庄野潤三掲示板 その11

まだ読める記事もありますが。

 

ジョンベラの写真
周山(1239) 投稿日 : 2005年7月15日<金>13時46分/神奈川県/男性/70代後半
 
どくたーTさん。お邪魔します。

今朝から「山の上に憩いあり」(1984年)を読み返しています。「錦帯橋畔の写真」について触れたところがありました。次の通りです。(54頁)

河上徹太郎さんからもらった岩国の絵葉書について・・・・・・

   『 山の上の天守閣から町の方を眺めたもので錦川が迂回しながら
   流れている。錦帯橋も小さく見える。ここは昭和二十年の正月に
   大竹海兵団から行軍にでかけ、橋のほとりで同じ班の者と震え
   ながら弁当を開いたところだ。武山の予備学生隊へ移る前で、
   ジョンベラの水兵服を着て並んだ写真がアルバムに残っている。』

この写真が載っている「鑑賞現代日本文学(第29巻):島尾敏雄・庄野潤三」は
1983年刊ですが、私が買い求めましたのは1990年です。「山の上に憩いあり」の、この文は忘れていたようです。

どくたーT@管理人(1241) 題名:山の上に憩いあり 投稿日 : 2005年7月16日<土>21時16分/東京都/男性/おじさん
 
周山様
私も、上記の文、確認いたしました。
「山の上に憩いあり」は、夏子さんの書かれた「てっちゃんメモ」が面白いですね。
このころ、河上徹太郎さんと庄野さんご一家の交流は年に2回ほどの行き来だったようですが、会があるたびに、龍也さん和也さんのご兄弟がアクロバットのようなことをやって見せたり、奥様と夏子さんとが重唱したりしていました。
いま、庄野家の新年会では、龍也さんのさだまさし、和也さんの「与作」が定番のようですが、余興好きご一家が連綿と続いているようで、うれしくなります。


ミイ(1238) 投稿日 : 2005年7月15日<金>09時27分/島根県/女性/20代前半

ヤフーの書籍検索で調べた結果、『エイヴォン記』その他もろもろは絶版で、皆様のアドヴァイスのもと図書館で探してみることにしました。
どうしてこの世に絶版なんて恐ろしいものがあるのでしょう……

『貝がらと海の音』は確か近所の書店にあったので、これから読んでみようかなぁと思いました。

どくたーT@管理人(1240) 題名:絶版 投稿日 : 2005年7月16日<土>21時00分
 
日本の書籍は、よほどのロングセラーにならない限り、絶版は避けられない運命のようです。一部の専門書の中には、毎年決まった部数が確実に売れるので、長年絶版にならずに残っているものがよくあります。
昔、高校時代の英語の先生が、「外国のある古典の文献を注文したところ、出版から100年以上経っていたのに、新本で手に入った、驚いた」と言っていたのを思い出します。


ありがとう!!
ミイ(1232) 投稿日 : 2005年7月14日<木>11時02分/島根県/女性/20代前半

皆さん。いろいろなアドヴァイスどうもありがとうございます。
感謝感激です。

まずは粋狂様のアドヴァイスのもと『エヴァン記』から読んでみようと思います。
あと、しも様のアドヴァイスに出てきた『ザボンの花』は絶対に読みます。私の大好きな作家、江国香織さんの『いつか記憶からこぼれおちるしても』という本に出てくる菊子という女の子が読んでいるシーンがあったので前々から興味はあったのです。
(まさか庄野先生の本だとは……びっくりしたし、嬉しくもありました)

つたない私にいろいろ教えてくださって本当にありがとうございました。
問題は島根県という田舎っぺの土地柄でこれらの本が手に入るかどうかです(笑)
何しろインターネットで買い物するのが恐怖な私ですから。。。
書店で注文し、気長に待って読もうと思います。

蛇足ですが昨日小川洋子さんの小説『薬指の標本』を読了しました。

しも(1237) 題名:福武文庫 投稿日 : 2005年7月15日<金>01時20分/大阪府/男性/30代前半
 
ザボンの花は1991年発行の福武文庫をもってるのですが、解説は阪田寛夫さんがお書きになられています。「三年前に文芸誌に連載した庄野さんのエイヴォン記」との記述がありますので、多分文庫用に書かれた解説だと思います。その書き出しは「庄野潤三さんの『ザボンの花』を、これまでに何度読み返したろうか。」で始まり、結びで「そして、ここから、庄野さんの文学を通じる水脈が形をなして流れ始めることは、最初に述べた通りである。」と書かれています。

ご息女「なつめちゃん」の名前の由来を考えても、阪田さんの中でとても大事な作品なのでしょうね。

どくたーT@管理人(1235) 題名:ザボンの花 投稿日 : 2005年7月14日<木>23時57分/東京都/男性/おじさん
 
庄野先生の初期の作品で、管理人一番お気に入りの作品が「ザボンの花」です。
一時期文庫で出ていたこともあったのですが、今はおそらく絶版です。図書館で探されるとよいと思います。講談社の庄野潤三全集では、第2巻に収載されています。
「エイヴォン記」も多分絶版。これは、出版されてまだ15年ぐらいですから、図書館でリクエストすれば手に入ります。

小川洋子さんの本は、最近「博士の愛した数式」を読みましたが、面白かったです。


すみません
ミイ(1233) 投稿日 : 2005年7月14日<木>11時15分/島根県/女性/20代前半

お礼の文章の中で『エイヴォン記』を『エヴァン記』と間違って打ってしまいました。大変失礼しました。ごめんなさい。

当分、本屋で何を買おうか迷わなくてすんで嬉しいです。(そのかわり、書店や古本屋を奔走しそう…)

どくたーT@管理人(1236) 題名:お気になさらずに 投稿日 : 2005年7月14日<木>23時58分
 
私もよく書き間違えて、推敲せずに投稿します。


お願いします!
ミイ(1225) 投稿日 : 2005年7月12日<火>23時17分/島根県/女性/20代前半

はじめまして。ミイと申します。

図書館で『うさぎのミミリー』を見かけて、《これは読める本だ。私に大切なものをくれる。文庫本になったら買ってぜったい読むぞ!!》と大変失礼な直感を抱いていたのですが、いざ文庫本になり読もうとすると内容紹介に「シリーズ第七作」と書かれていまして……。普段の生活においては大雑把な私ですが、本だけは順序良く読んで生きたい。

こんなふつつかな私ですが、庄野ワールドの仲間に入れてください。
『うさぎのミミリー』に辿りつくまでの手ほどきを、どなたかお願いいたします。

どくたーT@管理人(1234) 題名:確かに女性のファンが多いようですが 投稿日 : 2005年7月14日<木>23時49分/東京都/男性/40代後半
 
しも様

確かに庄野文学は、女性の方が多いようですが、この掲示板だって、しも様も粋狂様もいらっしゃることだし。管理人だって男です。

もし1冊だけ勧めるならば、私は結局「夕べの雲」になりそうです。

しも(1231) 題名:出来れば 投稿日 : 2005年7月14日<木>00時49分/大阪府/男性/30代前半
 
後期シリーズに限らないのであれば、
○ザボンの花
◎夕べの雲
○明夫と良二
は読まれたほうがいいと思います。(◎は文庫で手に入ります)
特に夕べの雲は庄野ワールドでも重要な位置付けの作品ですよね。

しかし、この掲示板を見ていつも思うのですが、庄野さんの読者はやはり女性の方が多いみたいですね。内容的には誰でも楽しめる話だと思うのですが...男性の読者には物足りなく感じるのでしょうか。
さらに言えば、今まで高校の国語の先生以外で庄野さんを知ってる人に会ったことがないんですよね。たまに、周りの人に勧めて読ませたりするのですが、どっぷりはまる人はいないです。
みなさんは、他の人に勧めたりする事ってありますか?よければ、何を最初に勧めたらいいと思うか教えてください。ちなみに私は「インド綿の服」を勧めてます。

どくたーT@管理人(1230) 題名:的確なナビゲーション 投稿日 : 2005年7月14日<木>00時41分/東京都/男性/おじさん
 
ミイさま
いらっしゃいませ。
粋狂さま
適切なナビゲーションありがとうございます。
とりあえず、「うさぎのミミリー」を読んでみて、楽しめたら「エイヴォン記」に戻る、というのも良い選択かもしれません。
粋狂様のおっしゃるように「エイヴォン記」から読まれると、フーちゃんの成長が眺められて、これまた楽しいものです。

粋狂(1227) 題名:ようこそ庄野ワールドへ! 投稿日 : 2005年7月13日<水>23時28分/東京都/男性/50代前半
 
★ ここのところ、急に新しい方の書き込むが増えて、賑やかになり、嬉しいですね。

★ ミイ様の質問に対しては、庄野家の歩みをどこまで遡るかということになるのでしょうが、ドクターT@管理人様の作品紹介を参考になされればいいと思いますが、過去の掲示板の書き込み(9)のbX32で、私の簡単な私的分類で時代順に並べてみましたので、ご参考にしていただければと思います。とりあえず、現在のシリーズ(私的に「後期家族もの」と分類)は、以下のとおりです。

◎後期家族もの(序奏3作+本格11作)
・『エイヴォン記』(1989年講談社)
・『鉛筆印のトレーナー』(1992年福武書店)
・『さくらんぼジャム』(1994年文藝春秋)
・第1作『貝がらと海の音』(1995年/新潮社→新潮文庫あり)
・第2作『ピアノの音』(1996年/講談社→ 講談社文芸文庫あり)
・第3作『せきれい』(1997年/文藝春秋→ 文春文庫あり)
・第4作『庭のつるばら』(1998年/新潮社→ 新潮文庫あり)
・第5作『鳥の水浴び』(1999年/講談社)
・第6作『山田さんの鈴虫』(2000年/文藝春秋)
・第7作『うさぎのミミリー』(2001年/新潮社→ 新潮文庫あり)
・第8作『庭の小さなばら』(2003年/講談社)
・第9作『メジロの来る庭』(2004年/文藝春秋)
・第10作『けい子ちゃんのゆかた』(2005年/新潮社)
・第11作『星に願いを』(2005年現在「群像」で連載中)


初めまして
とよこ(1213) 投稿日 : 2005年7月10日<日>16時12分
 
初めて書き込みいたします。
ドクターTさんは『静物』の紹介の中で、江國香織さんとの対談について触れられていますよね?
対談が載った雑誌や本など分かれば教えてください!!

