オペラに行って参りました-2023年(その2)
目次
作曲家の思いは実現できたか | 2023年2月18日 | 日本オペラ協会「源氏物語」を聴く |
指揮者のいない限界 | 2023年2月22日 | プッチーニのプロフィール「ラ・ロンディネ」を聴く |
凛声とは言いえて妙 | 2023年2月23日 | 内幸町ホール「大隅を、聴く~凛声~」を聴く |
華やかなことの功罪 | 2023年2月23日 | 東京二期会オペエラ劇場「トゥーランドット」を聴く |
オペラに行って参りました。 過去の記録へのリンク
入場料:B席 3F2列23番 6800円
主催:公益財団法人日本オペラ振興会/Bunkamura/公益財団法人日本演奏連盟
2023都民芸術フェスティバル参加公演
日本オペラ協会公演
日本オペラシリーズNo.84
オペラ3幕 字幕付き原語(日本語)上演/日本語版オペラ全幕初演
三木 稔作曲「源氏物語」
原作:紫 式部
台本:コリン・グレアム
日本語台本:三木 稔
会場 Bunkamuraオーチャードホール
スタッフ
指揮 | : | 田中 祐子 | |
管弦楽 | : | 東京フィルハーモニー交響楽団 | |
二十絃筝 | : | 山田 明美 | |
中国琵琶 | : | 叶 桜 | |
合唱 | : | 日本オペラ協会合唱団 | |
合唱指揮 | : | 諸遊 耕史/平野 桂子 | |
演出 | : | 岩田 達宗 | |
振付・所作 | : | 出雲 蓉 | |
美術 | : | 松生 紘子 | |
衣裳 | : | 大塚 満 | |
照明 | : | 大島 祐夫 | |
舞台監督 | : | 山田 ゆか |
出演者
光源氏 | : | 岡 昭宏 |
六条御息所 | : | 佐藤 美枝子 |
藤壺 | : | 向野 由美子 |
紫上 | : | 相樂 和子 |
明石の姫 | : | 長島 由佳 |
葵上 | : | 丹呉 由利子 |
頭中将 | : | 海道 弘昭 |
桐壺帝 | : | 山田 大智 |
明石入道 | : | 江原 啓之 |
弘徽殿 | : | 森山 京子 |
朱雀帝 | : | 市川 宥一郎 |
少納言 | : | 河野 めぐみ |
惟光 | : | 和下田 大典 |
女官 | : | 市村 真美 |
感 想
作曲家の思いは実現できたか‐日本オペラ協会「源氏物語」を聴く
恥ずかしながら「源氏物語」を読んだことがありません。もちろん高校時代「古典」の授業はありましたから、一部は教科書に取り上げられていたかもしれませんが、全く記憶にありません。現代語訳も与謝野源氏、谷崎源氏、圓地源氏といろいろありますが、子供のころ家にあった与謝野源氏を斜め読みしたことがありますが、すぐに挫折しました。それでも日本人の教養として、どんな話かは何となく知っています。光源氏の恋愛遍歴を核にしながら、平安期の宮中や貴族社会全般を描いたという理解です。登場人物は500人を超え、光源氏と関係した女性も空蝉、夕顔、末摘花、朧月夜、花散里、女三宮など枚挙にいとまがない。
こういう複雑な作品をオペラにするには物語を単純化し、登場人物を減らすしかありません。
三木稔は和楽器を西洋音楽のイディオムで作曲する作曲家として海外からも早くから高く評価され、そんな三木がオペラを作曲するようになると海外から委嘱作品の依頼が相次ぎました。最初が、1979年英国のEnglish Music Theatreからの委嘱で書かれた「あだ」、次が、セントルイスオペラ劇場からの委嘱で「じょうるり」、次が1999年の同じくセントルイスオペラ劇場からの委嘱で「源氏物語」です。源氏物語の台本作家であるコリン・グレアムはそもそも「あだ」を三木に書かせた張本人でもあります。
「源氏物語」を作品として取り上げると決まった時に三木がオペラの骨子としてグレアムに送ったのは、①男女間の人情の機微と恋の駆け引き、②運命・輪廻の強調と詠嘆、③王朝風の美しさ、④筋を直線的に追わず、原作の順序を無視してでも人同士を絡ませる、⑤六条御息所の生霊は全編を通じて出現し、古代のシャーマニズムが日本社会に続いていることを示す、の5点だったそうです。グレアムはこの条件を踏まえて、源氏物語の英訳版(多分サイディンステッカー版)から台本を作り上げ、三木との議論を経ながら最終化したとのことです。この英語版の台本を常俊明子が文学的な翻訳を行い、そこから三木が日本語の台本をまとめています。結果として本来の源氏物語とはストーリーが相当異なり、またエピソードの羅列的なところもありますが、男女の心理の機微と男の身勝手さと、ジャパニーズシャーマニズムの畏れの感情が入り混じった特異な作品になったのだろうと思います。
