはじめとする「太宰治」の作品を読み直しておりますが井伏鱒二と
太宰治との交友を興味深く感じておりました。お二人とも三多摩地区にお住まいの
ためかなと思っておりましたが掲示板により啓発されました。

私はお陰さまで元気に過ごしております。

どくたーT様のますますのご発展お祈りいたします。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~swatanab/

どくたーT@管理人(1025) 題名:ありがとうございます。 投稿日 : 2004年7月19日<月>08時57分/東京都/男性/おじさん
 
ローズ・パパ様

お久しぶりでございます。東京は、梅雨らしくない梅雨が明け、非常に暑い毎日が続いております。東北は未だ梅雨が明けていないようですが、いかがでしょう。ローズ・パパ様も、ご健勝の様子で、なによりでございます。

太宰治と井伏鱒二の交流は、昭和20年代初期まで。庄野さんと井伏さんとの交流は、庄野さんが上京して、練馬に居を構えた後のことで、時代が違います。庄野さんは、夏子さんを自転車の後に乗せて、足しげく通われ、また、お酒も一緒に飲みにいかれたようです。庄野さんの作品を読む感じでは、井伏さんの世話好きな人柄が伺えます。そう言えば、井伏さんの主要作品の主人公、「駅前旅館」の番頭、「本日休診」の町医者、「多甚古村」の巡査、みな世話好き(少なくとも外面では)の人たちばかりです。

このサイトも5年目に突入したのですが、これからの充実は、皆様の書き込みに期待するしかありません。ローズ・パパ様をはじめ、皆様のますますのご厚意をお願い申し上げる次第です。


井伏さんと太宰さん
みや(1021) 投稿日 : 2004年7月13日<火>00時10分/大阪府/女性/40代前半
 
おひさしぶりです。ほぼ、一年ぶりの書き込みになります。

酔狂様の書き込みを拝読して、猪瀬氏のとはまったくちがう井伏鱒二と太宰治についてのエッセイを思い出しました。児童文学作家で翻訳者でもある石井桃子さんの「太宰さん」です。石井さんは岩波書店の子どもの本の編集者だった頃に、井伏さんに『ドリトル先生』の翻訳を依頼した方でもあります。

若き日の石井さんの下宿のベランダで、新緑を背景にベルモットというお酒をかたむけあう井伏さんと太宰さんの思いがけない横顔が垣間見られる、短いけれど、とても印象的な文章です。石井桃子は『ノンちゃん雲にのる』やピーターラビットの翻訳で知られる人ですが、率直でピリ辛の一面もあり、尊敬する井伏さんを相手に、ずいぶん言いたい放題も言っていて、ちょっとびっくりさせられます。でも、そういうところも含めて、わたしの好きな文章です。飛び入りで恐縮ですが、ご紹介まで。「太宰さん」は、岩波書店から出ている著作集『石井桃子集7』に入っています。

だいぶ前に、毎日新聞で猪瀬氏の『ピカレスク』についての書評を読んで、どんなものか気になりながら、まだ手を取らぬままです。酔狂様の熱のこもった感想、興味深く拝読しました。いつかのぞいてみます。いずれにしても、井伏さんの『黒い雨』『厄よけ詩集』はずっと愛読書です。庄野さんや、小沼さんの井伏賛は気持ちのよい文章が多いですね。


粋狂(1024) 題名:石井桃子さんの「太宰さん」読みました! 投稿日 : 2004年7月19日<月>00時01分/東京都/男性/50代前半
 
★ みや様のご紹介の「石井桃子集7」を借りてきて、「太宰さん」を読みました。ご紹介有難うございました。両氏を知る彼女も、まったくあの走り書きなど無視されていますよね。

★ 私は、井伏さんと太宰治というと、御坂峠の天下茶屋の時代をすぐ連想しますね、「富士には月見草がよく似合う」というあの場所です。ここに作られた慰霊碑の除幕式に井伏さんや伊馬さんが行かれる話は、伊馬氏のエッセイにも書かれていた。10年くらい前に、田舎の母を連れて河口湖に行ったときに、車で御坂峠まで行き、この碑を見た記憶があるので、個人的にも強い印象がよみがえります。裏の井伏氏の追悼文をよく見なかったのが悔やまれますが・・・。あそこは、河口湖を下に見て、富士山が真正面に向かい合う素晴らしいところです。

どくたーT@管理人(1022) 題名:太宰文学 投稿日 : 2004年7月13日<火>23時38分/東京都/男性/おじさん
 
少なくとも私の同年代の文学好きにとって、太宰治は、ひとつのカリスマだったと思います。私が高校生の頃、太宰を読んで、陰気なポーズで歩いていた友のことを思い出します。
私は、その当時から太宰文学とは相性がわるくて、読んでいても共感を覚えることができず、主要な何作かは読んではいるものの、ほとんど語れない様子です。

だから、あるとき、太宰が井伏鱒二に師事したことを知ったとき、結構驚いたものです。今考えれば、太宰の作品と井伏さんのある作品は、どこか底の所で接点があるような気がするのですが、当時は、そんな感じは持てませんでした。

石井桃子の「太宰さん」今度読んでみたいと思います。ご紹介ありがとうございました。


はじめまして
るーしー(1015) 投稿日 : 2004年7月6日<火>21時40分/三重県/女性

以前に佐々木邦の部屋に興味をもちメーン掲示板に書き込みを
した事があるものです。
暑くなってきました。先日大阪梅田の紀伊国屋書店で「庭のつるばら」が
ありましたのでおもわず買って帰りました。失礼な話ですがこちらを
見るまでは庄野先生のお名前も存じ上げずでした。
さっそく読ませていただきましたがとても心が穏やかになり
あぁこんな風に穏やかな老後が待っているのなら年をとるのも
いいじゃないかと 枕もとにおいてやすみました。
奥様がピアノのお稽古をされていてそれを優しくみまもれ
まるでその場の空気が感じられるようでとても好きです。
一緒に「夏はきぬ」を歌ってる気分にもなりました。
次はどれを読もうかと楽しみが増えました。ご紹介有難うございます。

どくたーT@管理人(1020) 題名:お久しぶりです 投稿日 : 2004年7月7日<水>23時50分/東京都/男性/おじさん
 
るーしー様、書きこみありがとうございました。
庄野さんの御本を手に取って楽しまれたこと、非常に嬉しく思います。
もし、宜しければ、他の本もお楽しみください。

るーしー(1018) 投稿日 : 2004年7月6日<火>23時42分/三重県/女性
 
有難うございます。こんど出かけたおりに探します。

粋狂(1017) 題名:シリーズ最初から 投稿日 : 2004年7月6日<火>22時56分/東京都/男性/50代前半
 
このシリーズの第1作『貝がらと海の音』(新潮文庫)、第2作『ピアノの音』(講談社文芸文庫)は、それぞれ文庫で現在入手可能ですので、やはりこの2作からスタートされるのが、よろしいかと・・・。