ちなみに私はどちらかというと初期作品が大好きで、『舞踏』で卒業論文を書いたほどです。初出では最後、奥さん自殺しちゃってたんですよねー。以降の作品で奥さんが元気に出てくるたびに、なんとなくほっとしてしまいます☆

どくたーT@管理人(1229) 題名:奥様 投稿日 : 2005年7月14日<木>00時34分
 
とよこ様

最近は「妻」と書くことが多いようですね。実際にお宅ではなんと呼んでいらっしゃるのでしょう?一番考えられるのは、「おかあさん」ですが、本当のところは勿論分かりません。

とよこ(1226) 題名:妻と母とおばあさん 投稿日 : 2005年7月13日<水>09時04分/女性/20代前半
 
私は女性だからか奥さんが気になって仕方ありません。
初期の「妻」、「夫人」(これは「聞き書き」のせいかもしれませんが・・・)、「細君」そして「家内」と変わっていく奥さんの名称の使い方に、とても興味を感じます。
新潮、早速コピーして手に入れました。江國さんも初期庄野さんも「一見満たされているようで、じつは空虚さを隠し切れない夫婦」を描くという共通点があるのかもしれません(ファンの独りよがりな感想ですが)。

どくたーT@管理人(1220) 題名:夫と父親とおじいさん 投稿日 : 2005年7月12日<火>00時21分/東京都/男性/おじさん
 
とよこ様

庄野さんの作品を大づかみに分けると、夫の視点で書かれた作品、父の視点で書かれた作品、そして最近の祖父の視点で書かれた作品があります。それは、対象との距離感の違いのようでもあります。
「プールサイド小景」の主人公は父親になっていますが、その立脚点は夫であって、父親になりきれていないところが、小説としての面白さかもしれません。初期の「夫婦小説」は皆「夫」の視点で書かれています。「夫」から「父」に視点が完全に変わったとき、庄野文学は大きな変貌を遂げました。

とよこ(1216) 題名:ありがとうございます! 投稿日 : 2005年7月11日<月>09時22分/女性/20代前半

早速のお返事、ありがとうございます。
江國さんも大好きなもので・・・。
チェックしてみます。
先述した通り、私は初期作品(夫婦小説)が好きで、最近のものは「面白いけど淡々としすぎてるような・・・」と思っていました。でも、ここを見るうちに「最近のものもいいかも」と思えるようになりました(でもやっぱり『プールサイド小景』が一番かな?)。これからいろいろ読んでみます。ほんとうにありがとうございました。

どくたーT@管理人(1215) 題名:新潮2002年2月号 投稿日 : 2005年7月11日<月>00時20分
 
とよこ様、書き込みありがとうございます。
庄野さんと江國香織さんとの対談の初出は、雑誌「新潮」の2002年2月号です。
この対談は、明らかな間違いを修正して、随筆集「孫の結婚式」(2002年9月講談社)に収載されました。尚、新潮文庫「うさぎのミミリー」にも入っています。


初めまして。
あまみ(1206) 投稿日 : 2005年7月3日<日>19時30分/福岡県/女性/30代後半

こんにちは。モチコさんのHPより飛んで参りました。
私は恥ずかしながら庄野先生のことを存じておらず、偶然図書館で「庭のつるばら」(ハードカバー)の装幀を見て、とても素敵だったので手に取ったのが出会いでした。それが今年の五月なのでまだまだファンなりたての新参者です。
取り敢えずどんな本なのかなあと、あとがきなど立ち読みしましたら、その短い文章にも庄野先生のお人柄が感じられて早速借りて帰りました。初めのうちは、人物関係などに??だったのですが、それでも読み進む内にすっかり庄野先生の日常に浸ってしまい、「さくらんぼジャム」「貝がらと海の音」を続けて読み、大型書店で「うさぎのミミリー」(文庫)を見つけこちらは購入致しました(装幀もとっても良いですね〜庄野先生のご本にぴったりだと思います。飾っておきたくなるほどです)。
庄野先生の「喜ぶ」「嬉しい」など淡々と日々の暮らしを綴ってあるだけなのに、何故かその世界に引き込まれてしまう……本当に庄野先生のご本と出会えて良かった!!
今は「インド綿の服」を読んでいます。私の住んでる市の図書館はとても小さいので庄野先生のご本もあまり置いてありません。のでリクエストを出したら、今大きい図書館から「エイヴォン記」「ピアノの音」「前途」などが私の手元にやって来てくれました。
まだまだ庄野先生の世界に浸れると思うとわくわくしています。

どくたーT@管理人(1228) 題名:ニマニマ 投稿日 : 2005年7月14日<木>00時30分
 
確かに、知っている地名が沢山出てくるのは、楽しいですね。
私は、福岡には2回しか行ったことがなくて、どちらも観光をせず、ラーメンを食べたぐらいですので、何も申し上げられないのですが、昔からの本屋さんが残っているというにもいいですね。

あまみ(1224) 題名:「前途」読了いたしました。 投稿日 : 2005年7月12日<火>20時34分/福岡県/女性/30代後半
 
バンカラ時代?の庄野先生、といっても庄野先生はやっぱり、そこはかとなく上品な学生さんでした。今回は舞台の半分が福岡だったので、馴染みの地名がぼんぼん出て来て、楽しんで読めました。(「貝殻と海の音」でも「九州大牟田の草木饅頭」が登場したった一行でしたがとてもびっくりしました。白餡の小さなお饅頭で地元ではとても有名な和菓子です)
けれど一番びっくりしたのは積文館です。私がよく利用するチェーンの本屋さんなんですが、もうこの当時すでにあったのですねえ。嬉しくってひとりニマニマしました。

どくたーT@管理人(1219) 題名:「前途」のことなど 投稿日 : 2005年7月12日<火>00時10分
 
「前途」は、庄野さんの九大時代の思い出を題材に書かれた作品です。
庄野さんは1942年4月に九州帝大法文学部東洋史学科に入学し、翌1943年12月に学徒動員のために広島県の大竹海兵団に入団しました。そこで、周山様との接点が出来たわけです。「前途」はいつ出征になるか分からない状況での、文学の道を志す青年の気持ちが描かれています。
庄野さんの処女作「雪・ほたる」はこの切羽詰った状況下でかかれました。「雪・ほたる」は「蛍の光、窓の雪」で「別れ」がメインテーマのようです。私は実物を読んだことはないのですが、当時の明日をも知れぬ状況下では、「別れ」をテーマにするのは実に自然だっただろうな、と思います。

あまみ(1210) 題名:ありがとうございました。 投稿日 : 2005年7月7日<木>19時30分/福岡県/女性/30代後半
 
管理人様、アドバイスありがとうございましたvv
昨日「ピアノの音」まで読了いたしました。今度は「前途」が待っています。
(お余所からの借り物なので期間延長ができません。ので集中して読んでいます〜)
また感想など書き込ませてください。お邪魔いたしました。

どくたーT@管理人(1208) 題名:新参者なんて!!! 投稿日 : 2005年7月5日<火>23時44分/東京都/男性/おじさん
 
あまみ様
書き込みありがとうございます。
庄野ワールドを新たに知れたのはよかったですね。
読書の楽しみは極めて個人的なことですから、新参者とか古株とかおっしゃらなくてもよいと思いますよ。とにかく、庄野文学が好きという点では、管理人もあまみ様も一緒です。
まあ、一寸昔から読んでいる管理人としては、せっかくの諸書。読む順番を考えられると、もっと楽しめるかもしれません。
「庭のつるばら」、「さくらんぼジャム」、「貝がらと海の音」、「うさぎのミミリー」、「インド綿の服」を読まれているのでしたら、まず「エイヴォン記」を読まれるのがよろしいかと思います。これは、現在も続く晩年シリーズの第1歩とも言うべき作品で、「インド綿の服」と「さくらんぼジャム」の間の庄野さん一族が描かれます。我々にとっておなじみのフーちゃんが最初に登場するのがこの作品でした。
ついで、「ピアノの音」。本当は可能ならば「鉛筆印のトレーナー」を「ピアノの音」の前に読んでほしいですが。
「前途」は私の好きな作品ですが、これは上の現在の庄野家を描いた作品とは全く異なる「青春文学」です。


私もです
ごま(1223) 投稿日 : 2005年7月12日<火>10時26分
 
早速のレスありがとございます。

この出品は先生の本意ではないと思います。先生の知らないところで、
このように大事な作品がやりとりされているのは悲しいことです。
私も、応札はしません。 


はじめまして
ごま(1217) 投稿日 : 2005年7月11日<月>13時00分/埼玉県/女性/30代前半

はじめまして。いつもたのしく拝見しています。
先ほど、ヤフーオークションで庄野先生の生原稿が出品されていました。
本物だとすると、近しい人が出したんですよね‥(T_T)
庄野先生が知ったら、悲しむのでは?と思いました。
こちらの皆さんはどう思われますか?

どくたーT@管理人(1222) 題名:「近況」という随筆の生原稿 投稿日 : 2005年7月12日<火>00時38分/東京都/男性/おじさん
 
ごま様
情報ありがとうございます。早速ヤフーオークションを覗いてきました。
出品されている原稿は「近況」というタイトルの400字詰め原稿用紙1枚でした。
この出品状況から見ると、どこかから頼まれた原稿を庄野さんに戻すこと無しに、どこかに横流しされたもののように思います。

勿論大変残念なことですが、私は応札しないつもりです。


昭和19年の写真。
周山(1218) 投稿日 : 2005年7月11日<月>13時37分/神奈川県/男性/70代後半
 
どくたーTさん。早速のレス、有難うございました。今後とも宜しくお願い致します。

さて、私が7月9日に書き込みましたメッセージには間違いがありましたので訂正させて下さい。 

 I wrote:

 >(坂田寛夫著「庄野潤三ノート」冬樹社、1975年刊、にもあったと思い、確かめよ >うとしましたが書棚に見つかりません。倅か娘のどちらかが持ち出したもの、と思 >います)

今日、書棚の奥から出てきました。「庄野潤三ノート」には写真の掲載は一枚もありませんでした。

お詫びして訂正いたします。

次は蛇足です。

「周山」はハンドルネームです。若い時から雅号として使ってきました。私は典型的な転勤族で住まいは転々としたが、横浜に住みついてもう30年を越えました。

出身は「周防山口」です。これに因んで雅号は「周山」としました。(長州ではありません。山口県は長門・周防です)
       
以上です。 では。

どくたーT@管理人(1221) 題名:周防といえば瀬戸内側 投稿日 : 2005年7月12日<火>00時30分/東京都/男性/おじさん
 
周山様
ありがとうございました。
「周防山口」から「周山」のハンドルネームとは考えましたね。なお、私のハンドル・ネームは昔英会話を習っていたとき(半年で挫折しました。念のため)、講師の先生が付けたニックネームです。

 

始めまして。
周山(1211) 投稿日 : 2005年7月9日<土>15時34分/神奈川県/男性/70代後半
 
どくたーTさん。

初めて書き込みをさせて頂きます。1930年生まれの年金生活者です。

この掲示板の存在はかなり以前、偶然に知りました。以来読ませて頂いています。
私は若い頃から庄野潤三さんの愛読者ですが、職場の同僚や友人には庄野さんの愛読者は居ませんでした。偶然、この掲示板を知りました時には嬉しく大喜びをしたことを覚えています。

私が初めて庄野さんの作品を読みましたのは「ザボンの花」。日経新聞の連載で
読み、以後の著作は殆んどを買い求めてきました。ただし、ここ数年は年金生活
ユエもあって、文芸誌連載の段階から図書館依存が多くなりました。

熱心な庄野潤三さんフアンと自認しています。作品を書棚に並べているうちに
家内、倅、娘達も愛読者となりました。倅・娘はもう別世帯ですが新しい著作発刊の都度買い求めているようです。

庄野さんは昭和18年、大学は繰上げ卒業となって大竹海兵団へ入団されています。
角川書店昭和58年刊「鑑賞日本現代文学」の第29巻、「島尾敏雄・庄野潤三」の中に庄野さんが海兵団のお仲間とご一緒に岩国市の錦帯橋畔で撮られた写真があります。(水兵服姿です)