2000年に英語版でセントルイスで初演されたこの作品は2001年に日本でも英語版で初演されています(残念ながら私は聴いていません)が、三木は日本語版の上演が切望するもののその機会は三木の生前には訪れず、今回日本オペラ協会の肝いりでようやく日本語版の完全上演にこぎつけたものだそうです。
音楽の特徴は、雅楽の響きを内包させた西洋セリー音楽と言ったらよいのでしょうか。もちろん聴いていても本当にセリー音楽になっているかどうかは私には分からないのですが、無調的な響きと半音階的進行とアジア的な響きと雅楽的な響きが多彩な打楽器群と二十絃筝、中国琵琶、その他和楽器(篳篥や笙、滝笛)によって演奏され、通常の西洋楽器(こちらも分奏が多い)の音も和楽器的な音を奏で、何とも面白い響きになっていました。この何とも言えない雅楽的響きを引き出したのは田中祐子の力量でしょう。彼女は大きな振りで的確に奏者に指示を与え、響きを作り上げていました。
舞台は大きな階段が用意され、そこで演じられます。それ以外の大道具も小道具もほとんど使われない。オペラは16の場面に分けられ、それに合わせた舞台装置を作る選択もあったと思うのですがそうはせず、筋を目視的に確認することはなかなか難しい。ただ、筋は複雑ではないので、歌詞を聴いているだけでもだいたいは理解できます。岩田達宗は、登場人物の絡みにおいてそれなりに密着感を出すようにしていたとは思います。ただ、人間関係にフォーカスをあてた演出のために、場面場面がそれぞれ別々のエピソードのように見えてしまい、大きな流れが舞台を見ていただけではよく分からなかった、ということはあります。
出演者は皆頑張った演技・歌唱をしていたと思います。所作も美しい。
岡昭宏の源氏は終始安定した歌唱で美声を響かせて素晴らしい。六条御息所の佐藤美枝子は、力のこもったドラマティックな歌唱で、声を響かせ、レッジェーロとしての従来の姿とは違った様子を見せました。佐藤美枝子の白眉は何といっても葵上に憑りついたときの表現、非常に恐ろしいものがありましたが、これはその時の葵上・丹呉由利子の憑りつかれた様子の演技が素晴らしかったことが佐藤の迫力を更に増したものと思います。Braveです。
源氏を取り巻く美女たちもそれぞれ特徴のある歌唱演技で見せました。向野由美子の藤壺、相樂和子の紫上、長島由佳の明石の姫、そして丹呉由利子の葵上とそれぞれ赤袴に白小袖、それに色打掛という衣裳で美しさを競い合い、美声も聴こえました。また悪役である弘徽殿の森山京子はヒステリックな表情を前面に出して、光源氏に対するストレートな怒りを見せる部分が見事でした。男声陣もよかったです。海道弘昭の頭中将は綺麗な高音で光源氏との二重唱がいい感じで響いていましたし、山田大智の桐壺帝も要所要所で狂言回し的に出てきて歌いいい感じ。市川宥一郎の朱雀帝もしっかりと役目を果たしていました。
合唱は男声合唱による声明が印象的。
以上、日本語台本版初演は三木稔の意図を汲んだものになり、成功裏に終わったと申し上げてよいのでしょう。作曲家の思いは「日本語版オペラ「源氏物語」を聴いてから死にたい」、だったわけですが、今回の演奏はきっと天国の三木稔に届いて、三木は目頭を熱くしているに違いありません。
入場料:B席 2F23列7番 4000円
主催:一般社団法人プッチーニのプロフィール
プッチーニのプロフィール公演
オペラ3幕 字幕付き原語(イタリア)上演
プッチーニ作曲「ラ・ロンディネ」(La Rondine)
台本:ジュゼッペ・アダーミ
会場 戸塚区民文化センターさくらプラザホール
スタッフ
ピアノ | : | 河原 義 | |
合唱 | : | プッチーニのプロフィール合唱団 | |
演出 | : | 太田 麻衣子 | |
衣裳 | : | AYANO | |