管理人の立場から
どくたーT@管理人(1013) 投稿日 : 2004年7月4日<日>13時39分/東京都/男性/おじさん
 
酔狂様
長文の書き込み、ありがとうございます。
私は、この酔狂様の書き込みに対し、意見を述べるほど井伏作品の知識もありませんし、猪瀬さんの当該作もよんでおりません。ただ、「ミカドの肖像」、「欲望のメディア」、「マガジン青春譜」などの彼の作品を読む限り、結構論理に牽強付会的なところがあるな、という印象をもっています。

さて、今回の酔狂様の書き込みは直接庄野文学には関係しませんが、このような間接的な書き込みも、当然ながら、おおいに歓迎します。よろしくお願いします。

どくたーT@管理人(1019) 題名:伊馬春部 投稿日 : 2004年7月7日<水>23時47分/東京都/男性/おじさん
 
酔狂様が、井伏鱒二の書き込みをしようと考えられたのは、伊馬春部の『櫻桃の記』(中公文庫)を読んでのこと。なるほどなあ、と思います。
伊馬春部は、昭和初期の劇作家で戦後は放送作家として活躍された方です。1908年福岡県生まれ。1984年没。本名、高崎英雄。生家は柏屋(カネタマ)という北九州折尾の豪商で、現在も北九州市指定有形文化財として残っているそうです。
春部は、当初鵜平をなのり、昭和七年ムーラン・ルージュの座付き作家となり、「桐の木横丁」などを発表。昭和13年NHK文芸部嘱託。戦後NHKラジオ「向こう3軒両隣り」でシリーズドラマのパイオニアとなったそうです。
このような放送作家のパイオニアがどうして井伏鱒二と知りあったか。それは、どちらも荻窪に住んでいたことが関係あるようです。
井伏鱒二の「荻窪風土記」には、
『阿佐ヶ谷将棋会の人たちのうち、はつきりとまだ文学青年婁(やつ)れしてゐなかつたのは、大学生であつた津島修治(後に太宰治と改名)伊馬鵜平(後に伊馬春部と改名)中村治兵衛(後に地平と改名)それから、学生生活を切りあげて新婚生活に入りたての神戸雄一であつた。』という記述があります。
こういう文章を読むと、伊馬を中心にした井伏、太宰の関係が分り、興味深いものです。

粋狂(1014) 題名:ご寛恕に感謝 投稿日 : 2004年7月5日<月>23時30分/東京都/男性/50代前半
 
どくたーT@管理人さま

★やや異例のテーマの、しかも長文の書き込みをお許しいただき、有難うございました。庄野さんの作品には、ユーモアがあって暖かい井伏さんのエピソードがいっぱい出てきますので、庄野先生ご自身もひょっとして胸を痛められている問題かな、と勝手に想像したりして・・・。昨年の『メジロの来る庭』の「文學界」連載では、目次でいつも猪瀬氏と並んでいて、気になって仕方がなかったのですが、私自身はこれで胸のつかえが取れました。

★ 伊馬春部の『櫻桃の記』(中公文庫)を見つけて得心し、よーしッと思って、書き込む気になった次第。同氏の『土手の見物人』の中にも、井伏・太宰両氏に対する親愛あふれるエッセイがあって、両氏を知る関係者が不問に付しているのを、両氏を直接知らない人間があれこれ書くことへの疑問が生じ、その怖さ・不遜さを痛感したところです。自戒を込めて・・・。


庄野ファンによる井伏鱒二考(1)
粋狂(1008) 投稿日 : 2004年7月4日<日>00時17分/東京都/男性/50代前半
 
★庄野さんの作家人生において、井伏鱒二氏の存在の大きさは否定できない。師弟関係というよりは「年長の友人」として尊敬し、親しく交遊されてきたことは庄野ファンならご存知のとおりである(石神井公園時代に自転車の後ろに幼い夏子さんを乗せて井伏邸を訪ねられる話はよく出てくる)。それ故に、庄野作品を読み通した後で、避けて通れないのが、井伏鱒二という作家をどう評価するかだと思っていた。庄野さんが井伏鱒二氏を好意的に描かれている一方で、社会常識的な知識として、『黒い雨』の盗作疑惑や、猪瀬直樹の『ピカレスク太宰治伝』での否定的評価があることを知らないわけではなかったからだ。そこで、庄野作品読破後に、自らの目で検証するつもりで、以下のような本を手にとってみた。
・『群像日本の作家16 井伏鱒二』(小学館)
・井伏鱒二『厄除け詩集』(講談社文芸文庫)
・『猪瀬直樹著作集4 ピカレスク 太宰治伝』(小学館)
・豊田清史「『黒い雨』と「重松日記」」(風媒社)
・重松静馬『重松日記』(筑摩書房)
・井伏鱒二『黒い雨』(新潮文庫)
・河盛好蔵『井伏鱒二随聞』
・伊馬春部『櫻桃の記』(中公文庫)

★ 問題は、やはり『猪瀬直樹著作集4 ピカレスク太宰治伝』に集約されている。結論を云えば、この本は、実に悪意に満ちているという印象で、後味の悪い本であった。‘序章’で、太宰の心中事件の顛末がドキュメントタッチで描かれ、読者を一気に惹きつける。そこで、紙屑籠の中に捨てられていた「井伏さんは悪人です」という太宰の走り書きが謎掛けのように提示されるのである。そして、‘最終章’では、「太宰はなぜ遺書に「井伏さんは悪人です」と記したのだろうか・・・・・。」という書き出しで始まり、『黒い雨』の盗作説を論証するような書きぶりで終わるのである。「『黒い雨』と井伏鱒二の深層」と題する‘増補’に至っては、しつこく『黒い雨』盗作説を展開し、あげく「山椒魚」「青ヶ島大概記」「ジョン万次郎漂流記」「厄除け詩集」にも種本が存在し、盗作まがいのものであると主張している。これでは、ピカレスク(悪漢)=太宰治、という表題とは裏腹に、もっと悪いピカレスク=井伏鱒二、というのが本当のテーマであるという印象を持たせる本の構成になっているのだ。『著作集4』では、自説に好意的な書評をも集め、ご丁寧にも谷沢永一氏との対談で駄目を押している。井伏さんには、まことに酷な本だといわざるを得ない。

★ まず、「みんな、いやしい慾張りばかり。井伏さんは悪人です」という走り書きは、遺書ではない。東京新聞の記者が紙屑籠に破り捨てられていたものまさぐり出し、つなぎ合わせたものである。それが東京新聞の記事となり、関係者に衝撃を与え、どう理解したらいいか大いに戸惑わせたのは事実だろうが、しかし、両氏を親しく知る関係者の中で、あの走り書きによって、猪瀬氏のように井伏さんを悪意の目を持って見た人がいたのだろうか。私は、全くいなかったのだと思う。その一例が、伊馬春部『櫻桃の記』である。猪瀬氏の『著作集4』の末尾には膨大な参考文献を列記しているが、なぜか伊馬氏のこの本は落ちている。自分の説に都合の悪い文献は、意図的にはずしたのだろうか。

★伊馬氏は、昭和42年に「櫻桃の記」という戯曲を発表するが、「戯曲全体を一つの太宰治研究の一資料たらしむべく始めから意図し」たとし、“「櫻桃の記」後記”には、猪瀬氏のような邪推を徹底的に排除したいという意図が強い言葉で語られているのである。