(坂田寛夫著「庄野潤三ノート」冬樹社、1975年刊、にもあったと思い、確かめようとしましたが書棚に見つかりません。倅か娘のどちらかが持ち出したもの、と思います)

私はこの年、昭和18年の4月、当時の県立岩国中学校へ入学、この錦帯橋を渡って通学をしていました。

この写真は庄野潤三全集各巻の折込月報にも掲載されていました。これを見た時も、何故か庄野さんと私は過去に時間と場所を共有した瞬間があったのだ、という気になって嬉しかった覚えがあります。この掲示板を知った時と同じような嬉しさ、でした。

私は家庭の事情もあって終戦後に転校し、この学校は卒業していませんが小学校1年生から中学校半ばまで過ごした岩国市は懐かしく、今でも時折訪れています。

中学校は錦帯橋を渡ってすぐの場所にありましたが移転建築され、今は広い公園の一部となっています。

錦帯橋は昨年、新しく架けなおされました。ご興味がおありでしたら次のURLを
ご覧下さい。

http://kintai.momomo.ifdef.jp/

どくたーT@管理人(1214) 題名:昭和19年1月、武山海兵団のころ 投稿日 : 2005年7月11日<月>00時08分/東京都/男性/40代後半

周山様
はじめまして。書き込みありがとうございます。
長年の読者歴。素晴らしいことだと思います。

さて、錦帯橋の写真の件ですが、庄野潤三全集 第7巻の月報に出ておりました。14人ほどで写っている写真で、前列左端が庄野さんだそうです。この写真の説明は、「昭和19年1月、武山海兵団のころ」となっております。

ご存知のように庄野さんは、昭和18年12月広島県大竹海兵団に入団し、すぐに(昭和19年1月)武山海兵団にある海軍予備学生隊に移られています。この写真は、移られた直後に撮影されたもののようです。

周山様と庄野さんとが錦帯橋で交差するというのは、なかなか興味深いお話です。
ちなみに管理人は、15年ほど前、岩国にある某社の工場を訪ねたついでに錦帯橋を見ております。


感想おねがいします★
えりか(1199) 投稿日 : 2005年6月18日<土>03時28分
 
「夕べの雲」を読んだ方は是非感想をお聞かせください!
私も今読んでいる最中ですが

どくたーT@管理人(1209) 題名:女性を描くのが上手かもしれません。 投稿日 : 2005年7月5日<火>23時55分
 
みや様、書き込みありがとうございました。
みや様の書き込みを読んで思ったのですが、庄野先生って、男性よりも女性の描き方のほうが生き生きとしているような気がします。例えば、「ザボンの花」の千枝となつめ、「夕べの雲」の晴子、一連の作品の「夏子」さん、そしてフーちゃん、けい子ちゃんもそうですね。勿論、男性の登場人物も生き生きとしていますが、(例えば「明夫と良二」)それよりも女性のほうが沢山の題材を与えているということかも知れませんね。

みや(1207) 題名:ただ今、再読中 投稿日 : 2005年7月5日<火>13時24分/大阪府/女性/40代前半
 
えりかさん、こんにちは。

こちらには、ときどきお邪魔していますが、久しぶりの書き込みです。
高校三年の時に買った、「夕べの雲」旧文庫版の再読をはじめたところです。
昔の文庫は字が小さくて、そろそろ目が辛くなってきました。なので、通勤途中ではなく、もっぱら家で読んでいます。

実は、この春から「貝がらと海の音」「せきれい」「ピアノの音」「メジロの来る庭」「けいこちゃんのゆかた」を図書館で借りて、順不同で読み出したら、夏子さんという人の魅力に引き込まれてしまい、学生の頃はどんな人だったのか、もう一度読みたくなってきたというわけです。「夕べの雲」のなかでは「晴子」となっていますが、高校の頃から、とても自然に家のことをテキパキ手伝う人だったようで、すっかり関心しています。結婚後、南足柄の家に大人数のお客さんを招いたり、山暮らしを快適なものにしようと奮闘したり、その様子を報告してくる手紙がまたとてもいきいきしていて、物語の中の人よりも魅力的な人だと思います。

「夕べの雲」では、だまってよく動く晴子さん、という印象を今のところは持っています。これがおわったら、「ザボンの花」「絵合わせ」も再読したいと思っています。

それから、旧文庫には小沼さんの解説もついていて、須賀敦子さんのイタリア語訳のことにも触れられていて、これを再読できたのもうれしいことでした。


どくたーT@管理人(1201) 題名:「夕べの雲」は本当に傑作だと思います 投稿日 : 2005年6月19日<日>23時26分
 
えりか様
かきこみありがとうございます。管理人の「夕べの雲」に関する考えは、サイトの中にありますので、そこをご参照ください。
私は、庄野作品をほとんど全て読んでいます。数多くの名作、傑作があり、どれが一番とはなかなかいえないのですが、もしどうしても1冊選ばなければならないとすれば、多分「夕べの雲」になると思います。
自然に対する慈しみ、明晰ながら詩情に富んだ表現、確実な人物描写、どれをとっても文句なしの傑作だと思います。これまで何度も読み返しています。読み返すたびに新たな発見があり、そのたびにますます好いねえ、と思うのです。


よおやく「けい子ちゃん・・」を読み終えて
美猫(1203) 投稿日 : 2005年6月21日<火>20時20分/島根県/女性/考えたくない
 
私も庄野さんと同じく「変化を好まない」性格なので、今回も穏やかに繰り返される庄野さんの日常を嬉しく読みました。私もどくたーTさんのように作品のほとんどを読んでいるつもりですが、「けい子ちゃん・・」で新しい発見をして「へぇ〜」と思った事がいくつかありました。九度山の旅館で何も書けず帰ってから誕生した「静物」の話、恒例のだるま市行きは草むらを焼いた為などは初めて知ったと思うのですが(??)
また、恒例の大阪行きがグリーン車になってほっとしたり、転ばれても大怪我でなくホッとしたり。でも1番驚いたのは歩くのを1万5千歩にした事。私も毎朝1時間歩きますが、たいてい6300歩前後で1万歩なんて自信ありません。1日2回でも庄野さんは一体何時間歩かれるんでしょう?全くすごいと思います。1万5千歩でもまだ多すぎる気もしますが、この体力のおかげで作品が書けるのですよね。これからもどうかお体に気をつけて執筆活動を続けて頂きたいです。 

どくたーT@管理人(1204) 題名:15000歩の感覚 投稿日 : 2005年6月24日<金>00時27分/東京都/男性/おじさん
 
美猫様
書き込みありがとうございました。
私もあまり変化を好む人間ではなく、小さな幸せが長く続いてくれることを望むものです。そんなところが庄野文学に惹かれたところかもしれません。
さて、15000歩というのは相当の歩数です。普通のサラリーマンが一日に歩くのが5000歩から7000歩といいます。私の場合、仕事場との往復で約5000歩、仕事場で約3000歩、昼休み20分散歩して約2000歩、それでやっと10000歩。更に5000歩増やそうと思うと、これは相当大変です。普通の人が1分間に歩くのが約100歩ですので、15000歩歩くとすると2時間30分。新聞を取りに行くとか、書斎から食堂まで歩くとか、そういった細々した歩行は当然あると思いますが、2時間は散歩しているのではないでしょうか


河田ヒロさんの新刊
どくたーT@管理人(1187) 投稿日 : 2005年5月30日<月>23時29分/東京都/男性/おじさん

「けい子ちゃんのゆかた」の挿画、カットでおなじみの河田ヒロさんが絵本を出版されたそうです。
タイトルは、『お砂糖とスパイス』、マザーグースの絵本とのことです。イギリスの伝承わらべ歌から、3章に各9編ずつを選び、河田さん自ら翻訳にも挑戦したそうです。27編全てに、カラーのコラージュによる小さな作品を制作。人物の登場しない、静かだけれどカラフルな、大人のための絵本に仕上げたとのことです。
今度是非書店でごらんになってください。
http://plaza.across.or.jp/~t-kawada/index.html

のりこ(1200) 題名:またひとつ世界が広がりました 投稿日 : 2005年6月18日<土>17時24分
 
また、素敵なページを紹介して下さってありがとうございました。河田ヒロさんのこともこれから注目して行きたいと思います。

どくたーT@管理人(1196) 題名:粋狂様の見方に賛成 投稿日 : 2005年6月12日<日>23時42分
 
アップルパイの写真がおいしそうでしたね。これも奥様の手作りでしょうか。それとも夏子さん作かしら。

粋狂(1191) 題名:河田ヒロさんの6月4日の記事 投稿日 : 2005年6月10日<金>00時40分/東京都/男性/おじさん
 
管理人さまご紹介(↑)の河田さんのサイトでjournalの6月4日の「ヴィクトル・ユーゴーの詩のように」の中に「先日あるご夫妻をお訪ねした」という記述がありますね。これは、庄野ファンが読むと、庄野さんの「山の上」の家を訪ねられたのに違いないと確信しますね。きっと、新潮文庫『うさぎのミミリー』と、新刊『けい子ちゃんのゆかた』で装丁を担当されたので、ご慰労されたのでしょうね。


同窓会会報14号
しも(1164) 投稿日 : 2005年5月1日<日>01時24分/大阪府/男性/30代前半
 
帝塚山学院の同窓会会報14号のPDFファイルが同窓会ホームページにUPされていました。部外者である私が見るのは、本来の主旨からいくと違うようで申し訳ないのですが、後々作品集に収録されるかもしれませんし、ご容赦いただけるかと思います。カラー写真は以前のクウネルの記事で見ていましたが、奥様は初めて拝見しました。予想していた通り、品のあるやさしそうな方ですね。文章も母校の後輩に語りかけるような内容でなかなか興味深かいです。ちなみに13号の表紙は庄野さんの直筆原稿でした。初めて見ましたので感激しました。
しかし、以前には「うさぎのミミリー」の紹介として庄野さんの肉声を聞けましたし、なかなか近くにはいない庄野さんファンの皆さんと情報交換できますし、インターネットが普及したおかげで、いろいろ便利になったものです。

のりこ(1186) 題名:ありがとうございました 投稿日 : 2005年5月9日<月>18時17分/愛知県/女性/おばさん
 
管理人様 見ることができました!ありがとうございました。

どくたーT@管理人(1185) 題名:ダイレクトリンク 投稿日 : 2005年5月8日<日>23時56分
 
のりこ様
同窓会報を見るためには「アドビ・リーダーVer.7」というソフトが必要のようです。これは無料で配布されているフリーソフトですので、もし、のりこ様のコンピュータに導入されていないのであれば、インストールしてください。Adobeという会社のサイトから入手できます。
もし、アドビ・リーダーがあれば、
次のアドレス
http://www.tezukayama-gr.gr.jp/
をアドレス欄に貼り付けてそちらに行き、会誌バックナンバーをクリックし、会誌「てづかやま」14号をクリックすると見ることが出来ます。
尚、下のURLをクリックするとダイレクトに見れるはずです。
http://www.tezukayama-gr.gr.jp/kaishi/tezuka_kaiho-14.pdf

のりこ(1183) 題名:たどりつけません 投稿日 : 2005年5月8日<日>17時56分
 
PCにうといので、同窓会のHPにはいけるものの、そこから先 どうしてもわかりません。奥様のお顔を拝見したいのに・・・どうすれば見られるのでしょう?