照明 | : | 山口 博史 | |
舞台監督 | : | 井坂 舞 |
出演者
マグダ | : | イ・スンジェ |
リゼッテ | : | 藤谷 佳奈枝 |
ルッジェーロ | : | 工藤 和真 |
プルニエ | : | 吉田 連 |
ランバルト | : | 大山 大輔 |
ペリショー | : | 高田 智士 |
コバン | : | 富田 裕貴 |
イヴェッテ | : | 栗林 瑛利子 |
クレビロン | : | 男山 俊太郎 |
ビアンカ | : | 小田切 一惠 |
スージー | : | 山下 裕賀 |
ジョルジェッテ | : | 森井 美貴 |
ガブリエッラ | : | 福留 なぎさ |
ロレッタ | : | 神戸 薫子 |
影の声 | : | 依光 ひなの |
感 想
指揮者のいない限界‐プッチーニのプロフィール「ラ・ロンディネ」を聴く
「ドレッタの夢」はソプラノのコンサートピースとしてあまりに有名ですが、全曲を演奏するオペラとしての上演機会は滅多になく、私自身としては2006年に新国立劇場オペラ研修所公演で、「プッチーニのパリ」と銘打って、第1幕だけ演奏したのを聴いて以来です。全曲舞台上演は今回が初めてです。その意味では聴けてよかったです。
「椿姫」と「ラ・ボエーム」を足して2で割ったような作品で、全編が感傷的オペレッタとでも言うべきものです。ハッピーエンドでは終わりませんが「悲劇」というほどのものでもなく、流れる旋律美はさすがにプッチーニというべきものなのですが、その劇性のなさが上演を妨げているのかな、とは思いました。
今回の上演はピアノの河原義が企画して、彼自身が全てを取り仕切ったようです。出演メンバーは上記の通りですが、脇役で髙田智士や山下裕賀のような現在日本のオペラ界の実力者たちを使っているところが凄いところです。ただ、河原が全て取り仕切りたかったせいか、指揮はおらず、結果としていくつかのトラブルに結びついていたように思います。特に第二幕での合唱の場面は、誰かが指示を出しているとは思うのですが、結果としてはかなりばらついており、指揮者のいない公演の限界を示しました。
マグダを歌ったイ・スンジェを聴くのは初めてだと思います。声はやや籠り気味で、声量はあるのですが高音が絶叫になってしまいます。雰囲気は役柄に合っていると思うのですが、もう少し声の響きを上にあげられると思いました。一番の聴かせどころ「ドレッタの夢」はまだ喉が十分に温まっていなかったためか、タイミングがとりにくかったためか不明ですが、正確さにやや欠ける歌。一般に速いパッセージや跳躍はその後もあまりうまくいっていなかった印象です。このあたりも指揮者がいなかった影響かも知れません。一方で、ゆったりと抒情的に進行する部分ではいい味を出していました。
女中役のリゼッテを歌った藤谷佳奈枝は上々。コミカルな演技で見せてくれました。派手なアリアはないのですが、重唱における役割の果たし方など音楽的正確さやアプローチのやり方は、イ・スンジェよりも藤谷の方が上手だと思います。
工藤和真のルッジェーロは素晴らしい歌唱でした。特に第二幕のマグダとの二重唱やフィナーレにおけるコンチェルタートでの突き抜けたような晴れやかな声はテノールを聴く楽しみを十分に味合わせてくれるもの。第3幕の抒情的なアリアから、マグダに去られて悲しみを示す部分もとても素晴らしい。工藤の実力はこれまでも何度も聴かせてもらっているのでよく知っているつもりですが、今回のルッジェーロはその中でも特に良いものだったと思います。
吉田連のプルニエもいい。第1幕の冒頭は、まだ喉が温まっていなかったのか、低音の迫力が今一つでしたが、尻上がりに調子を上げてきて、一幕後半からは上々の演奏でした。セカンドテノールとしての役割と存在感をしっかりと示したと思います。
脇役陣では、ランバルトの大山大輔が存在感抜群でブラボー。マグダの友人役であるイヴェッテ、ビアンカ、スージーの三人のアンサンブルは栗林瑛利子、小田切一惠、山下裕賀によって演奏されましたが、流石に実力者のトリオでいい味を出して下さいました。
河原義のピアノもとても雰囲気があって素敵な印象。パリの感じが出ていたと思います。