(続く)

粋狂(1012) 題名:庄野ファンによる井伏鱒二考(5・完) 投稿日 : 2004年7月4日<日>00時25分/東京都/男性/50代前半
 
★ 私は、今後、『猪瀬直樹著作集4 ピカレスク 太宰治伝』(小学館)が大きな影響力を後世に及ぼすことを深く懸念するものである。井伏氏に深い同情を禁じえない。その意味で、やや古い切り抜きではあるが、日経新聞の浦田憲治編集委員(庄野作品で「日経の浦田さん」で登場する人だと思う)の署名記事を紹介しておきたい。そこに紹介される井伏氏の語られる言葉の裏に隠された氏の無念さが分かるような気がするからである(私は、この記事を見た当時は、三浦哲郎氏の師が井伏鱒二であるということを意外に思い、驚いたのだが、庄野作品に親しむ中で、小沼丹さんの早稲田の教え子が三浦氏という関係で、井伏氏の知遇を得るようになったことを知って納得したところである)。

【空洞化進む日本文学】 (日経新聞1995年7月1日)

・・・・・・・・(川端康成賞を受賞した)三浦哲郎氏のあいさつは、胸を打つものだった。氏は十五枚の短編「みのむし」で川端賞を受賞していた。
「 私はこれまで自分の作品を完璧だと思ったことは一度もありません。深く尊敬する井伏鱒二先生に少しでも近付きたい一心で骨身を削って書いてきました」と語った後、師の思い出をこう話した。
新宿で夜通し酒を飲んだ帰り、荻窪の小さな中華料理店で、ビールを飲みながら、師は私にではなく、ご自分に言い聞かせるように『僕らは偉そうなことを言わずに書こうや。ひたすら書こうよ』とおっしゃいました。メガネの奥で目をキラキラ輝かせながら。私はくやしいことがあったり、気弱くなったり、動揺しかけた時、自分に活を入れようと、この言葉を思い出します。『僕らはひたすら書くだけだ。仕事で来い』」
文芸評論家の江藤淳氏は「文学史に残る感動的なあいさつだった」とたたえた。最近の難解な文芸批評に対する実作者の力強い答えがそこに込められていたからだ。・・・・・・・・・
(完)

粋狂(1011) 題名:庄野ファンによる井伏鱒二考(4) 投稿日 : 2004年7月4日<日>00時23分/東京都/男性/50代前半
 
★ 猪瀬説のベースともいうべき重要資料として、豊田清史「『黒い雨』と「重松日記」」(風媒社)があるが、正直言って、この本で豊田氏が主張されたいことが今ひとつピンと来ないのである。豊田氏は、重松氏の相談相手として、井伏氏への仲介役を果たし、そのために、『黒い雨』が世に出るに当たって重要な役割を果たしたという自負があるのだろう。重松日記の控えも読んでいることから、『黒い雨』にいろいろな批判めいた物言いをしている。しかし、それは盗作うんぬんというよりも、むしろ『黒い雨』が「重松日記」と異なる箇所を問題にしているようでもあり、井伏氏が「重松日記」を前にして執筆に苦慮されていたことを全く理解されていない。豊田氏は、名声を集めた『黒い雨』について、自分こそが生みの親であるという自負があるせいか、名声が与えられた井伏氏に対する嫉妬・妬みの感情があるように思えてならない。要するに、井伏『黒い雨』に対する批判めいた言い様は、私には必ずしも一貫しているようには思えないのである。

★ 「山椒魚」「青ヶ島大概記」「ジョン万次郎漂流記」「厄除け詩集」に種本がある問題については、正直驚いたところではあるが、冷静に考えてみると、猪瀬氏のように強く批判する気にはならない。「山椒魚」は、習作のようなつもりだったのだろう。チェーホフの「賭け」にヒントを得たと言ってきたのも、純粋な創作作品ではないということをあらかじめエクスキューズする意味があったのだと思う。「厄除け詩集」に粉本があることについても、同様に、実家の蔵のなかにあった父親の訳文だという言い方で、純粋な創作作品ではないということをあらかじめエクスキューズしたのだろう。「青ヶ島大概記」と「ジョン万次郎漂流記」のような事件ものの作品については、そもそも何らかの資料の存在は不可欠なのではないか。そういう事情を踏まえると、現在の著作権感覚で厳しく責めるのは酷なんだと思う。芥川の「藪の中」が英米作品をそっくりネタにしていること(私は、大学の英語の教材で知った!)や、最近では、漱石の「草枕」の有名な冒頭部分にも外国のネタ本があるという記事を読んで、改めてそう思うところである。批判しようとすれば、何でもかんでも批判の種にはなるのである。
(続く)

粋狂(1010) 題名:庄野ファンによる井伏鱒二考(3) 投稿日 : 2004年7月4日<日>00時21分/東京都/男性/50代前半
 
★ 結局のところ、猪瀬氏がさも重大事というように取り上げた「井伏さんは悪人です」という走り書きは、両氏をよく知る関係者の間では、まともに受け取られなかったのではないか。おそらくは、だらしのない太宰氏をしょうがない奴だなぁと理解する一方で、津島家から後見人を押し付けられ気が進まなかったものの親身になって面倒を見た井伏氏に敬愛の念を持っていただろうことは、容易に想像できる。そういう二人の関係を知るからこそ、太宰が一時の気迷いで(私は、太宰が『井伏鱒二選集』の解説を書く機会に自分をモデルとした「薬屋の雛女房」の存在を知ったことがショックだったのではないかと推測するが・・・・)「井伏さんは悪人です」と書いたところで、井伏さんに対する一種の甘えのように見え、太宰が井伏氏に対し、芯から全面的にそう思うはずがない、と二人を知る関係者は一様に思ったのではないだろうか。まして心中の原因であるはずもない。

★ 伊馬氏が存命で猪瀬氏の『ピカレスク太宰治伝』を読まれたら、間違いなく激怒されたことだろう。そもそも昭和23年の太宰の反故の走り書きをプロローグにして、昭和40年の「黒い雨」のエピローグへと結びつけるという猪瀬氏の構成自体、どだい無理があるのではないか。なんと意地の悪い人なのだろうと思わざるを得ない所以である。


★ 『黒い雨』と重松日記の関係については、 盗作うんぬんというのは適切でないと思う。端的に言って、私は、『黒い雨』は失敗作なのだと思う。それは、当初「姪の結婚」というタイトルで連載開始したものの、そのモデルである重松氏の姪の日記が入手できないことになり、急遽、重松日記を中心にしたものに変更せざるを得なかったこと、そのことで、『黒い雨』のストーリー展開に無理が生じていることは否めない。井伏さんも不本意だったのだろうと思う。しかし、井伏さんの思惑とは別に、世上に高い評価が与えられるようになる。しかし、主に高い評価が与えられたのは、まさに原爆直後のすさまじい惨状の描写ゆえであって、その部分は、実体験をした重松氏の日記以上のものは創作できないことが自分でも分かっているため、そのため、全面的に日記に依存したのだが、その部分が皮肉にも『黒い雨』の名声を高める大きな要素となってしまった。だからこそ、猪瀬氏は批判するのだろうが、盗作という批判は、『黒い雨』と、後に公刊された『重松日記』を読み比べてみると、当たらないと思う。また、井伏氏と重松氏との間のやり取りなどの経緯を見ても、そう思うし、単行本化の段階で、井伏氏は重松氏に「共著にしよう」と申し出られている点も無視できない。盗作するつもりなら、モデル重松静馬とわざわざ閑間重松(しずましげまつ)という名前にはしないであろう。ただ、共著という形にできず、自分だけに大きな評価が与えられたことについて困惑した気持が生じたのは否めないだろうが、しかし、井伏氏に、はじめからやましい意図はなかったのだと思う。
(続く)