どくたーT@管理人(1178) 題名:江國さんとの対談が載った号です。 投稿日 : 2005年5月4日<水>23時57分
 
しも様
当該号は、「新潮」2002年2月号です。白黒の印刷ですので、鮮明ではありません。
このときお元気だった阪田さんはあの世に旅立たれたわけですから、月日のたつのは速いです。

しも(1174) 題名:えっ! 投稿日 : 2005年5月2日<月>08時03分/大阪府/男性/30代前半
 
「新潮」の件は知りませんでした。最近の号なのでしょうか?ちょっと図書館に行って探してきます。

どくたーT@管理人(1172) 題名:見ました 投稿日 : 2005年5月2日<月>00時38分
 
しも様
私も早速見て参りました。庄野一家の写真は、昔、庄野潤三全集の月報に載ったのを見たことがありますし、先日の庄野さんの80歳の誕生日の写真は、「新潮」誌に載りましたよね。しかし、奥様との二人だけの写真が公開されたのは初めてではないでしょうか?その上カラーです。PDFファイルは綺麗ですね。


南田中
K(1180) 投稿日 : 2005年5月7日<土>23時30分/千葉県/女性/50代前半
 
はじめまして。数年前より図書館で庄野さんの本を見かけると愛読しておりましたが、本日この掲示板にたどり着き感激です!
前から知りたいと思っていたのですが、私も石神井に住んでいたし南田中は学区内だったので、庄野さんのお子様とは同じころ小学校に通っていたのでは?と思うのです。いつごろ引っ越されたのでしょう?壇 一雄さんの息子さん(ふみさんのひとつ上)とは同級だったのですが。当時の南田中は田んぼが多く小川も流れていて、自然がいっぱいでしたのに‥道が狭いのでバスはうるさかったかもしれません。

どくたーT@管理人(1184) 題名:管理人がしゃしゃり出ない掲示板が本当は一番ですよね 投稿日 : 2005年5月8日<日>23時47分/東京都/男性/おじさん
 
Kさま、書き込みありがとうございます。
粋狂様の的確な対応があり、私は追加を書かなかったのですが、今度は隼人様がかかれたので一寸追加を。
私は、掲示板で管理人があまり大きな顔をするのはどうかな、と思っております。むしろ、掲示板に参加されている方たちで、いろいろ話を盛り上げてくださるほうがよいと思います。管理人も意識としては、同じ一ファンとして書いておりますので、「管理人より先にしゃしゃり出て」などとおっしゃらないで下さい。

隼人(1182) 題名:ご縁とは不思議なもの! 投稿日 : 2005年5月8日<日>16時37分/青森県/男性/50代後半

K様、初めまして。隼人と申します。
またお一人、庄野文学の愛読者が出てこられて、嬉しい限りですね。
しかも石神井にお住まいの頃からのお知り合い?ともなれば浅からぬ
ご縁を強く感じますね。これからもみんなで庄野先生を応援して参り
ましょう。
(管理人様より先にしゃしゃり出て申し訳ありません)

粋狂(1181) 題名:ようこそ!庄野ワールドへ 投稿日 : 2005年5月8日<日>00時39分/東京都/男性/50代前半
 
★Kさま。私は現在、南田中と環八を挟んで反対の杉並の方へ住んでいて、庄野さんが南田中の自宅から、よく自転車の後ろに夏子さんを乗せて荻窪の清水町の井伏鱒二さんのところへ遊びに行かれていたという話に興味を持ち、どの辺にお住まいだったか調べようとしたことがございます。この掲示板の以前の書き込み「その8」の中のナンバー730の私の書き込みを読んでいただければ参考になること思います。
★なお、庄野さんご一家が生田に引っ越されたのは、昭和36年4月のことだと思います。


けい子ちゃんのゆかた
のりこ(1162) 投稿日 : 2005年4月30日<土>17時55分/愛知県/女性/おばさん
 
今日買いました。うちの近くの「らくだ書店」、結構大きい店ですが、2冊しかありませんでした。平積みにしてほしいですね。とにかく読むのが楽しみです。けい子ちゃん、もう中学生なんですね。

どくたーT@管理人(1179) 題名:売れ行き良好 投稿日 : 2005年5月5日<木>00時01分/東京都/男性/おじさん
 
5月2日、家の近くのかなり大きな書店に行ったのですが、その店では既に売り切れで、再入荷未定と言われました。別の店で買ったのですが、2番目の店でも、私が買ったのが最後の1冊でした。売れ行き上々、と言うことなのでしょうね。

隼人(1176) 題名:『けいこちゃんのゆかた』ゲット♪ 投稿日 : 2005年5月3日<火>17時15分
 
皆様こんにちは!たいへんご無沙汰いたしています。いつもこの掲示板を拝見させていただいています。ありがとうございます。
昨日、青森市内の書店において、『けいこちゃんのゆかた』を入手することができました。ここの書店は青森市内ではもっとも大規模店らしく平積みしていました。ざっと数えたら10冊はあったかなと思います。連休明けにまた覗いてみようかな、と思っています。ちなみに先日発売になった『うさぎのミミリー』も平積みでしたが、文庫本コーナーへ立ち寄りましたら、かなり残部が少なくなっていました。
今日からの三連休はどこへも行かず、庄野作品にどっぷりと浸かりたいと思っています。

のりこ(1175) 題名:正文館か。 投稿日 : 2005年5月2日<月>18時27分/愛知県/女性/おばさん
 
ゆう様 正文館、なかなかいい本屋さんですね。たまーに行きますが。お近くですか?私も千種区です。「うさぎのミミリー」、タイトルといい、かわいいですよね。「けい子ちゃんのゆかた」も、すてきな装丁で気に入っています。

どくたーT@管理人(1171) 題名:まだ買っていません。 投稿日 : 2005年5月2日<月>00時31分/東京都/男性/おじさん
 
のりこ様、ゆう様
書き込みありがとうございました。もうお買い上げになったのですね。
私は、29、30日と愛知県の某所に出かけておりまして、まだ購入しておりません。明日(もう今日か)買いに出かけます。

ゆう(1163) 題名:らくだ書店!! 投稿日 : 2005年4月30日<土>23時48分/愛知県/女性/30代前半
 
のりこ様、ちくさ正文館には5,6冊平積みしてありましたよ(^_^)
(ローカル情報でごめんなさい・・・。)
私も、もったいなくてゆっくり、少しずつ読んでいます。


新潮文庫『うさぎのミミリー』
粋狂(1157) 投稿日 : 2005年4月24日<日>00時22分/東京都/男性/50代前半
 
★今日は、ある噺家さんの真打ち昇進・襲名披露のあと、神保町で3時からある会合に出るため神田神保町に向かい、少し時間の余裕があったので、すずらん通りの「東京堂書店」に寄ったのです。本を見ていたら、新潮文庫の平積みの入れ替えをしているので、「これから今月の新刊が並ぶのですか?」とお聞きしたら「何かご希望の本がおありですか?」と聞かれた。「うさぎのミミリー」と云っただけで、店員さんが即座に「庄野さんですね」と答えられ、すぐ平積みする前の本から1冊持ってきてくれました。感じのいい店員さんでした。

★ ここの書店では、庄野さんの文庫本が、新潮社、文藝春秋、講談社(文芸文庫も含む)とも一箇所にまとめて置いてあるところもあって、店員さんの中にも庄野ファンがきっといらっしゃるんだ・・、あの店員さんかな、と思いましたね。気持ちよく購入してきました。

★ 解説の代わりに、江国香織さんとのあの有名な対談が収録されていました。改めて、江国さんが筋金入りの庄野ファンであることを認識しました(落語ファンの私は、お父上の江国滋ファンでもあります)。

★ また余計なことですが、前々からこの対談で気になっていたのは、庄野さんが「フーちゃんというのは、長女のところで男の子ばかり三人続いて生まれたあとに、次男のところで初めて女の子が生まれた。」とある箇所(243ページ)。フーちゃんは四男・正雄君の後に生まれたので、正確には「四人続いて生まれたあとに」でしょうね。庄野さんがウッカリでそう発言されたのは事実だとしても、何度も活字にする際に、編集者は気にならないのかな、といつも私は疑問に思っているのですが・・・。おまえの方が細かいことを気にし過ぎだ、と叱られそうですが、一読者としては、庄野さんに対しては大らかな気持ちで読むのですが、編集者に対しては、プロとして気にならないのかなぁ、とつい思ってしまうのです。

どくたーT@管理人(1177) 題名:「けい子ちゃんのゆかた」における問題 投稿日 : 2005年5月4日<水>23時52分/東京都/男性/おじさん
 
購入した「けい子ちゃんのゆかた」を眺めておりましたら、フーちゃんの紹介(8ページ)で、また、「いま足柄にいる長女のところに続いて三人男の子が生まれたあとに、はじめて授かった女の子の孫であったので、」という記載がありました。一方、夏子さんの手紙(112ページ)では、「男の子ばかり続いて四人も育てた私としましては、」という記載があり、ここも不整合ですね。
なお、「けい子ちゃんのゆかた」に書かれた時期は、2002年の9月から2003年の3月までですが、このとき小学校5年生であった「けい子ちゃん」は、4月から中2です。なお、フーちゃんは高校を卒業したはずです。フーちゃんの進路について、庄野さんは何も書いてはおられませんが、そのうち書かれることになるのでしょうね。

どくたーT@管理人(1170) 題名:修正 投稿日 : 2005年5月2日<月>00時28分/東京都/男性/おじさん
 
粋狂様
増刷されるときに細かい修正が入ることはよくあるようです。
尚、各社の編集者の方もこのサイトはごらんになっているようで、ここで議論になった事項は、出版の時や増刷のときに修正されることがあるようです。
そのためにも、粋狂様の指摘は重要ではないかと思います。

尚、私も仕事で人の論文や報告書を添削することが多いのですが、実際その仕事の中身をよく知らないほうが、誤りを見つけることが出来ます。これは、中身をよく知っていると、読み飛ばしてしまい、第三者がどう見るかという観点からの評価が不十分になってしまうということのようです。

編集者の方も、もちろん原稿の確認をされているのでしょうが、庄野先生の文にあまり慣れ親しみすぎての見落としはあるでしょう。そこを読者が正すのは当然だと思います。

粋狂(1161) 題名:『波』5月号の表紙 投稿日 : 2005年4月29日<金>00時57分/東京都/男性/50代前半
 
★ ゆう様、そうですか。私の見た範囲では、そう訂正されているのは記憶にないですかね・・?!

