葦切りよしきり

書誌事項

葦切り
庄野潤三著
短編小説集
初出

 葦切り  新潮  1974年12月号
 メイフラワー日和  海  1984年2月号
 ガンビア停車場  文学界  1986年1月号
 失せもの  新潮  1980年5月号
 おじいさんの貯金  文藝  1982年1月号
 泣き鬼とアイルランドの紳士  文学界  1983年11月号

出版 新潮社 1992年1月5日 ISBN4-10-310607-7 C0093

紹介

庄野さんは、決して多作では無いと思うのですが、作家として自立してからコンスタントに作品を発表しつづけています。そうすると、どうしても単行本未収録作品が出てきますが、この作品集は、そういった単行本未収録の中短編を集めたものです。そのため、作品集としての統一性はないのですが、反対に庄野潤三の手法のアンソロジーになっている所があって、面白いです。

表題作の「葦切り」は、庄野さんの大きな分野の一つである聞き書き小説です。それも傑作です。主人公は、建設省の河川工事事務所の出張所長である「篠崎さん」。この方は、第二次大戦を挟んで、ずうっと関東の様々な河川の改良工事、土木工事に携わった方です。戦争だの台風だの、それこそ色々な経験をなさっている方ですが、まあ、要するに普通の一市民です。こうした普通の一市民の話をどうして小説にしようと考えたのか、その辺はつまびらかではないのですが、どうも短歌と関係があるようです。この「篠崎さん」が詠まれた「短歌」を庄野さんが見つけて、どのような方がこの短歌を詠むのか、という興味からインタビューに至ったものと考えられます。

「篠崎さん」が詠まれて、本編の中で取り上げられている短歌を幾つか紹介します。

捨てられた犬をつれ来てその犬に白と名づけて飼ふことにせり
空はま青に澄み極りてはてもなしうつとりと仰いで父となりし日
たましひのふるるしづかな瞳にて瞳の中にわが顔があり
地下足袋についた泥とごみを邪慳にわれは振るい落せり
秋の夜の灯かげに居れば七年の旅の勤めに思いは及ぶ

河川工事の現場監督をしながら短歌を詠む。その短歌は、傑作では無いかもしれませんが、「篠崎さん」の生活感がにじみでています。「葦切り」は、庄野さんと思われるインタビュアーが、短歌を切り口に、「篠崎さん」の現場監督生活を聞いて行きます。短歌から紡がれる何とも無い話が幾つか出てくるのですが、それがよじり合わさると一つのリズムが生まれます。いくつかのよじれが又合わさって全体の高揚が出てくるようです。

一番の読みごたえは、カサリン台風時の「篠崎さん」の対応です。カサリン台風は、昭和22年関東から東北にかけて大きな被害をだした台風ですが、このとき利根川の堤防が決壊し、周囲の田畑が何箇月も水に漬かりました。このときの「篠崎さん」の対応。ヒロイックな所は何も無く、唯ひたすら自分の仕事と責任を果たそうとする、要するに普通の責任を自覚した大人なら誰でもそうするように、「篠崎さん」も対応します。その対応について、「篠崎さん」の口から説明されます。専門家が素人に分るように説明しようとして、黒板に図を書いたり、地図を広げたりします。そこを小説家が写実的に表現します。そのディーテイルが素晴らしい。ディーテイルを細かく丁寧につなぎ合わせることによって、「篠崎さん」の行動が生き生きとわかります。

メイフラワー日和」は、庄野さん夫妻が何年ぶりかで宝塚の大劇場でレビュー「メイフラワー」を見るときの、ホテルを出てから宝塚につくまでの道程を描いた作品です。特別な事件が起ころう筈も無く、ただ大阪出身の庄野さん夫妻が阪急電車の中で、宝塚と阪急に関わるエピソードを思い出しながら、観劇への心の高ぶりをさりげなく描いています。

「ガンビア停車場」は、若い頃庄野さんが留学した、米国オハイオ州ガンビアのケニオンカレッジの同窓会報に載った、グリーンスレイド教授の「ガンビアに汽車が停まった」の内容を紹介しながら、自分のガンビアでの経験を踏まえて、それに肉付けをしています。

「失せもの」は、庄野さんの大きなジャンルである、自分の家庭の出来事。四十雀をはじめとする小鳥を庭先に呼ぶために、牛脂を入れる籠をを書斎の前のムラサキシキブの枝に取り付けて置いたが、それが近所の猫にやられてしまう。銅線で巻き上げたこの籠を考案したエピソード、失ってからの捜索など、細かいディーテイルが素晴らしい。

おじいさんの貯金」は、床屋夫妻の話すおじいさんのエピソードとそのエピソードに対する床屋夫妻の感想。

「泣き鬼とアイルランドの紳士」は、福原麟太郎著『英国近代散文集』に含まれたアレクサンダー・スミスの『雲雀飛び立つ』紹介。

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