粋狂(1009) 題名:庄野ファンによる井伏鱒二考(2) 投稿日 : 2004年7月4日<日>00時20分/東京都/男性/50代前半
 
(伊馬春部『櫻桃の記』)
「 さてやっと、作者としての本心を明かす段階に達したようである。先に私は、太宰の冤を雪ぐためにと言った。それはこういうことである。
世に、太宰の遺書として、あるまじきものまで引用しているのを散見する。最近の太宰研究書の類にも二つばかりそれがあった。これは私、きわめて残念なことに思う。はっきり言おう。太宰は、何通かの遺書――またはそれめいたものを書いている。しかし、破り捨てているのもあるのである。
それをあろうことか、某新聞の記者(それが誰であったか未だに私は知ろうとはしないが)は、紙屑かごからまさぐり出し、つなぎ合せて紙上に発表したのである。
それがあまりにもショッキングな一行を含んでいたため、ジャーナリズムは騒然となった。ある良識のある大作家でさえそれをテーマにとりあげ、アンチテーゼを出さずには居れなかったほどの、それは大きな衝撃だった。
それだけにいまだに問題にされがちなわけであるが、これがいったい遺書といえるであろうか。遺書として取り扱っていいものであろうか。私は断じて然らずとさけびたい。なぜならその、紙屑かごから探し出され貼り合せられて辛うじて体裁をなしたその一枚は、しかもそのショッキングな一行で、終ってしまっているのである。
おそらく太宰治はその瞬間ハッとして、筆をとめたのにちがいない。そして、こんなもの遺すべきでないと直覚して、ちりぢりに破り捨てたにちがいないと思うのである。その時の、太宰のハッと平心をとり戻した反省の瞬間は、私には痛いほどひびく。
冤を雪ぎたい――といったのはここのところである。だから「櫻桃の記」の幕切れで私は、この一枚の件を意識して強調した。書きつぶしの一枚を太宰が発見して富栄を面罵し、自らひきちぎり、紙屑かごに捨てるくだりである。実際は、おそらく太宰は、あの一行にうっかり筆の辷ったその手その指でもって、細くひきちぎったにちがいない。ドラマの上ではさらにそれを昂揚するために、十数分後には共に入水する当の相手を心の底から罵ることによって、彼の本然の姿を表出したかったのである。
太宰 なんだこりゃ・・・書きつぶしのやつじゃないか。(と怒って――)
だめじゃないかサッちゃん、破ってくれといったはずだよ。なんだって、
散らかしておくんだ・・・。
富栄 (しおれて)すみません・・。
太宰 困るじゃないか・・・・・大事なこと忘れて!(さらに激怒――)
きみって・・・なんという大ばかものなんだ!こんなもの、人目に
ふれたら、どうなると思ってるんだ!
と、これが、彼自身の手でひきちぎって紙屑かごに投げ捨てるときのセリフであるが、私は毎日のように、太宰役の岩下浩くんに註文した。もっと憤激してくれ、もっと腹の底から面罵してくれ、その瞬間だけは、嘗つて愛情の相手であったことも死の同伴者であることも忘れて怒り心頭に発してくれと、うるさいほど念をおしたものである。岩下くんも私の意をよく理解してくれ、その演技は回を重ねる毎に迫真し私を大いに満足させた。相手の山崎富栄役の丹阿弥谷津子さんも、もうすぐ共に死ぬことのできるよろこびにひたっているさなか、その瞬間だけは、心からしおれ、しょげてしまうさまがとても対照的で、私の意図がいよいよはっきり助長されていたことを思う。
友人の一人として、太宰のために、これはぜひ明らかにしておきたい一事であったのだ。そのためにこそ、私はこのドラマの執筆を決意したのだともいえる。・・・」
(続く)


初訪問
雄さん(1003) 投稿日 : 2004年7月2日<金>19時19分
 
はじめまして。
「校正者のひとりごと」の管理人の雄さんといいます。
私のHPが「庄野潤三リンク集」で紹介されているのですが、URLが古いアドレスのままになっています。現在のアドレスに修正していただきたく、書きこみをさせていただきました。よろしくお願いします。
「校正者のひとりごと」の現在のアドレス
http://www008.upp.so-net.ne.jp/hitorigoto/
http://www008.upp.so-net.ne.jp/hitorigoto/

どくたーT@管理人(1005) 題名:直します 投稿日 : 2004年7月3日<土>11時27分/東京都/男性/おじさん
 
雄さん、
はじめまして。ご指摘ありがとうございました。早速直します。どうぞよろしくお願いします。


庄野さんの記事
むろの(1002) 投稿日 : 2004年7月2日<金>11時08分/岡山県/女性/30代前半

はじめまして。今日はちょっと嬉しかったので朝から書きこみしています。
岡山県の地方紙で山陽新聞というのがあるのですが、今朝(7月2日)の
「創作の流儀」というコーナーで庄野さんのことが紹介されていました。
少し抜粋しますね。

「ありがとう」「うれしい」「よかった」といった肯定的な言葉が何度も
使われる。「そういう気持ちで生きているからでしょうね。悲観的なことは
一切言わない。たとえ心の中で思っても無視する。世の中には嫌なことも
いっぱいあるが、自分を喜ばせてくれることだけを取り上げる。そういう
態度を貫いています」柔らかな口調の中に強い意志が見える。

どくたーT@管理人(1004) 題名:地方新聞の記事 投稿日 : 2004年7月3日<土>11時26分/東京都/男性/おじさん
 
むろの様
はじめまして、また、ご紹介ありがとうございます。
東京にいると、マスコミと言えば、全国紙や雑誌、テレビラジオのように思ってしまうのですが、地方にはそれぞれ独自の新聞や放送があるのですよね。

庄野さんの記事が、岡山の新聞に載って、それがまたこう読者の皆様に紹介出来ることは、とても嬉しいことだと思います。ありがとうございました。

 

貝がらと海の音
どくたーT@管理人(1000) 投稿日 : 2004年6月13日<日>23時28分/東京都/男性/おじさん
 
この掲示板になって、通算1000回目の書き込みです。この回を自分で書く積りはなかったのですが、そういう巡り合わせになりました.