★ ところで、河田ヒロさんのホームぺージを見ていたら、新潮社の『波』5月号の表紙が、庄野先生の原稿と河田さんのカットを配したもののようです。News&Infoのところで、庄野さん関連のお仕事がまとめられています。
http://plaza.across.or.jp/~t-kawada/index.html

ゆう(1160) 題名:対談 投稿日 : 2005年4月28日<木>10時20分/愛知県/女性/30代前半
 
こんにちは!次々と庄野先生の本が出版されてうれしい春ですね(^_^.)ミミリーは表紙もかわいらしくて誰かにプレゼントしたくなりました。

ところで話をむしかえすようで恐縮なのですが、例の対談、私の持っている「孫の結婚式」の第二刷では「男の子ばかり4人続いて・・」となっています。一刷ではどうだったのかはわかりませんが・・・。でも管理人様がおっしゃるように一連のシリーズは小説なんですよね。うっかりしているとそれを忘れてしまいます。江國さんの「作者というより登場人物に会っている気がする」という言葉も印象的でした。

粋狂(1159) 題名:少し言い過ぎですね 投稿日 : 2005年4月26日<火>23時19分/東京都/男性/50代前半
 
一所懸命に編集を担当されている方々に対して、悪気はなかったのですが、しかし、やはり少し失礼な言でしたね、お許しください。これからも素敵な庄野本をよろしくお願いいたします。妄言多謝!!

どくたーT@管理人(1158) 題名:小説の世界と真実と 投稿日 : 2005年4月26日<火>00時22分
 
粋狂さまのお話を聞くと、とても気持ちがいいですね。東京堂書店の店員さんに庄野さんファンがいるというところなど、とても気持ちが良いです。
ちなみに、私は落語もそれなりに好きで(それなりにと書いたのは、寄席に行くのが年に1回ぐらいだから。)昨年の夏、息子を連れて新宿の末広亭に行ったら、江戸屋小猫が出演していて、息子のリクエストに答えてもらいました。
さて、編集者の話ですが、「庄野さんが「フーちゃんというのは、長女のところで男の子ばかり三人続いて生まれたあとに、次男のところで初めて女の子が生まれた。」とある箇所(243ページ)。フーちゃんは四男・正雄君の後に生まれたので、正確には「四人続いて生まれたあとに」でしょうね。庄野さんがウッカリでそう発言されたのは事実だとしても、何度も活字にする際に、編集者は気にならないのかな、といつも私は疑問に思っているのですが・・・。」というのは、確かにそうですよね。しかしながら、庄野さんも対談後ゲラを見ているはずですから、実態としては
1)庄野さんの単純な勘違い
2)庄野さんの小説の中では、正雄君がフーちゃんよりも大きいと書かれているが実際は逆。
3)その他
のいずれかでしょう。
もちろん、庄野さんの単純な勘違いでしょう。
ただ、原則論からいえば、たとえ私小説といえ、設定は、作者の考えで自由に変更できるわけですから、フーちゃんのポジションに目くじらを立てなくてもいいのかも。対談での発言ですから、小説とは同じには考えられませんが。


ピアノの音
大須賀正彦(1165) 投稿日 : 2005年5月1日<日>08時48分/愛知県/男性/60代前半
 
この本をボランティアで点訳しておりますが、「音」を「ね」とするか「おと」とするかで困っています.正しい読みを教えてください.

どくたーT@管理人(1173) 題名:ありがとうございます 投稿日 : 2005年5月2日<月>00時54分
 
粋狂様
怠慢な管理人になり代わり、適切なご回答ありがとうございました。
一般には「音」を「おと」と読むか「ね」と読むかは難しいようです。
「虫の音」は「虫のね」なんでしょうが「虫のおと」でも悪いとはいえないような気がしますし、「鐘の音」なら「かねのね」でも「かねのおと」でもどちらでもよいような気がします。でも「音を上げる」は勿論「ねをあげる」でなければいけません。一応、「ね」には美しい音という感じがあるそうです。確かに「風のね」であれば、ポエティックですし、「風のおと」だと現実的な感じですよね。台風の吹き鳴らす音は決して「ね」ではありません。

粋狂(1169) 題名:講談社文芸文庫の奥付け 投稿日 : 2005年5月1日<日>23時17分/東京都/男性/50代前半
 
講談社文芸文庫の奥付けには「おと」と振り仮名があります。「ピアノのおと」でいい訳です。
一般に、和楽器なら「ね」と呼ぶことが多いかもしれませんが、洋楽器は「おと」でいいのだと思います。「音色」は当然「ねいろ」ですが、単独で「音」と表記する場合は、楽器の和洋で使い分けるのがしっくりいくような気がします(国語学者でもなんでもありませんが・・・)。


お写真が出てました
へむへむ(1155) 投稿日 : 2005年4月17日<日>10時48分/大阪府/男性/40代前半
 
こんにちは。たいへんごぶさたしております。
ぜひお知らせしたいことがあります。
先日届いた帝塚山学院の同窓会会報14号に、潤三先生が書かれた、小学校時代の作文教育に関する思い出の文章が出ていたのですが、それよりも驚いたのは、潤三先生と奥様の写真が何とカラーで掲載されていたのです。順三先生は渋いブレザー姿、奥様はにこやかな笑顔と胸元にはエプロン(?)の「LANCEL」の文字が見えます。ご夫妻でのカラー写真とは、珍しいのではないでしょうか。
この会報のバックナンバーは同窓会ホームページでも公開されています(PDFファイル)。
http://www.tezukayama-gr.gr.jp/
但しこの14号はまだアップされていません。皆様、気長にお待ちください。

どくたーT@管理人(1156) 題名:同窓会報 投稿日 : 2005年4月21日<木>05時45分
 
へむへむ様
情報、どうもありがとうございました。
その後、何回か帝塚山学院のサイトを眺めているのですが、まだアップされていないようです。今回、見ていて思ったのは、庄野先生のお父様が開設なされた帝塚山学院の伝統。そろそろ創立90年なのですね。庄野先生や阪田さん以外も多士済済です。同窓会報のサイトには中村祐輔さんが載っていましたが、中村さんは、遺伝子の専門家で若くして紫綬褒章を受章された方です。庄野先生ともども文化勲章候補者です。


文庫が発売です
美猫(1153) 投稿日 : 2005年4月13日<水>17時39分/島根県/女性/忘れた
 
4月26日、新潮文庫より「うさぎのミミリー」が発売になります。
嬉しいですが、私としてはもっと以前の作品、例えば「ザボンの花」や「昭夫と良二」を
文庫でそろえてみたいです。どこかの出版社が叶えてくれないかなあ〜。

どくたーT@管理人(1154) 題名:同感です 投稿日 : 2005年4月16日<土>01時44分/東京都/男性/おじさん

美猫さま
情報ありがとうございます。
今年の春は、「けい子ちゃんのゆかた」と「うさぎのミミリー」と2冊同時発売なんですね。結構なことです。
旧作品の文庫化、美猫様以外にも多くの方がそう思ってらっしゃる。
でもなかなか進まないようですね。


文学界
ゆう(1151) 投稿日 : 2005年4月11日<月>18時18分/愛知県/女性/30代前半
 
管理人様、こんにちは。
ここにこられるかたはおそらくみなさんご存知だとは思いますが文学界に庄野先生の阪田さんへの追悼文が載っていますね。
ありきたりのものではなく、庄野先生らしい静かな小品を読むような追悼文でした。

どくたーT@管理人 (1152) 題名:文学界・群像 投稿日 : 2005年4月13日<水>00時07分/東京都/男性/おじさん

ゆう様
お知らせいただきありがとうございました。
早速「文学界」誌を確認いたしました。
庄野先生らしい追悼文でしたが、悲しさを強く覚えるのでしょう。十分な推敲は行われていないように感じました。

阪田さんの遺作は「群像」に載った詩のようです。
それを読むと、ご自身の病気を積極的に詩にしているわけではないのですが、阪田さんの「病」に対するやりきれなさ、悲痛さが強く感じられました。


庄野潤三さんの大ファン
水無月(名張市)(1135) 投稿日 : 2005年3月22日<火>18時46分
 
庄野氏ファン暦約40年。単行本は、『夕べの雲』からほとんど持っており完読しています。拙同人誌『真帆羅』を勝手ながらお送りし、歌曲「名張乙女」等ハーモニカで演奏できる作品が掲載されていました。しかし、氏からは何も返事等はありませんでしたが、何も気にせずこれが当たり前だと思っています。今も大ファンで次作の出版を心待ちにしています。
 私も、阪田さんのご逝去には驚いています。同じ関西出身でしたから、この方の作品も大好きでした。

るーしー(1150) 題名:びっくりです 投稿日 : 2005年4月3日<日>13時24分
 
久し振りにこちらの掲示板を拝見しましたところ
なんと名張市に庄野先生のファンのかたがいらっしゃるのですね。
なにも驚くにはあたらないのかも知れませんが
名張乙女は読みました。私は名張の新興住宅街に住むものです。
阪田さん こころからお悔やみ申し上げます。

どくたーT@管理人(1143) 題名:けい子ちゃんのゆかた 投稿日 : 2005年3月26日<土>11時30分/東京都/男性/おじさん
 
水無月様
書き込みありがとうございます。
庄野先生の次の新刊は、今年の4月(まもなくですね)「けい子ちゃんのゆかた」の予定です。「波」に連載されていたものですが、この掲示板でも話題になったミスが修正されて、出版されるらしいですよ。
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/sokuho.html


ご無沙汰しております
モチコ(1148) 投稿日 : 2005年4月1日<金>23時13分/東京都/女性/20代前半
 
どくたーT様、皆さん、ご無沙汰しております。
どなたか覚えていらっしゃる方がおられますでしょうか?(笑)
今日、新潮社のメールマガジンが届き、そこに
『けいこちゃんのゆかた』が4月28日に発売されるとありました。
嬉しくて、久々に書き込ませていただきました。

この作品は「波」を定期購読して読んでいましたが、あらためて1冊の
本になってから読めることを楽しみにしています。
河田ヒロさんの装画もいつも素敵なのでうれしいです。

阪田さんのこと、本当に残念で淋しいです。
ご冥福をお祈りします。

どくたーT@管理人(1149) 題名:もちろん覚えていますとも 投稿日 : 2005年4月3日<日>00時19分/東京都/男性/おじさん

モチコさま
お久しぶりです。
書き込みありがとうございます。
「けい子ちゃんのゆかた」の情報ありがとうございました。
そのころは、花粉の猛威も終わり、ゆったりとした気分で読めるでしょう。


喪友記
OR(1145) 投稿日 : 2005年3月30日<水>18時32分/神奈川県/男性/60代前半
 
日経にも庄野さんの文章が、掲題の欄に載りました。3月30日朝刊44面。『坂田寛夫さんを悼む、宝塚歌劇のご縁』のタイトルで。最後に、『知らせを聞いた夜、私は(庄野さんのこと)ハーモニカをとり出して「春のまきば」を吹き、妻(奥様)がうたった』とありました!!!