舞台はホリゾントに場面を想定させる写真を投影して、その前にいすやテーブルを並べるというもの。奥の写真と前の舞台を一体化させていました。太田麻衣子の演出は舞台上の配置を上手に使ったオーソドックスでもので、滅多に演奏されない作品のイメージを聴き手に伝えるに十分なもの。
以上、全体としてはいい感じだったのですが、指揮者がいてしっかり統率すると、もっと素敵な演奏に仕上がったのではないかと思いました。
入場料:指定席 H列1番 4000円
主催:千代田区立内幸町ホール
協力:OHSUMI & PRODUCE
大隅を、聴く~凛声~
会場 千代田区立内幸町ホール
出演者/スタッフ
ソプラノ | : | 大隅 智佳子 | |
メゾソプラノ | : | 森 明子 | |
テノール | : | 内山 信吾 | |
バリトン | : | 小林 昭裕 | |
合唱 | : | 木更津オペラ合唱団 | |
ピアノ | : | 松田 祐輔 | |
司会/テノール | : | 小田 知希 | |
演出監修 | : | 原 純 |
プログラム
作曲 | 作品名 | 曲名 | 歌唱/独奏 |
ヴェルディ | ナブッコ | ヘブライ人の合唱「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」 | 出演者全員 |
ビゼー | カルメン | エスカミーリョのアリア「友よ、喜んでその乾杯を受けよう」 | 小林 昭裕/木更津オペラ合唱団 |
モシュコフスキ― | スペイン奇想曲 作品37 イ短調 | ピアノ独奏 | 松田 祐輔(pf) |
ヴェルディ | オテッロ | オテッロとデズデーモナの愛の二重唱「すでに厚い夜の闇にすべてのざわめきも消えた」 | 大隅 智佳子/内山 信吾 |
プッチーニ | トスカ | カヴァラドッシのアリア「妙なる調和」 | 内山 信吾 |
プッチーニ | トスカ | スカルピアのアリア「テ・デウム」 | 小林 昭裕/木更津オペラ合唱団 |
休憩 | |||
ドニゼッティ | アンナ・ボレーナ | アンナの狂乱の場「泣いているの?~あの懐かしいお城に連れて行って」 演出監修:原 純 ペルシィ:内山 信吾/ロシュフォール卿:小林昭裕/スメトン:森朋子/ ヘルヴィ:小田 知希/子役:内山 愛子/合唱:木更津オペラ合唱団 |
アンナ:大隅 智佳子 |
感 想
凛声とは言いえて妙‐内幸町ホール「大隅を、聴く~凛声~」を聴く
大隅智佳子を最初に聴いたのは、彼女が大学院生の時ですからもう15年以上前のことだろうと思います。その時から彼女を注目してきました。彼女は結婚、出産を経て、出産直後は流石に声の張りが衰えたこともあったのですが無事復活、今は年齢的にも技術的にも日本で一番脂の乗り切ったソプラノ・リリコ・スピントと申しあげて問題ないと思います。その大隅がアンナ・ボレーナの「狂乱の場」を歌うとなれば行かずばなるまい、と内幸町ホールまで初めて伺いました。ホールは新橋の駅から5-6分のところ。地下にある200席ほどのホール。
「アンナ・ボレーナ」はドニゼッティのいわゆる「チューダー朝三部作」の最初の曲で名曲ですが演奏機会は多いとは言えません。日本では1982年の藤原歌劇団による日本初演以外でめぼしい演奏は、2007年のベルガモ・ドニゼッティ劇場の日本公演、グルヴェローヴァがタイトル役を歌った2012年のウィーン国立歌劇場日本公演ぐらいでしょう。私はどちらも聴いておりません。また日本人による演奏は2019年10月~12月にかけてオペラ・カフェマッキアート58事務局が上演した「女王三部作」の第一作として藤野沙優がタイトル役を務めたハイライト上演がありますが、こちらも行けずじまいで、私は劇場で全曲を聴いた経験がまだありません。それどころか、この「狂乱の場」に関しても生で聴いたのは初めてではないかと思います。
演奏は大隅智佳子の特徴を十全に示す立派なものでした。シェーナからアリアにかけての深みのある表情、そしてカバレッタにおける技巧。そのアプローチが素晴らしい。前半は、極めて丁寧な歌いまわしで、音符ひとつひとつも歌詞ひとつひとつを大切に響かせていく。呼吸のコントロールと声のコントロールの両方がしっかりできていることがよく分かる歌唱。そしてカバレッタの爆発。これも軽快にすっきりと歌い上げる。流石の実力でした。素晴らしいとしか言いようがありません。