酔狂様の「晩年シリーズ解題」に対して、私も少し申し上げようかと思い、以下書きます。

「貝がらと海の音」読み終わりました。全体を通して読むのは3回目だと思います。読み返すと、前に見えなかったこと、忘れたことが沢山目に入ってきて、とても楽しめました。
どんな所を面白く思ったかを、少し書いて見ようと思います。

第1回1994年9月1日〜9月10日頃まで
「貝がらと海の音」が、『新潮45』に連載が始ったのは、95年1月号から。雑誌は,前年の12月頭には書店に並びますから,この作品を庄野さんが執筆したのは94年の10月頃だと思われます。意識としてはリアルタイムに書かれていると申し上げてよいと思います。

書かれているエピソードを順番に並べて見ます。
9月1日午後:坂道を目にも止まらぬ早業で走るとかげを見て、夫婦で驚く話。22行。
6月:ブローディアの咲いているプランターからとかげが飛び出す話。3行
6月:フーちゃんと春夫がとかげをほしがったけれども、捕まえられず、代りにあげはの幼中を持って行き、そのあげはが一月ほど経って羽化する話。34行
以上59行が「とかげ」と題すべきエピソードですが,「疾走するとかげを見た」というだけで,主要な登場人物である二人の孫の紹介まできちっと至るところ。さすがの技量です。

9月1日午前中:大阪の義姉から届いた玉蜀黍を「山の下」に届けた話。一緒に届けた蜂蜜を恵子ちゃんが舐めたがるエピソード。32行
8月末:南足柄の長女から届いた宅急便と同封の手紙。28行
宅急便の手紙から一週間ほどあと。:多摩川梨が届いた時の電話。正雄君がからすの巣を作ったお話と絵物語「にんにくの名探偵」30行

9月のある日:自分の散歩。冷たいおしぼりで顔をふいた後、清水さんから頂いたピオーネと麦茶を頂く。夫婦のピオーネの食べ方の違いのお話。以上を含めた自分たち夫婦の日常の断片。38行。

以上188行で「貝がらと海の音」に登場する人たちの紹介を行い,それぞれの性格まで明かにします。

以下は次に

どくたーT@管理人(1001) 題名:貝がらと海の音(2) 投稿日 : 2004年6月13日<日>23時29分/東京都/男性/おじさん
 
次からは少しずつ重なりながらエピソードを動かす技量に注目です。
9月のある日:恵子ちゃんの描いた「じいたんの顔」の絵と、正雄の「ジンベイざめ」の絵。14行
4月:正雄君がこの絵を描くにいたった説明。庄野さん夫妻が阪田寛夫を誘って大阪天保山へジンベイさめを見に行く。宝塚の観劇趣味の話。36行。
9月のある日:この2枚の絵以外のフーちゃんのはかない絵。一方,習字は力強いよい字を書くこと。37行。
3月頃:春休みに買って上げたお洋服に対するお礼状。24行
4月:宝塚に行った時の礼状。13行。
1月:前述の手紙に付いていた付録の絵が「いぬのおまわりさん」の歌をヒントに書かれたがこの歌が恵子ちゃんが大好きで、箱根芦ノ湖のきのくにやへ1泊大旅行へ出かけた時マイクロバスで歌ったお話。10行。
4月:又戻って、フーちゃんの付録の絵の話。15行。
5月:フーちゃんの手紙。3通目。運動会へのお誘い。17行。

9月に入って1週間ほどたった頃:「英二伯父ちゃんの薔薇」のお話。42行。
9月に入って1週間ほどたった頃:妻のする日本昔話。24行。

以上を過ぎて、タイトルになった「貝からと海の音」のエピソードが登場します。
この夏のこと:清水さんから貰った貝殻をフーちゃんと春夫に選ばせたこと。57行。
「貝がらを耳にあてると海の音が聞こえるの」とフーちゃんがいいます。この「夢みる夢子ちゃん」であったフーちゃんの何気ない一言が、この穏やかで豊かな作品の方向を決める一言だと、作者が考えたのかも知れません。

朝食の時:「英二伯父ちゃんの薔薇」が咲く。7行。この最後に、庄野さんの晩年シリーズを特徴づける言葉のひとつ、「有難う」が初めて登場します。

連載の第1回めということもあるのでしょうが、相当検討され、推敲されて書かれていることが分かります。主要な登場人物を紹介し,そのデッサンを何回か繰返してひとつのイメージを固めて行く。非常に素晴らしいと思います。


さくらんぼジャム、鉛筆印のトレーナー
ゆう(995) 投稿日 : 2004年6月7日<月>18時34分/富山県/女性/20代後半
 
管理人様、ありがとうございます。そうですよね、もちろん発売当時に買っていらっしゃいますよね(*^_^*)

私は以前、図書館で借りて読んだのですが、やはり手元におきたくて探しています。
文春はまだしも、福武はもう絶望的なので最悪全ページコピーを考えています。ネットではある時期までのものと最近のものは見つかるのですが、このシリーズは全くなくて少し驚いています。でも根気強く探します!

どくたーT@管理人(999) 題名:文芸出版 投稿日 : 2004年6月10日<木>00時02分/東京都/男性/おじさん
 
ゆうさま
そうなのですか。
文芸出版は、出版の華なので、編集者としてはやりたいものだ、という話を聞いたことがありますが、採算があわない。最近の活字離れは特に、そういうところにしわ寄せが行っているのですね。
進研ゼミで儲けているベネッセとしても不採算部門は抱えていられないということなのでしょうか。寂しい話です.
新潮社は文芸出版の雄ですから、ある程度はがんばってくれるとは思いますが、どれだけ黒字に出来るか、というのが実際のところの課題としてあるのでしょうね。読者が増えれば大丈夫。庄野文学ファンをもっとふやす事が一番重要でしょう。

ゆう(998) 投稿日 : 2004年6月9日<水>13時53分/富山県/女性/20代後半
 
管理人さま 
福武(現ベネッセ)はもう文芸事業から撤退したようです。ので残念ながら新たな文庫化はかなり難しいと思います。でも文春、他の出版社に期待!です。

粋狂さま
目録に間違いがあるなんて信じられませんね!(といいながら気づいていなかった私・・)

新潮社に版権を買い取る案に賛成です!最近新書が好調で元気があるはず!それにひそかに進行中の庄野ブームを新潮社のかたならわかってらっしゃるはずですよねえ。

しかしもう多少値段が高くてもいいので文芸文庫でもなんでもいいからとにかく文庫化してほしいというのが正直な気持ちです。古本やオークションではもっともっと値段が上がりそうなので・・・。

粋狂(997) 題名:私も文庫化を期待! 投稿日 : 2004年6月9日<水>00時02分/東京都/男性/50代前半
 
★ 私も、文庫化を期待します。以前から、今の「夫婦の晩年」シリーズについては、文藝春秋や講談社が文庫化しないのであれば、文庫化の版権を新潮社が買い取って、新潮文庫でシーリーズ化してもらえないかなぁと、かねてから思っておりました。『ピアノの音』がいきなり文芸文庫というのも、「そりゃないよ!」というのが正直な気持ちですね(あの値段の文庫ですから・・・。もう一つ文句を云わせてもらうならば、巻末の「著書目録」の【文庫】のところで、新潮文庫の『庭のつるばら』が落ちていますよ!巻末資料の付加価値で高額というつもりなら、もっと丁寧なお仕事をしてください)。まぁ、講談社以上に、文藝春秋の怠慢はチョット許せませんね(文春関係者、この掲示板を読んでいたらマジに検討してくださいヨ)。

★ 講談社の文芸文庫には、私の分類私論による「前期家族もの」をアンソロジー(単行本はそのままで)という形での文庫シリーズ化を密かに期待しているのですが・・・・。

どくたーT@管理人(996) 題名:やっぱり文庫化 投稿日 : 2004年6月8日<火>23時19分/東京都/男性/おじさん
 
ゆう様

古本屋では見つからないのですか。いつか何かの機会ででてくると良いですね。
もう一つ言えば,繰返しになりますが,文春文庫も福武文庫もあるわけですから,文庫化、期待したいです.