どくたーT@管理人(1147) 題名:「春のまきば」 投稿日 : 2005年4月1日<金>01時05分
 
OR様、酔狂様、日経記事のご紹介ありがとうございました。
私も読みました。

庄野さんは、阪田さんのこの「春のまきば」という作品がお好きらしく、作品の中でも何回か触れておられます。しかし、私は、今まで聴いた経験がありません。インターネットで調べたところ、
「春のまきば 阪田寛夫作詞 市川都志春作曲
この曲「春が来た」と一緒に歌うことが出来ます。こういうの何というか知りませんが、そのために作られた曲のようです。」
なるほど、そういう目的で歌うのですね。小学校3年生ぐらいの教科書に載っているようですが、どんな作品でしょう。楽譜を見つけたら、歌ってみようと思います。
 

粋狂(1146) 題名:全文引用しておきます! 投稿日 : 2005年3月30日<水>22時18分/東京都/男性/50代前半
 
★そうですね。日経新聞朝刊の最終ページのこのコラムは、いつもなら「交遊抄」という名物コラムなのですが、「喪友記」となっていました。短いコラムなので、日経をご覧になる機会のない方のために、以下に全文を引用しておきましょう。

「サッちゃん」の作者の阪田寛夫とは、長年にわたる友人であった。
民間放送のラジオが始まったころ、阪田と私は大阪の朝日放送の制作部で机を並べて、子供番組や英語講座の番組を受持った。阪田は無口だが、温和でやさしい人柄をみんなに愛されていた。みんなは阪田のことを、大阪の人が親しい人を呼ぶときの「はん」をつけて、「阪田はん」と呼んでいた。
私は芥川賞を受賞して朝日放送をやめ、文筆生活に入った。阪田も同じように、お母さんとの別れを描いた「土の器」で芥川賞を受賞して、社をやめた。二人とも宝塚の歌劇が好きであった。阪田の次女のなつめちゃんが宝塚音楽学校に入ったとき、私はよろこんだ。私はなつめちゃんが本科生の夏休みのとき、阪田に頼まれて、なつめちゃんの芸名をつけさせてもらった。大浦みずき。なつめちゃんはよく精進して、やがて花組のトップとなる。私と阪田は、よく四月に大阪へ出かけて、宝塚の春の公演を見物した。初舞台生のロケットを見て、二人で感動したものであった。
子供のためのいい歌を阪田はいっぱい書いた。まきばをかけまわる子馬たちをうたった「春のまきば」は傑作。悲しい知らせを聞いた夜、私はハーモニカをとり出して「春のまきば」を吹き、妻がうたった。

 


阪田さん
のりこ(1133) 投稿日 : 2005年3月22日<火>14時27分/愛知県/女性/おばさん
 
今朝、阪田さん亡くなったのですね。庄野先生の作品には不可欠な方で、ご登場されるのを楽しみにしていたのに。とても残念です。ご冥福をお祈りします。

どくたーT@管理人(1144) 題名:残念です。 投稿日 : 2005年3月26日<土>11時36分
 
のりこ様
本当に残念なことです。


三読『せきれい』、そして・・・
粋狂(1139) 投稿日 : 2005年3月24日<木>00時25分/東京都/男性/50代前半
 
★庄野作品の続々の文庫化を所望している者として、1月の文春文庫版『せきれい』も読まねばと思いつつも、ついつい後回しにしていましたのを、先週から読んでおりました。まだ、穴八幡の帰りにホットケーキを食べられる高田馬場の喫茶店「ユタ」があり(もう閉店して4,5年経つか?)、福相の「なすのやさん」や、一時体調を回復された清水さんも登場され、恒例の大阪行きには阪田さんがご一緒され、宝塚観劇のあとに「くろがね」にもご一緒されているし・・・と、最近の作品にはない箇所があって、やや歳月を感じつつ読んでいたところでした。阪田さんは奥様の体調がよくないご様子で、大阪行きの同行も、宝塚や「くらがね」にご一緒されることも最近の作品ではなくなったように思っておりました。その阪田さんの訃報に接し、複雑な思いを抱きながら、今日読み終えました。この『せきれい』には、大阪のホテルで、阪田さんにハーモニカを披露されるところがあり、また、最後の方で、阪田さんがモービル児童文化賞を受賞される記述もあったりして、阪田さんのお名前が格段に登場する作品なのではないかと思い、感慨深く読み終えたところです。喪主を奥様がおつとめられるようで、くれぐれも体調を崩されることのないようにと、思っております。
★なお、 読売新聞は、昨日(22日)夕刊の庄野さんの談話に続き、今日23日の夕刊では、1面下の「よみうり抄」で「サッちゃん」などの話題が取り上げられ、文化面には、三浦朱門さんの追悼の一文がありました(旧制高知高校の同級生なんだそうです)。

どくたーT@管理人(1142) 題名:「せきれい」のころ 投稿日 : 2005年3月26日<土>11時24分
 
酔狂様
庄野先生の「晩年シリーズ」の中では、「せきれい」のころが一番登場人物がいきいきしていたかも知れませんね。「歳々年々、人同じからず」ですから、しかたがないのですが。
阪田さんの葬儀、時間があれば伺おうと思っていたのですが、年度末の多忙さにまぎれて結局伺えませんでした。同じ東京の空の下、ご冥福を祈る黙祷をささげました。

粋狂(1140) 題名:「よみうり寸評」でした 投稿日 : 2005年3月24日<木>00時35分/東京都/男性/50代前半
 
↑ 「よみうり抄」ではなく「よみうり寸評」でした。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20050323ig05.htm


阪田寛夫さん
たま(1138) 投稿日 : 2005年3月23日<水>00時27分/京都府/女性/おばさん
 
いつも庄野さんの作品に登場されるのをみてお元気なんだと思っていましたので驚いております。大浦みずきさんが在団中は時々宝塚大劇場でお見かけしました。大劇場でちょっとあがっておりますと言って講演をされたのも印象に残っています。心からご冥福をお祈りいたします。

朝日新聞の庄野さんの談話は胸をうつものがあり深い悲しみが伝わるようです。どうかお力落としなさいませぬように。

庄野さんの談話は

どくたーT@管理人(1141) 題名:童謡作家としての阪田さん 投稿日 : 2005年3月26日<土>11時15分/東京都/男性/おじさん
 
ゆき様、pompom様、たま様
阪田さんの件、本当に残念です。

庄野さんの作品を読むと、阪田さんは大親友の一人として描かれており、よく一緒に宝塚や大浦みずきさんのコンサートに出かけられていました。それらには、阪田さんの具合が悪いと言うことはあまりなく、奥様の具合がよろしくないという書き方がしばしばされていたように思います。しかしながら、先に行かれたのは阪田さんだったということなのですね。
ご冥福をお祈りします。

庄野文学との関連でも阪田寛夫さんはとても重要な方ですが、私にとって、阪田さんといえば、大好きな童謡作詞者でした。私は子供の歌が子供のころから好きで、子供時代は自分で、大人になってからは自分の子供に随分歌ってやりました。そのなかに、阪田さん作詞の歌がたくさんありました。
主だったものをあげてみると
「朝いちばんはやいのは 」〜朝いちばんはやいのは パンやのおじさん
「うたえバンバン」〜口を 大きくあけましてうたって ごらん 「アイアイアイ」
「おなかのへるうた」〜どうしておなかが へるのかな けんかをすると へるのかな
「さっちゃん」〜さっちゃんはね、さちこっていうんだほんとはね
「マーチング・マーチ」〜マーチったチッタカタア 行進だ
「夕日が背中を押してくる」〜夕日が背中を 押してくる まっかな腕で 押してくる
「ともだち讃歌」〜一人と一人が 腕くめばたちまち だれでも なかよしさ

お世話になりました。でも、こういった童謡や唱歌はこれからも歌い継がれていくと信じています。


ご冥福を
pompom(1134) 投稿日 : 2005年3月22日<火>15時35分/北海道/女性/おばさん
 
先ほどネットのニュースで阪田さんが亡くなられたことを知りました。
庄野さんの作品に度々登場され、
また私の大好きな大浦みずきさんのお父様でもあり、
とても悲しい思いです。
ももじろうは大好きな作品ですし、
さっちゃんは、懐かしい歌で、TVで恥ずかしそうにお話しをされていたのが、
印象的でした。
心から、ご冥福をお祈りしたいと思います。
庄野先生もショックを受けられているのではと、おせっかいながら心配です。

どくたーT@管理人(1137) 題名:絶句 投稿日 : 2005年3月23日<水>00時06分
 
何も申し上げることはございません。
謹んで阪田様の御霊が天国に辿り着くのを祈るのみです。


読売新聞夕刊
ゆき(1136) 投稿日 : 2005年3月22日<火>19時42分/東京都/女性/おばさん
 
阪田寛夫さんの訃報を聞き、真っ先に庄野先生のことを思いました。
家に帰って夕刊を開くと、阪田さんの訃報とともに、庄野先生の
コメントも載っておりました。どんな思いでコメントを出されたかと
思うと心が痛みます。


朝日新聞
ゆう(1131) 投稿日 : 2005年3月9日<水>19時46分/愛知県/女性/30代前半
 
今朝の朝日新聞の文化欄、「文芸の風」に庄野先生が載っていました。筆者の「静かな人生の豊かさが時とともに輝き、暗い事件やせわしない生活に疲れた読者たちは、日だまりをみつけた気分でいる」に大変共感いたしました。庄野先生の作品はまさに「日だまり」。あたたかく、心に栄養を与えてくれます。いつまでもこの世界に包まれていたい、というような。

なつめさんこと大浦みずきさん。私は学生時代宝塚ふあんでしたので何度も舞台を拝見しております。宝塚史に残る実力派スター。特にダンスが素晴らしく、衛星放送などでたまに放送される名場面ランキングなどでは、ナツメさんのショーの場面は必ず上位に入ります。トップスターだったからといってもミュージカル界で必ずしも成功
するとは限りません。なつめさんが今も活躍しているのは本当に素晴らしい技術と才能をお持ちだからです。

ちなみによく奥様がなつ子さんに送ってあげる「歌劇」誌ではスターの文章も連載されますが、さすがなつめさんは「文才がある。おもしろい」ことでも知られていましたよ(^_^.)私はそのころは庄野先生も阪田さんも知らなかったのですが・・・。

どくたーT@管理人(1132) 題名:文才 投稿日 : 2005年3月13日<日>20時53分
 
ゆう様
書き込みありがとうございます。私、水、木、金と出かけており、レスポンスが遅くなりました。お詫び申し上げます。
また、朝日新聞の情報、ありがとうございました。私は朝日の読者ではありませんので、今度図書館かどこかでのぞいてみようと思います。

さて、私は、「歌劇」誌を読んだことはないのですが、大浦みずきさんの文才は少しは存じ上げております。われわれの親しいところでは、新潮社の「波」誌2002年5月号に掲載された「うさぎのミミリー」に対する書評。これは、書評というより読書感想文かエッセイですが、彼女の文才を十分示しているものであると思います。さすが作家の娘。作家の娘でエッセイストと言えば、阿川佐和子、斎藤由香、有吉玉青と最近活躍の人が多いですが、大浦みずきさんもミュージカル女優として多忙でなければ、エッセイストになれたかも知れませんね。


ありがとうございます
たま(1129) 投稿日 : 2005年3月5日<土>22時43分/京都府/女性/おばさん
 
大浦みずきさん(なつめさん)のニュースをありがとうございます。
管理人様にとって庄野先生の本に登場するなつめちゃんはどのようなイメージなのでしょうか?本の中の人物を想像するっていうのは楽しいことですね。

どくたーT@管理人(1130) 題名:なつめちゃん 投稿日 : 2005年3月8日<火>23時29分
 
庄野作品で「なつめちゃん」といえば、まず、「ザボンの花」に登場する女の子です。小学校2年生の女の子。「ザボンの花」が書かれた昭和30年は、夏子さんが8歳で小学校2,3年の頃ですから、この「なつめちゃん」は、夏子さんがモデルであったと考えてよいようです。この「なつめちゃん」は実に子供らしい子供です。すっきりと素直で。最近の子供は、こまっしゃくれている子が多いので、こういう子供の登場する作品をよむとほっとします。