今回はこの演奏が真打で前半のオペラ名曲集は前座なのですが、気が付いたことをいくつか。
まず最初のナブッコの合唱ですが、各パート二人の合唱に大隅、内山、小林の三人のソロが入りました。この曲は、純粋に合唱曲なので、全員がひとつのアンサンブルとしてまとまった方が良いのですが、大隅智佳子が合唱の中に溶け込もうとする歌唱だったのに対し、内山信吾はプリモテノールとしての歌い方で声を響かせました。テノールあるあるですね。
小林昭裕。2曲歌いましたが、この方ソロの部分、音程が安定するまでに微妙に時間がかかる印象。アンサンブルと一緒になるとすっきりした歌になるのですが。頑張りすぎて音程が不安定になったのかもしれません。
内山信吾。この日が61歳の誕生日だったそうですが、年齢の割に若々しい声。昔から聴いている方ですが、一時より声が若くなった印象です。結構なことです。
入場料:C席 4FR1列8番 10000円
主催:公益財団法人東京二期会/公益財団法人日本演奏連盟
2023都民芸術フェスティバル参加公演
東京二期会オペラ劇場公演
ジュネーヴ大劇場との共同制作
オペラ3幕 字幕付き原語(イタリア語)上演/ルチアーノ・ベリオによる第3幕補作版
プッチーニ作曲「トゥーランドット」(Turandot)
原作:カルロ・ゴッツィ
台本:ジュゼッペ・アダーミ/レナート・シモーニ
会場 東京文化会館大ホール
スタッフ
指揮 | : | ディエゴ・マテウス | |
管弦楽 | : | 新日本フィルハーモニー交響楽団 | |
合唱 | : | 二期会合唱団 | |
合唱指揮 | : | 佐藤 宏 | |
合唱 | : | 二期会合唱団 | |
合唱指揮 | : | 佐藤 宏 | |
児童合唱 | : | NHK東京児童合唱団 | |
児童合唱指導 | : | 金田 典子 | |
演出 | : | ダニエル・クレーマー | |
セノグラフィー、デジタル&ライトアート | : | チームラボ | |
ステージデザイン | : | チームラボアーキテクツ | |
衣裳 | : | 中野 希美江 | |
照明 | : | シモン・トロッテ | |
振付 | : | ティム・クレイドン | |
演出補 | : | デレク・ウォーカー | |
演出助手 | : | 島田 彌六 | |
舞台監督 | : | 幸泉 浩司 |
出演者
トゥーランドット | : | 田崎 尚美 |
皇帝アルトゥム | : | 牧川 修一 |
ティムール | : | ジョン ハオ |
王子カラフ | : | 樋口 達哉 |
リュー | : | 竹多 倫子 |
大臣ピン | : | 小林 啓倫 |
大臣パン | : | 児玉 和弘 |
大臣ポン | : | 新海 康仁 |
役人 | : | 増原 英也 |
感 想
華やかなことの功罪‐東京二期会オペラ劇場「トゥーランドット」を聴く
チームラボによる舞台美術、空間美術が評判で、昨年の2022年6月のジュネーヴにおけるワールド・プレミエが大評判になったという「トゥーランドット」の舞台です。ヨーロッパの評判を聞きつけたのか、東京文化会館の座席はかなり埋まっていました。大変すばらしいことだと思います。
演奏に関して言えばかなり上質だったと申し上げられると思います。
デェイゴ・マテウスの紡ぎだす音楽は推進力があって、この壮大だけれどもユーモアのある劇的な音楽を切れ味よく進めていきます。新日本フィルの演奏もメリハリのあるもので、管楽器や打楽器の音が切れ味よく響いてきます。
歌手もまずは上出来でしょう。
タイトル役の田崎尚美。パワフルな歌唱が魅力的で素晴らしい。第二幕の登場から第三幕前半までの力強さは、ソプラノ・ドラマティコとしての彼女を見るのに十分なものでした。一方で、三つの謎が解かれて、カラフの首を刎ねられないことが分かってからの戸惑いと狂乱の様子も見事で、その差異の見せ方も立派だと思いました。Bravaと申し上げましょう。
樋口達哉のカラフも素晴らしい。トゥーランドットに負けない声を響かせて見せて、トゥーランドットとの二重唱は凄い迫力です。ただ、一番の聴かせどころである「誰も寝てはならぬ」はちょっと気負い過ぎている感じで、やや上滑り気味だったかもしれません。でも素晴らしい歌であることは間違いない。