謎解き『メジロの来る庭』(1)
粋狂(982) 投稿日 : 2004年5月19日<水>00時06分/東京都/男性/50代前半
 
★ 庄野さんがしばしば「あとがき」で書かれるように「同じようなことを書き続けても飽きない」と同様に、我々読者もまた「同じようなことを何度読んでも飽きない」のが、この「夫婦の晩年」を描くというシリーズだと思います。それゆえに、庄野さんの「あとがき」のあの記述がなければ、私もそのまま「気持ちよく」読み過ごしたのだろうと思います。

★ 基本的にフィクションと理解すべき文藝作品について、こんな「謎解き」を無粋にも今ここでする意味があるのかとためらう気持もありますし、また、ひょっとして庄野さんご自身も不愉快に思われたら申し訳ないなぁという気持もあるのですが・・・。あらかじめご寛恕いただきたくお願い申し上げるところです。

★ さてその謎解きですが、結論を先に申し上げれば、『メジロの来る庭』の「一〜三」、と、「四」以降との間には、1年間の時間のジャンプがあると思います。@1月
27日の大雪、A1月30日の安岡章太郎『鏡川』の大佛次郎賞授賞式、B2月8日の庄野さんの満80歳の誕生日、は、いずれも2001年の事柄です。前作『庭の小さなばら』が2001年1月24日までの記述ですので、それに自然と繋がっていると思います。
問題は、単行本で大きく削られた四です。そこに残された新横浜から新幹線に乗るルートを試される記述は、以後の連載の記述に繋がりますので、一連の繋がりがあるものだと思いますが、@フーちゃんの高校入学、Aひ孫の萌花ちゃんの誕生、は、実は、2002年の事柄なのです。

★私が、最初に、アレッ!!と思ったのは、「一」の庄野さんの80歳の誕生日のフ
ーちゃんのカードの部分で、そこに「フーちゃんは中学三年」とある箇所です。こ
こは「中学二年」でなければ計算が合わないのです(中学三年のときに庄野さんの
誕生日に贈ったカードについては、実は『孫の結婚式』所収の「孫のくれたお祝い
」というエッセイもあります!!)。結果的には、1年間の時間のジャンプがある
ために、作品としては、フーちゃんの高校入学に辻褄が合うようになるのではあり
ますが、・・・・。

★ 第1作の『貝がらと海の音』では、約3月ぐらい前の事柄からスタートしたのですが、1年の連載で1年間の事柄が完結すればタイムラグが拡がることもないものの、しかし、連載を重ねていく中で段々タイムラグが拡がってしまい、『メジロの来る庭』のスタート時では、約2年のタイムラグがあったのです。意図的に、このタイムラグを縮めるために庄野さんが2年分を混合させた記述を試みられたということも考えられますが、さてどうでしょうか。私などでも、1年前のことだったか2年前のことだったか、よく分からなくなることもあることからすれば、つい混同してしまったという可能性も捨て切れません(それに同情こそすれ、責める気持など毛頭ありません!!)。私は、このような混乱を生んだ背景には、庄野さんの心の奥底に、早く、フーちゃんの高校入学のこととか、萌花ちゃんの誕生のことなどを書きたい書きたいというお気持があったのではないかと推測するのですが。

(続く)

どくたーT@管理人(994) 題名:鉛筆印のトレーナー、さくらんぼジャム 投稿日 : 2004年6月5日<土>14時45分/東京都/男性/おじさん
 
ゆう様
そうでしたか。鉛筆印のトレーナー(福武書店)、さくらんぼジャム(文芸春秋)共に私は単行本が出版された時に購入しております。どちらもとても素敵な作品ですので、図書館でお借りになってお読み下さい。
新潮社と講談社は、決して十分とは行かないまでも、それなりに文庫化を進めてくれますが、文芸春秋は文庫化に消極的です。何とかならないのでしょうか。

ゆう(992) 題名:なんと! 投稿日 : 2004年6月5日<土>14時16分/富山県/女性/20代後半
 
そうでしたか!
私もメジロの庭がはじまった当初、ずいぶん現実とタイムラグがあるのだなあと思いながら読んでいたことを思い出しました。しかしジャンプしていたとは!全く気が付きませんでした。この書き込み、すごくわかり易いので印刷してコレクションしました(*^_^*)

ところで、「晩年の夫婦もの」以前の「鉛筆印のトレーナー」、「さくらんぼジャム」はもう手に入れることはできないのでしょうか?ネットの古本な屋どをみても皆無です。
皆様はどのようにして入手されたのでしょうか?

どくたーT@管理人(986) 題名:解析 投稿日 : 2004年5月20日<木>00時35分/東京都/男性/おじさん
 
酔狂様、詳細な解析、ありがとうございました。
私も再度、晩年シリーズを読み直して、酔狂様の解題を検証致します。今しばらくお時間を下さるようお願い申し上げます。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20040511dde014070004000c.html

粋狂(985) 題名:謎解き『メジロの来る庭』(3) 投稿日 : 2004年5月19日<水>00時16分/東京都/男性/50代前半
 
★ なお、このシリーズの連載時期と書かれた内容のタイムラグについては、おそらく
以下のとおりです。

○ 第1作 『貝がらと海の音』=1994年9月(7・8月の記述も)〜1995年6月の事柄
(「新潮45」1995年1月号〜12月号連載)
○ 第2作 『ピアノの音』=1995年8月22日〜1996年5月の事柄
(「群像」1996年1月号〜12月号連載)
○ 第3作 『せきれい』=1996年(H8年)8月30日〜1997年4月の事柄
(「文學界」1997年1月号〜12月号連載) 
○ 第4作 『庭のつるばら』=1997年5月〜同年10月?の事柄(76歳)
(「新潮」1998年1月号〜12月号連載) 
○ 第5作 『鳥の水浴び』=1997年10月〜1998年9月15日の事柄
(「群像」1999年1月号〜12月号連載)
○ 第6作 『山田さんの鈴虫』=1998年9月〜1999年8月10日の事柄
(「文學界」2000年1月号〜12月号連載)
○第7作 『うさぎのミミリー』=1999年8月12日〜2000年5月の事柄
(「波」2001年1月号〜12月号)
○第8作 『庭の小さなばら』=2000年5月〜2001年1月24日の事柄
(「群像」2002年1月号〜12月号連載)
○ 第9作 『メジロの来る庭』=2001年1月26日〜2月(1年ジャンプ!) ⇒2002年3月〜9月9日の事柄
(「文學界」2003年1月号〜12月号連載)
○ 第10作 『けい子ちゃんのゆかた』=2002年9月8日〜
(「波」2004年1月号〜 連載) 