大浦みずきさんの本名、阪田なつめさんの「なつめ」は、「ザボンの花」のなつめから来ています。もうひとつ申し上げれば、大浦みずきさんの芸名の姓、「大浦」は、「夕べの雲」の主人公一家の姓から取られています。本名も芸名も、庄野作品と縁がある、阪田寛雄さんが庄野さんの大親友であるにしても、凄いことです。

ちなみに大浦みずきさんの印象は、大ミュージカル女優です。ただし、残念ながら私は彼女の舞台を拝見したことがないので、それ以上のことは書けません。


新聞によりますと
どくたーT@管理人(1126) 投稿日 : 2005年2月22日<火>23時19分/東京都/男性/おじさん
 
新聞をよんでいたら、月刊「ミュージカル」選出の2004年ミュージカル・ベスト10が出ておりました。その中の女優部門一位が大浦みずき。2位が一路真輝。

私は、オペラは嫌というほど見ておりますが、ミュージカルまでは手が回らず、何年か前「王様と私」を舞台で見たのが最後で、現在の世間の状況が全く分らないのです。それで、「なつめ」ちゃんが、これほどのミュージカル・スターとは、一寸驚きでした。
阪田さんも庄野先生もお喜びでしょう。

粋狂(1128) 題名:タイトル書くのを忘れてしまった! 投稿日 : 2005年3月3日<木>00時18分/東京都/男性/50代前半
 
下のコラムに付されたタイトルは、「夏も近づく」というものです。

粋狂(1127) 題名:昭和58年の阪田さんのコラム 投稿日 : 2005年3月3日<木>00時14分/東京都/男性/50代前半
 
なつめちゃんは直接登場されませんが、昔の阪田さんの新聞コラムをご紹介したい。いい御家庭・いいご近所だと思って切り抜いた記憶が・・・。

「 飛び石連休最後の休日の前の夜遅く風呂に入っていたら、隣からお嬢さん同士の話し声が聞えた。団地アパートだから、こちらの風呂場の壁の向うがあちらの風呂場で、湯気にこもった入浴中の話声だけはよく聞える。
隣合わせに娘が二人ずついて、私の家の方が二人とも年上なのだが、同じ頃同じ小学校に通った仲間である。この春、向うの上のお嬢さんが一番手として信州に嫁入りして、何だか淋しくなっていたのだが、久しぶりに隣の風呂場から弾んだ二人の会話が聞えてきた。お里帰りかな、と思ううちに歌になり、小気味のいい天地真理のメドレーに鼓舞されて、私は風呂を出た。
婚礼は桜のつぼみがほんの一、二輪ほころび初めた日に、松本市のホテルで行われた。いまはもう八十八夜を過ぎたところである。
二十軒しかない小さな団地を代表するようなかたちで披露宴に招かれた私は、朝出がけに、もしスピーチを指名されたら何と言おうかと家の者に相談した。
「当たりっこないって」
上の娘も妻も相手にしない。以前この団地に住んでいた女子大の担当教官も招かれているし、そんな晴れの席で大過なく話ができる者かどうかは、二十六年も隣に住んでいればわかる、あらかじめ言われていない限り大丈夫と、二人揃って保証した。それで気を許した方が悪いのだが、突然祝辞を指名されて困ってしまい、○○ちゃんは我が団地の誇りですとだけ言って引きさがった。
これは断じてお世辞ではない。努力家で心の熱い彼女は、大学時代にベトナム難民の子供の世話をした。ある日彼らを引率してどこかへ行った帰り、終電車に間に合わなくなって、十五名の子供を狭い団地の家に連れ帰ったこともあった。十年来、私がどんなに遅く帰宅しても、彼女の二階の部屋だけは必ず電灯がついており、思わず足音をしのばせることが少くなかった。
里帰りの翌日、彼女は料理学校の技術認定試験を受け、日常雑貨をうんと買いこみ、それをリュックサック一杯に詰めこんで、元気に信州へ帰って行った。私方の長女が、
「家事、がんばってますか」
と訊ねると、
「朝五時半に起きて、お弁当作ってます」
と答えた。感嘆していると、
「いざとなったら、できますよ」
となぐさめてくれたそうだ。 」 (昭58.5.10日経新聞(夕)「あすへの話題」)


庄野文学との出会いをふりかえる @
つるかめ(1122) 投稿日 : 2005年2月9日<水>13時40分/東京都/女性/おばさん
 
初めてお便りいたします。
このサイトは去年から時々拝見させて戴いていました。管理人様有り難うございます。
粋狂さんの分析・分類や、モチコさんの感性等にも助けられました。感謝です。
去年の年末、過ぎた一年の読書をふりかえり、以下の文を書いたのですが、ITに弱く
発信ボタンがわからずまごついているうちにもう2月になってしまいました。
長いので@とAに分けてお送りしてみます。

去年2004年は庄野文学に出会った年でした。
週刊文春2004年4月1日号の「家の履歴書」というシリーズがきっかけでした。
こんもりと木が茂る庭とそれに埋もれるような家の挿絵から穏やかな暮しが立ちのぼって
くるようで、それに惹き込まれて読みました。取材記事も興味深く、この作家の本を読んでみたいという気持が起こされました。

以前、河出書房新社の文芸別冊「須賀敦子」で、「夕べの雲のご縁」という庄野さんの文を読んだことはあったのですが、そのときはそれだけで素通りでした。
2004年春、田中真紀子女史と週刊文春のもめごとにより週刊文春が発売差し止めになり、この司法判断に言論の危機を感じて、この頃はあまり週刊誌は買わないのですが、差し止めの次の号を半ば義務感から買ったのでした。
以来、田中氏のもめごとは忘却の彼方ですが、庄野氏の数々の作品のことは忘れません。庄野さんのおっしゃり方にならって私も「御縁ということだろう」としみじみと言いたくなります。

その後近くの図書館にあった単行本から始めて、文庫本や、遅ればせながら講談社文芸文庫の「夕べの雲」その他を読み、もっともっとと思いましたがその先は「波」の連載か
過去の全集しかありませんでした。神田の古本屋街を探し回り、全巻揃った全集を見つけたときの嬉しかったこと。初期の作品がずいぶん今の作風とちがうのに驚きました。

読み進むうちに上記の週刊文春の挿絵に加えてほしかったものも見えてきました。庄野さんが愛着をもち、心の拠り所といってもいいような存在だった例の大壷はどこにあるのか、奥様と歌やハーモニカを楽しまれ、御先祖へのお参りの場ともなっているピアノはどこか。
また、インタビュー記事も二つほど読みました。その二度とも、庄野さんは、もう初期の作品は読まない等、御自分の初期の作品についてどこか否定的な発言をなさっていたと記憶します。そのことは多分、庄野さんにとって重要なポイントなのだとと思いますが、すぐ「なぜですか?」の聞き返しがあれば有り難かったと思ったりしました。

どくたーT@管理人(1125) 題名:つるかめ様、いらっしゃいませ 投稿日 : 2005年2月11日<金>12時09分/東京都/男性/おじさん
 
つるかめ様
長文の書き込みありがとうございます。酔狂様がAにレスを付けてくださったので、私は@に。
庄野文学を昨年お知りになり、楽しまれたとのこと、読者の一人として大変嬉しく思います。私は、1970年代から読んでおりますので、ずいぶん長い読者ですが、リアルタイムに読んで感じたことと、読み返して感じることにギャップがありますし、また、つるかめ様が仰るように、先生の作風も少しづつ変化しております。
「桃李」は、酔狂様が書かれている通り、庄野文学の一つの分岐点にある作品で、小説としてのバランスがとれた名作だと思います。庄野先生は過去の作品を否定的に取られるような発言をしている傍ら、「静物」を自分の代表作の一つであると考えている、ということも書いていらっしゃいますので、本当に否定的に考えているのは、ごく初期の作品だけかもしれないな、とも思っております。


庄野文学との出会いをふりかえる A
つるかめ(1123) 投稿日 : 2005年2月9日<水>14時49分/東京都/女性/おばさん
 
今私が一番惹かれる作品はといえば「桃李」(全集1)という短編です。
一家が大阪から石神井に移り住み、東京生活をスタートさせた頃の話。明子という名で登場する夏子さんは幼稚園児。新しい生活のなか、自分のことで精一杯だった両親が初めてほんとうに明子さんの気持に注意を向ける。このような御両親だったからこそ、のちの作品に見られるような親思いの娘さんになったのだと肯けました。
全集4の月報に吉行淳之介が「往年の庄野潤三」という一文を寄せています。そこに吉行は、昭和29年発表の「黒い牧師」に感心し、「桃李」には首をかしげ、反発した。ところが庄野氏にとって「桃李」は絶対の自信作だった、という意味のことを書いています
。当っているかどうかわかりませんが、私は「桃李」は庄野氏の転換点になった作品ではないかとひそかに思っています。

庄野作品を近作から読み始めたので、当初は私も−家族日誌のようだ、これが小説だろうか−と面くらいました。が、そうしたジャンルの分類には構わず庄野さんの境地に入っていきました。それに贈答の物が飛び交っているのにも驚きました。こんなに物のやりとりのある暮しは知りませんでした。でもそれも面白さのうちで、背景にある質実な、地に足のついた暮しに好感と親近感を持ちました。生活と文が一致し、落差のない印象も受けます。「ありがとう、うれしい、おいしい」などの言葉が、まるで呼吸するように出て来て書き留められ、私達もふだんこんなふうにものを言って暮していて、特別な言いまわしなど考えないことをあらためて思いました。

庄野作品では、抽象性といったものは特に表に出ていませんが、結局描かれているのは時間なので、その点で抽象性は厳としてあると思います。また時局的なテーマもほとんど見あたりません。インタビューのなかで、庄野さん自身、たとえばテロのニュースなどからは目をそらすとおっしゃっていたと思います。
日常の身の回りの喜びを描く事を主とする姿勢に、何がおころうとも自分にとって大事なのはこれだ、という静かな強い自己主張を感じます。
イラク戦争、北朝鮮による拉致事件の未解決等、私にとっては暗い年だった去年(2004)、自分が庄野さんの作品にのめりこんだのは何かの必然だったのかもしれないとも思えます。

粋狂(1124) 題名:共感、同感、そしてようこそ庄野ワールドへ! 投稿日 : 2005年2月10日<木>23時58分/東京都/男性/50代前半
 
★つるかめ様が、別冊文藝「須賀敦子」特集で、庄野さんを意識されたことは、私と全く同じですね。私もアレを読まなかったら『夕べの雲』を読もうとしたかどうか・・・。このように、庄野さんへのハマり方が同じな上に、「桃李」に惹かれておられるのも嬉しいですね。私も、「桃李」を、庄野さんの家族小説の嚆矢に位置付けておりまして、その後の名作『ザボンの花』に続き、その成功が、現在に至る庄野作品を導いたように思います。

★ これでまた熱い庄野ファンがお一人お仲間に加わったようで、なによりです。是非、「家族もの」と「ガンビアもの」を全部読破されることを私はお薦めします。
芸術新潮2月号で紹介記事
mitsu(1115) 投稿日 : 2005年2月3日<木>13時11分/神奈川県/男性/50代前半

マルセル・デュシャンを特集した芸術新潮二月号で、佐伯 一麦 さんの“鉄塔家族”の紹介記事中で比較された庄野 潤三 さんの“夕べの雲”の記事を読みました。 

自宅近くの書店に在庫はなく、早速注文しましたが楽しみです。 検索では多くのタイトルがありますけれど“夕べの雲”に続く内容の作品はあるのでしょうか。 

粋狂(1121) 題名:ああーッ、そうか! 投稿日 : 2005年2月8日<火>00時11分/東京都/男性/50代前半
 
★ しも様、有難うございます。

★ 私は、現在入手できる講談社の学芸文庫をまず読み、その後、再度、体系的に遡って全部の読破にチャレンジしました(そのときに、整理メモを付け始めた)ので、最初の『絵合せ』の構成を忘れていたのですね。単行本の『絵合せ』と学芸文庫の『絵合せ』は、内容構成が異なることは念頭にあったのですが・・・・。そうかーッ、学芸文庫の『絵合せ』は既にアンソロジーになっていたのですね。それなら、私の分類でいう「前期家族もの」は、この際、徹底的に学芸文庫に収録してほしいですね。
★ ちなみに、「カーソルと獅子座の流星群」は、昭和45年12月頃の話だと思います。「絵合せ」『明夫と良二』より時期的に後になるので前回触れませんでしたが・・。

★ その後、『野鴨』『おもちゃ屋』『鍛冶屋の馬』が大物です(単行本)が、間に短編もあるんですよね。ホント学芸文庫でまとめて欲しい!!