リューの竹多倫子。しっかり歌われてはいますが、さすがに田崎、樋口には敵わなかった、というのが本当のところでしょう。抒情的ないい歌ではあるのですがちょっと内向きの感じで、もう一段高音が張れて歌の輪郭を明確にしたほうが、リューの心情がより伝わると思いました。
三人の大臣のアンサンブル。すこぶる上手です。小林啓倫のピンが中心によくまとまっている感じで、コメディタッチの雰囲気の出し方も凄いよく、聴き応えがありました。ティムールやアルトゥム皇帝もそれぞれしっかり存在感があり、いい表情を見せていたと思います。
だからこの上演に満足できたかと言えば、まったくそんなことはありませんでしあ。
まず検討しなければいけないことは、まずベリオ補作版を使用したことです。実は私はどこまでがプッチーニの作曲したところかがよく分かりません。「リューの死」までがプッチーニが作曲したと言われますが、それがリューのアリアまでなのか、その死に被せるように群衆が言う「彼の名前は」というところまでなのか、その後のカラフの言う「私のために死んでしまった、可哀想なリュー」というところまでなのか、その後のティムールのアリアまでなのか。その辺はもちろん明らかなのでしょうが私は知らない。普通手に入る楽譜に明確に書かれているのは、「最後の二重唱と最後のシーンはアルファーノによって補作された」との一言だけです。ただ、今回の演奏を聴いて思ったのは、ティムールのアリアは普段聴いているのと違うのかな、という印象を持ちました。それ以降は、普段演奏されるアルファーノ補作版とかなり違う。
アルファーノ版はプッチーニの残した36ページのスケッチに基づいてこの部分を最後は祝祭的に鳴り響くように作曲している訳ですが、ベリオは部分を同じスケッチを用いながらもその特徴は、わずか3小節で変わるといわれるアルファーノ版のトゥーランドットのカラフへの心の動きを自然な感じにし、さらにカラフに心を向けたリューへの思いを加味し、静謐な雰囲気にしています。その音楽は確かにプッチーニの音楽をコラージュのように積み重ねて作られてはいますが、聴こえてくる印象は寒々しい。今回の演出が結構残虐性を強調していることも影響していると思いますが、このトゥーランドットという作品は、祝祭的な華やかさで終わらせないときついのかな、という風に思いました。
もう一つの問題は演出です。トゥーランドットの世界はトゥーランドット姫に求婚した王子たちがどんどん首を刎ねられるという世界ではありますが、首切り役人や戦士の群舞が結構残酷な感じです。京劇を参考にしたとも言われるピン、ポン、パンの衣裳や化粧を見る限り、もっと寓話的にして残虐性を抑える方向もあったと思うのですが、ダニエル・クレーマーはその残虐性をより見せるような演出を行います。たとえば「リューの死」のあと、普通の演出ではティムールは自死を選ぶことはないと思いますが、今回の演出では絶望したティムールはリューの後を追う。このような残虐性を強調することで、ベリオ版の持つ寒々しさがより伝わてくる感じがしました。
今回は、チームラボが舞台美術と空間美術を担当しました。チームラボの作る装置は自ら光を発し、極めてきらびやかで美しいものです。それはある意味あっけにとられるほどで、それ自身が素晴らしいということは全く異論がありません。ただこれがオペラの舞台に持ち込まれるとどうなるか。はっきり申し上げれば邪魔です。眼がちらちらするような光は音楽に集中したい聴き手にとって、唯邪魔なばかりです。またこの装置からのレーザー光を強調するためか、舞台が暗く、登場人物の顔が深い影になってしまうのもどうかと思いました。
このレーザー光を陽として、舞台上の残酷な動きを陰として、ベリオの二十世紀音楽の手法による補作部分を含めたプッチーニの音楽の持つ暗さや影を強調する演出は一貫しているとは思いますが、じゃあこういう演出がいいお思うかと言われれば、私は否定的です。演奏は立派だったと思うので、わたし的にはもっと保守的な演出で、アルファーノ版で上演してもらった方が良かったな、と思います。
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