粋狂(983) 題名:謎解き『メジロの来る庭』(2) 投稿日 : 2004年5月19日<水>00時11分/東京都/男性/50代前半
 
(続き)
★ ただひとつ残念なことは、ジャンプした1年間にも我々ファンにとって見逃し難い事柄があったのではないかということです。私のメモによれば、2001年秋には、明雄君が結婚されたのではないかと思うのです。「孫の結婚式」で、明雄君に「明雄の結婚式にも呼んでくれよな」と庄野さんがおっしゃったその明雄君の結婚式の事柄が抜け落ちているとしたら、それは、とても残念です。是非、連載のどこかで、思い出を振り返る形ででも書いていただければと願っております。山田さんの弟さんのご案内で新潟の岩室海岸に行かれる話もあるのでは?(『メジロの来る庭』では、新潟に行ったことがないとありますが、『けい子ちゃんのゆかた』では、行った旨の記述があります)。

★ そもそも、庄野さんのこのシリーズには、日付の記述はあるものの暦年の記載は一切ないのであって、その意味でも、私のこのような「謎解き」は、まことに無粋なこと、余計なことでしょうね。失礼の段、重ねてお許しくださいませ。
私自身も、庄野さんの作品の中の細かい異同については、あまり気にせずに大らかな気持で読んでいるのですが・・・・。年齢やお孫さんの学年などには、細かい食い違いがよくあります。先日の週刊文春の「家の履歴書」でも、「六十二歳の時脳梗塞で倒れて」とあって、あわてて私は計算し直したり・・・(六十四歳の時のはずです)。

★ 今回、「文學界」の連載12回をまず仔細に読み直してみたのですが、もうひとつ重大な問題がありまして、八月号の「八」と九月号の「九」とで、原稿の順序の後先が逆になっておりました(単行本では是正されて順序が入れ替わっております)。この点は、原稿締切に十分余裕をもってお書きになる庄野さんの勤勉さが逆に裏目に出たものかと思います。

★今回の「謎解き」のために、第1作から現在連載の「けい子ちゃんのゆかた」第5回までを一気に読み通してみましたが、庄野さんの全作に挑戦した後だったので、以前にはあまり意識しなかった記述にも、「こんな記述もあったのか」という発見もあったりして、改めてとても楽しめましたことを申し添えておきます。どの作品のどのページを開いてチョット読んでも気軽に楽しめるのがこのシリーズですが、順番どおりに通読するのも大河小説を読むような格別の楽しさがあります。庄野文学は、今まさに大輪が咲かんとしているのではないでしょうか。
(続く)


そば耳聞き耳小説(=身辺スケッチ小説)分類私論
粋狂(989) 投稿日 : 2004年6月1日<火>00時13分/東京都/男性/50代前半
 
★ 庄野作品の分類私論がまだ少し残っていたので・・・・。

まず、「家族もの」の周辺小説ともいうべき「そば耳聞き耳小説(=身辺スケッチ小説)に分類したものです。「家族もの」のファンなら同じく楽しめます。
例のごとく、『』が単行本で、「」が短編です。

◎そば耳聞き耳小説(=身辺スケッチ小説)
・「貴志君の話」(習作/全集第1巻所収)
・『雉子の羽』(単行本/全集第6巻所収)
・「日ざかり」(『鳥』・全集第5巻所収)
・「冬枯れ」(『丘の明り』・全集第5巻所収)
・「行きずり」(『丘の明り』・全集第5巻所収)
・「まわり道」(『丘の明り』・全集第5巻所収)
・「五人の男」(『静物』・全集第3巻所収)
・「相客」(『静物』・全集第3巻所収)
・「ビニール水泳服実験」(『バングローバーーの旅』・全集第2巻所収)
・「机」(『バングローバーーの旅』・全集第5巻所収)
・「雨の日」(『小えびの群れ』・全集第8巻所収) ※ 生田の食料品店・植木歯医者 
・「年ごろ」(『小えびの群れ』・全集第8巻所収) ※ 生田の化粧品店 
・「仕事場」(『小えびの群れ』・全集第8巻所収) ※ ウエディングドレスの仕立て依頼
・「鉄の串」(『絵合せ』・全集第8巻所収)  ※ 敦子(夏子さん?)の骨折
・「休みのあくる日」(『休みのあくる日』所収)
・「雨傘」(『休みのあくる日』所収)
・「鷹のあし」(『休みのあくる日』所収)
・「漏斗」(『休みのあくる日』所収) ※ 燃料屋の息子
・「屋上」(『屋上』所収)
・「五徳」(『屋根』所収) ※ 燃料屋の息子
・「かまいたち」(『屋上』所収)
・「かたつむり」(『屋上』所収) ※ 燃料屋の息子 
・「家鴨」(『屋上』所収)
・「写真屋」(『屋上』所収)
・「割算」(『屋上』所収) ※ 床屋さんの話
・「伊予柑」(『屋上』所収) ※ 床屋さんの話 
・『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』(単行本) ※ 1980年5月のロンドン訪問が題材。 
・『サヴォイ・オペラ』(単行本) 
〔関連随筆〕「『サヴォイ・オペラ』余禄」(『散歩道から』所収)

どくたーT@管理人(993) 題名:聞書き作品の分類 投稿日 : 2004年6月5日<土>14時37分/東京都/男性/おじさん
 
レスが遅くなりました.
でも、「ウン、ウン」と頷きながら読みました.庄野さんの本格的な取材型作品は、「浮き燈台」ぐらいから始まり、85年の入院前で終るので,庄野文学の中期の二本柱の一つ、と申し上げてよいですね。この聞書き小説の面白い事は、後になればなるほど、庄野さんのオリジナリティが強くなっていることだと思います。
私は、「浮き燈台」は、庄野作品の中では例外的な駄作だと思うのですが,「流れ藻」はずっとよい作品ですし、「紺野機業場」はこのジャンルの代表作になりました。
「水の都」や「早春」になればインタビュアーである庄野さんと語り手の間の呼吸がなんとも素敵で、このあたりの息遣いは、紀行作品「ガンビアの春」や「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」と通じるものがあります。

粋狂(991) 題名:聞き書き小説(=取材小説)ほか 投稿日 : 2004年6月1日<火>00時30分/東京都/男性/50代前半
 
★ 次は、いわゆる聞き書き小説(取材小説)です。これも取材者である庄野さんの存在が明瞭に分かるもので、「そば耳聞き耳(=身辺小説)」との境界に位置するものもあって、分類の難しいものもあります。あくまで私論とご理解を!