どくたーT@管理人(1120) 題名:適切なフォロー、ありがとうございました。 投稿日 : 2005年2月8日<火>00時02分/東京都/男性/おじさん
 
酔狂様、しも様
懇切なご追加、ご助言ありがとうございます。私は、庄野先生の作品の流れは、大体は頭の中に入っているのですが、細かい所までは流石に覚えておりません。きちっと調べて、お答えすべきだったのでしょうが、とりあえずの書き込みになってしまいました。そこを適切にフォロー頂き、ありがとうございました。

mitsu様
佐伯君とは、学校時代顔を合わせた事があると思いますが、記憶はありません。部活で一緒だったとか、何か特別な思い出と結びつく事が無ければ、覚えていないのはまあ、仕方が無い事だと思っています。
彼の事は10年ぐらい前、同級生から後輩が作家デビューした、ということを聞いて知っておりましたが、読みはじめるようになったのはここ2-3年です。ただし、読んでいるのは数冊です。彼もまた私小説作家ですが、彼の場合、どちらかと言えば破滅型でしたから、そういう生活からの回復が主題になるのでしょう。
「夕べの雲」は、庄野文学の転機の作品で、それまでの、「表面上安穏な家族に潜む危機」を描く文学から、向日的な、より安定感のある現在の庄野文学につづく内容への転換を果しました。
「鉄塔家族」は読んでいないので、詳細は知らないのですが、「不安」や「危機」からの転換、という点で、その記事を書かれた方は、「夕べの雲」との同質性を感じたのかもしれません。

しも(1119) 題名:講談社文芸文庫の絵合せ 投稿日 : 2005年2月7日<月>22時36分/大阪府/男性/30代前半
 
補足させていただきますと、講談社文芸文庫の絵合せには粋狂さまの書かれた「卵」から「小えびの群れ」の8話+「絵合せ」に「カーソルと獅子座の流星群」が入っています。

また、「絵合せ」以降の和子(夏子)さんについて興味のあるかたは、「明夫と良二」「鍛冶屋の馬」「インド綿の服」と読んで欲しい、とあとがきに書かれておられます。

残念ながら「明夫と良二」「鍛冶屋の馬」については、私も未読です。最近図書館で、未読分について片っ端から借りて読んでいますのでそのうち行き当たるはずです。近作で良かったのは、「さくらんぼジャム」です。庄野さんの作品はどれもが楽しく読めるのですが、この本は『格別』でした。特に、お兄さんの英二さんを病院から連れ出して庭の花を見せた手紙の場面が一番じーんと来ました。

mitsu(1118) 題名:拝受しました 投稿日 : 2005年2月6日<日>14時55分
 
どくたーT 様
早速のレスをありがとうございます。 庄野先生のご自宅近くに60年ごろ移り住んだ親戚の家があって、子供の頃何度か遊びに行ったことがあります。 先生の小説を通じて、私がまだ小さかった頃の情景に触れることができるのでしょうね。 

佐伯君の“鉄塔家族”は単に投稿の体裁上しかたなく付加しただけのものですし、大体、挨拶にも来ない後輩の小説など時間をかけてまで読む必要もないと思います。

枠狂 様
この世知辛い時代に、ここまで親切な方が我が国に生きておられたことを、私は只只神に感謝するのみ。 

枠狂様のお薦めの順に、全ての作品を深く味わう所存です。

粋狂(1117) 題名:図書館を利用されて! 投稿日 : 2005年2月5日<土>18時10分/東京都/男性/50代前半
 
★『夕べの雲』はちょうど東京オリンピックの頃(昭和39年)のお話だと思いますが、『絵合せ』『明夫と良二』までの間に、管理人様の書かれたように、多くの短編作品があるのですが、現在だと、図書館あたりを利用して拾い読まれるといいと思います。

・「卵」(『丘の明り』・全集第6巻所収)= 昭和41年頃(?)の話
・「丘の明り」(『丘の明り』・全集第6巻所収)= 昭和42年頃(?)の話
・「尺取虫」(『小えびの群れ』・全集第8巻所収)= 同じく昭和42年頃(?)の話
・「星空と三人の兄弟」(『小えびの群れ』・全集第8巻所収)= 同じく昭和42年頃(?)の話
・「さまよい歩く二人」(『小えびの群れ』・全集第8巻所収)= 昭和43年頃(?)の話
・「戸外の祈り」(『小えびの群れ』・全集第8巻所収)= 昭和44年(?)節分の頃の話
・「野菜の包み」(『小えびの群れ』・全集第8巻所収)= 昭和44年頃(?)の話
・「小えびの群れ」(『小えびの群れ』・全集第8巻所収)= 昭和44年(?)秋頃の話

★ 以上の後に続くのが、「絵合せ」(『絵合せ』・全集第9巻所収)、そして『明夫と良二』(単行本/全集第9巻所収) ですが、「絵合せ」は、講談社の文芸文庫で購入可能だと思います。「絵合せ」までが、家族五人の時代で、『明夫と良二』からは、和子(=夏子さん)が結婚されて、家族四人になっていることになりますね。詳しくは、管理人様の「主な庄野作品一覧」を参考にされて、時代順に辿られることをお薦めいたします。

どくたーT@管理人(1116) 題名:佐伯一麦 投稿日 : 2005年2月3日<木>23時58分/東京都/男性/おじさん
 
佐伯の「鉄塔家族」は、是非読みたいと思いながら、未だ読んでいません。ちなみに佐伯君は、管理人の一年後輩に当たりますが、管理人は、佐伯君本人を知りません.

庄野先生の「夕べの雲」は、本当の意味での続編はありませんが、庄野先生自身、自分の生活に立脚した作品をかかれているので、「夕べの雲」の家族のその後をあらわした作品は沢山あります。代表作は、「明夫と良二」、「絵合せ」などです。


せきれい
ふかお(1110) 投稿日 : 2005年1月7日<金>16時40分/京都府/男性/おじさん
 
どくたーT様、皆様、遅ればせながら明けましておめでとうございます。
今年も、庄野さんのご健康とご健筆、そしてこのHPのますますのご発展を願っております。
さて、「せきれい」が文春文庫になるのですね。1月7日発売ということですから、もう今日にも店頭に並んでいるかもしれません。
解説は小澤征良、ちょっと異色の人選です。

どくたーT@管理人(1113) 題名:書店にいってからと思い 投稿日 : 2005年1月9日<日>23時25分/東京都/男性/おじさん
 
「せきれい」が文庫化されること、随分前に情報としては持っていたのですが、ついに発売されたのですね。
書店を覗いて、実物を見てから書きこもうかとおもったのですが、いろいろな都合で、この休み、未だ書店に行けておりません。明日は恐らく見ることが出きるだろうと思います。

これで、後1-2年もすれば、晩年シリーズは、文庫と単行本とで全て読める時期が来るでしょう。そうなると宜しいですね。

隼人(1112) 題名:せきれい 投稿日 : 2005年1月9日<日>14時25分/青森県/男性/50代後半
 
こんにちは。北の街は大雪に見舞われていまして、雪片付けにおおわらわです。
さて、ふかお様からのお知らせのおかげで、「せきれい」を入手してきました。
まだ読み返していませんが、これからと明日の休みの過ごし方がこれで決まりました。小澤征良氏の解説にも興味がありますね。ふかお様ありがとうございました。

粋狂(1111) 題名:ゲットしました! 投稿日 : 2005年1月7日<金>22時49分/東京都/男性/50代前半
 
★ 今日7日、帰宅途中の本屋に積んでありました。早速、小澤征良さんの解説(?)を読み(文庫用の庄野さんのあとがきはなく、単行本のあとがきだけがそのまま載っていました)、最初からページをめくり始めました。これで、この『せきれい』も都合3度目の通読になります。何度読んでも飽きないんですよねぇー。

★ これで、また初めて庄野作品に触れる人が増えて、きっと相乗効果で他の庄野作品も売れるでしょうし、ますます庄野ファンが拡大していくだろうことを期待しております。続々と文庫化を進めていって、多くの作品が入手し易くなればと思います。


日経新聞「交遊抄」
粋狂(1107) 投稿日 : 2005年1月3日<月>23時17分/東京都/男性/50代前半
 
管理人のドクターT様はじめ、皆様、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

ところで、今日、九州の田舎から上京する飛行機の中でたまたま日経新聞を手にしましたら、最終面の名物コラム「交遊抄」を庄野先生が書かれておられるのを見つけ、拝読致しました。たしか「風雅の友」というタイトルで、小沼丹さんとの交友を書かれておられました。ご参考までに。

どくたーT@管理人(1108) 題名:日経新聞 投稿日 : 2005年1月4日<火>23時39分/東京都/男性/おじさん
 
酔狂様
明けましておめでとうございます。
そして、情報ありがとうございます。庄野先生と日経新聞は昔から関係が深いですが、そんなコラムを書かれていらっしゃいましたか。
明日にでも確認します。


お世話になりました。
隼人(1105) 投稿日 : 2004年12月31日<金>15時11分/青森県/男性/50代後半

ドクターT@管理人様そして庄野潤三先生の愛読者の皆様♪こんにちは!
今年もこの掲示板で楽しませていただきました。ありがとうございます。
新しい年が皆様にとりまして実り多いものになりますことを、そして庄野先生がますますご健筆をふるわれますことを祈念します。
これからもよろしくご指導ください。

どくたーT@管理人(1106) 題名:年越しのレスになりました。 投稿日 : 2005年1月1日<土>00時29分/東京都/男性/おじさん
 
隼人様
明けましておめでとうございます。
昨年は色々と御世話に成りました。
本年も、庄野先生はご健筆の様子。
読者といたしましては嬉しい限りでございます。
隼人様、
本年もどうぞ宜しく御願い申し上げます。

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