◎聞き書き(取材)小説
・「流木」(『愛撫』・全集第1巻所収)
・「紫陽花」(『プールサイド小景』・全集第1巻所収)
・「黒い牧師」(『プールサイド小景』・全集第1巻所収)
・『浮き燈台』(単行本/全集第4巻所収) ※ 変形聞き書き?
・「なめこ採り」(『道』・全集第4巻所収)
・「二人の友人」(『道』・全集第4巻所収) ※ 御母衣ダム
・「薪小屋」(『鳥』・全集第5巻所収)
・『佐渡』(単行本/全集第5巻所収)
・「雷鳴」(『鳥』・全集第5巻所収) ※ 写真家松村さん
・『流れ藻』(単行本/全集第6巻所収) ※そば耳に分類か?
※〔関連随筆〕「一つの縁」(『クロッカスの花』所収)
※〔関連随筆〕「舞台再訪」(『クロッカスの花』所収)
・『紺野機業場』(単行本/全集第7巻所収)
・『屋根』(単行本/全集第8巻所収)
・「葦切り」(『葦切り』所収)
※〔関連随筆〕「歌集『利根川の漣』」(『誕生日のラムケーキ』所収)
・「菱川屋のおばあさん」(『屋上』所収)
・『水の都』(単行本) ※ 1977年(昭和52年)2月頃〜 の話。
※〔関連随筆〕「淀川の水」(『ぎぼしの花』所収)
※〔関連随筆〕「『水の都』の縁」(『散歩道から』所収)
※〔関連随筆〕「土佐堀川」(『散歩道から』所収)
・『早春』(単行本) ※ 1980年(昭和55年)頃の話。 
※〔関連随筆〕「秋扇」(『ぎぼしの花』所収)
※〔関連随筆〕「荻野君のくれた手紙 ―「早春」抄」(『ぎぼしの花』所収)
・『引潮』(単行本) 
※〔関連随筆〕「在所言葉」(『御代の稲妻』所収)

★ どうにも分類に困ったものに以下の3作があります。

◎寓話・フィクション・その他
・「雲を消す男」(『バングローバーーの旅』・全集第2巻所収)
・「三つの葉」(『旅人の喜び』・全集第1巻所収)
・「橇」(『休みのあくる日』所収)


はじめまして!
はる(987) 投稿日 : 2004年5月25日<火>17時20分/東京都/おねえさん
 
ヤフーで検索してここにたどりつきました。私は今年に入ってから庄野先生の本を読むようになり以来、図書館でかりてはむさぼるように?読んでいます。ファンの方がこんなにいらっしゃるんですね。我が家では主人は先生の本に関心がないようで、周りにも話をする人はいないのでここでお話を聞けるのは嬉しいです。我が家では庄野先生のことを“潤ちゃん”と呼んでおり(失礼をお許しください)、読書中に話し掛けられるのが嫌いな私はいつも「今から潤ちゃん’ズワールドに入るから話し掛けないでね」といっています。(笑)
庄野先生の本を読むと当たり前と思っていた毎日がありがたく思え、気持ちがやさしくなりますね。初期の作品もこれからどんどん読みすすんでみたいと思います。宜しくお願いします。

どくたーT@管理人(988) 題名:ヤフーで検索すると辿りつくのですね 投稿日 : 2004年5月26日<水>22時35分/東京都/男性/おじさん
 
はる様
はじめまして。書き込みどうもありがとうございます。ご覧になって分かると思いますが,本サイトは庄野文学を愛好する皆様のためのサイトです。楽しんで頂ければ管理人冥利につきます。今後も少しずつ充実に努めますので、また遊びに来ていただければうれしいです。


自宅でお仕事
アップル(981) 投稿日 : 2004年5月17日<月>13時30分
 
アメリカから画期的なシステムが日本に上陸!
アメリカにいながら日本に住んでいる方とのビジネスチャンスです

自宅での仕事に興味はあるけれどどのように進めたらいいの?
人と話をするのが苦手だから…など
今までの在宅ビジネスの不安を一気に解消する画期的なシステムです。

詳細はHPから無料の資料を請求してください
http://www.brandnew-u.net
管理人様、突然の書き込み失礼いたしました

http://www.brandnew-u.net


毎日新聞
どくたーT@管理人(978) 投稿日 : 2004年5月11日<火>21時47分/東京都/男性/おじさん
 
本日(5月11日)毎日新聞夕刊に、毎日新聞の文芸担当編集委員・重里徹也氏による、インタビュー記事「「メジロの来る庭」刊行、庄野潤三さんに聞く」が掲載されました。
見出しが「生活の細部を見つめ、生の喜びをつづる」というものです。104行の長文です。

どくたーT@管理人(980) 題名:URLの欄に貼りつけて下さい 投稿日 : 2004年5月12日<水>21時50分/東京都/男性/おじさん
 
酔狂様
どうも教えて下さりありがとうございました。
なお、申し訳ありませんが,サイトのURLは、URLの欄に貼りつけて頂けると助かります。ハイパーリンクで、当該ページに直ぐジャンプできますので。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20040511dde014070004000c.html

粋狂(979) 題名:ネットで読めました。 投稿日 : 2004年5月11日<火>23時35分/東京都/男性/50代前半
 
管理人さま、有難うございました。ネットで記事を探したら見つかりました。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20040511dde014070004000c.html


『ピアノの音』、日経の書評その他
粋狂(973) 投稿日 : 2004年5月11日<火>00時05分/東京都/男性/50代前半
 
★ 今日、本屋で、講談社文芸文庫の『ピアノの音』を購入しました。私は、個人的には新潮社文庫(『貝がらと海の音』『庭のつるばら』の河田ヒロさんの装丁は素晴らしい!)のように、元本の装丁を生かした文庫化が望ましいと思うのですが・・・。文芸文庫は、アンソロジーとか全集というような新編集であるならば納得するのですがね。

★ 昨日(9日)の日経新聞の読書欄に、『メジロの来る庭』の書評が載ってました。

★ ところで、この『メジロの来る庭』には、重大な謎が隠されていることに気付きました。それを確認するため、『貝がらと海の音』以降の作品をもう一度読み直しているところです(この読み直しも、新しい発見もあったりで、楽しいですね)。整理できたら、ご紹介するつもりです、無粋なことと叱られそうですが・・・。

どくたーT@管理人(977) 題名:重大な謎? 投稿日 : 2004年5月11日<火>21時41分/東京都/男性/おじさん
 
何でしょう?
私もとても興味があります。酔狂様、宜しくお願いいたします。

ゆう(976) 投稿日 : 2004年5月11日<火>13時53分/富山県/女性/20代後半
 
粋狂さま、ふかおさま、情報ありがとうございます!
富山では昨日手に入らず、今日これから買いにいく予定です。講談社ホームページで表紙をみましたが確かに味気ない感じでしたね。色も・・・。「インド綿の服」あたりはロゴと色がぴったりだと思ったのですが・・・。

メジロの秘密、私もとっても楽しみです!!!

ふかお(975) 題名:文芸文庫 投稿日 : 2004年5月11日<火>13時18分/京都府/男性/おじさん
 
私も、講談社文芸文庫の「ピアノの音」、入手しました。
あとがきで、庄野さんが、ひ孫の萌花ちゃんを紹介されているのが、ほほえましいですね。

ふかお(974) 題名:作品が生まれる瞬間 投稿日 : 2004年5月11日<火>06時12分/京都府/男性/おじさん
 
粋狂様、「メジロの来る庭」に隠された重大な謎とは何でしょう。楽しみです。

ところで、新潮6月号の「作品が生まれる瞬間」という特集に、庄野さんが「庭に来る鳥とともに」という題で一文を寄せておられます。


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